或るウマ娘がいた。
 そのウマ娘は、走る事が何よりも誰よりも好きだった。
 だが、持って有り余る高潔さと臆病な心があった。
 そしてそれが大き過ぎるが故に、自身の選手生命を支えるトレーナーを審美しては、いつも眼鏡に敵わない……そんな日々を過ごしていた。

 或るトレーナーがいた。
 そのトレーナーは夢半ばで心を折ってしまった。
 守りたいものを守るには自分では力不足で、誰か一人を救う事すらも運命に見放されている。
 なし崩し的にトレーナーを勤めていても、どこか力が入らない……そんな日々を過ごしていた。

 二つの魂が再会を遂げる時、新たな〝伝説〟は始まる。

 ──これは、大切なものを見つける物語。

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第1R「そのウマの名は」

 1.

 遠い、遠い世界。

 知恵と勇気と力の律があった時代。

 《黄金の聖三角(トライフォース)》の力を求めた時代。

 姫と勇者と魔王の時代。

 それは、ハイラル王国に古くから伝承され続けた、幾つにも連なった英雄譚。

 囚われの姫を救うため、勇者が退魔の剣を携えて魔王を討つ旅に出る……という王道のストーリーが、時代と場所を変えながらスタンスだけは変わる事なく、そこには繰り広げられている。

 そしてその伝説における勇者には、しばしば『相棒』である存在があった。

 その相棒は、『馬』であった。

 地を駆け、敵を蹴り、障壁を超えて、幾度となく勇者に力を貸した友があった。

 歌を好み、そして歌う勇者だけに懐いた牝馬であり。

 そしていつの時代も、彼女はどの馬よりも疾く、靭く走ったと云う。

 ウマ娘とは似て非なる、四本足で走る幻獣あるいは聖獣『馬』。

 漢字のうまへんに『』ではなく『馬』が使われるのは、彼女の栄光を讃えるが故との説も、有力視されるほどだった。

 

 その馬の魂は、現世を離れ転生す。

 

 二つの魂が再会を果たす時──

 

 ──新たな〝女神〟の〝伝説〟が始まる。

 

 その相棒(ウマ)の名は──

 

「っていうのを、想像していたと」

 

 そう言われて、意識が現実世界に引き戻される。

 春の日差しが強くなってくる学園の職員用休憩室。二十はあろうテーブル席の一つにて、自分はある女性と一服していた。

 その女性の名はマロン。新人トレーナーに属する自分の幼馴染だが、幼い頃からトレーナーとして経験を積んでいたため、その実力は折り紙つきだ。もちろんポケットなモンスターのトレーナーではなく、ウマ娘の。

 明るめの長い茶髪を煌めかせる、年相応に綺麗な彼女。背丈は自分よりも少し低いが、自分の身長が大体一七〇と少しくらいなので、女性の中ではやや高い部類だろう。隙間から覗くその耳は、ハイリア人特有の尖った形をしていた。

 紺色のレディースパンツスーツを着用している。ジャケットのフラワーホールには、トレーナー試験に合格した証明であるバッヂが飾られていた。斯く云う自分にも、それはあるのだが。

 

「まー、ウン、キミねえ、夢見がちというか、夢見すぎというか。

 確かにその話はアタシも知ってるよ? 耳にオクタが出来るほど聞かされたよ。確かにね。

 けど、そう都合良くその勇者の相棒が見つかる訳もないと思うよ? ましてやここ日本だし。HURAならまだ分かるけど」

 

 そう言われて、自分はションボリルドルフ*1する他なかった。

 斯く云う自分は、今年の四月に、この中央トレーニングセンター学園に就職した新人のトレーナーだ。中央トレーナー試験にめでたく合格し、東京は府中の定住許可を得ただけの、これと言って特筆する事もない一般ハイリア人*2だ。

 今日も濃いブルーのシャツにカーキグリーンのスーツで出勤している。青色には色々と思い出もあるし、一目見た時からこのカーキのスーツがお気に入りだ。正しく、運命的な出会いだったと言っても過言ではない。

 

 ちなみにHURAとは、URAのハイラル王国支部のことを差し、正式名称をHyrule Uma-musume Racing Associationという。その規模は、ハイラル王国の国土面積や人口などの観点から日本支部のURAよりかなり狭く、故に日本URAと提携してレースを開催している。

 日本とハイラル王国が近隣国で、かつ言語体系が近いという事もあり、物流に限らず人及びウマ娘の行き来は多い。ハイラル王国のウマ娘が、日本独自のレースであるばんえい競バにも参加出来るほどには、日海関係*3による信頼も厚い。

 またハイラル王国でも、レースは数少ない娯楽として人気を博しており、いざレースとなるとハイラル全国から人が集まってくるし、日本でのレースでもしばしばハイリア人を見かける。

 ハイラル王国の電気インフラがそこまで整っていないという事でもあり、それほど王国の民が娯楽に飢えているという事でもあるが。

 

「でも、どーするの? 六月のメイクデビュー戦に間に合わないと、念願だったトレーナーらしい事も出来ないままで、一年間を棒に振るっちゃうよ? そうなったら、クビになっちゃうよ。いかにキミが『異国の中央トレーナー試験を一発合格した』天才でも……。

 ハイリア人だからって、中央はアタシ達に優しくはしてくれないよ」

 

 事実、自分が燻ったままいつの間にか三週間も経過し、ウマ娘達がトレーナーにアピールする特別なレースである選抜レースも、もはや遠い昔の話だ。中央のトレーナーはそれを皮切りに、最長でも二週間でウマ娘と契約を交わす事を鑑みれば、いかに自分の行動が遅いかが分かる。

 

「あっ、そろそろアタシ、行ってくるね。1ヶ月後にはもう新バ戦だし、調整の準備もしておきたいしね。

 ……キミが頑張ってるのは良く知ってるけど、もう少しだけ頑張ろ? あとは、きっとなるようになるから。

 じゃね!」

 

 眩しい笑顔で手を振り、休憩室を去って行くマロン。

 周囲の男性トレーナーの視線を奪って行く彼女の朗らかさ。

 それを自分は、ただ眺める事しかできなかった。

 

 マロンは、心折れた自分を立ち上がらせてくれた、正しく命の恩人だ。幼馴染の間柄とはいえ、突然にトレーナーになりたいと言い出した自分を、最後まで面倒見てくれた人だ。

 ならばその恩義には報いなければならない。そしてそれは、自分がトレーナーとして功績を立てる事で完遂できる。ここで燻っている訳にはいかない。

 ただ、トレーナーをやるにあたって一つだけ懸念がある。

 ……心折れ、夢半ばで挫折した自分が、誰かの夢を支えられるのだろうか、という事だけだ。

 支え『ていいのだろう』か、とは思わない。もうトレーナーになったのだ。一度決めたのだ。なら、支える事に全力を注ぐしかないのだ。

 だが、何もかもを中途半端で途切れさせた自分に、最後まで彼女達の夢を、貫かせてやれるだろうか。

 URAとNAU*4の統計によると、今年デビューする娘達には八千人ものライバルがいる。ではその八千人の頂点へと導いてやる事が、自分には出来るだろうか。

 そうして行き着いた結論こそが、自分の担当バが〝伝説〟の馬である彼女ならば、それも容易いというものだった。

 夢は叶えられるからこそ夢と呼び、叶わない……叶えられない夢を理想と呼ぶのだ。

 夢ではなく、現実を見て考えるのが万人の常。

 叶えられない夢に意味も意義もない。

 そしてその生き証人の自分が、今までの人生の中で行き着いた結論がこれだった。

 

 ……最低だ、オレは。

 他のウマ娘の夢を、食い物にしようとしている。

 〝叶えたい〟と思うからスカウトするのではなく、

 〝叶えられる〟と思うからスカウトしようとしている。

 ……最低だ、オレは。

 

 ……だめだ。そんな心持ちじゃ、だめだ。

 一人、あるいは複数人の夢を預かる立場なのだ。切り替えなければ。

 ──さて、とにかく、ウマ娘をスカウトしないと話が始まらない。だが皆、新人トレーナーよりも熟練のトレーナーに教えを乞いたいだろう……ああ、くそ。また悪癖が出る。

 悪習は治さないと、と諦観しつつ歩く。トレセン学園に来て1ヶ月未満程度の知識量しかないマッピング能力で、行く宛もなく、自分はただ歩き続ける。

 桜、ひらひら舞い降り落ちて、やがて青く葉が茂りつつある。

 残り少ない零れ桜は、春風に耐えられず、無惨にも蹴落とされて行く。

 休憩室を出て、日はまだ高い所にある。まだ学生達は課業中……というか昼食の時間だろうが、それが終わればもうじきトレーニングの時間だ。だが、気の早い娘達が何人か、既にグラウンドでアップを始めている。

 彼女達の目は、遠目で見てもわかる。

 自分の夢に向かい進む、焔のついた目をしていた。

 挫折した自分の、腐った目とは違って。

 どれほどの間歩いていただろうか。気が付けば、自分は三女神の像へとやって来ていた。

 三女神。

 ダーレーアラビアン、ゴドルフィンバルブ、バイアリータークの三柱からなる、競走ウマ娘の始祖。彼女らがいなければ、今のウマ娘達のレースは無かったという。

 女神、か。

 ……なあ女神サマ、教えて欲しい。

 自分は、どうすれば良かったのだろう。

 自分は、どうすれば良いのだろう。

 

「…………」

 

 ……女神とはいえ相手は石像だ。自分の問いに答える訳もない。

 くだらない事に時間を費やした、と自らを卑下し、過去の出来事を頭の片隅に追いやろうと、頭を振るった。

 その拍子に、持っていたカバンの中から、カラカラという軽い音が聞こえて来た。

 

「……!」

 

 ……ああ、そういえば、それだけはどうしても捨てられなかった。

 剣を、誇りを、立場を、故郷を捨てた自分が、それでも捨てられなかった物の一つだ。

 青色に塗色された、『時のオカリナ』。

 自分の家に古くから有る、何を以てして『時』とするのかさえ分からない、不思議なオカリナだ。というのも、このオカリナ一つでソプラノとアルトを兼用できる、現代の技術では製造不可能とされている、世界にただ一つしかない貴重な物。手入れも行き届いており、今でも美しい音色を響かせられる優れ物だ。

 時刻は放課後となる直前である、昼の二時前。

 選抜レースは二週間ほど前に終わった。ウマ娘達は新人よりも熟練のトレーナーに教えを乞いたいだろう。それもチームを持てるようなトレーナーなら尚更の事。

 だが、自分のような新人に着きたい物好きがいないとも限らない……はずだ。

 なら、今自分がすべきは、ウマ娘の選抜レースのように、トレーナーとしてウマ娘にアピールをする事に他ならない。

 

 人前で演奏するのはいつぶりだろう。幼い頃、マロンと、暇さえあればセッションしていたくらいだったが。

 自分が伴奏し、マロンが歌う。小さい頃は、暇さえあればマロンのいる牧場に行き、家畜と戯れ、マロンからウマ娘のレースの良さを熱弁されたり……。

 そう、ここで行動しなければ、マロンへの恩義どころか、故郷から逃げて来た事実さえも無為に帰すだろう。

 逃げた先でまた逃げたのなら……そのサイクルにハマってしまったら、一番逃げたい時に逃げられなくなる。

 ……ええい、ままよ!

 鞄から青いオカリナを取り出し、一つ、思い入れのある歌を吹く事にする。

 今となっては嫌な思い出ばかりが浮かんでくる歌。

 しかしどうしても嫌いにはなれない歌。

 もう弾くことはないと思っていた歌。

 

 とあるお姫様の、子守歌を。

 

 

 2.

 

「──もうすぐ新馬戦だから、皆トレーニング頑張ってね!

 それじゃ、号令!」

「きりーつ、きおつけ、れい」

『ありがとうございました!』

 

 チャイムと共に、担任の終礼のあいさつも終わる。本日の午前の課業が終わり、時刻は一時過ぎ。早速トレーニングと行きたい所だが、あいにく腹の虫は正直だ。くぅ、と一つ、彼女のバ耳にしか聞き取れないくらいに小さな腹の音が鳴る。

 今日は何を食べようかと思って、鞄の中を整理する。トレセン学園の食堂は、学生無料かつおかわり自由でお残し禁止の黄金三連単。さすがに、かの偉大なる葦毛の怪物・オグリキャップと比較するとそうでもないが、彼女自身もまた、結構な健啖家だ。

 

「──ねね、トレーナーで頼れそうなヒトは見つかった?」

 

 隣の席からやってきてそう言うのは、同郷の遊学であった。

 名をナビィ。ウマ娘だ。

 青髪の中別ショートヘアだが、一昔前のゲームキャラのようなインテークがかっている。左耳に青いピアスを付けた、やや狐目のクリっとした綺麗な目だ。青い瞳の瞳孔は、まるでその周囲を舞うように妖精の羽が生えているかのよう。年相応に快活な雰囲気を醸している、彼女の良き友人である。

 

「いえ……やはり殿方に触れられるのは、どうしても……。

 しかし、本格化が始まった以上、今契約しないとメイクデビューに間に合わないのも、分かっているんです」

「分かる分かる、思春期の子にはちょっと難しいよね」

「それ貴女が言います?」

「ヘェイ! それは言っちゃいけないお約束だヨ。

 でもさ、教官の代わりに一緒に見てくれてるくらい、マロンは優秀なのは間違いないけど、それでも新人サンだからさ。早く良い人見つけないとだよ?」

「すみません、ナビィ」

「いいよいいよ、出来るだけナビゲートしてあげる!」

 

 そう駄弁りながら、トレセン学園本校舎から東棟に続く渡り廊下を二人で進む。そこから降りて行けば食堂に続いている。大食娘のおよそ三、四時間に及ぶ断食(授業)を耐えに耐えた欲望の獣達が、レースでのみ発揮される野生本能が訴えるままに食堂に雪崩れ込んで来る。

 彼女の腹の虫がさっきからうるさく鳴いている。まだ夏の季節には早すぎるというのに、この虫と増殖するGだけは年がら年中目に耳にするのだ。全くもってタチが悪い。

 

「ちょ、リッスン! 腹の虫、めちゃくちゃ鳴ってるじゃん!」

「え、ええ? そんなにですか?」

「そんなによ! オグリ先輩みたい! 聞いてたらワタシも……」

 

 きゅう〜、と、今度はナビィの虫が鳴く。

 それがおかしくて、二人して笑い合った。

 

「は〜、お腹空いたね〜」

「そうですね。今日のランチは何でしょうか。デザートはアップルパイが良いのですが」

「ハイラルのウマ娘はりんご好きだもんね」

「ええ。特に、日本のりんごはとても美味しいんです。にんじんも良いですが、慣れ親しんだ味が一番ですし。りんごはいわゆる私の適合食材です」

「グルメ細胞持ちのウマ娘だったら、やっぱ最強はオグリ先輩じゃない? 持ってたらあの人今頃筋肉だらけになると思うけど」

「私としては、隠れ大食いのライスシャワーさんも捨てがたいですねー。いつしか背中に鬼の貌が浮かんでそう」

 

 そう言って、栗毛の彼女と青鹿毛の彼女は笑い合う。

 やがて東棟の一階へと降り、もうすぐ食堂に着く。

 ……というところで、二人のバ耳は、普段の日常からは聞きなれないものを耳にした。

 

 ♩〜♩♩〜♩〜♩♩〜……

 

 ──高い笛の音色。

 何かしらのメロディ。聞き覚えは無い。

 無い()()()()

 その歌は、聞くだけで心和らぐ子守歌だ。まるでずっとその人の為に歌ってきたと言わんばかりに熟練されている。

 といった所で、彼女はその歌を聴き入っている事に気がついた。

 そして、違和感を抱いている事にも。

 

 ……そう、その歌は子守歌なのに。

 なぜか、奏者の遣る瀬無い悲しみや、苛立ちを感じるのだ。

 

「これ、リコーダーかな? どこで誰が弾いてるのかな」

「いえ、これはオカリナの音色です」

「良く分かるわね。……あれ、どしたの?」

「すみません、ちょっと行ってきます! 席取っといてください!」

「は、えっ、ちょ!? エ──」

 

 奏者よ、その歌はそう吹くのではない。

 子守歌は、愛き子をあやす母親のような優しい心で歌わねばならないのだ。君がそんな吹き方では、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 栗毛の彼女は居ても立っても居られず、友を置いて駆け出した。

 嬉しさと悲しさがごちゃ混ぜになった感情で、その一歩を駆け出したのだ。

 ()()()()に向けた心構えも、ままならず。

 

 

 3.

 さて、どれほどオカリナを吹いていた事だろう。時間にして十分も経たないくらいか。遠目でこちらを見てくる生徒は多々いるものの、話しかけてこようとする物好きは──

 

「あのっ!」

 

 いない、という訳でも無さそうだった。

 走って来たのだろう。少し胸を上下させながら、栗毛の彼女は自分の眼前で叫ぶ。

 額の流星と、長い栗毛に混ざる白銀の艶髪、白く伸びる尾。そして女神の寵愛を体現するかのような、垂れ目気味の優しい瞳。

 その身長は、自分が大体百七十センチに届かないくらいだから、ほぼ自分と同じくらいか、ほんの少し彼女の方が小さいくらいの微差だ。

 プロポーションは『男性の思う女性の理想像』というようなモデル体型だが、スカートから下に視線を落とせば、その脚は一流のアスリートとして鍛え抜かれているのが分かる。

 閑話休題、彼女は、唐突に自分に話しかけたのも束の間、悲しそうな顔で自分に訊ねる。

 

「なんで、そんなに悲しく歌うんですか……?」

 

 悲しい? 自分が?

 いや、自分の趣味とするくらいには、オカリナを吹くのは好きだ。

 それにこの歌を歌う時は、いつだって姫様を思って……。

 

 いや、そうだ。オレにはもう、守るべき姫様はいないのだった。

 オレには姫様を守る力も無ければ、その資格もない。もう責務を果たす事は出来ない。

 だが、だからといって姫様を嫌いになれるはずもなかったのだ。もう会いたくないなんて思えないくらいには、姫様に敬意を抱いていたのだ。守りたかったと後悔するくらいには、その姫様を好いていたのだ。

 

 そうか、オレは……悲しかったのか。

 

 姫様を安心させるための歌を、悲しみながら歌っていたのだ。なるほど、周囲は自分に奇怪な視線を向けるだけで、誰にも感動させてやれないはずだ。誰も寄って来ないはずだ。

 けれど今更、その悲しみの連鎖を断ち切る事は出来ない。

 過去は重く自分にのしかかり、未来永劫にこの重みを背負うのだ。

 羽のように軽くなるその日まで、ずっと。

 いずれ来るであろう終焉から逃避した、その責任を、ずっと。

 

「あの、もっと聴きたいです。貴方のオカリナ」

 

 ……なら、とっておきを聴かせてやろう。と言って、今度こそオカリナに息と心を吹き込む。

 嫌いになれない歌ではなく、本当に心から好きと言える歌を。

 かつて、幼馴染(マロン)のいた牧場。その家に伝わる、動物を宥め、呼び寄せる不思議な歌を。

 

 ♪♪♩〜♪♪♩〜……

 

 そう、例えるのならば、そこは光差す森の中だった。

 小鳥達が物見遊山に木々に留まる。切り株に座る自分が歌い、キミは上機嫌に耳を揺らして微睡む。隣では、青く輝く少し口うるさい妖精が聞き入っていた。国王から賜るはずだった緑色の装束を身に纏い、姫様から賜った青色のマフラーを着用している。まるで、あたかも自分が伝説の勇者かのような佇まいをしていた。

 

 なぜ、この情景が浮かんだのだろう。

 これが現実だったならば、どれほど良かっただろう。

 あるいは、いつか夢見た理想だったかもしれない。

 叶えたかった、誰かの夢なのかもしれない。

 叶えなければいけない、今なのかもしれない。

 ──ぽたっ、と、音にもならない音が聞こえた。

 

「あれ」

 

 その音は、眼前の少女の瞳から流れ出ていた。

 訳も分からず涙を流す自分の目を拭う彼女。しかし、止めどなく溢れ出る感情は、その手を止めさせてはくれない。

 悲しい訳ではない。むしろ、嬉しい。

 

「おかしいな」

 

 ……彼女は、かつて自身のルーツについて考えた事があった。

 ウマ娘とは、馬耳があり、馬尾があり、人耳がなく、雄の個体がいない、人に良く似て非なる存在だ。

 そして何より、別世界より来訪せし『馬』の名と魂を受け継ぐと云う。

 なら、自分は何の『馬』の魂を受け継いだのだろう、と。

 ──今、それがようやく分かった。

 

「ごめんなさっ……!」

 

 また逢えた、と。

 もう離れたくない、と。

 また一緒に冒険出来るよ、と。

 

 この人と、一緒にいたいと──。

 

 

 

──魂が、ここがいいと叫ぶのだ。

 

 

「私のトレーナーになってください」

 

 口から不意に出た言葉を、撤回するつもりは彼女には無かった。嗚咽をどうにか堪えて、彼女は眼前の自分を見る。

 それはこちらもありがたい。自分がそう言うと、彼女は慌てた様子でまた紡ぎ始めた。

 

「ああっ、ごめんなさい! 私っ、名前も言ってないのに……!

 その、感極まっちゃって……」

 

 構わない。むしろ、自分の演奏が誰かの心を動かせたのなら、弾いていた甲斐もあるというものだ。と言う。

 まあさすがに、泣かれるのは想定していなかったが。

 

「ぐしゅっ。では改めて。

 ──エポナ。私、エポナです」

 

 馬女神(エポナ)……良い名だ。

 その美しい響きの音を、自分は心で反芻する。

 この時自分は、不思議なことに、

 錆びたはずの心の奥底から、

 この娘と夢を叶えたいと思えた。

 思えることができた。

 思わせてくれたのだ。

 

 

 

──オレに、心を灯してくれたのだ。

 

 

「貴方の名前は?」

 

 オレは……リンク。新人トレーナーだ。

 

「リンク……リンク、リンク」

 

 その名前を、エポナもまた心で反芻する。

 

「なぜでしょう、私、貴方のことをずっと前から知っている気がします」

 

 その言葉に、自分もキミとは初めて会った気がしない、と返すと、照れ隠しか、耳をぴこぴこさせてエポナは微笑んだ。

 これからよろしく、エポナ。と、立って左手を差し出す。

 

「はい!

 よろしくお願いします、リンク!」

 

 そう言って、エポナも自身の手を出して、固く握手する。

 春が過ぎ掛けた季節の候、桜舞い散るスタートライン。

 世界でただ二人だけ、目の前の相棒を見つめ合っていた。

 

 或るウマ娘がいた。

 そのウマ娘は、走る事が何よりも誰よりも好きだった。

 だが、持って有り余る高潔さと臆病な心があった。

 そしてそれが大き過ぎるが故に、自身の選手生命を支えるトレーナーを審美しては、いつも眼鏡に敵わない……そんな日々を過ごしていた。

 

 或るトレーナーがいた。

 そのトレーナーは夢半ばで心を折ってしまった。

 守りたいものを守るには自分では力不足で、誰か一人を救う事すらも運命に見放されている。

 なし崩し的にトレーナーを勤めていても、どこか力が入らない……そんな日々を過ごしていた。

 

 トレーナーの名はリンク。ハイラル王国から日本にやってきた青年。

 ウマ娘の名はエポナ。名と魂に刻まれた歌を好む、最強を夢見る少女。

 

 二つの魂が再会を遂げる時、新たな〝伝説〟は始まる。

 

 ──これは、大切なものを見つける物語。

 

 そして──誰かの心に、勇気を灯す物語。

*1
エや下

*2
ハイラル王国人を指す

*3
日本とハイラル王国の関係のこと

*4
地方ウマ娘全国協会。地方レースを管轄する。正式名称をthe National Association of Uma-musume(Racing)


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