ぼっちがいろんな人とセッションするおはなし 作:koshikoshikoshi
とある日曜日。伊地知虹夏は昼食の準備中だった。
ピローン!
テーブルの上に置きっぱなしだったスマホから通知音。ギターヒーローのチャンネルに新着動画だ。
「あら、ぼっちちゃん。こんな時間に動画をアップするなんてめずらしいわね。……あれ?」
スマホ画面の中に映るのは、いつものピンクジャージ。いつもと同じ部屋。だが、虹夏がスマホを覗き込んだ瞬間、画面全体がゆっくりと傾く。そして、倒れた。
え? カメラが横倒し?
『わーーん!』
同時に、かん高い女の子の泣き声をマイクが拾う。
『そ、そんなあわてて部屋に駆け込んでくるから』
横倒しの画面の端っこ、ギターを放り投げるようあわてて立ち上がるピンクのジャージ。
(え、え、え、これ、配信事故? ぼっちちゃん、カメラ動いていること気付いていない?)
はやく教えてあげなくちゃ!
ロインを起動するためスマホに伸びかけた虹夏の手がとまった。
一度画面から消えたピンクジャージが再び中央に現れたのだ。そして畳に座る。
90度倒れた画面の中、かろうじて顔は映っていないが、その膝の上には小さな身体を抱き上げている。こちらも顔は見えないが、明らかに幼女だ。
『だだだだ大丈夫? 痛いところはない?』
『ごめんなさいおねぇちゃん。ギターの練習邪魔しちゃって』
『動画の撮影は終わったところだから大丈夫。それよりも、ケガしなくてよかった』
半泣き幼女とそれを優しくなだめる姉の会話が、マイクを通して配信される。
うふふ。ギターヒーローさんの動画撮影中にふたりちゃんがパソコンに躓いちゃって、配信のボタンがクリックされちゃったのね。……ぼっちちゃん、いいおねぇちゃんしてるじゃない。
スマホの画面の中、虹夏は仲睦まじい姉妹の姿におもわず見とれていた。
しかし、その間にも接続数はどんどん増えていく。顔どころか声すらも生で晒したことがないギターヒーロー。そのチャンネルを登録しているファン達が、声出しの生配信に気付いたのだ。
【ギターヒーローさん生配信とは珍しい】
【もしかして配信されちゃってること気づいてない?】
【放送事故か】
【おーいカメラ写ってるよ】
【ギターヒーローの妹? 幼女だと?】
【ギターヒーローちゃんはいったいいくつなんだ?】
【ギターヒーローさんの生声かわいい】
【なんかいいなこの姉妹】
おっと、このままにしておく訳にはいかないわよね。ぼっちちゃんに教えてあげなくちゃ。
虹夏は我を取り戻し、再びロインを起動する。
気付いて、ぼっちちゃん!
しかし、ぼっちは気付かない。
『ほらほらもう泣かないで。おねえちゃんがギター弾いてあげるから、一緒にお歌うたおう! 何がいい? きらきら星?』
幼女を膝に乗せたままギターを抱えるヒーロー。優しく温かい姉の言葉をうけてやっと幼女が泣き止んだ。
『幽霊の歌!!』
『……幽霊? あ、姉を幽霊扱いするような、人の心の痛みがわからない妹に育てた覚えはありません!』
『ちがうの。変な匂いのお姉さんが歌ってた幽霊の歌!』
『そ、それって、もしかして、廣井おねえさん? ……ベース無しでできるかな? まぁなんとかなるか』
横倒しの画面の中、いつもどおりの呑気な会話をかわす姉と妹。それをよそに、接続数はうなぎ登りに増えていく。
(はやく、はやく、気づいて、ぼっちちゃん。カメラをとめて)
虹夏は祈るようにメッセージ送信と通話のボタンを押し続ける。
だが、今のぼっちは妹しか目に入っていない。自分のスマホの通知に気付かない。そのままギターを弾き始めてしまった。
その曲は、もともとは圧倒的な存在感を誇るカリスマ的なベーシストを前提としたものだった。しかし、ギターヒーローにはそんなことは関係ない。即興でアレンジ、ギター一本でいとも簡単に、ほぼ完全に再現してしまう。
ぼっちちゃん、すごい……。
虹夏の手はふたたび止まる。息をのみ画面に見入る。
虹夏もふくめ普段からギターヒーローのチャンネルを追いかけている者にとって、彼女の演奏の正確性や超絶技巧など、今さら言うまでもない。毎回カメラの向こうで無言のまま淡々と掻き鳴らされる神業的なギターの音色に脳髄を浸食され、ついには信者として彼女にひれ伏すことを快感としている者も多い。
しかし、今日のギターヒーローはひと味違う。カメラを意識しない自然体のギター。それが醸し出す感情豊かな音色。とびぬけた表現力。
おそらく普段から仲の良い姉妹なのだろう。姉と妹、ふたりで合唱するその姿からは、家族への絶対的な信頼と深い深い愛情があふれ出す。それが舌足らずの幼女の歌声を包み込む。聴く者すべての心の奥から、自然に暖かいものが湧き出してくる。
【これSICKHACKの曲じゃねぇの?】
【こんなほのぼのした曲だっけ?】
【ギターってこんな感情表現が可能な楽器だったんだな】
【何を弾かせても上手いギターヒーロー】
【歌は廣井ほどじゃない】
【廣井って?】
【SICKHACKのアル中ベーシスト】
【オレはこっちの方が好きだ。一緒に歌う幼女の声もいい】
【これは明らかに本家より上】
【オレも家族が欲しくなった】
【アル中が作ったサイケの曲でこんなに暖かい気持ちにさせてくれるとは】
『わーたーしーだけ、ゆーれいいいいいい!』
姉妹の声がハモる。少々音程がずれていたが、そんなことは関係ない。配信を聴いていた者すべての心がほんわりと暖まる。
……や、やっぱりすごいよ、ぼっちちゃん。技術だけじゃない。家族の前でなら、こんなやさしい演奏もできちゃうのね。
歌い終わった姉妹の楽しそうな笑い声。その向こう、かすかにスマホの着信音が聞こえる。虹夏が鳴らし続けた着信に、ギターヒーローがやっと気付いた。
『あれ? 電話なってる?』
横倒しのままの画面の中、ピンクジャージがギターをおろす。幼女を抱っこしたままあわてて立ち上がり、画面の外に消えた。
そして、スマホをとった声。
『は、はい。……えっ? かめら? えええ? うそ!』
マイクから決して近くはないはずだが、確かに息をのんだ音が聞こえた。そして一瞬の沈黙。
どたどたどたどた!
畳の上をダッシュする足音。カメラの視界の外から、端っこに見えるPCに腕が伸びる。そして唐突に画面が消えた。
【あああ気づいちゃったか】
【いいものを見た】
【ギターヒーローがSICK HACK 廣井を「おねえさん」と呼んでいることはわかった】
【自分の歌が幼女をあやすお歌扱いとか廣井が聞いたらどんな顔するかな】
【この映像けさないで】
【うむこれは消すべきではない】
【もっと多くの人に見て欲しい】
1時間後。伊地知家、虹夏は姉の星歌と食卓を囲んでいた。
「な、なぁ、虹夏」
ごちそうさまでしたの後、お姉ちゃんががぽつりとつぶやく。
「なによ」
「ひさしぶりに、……私と、セッションしない、か?」
お姉ちゃんは視線をそらしたまま、こちらを見ない。
「え、えええええ? 私とお姉ちゃんで?」
突然なにを言い出すのだろう? セッションといったって、お姉ちゃんのギターを最後に聴いたのは、もう何年も前のことだ。
「み、店始まるまでまだ時間あるし、たまには姉妹で……」
照れているのだろうか? 頬を真っ赤にしてな顔でもごもご口ごもるお姉ちゃん。
あっ!
虹夏はわかってしまった。目の前にいる姉は、ぼっちちゃんが大のお気に入りだ。もちろんギターヒーローの動画はすべて見ているはずだ。当然さきほどの心温まる仲睦まじい姉妹の配信も見たのだろう。
「……お姉ちゃん、まだギター弾けるの?」
わざとイヤそうに答えてみる。でも、きっと私の顔は嬉しそうに笑っている。
「ばばばば馬鹿にするなよ。おまえこそ、少しはドラム上達したのか?」
「えへへへ。現役やめたお姉ちゃんにあわせるくらいできるよ」
歌詞の扱いについてご指摘いただきました。ありがとうございます。