精神の世界。
神である天帝が生み出した夢と現の狭間にある無限の空間。
満天の星空に巨大な白金の月が浮かび、どこまでも続く水平線。
意識ある者は、水の中に沈むことはない。
意識を失えば水の中に深く沈んで二度と浮かぶことはない。
強烈な黄金槍の薙ぎ払いを刀で受けながら後方へ吹き飛ばされ、水面に顔を突っ伏すアバル。
「ぐはぁっ!」
四つん這いになりながら、血を吐くアバルに対して雷を手足のように纏った男が立っている。
「どうした。其の方、これが限界ではあるまい?」
銀色の髪は赤く染まり、金色の瞳は太陽のごとき赤に変わっていた。
端正な顔立ちは怒りの表情に、牙はむき出しとなり髪は天に向かって逆立っている。
「ぐぅ!」
呻きながら痺れる腕を抑え、アバルは自分と同じ瞳の色をした天帝であったものを見る。
(なんだ、こいつのこの姿はっ……! まるで、鬼神そのものだ……!!)
その疑問をそのままにアバルは詰問した。
「インドラ貴様! その姿は!」
「この姿の我は、インドラとは呼ばれぬ。ーー雷神。天帝ーー帝釈天インドラは雷を操るが、雷神となった我は雷そのものよ」
「雷神だと……!?」
「さあ、異界で生まれた羅刹よ。鬼夜叉の中でも鬼神そのものの姿となった今の我に、力を示せ!!」
軽く右腕を振るわれると同時に雷光が発生し、すべてを撃ち抜く。
アバルが鬼神力を発動していなければーー全力でなければ、到底よけることもできずに焼かれていただろう。
空で宙返りしながら、沈むことのない湖面へ着水し目だけは雷神と名乗る鬼の姿をした存在から離さない。
目を離せば、やられる。
「知らない……! これほどの強さを誇る、だとっ!?」
接近すら雷光の速度で動く。
金剛の槍を右手一本で振るわれるも、両手持ちの刀で捌かなければ吹き飛ばされる。
金剛槍に己の刀をぶつけながら、アバルは鬼眼を見開いて叫んだ。
「貴様ーー天部の姿を捨てて、この強さだというのか!?」
「無論だとも。むしろ、捨てたからこそーーだ。これはな。其の方らの源流たる鍾鬼との決戦をきっかけに、この異界にて生まれた新たな鬼神ーーアドムとの出会いが我に思い出させたのだ。インドラと名乗る前のーー「武」そのものの我をな」
鍔迫り合いをしている目の前の羅刹に向かって雷神は告げる。
「悩める者を導く仏はーーそのものを救うために必要とあらば鬼ともなる。思い知るがいい!! 鬼の顔の我(雷神)を!!」
「ぬーーうぉおおお!?」
鍔迫り合いの姿勢のまま一気に雷神の力が跳ね上がり、黄金の稲妻が天から降り注いでアバルを後方へ弾き飛ばした。
赤黒いオーラを身にまとい、後方に宙返りしながら着水するアバル。
その目は困惑と動揺に揺れている。
それを見下ろして雷神は告げた。
「どうした、仕舞いか!?」
即座に放たれる黄金の雷を避けながらアバルは思考する。
(強い……! この強さ。天帝の頃よりも、さらに実戦的な強さだ……!!)
だからこそ、問う。
鬼神そのものと言える雷神に向かってアバルは問いかけた。
「なぜだ……! その姿ならばっ! 釈迦如来の下などに就くこともなかろうが!!」
その問いかけに雷神はーー静かに振るう腕をおさめて眉間のしわを取り、穏やかな顔になって言った。
「それはまた、別の話よ。いま、其の方が気にせねばならんのは、雷たる我を打ち倒し、ヴァジュラの核を取り込むことにある」
そう言いながら、赤い炎のようなオーラを身にまとって雷神は金剛の雷を槍から噴出させる。
「ーー其の方が成れぃ。この異界の雷神に!!」
「ゴチャゴチャとうるさいことを! 貴様ら仏は、説法が好き過ぎる!!」
「仏ゆえーーな。だが」
槍を持った右手を後ろにやり、腰を落として左手に雷を纏わせる。
「我(雷神)も殴り合いは嫌いではないぞ!!」
「フンーー!! ウォオオオオオオオッ!!!」
鬼神の咆哮がアバルの喉から発生し、雷神が生み出した結界のなかを揺らす。
強烈な赤黒い炎と赤い雷を纏ってアバルは刀を両手で持って正眼に構える。
「ゆくぞ、羅刹!!」
「来いーー雷神!!」
共に水面を蹴り、神速でお互いの前に移動すると槍を両手で横薙ぎに放つ雷神。
唐竹に刀を振り下ろすアバル。
その刀身は赤黒いオーラに満ち満ち、やがて金剛の光を放っていた。
「見事だ、アバル。それこそが、金剛(ヴァジュラ)だ。よくぞ我らが域へ達した!!」
先ほどまで弾き飛ばされていた一撃を相殺し、アバルはニヤリと笑みを返す。
「フン! 次で終わりだ。雷神!」
「ならばーーいま、貴様こそは、真なる羅刹。雷神たる我を打ち破り、この世の厄災そのものと呼ばれる鬼神を打ち倒すがよい!!」
共にバックステップし、アバルは霞に構え、雷神は金剛槍を持つ右手を体の前に横にして持つ。
アバルは、太陽のごとき赤のオーラを刀身に満ちさせて一気に力を跳ね上げる。
これに雷神も金剛槍を稲妻そのものへと変えていく。
「ナウマク・サマンダ・ボダナン・カク・ソワカーー」
「鬼刃ーー!!」
雷神は槍投げのように強大な雷を右手一本で上から投擲して放つ。
「雷仰(らいごう)!!!」
「神斬りぃいっーー!!!」
アバルは両手持ちで大きく振りかぶって袈裟懸けを放つ。
黄金の雷光と太陽の赤光が野太い線となって互いに放たれ、互いの中央でぶつかり合った。
拮抗はーー一瞬。
お互いの光がお互いの光によって捻じ曲げられ、互いに逸れると脇の水面を大きく削っていった。
吹き飛ばされた水面は雨のように天から二柱の存在へ降り注ぐ。
雨が降り注ぐ中、互いの赤眼は相手から逸らされることも瞬くこともなかった。
何も言わず、雷神は袈裟懸けで自分の最高の技を防いで見せた羅刹に構えを解いて言った。
「持ってゆけぃ」
そういうと雷神の掌から、その中に納まるくらいに小さな黄金でできた法具と呼ばれる両端の先端が三つに分かれたものを投げ渡す。
「こいつは……」
「金剛杵だ。別名、ヴァジュラという。それに宿れば其の方は妖刀を捨て、鬼神そのものの位へと至る」
尋常でない光の神通力を放つ三鈷杵は、闇の存在であるアバルの手のひらを焼いていた。
「この雷神たる我を打ち破ったのだ。魂のない鬼神などという中途半端な存在ではなく、鬼神となった上で羅刹と成れ……!!」
その言葉にアバルは羅刹らしい凶暴な笑みを返して言った。
「フン。いろいろと気を回し過ぎるやつだ。だがもらっておくぞ、インドラ。鍾鬼を斃すのに、ヴァジュラは必須だからな……!!」
言いながら、アバルは黄金の光を得るために胸へ三鈷杵を当てる。
瞬間、三鈷杵は光となってアバルの肉体に吸い込まれーー代わりに赤い色の刃となった妖刀「村雅」が肉体の外に吐き出される。
「ぬ、ぅうううう!!」
次の瞬間、心臓を焼かれるような痛みに、内側から肉体を焼かれる苦しみを味わいながらアバルはうずくまる。
これを雷神は静かに見据える。
(アバルよ。貴様が気づいているかは知らぬがーー貴様はすでにヴァジュラを納めている。さきほどの我との剣劇で黄金の斬撃を放ったのが、その証拠。ならばーー使いこなせ。闇(鬼)でありながら光を操ってみせよ!!)
その 咤激励ともいえる雷神の心の声に応えるようにアバルはうずくまった姿勢のままで黄金の雷をその身にまとい始める。
仮に、その力を取り込むことができなければ強烈な光の神通力によって闇は消し飛ばされる。
だがーーアバルは、その力を身にまとい肉体を作り変えていった。
光も闇も、己の力として取り込むーー鬼神として。羅刹として。
「うぉおおおお!!!」
黄金は赤黒いオーラに取り込まれて、黒から強烈な白へと変わる。
赤い雷は青と黒が混じったものに変わり、アバルの肉体は完全に生身として顕現した。
「……見事だ。鬼神ーーいや『羅刹』アバルよ」
ゆっくりと立ち上がるアバルは、強烈な光を操る存在でありながら闇の魂を抱える矛盾した存在へと変じていた。
「……またな、雷神。いや、インドラ」
それだけを告げ、アバルは「青い瞳」となって言った。
雷神は、ゆっくりと天部の姿に戻るとーーこれにうなずいてやり、アバルが世界から去っていく背を見送る。
「面白い漢だった。雷神であったころの我を思い出させ。余に天部であったことを忘れさせるとはな。鍾鬼とは顔以外まるで似ても似つかぬのに。これほどまで戦いに興じられるとはーー」
言いながら天帝ーーインドラは新しい鬼神アドムの顔を思い出しーー続ける。
「もう一人、あの男にも道を示してやりたいのだが」
その弟ーーアグニ。
魂は人、だが肉体も力も鬼神となった。
目覚めた力は、やがて人を鬼にも神にも変える。
あれをこそ、正しく導いてやらねばと思うがーー。
「だが。さすがの余でも、あの男の道は荷が重すぎるか」
そう言いながら、アグニの名と共にインドラは思い出した。
「いや——……フッ、適任がおったわ」
そう。
適任者が居ることを。
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そこはアグニをして、一度来たことがある世界だった。
「また、この世界か……」
辺り一面が霧に覆われ、薄暗い雲が天を覆う。
足元には霧があり、地面が土なのかはよく分からない。
自分はヴィンテージ邸で書類相手に頭を悩ませていたはずだった。
うたた寝をした記憶はない。
赤い革のジャケットに黒いシャツ、青いデニムズボンのヴィンテージ剣士一張羅。
腰の剣帯には父・アスラが抱えた刀工集団の一作ーー剛刀『兼貞』が差されている。
「前回はインドラとかいうヤツのせいで、えらい目にあったな。今回もか?」
だが何も起こる気配はない。
目の前にも周囲にも変化はなかった。
「……人を呼び出しておいて、顔を見せないつもりか? ならばーー」
腰の兼貞に手をやり、鬱陶しい霧をすべて吹き飛ばしてやろうとする。
「ほっほっほっほっほ」
その時ーーどこからか老人の笑い声が聞こえ、いつの間にか目の前に痩せた老人が立っていた。
深紅の布を袈裟にかけて、白いズボンを履いている。
足には靴はなく、素足であった。
あまりにもみすぼらしい姿であり、まったく戦える力を感じない。
「……なに?」
「ずいぶんと血気盛んな若者じゃなぁ」
好々爺の顔で笑う老人に、アグニは毒気を抜かれた顔で言った。
「なんだ、じいさんは?」
「はじめまして、じゃろ?」
「っ……?」
瞳を黒い目で覗かれ、アグニは一瞬うなじ辺りにピリッとした電流のようなものが走るのを感じる。
それは不快ではなくーーどこか懐かしい。
(なんだ、このじいさん。初めて会った気がしない……?)
目を見開き、アグニは老人に問いかけた。
「あ、あんたは一体……」
「そう警戒するでない。わしは昔の馴染みから頼まれてお前さんを呼んだだけじゃ。本当にお前さんが、その道を進むにふさわしいかどうか。これからの問答で見せてもらうぞ」
「一体、何を言ってるんだ?」
老人に問いかけるも、彼は淡々と話し始めた。
「この世界は現実の世界とは違う。時はほとんど流れておらん。それは其の方とて覚えておろうが」
その表情は頑固であり、問答に応えないと返してはくれないらしいことがアグニは分かった。
「わかったよ、じいさん! さっさと終わらせてくれ。俺には領地の後始末が待ってるんだ」
「では問うぞ。其の方にある、其の赤き力。其の方は何をして使う?」
問いかけの意味が分からず、アグニは問い返してしまった。
「何をして?」
これにアグニは自分なりに考え、続ける。
「力はただ、力だ。この力を得たのならば、俺は俺の目的のためにこの力を振るう」
「其の力があれば、お前さんは兄に勝てるやもしれんぞ?」
「力だけで勝てるほど、俺の兄は甘くない。それに俺は、兄のすべてを越えたいとは思っているが、勝ち負けには興味がない」
「ほっほっほっほっほっほ!」
その言葉に思わずといった風に老人は笑った。
そのまま好々爺の顔に戻ってアグニを孫のように見る。
「勝敗を越えて競う相手、か……。だが其の方の兄は、人間ではないぞ? 人間のままで越えられるのか?」
「あいつは人間だ。俺の兄だ! それ以上でも以下でもない!!」
「其の力も其の兄からもらったものだというのにか? 知っておろう。其の力は人の身に余るものだ。振るうだけで人は木っ端のように吹き飛ぶ。兄を越えるーーそのためだけに振るえるほど甘くはないのだ」
兄を侮辱されたと取ったアグニは怒りの表情に変わり、老人を睨み据える。
「何が言いたい!?」
「自覚せよ。其の力は人の力ではない。そしてーー其の方の兄は、生まれながらにして人にあらず」
すさまじい迫力のアグニの怒りを前にして、老人はそよ風に吹かれたように淡々と返す。
これにアグニは、怒りの表情のまま激しく叫んだ。
「生まれながらにして人にあらず、だと? じゃあお前は知ってるのか?! 誰よりも人間に嫌われ、実の父親にすら憎まれた男の悲しみを! その悲しみの中でなお、親を愛そうとした男の苦しみを! その苦しみと悲しみを知る男が、人ではない、だと? これ以上俺の兄を侮辱するなら、許さん!!!」
そこに一切の噓偽りない純粋な思いやりと怒りを感じ、老人は微笑む。
「他人のために怒り、人の悲しみを知る者よ。其れこそ、菩提心ーー慈悲と言えよう。くれぐれも力を持つ者の責任を忘れるな」
「貴様に言われるまでもない。俺はアグニ! アグニ・ヴィンテージ! ヴィンテージ家当代当主だ!!」
滾るアグニに瞳を閉じ、笑みを消して老人は落ち着いて問いかける。
「よかろう。その意志の強さは認める。だが——わしの真意までは汲み取れぬようだな。それとも図星故か?」
「なに!」
唐人はまっすぐに黒い眼を開いてアグニを見ると白髪と長いひげを風に揺らしながら続ける。
「人を愛することと、事実から目を背けることは違う」
「偉そうに言いやがって!」
「わしも名乗ろう。我が名は火天。火天アグニ」
「……じいさん、あんたも『アグニ』なのか……」
そう問いかけたアグニへと向けて火天は続ける。
「視野を広げよ! それほどの力、自己研鑽の為にしか使わぬなど、力ある者の責務にあらず!!」
力強く言われるも、アグニは黒に近い青い瞳をかすかに細めるのみ。
これに火天は、静かに首を鳴らし始める。
「口で言ってもわからぬならーー!」
戦闘の意志を感じ、アグニも腰を落としながら右手を兼貞の柄に添える。
「あんたのような老いぼれが、俺に勝てるのか?」
「そこよ」
曲がっていた腰がまっすぐになり、細い目から黒い瞳が覗いている。
右手の人差し指でアグニの胸の辺りを差して火天は続ける。
「己が目で見えるものしか信じぬ。そうやって己が身の周りのことしか見ぬからーー!」
瞬間、火天は太陽のごとき黄金が混じった赤き炎を身にまとう。
すると老人であった体は若返り、逞しくも若い男に変わった。
赤い髪は針金のように天を突いて逆立ち、瞳は赤く変わり、右手に黄金の剣を、左手に黄金の剣の先端を付けた縄を持っている。
「……なんだと?」
なにより、その表情は忿怒となり、圧倒的な力を眼力から放っていた。
同時に世界は炎に包まれる。
霧深くあった世界は、天も地も炎の中に埋まっていた。
「この程度のことで驚くことになる」
(こいつ、俺と同じ力か……!)
だが、世界の炎は人肌のように温かくーー自分を傷つけるものではない。
(ーー幻覚か? いや、この存在感は違う。だがーー俺の「知っている炎」ではない)
目を見開きながらアグニが思い浮かんだのは、鬼神力を開放したアドムと泰鬼。
どちらかと言えば、泰鬼に近い。
「似ている! 俺達以外に鬼神がいるのか!」
その言葉は、意識して放ったものではない。
とっさに口から出たものだ。
だからこそ、アグニの本音でもある。
「いま、鬼神がいるかと言うたか? ならば、いまいちど問うぞ。其の赤き力。其の方は何をして使う?」
「うるさい! 老人の姿で欺いて来やがって。つくづく気に入らんやつだ!」
「我が世界ーー我が身を包む炎は迦楼羅炎(かるらえん)。其の方らがその身にまとう鬼神の炎とは違う」
「へっ! どう違うか、教えてもらおうか! いくぜ!!」
言いながらアグニは火天と名乗る存在に兼貞を抜いて鬼神力を開放した。
アグニもまた、目のまえの存在と同じように赤い瞳に炎のようなオーラを身にまとう。
「来るがいい。アグニ。火天として、同じ炎の神として道を示そう」
「うるせえ!」
神速で刹那の拍子を越えてアグニは火天に迫ると飛び上がり、両手で剛刀「兼貞」を振り下ろす。
上空からの唐竹を前に逞しい男となった火天は、右手の黄金の剣を頭上に横に構えるだけで受け止めた。
「く、ぉ、ぉぉ……っ」
力を更に引き出して刀を振り下ろそうと力を込めるも、火天はまったく動じずに羽毛が触れているかのように止まっている。
「どうした。わしは一歩も動いておらんぞ」
(なんだ、この化物は……! まるで力が違うっ! アドムの力を使っても、この差はーー!?)
「本気を出してみよ。それともーーこのまま戦いにもならずに倒れるか?」
その挑発にアグニは牙にも届くほどに鋭くなった犬歯を剝き出しにして笑った。
「上等だ!」
空中で剣を弾き、軽業師のように後方へ宙返りして炎の床へ着地する。
そのままアグニは鬼神力を全て解放し、赤い炎のようなオーラに青い雷を纏わせた。
「天帝とやらをも退けた力だ。こうなったら、前ほど優しくはないぞ!」
霞に構えて不敵に笑うアグニに火天も鋭く睨みつけたまま笑みを返す。
「フン。わしを一歩でも動かせたら大したものだ」
「吠えたな? 動かしてやろうじゃねえか!!」
先のように地を蹴ると、蹴った地面となった炎が割れ、一瞬で接近。
横薙ぎを放つ。
右手の黄金の剣を構えられて止められた。
しかし、今回は火天の後方に強烈な衝撃波が発生し地面となった火炎を根こそぎ吹き飛ばす。
炎の空間は一瞬、巨大な穴を作るとすぐに元に戻る。
「精神世界とはいえ、我が炎でできた床をぶち抜くか」
淡々と怒りの面でありながらも知的な言葉を話す火天。
そのまま後方から目の前の剣士に目を向けた。
「なんと荒々しい炎を身にまとうのだ」
「貴様こそ、ずいぶんとおとなしい炎じゃねえか。火の神を名乗る割には知れてやがる!!」
「フッ……ハッハッハッハ! 勢いは良し。だが、まだ「分からぬ」ようだな」
「なんだと……!」
アグニは、火天の足元を見て絶句した。
自分の一撃は、確かに空間を吹き飛ばすほどの勢いがあった。
しかし、火天はその場から一歩たりとも動いていないのだ。
(馬鹿な! 俺の全力でも、押しきれない!?)
目を見開き、動揺するアグニを見透かしたように火天は告げる。
「話を聞く気になったかな?」
「き、さまっ!」
「その誇りは嫌いではないが、過ぎれば毒となるぞ」
「うるせえ!」
アグニはオーラをさらに燃やすと止められた横薙ぎを無理やり振り切る。
しかし、斬撃はとっさに相手の脇に流されると強烈な右手一本での振り下ろしを放たれる。
とっさに身を翻して両手持ちでの斬り上げを放って止め、弾き返す刀で唐竹割りと右胴薙ぎを同時と言えるタイミングと速度で放つ。
しかし、火天の右手の黄金の剣が消えるような速さで動きーー唐竹も胴薙ぎを同時に弾かれていた。
(くそぉっ! なぜだ! 俺の攻撃が、すべて見切られてるっ! どういうことだ!?あの天帝とかいうやつより、こいつ……!!)
天帝とならば勝負にはなった。
しかし、火天と名乗ったこの男には斬撃も体術もまるで通じる気がしない。
「分からぬか。いま世界は泣いておる」
力の差を見せつけられ、戦慄しているアグニを無視して火天は続ける。
「泣いている……?」
「力ある其方らが何もせず。ただ剣を磨くのみ。其方はそれで世界を救うておるつもりか。力なく踏みにじられる者たちを、知ろうともせぬ! そのような世界があることを見ようともせぬ、その目で! なにが強さか! なにが力か!!」
その赤い目は凄まじい怒りに見開かれ、その声はーー怒鳴り声であるにも関わらず、どこか嘆いているようにも聞こえる。
(なんて気迫だ……!)
「我が炎が静かだと言うたな? 違う。この炎は、人々を救うためのもの。この右手の利剣は、人々を苦しめる魔を斬るもの」
火天の目が己の右手の剣に向けられた。
それが唯一のチャンスだと思った。
そんな与えられた挙動の隙しか、アグニには勝機を見いだせなかった。
「うぉおおおおお!」
「そしてこの縄は、罪人を縛るもの!」
突っ込むアグニを右手の剣で払い、すれ違いざまに縄が蛇のように動いてアグニの肉体を縛る。
瞬く間に地面に転がされ、何もできぬように縛り上げられている。
「くっ! こんな……! 貴様、剣士として戦うつもりはないということか!?」
「わしが縛ったのは、傲岸不遜なる貴様の心よ。その状態でよく見てみよ! 周りを!」
火天の言葉の後、アグニの周りの炎が光景を生み出していく。
それはーー現実の世界での嘆きと悲しみ。
「な、なんだ!? これは—ーー!!」
パジャ国内での領主の不当な要求に潰されていく村。
アスラによって家を取りつぶされたものたちのその後。
国外に目を向ければーー世界から忌み子と呼ばれる赤目、迷宮に封じられた神々、女神の端末となったもの。
力なきものは、心なきものに食い散らかされて命すら踏みにじられていく。
「こ、れ、はーー! ……ぅぅっ……!」
目をそらすことはかなわない。
逸らすことさえ許されない。
火天は怒りの形相で静かに、そして逃がさないように告げてくる。
ひときわ、アグニの目を捕らえたのは鬼神泰鬼が居座り、住民が魔族へと変えられた村であった。
地図から消された村。
畑を耕しているものは皆、爪や羽、角や牙が生えている。
のどかに見えるも、彼らの過去を見ればーーその犠牲は祖父が告げていた。
聞くのとーー見るのでは、わけが違う。
耳を塞ぐことさえかなわない。
「分かるか。いま貴様が感じる痛み、悲しみ、そして目のまえに映る景色! それがいま、この世界で起きていることだ。貴様は言うたな。兄は誰よりも傷ついた、と。だが其の兄と同じ苦しみを持ち。力なく、ただ踏みにじられるだけで助けを乞うしかできぬ者が、この世界には何万とおるのだ!! 身内を相手に力をひけらかし、喜んでおるだけで彼らに何ができる!!?」
「俺のせいだというのか……。この人たちの苦しみも、悲しみも」
「貴様が世界に目を向けず、父のやり方でどれだけの者が苦しめられたかを知れ。それを知らなかったことまで罪とは言わぬ。だが、貴様は知った。知った上で背を向けるというのならば、その時からは貴様の責だ!!」
「俺に、俺にどうしろってんだ! 俺にーーこの人たちの分まで背負えというのか!? そんなことできるわけがーー!!」
「できねばーーなんのための力よ」
その問いかけには、アグニは何も答えられなかった。
ゆっくりと縄は緩められ、火天の左腕に巻き付いていく。
それを見てもアグニは兼貞を握る手を離すことはなくーーかといって、立ち上がる気力すらなかった。
「無論、貴様ひとりのせいではない。できることなど山程あろう。見えなかったものも、いま見えたであろう! ならば救ってみせよ! 其の赤き炎で、其方の救いを邪魔するものを焼き尽くせ!!」
立ち上がれず力なく見上げてくるアグニの鬼眼に向かって火天は続ける。
「さすれば至るであろう、我のように。明王へとな」
その笑顔を向けられるとアグニの鬼眼はゆっくりと力を取り戻し、立ち上がる。
「わけの分からんことばかりぬかしやがって。だが、俺が何もしていないというのは、たった今、見せつけられたわけだ」
言いながらアグニは右手の兼貞を腰の鞘に納めると青い瞳に戻る。
「……初めてだ。この力を使ってなお、勝負にすらならなかった……」
そう告げるアグニに火天ーー明王は忿怒相を少しやめて笑った。
「見ておるぞ、アグニ。其方がまた過つのであれば、何度でも修正してやろう。わしに会いとうなければ、わしに言われたことをよく胸に刻むことだな。ハッハッハッハッ!」
ーーーー
幻の炎の世界から、アグニはゆっくりと現実に戻る。
ヴィンテージ屋敷の書斎だった。
「なんて胸糞の悪い……目覚めだ」
そうつぶやきながら、アグニは支度を始める。
「こうしちゃいられん」
その言葉通り、テキパキとやることを見つけたとアグニは旅の仕度を始めている。
書類をいったん整理し終え、ラボニを呼んだ。
「ラボニ!」
「あー、どうしたのー? アグニー?」
「ヴィンテージ領を回るぞ。何が欲しくて何が要らないのか。領民が何を求めているのかを直接聞いて回る」
「え?」
「急げ!」
藪から棒の言葉にラボニは思わず言った。
「そんなん影にやらせればいいじゃん!」
「俺が自分でやりたいんだ! 行くぞ!」
スタスタと歩くアグニの横にラボニはまとわるように横を歩きながら続けた。
「えー。急にどうしたのー? 父上の動向、見張らなくていいの?」
「それこそ影に任せる」
「危ないよー? 影だよー? 大丈夫? アスラに情報を渡すんじゃない?」
ラボニが、そう言った瞬間にアグニは淡々と立ち止まってラボニの顔を見る。
「え。どうしたの? アグニ。そんな僕を見て」
「この際だ。真面目に影武者もやる気はないみたいだし。いっそ王都に行くか?」
「えぇーー! いいの!? アスラに会いに行っていいのー!?」
この提案にラボニは乙女のように両手を合わせて無邪気に喜んでいた。
ろくでもないことこの上ない喜び方である。
「それが一番、父上の動向を止めることになるからな」
「胸がキュンキュンする! 早速旅路の支度しなきゃ!」
これにウキウキしながら、どこからか鞄を取り出して詰め込み始める。
アグニは、思いついたように続けた。
「お前一人で行くのもなんだから、アリスさんたちを連れてったらどうだ?」
「お前こそ護衛に連れてけよ」
「俺は男所帯で育ったからな。女性の扱い方がわからん」
「なら、恰好の機会じゃないか。領内なら知った場所だしな。レベリングには、もってこい」
親指を立てて言ってくるラボニにアグニは肩をすくめた後、続けた。
「じゃあ、よろしく頼むぞ。三日に一度くらいは報告をよこせ」
「え! 束縛系!?」
「俺はお前をそこまで信用していない。真面目に仕事をせず父上と飲んだくれている可能性がある」
「それこそ願ったり叶ったりじゃないのかよ?」
「いや。お前一人勝手に盛り上がって酔いつぶれてる可能性があると見た」
「えー、辛辣ぅ! ちゃんとアスラも巻き込むよー」
ブウ垂れるラボニにアグニは半眼で続けた。
「とにかく! 報告はよこせ。じゃあな」
「え、連れは?」
「適当にアリスさんたち連れて行けばいいだろ」
これに先ほど言った言葉を撤回するように右手の親指を立てて続ける。
「……がんばれよ、アグニ!」
どうやら、アリスたちの戦闘経験を積ませるのは自分の役目らしい。
「こいつ……」
そう分かりながらアグニは、軽いため息を吐いていた。