必死に相手の拳を避け、自分の拳を振るう。
しかし何回繰り返しても、彼に届くことはなかった。
「はぁ、はぁッ……」
酸素が上手く肺に入ってこない。息をするたびに喉に空気が張り付いて痛い。
頭がクラクラする。口の端から血が垂れる。
そんなことに意識を取られていると、相手の拳が目の前にまで迫った。
「ッ!」
なんとか体を捩り、それは右頬ギリギリを掠める。
良かったと安堵した瞬間に、視界の下に残像が映った。
硬くて重いものが腹にぶつかった。
「うぶッ!」
衝撃でよろめき、柵に背中をぶつけた。
柵に手をついてなんとか倒れるのを防ぎ、腹の痛みに前のめりになりながら彼の方を見る。
「お前はおれには勝てねえ。諦めてアジトに帰れ」
彼はそう言いながらオレのすぐ横の柵に力強く足を押し付ける。
「そもそも、前まで死んだようなツラしてた奴が、なぜこんな無茶な真似してんだ。ええ?」
彼の言う通りだ。オレはついさっきまで、死んだように生きていたのに。
──いや。実際には、今もそう変わらない。
オレはいなくなっても構わない。その思いは変わっていない。
……それでも。
「死に方くらい選ばせろって、言ってんだよ」
柵を握りしめて少し上体を起こす。
「オレが生きてるうちは、絶対にお前を死なせねえ……もっともオレが生きるために死ぬなんて、させねえよ」
「このままじゃあ、おれを止められないまま死ぬことになるぞ」
「お前にオレは殺せない。力の問題じゃあねえ、お前がいらねえつったもんのせいでな。自覚、あんだろ」
彼がピタリと動きを止めたと思いきや、容赦なく顔面を殴られた。
咄嗟に体が動かせず、まともにその拳を受けてしまい、視界が真っ白になる。周りの音も遮断される。
──ダメだ、ここで意識を飛ばすのだけは。
何がなんでも、意識だけは掴んだままでいなければ。
例えオレの身がどうなろうと、例え死んだとしても、今は。
藁に縋る思いで手を伸ばす。
──何かが手に触れた。
それをがむしゃらに掴み一気に引き寄せて頭を振る。
何か固いものに当たり強い衝撃が走り、視界と意識がハッキリした。
見ると、プロシュートが額を抑えてよろめいていた。先ほどオレが掴んでいたのは彼の胸ぐらだったようで、いつも綺麗なスーツの胸元が少しよれていた。
鼻からダラダラと血が出て止まらない。
自分の額が熱く、どくどくと脈打っているのが分かる。熱い液体が頬を滴っていく。
頭もぐわんぐわんと揺れて、気を抜けば意識が飛んでしまいそうだ。
それでも目を凝らして、目の前の彼に向き合う。
「ここで意識を吹き飛ばすなんて、もったいねえことはしねーよ……オレがここで死ぬか……お前が折れるかの2択だ……」
目の前の彼は動こうとしない。
それは痛みからではなく、何かを考え込んでいるようだ。
「言いたいことがあるなら言えよ」
そう言うと、彼はようやく口を開いた。
「お前はギャングの世界に来たとは言え、生きるためにそうせざるを得なかったから来ただけだ。薬や金が目当てじゃあねえ。ギャングだとしても、お前は奪われた普通の人間の生活を、一度は知るべきだと思った」
「お前……」
「イノセンテのことは……幸せそうに生きるお前に、何も話せなかったおれの甘さだ。だがその代わりに、何があったとしてもおれが全ての責任を負う覚悟をしていた」
彼の言葉が心を打つ。
オレはここまで一緒に過ごしてきて、初めて彼の本音を聞いた。
彼の言葉は優しく、心の奥がじんわり温かくなる。
「だから、おれは自分の責任を取らなくちゃあならねえ。なんとしても、お前に取らせるわけにはいかねえ」
彼はそう言って、『グレイトフル・デッド』を発現させ体制を戻し、オレの目を見た。
「それは違うな」
そう言い放つ。
「お前がオレを止めようが、イノセンテの正体を話そうが、何も変わらなかったんだよ。出会った時点でこうなることは決まっていた」
彼は「自分の甘さだ」と言うが、彼自身も分かっていたはずだ。
これは絶対的な『運命』と似たようなものだった。彼の顔が強張る。
「屋敷にいた時とは違う。オレは不幸な目に遭わされてんじゃあねえ。この道は、自分が選んだんだ。お前がどうしようが、オレはこの道を行くことになった。だから、これはオレの問題なんだよ」
目の前の彼は、しばらく言葉に詰まっていた。
そしてオレの目を見て、どこか悔しそうな、複雑そうな表情を浮かべた。
「オレ、ここでお前を止められなかったら……その後生き残れたとしても、一生お前を止めれなかったことを後悔する。分かってくれよ」
彼は深いため息をこぼす。
しばらくして、オレから視線を逸らして柵に寄りかかり、煙草を取り出した。
「……勝手にしろ」
その言葉を聞いて、驚きと安堵が入り混じるを
プロシュートが初めて折れた。
これが、彼の矜持に反することであることは分かっている。
だからこそ、オレの意思を止めようと本気でぶつかってくれたのだ。
これは、彼にとっては辛いことなのだろう。
罪悪感は残るが、それでも自分のせいで彼を失うよりかは、ずっと幸せな選択だった。
「ありがとな」
先ほど撃った死体に触れる。
これから考えるのは、この後どれだけ足掻けるかだ。
死体にはオレの側を歩け、と命令する。
五体満足なので武器としてかなり使えるだろう。
屋上を去ろうとした時、兄貴は呟くように言った。
「お前は……あの屋敷から出て、良かったと思うか?」
それは、単純な問いではなかった。
記憶を巡らせる。
ずっと屋敷にいれば、もしくは兄貴と出会ったあの時に死んでいれば……オレは幸せを知らなかった。幸せを知らなければ、不幸も深くは知り得なかった。
仲間を知らなかった。生活を知らなかった。友人を知らなかった。人の死を知らなかった。
全て知らなければ、オレは『運命』にさえここまで苦しまなかった。
でも、だからって「知らない方が良かった」なんて思わない。
「当たり前だろ」
そう答えると、彼は空を見上げた。
「……野暮な質問だったか」
彼を姿を見るのはこれで最後になるだろうから、その様子を目に焼き付けた。
オレを導いて、自分の命を捨ててまでオレを守ろうとしてくれた人。
オレが全てに絶望して、生きることすら諦めようとした時にさえ、守りたいと思った人。
オレの……大切な人。
「じゃあな」
込み上げる思いを飲み込み、その一言だけ呟いて、その場を後にした。
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それからは、自分だけの力で絶え間なく現れる追っ手に対抗し続けた。
死体を絶やさず引き連れて歩いているおかげか、自分でも驚くくらいに生き延びることができている。
『ドリーム・シアター』で操る死体は増えたり、使い物にならなくなって減ったり、数えている暇もなかった。今は三体を引き連れている。
ふらふらとあてもなく歩いていると、海が見える崖に辿り着いた。
崖の先で足を止めると、周りの死体たちも足を止めた。
「綺麗だな……」
空はオレンジがかっていて、海は太陽の光が反射してキラキラと輝いている。
──あれ?
──これに似た景色を、オレはどこかで見たことがなかったか?
黒髪の少年、背丈はオレと同じくらい。
どこかに腰掛けて、何か大切なことを話したような──
ぶちっ。
すぐ近くで、何か嫌な音が響いた。
振り返ると、その音は血まみれの死体から鳴っていることが分かった。
「ッ!?」
間髪入れずに、死体の滴る血から、何かが喉元まで飛んできた。
「さ、鮫!?」
鮫の姿をしたそれは、オレの喉元に食らいついた。
これはスタンド攻撃だ。
こんな陸上に突然鮫が出るなどあり得ない。
鮫は今にもオレの喉を食い破ろうとしている。
それを振り解こうとしていると、バランスを崩した。
咄嗟にどこかに捕まろうとするが、手を伸ばした先には何もなかった。
ふわりとした無重力感がした後、足が地面を離れた。
見ると、空と海がいつもと上下逆になっていて、新鮮だった。
意外と恐怖はなく、感じていたのは一つだけだった。
──オレ、ここで死ぬんだ。
あの高さの崖から落ちて、更に今までの戦闘で傷も負っていて、助かるわけがない。
まあ、ここまで自分の力だけで戦って、オレだけが始末されるなら、プロシュートたちが最悪な目に遭うことはないだろう。
幸いプロシュートも、前からオレの命を狙っていたヤツを殺しまではしていなかったようだった。
スナイパーもオレが手を下したのだから、疑われることはないだろう。
──それなら、悔いはないな。
静かに目を閉じる。
「イノセンテに、会えるかな」
そう呟いた直後、頭が水面に叩きつけられた。
設定ミスがありました。
アフェットはこの時十七歳です。
誕生日の回でミスしていたので修正しました。