小さなダイヤは愛の為に   作:あぐらら

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黒く深く

 

――身を震わす恐怖。

 

双子が経験した()()は、今でも瞼の裏に明確に浮かぶ。頭部から血を流し、まるで魂が砕かれたように動かなくなった母親。

全身を激しく足蹴にされ、体の所々が不自然な方向に曲がり、顔面が血で濡れている彼。兄、若しくは弟のようだった彼は見るに堪えない残状だ。

 

操作の効かない恐怖心は震えと吐き気を催させ、精神すらも子供に戻ったかのように無力な自分を晒すばかりだった。

そんな自分に憎悪すら向けて、泣くことも出来ない。浅はかな自分には泣く権利はないとアクアは自分を責める。

 

――何も出来なかった。

 

ダイヤのように自己犠牲で時間を稼ぐ事も、アイのように無心で家族を庇う事も。

 

ずっと、()()()()身の丈にあった事しか出来なかったのだ。斉藤大弥は身を削っていた。あの挑発の意味も、そして――それが二年前の映画での"演じない"という不気味さの演出であったことも、アクアには解っていた。

つまり、アレは斉藤大弥のメソッド演技法で『星野アクア』を演じたのだ。それ故に、()()()()()()()()()()()()()()

 

なのに、アクアの体は意思には反して動かなかった。あの男が去るのを願って、ダイヤが傷付くのを見ている事しか出来なかったのだ。

 

――そして、それはルビーも同様だ。

 

扉を挟んだ向こう側で何が起きていたのか。理解を拒んだ。声を上げて泣く事しか出来なかった自分が、この世界において何処までも弱者であると突き付けられた。

救急隊員によって運ばれる母とダイヤを見て、言葉にも出来ない恐怖で目を逸らした。現実を認めたくなかった。

 

未だに、病室を訪れてはアイに言葉をかけることが出来ない。無言で彼女の隣りに座り、その横顔を眺めながら淡々と時間だけが過ぎるのみ。

 

 

 

――()()()、双子はダイヤに執着してしまった。

 

アイに似た彼も喪ったら、もう後悔だなんて言葉では片付けられない感情の濁流に溺れてしまうから。彼がアイを護ろうとしたように、アクアとルビーもまた身を犠牲にしてでもダイヤを護ろうと()()()()

 

その感情が誇れるほど綺麗なものではないと知りながら、でも心がそう求めるから。

 

―――――――――――――――――――

 

殺人未遂の暴行事件から少なくない時間が過ぎた。

 

その間にも様々な事が起き、そして世間的には未解決で収束するという形に落ち着いた。トップアイドルの意識不明状態は未だに続き、然し半年もすれば大々的に取り上げられることもない。

()()()()犯人の情報は既にネット上に広がり、様々な誹謗中傷を生み出している。被害者であるアイについても、大多数が悲しみ怒る反面、所謂"アンチ勢"と呼ばれる少数派は得意げにSNSで誹謗を語る始末。

 

然し、そんな騒動も"人の噂も七十五日"と言うべきだったのだろうか、さして進展もない状態をニュースや新聞等で流し続けれる訳もなく。

 

徐々にアイドルであるアイは()()()()()として扱われるようになった。事務所の苺プロは情報を秘匿している事から、一部の動画投稿者は彼女の死亡説を唱え、大々的に炎上していた。

 

 

――そんな中、半年をかけて斉藤大弥の体調もやっと万全となり。幻痛には苛まれながらも五体満足で生きている。

だが、未だに星野アイは目を覚まさない。きっと、最後にダイヤを庇った際に頭部を強打されたのが悪かったのだろう。

 

彼女は綺麗な顔で眠っている。筋肉量も脂肪も格段に落ち、痩せてしまっても、彼女はずっと綺麗な眠り姫のように在る。

 

ダイヤを取り巻く全てが大きく変わった筈なのに、彼女だけはずっと変わらない。ダイヤが小学校に入学して、卒業して、次に中学生になっても。アイは病室で眠り続ける。もう、ダイヤにとっては寝ている彼女と共に過ごした時間の方が多くなってしまった。

それでも彼女との記憶が色褪せないのは、やはり彼女がダイヤにとっても特別な存在であり、言葉には出来なくとも彼がアイを愛していたからに他ならない。

 

 

今日も、ダイヤは病室に通う。

 

秘匿性を保つ為に決して近場とは言えないが、それでもダイヤはアイのいる病室に来る。彼にはもう、それしか出来ないから。

まるで魂が抜け落ちたような彼女の横顔に小さく触れて、もうすっかり馴染んだ彼女の()を再現した笑みで語る。

 

「アイ…僕達ね、そろそろ中学も卒業するんだよ?早く起きないと…アイが楽しみにしてた、僕達の制服姿だって見納めになるよ。アクアもルビーもアイに似て綺麗になったからさ…」

 

「―――」

 

「…そう言えばさ、この前ね?初めてナンパされたんだ。…太ったオッサンに………あの時のアイの言葉、本当になっちゃったじゃん。学校ではルビーとは姉妹扱いされるし、外では女の子と間違われるし…身長だって150を過ぎたあたりから伸び悩んでるんだよ。この顔立ちと、割りと小柄なのはアイと似たんだよ、きっとね…」

 

アイの全盛期ほどではないが、そこそこに伸ばされた紫を含む黒髪は彼自身でもアイを連想させる。結局、彼が悩む女顔も大きく変化することはなかった。

でも、不思議と嫌な気はしない。この姿でなら、ダイヤは()()()()()()()()()()()。彼女の軌跡を、彼女が目覚めるまで繋ぐことが出来る。

 

会話に成り得ない独り言は一刻程度は続き、然しずっと彼女と在れはしない。カーテンの隙間から日の傾きに目を向け、帰る準備をする。

頭の中で彼女の返事を再現しながら、淡白に笑う頭中の彼女にまた語りかける。

 

「……また来るね、アイ」

 

彼女に別れを告げ、病室のドアを開ける。()の剥がれた彼の表情は――仮面を外したように無表情だった。

 

――――――――――――――――――

 

「ダイヤ〜、夜ご飯なに?」

 

「ん?」

 

陽気に下手な鼻歌を奏でながら台所に来たのはルビーだ。あの頃よりも身長は大きく伸び、その数値は丁度中学三年女子の平均程度だ。

既にダイヤより数センチは高くなっており、似通った顔も重なり、見た目だけならばダイヤの姉の様にも見えてしまう。尚、ダイヤ本人は多少強めに否定しているが。

 

食事当番で台所に立っていたダイヤは朝から漬けておいた鶏肉を冷蔵庫から取り出し、ルビーの言葉に淡々と返す。

 

「タンドリーチキンだよ。タンドリーチキンとテキトーなサラダ、後はわかめスープかな。要望があるならメイン以外は変えるけど?」

 

「んーん、だいじょーぶ!手伝う?」

 

「…じゃあお願いしようかな。乾燥わかめ、テキトーに茹でてくれる?そのままだと少しデカイから、その後にテキトーにカットしてね」

 

「テキトーにって……まー、慎重に茹でてって言われても困るケド、麺じゃないんだし」

 

戸棚から取り出した乾燥わかめを手鍋に入れ、水を注ぎ茹で始める。

 

こうして彼と並ぶと、ルビーは複雑な気分になる。紫の混じる黒長髪、煌めく瞳に幼さと大人びた雰囲気が絶妙に絡み合う容姿。

成長して、彼は日に日に()()()()()()()()()()()。無論、全く同じとは言えない。然し、それでも重なるのだ。本音を包み隠した笑みと、飄々と、然し淡々と、然れども燦々とした態度は彼女の母の生き写しだ。

 

昔から斉藤大弥は他者の仮面を被り取り替えることに長けていた。それが、ルビーには酷く危うく見える。その仮面が彼と同化しているように思えて、でも其れを否定出来るだけの言葉をルビーは持ち合わせてはいない。

 

「………ねぇ、ダイヤ」

 

「なに?」

 

「ダイヤはさ…どうしてママの真似なんてするの?自分を隠してまで…」

 

「…珍しいね、ルビーが込み入った話をするだなんて。明日は槍でも降るかもね」

 

「茶化さないでよ。別に、私だってそれがダメだって怒ってる訳じゃないんだし。ただね…私はダイヤみたいに人の内心を覗くことが出来ないから、ダイヤの考えてる事も意味も分からないの」

 

――きっと、それはただの()()だ。

 

嫌な予感でしかない。何の根拠もないし、ルビーがダイヤのような芸当をする事も叶わない。でも、それでも――ルビーには彼の選んだ道が()()にしか見えない。

不明確だったダイヤがいつの間にか消えてしまって、でもルビー達はそれに気が付けない。嘘で固めた外面だけしか知らないような、そんな恐怖心に襲われる。

 

もう、家族が離れるのは耐えられない。だからこそ()()()()()。醜いくらい執着して、絶対に離すまいとする。

演じる自分を見てくれない相手を自分自身で縛る方法を、やはりルビーは知らないから。

 

「……居場所を、残しておきたいんだよね」

 

「…居場所?ダイヤの居場所なら最初か――」

 

「ううん、僕の居場所だなんて()()()()()()。ある方が変だし…」

 

「っ…!ど、うでも…いい…?」

 

「僕は単にね、アイの居場所を守りたいんだ。記憶ってのは想いに反して拙く消える。忘却こそが人間の本質だって僕は思うんだよね。本能とも言える……あんなに輝いていたアイも、今はもう過去として扱われている。それが、僕は許せない」

 

「…………」

 

「だから、僕は紡げなくても繋ぎたい。アイという存在を…アイが帰ってくるまで、僕自身がアイになってでも()()

 

根源は"後悔"だ。

 

護りたくて、でも護れなかったから。だからこそダイヤは"アイ"を繋ぐ事しか出来ない。自身を酷く軽視してでも、その執着心は変わらない。

達成出来なかった自己犠牲が向く方向は、ダイヤ自身も理解が届かない。何が正しくて、何が間違っているのか。

自身の一貫性すらない彼が理解出来るわけもない。目の前にあるのかも分からない目的の為だけに愚直な進行を続けるしか出来ない。

 

 

故に――

 

 

「ダメだよ……そんなの!」

 

「…ルビー?」

 

料理の手を止め、ルビーはダイヤの手を握った。彼の冷たい手は、心做しか寂しさを訴える子供のように思えて。

 

「ママが帰ってくる所には、ダイヤも居ないとダメ!私は……ママが居て、アクアも居て…ダイヤも一緒に居ないと嫌だから。ダイヤだけが消えるだなんて、私は認めないから!」

 

「別に消える気は……」

 

「でも、分かってるでしょ。()()()()を続けたら、ダイヤがダイヤじゃなくなる。染まり過ぎたら、戻れなくなっちゃうんだよ…ッ」

 

彼の才能は他者の内側を覗き、自身で体現する事が本質だ。故に、染まってしまう。本人が危惧せずとも、ルビーが危険信号を受け取る。

ダイヤが他の誰かに成り果てるのは、ルビーには耐えられない。

 

泣きそうな表情で彼女は続ける。

 

「ダイヤが身を犠牲にしなくても、私達はアイ(ママ)を忘れない…!」

 

「………でも、記憶ってのは――」

 

「"でも"、なんかじゃなーい!!」

 

「っ!?」

 

「理屈なんかじゃないの!私達はママが大好きで、あの日々も昨日のように思い出せる。この気持ちだって冷めないし、ママの居場所はずっと空いているよ。…ダイヤが埋めなくても」

 

嘘偽りのない言葉なのだろう。彼女の謳う愛はいつだって本物だ。故に、彼女を理屈で語るのもまた不相応なのだ。色褪せない記憶は、彼女を成す一部となっている。

 

悲観的にならず、前を向く姿は無意識の"演技"に過ぎない。でも、決して嘘ではない。ルビーは誇れる母親の娘なのだから、その誇りを胸に閉まっている。

アイは輝いていた。忘れさせてくれないくらい、瞼の裏に焼き付いている。

だから、ルビーもアイドルに憧れているのだ。未だに眠る母と同じ道を紡ぎたくて、そこに"星野アイ"は不変で在る。

 

「………僕が繋がなくても、いいのかな…」

 

「うん、余計なお世話ってやつだよ!」

 

「…余計なお世話……か。うん、そうだね…ありがとう、ルビー。僕も少しだけ、自分の人生ってやつを考えて見ることにするね」

 

「うむ!精進したまえー!」

 

「はいはい、そうしますとも」

 

彼女の軽口に適当に返し、ダイヤは料理の手を再度動かし始めた。そろそろアクアも帰ってくる筈なので、少しだけ手を急かした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(――そっか。ルビーにはバレてたのか……うん、()は上手くやろう。もっと自分を()で塗らないと……ふむ、ルビーの成長を考慮しなかったのは予定外だったね)

 

双眸の四つ星は()()光る。全く響かない言葉に相応の言葉を勝手に返す口は、きっと彼女の真似なのだろうなと他人事のように思いながら。

 





アイは"本物"を知った。

ダイヤは"嘘"を知った。
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