アドマイヤベガIF ~もしも妹さんが生きていたら~   作:トマリ

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今回のお話はタイトルの通り『もしも新時代の扉にアドマイヤリラがいたら』というものになります。
IFのIFの話ということで訳がわからなくなりそうですが、一先ずこのお話ではまだ『姉妹対決』は起きていないままアヤベさんが不調でダウンしてしまったということになっています。

時系列的には新時代の扉の冒頭から、アヤリの心情的には『覇王ズセクステット、妹の目標』からスタートということになります。先にこちらのお話を読んでおいた方が良いかもしれません。
https://syosetu.org/novel/313974/5.html





アドマイヤベガIF ~新時代の扉編(前編)~

 

 十二月。

 雪が降る日が珍しくなくなり、地面に敷き詰められていた落ち葉すらも見えなくなってしまうような、冬の真っ只中。

 とあるレース場───中山レース場では、外気の冷たさと反比例するような熱気が渦巻いていた。

 理由は簡単である。

 

 有馬記念。

 年末の最後にして最大のレースが、中山レース場で行われていたのだから。

 

 ……レース自体は、既に終わりが見えている。にも関わらず、観客同士の熱は収まる気配はない。

 むしろより燃え上がっている。

 

『残り200メートルしかありません!テイエムは来ないのか!テイエムは来ないのか!テイエムは来ないのか!テイエムは来ないのか!?』

 

 観客全員の声を代弁した、興奮を隠し切れていない実況の声。それすら掻き消す勢いの、もはや絶叫に近いような観客の声が会場を覆い尽くしていた。

 

 

『ッ!!テイエム来た!テイエム来た!テイエム来た!テイエム来た!抜け出すか!メイショウか!テイエムか!僅かに!テイエムかーーーー!!!』

 

 

 そして────勝敗が決した。

 前代未聞。『包囲網』とでも称せそうなほどの多数のウマ娘による徹底マーク。

 その全てを掻い潜り、抜け出し……テイエムオペラオーが今、1着でゴールした。

 

 勝負服のマントがほぼ水平になるほどのスピードで駆け抜けた彼女は、徐々にスピードを緩め……自らの1着を確認した後、高らかに腕を掲げて見せる。

 まさに歴史的瞬間。テイエムオペラオー、年間無敗。グランドスラムを成し遂げた瞬間だった。

 

 

「なにっ……なんなのよ……!?おかしいよあのウマ娘……!!」

 

「強過ぎる……!あんなのっ、どうやって倒せって……!?」

 

 

 このレースにはテイエムオペラオー以外にも、名だたるウマ娘たちが出場していた。……むしろこの有馬記念にファン投票で選ばれたのだ、普通ではないウマ娘しかいない。

 

 だがそんな彼女たちの脚でも……テイエムオペラオーを止めることはできなかった。

 

 オペラオーの背中を見ることしかできなかった一部のレースウマ娘の中には、絶望が滲む声音で呟くしかない者もいた。

 ……当然である。度が過ぎた畏敬の先にあるのは、ただの畏怖でしかないのだから。

 彼女らはただ、呆然とオペラオーに視線を向けるしかない。

 

 

「はーっ、はーっ、はーっ、はぁ……!!」

 

 

 そして……その視線の群れを構成しているのは、アドマイヤリラもまた例外ではなかった。

 アドマイヤリラこと……アヤリも勝負服を纏い、このレースで懸命に走っていた。先程から息は肩でしており、乳酸が溜まりきった脚は震えている。

 

「はぁ……はぁ……!!」

 

 膝に掌をつけて体を折り曲げ、目の上に貼り付いた髪の毛を除ける。全力を出しきった故か、彼女の青色の勝負服も髪の毛も、汗でグショグショになっていた。

 

 そうした満身創痍の状態ながらも……彼女の瞳の炎だけは、前に向けていた。景色の先……誰よりも前で佇んでいる、世紀末覇王へと。

 ようやく息が整ってくると、無意識的に口許が三日月を作っていく。

 

 

「は、ははっ……あははっ……!やるなぁ……!オペラオーちゃんは……!」

 

 

 その笑みは、絶望故に浮かべてしまったものでも、偉業を成し得た友人を讃えるものでもなかった。

 

 ただそれは……越え甲斐のある壁ができたことに対する歓喜の笑みだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 テイエムオペラオー、アドマイヤベガ、ナリタトップロードが三冠を分け合ったあのクラシックから、既に一年以上の時が過ぎていた。

 その間、ターフの上では目まぐるしく嵐が起きていた。……いや……嵐が起きていながらも、ターフはある意味では『安定』していた。

 理由は簡単。

 

 テイエムオペラオー。

 

 突如として覚醒を迎えた前年度の皐月賞ウマ娘。

 

 有馬記念において『黄金世代』のグラスワンダーやスペシャルウィーク相手に一歩も引かないレースをしたことから始まり、レースに出ればその度に圧倒的な実力を見せるようになっていた。

 GIだろうとGIIだろうと関係なし。レースに出ればとにかく勝つ。

 その年の彼女は文字通りの敗け無しだった。そうして連勝を重ね続ける彼女に、いつしか周囲は尊敬と畏怖を込めて『世紀末覇王』と呼ぶようになっていた。

 そんな彼女による絶対王政に、メイショウドトウやナリタトップロードを始めとしたウマ娘たちが追い縋る……という光景が前年度は何度も繰り広げられていた。

 

 だが、『安定』していたとは言ってもやはりターフで何も起きていなかったというわけでは、決してない。

 例えば少し前に行われたGIレース、ホープフルステークスでは、黒船のごとく来航してきたウマ娘やフリースタイルからの転向という異色の経歴を持つウマ娘が力を見せつけ、更にその二人をねじ伏せて1着になりレコードも叩き出して見せた白衣のウマ娘など……早くも期待のホープと呼ぶべきウマ娘たちが頭角を現し始めている。

 

 そして前年度の菊花賞ウマ娘であるナリタトップロードや急速な成長を見せるメイショウドトウも実力を示し続け、テイエムオペラオーに挑むまでの、謂わば露払いのような立場になっている(本人たちはそんな立場に収まったつもりは毛頭ないだろうが)。

 

 

 

 そして本来ならそんなウマ娘たちの中に、昨年のダービーウマ娘であるアドマイヤベガの姿もあるはずだった。

 

 だが……今日に至るまでアドマイヤベガの姿はターフに出ることはなかった。

 何故なら菊花賞の直後から、彼女は原因不明の脚の不調を起こしてしまい、療養中となっていたのだ。医者にもハッキリとした原因はわからず、そのため治療も思うように進まず彼女は地道にリハビリを続けるしかなくなってしまっている。

 

 唐突な一等星の墜落。

 アドマイヤベガのファンたちは悲しみ心配していたが……しかしある時、そんなアドマイヤベガと入れ替わるように、春の辺りからターフには一人のウマ娘が現れていた。

 

 

『1着はっ、アドマイヤ!アドマイヤリラですっ!昨年のダービーウマ娘、アドマイヤベガの妹であるアドマイヤリラがデビュー戦を四バ身差で勝利!実力を示して見せましたぁ!!』

 

『ふっふん、どうよっ!? お姉ちゃんだけじゃない、私だって一等星なんだからっ!!』

 

 

 アドマイヤリラ。

 

 アドマイヤベガの双子の妹であるウマ娘。姉と瓜二つの容姿をしており、姉のことが大好きなシスコンウマ娘だ。

 調整に時間が掛かっていたようで昨年は姉たちの応援に徹していたらしい彼女だが、今期に入って不調によりリタイアした姉と入れ替わるような形でデビューしていた。

 

 デビューが遅れたことで、他の覇王世代のウマ娘と違い括り的には『00世代』のウマ娘となった彼女は、姉と正反対な性格と姉に勝るとも劣らないセンスによって、デビュー前から注目を集めていた。

 そしていざデビューしてみると、皐月賞、ダービー、菊花賞では敗れてしまったもののいずれも好走を見せ、別のレースで初の重賞制覇も成し遂げてみせた。

 

 元々騒ぐことが好きでその場のノリだけで動く傾向もあるアヤリは、レース前に派手なパフォーマンスをしたりインタビューで過去のアドマイヤベガのコメントをそっくり真似る形で答えて(後で本人からそれなりに怒られた)ギャラリーを沸かすことも珍しくなかった。そうして走り自体は姉によく似ていたのもあって、『これはこれで』とアドマイヤベガを推していたファンがそのままスライドしてくる形でアヤリも順調にファンを獲得していた。

 

 更に彼女本人の意向か、テイエムオペラオーが出走するレースにはアヤリも積極的に出走して対決しており、姉の代わりに覇王の覇道を転覆させんとする刺客となっていた。

 

 そうしてレースの盛り上げに一役買ったことや、『あのアドマイヤベガの妹』というネームバリューを買われてか、GI未勝利でありながらアヤリはなんと年末の有馬記念のファン投票に選ばれていた。

 同時にそのレースはテイエムオペラオーの年間無敗、グランドスラムが懸かった一戦でもあった。

 最強の覇王を打ち砕かんとする者として、アヤリはもちろん出走した……の、だが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「────でね、有馬記念もそろそろ最終直線に入ったんだ。もう周りのウマ娘たちは皆顔すごいことになってる。まぁ私もその一人だったんだけど。んで、やだなー怖いなーって思いながら走って、そんな中でふと見てみたらオペラオーちゃんはまだ囲まれてる。あー無理そうだなー抜け出せなさそうだなーって思って、私はこれ幸いとスピードを上げたんです。そしたらですよ?もうその瞬間にギュンッ!!て音がした。びっくりしてたらね、さっきまで囲まれてたはずのオペラオーちゃんがウマ娘の間をこじ開けてズバァーーン!!と走っててねぇ……もうあるんですよねーこういうことってみたいな……」

 

「わかったからリラ。しかも何で稲川◯二風の語りなのよ……」

 

 

 ────ここで時系列は現在へと戻り。

 激闘の有馬記念が終わり新年を迎えての三月。

 今年の皐月賞がそろそろ目前に迫るトレセン学園では、デビューしたてのウマ娘たちの不安と恐怖とワクワクによって、なんとも言えずそわそわとしたような空気感が形成されている。

 そんな学園の練習場にてアドマイヤ姉妹こと、アドマイヤリラとアドマイヤベガは揃って準備運動をしていた。既にクラシックとは縁がない彼女らにとってはいつも通りの、放課後の日課のトレーニングである。

 そしてその最中に突然アヤリが口を開いたという状況なのだが……

 

「何回目なのよその有馬記念の話。他ならぬオペラオー自身にも話したらしいし……」

 

「えー!だってあのオペラオーちゃんの走りすごかったじゃん!一緒に走ってた私としてはもう何度語っても足りないぐらいだよ!?」

 

「……確かにすごくはあったけど」

 

「この語りもオペラオーちゃん喜んでくれたし」

 

「そこはどうでもいいけど」

 

 いつも通りバカなことをしているアヤリに呆れながら、しかし発言自体は否定しないアヤベ。あのオペラオーの有馬記念は、観客席で一人で見ていたアヤベの目にもよく焼き付いていたからだ。

 まさに世紀末覇王。実力が完全に二つ名に追い付いた走りだった。

 

「うーんどうしよう……稲◯淳二だけじゃなくて『語らねばなるまい……』で始まるパターンも用意しとこうかな?」

 

「しなくていいから」

 

 さっそく構想しているのか取り出したスマホに下書きを打ち込み始めるアヤリ。手が塞がっていなかったらそんな彼女を間違いなくドツいていたであろう雰囲気で(たしな)めながら、アヤベはほんの少し脚に気を遣いながら伸脚をしている。

 ……一昨年の菊花賞からのアヤベ脚の不調はまだ続いており、今もリハビリの最中である。相変わらず治療法も原因も、心当たりすらも不明なまま。医者は手を上げ、姉妹は首を捻るしかなかった。

 一先ず現状は、地道に療養を続けていくしかない。アヤベ自身は『起きたものは仕方ない』と素直に受け入れているようだが……。

 

 

「でも……本当にすごかったですもんね。あの時のオペラオーちゃん」

 

 

 閑話休題。

 と、そんな姉の様をアヤリが見つめていた時……ふと隣から声が聞こえた。目を向けてみると、そこにいたのは同じく準備運動をしているおでこが眩しい金髪のウマ娘、ナリタトップロードだった。

 今日の併走トレーニングのためにアヤリが誘い、トップロードも二つ返事でオーケーしていたのである。しかし今の彼女は……出てきた話題のせいか、その時の眩しい顔を見る影もないほどに引っ込めていた。

『しまった』とアヤリが思い、アヤベが『あなたねぇ……』という目を向けてももう遅い。

 屈伸をしながら、ナリタトップロードはいつもの眩しい瞳を(かげ)らせている。

 

「……結局私は、去年は一度もオペラオーちゃんに勝つことができませんでした。皆さんのお陰で出走することができた、あの有馬記念でも……」

 

「トップロードさん……」

 

 あの有馬記念。アドマイヤリラだけでなくナリタトップロードも出走し……そして間違いなく100%を出しきって走っていた。それは、共に走っていたアヤリもよく知っていた。

 しかしそれでも、敵わなかった。

 

「……いつの間にか、どんどん強くなっていっちゃいましたね、オペラオーちゃん。なんだかもう、本当に追い付けなくなってしまっているような気がします」

 

「…………」

 

 有馬記念で敗けてしまったのも、ファンの期待に応えることができなかったのも、それはアヤリも同じ。

 しかしあくまで去年から参戦したアヤリと……そして一昨年にリタイアしてしまったアヤベとも違い、トップロードは姉妹が分割した二年間をずっと一人でオペラオーに挑み続け、そしてその背中を見続けたのだ。悔しさは二人とは比べ物にならないだろう。

 ……姉妹ともそれを理解しているので、何も言ってやることができない。

 そうして場の空気は重くなってしまう。

 

 ……だが、

 

 

「でも、だからといって脚を止めるつもりはありませんよ」

 

「え?」

 

「こんな私でも、まだ信じて応援してくださる方がいるんですから!その方たちの期待には応えたいですっ!なにより……私自身もまだ諦めてませんから!」

 

 

 そう言ってみせたトップロードの顔は……彼女の学友たちが好いている、いつも通りの真っ直ぐな笑みだった。

 その表情にアドマイヤ姉妹も安堵する。

 

「もちろんですともっ!私たちでいつか絶対オペラオーちゃんを倒すもんね!」

 

「えぇ!なにより……オペラオーちゃん自身が、私たちを待っているでしょうからっ」

 

「ようしっ!では今ここに『オペラオーちゃん倒し隊』を結成しようか二人ともっ!」

 

「はいっ!」

 

「いや恥ずかしいんだけど……しかもそれ一年前からとっくに結成されてるようなものだし……それに私はまだレースに出れないし」

 

「もうお姉ちゃんグダグダ言わないの!では、今ここに結成の挨拶を────」

 

 

『おーーいっ!!トップロードーっ!!」』

 

 

「はひいっ!?」

 

 

 今まさに『オペラオーちゃん倒し隊』が産声を────上げようとしたまさにその時、声が割り込んできた。今度のそれはアドマイヤ姉妹には聞き覚えの無い声である。

 声のした方に(特にトップロードは)急いで目を向けてみると……彼女らが立っている練習用コートのちょうど対面に位置する場所に、そのウマ娘は立っていた。

 カーリーボブの鹿毛を風になびかせており、大きく口を開けて大きく声を出している。その口からは微かに八重歯が見え、佇まいからもかなりワイルドさを感じさせるようなウマ娘だった。

 その容姿にアドマイヤリラの脳内ネットワークに一つのヒットがあり、隣のアドマイヤベガの耳元へ顔を寄せる。

 

「ねぇお姉ちゃん、あのウマ娘って確か……」

 

「確か、ジャングルポケットさんね。去年のホープフルステークスで2着になっていた……」

 

「だよね!?」

 

 アドマイヤベガも同様だったらしく、妹の問い掛けに淀みなく答えていく。

 思わぬ場面で今をときめくウマ娘、後輩が登場してついアヤリはテンションが上がってしまう。

 

「……奥の方にいるのは、1着になったアグネスタキオンさんかしら?」

 

 続いた姉の言葉を受けて注視してみれば、ジャングルポケットの近くには、他にも真っ黒なウマ娘やペコペコと頭を下げている丸っこいウマ娘の姿もあり(さすがにこの二人の名前までは知らない)……更にその後ろの観客席にあたる所には、アヤベが言った通りノートパソコンを広げた白衣のウマ娘、アグネスタキオンの姿もあった。

 ……覇王世代のように、何かしらのグループなのだろうか?彼女らは。

 ともかく、そんな彼女らはナリタトップロードに用があるらしい。トップロードは少し悩んだ様子を見せてから、やがてアヤリたちに後頭部が見えるくらいまで頭を下げる。

 

「す、すみませんアヤリちゃん……あの娘、私のルームメイトのポッケちゃ……ジャングルポケットっていう娘なんですけど……呼ばれたみたいなので、行ってきても良いでしょうか……?」

 

「もちろん全然良いよ!私たちはいつでも併走できるし!可愛い若人の元に行ってあげてトップロードさん!」

 

「あ、ありがとうございますっ!この埋め合わせはいつか必ずしますのでっ!」

 

 本当に申し訳なさそうに謝るトップロードを前にしては、アヤリも直前の気分を変えるのは別にやぶさかではない。

『リラも若いじゃないのよ』というアヤベの突っ込みはガヤに消えつつ、トップロードはもう一度頭を下げながらジャングルポケットたちの方へ走っていった。

 

 ……こうして、場は姉妹だけの空間となる。

 アヤリは自分の髪の毛を軽く手櫛で()きながら、

 

「ちぇっ、トップロードさんが取られちゃったから『オペラオーちゃん倒し隊』は結成し損ねちゃったなぁ。まぁ、それなら次はドトウちゃんがいる時にも持ち出して『ネオ・オペラオーちゃん倒し隊』にすればいっか♪」

 

「しなくていいから。しかもそれだとオペラオーが強化されてるみたいじゃないのよ」

 

 あと手櫛は髪が痛むからやめなさい、えーだってー、なにが『だって』よリラの髪は綺麗なんだから、えっ私の髪綺麗なの!?うへへお姉ちゃんに褒められた~、ちゃんと話を聞きなさいよ、じゃあ今晩お風呂上がったら久しぶりにお姉ちゃんがブラッシングしてよ、なにが『じゃあ』なのよ……それに久しぶりもなにも三日前にやってあげたばかりでしょ……まぁいいけど。

 

 そんな会話をしてから、アヤリはその場で二回ほどジャンプする。脚はもちろんとして、足首や踵の調子も問題はない。

 このままだと永遠に姉と雑談してしまいそうになるので、早く走り始めなければ。時間も有限なのだ。

 走り始める直前。一応の確認のように。アヤリは首を後ろにやり、アヤベの方を見た。

 

「……じゃあ、私はそろそろ走るけど……お姉ちゃんは?どうするの?」

 

 妹の視線を受けると、アヤベはしゃがみ込み自分の腿を何度か揉む。そして……やはりというように、小さく首を振った。

 

 

「……いえ。今日もやめておくわ。まだ無理はできないし」

 

「……そっかぁ」

 

「なにより、私に合わせてたらあなたの練習にならないと思うから」

 

「……私は、お姉ちゃんと走れるならいつでもどこでも楽しいんだけどね?」

 

「あのね……『楽しい』で判定しないの。あなたはもうトゥインクルシリーズのレースウマ娘なのよ?これから結果を出していかなきゃいけないんだから、しっかりとした練習を────」

 

「はいはいわかってますって!」

 

 

 いつものガミガミとした説教が始まろうとした瞬間、アヤリはにぱっと笑い、逃げるが勝ちと言わんばかりに走り出す。

 

「じゃお姉ちゃん!いつものようにお願いっ!」

 

 言いながらポケットから何かを取り出すと、すぐさま姉に向けて放る。

 それは黒色のストップウォッチだった。不意を突かれつつもアヤベはなんとか受け取る。

 

「それじゃっ、あでゅー♪2000メートル秒後にお会いしましょー♪」

 

「……もう」

 

 ピッ、とアヤベの指とデジタル数字が動き始めた音を聞いてから、アヤリは本格的にスピードを上げた。

 足裏から伝わる地面の振動。頬に当たる新春の風。それらがアヤリをレースの時間へと導いていく。

 

 

 ────その瞬間。

 アドマイヤベガの姿が完全に視界から消え、そしてアヤベからも自分の背中から見えなくなったと判断してから。

 

 アドマイヤリラはさっきまで浮かべていた、にぱっとした笑みを顔から消していた。

 代わりに……彼女にしては不似合いな、無表情を浮かべている。本気になったが故ではない。その無表情は……まるで顔の色を全て落としたようなものだった。

 

 広く長いターフを、たった一人でアドマイヤリラは走り出している。

 

 ……そう、一人。

 

 

 一人だけで走り出す。……それはとても珍しいことだった。

 近頃は、走る時はほぼ必ずテイエムオペラオーかメイショウドトウ、ナリタトップロードの内の誰か、もしくは全員と合同で走っていたのだから。

 

 

 ……なによりも。

 

 アドマイヤベガが不調でダウンするまでは、姉妹で一緒に。

 競い合うように、高め合うように走ることが、当たり前となっていたのだから。

 

 

 姉と入れ替わるようにして、一人きりでレースの世界に脚を踏み入れ、早一年。

 

 

(……つまんないなぁ)

 

 

 ふと気づいたときには、アドマイヤリラは前方に、勝負服で走る姉の幻を見ていた。

 

 

『いつか必ず、お姉ちゃんと同じ舞台に立って、そしてお姉ちゃんに勝つ』

 

 

 アヤリの夢が叶うのは、まだまだ先のようである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そうして季節はあっという間に過ぎ────皐月賞が終わり日本ダービーが終わって……トレセン学園ではセミの鳴き声と共に夏合宿の季節となっていた。

 そんな合宿所へ向かうバスの中にて。

 

 

「ふっふっふ……!さぁオペラオーちゃん、カードを引くが良いよ……できればジョーカーをね……!」

 

「はーっはっはっはっ!残念だねアヤリさん!覇王の手にかかれば、ジョーカーを避けることなど容易いことで……なにぃ!?ジョーカーだって!?」

 

「おやおや、見事に引いちゃったねぇオペラオーちゃん♪」

 

「あぁなんということだ……!覇王の輝きはジョーカーをも引き寄せてしまうというのか……!では次はドトウがボクから引く番だよ!」

 

「は、はいぃ~!わ、私はまず一枚でも手札を減らさないとぉ……きゃあぁ~~!?じょ、ジョーカーが来てますぅぅ!?」

 

「ありゃりゃ、運が悪いねぇドトウちゃんは。じゃあ私はこの隙にドトウちゃんからカードをもらって……あれぇジョーカーなんだけど!?」

 

「まったく情けないなぁ二人とも!ではやはりここは、覇王であるボクが2位抜けを……なにジョーカーだとっ!?」

 

「ドトウはともかく、リラとオペラオーはもうワザとやってるわよね?さっきからジョーカーだけで何周してるのよ」

 

 

 バスの中ではウマ娘たちはそれぞれ思い思いの席に座り、思い思いの方法で合宿所までの時間を潰している。

 かくいう覇王世代の面々は、バスの最後尾にあたる五人が座れる座席にてトップロードが持参していたトランプで『覇王ズババ抜きデスマッチ』をしていた。ちなみに座っている順番は本人たちから見て左からアヤリ(窓側が良いと断固として主張)、アヤベ、オペラオー、ドトウ、トップロードである。

 今はトップロードは早々に1位抜けしており、アドマイヤベガは参加を拒否したのでオペラオー、ドトウ、アヤリが(時々席を移動したりしながらの)三つ巴状態だ。

 

「さて、だ。そろそろ情報共有をしておこうじゃないか」

 

 そんな中で。出し抜けにオペラオーが口を開いた。

 

「なにが?あと次オペラオーちゃんが引く番だよ?」

 

「ああ、すまない」

 

 そしてアヤリの指摘でカードを取り、六回目のジョーカーにさすがにほんの少し唇の端をピクピクとさせる。……あまりにしつこいファン(ジョーカー)にはさすがのオペラオーも困惑が強いようだ。

 

「……それで、情報共有というのは何についてなんですか?」

 

 前の座席の背中に取り付けられている折り畳みテーブルに置かれたじゃがりこ(皆で分け合う前提でトプロが買っていた)を一つ摘まみながら、切れた会話の糸を結び直すトップロード。

 それを受けて「そうだったね」とオペラオーが表情を真面目なものに戻す。

 

 ……ちなみにこの間にトップロードが食べていたのに触発されたのか、アドマイヤ姉妹が

 

 

「お姉ちゃんお姉ちゃんっ、私もじゃがりこ食べたくなってきたから食べさせて。ほら、あー」

 

「なんで口開けて待機してるのよ。鳥の雛じゃないんだから、自分で取って食べなさいよ」

 

「今手で食べたらカードがベタベタになっちゃうじゃん。一応これトップロードさんのカードだよ?それにお姉ちゃんの方がじゃがりこまで近いんだから。いいから、ほらっ」

 

「もう……はい、あーん」

 

「あー……はむっ。んーっ、美味しいー!やっぱじゃがりこはサラダ味が至高ですわ~……!」

 

 

 というようなやり取りをしていたのだが特に誰も気にしていなかった。

 閑話休題。ジョーカーがある手札を混ぜながら、オペラオーは話していく。

 

「知っての通り、今年のクラシックレースも既に後半戦に入っている。三つの冠の内の二つが終わったのだからね。そこでこれまでのレースを通して、ボクたちの玉座へと駒を進められる勇者がいるのかどうか……何人かピックアップし、共有しておきたいと思ったのさ!」

 

 なるほど、とオペラオーの提案にその場にいた者が頷く。

 テイエムオペラオー、メイショウドトウ、ナリタトップロード、そしてアドマイヤリラ。一昨年、昨年までは自分のために、そして『黄金世代』を追いかけるために走っていた彼女らも、今年は明確に追いかけられる側となるのだ。

 なれば、自分達に刃を向けるチャレンジャーとなり得る後輩たちの情報共有は必須と言えるだろう。……自分たちについて、昨年はほぼオペラオーの独走独裁状態だったにも関わらず『ボクたちの玉座』と共に走ってくれたウマ娘も纏める所がまたオペラオーらしい。

 

「では、まずはドトウからっ!」

 

「ふぇぇっ!?わ、私からですかぁ!?……ってあぁーーっ!?ジョーカーも引いちゃいましたぁーー!?」

 

 特に前触れもなくパスされついでにジョーカーともコンニチハしてしまうドトウ。

 ……彼女の勝負運の無さは相変わらずのようであり、持っているカードもオペラオーやアヤリよりも遥かに枚数が多い。

 彼女は目を回しながらも、おずおずと

 

「そ、そのぅ……私なんかが今の方々を評価するだなんて烏滸がましいと思いますので……私は遠慮しておきます……自分のことでまだ必死でぇ……」

 

「ふむ。ドトウとしてはまだ挑戦者のつもりというわけか。まぁ、ドトウがそう思うならそうしておこうじゃないか。いずれその時が来れば、待っている暇すらないからね」

 

「ふぇぇっ!?」

 

「では次はアヤベさんだ!」

 

 無駄に不穏な言い回しをするオペラオーにまた肩を震わせるドトウ。それを余所に、オペラオーは今度はアドマイヤベガへと声を掛けた。

 ババ抜きの様子を眺めていたアドマイヤベガは眉をひそめる。

 

「……いや、私は去年は走ってないし今年もまだ復帰するつもりはないのだけれど」

 

「意見を聞かせてもらえれば良いさ!アヤベさんのことだ、レースのチェックはちゃんとしているのだろう?」

 

 その言葉にしばし間を空けてからため息で答えると、アドマイヤベガは顎に手を当てる。

 ……先の『今年はまだ復帰するつもりはない』という発言のところで、彼女の妹であるアヤリが少し表情を固くしていたのだが……どうやらそれには気づかなかったようだった。

 ともかく、しばらく考えた末に

 

「……私から強いて言うなら……マンハッタンカフェさんかしら」

 

 アドマイヤベガが上げた名は、意外なものだった。「ほう」とオペラオーは声を上げ、アヤリはドトウからジョーカーを引いたのも相まってピコンと耳を動かす。

 

「お姉ちゃん、マンハッタンカフェさんって確か……春ぐらいにポッケさんがトップロードさんを併走に誘った時に、後ろにいた黒いウマ娘だったっけ?」

 

「そうよ。……というか、あなたにしてはよく覚えてたわね……」

 

「弥生賞の頃から不調により戦績が振るわず、そのまま休養に入ったと聞いていたけど?」

 

 オペラオーの言葉にアヤベは視線を合わせる。

 

「えぇ。でも最近になって復帰できるようになったみたい。……模擬レースや練習を見ていてもポテンシャルがあるのは感じるし、たぶん夏で伸びるタイプだと……私は思うわ」

 

「なるほど」

 

 現段階では幽霊のように存在を感じさせない彼女だが……果たして夏を過ぎればどうなっているのやら。

 その名を改めて脳に刻んでから、オペラオーは次にナリタトップロードの方へと顔を向けた。

 

「では次はトップロードさんの番だよ!」

 

「私ですか?私は……うーんと」

 

「オペラオーちゃーん?カード引くのはオペラオーちゃんの番だよ?」

 

「おっとすまない」

 

 またまたジョーカーがオペラオーの手に渡った辺りで、トップロードが口を開いた。

 

「私は、やっぱりポッケちゃんだと思います!」

 

「ポッケちゃん……ジャングルポケットさんか!そういえばトップロードさんのルームメイトだったね!」

 

「はい!今年からトゥインクルシリーズに入って……キャリアが短いのに、どんどん成長していってるのがわかるんです!この前のダービーでもすごい走りで、ダービーウマ娘になってみせましたしっ!」

 

 ダービーウマ娘、という単語にアヤリの眉が動く。

 ダービーウマ娘……それは彼女の姉である、アドマイヤベガも手に入れた称号。

 

 そしてアドマイヤリラも、できることなら掴み取りたかった称号だった。

 ……彼女の場合は力及ばず……脚が及ばず勝てなかったのだが。その日はレースの後に両親が、夜に姉がベッドの中でずっと慰めてくれたのを覚えている。

 

「…………」

 

 オペラオーのカードを引くドトウから目線を外すと……ちょうどアヤリの右斜め二つ前あたりの座席から、控えめにウマ耳が生えていた。座席の位置を決める時に軽く見ただけだが、確かちょうどあそこが……。

 物陰から顔を出す時のように、アヤベの膝に上体を乗せながらアヤリは身を乗り出した。『リラ?どうしたの?』というアヤベの声を無視しながら顔の位置を動かす。

 すると思った通り、座席と重なるようにジャングルポケットの横顔が仄かに見えてきた。

 特に誰かと話している様子はなく、無言のまま手元のスマホに目を落としている。頻繁に画面をスワイプさせているようだが、さすがにここからは何をしているのかまでは見えない。……案外、自分のエゴサーチでもしているのだろうか?

 

「…………」

 

 そんな彼女────ジャングルポケットが、今年のダービーウマ娘。

 僅かなキャリアでありながら、アヤリが喉から手が出るほど……もはや体全てが手になってしまうほどに欲しがっていた『ダービーウマ娘』という称号を手に入れ、間違いなく『最強』であることを示したウマ娘。

 ……なのだが。

 

 

 ────あくまで、アヤリ個人の感想に過ぎない。所詮は斜め後ろのあたりから見ただけで正面からしっかり見定められていたわけでもない。

 ただ……そんなウマ娘の横顔を見ていて、アヤリは一つの感想を抱いた。

 

 

(……なんだか、苦しそうだな。ポケットさん)

 

 

 

 

 

 

 

 

「さぁさぁ!次はアヤリさんの番だよ!」

 

「えっ?」

 

 なんてことを思っている所にオペラオーの声が意識に割り込んできて、アヤリは体勢を元に戻した。

 見ると、既に後輩ウマ娘発表の順番も、ババ抜きの順番も回ってきていたらしい。テイエムオペラオーが視線を、メイショウドトウがカードをアドマイヤリラに向けていた。

 

「アヤリさんは、誰に特に注目しているんだい?」

 

「え~?うーん、注目してるウマ娘かぁ……」

 

 脳の片方で引くカードを考えながら、もう片方の脳で質問の答えを組み立てようとする。

 ……困った。正直、現時点では後輩ウマ娘たちに対して、アヤリは特段興味を持っていなかった。というか、興味を持つ暇がなかった。

 なにせ既にクラシックを過ぎて一年走っている他のメンバーと違い、彼女は去年ようやくクラシックと有馬を走り終わり、あっぷあっぷしていたのだ。まだ自分のことで精一杯だったのである。

 さて、どうしたものか……。

 

「あまりピンと来ないなら『走りたいと思ったウマ娘』で考えると良いかもしれないよ?」

 

「走りたいと思ったウマ娘……か」

 

 新たな検索ワードを脳に打ち込む。そうして考えていくと……いや、そのワードを打ち込まずともいずれは。

 結局いくら考えようとも、この手の質問でアヤリの脳内に浮かぶウマ娘は……たった一人だった。

 

『囚われている』と言い換えてもいいほどに、そのウマ娘しか出てこない。

 

 

「…………」

 

 

 静かに、アヤリは隣を見る。視線の先にいるウマ娘は────

 

 

「……?リラ?」

 

 

 だが『彼女』が視線の意味を悟る前に、アヤリはオペラオーの方に向き直り、いつも通りを心掛けた、にぱっとした笑みを浮かべた。

 

 

「うーん、やっぱり私もドトウちゃんと一緒でパスかな!私もまだまだ他の皆を評価できるほどキャリアを積めた訳じゃないし……何より、まずは覇王サマを倒さないとね!」

 

「はーっはっはっはっ!さすがはアヤリさんだ!未熟なことを自覚しながらも、尚このボクに立ち向かわんとするその意志!いやはや、アヤリさんとて既にボクたちと同じ領域に立っているとも!」

 

「あっはははまさかぁ、私はまだまだですよ覇王サマ。なにより、相手が高みにいるからこそ、引きずり下ろすのが楽しみなんじゃん♪」

 

「はーっはっはっはっ!!」

 

「あーっはっはっはっ!!」

 

「……バスの中で高笑いしないで。リラも、無理にオペラオーのノリに付き合わなくて良いから……」

 

「え、でもアヤリさん無理はしてなさそうですけど?むしろ楽しげなような……」

 

「言わないでトップロードさん。お願いだから」

 

 

 そんな感じにいつも通りのやり取りをしながら、覇王世代の面々を乗せたバスは合宿所へと向かっていく。

 

 窓から広がるのは、雲一つ無い夏らしい青空が。だがそれを見つめるアヤリの心には……仄かな曇り空があった。

 

「あ、あのぅ……アヤリさん、カードを……」

 

「え?あっ、ごめんねドトウちゃん」

 

 おずおずとしたドトウの声に、アヤリはその雲を霧散させてカードを引く。

 

 ……ようやくループから抜け出せたらしい。

 

 手元に来たカードは、スペードの9だった。

 

 

 

 

 

 





また更新が遅くなってしまい非常に申し訳ありません。
後編はなるべく早く出せるようにします。


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