(あらすじ)
ある作戦中、ドクターは敵の指揮官を己の手で殺害した。それを目撃したのは、マンティコアただひとり。

なんでも許せる人向け。11章のPVのとってもアークナイツなアークナイツにあてられてつい書いてしまった……お願いハッピーエンドになって。

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血は雨よりも濃く

 ドクターは、まるで狙いすましたかのように降り出した大雨の中、薄れていく赤を無言で見下ろしていた。

 

 足元には死体がひとつ、転がっている。うつ伏せになった体の下から、床との隙間を縫って広がる血溜まりを、雨が幾度も貫いていく。

 

 滲み、薄れ、広がって、それでもなかなか消えはしない。水よりも濃いからだろうか。手のひらを見下ろして、ドクターはとりとめもなくそう思った。

 

 べったりと血のついた手。凶器は足元に転がった粗末なナイフ。そのあたりで死んでいた浮浪者の死体から拝借したものだ。刃こぼれしきったそれに、もはや用はないだろう。後はここで錆びていくのみ。

 

 ドクターは白い息を吐いて、空を見上げた。

 

 胸の奥底に、重たいものが溜まっていく感覚。水たまりが(かさ)を増していく。

 

 これは必要な殺しだった。自分以外に、手を下せる者はいなかった。みんな追い詰められていて、守る人は多くて、敵の攻勢は激しすぎる。奇策を打って元を断つ必要があった。そしてそれは、成功した。

 

 目を閉じる。冷たい雨粒が顔に打ち付け、頬を流れる。

 

 ―――これが、殺人か。

 

 ―――もっと恐ろしくて、悍ましくて、忌避感が湧くものだと思っていた。

 

 ―――何も、無いんだな。

 

 ナイフで肉を抉る感覚も、今際の際に聞いた掠れた悲鳴も、鮮明に残っているのに―――それらは肌の上を滑る水滴のように、流れ落ちていく。

 

 しばし黙って雨に打たれていると、背後から声がかけられた。

 

「ドク、ター……?」

 

「マンティコア。みんなのところに居るように、言ったじゃないか」

 

「ご、ごめ、なさ……」

 

 雨音に掻き消されそうな小声で、マンティコアが謝罪してくる。

 

 ドクターは物憂げに微笑むと、そちらを見やった。

 

 屋上に入る扉の影で、少女はじっとしていた。

 

「謝らなくていい。その代わり、ここで見たことは、秘密にしていてくれないか」

 

「……どう、して……? こういうの、私が……」

 

 気がついた時、マンティコアにずっと押し付けられてきていた役回り。

 

 今は望んで続けていることを、なぜドクターが。

 

 回答は、雷が飲み込んでいった。

 

 雷鳴が晒したのは、闇のようなフードの奥。瞳孔をすぼめた、白く冷たい、人ではないかのような眼差し。

 

 殺される。理屈も何もかもすっ飛ばして、マンティコアはそう直感した。

 

「……!? ひっ……!」

 

「マンティコア?」

 

 ドクターは目を丸くした。いつもの、優しい彼の瞳だ。マンティコアは胸をなでおろしながら、脳の裏側をジリジリと蠢く不安を気のせいの一言で片付けられずにいた。

 

 ―――今の、何?

 

 ―――ドクター……? 違う、ドクターじゃない、知らない人……?

 

 ―――あれは誰、だったの……?

 

 脈打つ心臓が少しずつ静まっていく。体が冷えて、小さく肩が震えた。

 

 いつの間にか隣にやってきていたドクターが上着を脱いで、マンティコアの肩にかける。マンティコアは交差した両腕で前を引き合わせた。

 

「行こう。そろそろ奴らが戻ってくる。指揮官が死んで混乱しているうちに、安全圏まで撤退する」

 

「うん……」

 

 マンティコアと共に階段を下りながら、ドクターは人知れず安堵を感じ、そんな自分を嫌悪した。

 

 知られたのがマンティコアで良かった。彼女なら誰にも言わないし、敢えて言及する者もいないだろう、と。そう考えた自分を、恥じた。

 

 

 

 作戦終了後、ロドス本艦。

 

 雨は、戻ってきた後でもまだ止んでいなかった。まるでついて回られているかのようだ。

 

 窓の外を眺めながらそんなことを思っていると、控えめな足音がすぐ真横までやってくる。アーミヤだった。

 

「ドクター、お疲れさまでした。皆さんご無事でよかったです」

 

「ああ……そうだね。危なかったから」

 

 どこか他人事のように、要領を得ない受け答え。アーミヤは耳をピリピリと振動させた。

 

 ドクターから感じとれる心の動きが、何かおかしい。空っぽのグラスを弾いて音を出しているみたいな、空虚な感情。

 

 かつて“石棺”から救出した時とも違う、名前の知らない感情だった。

 

 穏やかな慈愛な眼差しはいつもと同じなのに、ちっとも立ち振る舞いは変わっていないのに、何故か襲ってくる強烈な違和感は、アーミヤをひどく不安にさせた。

 

「あ、あのっ! ドクター、何か……」

 

「ううん、何もないよ、アーミヤ」

 

 ドクターはおもむろに片手手を持ち上げる。アーミヤの鋭い耳がゆっくりと垂れさがり、頭の位置も少し下がる。

 

 頭を優しく撫でようとした手が止まった。

 

 ―――ああ、そういえば、この手は人を殺したんだった。

 

 手のひらを見ると、まだ血で真っ赤に染まっている。おかしい。皆と合流する前に、綺麗に洗い流したはずなのに。

 

 撫でられ待ちをしていたアーミヤが、上目遣いに見上げてきた。

 

「ドクター……?」

 

 ドクターは微笑むと、拳を握り、手は使わず、腕で抱え込むようにしてアーミヤを抱きしめる。

 

 思い返すのは、かつて龍門で見た光景。ふたりの死。

 

 あの時のように、人の死を、殺人を、恐れる子のままでいてほしいと願うのは、きっととても残酷で、罪深いことだろう。

 

 それでもドクターは、そうであってほしいと想った。

 

 きっと何も感じない自分よりも、よっぽど尊いもののはずだから。


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