東方空狐道   作:くろたま

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落とし穴で会いましょう

 

 

「何、これ……」

 

広大な竹林の、ぽっかりと開けた少し薄暗い広場のような場所で、妖怪兎、因幡てゐは呟いた。彼女の前にあるのは巨大な穴、竹林にこんなものが突然あれば、それは驚くだろう。だがてゐが驚いているのは穴そのものではない。そもそもこの穴はてゐが仕掛けた落とし穴だったのだ。穴の直径は5~6m…こんなものに嵌まるものはそうそういない。落とし穴に使ったカモフラージュの蓋も相当なもの、そこいらの妖怪や人間が落ちるような強度ではなかった。てゐ自身も、仲間達が正気だったころ、彼らと協力して半ば冗談で作ったようなものだった。

 

てゐが見下ろす穴の底、そこでは、黒い何かが蠢いている。霧状の闇が後から後から噴き出し、黒い何かの特定を許さない。穴の側面の壁は噴き出す闇に侵され、ぼろぼろと崩れはじめていた。

ただ、その霧状の闇にはてゐも覚えがあった。竹林を覆っている気持ち悪い空気、その空気を凝縮したようなそれ。こいつだ、こいつが竹林をこんなにしたんだ。そんな確信に満ちた予感が、てゐの心中を駆け巡る。

 

そんな奇怪な物体を見下ろすてゐの背中に、ウカノは声をかけた。

 

「なんじゃこりゃ。この落とし穴も因幡が作った罠なのか?」

 

「そーよ。まさか引っかかるやつが居るとは思わなかったけど。あからさまに地面の色とか違ってたはずなのに……って、あんた、なんでここに居るのよ!」

 

なんでもない声に答えるようになんでもない風で返事したてゐだったが、声をかけたのがウカノだったことに気づき、ずさっと飛びのいた。ウカノはそれを気にした風もなく、穴に近づきながら言った。

 

「なんだ。いちゃ悪いのか」

 

「いや、悪いもなにも、あんたも私の罠にひっかかってたままのはずじゃ」

 

「あんなもの、空でも飛べれば簡単に抜けだせるじゃないか…そもそもあれで捕まえられたーとか思ってる方がどうかと思うぞ」

 

「…それもそうね」

 

ウカノはうんうんと頷くてゐに少し呆れながら、今度は真剣味を増した眼差しで穴の底へと目を向けた。そして、その虚ろな何かの姿に少し不機嫌そうな声を漏らす。その眼の瞳孔は一時だけだが縦にぱっくりと割れていた。もしもてゐが真正面からそれを直視していれば、背筋が凍る思いをしたことだろう。

 

「罠云々はおいといて、だ。因幡が言ってた犯人?ってのはこいつのことか?」

 

「多分、そうね。よくよく考えてみれば、この竹林中の妖怪を狂わせるにしてはあんたの力は弱すぎる。その点、こいつなら中妖怪ほどの力はあるみたいだし、特徴もそれっぽいわね。気持ち悪い空気噴き出してるところとか」

 

「俺の疑いが晴れたようで何よりだ。てかさ…こいつの方も落とし穴にはめてるだけじゃ出てくるんじゃないか?」

 

これからどうするんだ、とウカノはてゐに言外に眼で聞いた。てゐはちっちっと指をふると、踵を返しそばの茂みに潜り込んだ。

 

「ふふん。これで終りなんて思われちゃ困るわ。………てゐっ」

 

気の抜けた掛け声とがさがさという音とともに、竹林のあちこちから竹が山なりにひょんひょんと飛び出した。それらは先が斜めに切り取られており、鋭利な先端を呈している。所謂竹槍と呼ばれるものだ。十数本の竹槍は、狙い過たずぽっかりと口を開いた落とし穴に飛び込んでゆく。

落とし穴そのものは冗談で作った物だったが、この仕掛けから分かる通りてゐはそれに手を抜いたわけでははなかった。悪い戯れと書き、イタズラと読む。非常に不真面目ながら、てゐがそれにかける情熱はたちの悪いことに至って真面目なものだった。

 

総計六十七本。それらの全ての竹槍が一本の狂いなく穴の中への爆撃を完了する。

 

そして竹槍の雨が止んだかと思うと、ウカノとてゐのいる場所の反対側からばきばきと竹をへし折りながら巨大な岩が出現し、それも一部の狂いなく穴へと吸い込まれるように落下した。ごぼんと、計ったようにぴったりのサイズの岩が、みしみしという音とともに穴に落ち込んでいる何かを押し込んでゆく。きっとその断面図を横から見ればとても愉快な光景を堪能できることだろう。

 

「おぉう」

 

「ふははー。見たか、私の渾身の落とし穴!」

 

ウカノの身代わりを引っかけた時のような勝ち誇った表情で、てゐが茂みから出てきた。その顔にはある種の達成感も垣間見える。

 

「凝りすぎだろ。既に落とし穴と呼んでいいのかどうか怪しいな。こいつや、その他もろもろは君が一人で作ったのか? かなり大掛かりだったが」

 

「んーん、仲間が息災だったころに協力して作ったわよ。まぁ、あたし主導だったけどね」

 

「さいで。楽しそうで何よりだ。そういや、仲間が全員イッちゃってて、それでなんで君だけ無事なんだ?」

 

「ふっ。それはおそらく、あたしが兎一倍健康に気を遣ってるからだね。早寝早起き一汁一菜生涯悪戯!」

 

「え、別に関係なくね?」

 

「健康優良兎なめんな!」

 

実際は当たらずも遠からずである。

この竹林に在り、しかし他の兎とは違ってこれまで狂わなかったのは、てゐが兎、はたまた他の妖怪の中でも、最も我が強かったためだ。てゐは妖獣でありながら、その種族ゆえか長生きをしていながら、反面非常に力が弱い。妖怪兎の中では強いが、あくまでどんぐりの背比べ、他の妖怪で比較してしまえばその力は下位に位置する。

しかしちっぽけな力とは打って変わって、精神面では竹林の誰よりも強靭だった。てゐ自身も気づいてはいなかったが、異変の元はてゐの精神に異常をきたす前に完全にレジストされていたのだ。

 

「あ、そういや、あんたあたしのこと知ってんの? さっき言いかけてたけど」

 

けたけた笑っていたてゐが、ふと笑いを引っ込め真面目な顔でそう言った。

 

「『因幡の素兎』の話は、聞いた事があった。その筋じゃそこそこ有名だな」

 

「……あたしの話知ってんのは神連中ぐらいのはずだけど。『その筋』って、ようは神の情報筋じゃん。なんで一介の妖怪が知ってるわけ?」

 

「あー……そっか」

 

ウカノは頭をかきながら、首をめぐらせて自分の背中を見た。白い三本の尻尾、それら全てが実体化されている。ウカノが自分が追っているモノに気づかれることを懸念して、神力も禍気も隠し、妖力もぎりぎりまで抑えていたため、てゐはウカノを自身と力の差も大してない妖怪だと見ていたのだ。それゆえ、ウカノを罠に引っ掛けて姿をさらけ出した後もそれほど警戒はしていなかった。

しかしここにきて、てゐは自身のことを知っているウカノに少し不審を覚える。

 

「…あんたやっぱり怪しいわ。そもそもあんたこの竹林に何しに来たわけ?」

 

「『これ』を追いかけてた。竹林に入った痕跡が残ってたからな、この辺りの捜索をしてたんだ」

 

ちらとウカノが視線を向けた先には、穴にぴったりと嵌った岩がある。そのあまりの型はまりゆえに隙間などほとんどなく、岩の下がどうなっているかはさっぱり窺えない。先ほどまでは下の何かを押しつぶすようにじわじわと沈んでいたが、それも今は不気味に静まっていた。ウカノの『これ』とは無論岩の下にいる何かである。

 

「何で追いかけてたわけ?」

 

「好奇心、危機感、既視感、動機はそんなところだったかな。当座の目的は、目標の特定及び、場合によっては討滅…話し合いでも出来れば、それがよかったんだけどなー。まぁ、正直それも無理くさい」

 

「…はっきりしないわね。その答えじゃ結局あんた自身の願望は不明瞭だし、あんたが何なのかも分かんない。あたしみたいに、仲間のために、とかじゃないみたいだし」

 

「意外と頭回るんだな」

 

「意外と、は余計よ。それで?」

 

「……こっからずっと西の方にある友達の住処が荒らされててな。出入り口が壊されたものだから、そいつがこっちに出て来れなくなったんだわ。それはー、まぁ時間が解決してくれるから別にいいんだがな、問題はその住処がそう簡単に壊せるようなモノじゃなかったってことでさ。そんな力の強いやつが、意志無く無秩序に暴れ回ってるようじゃ俺としても都合が悪くてな? これはいかんてことで、狼藉者を捜してたんよ」

 

「で、その狼藉者はこの竹林を荒らして、あたしの罠につぶされたやつと同一っぽい、と。それにしても、ようは力の強いやつを倒すってことでしょ? あんたの力じゃ到底不可能だと思うんだけど」

 

「いや、今はこんなんだけど、俺わりと強いよ?」

 

ふーん、とまったく信じてなさそうな顔で、てゐはウカノから視線を外し、元落とし穴に歩み寄った。そして穴から少し飛び出ている岩の頭に乗り、がつんと蹴りつけた。その程度では岩もびくともせず、不動を貫いている。いつの間にか、岩と穴の隙間からはひゅうひゅうと風が抜けていた。

 

「でも、結局こうなってるわけだし、あんたのやることはもうないんじゃない?」

 

「それで終わってれば、な。」

 

「え、あんだけやったのに? まさかぁ。この岩の下でぐしゃぐしゃになってるよ」

 

怪訝な表情でそう言うてゐに答えず、ウカノは天頂にある太陽を見上げた。先刻までは竹に阻まれはっきり見えなかったが、開けたこの場所ならよく見える。そう、今日は雲に阻まれることもなく、太陽は地上を照らしている。

しかしそれでも

 

「ここ、少し暗くないか?」

 

「はぁ? 何言って」

 

急に脈絡もないことを言うウカノに眉をしかめながら、てゐも反射的に周りを見回した。そして、次の言葉を失う。

 

「影が、ない?」

 

少し寒いものを感じ、てゐは身体を震わせた。

影は光が物に遮られることで必然的に作られる。今空で輝いているはずの太陽とは切っても切れない関係と言ってもいい。しかし、今ここは太陽が天に見えていながら影はこの場の薄暗さに飲み込まれていた。いや、そもそも日光を遮るものが何もないこの開けた場所において、『薄暗い』などという表現出てくること自体がまずおかしい。

 

「それに、最初より少し暗くなってきてる。どうも竹林に攪拌してたものがここに集まってきてるみたいだな。正直、嫌な予感しかしないぞ。…おーい、そっから早く降りろ」

 

ウカノの言葉に頷き、てゐが登っていた岩から飛び降りる。それと同時に、岩の間でひゅうひゅうと鳴いていた風が轟と唸った。てゐがその音に面食らって振り向くと、黒いものが次から次へと岩の隙間へ吸い込まれていく光景がそこにあった。

 

「な、な、なん」

 

「『なんじゃこりゃー!』?」

 

「言ってる場合か!」

 

二人が二言三言交わす間にも黒い風は絶え間なく下へと吸い込まれてゆき、それに伴い岩が少しずつ盛り上がってゆく。同時に、希薄だった気配も加速度的に増していった。それも、落とし穴に落ちた時は中妖怪程度の力だったそれは、大妖怪の力すら越えつつある。より強固に濃密に、聖地を破壊した狼藉者の本領発揮といったところか。

 

「やばい、やばいって! 逃げるわよ!」

 

「離れた方がよさそうだな」

 

ぴしりと、巨大な岩に入った亀裂を見て顔を青くしたてゐが叫んだ。文字通り脱兎のごとく走り出すてゐの背中を、ウカノも追いかける。まさにその時、二人の後ろでバカァン!と爆音が響いた。その有様はまさに噴火のごとく、降り注ぐ弾丸と化したばらばらに砕けた岩が竹林に襲い掛かった。

 

「なわーーっ」

 

無論いくつかは二人にも襲い掛かり、しかし直撃する前に妖力弾で撃ち落とされる。そこでようやく飛ぶ事を思い出したてゐが、空に浮かび上がった。

澄み切った雲ひとつない空で、てゐが一息つく。不自然な暗闇は上空までは覆っておらず、太陽光が素知らぬ様子で燦燦と降り注いでいた。

 

「あれだな。ようやく出てきたみたいだ」

 

てゐと同じく空に上ったウカノが、竹林の一点を指差した。そこは先ほどまでいたはずの開けた広場のような場所で、靄のような闇がそこを取り巻いている。しかしその靄の中心で、殊更に黒い塊が蠢いていた。既に不明瞭なカタチを脱し、一個の化け物がそこにたたずんでいる。

 

「うわぁ……」

 

てゐが心底嫌そうな声を漏らすとともに、それが呻き声を上げる。

 

「ギ、■ギギ■、ギ■」

 

それはノイズ混じりの、錆びた金属と金属を擦り合わせたような妙に濁った音だった。きっとそれが、その異形の鳴き声なのだろう。

ウカノは異形の、十二本足のシルエットを目に留めて、殊更不機嫌そうに眉根を寄せた。

 

 


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