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温もりを感じて

「…」

「ははは…」

 

広大なキヴォトスの辺境にある廃墟の中。

そんな場所で私は、ある人物と向かい合っていた。

 

「ミ、ミサキ…?何か、私の顔にくっついているのかな…?」

「別に…」

 

…正確には、その人物を凝視していた。

 

 

 

 

生きてきた中で影のように憑いてくる虚無感をいつも冷めた目で見ていた。

虚無感に浸る自分、それすらもどこか他人事のようだった。

それが、戒野ミサキと言う存在なのだと。

 

上位者の言う事だけを聞いて、淡々と自分の役割をこなす。

それがかろうじて出来たから、今はリーダーの役割を勤められているのだろう。

 

「ヒヨリと姫が帰ってくるまで、何して過ごそう…」

 

仲間の二人が気晴らしに外に出ている以上、今の拠点である廃墟で留守番をしている必要があった。

ただ、私一人では特段何かをする必要性も感じないので、一通り装備の手入れが終わった今は暇だった。

 

…それに、一人では仮に何かしようと思っても、いまいち気分が上がらない。身体と心の整合性が取れていない様な感覚だ。それはまるでギクシャクとした動きしか出来ない人形の様で、我ながら滑稽だと思った。

 

 

「私…何してるんだろう…」

 

一人崩れかかった廃墟の影に隠れ、硬い壁にもたれて、中天に上がった太陽に照らされないようにする。

天に照らされてしまえば、矮小な私が保てなくなってしまうのではと勝手に怯えていた。

あの空にある輝きは、私に祝福を与えず、私を焼き尽くしてくるのだと。

 

生の無意味さを呪いのように浴びせられ続ける、そんな世界から私は解き放たれたかった。

 

(そうだ…食べ物、食べなきゃ…)

 

「ああ…面倒臭い…」

 

肉体に縛られて、様々な雑務をこなさないと生存できない身体。

それが煩わしくなって消滅を願う事もある。けれど…

 

『ミサキ、今時間は大丈夫かな?』

 

そんな時、あの人は…先生は大抵現れる。

私の悩みなんて、軽く吹き飛ばすように。

 

自分の思考を一旦保留し、硬い床へと力を入れて起き上がって、建物の入り口に向かう。

その足取りは、一人で何かをする時よりは、軽くなっている…と思う。

 

それはきっと、差し入れを持って来てくれたであろう先生に会うと言う大義名分があるお陰なんだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そうして先生と出会って、その顔を見つめていた私。

先生の顔を見つめていると、余計な事を何も考えずに済む事に気づいたのはここ最近。

私がどうとか、世界がどうとか、そう言った概念からこの一時だけは解き放たれる。

 

そんな風に先生を見つめる私の顔はどうなっているのだろう。

醜く歪んでいるのだろうか。

 

「ほ、ほら!ミサキ達に差し入れを持ってきたんだ」

「保存が効くレトルトカレーにクッキー、ハンバーグなんかも持ってきたよ!」

「そう…ありがとう」

 

・・・

 

会話が止まった。

まあ、私は積極的な会話はあまりしないけれど。

 

沈黙の中、吹く風だけが私達を見ている。

 

「ミサキの綺麗な瞳に見つめられ続けるの、恥ずかしい…」

 

出会ってからずっと先生の顔を見るのをやめない私を見て、先生はふと、そう呟いた。

 

「…それ、他の子にも似たような事を言ってるの?」

「え…うん、そうだけど…」

 

全く、この人は…

 

「私の目なんて、他の子よりも濁っていると思うんだけど」

「そんな事はないよ。とっても素敵な目だと私は思うな」

「吸い込まれそうで、でもどこか美しさも感じるよ。まるで空の向こうにあるお星さまみたいだね」

 

この人は、ほんとに…

 

「先生…いつか刺されるよ?」

「ははは…そんな事は…あるのかなぁ…」

「あると思うよ…先生の事を想ってる人、沢山居るし」

「私は忠告したからね。この事で先生がどうなっても知らないから」

「肝に銘じておきます…」

 

こう言う何気ない話をしていて、いつも気付かされる事がある。

先生は、大人でありながら私よりも純粋なのだと。

それを感じて、私と言う存在が一段と惨めに思えてくる。

無惨に苦しんで、けれどそこからの解放も実行できずに、こうして浅ましく生の鎖にしがみついている。

 

「あ…ミサキ、お昼ご飯は食べたかな?」

 

そんな中で、先生は私を労る様な目で質問をしてきた。

酷く優しい目だった。

 

「いや…食べてないけど」

「そっか…」

「せっかくだから、お昼ご飯を一緒に食べない?」

 

先生から、こうした誘いを受けることは何度かあった。最初は断ろうとしたものの、先生の熱意に負けて結局は一緒に食事を摂る事となり、なし崩し的にこの関係が続いている。

 

「何かを食べるのも、正直面倒臭い…」

「まあまあ、私の顔を立てると思って」

「それにミサキがしっかりご飯を食べてくれれば、より綺麗なミサキを見られるしね」

「口説き文句だけは豊富だね…」

「大人だからね。子どもの褒め方は知っているつもりだよ」

 

私の皮肉を受けて、嫌がるどころかむしろ喜んでくる先生は、背負ってきた大きな鞄から取り出したレジャーシートを廃墟の床に広げて、持ってきた食料を並べていく。キヴォトスでは恐らく一般的な、しかし私たちには珍しい食品群を並べてニコニコとした笑みを浮かべる先生。

 

「ミサキは今日はどんな物を食べたいかな?サンドイッチ?それともご飯?色々持って来たから、好きな物を食べて欲しいな」

 

「…じゃあ、これで」

「頂きます」

 

適当に選んだ器を開けて、中に入っていたご飯を無造作に口に運び込む。

 

「……」

 

 

ご飯は先生の心が乗り移ったのかと思う程度には暖かくて、柔らかかった。これも、先生とご飯を食べている時でないと味わえない感覚だ。

 

────本当に…私は何をしてるんだろう。

 

 

「よかった、保温性能の高い容器にご飯を入れて来た甲斐があったよ」

「ミサキはあまりたくさんご飯は食べないけれど、最低限…できれば腹八分くらいは食べてほしい」

「…私はともかく、ヒヨリや姫が食べ物に困るのは良くないし…ありがとう」

「ミサキのそういう面倒見の良いところは好きだけど、私はミサキにも健康でいてほしいな」

「…そういう先生は、ちゃんと栄養のある物を食べてるの?まさか私にだけ健康でいろ、だなんて言わないよね」

「あ、あはは…気を遣ってはいます…いるんだけどね。でも今日は機会があるし、ちゃんと食べるよ」

「先生に倒れられたら困るから…それだけ」

 

私の言葉に呼応して、先生も鞄から取り出した弁当箱に手をつけ始めた。

 

「いただきます…うん!良い味!」

「忙しくてご飯を簡単な物で済ましちゃう事も割とあるから、ミサキとこうしてご飯を食べる時があるのはとても助かってるよ。栄養を摂る事は生きる上でとても大切だからね。出来る範囲で摂っていこう」

 

そう話しながらご飯を食べる先生は、本当に幸せそうで…私の心をざわつかせる。

 

 

…先生。

 

 

「先生は…どうしてそこまで私に…私達に接してくれるの?」

 

 

ご飯を食べている先生をしばらく見つめていると、ふと口からこんな言葉が漏れてしまった。

 

「ミサキ?」

 

栄養補給をしている先生にこのタイミングで話しかけてしまったのは、若干申し訳なさを覚える。

…けれど、このタイミングでも無いと、私はきっと質問出来なかったと思う。

 

「…答えて」

「私には、それが分からない」

 

『大人』の道具として生かされ、教育され、そしてその役割から解き放たれ、今はただ彷徨っている。

こんな面倒臭い境遇にある私達を、どうしてここまで目にかけてくれるのか。

 

『ミサキ、今日はポテトチップスを持ってきたんだ!とっても美味しいんだよ!・・まあ、食べ過ぎは良くないけどね』

『ヒヨリには雑誌を持ってきたよ。君は知りたがりだから・・・とりあえず色んなジャンルの雑誌を取り揃えてきたんだ』

『アツコには・・じゃん!お花の図鑑です!…おっ!そのワクワクしてる目…今すぐこれを読みたいかな?いいでしょう!プレゼントです!持ってけドロボー!!ってね』

『今日は毛布を持ってきたよ!廃墟の夜の寒さが少しは和らぐと良いな』

『ミサキ!ヒヨリ!アツコ!せっかくだから、一緒に外へ散歩に行かない?色んな景色を楽しめるよ』

 

 

気付けば私は…私達は、この人の温もりを知らず知らず、或いは知っていても受け入れてしまっていた。

苦しみに対する耐性はあった。ただ自分を無にすれば良いだけだった。

 

けれど安らぎに対する耐性は、サオリ姉さんやヒヨリ、姫、そして私にも無かったんだろう。この関係を少しでも心地よいと感じる時点で、私はきっと先生の温もりに毒されている。そしてそれを取り払おうとも、思えない。

 

喜びも、悲しみも、怒りも、楽しみも全て肉体の反応に過ぎない空虚な物の筈なのに…

…いや、それすら、暗く狭い世界で生きた私がそう思い込もうとしていただけなのかも知れない。

 

「教えて…先生」

 

今まで空虚な教えと共に生きてきて、何かを心から考える事なんてあまりしてこなかった私が、抱く疑問。それを先生に…私が初めて出会った、同じ目線に立って物事を考えてくれる『大人』に答えて欲しかった。

 

私の質問を受けて、先生はご飯を食べる手を止め、こちらを意思の籠った目で見つめてゆっくりと、しかしはっきりと言葉を紡ぎ始めた。

 

「そうだね…私は生徒のみんなが晴れやかな気持ちになれる…そうするにはどうすれば良いのかを考えているのかな。生徒たちみんな…それぞれが私の想定なんかぶっちぎってくれるくらい凄いんだと、私は思っていてね」

「そんな君たちが、私はとても誇らしい」

「みんなが頑張る姿を見せてもらえるだけで、私はとても報われるんだ」

 

何、それ…

 

 

「そんな、『みんなが凄いから私も嬉しい』なんて、子供みたいな…」

 

世間知らずな私でも分かるくらいの夢物語を語る先生。

そんな先生を見る私は一体、どんな表情をしているのだろう。

 

「確かに子どもっぽいかもしれないね。けれど、それが私の心の底からの願いだよ。君達がどんなものを見て、聞いて、感じて、尊ぶのか。それを見守りたい、率直な私の思いはこんなところかな」

「もちろん、私が見守る生徒達の中にミサキもいるよ」

 

先生が語る言葉に嘘はない、思考を回すまでもなくそう思えた。

だからだろう、こんな言葉が出てしまったのは。

 

「なんで、もっと早く先生と出会えなかったの…?」

「そうしたら、何かが違っていたかも知れないのに」

「そもそも暗い所で生きてきた私に、なんで希望を与えようとするの…?」

「それは、先生の自己満足なんじゃないの?」

 

言うまでもなく、先生にぶつけるべき言葉じゃない。

先生はこんな私にも手を差し伸べてくれている。

なのに…一人で勝手に先生の事を評価して、卑しい思いをぶつけている。

いっその事失望して欲しかった。

お前は救われない存在なのだと、嘲って欲しかった。

けれど私は、先生が決して私に失望しない確信があってこんな事を言っている。

自分で自分を殴りたくなる程、無様だと思った。

 

「ミサキ…ちょっと近づいても、良いかな」

 

先生が一歩、また一歩とこちらへ向かってくる。

ゆっくり、ゆっくりと、しかし着実に。

この一時が、無限に圧縮されている様に感じた。

だからふと、先生が他の生徒にしていた行為を思い出した。

 

いや…私、先生に何を求めてるんだろう。

 

想像の中の行為を私が望んでいるとでもいうのか。

それを認めてしまうのは、なんだか恥ずかしい。

 

そして先生は私の想像した通りに…いや、ある意味想定を超えて。

 

私に近づいて頭を撫でてきた。

 

「ひゃっ…」

 

頭越しに伝わる先生の手は、今まで触れてきたどんな物よりも暖かく感じた。

…ああ、この温もりには、どんな手段を使っても抗えない。

 

「ミサキは苦しみながら、それでも必死にしがみついていたんだと思う。だから、君が自分を封じ込め無くてはならなかったのは、『大人』の怠慢だ」

「ただのわがままなのかも知れないけれど、君がもっと色んな物に触れて、色んな事を感じるきっかけを与えられたら、そう願っているよ。」

「もちろん、大変な事や理不尽な事も世界にはあるけれど、それでも全てが苦しみに満ちている訳でも無いし、楽しみや幸せもたくさんある」

「私も、なんだかんだあっても色々楽しめているし」

 

───そう優しく話す先生は…どこまでも清らかで美しかった。

あの無慈悲に私を照らす太陽なんかより、よっぽど。

 

「何か特別なモノになれと強制もしないし、君が戦えるからだなんて理由で戦う生き方をして欲しくも無い」

「ただ、君が存在さえしてくれれば…それで良い」

「一方的で傲慢な思いと、否定されても仕方ないけれど…ミサキの幸せを願うことは間違いじゃないと、私は信じているんだ」

「大切なミサキが苦しむ所なんて、見たくないからね」

 

……先生はこの世界という生き地獄において、灯火の様な存在なのだと、いつも痛感させられる。

あの太陽の様に私を焼く様な明るさではなく、いつも側に居てくれる様な心地の良い灯火は、私の様な曖昧な存在にも慈悲を与えようとするのだから。

 

「私なんかに、先生の時間を捧げなくて良いのに…」

「そんな価値、私には…」

「そんな事を言わないで。どんな子どもにも、楽しく生きる権利はあるんだよ」

「ミサキも自分が楽しいと思える事や、しようと思える事はきっとあるはずさ」

 

しようと思うもの…

 

「そんな物、見つかるのかな…」

 

見つからずに一生を終えるか、あるいは自分で自分を終わらせるのかも知れない。

自分という存在に対する不信感は一生ついて回るのだろう。

残酷な世界に対しての嫌悪感が完全に拭える事も恐らく無いのだろう。

 

「大丈夫だよ。一緒に探していこう」

「どんな小さな事でも良いし、見つけるのに時間がかかっても良い」

「過去にあった事は覆せないし、心に受けた傷も無くなるわけでは無いけれど…」

「今のミサキは、未来を夢見ることができるから」

 

そう言って私の目を見つめてくる先生。

先生は本当に、私の目なんかよりもずっと輝いていて、綺麗だった。

先生は私の目を星の様だと言っていたけれど…

私には先生の在り方が、空に浮かぶ太陽や夜の星よりも美しく尊い物のように思えた。

 

「私も含めて、生きているものはみんな何かの影響を受けて生きているんだ。どんな存在でも、一つで完結しているものはない」

「だからこそ、私もきっと何かをミサキに分け与えられるはず」

「そしてミサキも、何かを私に分け与えられているよ」

「私だって、そうだったのだから」

 

分け与える…か。

 

「…じゃあ、先生が好きなものを教えて」

 

清らかな先生が好きになったものなら、何らかの興味が湧くかも知れない。

それに、先生に与えられっぱなしというのもなんだか気に触る。

私でも、先生に何かの影響を与えられるのなら…

 

「私が好きなもの…そうだね…」

 

少し考え込んではいたものの、先生は何らかの答えを思いついたのか、ある提案をし始めた。

 

「…そうだ!今度は私とスクワッドのみんなで景色の良い山の公園にでも行って、ピクニックをしようか」

「みんなが一緒なら、とても楽しいひと時が過ごせると思う」

 

…それが、先生の好きなものに繋がるのだろうか?

 

「…まあ、私に拒否権はないし…久しぶりにサオリ姉さんとも会えるなら、いい」

「本当!?やった!約束だよ?」

 

この人、こういう所が本当に子どもっぽい…

 

「ミサキ達にとっても、ピクニックをした事が良いって思える様な企画にしなきゃ…!よし、あとで予定を組んでおこう!」

 

それでも、そんな先生だからこそ、私は…

 

「…所でピクニックって、何?そんな事、した事無いんだけど」

「ああ…普段は行かない様な場所でご飯を食べたり、遊んだりするんだよ」

「私達だけじゃ出来る事に限界もあるし…そんな事、考えた事も無かった」

「そうだね。まずは色々な経験をしてみるところから、だね」

「そうしてみると、また別の色んな事が思い浮かんだりするものだと思うから、そうやってどんどん世界を広げていこう」

「それが生きる上で大切な事だと、私は思うな」

 

こうしてまた一つ、自分と言う存在が先生に塗り替えられていく。

私の様な猟犬をやたらと丁重に扱うのは、本当に変わっていると思う。

………でも、それが先生なんだろう。

 

私は呆れつつも、不思議と満たされていた。こんな感覚は、味わった事が無い。

心という曖昧なものが、初めて身近に感じられた。

 

「た、ただいまです…あっ!」

 

あっ…

 

崩れかかった廃墟に、私と先生以外の声が響いた。

…ヒヨリと姫、帰ってきてたんだ。

先生の事で脳の処理が一杯で、時間が経過していた事を失念していた。

 

 

「ミサキちゃん!ず、ずるいですよ…先生を独り占めするなんて!」

「ふふ、密会現場に踏み込んじゃったね」

 

…?どうしたのだろう。

 

 

「ヒヨリ、姫…?」

「あ、あはは…これはね…」

 

…そういえば頭を撫でられた体勢のまま、先生と話していた…。すっかり忘れてしまっていた。

 

「ヒヨリ、アツコ、おかえり。用事は済んだかな?」

「うん。ちゃんと済ませてきた。それより、ミサキが羨ましい」

「え、えへへ…私も、撫でられたいです…」

 

目を輝かせながらこちらを見てくる二人に対し申し訳無さを覚えながらも、この体勢を変える気にはなれなかった。そんな私の様子を見た二人は、ジリジリとこちらににじり寄ってくる。

 

「ミ、ミサキちゃん…ま、負けませんよ…!」

「先生を賭けての勝負だね、負けないよ」

「あれ、私賭け事の対象にされてる!?」

 

先生を中心にして、私達は憩う。

それはきっと、生きてきた中で一番の安らぎだ。

 

「お、お願いします!ぜ、ぜひ先生の手を私のお腹に!」

「えっ!?お腹に…!?」

「先生になら…私のお腹も触っても、いいよ」

「アツコまで!?」

 

廃墟が一気に騒がしくなる。普段の私なら、嫌がったと思う。

 

でも…こういうのも、たまには悪くない。

 

「…」

「ミ、ミサキ…?どうして私の腕を君のお腹に…?ミサキ!?」

 

先生…

 

あの太陽は、私に祝福を与えないのかもしれない。苦しみを与えてくるのかもしれない。

けれど、気づいたんだ。

私を大切にしてくれる存在を。温もりを与えてくれるあなたを。

 

それを知れただけで、何か胸の内から込み上げるものがあるような気がする。

 

あの浮かぶ太陽に対する思いは、少し薄れたと思う。

何もかもが不確かで怯えていたけれど、確かな物もあると感じれたのだから。

なんだか久しぶりに、口元が自然に動いた様な気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふぅ…」

「今日の業務を全てこなされましたね!お疲れ様です!先生!」

「お疲れ様、アロナ」

 

生徒の一人からもらったお茶を片手に、シャーレのオフィスで事務作業をこなし終えた。

キヴォトスに来てからずっと仕事の為に座っている椅子や机にも愛着が湧いてくるくらいには、この書類群と格闘してきた実感がある。毎回思う事ではあるが、本当にやる事が多い…

 

そんな私の気苦労を感じ取ったのか、アロナが声を掛けてきた。

 

「先生は本当に頑張り屋さんです!さすが私の所有者ですね!…でも、たまには休まれてください。先生の身体は一つだけですから、ご無理をされるのは生徒さんたちも悲しまれます…」

「そうだね。でも、多少無理をしてでも…なんて、思ってしまうくらいには、生徒達みんなの事を大切にしているつもりだよ」

「そうですね…だからこそ、先生の負担を少しでも減らせるように私がいます!」

 

 

本当に気が利く子だ…アロナは。

シッテムの箱を自分の手元に手繰り寄せ、画面を確認し、いつも私を支えてくれるパートナーの髪を画面越しに触る。こうすれば、アロナはいつも喜んでくれる。画面越しではあるものの、お互いの存在を認識し合えるようで、私はこの行為が好きだった。

 

「先生にこうして撫でられるの、いつも気持ちいいです…」

「それなら嬉しいな。キヴォトスに来てから、誰かの頭を撫でる事が増えたからか、自分でも撫でるのが上手くなった気がする」

「先生に頭を撫でられて気分が上がらない生徒さんはいませんよ!」

「それなら嬉しいな…不快だ、なんて思われたらショックでシャーレに引きこもっちゃいそうだし」

 

ふと、自分で言葉を発していて、今日頭を撫でたある生徒の事を思い出した。

 

 

「っ…とと、ミサキ達の為に、予定を組まなきゃね」

 

若干不純な発言をしていてその存在を思い出した事に申し訳なさを感じつつ、彼女に話した事を実現させる段取りを考える。

 

「私が次に自由になる予定の日は…」

「先生!カレンダーを表示します!」

「ありがとう、アロナ」

 

傷ついた存在が傷を癒そうとしたり、向き合おうとするのは並大抵の事では無い。

私の想像を絶するような事が繰り返し起き続けていたのが、ミサキ達がいた場所だ。

先の一切が見えない世界で、あの子達は必死に生きていたのだ。

けれど、そんな場所に居た彼女たちも、自分の世界を見つけようと頑張っている。

今は新たな世界との折り合いをつけていく時期であり、自分という存在を正しく認識していく過程だ。心の体力を付けていって、ある程度自分への認識が確立してから、自立に向かって進んでいく事になるだろう。そんな彼女たちを見ていると…私は、自分の事についてもしっかりと認識をしていかないとと、そう思わされるのだ。

 

「先生!この日はどうでしょう!晴れの予報日です!」

「よし、この日に予定を立てておくよ。ミサキ達と会えるの、楽しみだなぁ」

 

彼女達は、特定の色に染まるように強制される生き方をしてきた。

子どもであるなら、好きな色を見つけたり、好きな色を目指して良いはずなのに…

絵を描く時に、絵の具で特定の色しか使うなと命令されていた様なものだ。

それでは、その子が生来併せ持つ個性を殺してしまうだけでなく、似た考えしかできない子どもを発生させてしまう事に他ならず、そんな世界は…個人的に、とても寂しい。好きな絵の具を使っていいし、複数の絵の具を使ってもいい。単色の絵の具に拘るのも素晴らしい。物の見方を変えるだけで、沢山の変化があるのだと、アリウスの子達には伝えたかった。

 

「そうだ、山に行くとなると、自然の事について学べる本も一緒に持っていこう。ミサキ達の勉強も兼ねて、青空教室を開くのも良いかな」

「良い案だと思います!では、この後は持っていく本の選定をしましょう!」

 

星空を見上げたり、葉っぱに触れてみたり、土の匂いを嗅いでみたり、そんなありふれた、けれど幸せを感じる事を体験してもらう事で、彼女達の進む道行きを少しでも豊かなものにしてあげたい。

彼女達は、とても光るものを持っている。

けれど、大人の都合でそれを開花させる機会を奪われていた。

幾ら間違っても良い。幾ら失敗しても良い。それは立派な存在になる為の通過儀礼だ。私がある程度の手本を見せれば、賢い彼女達の事だ。きっと自ら学びを得てくれるだろう。

 

 

キヴォトスに来て出会った様々な個性を持つ大切な生徒達の事を思う。

彼女達は、私にも本当に多くのものを与えてくれたから。

だからこそ私は、彼女達に対して何かを分け与えたり、存在に対して寄り添いたいと心から思うのだ。君達が存在してくれる事が、私にとっては一番の“奇跡”なのだから。

 

「アロナは…私と一緒にいて、良かったと思うかな?」

「?…当然です!私はスーパーAIですからね!先生を支えるのが大切なお仕事です!」

「そっか…ありがとう。私は幸せ者だよ。君みたいなかわいい子に、支えられているんだから」

「先生…!」

 

アロナの花が咲いたような笑顔を見て、私は心から嬉しくなった。

自分が一番大切にしているものを、見られた。

 

シャーレの当番の子達といつも話をするデスクに飾られている様々な品々を見る。この品々ひとつひとつに、とてもたくさんの想いが詰まっている。それは、自分がこの世界に確かに居るという証であり、私の希望だ。

 

世界は変わり続け、同じ場所にはどんな存在も留まり続けられない。

けれど、だからこそ、確かに愛するものがある喜びを私は噛み締める。

それがきっと、生きるものの望む事であるから。

 

みんなと一緒に居られるこの奇跡が、願わくば可能な限り続きますように…

そう思いながら、シッテムの箱を片手に図書室に向かうのだった。


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