小さなダイヤは愛の為に 作:あぐらら
――"終わり"というのは唐突に訪れる。
……僕の後悔はきっと、あの日からずっと続いている。護ったと思った彼女に、逆に護られてしまった日。僕の犠牲だけで済む筈なのに…考え足らずで、彼女の思考方向を考慮しなかった僕の責任だった。
諸行無常とは残酷だ。不変なんか有り得なかった。僕達は彼女という支柱に縋れなくなって、みんな、勝手に自立した。間違いを犯して、自分自身を顧みなくなった。
ルビーはもっと自分を装うようになった。元から無意識に『星野瑠美衣』を演じていた彼女は、その殻がもっと分厚くなってしまった。
明るく天真爛漫で、まるでアイドルのような存在を意識しているのが目に見える。
そしてアクアは復讐に取り憑かれた。彼は最初からずっと
あの時の『痛み』は未だに僕の夢を犯す。…別に、痛みなんかどうでもいい。ただ…心配で不安になるんだ。僕と同じように、彼女も夢の中で幻痛に苛まれていたらと思うと…こんなにも、意思疎通を図れないことなもどかしい。
何年経っても、やっぱり僕の後悔は晴れないんだ。
だから
これはアクアの感情なのか、ルビーの本性なのか。僕自身の一面なのかもしれないし、
もう、自分自身すら解らない。
―――――――――――――――――
彼女の二十歳の誕生日であり、彼女にとっての念願とは言い難いが、苺プロ社長の壱護が夢にまで見たドーム公演の日だ。
それを彼女の目指す一旦の休止点にして、これが終わったら大切な予定がある。その為の準備も進めていたのだ。
ちょっとした家族間パーティを計画しているのだ。ダイヤにも協力を頼み、今日という日をアイにとっての特別で唯一無二にすると意気込んでいた。
端的に換言するならば、『愛』を伝えたいのだ。アクアとルビーに、これまで言えなかった言葉を沢山告げたい。
そんな慣れない気恥ずかしさも誕生日であれば誤魔化せると、アイの拙い思考が導き出していた。
昨夜まで
ダイヤもまた、隣でルビーとアクアが寝ているベッドから起き上がり、つられたように欠伸をする。
「ふぁ……眠い……おはよ」
「おはよう、ダイヤ。…今日はお願いね?」
「うん、どーんと任せてよ。最高の日にしてあげるから、アイもドーム頑張ってね」
彼の何処と無く自信のある物言いは準備に掛かった手間故だ。彼女の誕生日であり、ドーム公演という偉業を成したのだ。ダイヤとては妥協していない。
そして、きっと成功すればアクアやルビーにとっても最高の日になる筈だ。
他者の思考を読むのに長けた彼には確信があった。
「………二人でなにやってんの?」
幼い声に似合わない、冷静さを含む声が聞こえる。態々思考を凝らすまでもなく、アクアの声だ。不思議そうな表情はコソコソと話す二人に向けられていた。
今計画はサプライズ要素も含む為、ここでバレるのは本意ではない。即座に
「おっはー、アクア。今日の晩御飯について話しててさ。
「……へぇー」
「さーて、私もそろそろ準備しないとなぁ。あっ、その前にツイートしないと…『今日のドーム楽しみ〜〜』っと」
声に疑いが滲む。然し二人の"嘘吐き"が然もありなんといった様子で誤魔化す故に、結局、アクアには彼女達の企みが分からなかった。
アクアの怪しむ視線を受け流し、アイは携帯端末を操作する。定期的なツイートは斉藤壱護からの指示だ。ただでさえ、彼女は殆ど私情を明かさない質なのだ。せめて目に見える
――ピンポーン。
唐突に玄関チャイムが響く。
「あれ、誰だろう」
「んー…、もしかして
辟易とした返事を聞き流し、アイとダイヤは玄関に向かう。そも、ここに訪ねてくるのも斉藤壱護か妻のミヤコくらいだ。
それくらい、アイとその子供に関しては秘密にされているのだ。故に、誰も
鍵を解きドアを開けると、見知らぬ男が立っていた。
黒いパーカーと、影を内包して顔を隠すフード。両手には花束が抱えられているが、アイもダイヤもその人物を知らない。互いに顔を見合せて、首を傾げるばかりだ。
そんな様子を気にした様子もなく――否、寧ろ早口で自分の言葉を一方的に投げつけるように、その男は口を開いた。
「アイ…………ドーム公演おめでとう。
「「っ…!」」
震えた声には怒りが滲んでいる。
悪寒、とでも言うべきか。形容し難い"嫌な予感"は花束の中で鈍く光る
危険人物であることは見て取るに容易い。
「ッ…!アイっ、下がって!!」
「こ、このガキ…ッ」
――ナイフがアイを刺す刹那。
たかが三歳児の筋力ではあるが、然し火事場の馬鹿力を侮る事は出来ない。斜め前方に倒れるように全身の力を込め、傍らにあった傘を男の腕に叩き付ける。
ナイフを持つ腕の起動はアイの腹から逸れ、然し
カラカラ、とナイフが床に落ちる音が嫌に響いた。
傷付けられた事に現実感がなかったのか、アイは無意識にも確かめるように少しづつ血が滲み、やがて水漏れのように血が溢れる裂傷を手で押さえ、拙く数歩後退して腰を床に落とす。
「っ!?く…っ!」
「アイっ!!」
傷口は大きいが致命傷ではない。然し、放っておけば大事に至る可能性も大きく――そして男がアイを悠々と眺めている訳もない。
交感神経が興奮し、男の瞳孔が不気味に開く。合理性のない、一時の感情で突き動かされているのだと察せられる。
慣れている筈のない傷害に竦みながらも、決意を固めたのか、男は震える手で玄関脇に置いてある花瓶を手に取る。もう、血に濡れたナイフを使うまでとないと認識しているのだろう。
ダイヤは男の内心を無遠慮に覗き見て――それが
男の最初の言葉には皮肉的な意味を孕むと同様に、並々ならぬアイへと執着と失望、そして
無論、ダイヤは彼の記憶を読むだなんて芸当は出来ない。想像出来るのは、精々幾つかの"可能性"だ。
一つは自己の正当性を謳ってる事だ。
"有名税"という言葉が頭に浮かんだ。有名であるなら、アイドルであるなら、自分達を絶対に裏切るな。裏切ったのであれば、この仕打ちも
自分はこんなにも貴女を想い、金も時間も費やした。だから、それなのに燻る
きっと、そんな自分自身への言い訳にしかならない自己肯定で衝動的に動いているのだろう。
つまり、彼は自分の行為と彼女の苦痛を
そして、もう一つの"可能性"は――男もまた誰かに動かされているに過ぎない事だ。
そも、何故男はアイの居場所と双子について知っているのか。単なるストーカーであればまず有り得ない。社長である斉藤壱護の厳重な管理体制が理由の殆どを占めるが、それでも万全とは言えないだろう。
もしも彼が凄腕のハッカーなのだとしたら、非現実的ではあるが絶対に不可能とは言えない。
でも、やはり
(…コイツ、どうして
アクアとルビー、そして"斉藤大弥"は三つ子のように育てられた。事実、三人の顔立ちは似ているということもあり、勘違いされたことも少なくはない。
それが単なるストーカーであれば、まず
故に、事実を知る誰かからの情報提供は確実にあった。それも、気の弱そうな彼が激情に駆られる程の真実味を帯びた情報が。
思考を回すが、男はそれを待ってはくれない。
数秒後には、手に取った頑丈そうな花瓶でアイの頭を殴りつけるだろう。彼の思考の方向性を理解したダイヤには分かる。今も高まり続けている興奮が恐怖心を上回った瞬間、男は行動に移る筈だ。
――
「――憐れだな、お前」
「…………は?」
「本当に憐れだ。こんな嘘吐きに執着して、他人に唆されて事に及ぶ。滑稽だ、僕を笑わせたいの?一丁前にナイフなんか買ってきてさぁ、素人なりに覚悟を決めたつもりか?現状でビビってるお前が正当性を謳うな、醜い
「…言わせておけば…ッ!こ、この…ガキのクセにッ!!」
「グッ…!ゲホッ、ゲホッ…!!」
蹴り飛ばされ、体が床に叩き付けられる。幸い、男は細身であり体全体の筋肉量も常人かそれより多少劣る程度。極度の緊張感で身が竦んでいる事もあり、ダイヤを蹴り飛ばした所で骨の一本すら折れやしない。
許容範囲の痛みを堪えながら、ダイヤはロールプレイを続ける。時間さえ稼げれば、きっと聡いアクアが既に警察を呼んでいる筈なので、どうとでもなる。
警察は通報されてから届くまでが平均で八分前後と言われているので、ダイヤは約十分程度だけ耐え続ければいいのだ。
視線は向けないが、後ろからアクアの声が聞こえる。アイの応急処置をしているのだろうか。
アイの事はアクアに任せ、ダイヤは冷静と嘘で装い、ルビーの演技力を借りる。
「なぁ、オタク君さぁ。なに怖がってるんだよ?ここまでヤっといて、今更、人を殺すのが怖くなったんだろ?ホント、救いようがないな。もっと自己肯定しろよ、得意なんだろ?嘘吐きに騙された被害者な
「う、煩いッ!煩い煩い煩い!!お前みたいなガキが俺を語るな!お前に俺の何が分かる!!騙されて、蔑ろにされて、どうせ笑われてたんだろ!?……ガキにこの気持ちが分かってたまるか!!」
「ガッ…!う、ぐっ…!…なんだ、蹴るだけかよ。落ちたナイフは使えないし、手に持った花瓶も飾りか?道化を演じているなら大したモンだよ、アンタ」
「黙れ!!」
「っ!?〜〜ッッ!!」
胸を踏み締められ、体内に
肋骨が折れたのだろう。肋骨だけでなく、地団駄を踏むように手も足も頭も、容赦なく足蹴にされている。
(クッソ……煽り…す、ぎた……)
きっと、その純粋な暴力な一分にも満たなかった。
衝撃が止み、目を開けた先には
最期に男の顔でも記憶に刻み込んで、もしまた転生でもあれば復讐してやろうか、と。そんな妄想じみた思考で男の顔を眺めると――
(……ん?…コイツ……前世の
燻る既視感の正体を掴み、そのまま振り下ろされる花瓶の衝撃に備えて――
――重々しい音が
頬に生温かい液体が数滴落ち、耳の横に何かが倒れた音がした。痛みはない。思い切って目を開くと――
「……………………アイ?」
傍らにアイが倒れている。
酷く困惑した表情のアクアが叫びながらアイを揺さぶっている。黒いフードと被った男は何かを叫びながら走り去り、ずっと遠くからはサイレンの音がする。
状況が掴めない。脳が認識を拒絶している。頭がそんな訳が無いと否定して悲鳴を上げている。認識して、受け入れてしまうのが怖かった。
でも、分かってしまった。
「あ、ああ……あ゙あ゙あ゙あ゙ぁぁぁぁぁ!!」
ダイヤの悲鳴も、もうアイには届かなかった。
――――――――――――――――――
それから時間は無情にも流れた。
――中学卒業間近。
一人の女性が眠る病室に、今日も彼は訪れる。何回も、何百回も。後悔を背負い、慟哭を胸に秘め。十年以上もこうしている。今日こそは、と微かな期待だけを頼りに。
「……アイ、もう眠り姫だなんて歳じゃないだろ。………いい加減起きて、アクアとルビーに『愛してる』って直接言ってあげなよ…」
星野アイは目覚めない。ずっと、ずっと。時は流れても、彼女の時間だけはあの日から止まっている。
きっとどの小説よりもリョースケ君が暴れてるだろうなぁと。