現代ではあまり使われない単語・表現が含まれるため、後書きに注釈をまとめて記載致しました。また、地の文が童磨の視点に寄っているので、非道徳的な言い回しが複数存在しております。
※某掲示板にSSとして投下した物の加筆修正版です。
「痛……っ」
軽い悲鳴が夜の
やや離れた場所で上がったそれを聞き付けて、それまで中庭の景色を眺めていた彼は、おや、と呟き顔を上げた。
中庭もそれを囲う
――しかし、どれだけ眺めていても、それらの視覚情報が彼の
何も感じない。庭を観賞するという行為自体、意義も意味も分からぬままの
それでも装う。それが彼の常だった。
そも、そんな
夜闇を押し
「琴葉、何かあったのかい?」
「――教祖様?」
櫺子格子の向こうから幾らか驚いた様子の声が返ってきた。童磨が入口の側へ回り込む間に戸を開けて、声の主――琴葉は、済まなそうな表情で頭を下げた。
過度にあどけなさの残る娘むすめした表情が、彼女の頭の幾らかの不足を物語っている。それでいて
「ごめんなさい。大した事じゃないのだけれど、声を上げてしまって」
「構わないよ。どうしたんだい」
「ええと……そろそろ寝支度を
「うん」
「伊之助が少しむずかりそうだったから、寝る前に二人で中庭に出て、夜風に当たろうと思ったんですけど、それで」
「うん」
「あ、けど、今は
「うん」
琴葉の話の要点が中々見えてこないのはいつもの事だった。本題に関係の無い部分から始まって、
――
「……その血は?」
「ああ、はい、あの……」
痛みにか、出血を抑える為か、真紅の
「なんだ、
「はい。部屋を出ようとした時に気付いて……外に逃がしてあげようと思ったのだけれど」
困り顔で小首を傾げて、琴葉は血の付いた右手を見下ろしている。不用意に捕まえようとして、木の幹に深々と穴を開ける顎で思い切り噛まれたのなら、確かに悲鳴の一つも上げたくなるだろう。
「どこから入ったんだろうなぁ」
触角の付け根を指で挟み込む。畳寄せにしがみついていた刺々しい脚は、
「まあ。こんなに大きな声で怒るのねえ」
「琴葉、ちゃんと血を止めて消毒した方が良いんじゃないか。俺が逃がしてくるから」
「え、でも……良いのかしら、こんな事で教祖様のお手を借りてしまって」
「何も気にしなくていいんだよ。俺は皆の為に居るんだからさ」
「――有り難うございます。それじゃあ、どこか緑のある所に放ってきてあげてくれますか?」
緑のある所に放ったら、ほぼ確実に庭木に穴を開けられるのだが、態々それを指摘する気にはならなかった。足らない頭が招く結果に気付けないからこそ琴葉は善意でそれを望むのに、事実を教えて困らせても意味がない。それに、救済者を自負する以上、
枝に引っ掛かって葉の裏に逃げていき、天牛はそこでやっと鳴くのを止めた。夜半の静けさが立ち返り、耳に残った
(――怒る、ねえ)
琴葉はそう表現した。状況に対する反応の種別で言うならば、あながち間違った表現でもない。しかし本能、反射、そういった言葉を当て
さて、では怒りとはどんなものなのか。童磨はふとそんな事を考える。
煮え
そんな激しい感情ならば、覚えてもあまり役には立ちそうにない。有するべきは慈悲なのだ。憐れみ、慈しみ、救う事。それが自らの使命だと童磨は思っている。怒り嘆くのは苦しむ側、救いを望める側の心であって、救う側はそれを受け止めてやるだけで良い。
つまるところ、童磨には怒りを学ぶ必要は
快不快は感じる。好奇心も
天牛は分かり易くて良い。けれど、人の心の複雑なつくり、生来それを持ち合わせなかった身からすれば不可思議なつくりに、もう少し近付く事が出来たなら、と
救済を。幸福を。ありもしない極楽の体現を。――世には救いを求める者達が
死ねば魂は
信じるものが何であれ、極楽の存在を前提にしているのが
(俺なら全部してあげられる。してあげられるし、そうしてる)
望むままに縋らせて、永遠を与えて、全てを受け入れている。
――だというのに、物分かりが悪く『救い』に際して拒絶する信者が大半なのが困りものだった。
泣いて
命が絶えれば不幸も不遇も解消される。取り込まれて、救いの為に生きるこの身と一つになれる。その幸福を、どうして理解出来ないのだろう?
天牛は人と違い、道理こそ知らないが、誰に救われずとも幸福そうである。虫や草木は生きているだけで事足りている。あれらは生命として
人はそうなれない生き物なのだと、童磨は重ねた月日の内に学んでいた。己を思い他者を思い、過去を思い先を思い、それら一つ一つに喜び笑い、悲しみ怒る生き物。なまじ考える頭と感じる心がある所為で、楽しみと苦しみの帳尻が合わねば不幸なのだ。帳尻合わせに苦心して、それで余計に自分を追い込んでいく。
だから――帳尻合わせ自体を
(ただそれだけの話だろうに)
何故分からせるのが難しいのか。
自身には幸も不幸も感じ取れない童磨だったが、それでも色々な事を考えてきた。『人らしい心』を自分の心の向こう岸に見ながら考えて、導き出した答えを共有したいだけなのに、伝わらないのは何故なのか。
(だって、我が身の不幸が何より耐えられないのなら、つまり)
――
池の傍に
曼陀羅華は遠い異国の言葉、マンダラーヴァが転じた名だという。極楽に咲く
人を救わねばならない。
それが敷かれた道である故に。
他に望むものも、為したい事も、与えられた道も在りはしない。
神も仏も実在しない。都合の好い
――そんな風に、無自覚のまま一面的な戯画化を
部屋の前まで戻ってみると、楽しげな歌声が童磨の
……猫じゃ 猫じゃと おっしゃますが 猫が 猫が下駄
オッチョコチョイノチョイ、オッチョコチョイノチョイ……
口ずさんでいるのは子守唄や童歌でも、いつもの指切りでもない、少し前に流行っていた
(……ああ。彼女は)
――彼女は、幸不幸の帳尻など合わせずとも幸福なのだ。
命だけが生きる理由の全てだからこそ無感情に幸福な、天牛のような虫のそれとは違う。怒り悲しみ苦しむ心が在りながら、起きた不幸に
所謂『綺麗な心』の持ち主で、だからこそ手元に置いた。
「
二番を出だしから間違って、間違ったその単語に拘泥し、琴葉は何やら詰まっている。童磨は戸の反対側から正しい続きを聞かせてやった。
……蝶々
山で 山で
途中から琴葉の嬉しそうな声が重なった。こうした時には
従っただけだった。
……松虫 鈴虫
オッチョコチョイノチョイ、オッチョコチョイノチョイ……
――童磨とて。
童磨とて、感じてみたいと願ってはいた。自分にとっては学び、
しかし、そんな願いの軸でさえ、本能的な好奇と知識欲と、自分はどうやら異物なのだという判断に基づいた違和感に過ぎず、人の言う『寂しさ』や『疎外感』――痛み苦しみを伴うものには、決して変わってくれなかった。
だから尚更、これだけだった。
人を導く救い主でしかない。
救い主を導くものはない。
……竹に雀は仲良いけれど
切れりゃ 切れりゃ仇の……
「
救済の
※
※
※
※
※天牛…カミキリムシ。
※おっちょこちょい節…江戸後期から明治にかけて広まった
まず「蝶々とんぼ」の歌詞が江戸期に、後に作られた「猫じゃ猫じゃ」の歌詞が明治期にそれぞれ流行した。発祥と流行期が異なる為、どちらが一番、二番という明確な決まりはない。「竹に雀」は元々は世語(俗界の
※
花言葉は「偽りの魅力」「変装」「夢の中」「陶酔させる」「恐怖」など。