刀を持つ騎士(鬼神)   作:カンナム

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第52話 神罰の都 捨てられた民

 勇者ギフトとの戦いが終わり、アドムが彼を女神の支配から解放した直後、それは起こった。

 

「なんだ? 空が……?」

 

 ルークの言葉に、皆が同じ方角を向く。

 

「……あれは、王都の方か?」

 

 シャロンに続き、アドムもゆっくりと顔を上げた。

 

 チャーチ王都の空が、水色の光に染まっている。

 

 次の瞬間――天から降り注いだ巨大な光柱が、大地を呑み込んだ。

 

 

――審の国・ジャッジ

 

 その光は、遠く離れたジャッジからも見えていた。

 

 ロイヤルガードが集う塔で、フラン・ゴールドフィンチは睨みつけるように光を見据える。

 

「……これが、お前の敵ってやつか? アスラよぉ」

 

「フラン将軍の旧友――アスラ・ヴィンテージの差し金、ですか?」

 

 白と見紛うほど淡い金髪の女騎士が、薄青の瞳を光柱へ向ける。

 

「さてね。だが、俺の勘は当たるんだ。こんなにも信じたくないときは、特にね」

 

「ならば、あれを斬るのも貴方が育てた帝国の双剣でしょう」

 

「――だといいがね。アレックスとアルウィンは?」

 

「黄金の小虎さんの玩具を買いに、王都へ」

 

「…………本当に、あいつらが帝国を守る剣なのかねぇ」

 

 フランは深々と息を吐き、再び水色の光を睨んだ。

 

 一方、帝城の玉座では、針金のような紫髪を無造作に伸ばした筋骨隆々の男が窓の外へ目を向けていた。

 

「世界の終末――裁きの光、か」

 

 皇帝ソルドゥス・トゥリア・ジャッジニアは、怒りを宿した「赤の瞳」を閉じる。

 

 やがて、その喉から獣の唸りにも似た低い笑い声が漏れた。

 

 

――栄の国・シャイン

 

 レティシアの謀反がクリューエル王子によって抑えられた、その直後。

 

 窓の外から差し込んだ強烈な光に、誰もが息を呑んだ。

 

 クリューエル・シャイン・フェルディナンドは、脳裏に書物の一文を思い起こす。

 

『神の光柱(みはしら)は、反逆者を全て滅ぼす』

 

「……まさか、これが?」

 

「そうよ、クリューエル。この光こそが、座に居るもの――オケアニデスそのもの」

 

 腕の中に魔族の女を抱いたまま、クリューエルは鬼神から得た新しい赤の瞳を鋭く細めた。

 

「これが、世界を管理する者の力……」

 

 フェルディナンド王も兵士たちも、圧倒的な光を前に立ち尽くしていた。

 

 

――武の国・パジャ

 

 クロード・パジャ・ヴィクトリア王は玉座から立ち上がり、窓の外を見た。

 

「……これが、女神の力なのか?」

 

 王城の別室。覗き窓から光柱を見つめていたのは、黒髪を後ろへ撫でつけた、アドムと同じ顔を持つ壮年の男だった。

 

 アスラ・ヴィンテージは一瞬だけ笑い、腰の剛刀へ手を添える。

 

「愚かな国が一つ消えた――か」

 

 青い瞳に宿ったのは、喜びではない。

 

 積み重ねた年月を燃料にした、どす黒い憎悪と殺意だった。

 

「居ると分かった。ならば、届かせる。この刃を――必ずだ」

 

 切っ先を光柱へ向け、アスラは小さく呟く。

 

「待っていてくれ、ダァナ。君の墓前に、女神の亡骸を晒してみせる」

 

 そのころヴィンテージ領では、当主の間で図面を広げていたアグニが、窓の外の気配に振り返っていた。

 

「レギンレイヴ――いや、そんな規模じゃないな」

 

 黒に見えるほど濃い青の瞳が、水色の光柱を鋭く捉える。

 

「これが、俺たちヴィンテージが斬るべきもの、か?」

 

 その問いは、天を貫く光の中へ消えていった。

 

 

――再び、司の国・チャーチ

 

 爆発音はなかった。

 

 ただ、世界そのものが一瞬だけ息を止めたように静まり返る。

 

 次の瞬間、遅れて大地が激しく揺れた。

 

 まさしく天変地異だった。

 

「……今のは、何だ?」

 

 シャロンが目を鋭く細める。

 

 ミリアは白い肌を青ざめさせ、震える声で呟いた。

 

「神聖魔法……? いいえ、こんな規模の力、あるはずがありません……!」

 

 先ほどまで女神と繋がっていたギフトだけが、その正体を察していた。

 

「女神さま……?」

 

 もう、声は聞こえない。

 

 それでも身体が覚えている。水色の光は、自分が勇者として与えられていた力と同じものだった。

 

 いつも穏やかなダッタの顔から、静かに表情が消える。

 

「管理者が、自らを信じる者たちへ力を振るったというのか……」

 

 アドムは遠方を睨み、短く告げた。

 

「王都へ行くぞ」

 

 何が起こったのか。

 

 今はまだ、誰にも分からなかった。

 

 

――王都・聖都セレスティア

 

 林を抜け、街道を駆けたアドムたちは、司の国チャーチの王都――聖都セレスティアの惨状を目の当たりにした。

 

「……なんだ、これは?」

 

 つい先ほど、城門から覗いていた栄えある街並みは見る影もない。

 

 城壁は崩れ、神殿は倒壊し、人々の住居は瓦礫の山へ変わっていた。

 

 王城も、教会も、民家も区別なく砕かれている。

 

 神の罰は、王と民を選別していなかった。

 

 普段はほとんど表情を変えないアドムでさえ、声を震わせる。

 

「……国家間の戦争でも、古代の戦略級魔法でも、ここまで一瞬で都を潰すことはできんぞ」

 

 ルークの言葉を聞きながら、シャロンは瓦礫に残る気配を探った。

 

「魔族じゃない。これは――」

 

「女神さまの力だ……」

 

 ギフトが震える声で続ける。

 

 否定したかった。

 

 女神は、自分を絶望から救い上げた希望そのものだった。だが、壁にも地面にも、勇者として振るっていたものと同じ黄金と水色の気配が染みついている。

 

「どうして……? ここは、女神さまを信仰する国だぞ……?」

 

「信仰しているのなら、勇者や神人を捕らえて実験などしない」

 

 シャロンが吐き捨てる。

 

 その横を、一つの人影が通り過ぎた。

 

 アドムだ。

 

 原因を考えるよりも先に、赤い炎のような闘気を全身から噴き上げ、瓦礫の山へ向かっていく。

 

「話は後だ。生きている者を探すぞ」

 

 赤く染まった瞳で崩壊した家屋を見据え、屋根ごと片手で持ち上げる。

 

「旦那様、妾も手伝いまする」

 

 アドムの右目から、黄龍の化身――エル・ドラル・アウローラが姿を現した。黄金の雷を纏って宙へ浮かび、空中に生み出した龍の手で瓦礫を退けていく。

 

 ルークも三メートルを超える巨躯へ変じ、その剛力で崩れた壁を持ち上げた。

 

 シャロンは赤髪赤目の姿へ変身し、仲間たちと生存者の捜索に散る。ミリアは負傷者を集め、回復魔法を施していった。

 

 ダッタもまた、何も言わずに瓦礫を掘り始める。

 

 だが、神武不殺をもってしても、死者を生き返らせることはできない。

 

 一人を救う剣を持っていても、間に合わなかった命は戻らない。

 

 瓦礫の下から、アドムは冷たくなった人々の亡骸を一人ずつ抱き上げた。

 

 歯を食いしばり、傷つけぬよう丁寧に地面へ横たえていく。

 

「……くそ。遅かった」

 

 一方、ギフトは瓦礫の前で立ち尽くしていた。

 

 チャーチは、彼を勇者として崇めた国だった。

 

 同時に、人を斬らせ、薬を飲ませ、最後には人形へ作り変えようとした国でもある。

 

 憎いはずだった。

 

 その時、崩れた家の下から、自分の耳にしか届かないほど小さな声が聞こえた。

 

「……た、すけて……」

 

 ギフトの足が震える。

 

 女神の力は、もうない。

 

 命令する声もない。

 

 自分が何者なのかさえ、分からない。

 

 そんな彼の向かい側で、アドムが生存者を瓦礫から引き上げながら言った。

 

「助けるかどうかは、お前が決めろ」

 

「俺には、もう力がない……」

 

「なら、あるものでやれ」

 

 アドムは、それ以上何も言わなかった。

 

 ギフトがどちらを選ぶのか、その答えを待つことさえせず、次の瓦礫へ向かっていく。

 

 もう、命令する声は聞こえない。

 

 今度は、自分で決めなければならない。

 

 瓦礫の下から、再びか細い声がした。

 

「……たすけて……」

 

 ギフトは、自分の意志で震える手を伸ばした。

 

 神通力もない。

 

 黄金の光もない。

 

 手を傷つけ、肩で息をしながら、石を一つずつ退けていく。

 

 その姿を見たルークとシャロンが、何も言わず隣へ並んだ。

 

 やがて瓦礫の下から、五、六歳ほどの少女が引き上げられる。

 

「よし、生きてるぞ!」

 

「ミリア、回復を!」

 

 ミリアが駆け寄り、少女の小さな身体を淡い光で包んだ。

 

 か細い呼吸が、少しずつ穏やかになっていく。

 

 その小さな手が、血にまみれたギフトの指を握った。

 

 女神の声は、もう聞こえない。

 

 それでも、その手の温かさだけは確かだった。

 

 ギフトは初めて、女神の命令ではなく、自分の意志で誰かを救った。

 

 

 それから半日が過ぎた。

 

 日は沈みかかっている。

 

 アドムたちは驚異的な速さで捜索を続け、街道から広場にかけての瓦礫を掘り起こした。

 

 広場へ運ぶことができた生存者は、わずか三十人ほどだった。

 

「……生きているのは、たったこれだけか」

 

 赤い闘気を纏ったまま、アドムは地面へ拳を突き立てる。

 

「くそっ!」

 

「アドム。皆が怯えてしまう。怒りを鎮めよ」

 

 ダッタの静かな声に、アドムは生存者たちを見る。

 

「……ああ。そうだな」

 

 赤い炎のような闘気を身体へ納め、瞳を黒へ戻していく。

 

 正確には、黒に見えるほど濃い青へ。

 

 その瞬間、胸の奥を鋭い痛みが貫いた。

 

「……っ」

 

 アドムは誰にも気づかれぬよう胸元を押さえ、すぐに手を離す。

 

 だが、ダッタだけは、そのわずかな異変を黙って見つめていた。

 

「――いったい、何があったのです?」

 

 ミリアが生存者たちへ問いかける。

 

「分からない。ただ、神の怒りに触れたと……」

 

「私も聞いたわ。王が神の怒りに触れた。だから罰を与える、と」

 

 誰もが同じ宣告を聞いていた。

 

 耳からではない。頭の中へ直接、女神の声が響いたのだという。

 

「何か心当たりはないか?」

 

 シャロンの問いに、一人の女が声を荒らげた。

 

「分からないわよ! どうして、あたしたちがこんな目に遭わなきゃいけないの!」

 

 広場に沈黙が落ちる。

 

 王が何をしたとしても、ここにいる民には何の関係もない。

 

 やがて、生存者の男が恐る恐る口を開いた。

 

「そういえば、国王陛下が何かを研究しているという噂があった。もしかすると、それが女神さまの怒りに触れたのかもしれない」

 

 シャロンはペイトへ目を向ける。

 

 ペイトは肩をすくめ、懐から王城の見取り図を取り出した。

 

「こんな時のために盗んだわけではないんですけどね」

 

 地上は壊滅している。だが、見取り図には王城地下へ続く研究施設が記されていた。

 

「アドム。力を貸してくれるか?」

 

「こんなふざけた真似をした奴を、野放しにできるか。場所が分かるなら案内してくれ」

 

 即答するアドムに、シャロンは微かに笑みを返した。

 

「行こう。ついてきてくれ」

 

 負傷者の治療と護衛をネイたちへ任せ、シャロンを先頭に、ミリアとペイトが続く。

 

 アドム、ルーク、ダッタもその後を追った。

 

 ギフトは一度だけ広場の少女を振り返り、それから、自らの足で仲間たちと同じ道を歩き始めた。

 

 

 王城の残骸へたどり着くと、城壁の一角だけが不自然に破壊を免れていた。

 

 ミリアが壁へ手を触れ、目を閉じる。

 

「……神聖な力を遮る陣です。女神の目を欺くために張られていたのでしょう」

 

 シャロンの表情が氷のように冷える。

 

「勇者や旧神の端末を、女神に知られず研究するための結界か」

 

 ミリアが結界を解くと、壁の奥に地下へ続く石段が現れた。

 

「この気配……実験をしていた巫女だな。気をつけろ」

 

 シャロンが剛刀へ手をかける。

 

「研究者ではなく巫女が実験をするのか。我が生国ながら、呆れた話だな」

 

 無精髭を撫でながら、ルークは長巻を肩へ担いだ。

 

「女神を欺くための結界が、結果としてあの女を神罰から守ったらしい」

 

 シャロンの淡々とした声には、冷たい殺気が込められていた。

 

 ルークは首の骨を鳴らし、ダッタを見る。

 

「どうする? 刃傷沙汰は避けられそうにないぞ」

 

「無益な殺生であれば、止めねばなるまい」

 

 ダッタとルークが、後ろを歩くギフトを振り返る。

 

「お前、大丈夫か?」

 

「……あ、ああ。平気だ」

 

 平気なはずがない。

 

 巫女の顔を思い出しただけで、ギフトの身体は強張っていた。

 

 桃色の薬。

 

 牢獄。

 

 切り裂かれた手足。

 

 石段を一段下りるたび、冷たい死の匂いが身体へまとわりつく。

 

 その先には、広い実験場があった。

 

 人の形をした標本が、透明な容器の中で桃色の液体に沈められている。

 

 無数の標本に囲まれ、その中央で巫女は椅子に腰掛けていた。

 

「あら、ようこそ。成りそこないの勇者さま」

 

 まるで旧知の者を迎えるように、彼女は微笑んだ。

 

「お前……」

 

 シャロンは背中の剛刀へ手をかける。

 

「まだ生きていたか……!」

 

 その肩を、アドムが掴んだ。

 

「待て」

 

「こいつが何をしたか、分かっているのか?」

 

「分かっている。だからこそ、先に聞くことがある」

 

 アドムは巫女を見下ろした。

 

「生き残った者は、お前の他にいるか?」

 

「お前ではありません。私はハルノ。ハルノ・テンペストです。お見知りおきください、大陸最強の剣士――アドム・ヴィンテージ様」

 

「戯言を聞く気はない。生存者は?」

 

「さあ? 瓦礫となった城のどこかに、まだいるかもしれませんね。私の預かり知らぬことですが」

 

 ハルノは椅子の影へ視線を落とした。

 

 そこには、一人の壮年の男が横たわっている。

 

 豪奢なマントは汚れ、金の王冠は埃にまみれて欠けていた。

 

「まさか……国王か?」

 

 記憶よりも老いている。

 

 それでもルークには、自分を国から追放した王の顔だと分かった。

 

 恨み言なら、飽きるほどあった。

 

 だが、目の前に横たわる弱々しい男を見ても、何も言葉が出てこない。

 

「彼以外の生存者など、私には必要ありません。陛下には、お世継ぎもおられませんから」

 

 その瞬間、アドムの瞳が赤く輝いた。

 

 炎のような闘気が噴き上がり、地下室全体を震わせる。

 

 しかし、アドムはハルノを見ていなかった。

 

 彼女の背後にある標本を――人間だったものを見ていた。

 

 シャロンの殺気にも、勇者の力にも笑みを崩さなかったハルノが、初めて息を詰まらせる。

 

 震え始めた手を、隠すこともできない。

 

「お前から話を聞くのは後だ。先に生存者を探す。シャロン、ここは任せる」

 

「……分かった」

 

 踵を返したアドムに、ダッタが月光のような金色の瞳を向けた。

 

「アドム、私も手伝おう。勇者どの、あなたの手も借りてよろしいか?」

 

 ギフトは震える拳を握り、ハルノから目を逸らす。

 

「……分かった」

 

 

 数刻後。

 

 城の崩れた回廊から、新たに七人の生存者が救い出された。

 

 彼らを地上へ送り届け、アドムたちは改めてハルノと向き合った。

 

 国王は、依然として意識を失ったままだ。

 

「聞かせろ。なぜ女神は、自分を信仰する国を滅ぼした?」

 

 アドムの青い瞳を見返し、ハルノは笑う。

 

「信仰? 今更ですね。私は、勇者や神人を何人も実験台にした。女神への信仰を盾にして、その裏で女神への反逆を企てていた。それが露見し、滅ぼされた。それだけのことです」

 

「なぜ、これほど大勢の人間を犠牲にした?」

 

「教えてあげましょう。あの女神にとって、信仰など支配を保つための道具にすぎません」

 

 乾いた笑みを浮かべ、ハルノは続けた。

 

「そして、我が王に信仰を捨てさせたのは――貴方の父ですよ」

 

「……なに?」

 

「アドム。貴方は、あの男にーーアスラ・ヴィンテージによく似ていますね」

 

 傍目には聖女にしか見えない、穏やかな笑みだった。

 

「惑わされるな、アドム!」

 

 ルークが叫ぶ。

 

「アスラはパジャ王の剣だ。遠く離れたチャーチ王へ、理由もなく謁見できるはずがない!」

 

「そのころ、彼はまだ王の剣ではありませんでした。諸国を旅する一人の剣士にすぎなかった。確か、友人を二人連れていましたね」

 

「貴様、出鱈目を……!」

 

「待て、ルーク」

 

 アドムが静かに制した。

 

「親父殿は、母上を失った直後、しばらく諸国を旅していた。ラボニと、帝国ジャッジの剣士と共に」

 

 ハルノの笑みが、わずかに深くなる。

 

「当時からヴィンテージの剣は最強と謳われていました。引き抜けるものならば引き抜きたい。そう考えた陛下が、アスラへ謁見の機会を与えたのですよ」

 

「お前もまた、親父殿に人生を狂わされた者か」

 

「違います」

 

 初めて、ハルノの声から笑みが消えた。

 

「私は、チャーチの王――カーネル様のためにこの身を捧げた。それだけです」

 

 椅子に横たわる王へ目を落とし、彼女は遠い日の記憶を語り始めた。

 

 

――十四年前、チャーチ王城。

 

 王の執務室で、若きカーネル王とアスラ・ヴィンテージが向かい合っていた。

 

 豪奢な卓を挟み、二人の前には湯気を立てる紅茶が置かれている。

 

 ハルノは給仕をしながら、その会話へ耳を傾けていた。

 

「大陸最強と名高いヴィンテージ殿が、遠き我が国へ剣を学びに来られた、と?」

 

「拝謁、感謝いたします。私は剣一筋で生きてきた身。無礼非礼があれば、お許しいただきたい」

 

「構わぬ。伝説の剣豪アブラの長子にして、あのジャッジすら退ける剣技の継承者。その剣、喉から手が出るほど欲しいものだ」

 

「父が完成させた剣です。私は、それを真似たにすぎません」

 

 アスラは、卓上の紅茶へ目を落とした。

 

「年端もいかぬ我が子に守られるほど、私は弱い」

 

「我が子? アスラ殿の長子ならば、さぞや強く育つのであろうな」

 

 カーネルは、人の親らしい謙遜だと思って微笑んだ。

 

 だが、アスラの表情は暗い。

 

 青い瞳の奥で、消えることのない憎しみが燃えていた。

 

「あれは、化け物です」

 

「……アスラ殿?」

 

「私の血を引き、私と妻の子として生まれた化け物です」

 

「実の子を、そのように呼ぶものではない」

 

「信じられますか、陛下。あれは産声を上げませんでした。生まれた時から涙すら流さない。抱き上げれば、私の弱さを見透かすように、ただじっと見つめてくる」

 

 カーネルは言葉を失った。

 

「妻は、あれを腕に抱くと安心していました」

 

 アスラの拳が震える。

 

「双子を産み、日に日に衰弱していく妻が、あれを抱くだけで眠れた。私が手を握っても眠れなかった妻が、あの赤子を抱くだけで……!」

 

「奥方は……?」

 

「呪い殺されました」

 

「なんと?」

 

「ただの呪殺ではない。創世の女神オケアニデスの使い――死神の鎌によって」

 

 カーネルが身を乗り出す。

 

 アスラは懐から細長い包みを取り出し、卓上へ置いた。

 

 黒布を解く。

 

 中から現れたのは、禍々しい黒色の刃の欠片だった。

 

 欠片に残る気配へ触れた瞬間、ハルノは息を呑んだ。

 

 魔物とも、魔族とも違う。

 

 神聖でありながら、生あるもの全てを拒絶する死の気配。

 

「死神の鎌、その一部です」

 

「これが……?」

 

「本来なら、妻と双子の弟は死ぬはずだった。ですが、契約は破られた」

 

「誰が、死神を退けた?」

 

「生まれたばかりの、私の長子です」

 

 王の顔から色が消えた。

 

「赤子が、女神の使いを……?」

 

「妻を救えなかった私に代わり、あの化け物が死神を討ち取った。妻の苦しみも、双子の弟の命も、私ではなく――あいつが背負った!」

 

 守れなかった怒り。

 

 救えなかった苦しみ。

 

 妻に頼られなかった嫉妬。

 

 それら全てを押し殺し、アスラは淡々と続ける。

 

「私は、最愛の人を守ることもできずに奪われた。妻との間に生まれた大切な子の左腕すら、守れなかった」

 

「……アスラ殿」

 

「つまらぬ話を長々と失礼しました」

 

 アスラは黒布を閉じ、死神の鎌を再び包んだ。

 

「今、私が諸国を巡っているのは、オケアニデスについて調べるためです」

 

「女神について?」

 

「オケアニデスは、初めから神だったわけではありません」

 

 カーネル王の目が、ゆっくりと見開かれる。

 

「かつては、何の力も持たぬ一人の村娘だった。旧神セフィロトが管理していた『座』を奪い、世界の管理者となったことで、神に等しい力を手に入れたのです」

 

「人間が、神になったというのか?」

 

「人が一度、神の座へ就いた。ならば、もう一度できない道理はない」

 

 アスラは王の目を見据える。

 

「そして、神の使いであろうと――斬れば死ぬ」

 

 卓上の黒い包みが、その言葉を証明していた。

 

 

 ハルノが目を開く。

 

 十四年前の、憎悪に満ちた青い瞳を思い返しながら、同じ色の瞳を持つアドムを見つめた。

 

「聖書には、こうあります。支配し、搾取する旧きものを追い払い、新たな神が座へ就く。そうして世界は新しく生まれ変わった、と」

 

「旧神の古書では、オケアニデスが世界を奪ったと記されている」

 

 シャロンが冷たく言い放つ。

 

 ハルノは微笑んだ。

 

「赤く輝く瞳は、旧神の端末たる神人。水色に煌めく瞳は、女神の端末たる勇者と聖女。陛下は十四年をかけ、数多の端末を研究なされた」

 

 ギフトの力も、忠誠心も、精神も。

 

 全ては、座へ近づくための材料として扱われていた。

 

「……俺は、勇者ですらなかったのか?」

 

 ギフトの呟きに、ハルノは淡々と答える。

 

「障害を排除する刃物として使えるうちは勇者。使えなくなれば材料。それだけのことでしょう?」

 

 シャロンが背負った大太刀を抜きかける。

 

「まだだ。最後まで喋らせろ」

 

 アドムはハルノから目を逸らさずに問う。

 

「座は、どこにある?」

 

「知りません」

 

「どうすれば、そこへ辿り着ける?」

 

「それも」

 

「女神を引きずり下ろした後、この世界がどうなるかもか?」

 

「ええ。何も分からない。だから私たちは、勇者と神人を使って調べていたのです」

 

「そんな与太話のために、国王は大勢の人間を犠牲にしたのか?」

 

「与太話ではありません。貴方という証拠がいた」

 

 ハルノは、アドムの腰にある兼定へ目を向ける。

 

「生まれたばかりの貴方が、女神の死神を討ち取った。陛下が神を討てると信じたのは、貴方のおかげですよ。アドム」

 

 アドムの拳が、静かに握られた。

 

「俺を使って、王を焚きつけたというのか……」

 

「チャーチは軍事力でジャッジに及ばない。パジャにはヴィンテージの剣があり、ジャッジにはフラン・ゴールドフィンチが育てたロイヤルガードがいる。そこへ、神すら斬る理外の子まで現れた」

 

 チャーチが剣や兵力だけで両国を上回る未来はない。

 

 焦った王は、アスラの囁いた可能性へ縋った。

 

「人の剣では届かぬというのなら、神の力を手に入れる。陛下は、そう決断なされた」

 

「そんな夢物語を信じ、多くの人間を犠牲にした挙げ句、国民まで路頭に迷わせたか。因果応報もここまでくるとな」

 

 ルークが吐き捨てる。

 

「アスラの言葉が、なぜそれほどまで信用されたと思いますか?」

 

 ハルノの問いに、誰も答えない。

 

「彼は、おそらく魔族と通じていた。言葉の端々に、情報を提供する人ならざる者の存在を匂わせていた」

 

「魔族にできないことを、チャーチ王にできると思っていたのか?」

 

 シャロンの問いに、ハルノは首を横へ振る。

 

「いいえ。アスラ・ヴィンテージほどの男が、そんなことを信じるはずがありません」

 

「王が失敗すれば、女神が動くことも?」

 

「分かっていたでしょうね」

 

「なら、なぜ……!」

 

 ハルノは苦く笑った。

 

「私は、陛下の意志に従っただけ。ですが、アスラの狙いを推し量るなら――私たちは、女神の力を測るための餌だった」

 

「……」

 

「女神がどこまで人間を認知しているのか。どのような力を持つのか。あるいは、その力で将来の敵国を消すことまで考えていたのかもしれない」

 

 ハルノは唇を噛み、沈黙するアドムを睨みつけた。

 

「自らの復讐のために隣国を差し出す貴方のお父様は、陛下よりも狂っていると思いませんか? アドム・ヴィンテージ」

 

 

 その時、アドムの右目が黄金に輝いた。

 

 光の中から、金色の髪を持つ美女が姿を現す。

 

「控えよ」

 

 エルの声に、シャロンとペイト、ネイが反応した。

 

「その気配……神か?」

 

「まさか、ダンジョンの主? アドム・ヴィンテージと共に行動していたの?」

 

「ーーダンジョンを調べていた弟が、ギルドに捕まったのは。アドムに挑んだからーーなのね」

 

「騒ぐでない、人の子らよ」

 

 エルは豊かな胸の前で腕を組み、白い顎で虚空を示した。

 

「それよりも、現れたぞ。そなたらが話を聞きたかった相手がな」

 

 何もなかった空間に、水色の光球が浮かび上がる。

 

「女神さま……!」

 

 ギフトの身体が震えた。

 

 もう支配されてはいない。

 

 それでも、脳の奥へ響き、自分の自由を奪っていた声の恐怖からは逃れられない。

 

 水色の光が強く明滅する。

 

――「アドム。そこにいる有象無象など、気にする必要はありません」――

 

 アドムは光球を睨んだ。

 

「王都を滅ぼしたのは、お前か?」

 

――「ええ。この国の王は私の座を狙い、私の勇者を勝手に弄んだのですから」――

 

「だから、王都に住む罪のない人々まで消したのか?」

 

――「管理者に逆らった家畜を処分するのは、当然でしょう?」――

 

 勇者への慈悲など、一切感じられなかった。

 

 自らの端末に手を出され、管理者の座を狙われた。だから排除した。

 

 人間の生死を、所有物と支配秩序の問題としてしか見ていない。

 

――「貴方まで、彼らと同じ愚かな道を選ばないでください。私のもとへ来なさい」――

 

 アドムの脳裏に、瓦礫となった街が浮かぶ。

 

 子供を抱くギフト。

 

 傷ついた人々を救う仲間たち。

 

 冷たくなった身体へ縋り、泣き続ける生存者。

 

「お前の世界だと?」

 

――「そうです。この世界は、私が管理しています」――

 

 アドムの瞳が赤く染まった。

 

 炎のように激しい赤い鬼気が全身を包み、地下室が軋む。

 

「ふざけるな!」

 

 腰の兼定へ手をかける。

 

「ここで生きていた人々は、お前の玩具じゃない!! 王が欲に溺れたことと、懸命に生きていた民に何の関係がある!!」

 

 水色の光球が、わずかに明滅した。

 

――「貴方も、いずれ理解します」――

 

「理解できてたまるか、そんなもの!!」

 

 アドムは兼定を抜き放ち、光球へ切っ先を向ける。

 

「神だか、管理者だか知らんが。人の命を勝手に使い、不要になれば捨てるというのなら――」

 

 一歩。

 

 凄まじい速度で踏み込み、兼定を真下から斬り上げた。

 

「俺が、貴様を斬る!!」

 

 水色の光球が真っ二つに割れる。

 

 女神がこの場へ伸ばしていた接続は断たれ、無数の光の粒子となって宙へ散った。

 

 ハルノが、諦めにも似た笑みを浮かべる。

 

「……なんてこと。女神そのものでも、神の座でもない。それでも貴方は、女神がこの場へ伸ばした力を、こうも容易く断ち切ってみせた」

 

 赤い瞳のアドムを見つめ、静かに続ける。

 

「これが、神へ届き得る理外の刃。アスラが、貴方を化け物と呼ぶわけですね」

 

「なんとでも言え」

 

 兼定を鞘へ納め、アドムは黒に見えるほど濃い青の瞳へ戻った。

 

「俺は、人間だ」

 

「アスラ・ヴィンテージの言うとおり。オケアニデスは貴方に執着し、そのために貴方のお母様は殺された。そして我が国チャーチも滅びた」

 

 アドムの表情が変わる。

 

 女神は、自分を人の道から引きずり下ろそうとする。

 

 父は、その女神を討つために国一つを試金石へ変えた。

 

 どちらも人間を見ていない。

 

「親父殿……隣国とはいえ、無辜の民を切り捨てたか」

 

 怒りに震える声が、薄暗い地下室へ落ちる。

 

「いずれ、親父殿本人の口から聞く。何を考え、この国を差し出したのかを」

 

 

 シャロンはハルノの両腕を拘束し、意識を失った国王と共に地上へ連行した。

 

 ハルノは最後まで抵抗せず、穏やかな笑みを浮かべていた。

 

 地下を出ると、夜の冷たい風が血と埃の匂いを運んでくる。

 

 瓦礫の向こうでは、ギフトが救った少女が両親と再会し、泣いていた。

 

 両親は何度もギフトへ頭を下げる。

 

「勇者さま。本当に、ありがとうございます……!」

 

「俺は……」

 

 ギフトは戸惑い、自分の血まみれの両手を見る。

 

「俺はもう、勇者じゃない」

 

 少女が、その手を握った。

 

「でも、お兄ちゃんが助けてくれたよ」

 

 ギフトは、何も答えることができなかった。

 

 

「シャロン。ここの人々を任せてもいいか?」

 

 アドムの問いに、シャロンは苦い表情を見せる。

 

「私たちだけでは手が足りない。犯罪者ギルドの全てを信用することもできない。弱者を食い物にする者もいるからな」

 

「ヴィンテージの影を呼べればいいが、他国への介入と取られれば、民が政争に利用される」

 

「何を悩んでおりまする、旦那様」

 

 エルが、アドムの足元へ目を向けた。

 

「旦那様には、旦那様だけの影がありますじゃろ?」

 

「俺の影?」

 

 その瞬間、アドムの影から血のように赤い粒子が噴き上がった。

 

 粒子は人の形を作り、黒い執事服を纏った青白い男へ変わる。

 

 顔は、アドムと瓜二つだった。

 

「セフィロトの端末……!」

 

「魔物化していますわ!」

 

 ペイトとミリアが身構える。

 

 しかし男は意に介さず、アドムの前で静かに跪いた。

 

「お前……ダァムだったか?」

 

「はい。我が主、アドム様」

 

「お前の主は、鬼の俺――アバルではないのか?」

 

「アバル様より、暇を出されました。今の私めの主は、アドム様ただ一人にございます」

 

 アドムは半眼になった。

 

「……あいつ、俺に厄介事を押しつけたな」

 

 ダァムは否定も肯定もせず、深く頭を下げる。

 

「どうか、ご命令を」

 

「ここにいる人々を助けたい。力を貸してくれるか?」

 

「御意」

 

 ダァムが両腕を広げる。

 

 赤い粒子が夜空へ舞い上がり、三十二体の分身へ変わった。

 

「戦う力を持たぬ分身であれば、この数まで。それぞれが私の目と耳、そして手足となります」

 

「十分だ。生存者と亡骸を捜してくれ。それから、夜を越すための場所を作る」

 

「かしこまりました」

 

 三十二体のダァムが、赤い蝙蝠の翼を広げて飛び立つ。

 

 ある者は瓦礫の隙間へ入り、ある者は崩れた資材を運び、ある者は生き残った建物を補強していった。

 

 赤い粒子が壊れた柱や壁を包み、散らばった石材を組み直していく。

 

「時間逆行の魔法……?」

 

 ペイトが目を見開く。

 

 ダァムは静かに首を横へ振った。

 

「失われたものは戻りませぬ。残された材料を繋ぎ、仮初めの形へ整えているだけにございます。命も、食料も、焼け落ちた記録も、元には戻らない」

 

 目の前に作られていくのは、かつての王都ではない。

 

 生き残った者たちが、今夜を越すためだけの仮設の住居だった。

 

「ありがとう、ダァム。助かった」

 

「勿体なきお言葉」

 

 ダァムは深々と頭を下げる。

 

「この地へ二十の分身を残します。遠く離れれば力はさらに弱まりますが、運搬と捜索ならば役に立ちましょう」

 

「頼む」

 

 

「アドム」

 

 ギフトが声をかけた。

 

 その傍らには、彼が救った少女がいる。

 

「俺は、ここに残る」

 

「そうか」

 

「もう女神の力はない。勇者でもない。俺に何ができるのかも分からない」

 

 ギフトは自分の傷ついた両手を見つめた。

 

 それから、少女と、広場へ集まった人々を見る。

 

「それでも、この子たちを見捨てたくない」

 

 アドムは、ほんの僅かに目を細めた。

 

「なら、あるものでやれ」

 

「……ああ。そうする」

 

 女神に勇者と呼ばれた男は、初めて自分の意志で、捨てられた民の側に立った。

 

 

「アドム。私たちと来ないか?」

 

 シャロンが、はっきりと勧誘する。

 

「お前なら歓迎する」

 

 アドムは首を横へ振った。

 

「俺には、やることがある」

 

「次はどこへ行く?」

 

「ビルドアだ」

 

「父親のところへは戻らないのか?」

 

 アドムは、遠くパジャの方角へ目を向けた。

 

「今すぐ戻れば、俺は怒りのまま親父殿へ刃を向ける。やるべきことも、交わした約束も投げ出してな」

 

 腰の兼定へ手を置き、静かに続ける。

 

「自分の復讐のために他の全てを捨てれば、俺も親父殿と同じになる。先にビルドアへ行く。その後で、必ず本人の口から話を聞く」

 

 ダッタが、何も言わずに頷いた。

 

「分かった。ならば、ここは私たちに任せろ」

 

「頼む」

 

 アドムはシャロンへ頭を下げた。

 

 そして、ギフトを見る。

 

「またな」

 

「ああ」

 

 短い言葉だけを交わし、アドムは聖都セレスティアへ背を向けた。

 

 瓦礫の中には、今も数多の命が眠っている。

 

 失われたものは、決して元には戻らない。

 

 それでも、捨てられた民の中には、自らの意志で彼らと共に立つ男がいた。

 

 アドムは振り返らず、ダッタたちと共に次なる国――ビルドアへ向かって歩き出した。

 

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