ぼっち「my new gearで20万溶かしたらお母さんに怒られた」 作:ぼ喜多スキー
後藤ひとりの美的センスは狂っている。いや、狂って
ひとりがモデルをするにあたって、まず最初に問題になったのはこれだった。
どこの世界に綺麗に着飾っている自分を「地味」「ダサい」「早く脱ぎたい」「似合ってない」「分不相応」などと考えるモデルがいるだろうか?
しかもその認識が客観的事実と正反対なのだから始末に追えない。
確かに、着たい服と似合っている服が一致するとは限らない。けれど物には限度があるし、モデルがそんなことでは仕事にならない。
そこで桜ノ宮ひばりが最初にしたのは、ひとりの意識改革だった。どう言い聞かせてもガンとして受け付けない強固な固定観念に辟易としながらも、それでも諦めなかったのは、ひとりが稀に見るほどの美少女だったのもあるが、やはり大切な姪っ子だからというのが一番大きい。このまま放っておくと将来が心配だったので。
「ひとり、シャネルって知ってるかしら?」
「えと、香水のメーカー?シャネルの5番って聞いたことあるよ」
それだけ知ってれば十分だと、ひばりは話を続ける。
「まぁ、香水だけじゃないから、ファッションブランドね。創設者のココ・シャネルの言葉には、こんなのがあるわ。『香水を付けない女性に未来はない』」
「え?」
「どう言う意味だと思う?」
「えっと、別に香水付けなくても困ったことないし、ちょっと大袈裟かなって……香水の宣伝?」
口の中でモゴモゴしながら、話の流れから香水を付けさせられるとでも思ったのか、体全体で拒否反応を示す。彼女には香水が毒ガスのように感じるらしい。
「言葉をそのまま受け取るとそうなるわね。確かに宣伝文句でもあったんでしょう。でも本質は別にあるわ」
「本質?」
「日本と違って欧州では水が豊富じゃなかったから、お風呂に入る習慣があんまりなかったの。だから体臭を誤魔化すために香水を付ける文化が発展したのね」
「へー」
よく分かってなさそうね、と内心で溜息を吐きながら続ける。
「人と会うのに体臭がキツくて不快な思いをさせるのは嫌でしょう?」
「あ、うん。そうだね」
良かった。最低限の乙女心は残ってる。
「つまり欧州では、香水を付けるのは身だしなみの一つってこと。マナーや礼節と言っても良いわね」
「マナー……」
「大切な人と会うのに、髪が寝癖でぐちゃぐちゃになって、顔も洗わずに汚れが付いたままで、歯も磨かないで息が臭くて、何日も洗ってない服を着て行ったら、どう思われるかしら?」
「それは、その……嫌だって、思われる……」
「そうね。人と会うのに身だしなみを整えるのは当然のマナーだわ」
よしよし、自尊心もある。
マナーを守るべきという常識もある。
「つまりシャネルは『身だしなみを整えると言う人として必要最低限のマナーさえ守れない人間に未来はない』って言いたいのね」
嘘だけど。
まぁ、そんなに遠く離れてはいないでしょう。
「え、未来……ない……」
「ひとりはどう?ちゃんと身だしなみは整えてる?」
「うぇ!?いや、それは、その……してない、かも?」
そうよね。美智代から聞いてるわ。今はお仕置きとかで制服を着てるけど、以前は女子高生なのにジャージで登校してたって。
「あれ?どうしてだっけ?」
頭を抱えて悩み始める。
そうね。あなたの行動は矛盾に満ちている。
守らなければならないルールを守らない。
しなければならない行動を取らない。
悪いことだと認識出来るのに、そうすることが正解だと思い込んでいる。
まるで何かに洗脳でもされたみたいに。
「最初は、ちゃんと、制服着て行ったの。でも、なんだか、人からジロジロ見られてる気がして……もしかして、私なんかが制服着てちゃダメなのかなって……」
「そんなことないわ。みんな、ひとりが可愛いから見惚れてたのよ」
「かわ……いい?」
「そうよ。ひとりは可愛い」
噛んで含めるように言い聞かせる。
ひとりは一瞬だけ嬉しそうにして、でもすぐに顔を歪めた。
「私、可愛くなんて、ないよ……」
一体いつ何処でトラウマを植え付けられたのか、ひとりは自分が可愛くないと思っている。
だから、可愛い服を嫌がる。可愛くない自分が可愛い服を着ても似合わない。醜い自分を見られたくない。他人の視線が怖い。
でも本当は、可愛いと褒めてもらいたい。
歪んだ承認欲求と、トラウマからくる自己否定が暴走した結果が、矛盾した行動に繋がっているのかもしれない。
なら、知ってもらいましょうか。
ひとり、あなたは可愛いの。
「ひとり、これを見て?」
「え?」
スマホを操作して、トゥイッターの画面を見せる。
桜ノ宮芸能事務所の公式チャンネルで、そこにはひとりの写真がアップされている。
美智代から送られてきた、日常の中でほんの一瞬だけ見せた貴重な瞬間を切り取った写真だ。
どうやらふたりにせがまれて遊んでいたらしい彼女が、ふとした拍子に見せた笑顔。歳の離れた妹を膝枕で寝かせているひとりは、慈しむように微笑んでいる。
「ほら、分かる?いいねの数」
「え、うそ、なにこれ……」
リプライ、いいね、リツイート、それら全てが2万を超えている。
中には否定的なコメントもあるけれど、およそ9割以上は好意的な内容で埋め尽くされていた。
見ているこの瞬間にも、いいねが順調に増えていっているのが分かる。
「どう?ひとりがどれだけ自分は可愛くないって思っていても、周りの人のほとんどは可愛いって思ってくれてるわよ?」
「で、でも、そんな……あ、う、ウケ狙いだと思われてる?」
「アクロバットな反応するわねぇ。そんなので2万も超えるわけないでしょう?うちは芸能事務所だけど、お笑い芸人は所属させてないわよ」
ネット上でどれだけ褒められても信じない?
なるほど。ならこれはどうかしら。
「それと、これね。雑誌社からのオファー。是非このモデルを使わせてもらいたいって」
「……え?」
セ◯ンティーンからのオファー。
もちろん仕込みじゃない。
純粋にひとりの容姿が評価された結果よ。
「せ、セ◯ンティーンって、私でも知ってるよ!?」
「そうでしょうね。発行部数9万オーバーのティーン向けファッション雑誌よ。その編集部が、ひとりの可愛さを認めて、モデルとして起用したいって言ってきたの。どう?少しは実感したかしら?」
「えぇ……」
いきなりの、そして想像以上のことに混乱して、頭の中が真っ白になってる頃かしらね?
「どう?まだ足りない?」
「う……えっと、わかんない……私、可愛くないのに、なんで?」
「ひとりを可愛くないと思ってるのは、世界中であなた自身だけよ。どれだけあなたが自分を否定しても関係ない。陰キャだろうとコミュ障だろうと、可愛いものは可愛いの」
表情さえ取り繕ってしまえば、陰キャもコミュ障も写真には写らないからね。そこはカメラマンの仕事よ。
「ねぇ、ひとり。バンドやってるんでしょ?」
「え?うん、やってる」
「仲の良い子、いるわね?」
「……うん、いる。私なんかに優しくしてくれる、とっても良い人」
その子の事を考えてるのか、ひとりの表情が和らいだ。あ、これ恋してるな。
ぽぅ、と顔が熱っぽくなって、宙に視線が彷徨ってる。
「その子に、可愛いって褒めてもらいたくない?」
「可愛い……喜多さんに……」
「難しいことを考えることはないわ。今はただ、その子に可愛いって褒めてもらえたら嬉しいって、それだけで良いの」
「……うん」
「ひとりは可愛いけど、可愛い服を着ればその魅力はぐんと上がるわ。ねぇ、喜多さんは可愛い服を着てるひとりのこと、どんなふうに言ったかしら?」
「か、可愛いって、言ってくれた……かも?」
そう。それも把握してるわよ。
一度喜多さんが後藤家に来たとき、美智代が買った服を着て欲しいってお願いされたのよね?
はしゃいだ声が凄かったって話も聞いてるわよ?
大丈夫よ、ひとり。
間違いなく喜多さんは可愛いあなたを気に入るわ。
「そう?なら、もっと可愛いところ、見せたくない?可愛いって言って欲しくない?」
「あ……」
ふふ、ぞくぞくしてるわね?
女の子がオシャレしてるところを褒めて欲しいって、当たり前のことだもの。承認欲求が正しく機能してるわ。
「モデル、やってくれる?」
「……うん、やってみる」
よし、その気になった!
大丈夫、最初から上手くいくなんて思ってないわ。
いざ写真を撮る段になったら怖気付いちゃうでしょうけど、そんなのは想定の範囲内。
だけど私は諦めないわよ。
あなたはきっと最高のモデルになる。そう信じてる。
そのためなら、どんな協力だって惜しまない。
だから――
「羽ばたきなさい、火鳥」
☆ ★ ☆
「まぁ、それだけじゃどうにもならなくて、結局は美智代が発破かけてようやく覚悟が固まったらしいんだけどね」
「へー、やっぱり最初は大変だったんですね」
「うぅ……」
写真を撮られるのが苦手だったひとりちゃんを、どうやってその気にさせたのか?
正直言ってずっと気になってたんだけど。
なるほどねぇ?
私に、可愛いって言って欲しいからって……その動機がもう既に可愛いんですけど!
「ひとりちゃん?」
「はい?」
「私のこと、好きすぎない?」
「……いけませんか?」
「全然!」
ふふ、不貞腐れちゃって。
そうね。そう言えば、こんな表情を見せてくれるようになったのも、私に積極的になってくれたのも、モデルを始めてからだった。
女の子は恋をすると変わるって言うけど、ひとりちゃんもそうなのね。
「ねぇ、ひとりちゃん」
「はい?」
「可愛い!」
私はどうかな?
あの台風ライブの日、私のココロはひとりちゃんの光に灼かれてしまった。閃光と雷鳴を宿した青い焔が、私を捕らえて離さない。
キラキラに輝く青春よりも、友達と遊び歩く楽しさよりも、ひとりちゃんと一緒にいる時間の方が愛おしい。
まぁ、変わったわよね。
みんなの人気者でいるより、たった一人が大切なの。
ずっと続けてたイソスタより、あなたの安全を選べるの。
あなたを支えたい。
あなたと一緒にいたい。
これから先の人生を共に歩んでいきたい。
そんなの、どう考えたって恋よね。
「ありがとうございます。郁ちゃんはもっと可愛いですね」
ひとりちゃんも随分変わったよね。
そんなセリフ、前なら絶対言わなかった。
話す時、最初に「あ」ってあんまり言わなくなったし、少しずつ人付き合いも出来るようになってる。その変化のトリガーが、私への恋なんだとしたら、やっぱり嬉しいかな。
「ふふ、ありがとう。大好き!」
だってやっぱり、好きな人に好きって言えるのって、幸せだもの。
☆ ★ ☆
ひとりちゃんの撮影旅行について行って、日本中あちこちの観光地を回った日々も終わった。
屋久島の縄文杉、広島の厳島神社、兵庫の竹田城、京都の伏見稲荷大社、岐阜のモネの池、千葉の亀岩の洞窟、山形の銀山温泉……エトセトラエトセトラ。そして最後は北海道の宗谷岬で締め括った。
って言うか桜ノ宮の別荘多過ぎない?
夏休みでホテルなんか取れないんじゃ?って心配してたんだけど、泊まる場所全部別荘なのよ。そりゃスケジュールが多少変わっても問題ないワケだ!
まぁ、そんなこんなで忙しく過ぎていった夏休みだけど、その間も美智代さんの指導の元で勉強会はあったワケで、宿題はバッチリ。ひとりちゃんのストレス発散を兼ねたギター練習も欠かしてませんでしたとも。
人出が多かったし出先で慣れない土地だったからデートに出掛けたりはしなかったけど、旅行中ずっとひとりちゃんにべったり出来たから悔いはない。
まぁ、次は二人っきりで来たいなってスポットは幾つかあったから、大人になって時間が取れたら旅行したいけどね。
「覚悟はいいかしら?」
「お、お情けを……!」
忙しくも充実した夏休みも終わって、新学期。
何故かこの、ひとりちゃんの学校に行きたくない病は治らないのよね。
クラスメイトとも大分打ち解けてきてるんだから、怖がることなんてないのに。
変なひとりちゃんね?
☆ ★ ☆
散々ゴネたひとりちゃんだけど、一歩家を出たら観念してくれた。
学校に近づくと、生徒の数が増えてくる。それに比例するように、私たちへの視線もどんどん増えていった。
ひとりちゃんがモデルをしてることはなるべく内緒にしてたけど、セ◯ンティーンの他にも色々と露出が増えてきてるから、分かる人には分かっちゃう。
中には勝手に写真撮っちゃう子もいて、芸能人って大変だなって改めてゲンナリした。
うーん、ここまでくると、ちょっと髪型弄ったくらいじゃ隠せないわね。
「大丈夫?」
「まぁ、仕方ないことなので」
あはは、と力なく笑うのが痛々しい。
それでもガクブル震えたり溶けたり爆発したりしないのは、モデルの仕事を通して人の視線に晒されることに慣れたからなんだろうな。
「こう言うのって、有名税ってヤツなのかしら?」
「……ふふ、そうですね。郁ちゃんも見られてますもん。他人事じゃないですよ?」
「あら大変。今のうちに慣れておかなくちゃ!」
良く考えたら、結束バンドが有名になったら、こう言うことは日常茶飯事になるのよね。私もしっかりしないと!
胸を張って堂々と、とまではいかないものの、ひとりちゃんはなるべく視線を気にしないように振る舞ってる。私も結構人の視線を集める方だと思ってたけど、ここまであからさまなのは未経験だから、なんだかひとりちゃんを遠く感じちゃった。
「ほら、あの二人よ。掲示板の前でキスしてたの!」
ん?
掲示板の前?
……アレかぁ!
って、今更なの!?
あの時は一緒のクラスになれたことが嬉しくて、他のことがどうでも良くなっちゃったのよね。
感情の赴くままにひとりちゃんにハグして、そのまま盛り上がって、ちゅーっと。
「えっと、モデルとか、関係なかったわね?」
「……死にたいっ」
「え、ダメよ。私、未亡人になっちゃう」
「まだ結婚してませんよ!?」
「心は既に夫婦よ!」
まぁ、視線の理由がアレなら気にしないのが一番ね。
恋人同士がキスしたからなんだってのよ。
☆ ★ ☆
おはようのキス。
行ってきますのキス。
お帰りなさいのキス。
……愛してるのキス。
キスは好き。
深く交わるようなキスじゃなくても良い。
触れるだけのキスでも良い。
キスをすると言う行為そのものが、私の恋を震わせる。
それはまるで魔法のようで、奇跡のようで。
だって、恋を知る前だったら絶対出来なかったことも、今なら出来ちゃうんだから。
可愛くなりたい。
綺麗になりたい。
カッコよくなりたい。
――あなたが望む私になりたい。
大丈夫。いける。
可愛い私も、綺麗な私も、カッコいい私も……どんな私にだってなれる。どこまでだって行ける。
恋は魔法。
恋は奇跡。
郁ちゃんへの恋心が、私を無敵にする。
郁ちゃんからの恋心が、私に力をくれる。
だから、もう大丈夫。
ひとりじゃ無理でも、ふたりなら超えていける。
「ひとりちゃん、頑張って!」
「はいっ!」
ありのままの私でも、郁ちゃんは可愛いって褒めてくれるから。
『もう良いの?』
『うん。今までありがとう』
イマジナリーフレンドは、もう卒業。
『どういたしまして。これで歩行器もお役御免だね。今の火鳥ならなんだって出来る』
『それは言い過ぎだよ』
『そんなことないよ』
――さぁ、羽ばたけ、火鳥。