午後9時。私はウマ娘になる。
昼間はトレセン学園でトレーナーをしている。
なかなかスカウトが上手くいかず、三女神像の前のベンチでふて寝をしていた私は、夢の中でそんな能力を授けられてしまった。
特に不便はない。強いて言えば、外出出来ないことだろうか。だがそれは外出しなければいいだけの話だから、とりあえず問題にはなっていない。
カチッ。
時計が午後9時を指した。
頭がクラっとして、思わず机にうつむいてしまう。
心臓は何か急かされるように早く鼓動を打つ。
大きい耳鳴りと全身の感覚が無くなったような感じがして、妙な体のだるさも襲う。
それらがすべて収まった頃には、頭の上に大きな耳、そして腰にしっぽが生えているのを自覚することができる。
最初こそ戸惑ったが、今は慣れて、この体のまま夜を過ごすことが普通になっていった。
寝て起きると、すっかり普通のヒトミミにもどっているのだから、三女神パワーは不思議である。
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最近、妙に走り出したくてソワソワするようになった。
ウマ娘の、種の本能が私を蝕み始めている。
どうにも抑えられなくなった私は、Umazonでウマ娘用のランニングシューズを注文した。それから毎晩トラックに繰り出でては走るというのを繰り出している。
普通、寮は21時の門限の後にトラックに出るのは不可能である。鍵が閉まっているし、警備員もいるからだ。
しかし、それは生徒寮の話だ。
トレーナー寮に門限はないし、警備員もいない。
それをいいことに、走りたい欲を発散させて貰っている。
いずれ何かしらやらかすとは思う。しかし、本能というのは強烈だ。抵抗するだけ無駄だろう。
人間には出せない速度で夜風を切る気持ちよさは、何にも代え難い、私の楽しみになっていったのだった。
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夜、いつものようにコースに入ろうとすると、誰かが物凄いスピードで走っている。
...サイレンススズカ
選抜レースを大逃げで勝ち、一時期話題になったウマ娘だ。しかし最近は名前を聞かない。
私が言うのもなんだが、ここは止めさせて寮に返すべきだろう。門限も過ぎているし、恐らく寮に帰らず自主練をしていたはずだ。夜中まで走るのはあまりにも不健康すぎる。ブーメラン。
「おーい、そろそろ帰った方がいいんじゃないのー」
携帯のライトを照らしながら声をかけると、サイレンススズカは目の前で止まった。
「えっ...と、どなたですか?」
「私.......マツカゼっていうの」
咄嗟に出た名前を言った。なんか古臭い。
「マツカゼさんは...用務員さんかしら?じゃないとこんな時間に...でも...うーん...」
目の前の少女は左旋回を始めた。
「な、何かあった?」
質問した途端に回転が止まり、妙に真面目な顔で私に向かい合う。
「マツカゼさん、これからレースできますか?」
「れ、レース!?出来なくはないけど...」
「じゃあ決まりですね、2000m左回りでいいですか?」
「え、うん。」
何か急にグイグイ来るな。圧に負けて並走することになってしまった。
しかし承諾してしまったからには走らねばなるまい。仕方なし。
二人でスタートラインに並んだ。
「じゃあ、コインが落ちたらスタートでお願いします」
「分かったわ。けど、一個質問いい?」
「なんですか?」
「何で私とレースする気になったの?」
サイレンススズカは少し間をおいて、言う。
「マツカゼさん、凄く速そうですから。」
「そ、そう」
よく分からない。
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次の日、パソコンで新人ウマ娘の整理をしていたところにスズカが訪ねてきた。
「この蹄鉄、誰の物かわかりますか?」
背中を冷や汗が伝う。
あの夜落としてしまった蹄鉄をまさかスズカが拾っていたとは。
だが、その蹄鉄は市販品だ。ほかのウマ娘の物と見分けはつかない。
大丈夫。ここはシラを切る。絶対バレない。
「うーん、わかんないなぁ。だいたいどこで拾ったの?」
「夜の自主練の時、マツカゼさんと言うウマ娘が落として行ったんです。トレーナーさんならわかるかなと思って。」
「そっか。まあ、市販のやつだし見つけるの難しいかもだけど。生徒会とかに行ってみたら?」
「…そうですね。これ以上探しても意味がなさそうなので、行ってみます。ありがとうございました。」
なんとかなったっぽい。
丁寧にお辞儀をして、ドアに向かって歩き出すスズカ。
「まあ、また夜中にトラック走ってたら居るんじゃない?」
その時、ドアに手をかけたスズカが動きを止め、振り返った。
「トレーナーさん。私、『トラックを走っていた』なんて一言も言ってませんよ?」
……え。
「やっぱり、そうだったんですね。トレーナーさん、いや、マツカゼさん。」
「いや違くて、言葉の綾というか、私なわけじゃないじゃない。私人間よ?」
「マツカゼさんとトレーナーさんから同じ匂いがします」
「ニオイの話はやめて」
「なぜウマ娘になれるんですか?タキオンさんですか?」
「違うって私マツカゼじゃないでs」
「違いますマツカゼさんです」
「…わかったわよ…実はね…」
私は事情を詳しく話した。
「なるほど…よくわかりません」
「私も分かってないから大丈夫よ…」
自分で話していてよくわからなかった。三女神パワー()。
「トレーナーさん」
スズカは急に真面目な顔をして話しかける。
「私のトレーナーになってくれませんか?」
「…は?」
いきなりどうした。そもそもスズカはトレーナーがいたのではないか。なぜ新人の私なのか。疑問が湧き出てくる。
「いやいやいや??もうちょっとしっかり考えないと…」
「なってくれないとトレーナーさんの秘密ばらしちゃいます」
「スズカ、あなた強請るキャラじゃないでしょ…はぁ…私でいいなら」
「じゃあ、これからよろしくお願いしますね。トレーナーさん。」
それからいろいろ教えてもらった。前は自主練させない方針のトレーナーと契約したこと。自主練できないことがストレスで結果を出せなかったこと。つい最近こっそり走っていたところを見つかって、契約解除を持ち掛けられたこと。
「トレーナーさんのあの鎌のような切れる末脚…私はもっと成長したいです」
実はあの夜、私はスズカに1馬身差で差し切り勝ちしていた。
スズカはとても楽しそうに走っていた。私も楽しくなって本気で走った。
最終直線で足と足が引っかかって蹄鉄が取れてしまっていたのだが。
「トレーナーさん。早くマツカゼさんと走りたいです」
「はいはい。今日も走ってあげるからとりあえず契約書書いてね」
日本ウマ娘トレーニングセンター学園。上位数%のエリートが集まるこの場所で、『新参者』としてキャリアをスタートさせたのだった。
最後までお読みいただきありがとうございます。
誤字報告や感想はもちろん、この文の良いところ、悪いところ、小説を書く上での技術などたくさん教えてください。
1話完結ですが、書き直して連載小説として投稿するかもしれません。
一応連載のネタは別にあるのですが、まだ書き始めていないので気長にお待ちください。