同時に筆者の把握していないイベントストーリーとの齟齬がある可能性もあります。
ご理解の上お読みください。
プレナパテスの襲来から早数ヶ月。シャーレのオフィスでいつもの如く数多の仕事に追われていると、ふと室温が数度下がったような薄ら寒さを感じた。この感覚には、覚えがある。
「お久しぶりです、先生」
背後から掛けられた声に、オフィスチェアを半回転させて振り向く。眼前には予想通り、「黒服」が立っていた。
「……何の用?」
思わず、冷たい声が漏れる。彼が私の生徒に行ってきたことを思い返せば仕方のないことだが。
「ふむ、嫌われたものですね。『色彩』の一件では共に立ち向かった仲だというのに」
黒服が少し寂しそうに(とは言っても表情は全くわからないが)、そうひとりごちる。共に立ち向かった、などという表現は全く不適当だと思うが、ウトナピシュティムの本船の情報をもらったことは事実だ。
それを無視して感情的に拒絶するのは、大人として相応しくないだろう。
「……あの件では、確かにあなたに助けられたところはある。ありがとう」
感謝の言葉を述べるのに我ながら非常に回りくどい表現を使ったなと思うが、黒服には気にした様子はなかった。
「先生にお礼を言われるとは、非常に光栄ですね」
「お茶の一杯くらいならご馳走する。それを飲み終わるまでは追い出さないから、用件を済ませてくれ」
オフィスチェアから立ち上がると休憩スペースのソファを目で示し、座るよう促す。黒服が腰を下ろしたのを確認すると、給湯スペースに移動する。
お茶を淹れる時、ミカにもらった茶葉を使うことを一瞬躊躇する。が、わざわざ市販品ティーパックの封を開けるのも大人気ないと思い、そのまま茶葉に湯を注いだ。
「どうぞ」
「ありがとうございます、先生。……ふむ、良い香りの紅茶ですね」
ティーカップを持ち上げ、軽く香りを楽しんだ後に黒服は口を付けた。その振る舞いは様になっていて、彼も紛れもなく大人の一人だということを示していた。
「手短に頼むよ。あなたを私の生徒と会わせたくはないんだ」
自分の分の紅茶に口を付けながら、黒服に話を促す。
「そんなにお時間は取らせませんよ。ゲマトリアの現状報告と、あと先生への質問がいくつかあるだけです」
「……ゲマトリアの現状なんて、私は欠片も興味ないけれど」
「まあそう言わずに。私としてはまだ先生と仲良くさせていただくことを諦めたわけではないので、こちらのことを知ってもらいたいのです」
「……話すだけならお好きにどうぞ。私があなた達と組むことはあり得ないことだけれど」
「ありがとうございます」
カチャリとティーカップをソーサーに下ろすと、黒服は組んだ両手を口元に当てたまま言葉を紡ぎ出した。……どうでもいいが、あの肉体のどこに液体が入っていっているのだろう。
「まず、先刻お伝えした通りゲマトリアは解散しました。私とマエストロは致命傷一歩手前の傷を負いましたし、ゴルコンダはフランシスにすげ変わってしまった。デカルコマニーは彼の性質上無事ですが、我々はゲマトリアとしての体を維持するにはあまりにも大きなダメージを負ってしまいました」
すげ変わる、の意味はよくわからないが、そもそもゲマトリアの構成員はどれも理解不能な異形ばかりだ。むしろ気になるのは、不自然に話題に上がらなかった、彼女。
「ベアトリーチェは?」
アリウス分校を洗脳教育によって支配し、サオリたちを己の駒のように扱っていたゲマトリアの一員。彼女は許されないことをしたし、今後もキヴォトスの生徒に危害を加える可能性が高い。動向を知りたかったが故の問いだったが、黒服は少し言い淀みながら返答した。
「彼女は……我々で処理しました。ゲマトリアとしての禁忌を犯しましたので」
「そう……」
黒服の口ぶりから何かを隠しているようにも聞こえるが、彼女がキヴォトスではない何処かへ送られたことは事実だろう。可哀想だとは全くもって思わないがゲマトリアから追放された以上、彼女の理解者はキヴォトスにおいて誰一人いないことが証明されてしまった。それについて、多少の哀れみはあった。
「それで、そんなことを私に知らせる理由は?」
「いつか仲間になるかもしれない方にはキチンと情報共有をしなければと思いましてね」
「いやだから仲間にはならないって……」
しつこいな。
「まあ、ここまでは前座です。本日伺った本旨は先生への質問にあります」
ふと、机の上のティーカップに目を落とす。そこにはまだ半分ほど紅茶が残っていた。
「先程、私は致命傷一歩手前の傷を負ったと申し上げましたが……それは先生、あなたも同様ですよね?」
いや、と黒服は続ける。
「致命傷一歩先のダメージ、と言った方が適当でしょうか。お体の具合を伺っても?」
「……」
「ウトナピシュティムの使用、それだけでも先生には相応の報いが肉体を襲ったはずです。しかも……今回はそれに加えて『名もなき神々の王女』が受けるべきである傷まで、あなたが負ってしまった」
「……」
「加えて色彩の嚮導者に対抗するため大人のカードを濫用し、さらには高度75000メートルに一瞬とは言え生身で放り出された。はっきり言って、あなたが今ここで命を繋いでいることは奇跡と言っていいでしょう」
「……先生は、生徒のためならどんな辛いことにも耐えられるんだよ。あなたにはわからないだろうけれど」
「確かに、理解はできません。しかし分析ならできます。あなたは生徒たちを救うためにどんな無茶をも押し通してきたし、これからもそうでしょう。しかし──何事にも限界というものは存在する」
「……」
「色彩の嚮導者、つまり別世界のあなたが道半ばで倒れたように」
「……もし、私がもうボロボロでこれ以上先生として活動すればいつ死ぬかもわからないと言ったら、活動できないよう介入してくるのかい?」
「いえいえ、先生のそんな末路も私にとっては極めて興味深い道筋のひとつです。先生と共に道を歩めなくなるのは残念ですが、殊更に止めようとはしませんよ」
「……残念だけど、あなたの思う通りにはならないよ。私は見た目より頑丈なんだ、ピンピンしてるさ」
「それならそれで何よりです。あなたの行動、選択、それによって導き出される解、そのどれも私にとって得難い事象ですから」
こいつは、私がどうなろうとも得しかないらしい。気に食わないことだけれど。
「先生のお身体については納得しました。それでは最後に、もうひとつ」
黒服は前がかりになっていた姿勢を正し、こちらに目線を向ける。
「先生は『主人公』として、何を求めているのですか?」
そしてそんな質問を、私に投げかけた。
「この世に数多存在する主人公は、みな何かしら願いを持っています。平穏な日々を取り戻したかったり、世界一という頂を手に入れたかったり、世界を救いたかったり、と言ったようにね」
黒服は、ティーカップにわずかに残った紅茶をグイッと流し込み、言葉を続ける。
「しかし、あなたからはそういうものが見えてこない。世界を救うことさえ、あなたにとってはそれ自体は願いではなく単に過程にすぎないように見える。私にはそれが気になって仕方がないのですよ」
ティーカップを下ろした音が、ガチャっと少し大きく響いた。
私はどう答えるべきか、十秒ほど思案した上で話し始めた。
「黒服、あなたたちはまず勘違いをしている」
「と、言うと?」
「フランシスも私のことを『主人公』と呼んでいた。でも、そもそもそれが間違っているんだ。私は『主人公』なんかじゃないよ」
少なくとも、私自身の認識においては。
「私がやってきたことは、生徒が望む夢や未来を掴み取れるように少し手伝っただけだよ。私自身は物語の中心にいるわけじゃないし、そう望んでもいない」
「何かを望み、物語の主役を張りたい、と願うことは別に子供に限った話ではないと思いますがね」
「まあ、大人がそう願うこと自体は否定しないよ。でも、キヴォトスじゃ話が違う」
「……その心は?」
黒服が静かに問う。私は、答える前にキヴォトスにやってきて出会った彼女らのことを思い返す。
アビドスを存続させたいと願い、たった五人で莫大な借金を返済し続けていた対策委員会。
ゲームを作りたいという気持ちと自分たちの居場所を守りたかったゲーム開発部。
短い期間で強い絆を得た仲間たちのために、命すら投げ出してお互いを助け合った補習授業部。
仲間の命を守るためにキヴォトス中をすら敵に回してしまったアリウススクワッド。
突然廃校を宣告され、ほとんどの生徒はヴァルキューレに編入する中でSRT特殊学園の復活を諦めずに戦っているRABBIT小隊。
そして、キヴォトス中の夢を追いかける生徒たち。
頭の中に生徒一人一人の顔を浮かべ、私は口を開く。
「だって──学園と青春の物語の主人公は、いつだって学生に決まってるでしょ? そこに大人がでしゃばって主役を張ったら、駄作もいいところだ」
私は黒服にそう言い放った。
私の言葉を聞いた黒服は五秒ほどフリーズしたように見えたが、やがていつもの如く笑い始めた。
「……クックックックッ。先生、やはりあなたはゲマトリアに相応しいですよ」
「今の発言をどう聞いたらそんな結論になるのかな……」
少なくともゲマトリアの主義主張とは全く一致していないと思う。
「いいえ、あなたと私たちはきっと分かり合えます。それについて長々と講釈を垂れるのも面白いですが……やはり今それは無粋ですね」
黒服が机に目を落とす。そこにはほぼ空になったティーカップがあった。
「そろそろお暇しましょう。先生にこれ以上嫌われたくありませんので」
「……?」
「ではご機嫌よう。またお会いしましょう、先生」
そう言った黒服は、私の瞬きに合わせて忽然と姿を消した。
「忙しない奴……」
ガチャリ、とオフィスの扉が開いた。
「こんにちわ、先生。ミレニアムの仕事が一息ついたのでシャーレに伺いました」
そう言いながら室内に入ってきたのは、セミナーのユウカだった。……黒服の奴、ユウカの来訪に気づいてそそくさと帰って行ったのか。
「……って相変わらず机の上が書類まみれですね。適度に片付けないと能率が落ちますよ?」
そう言いながら私の方に近づいてきたユウカは、机に置かれた空のティーカップに目を落とし不思議そうに首を傾げた。
「あれ、先生。来客があったんですか? 私、すれ違いませんでしたけど」
「ああ、まあ、うん」
黒服と談笑してたなどとは言えないので、言い淀みながらお茶を濁す。
「……キヴォトスの生徒、じゃなさそうですけど、ご友人ですか?」
「……いいや」
友人? まさか。黒服はそんな間柄じゃない。
でも、強いて関係を具体化するなら……。
「ただの──知り合いだよ」
3月末くらいにブルーアーカイブをインストールして駆け足でストーリーを読んだわけですが、最初に書く二次創作がコレなところに自分の偏屈さを感じます。
でも先生の信念がとても刺さったから仕方ない。