軌道エレベーターの場所を聞かずにテロリストの男と別れてしまったグエル。

本来と違う行動をとったグエルは、地上をさまよい歩く中で一匹のかめ型メカと出会う。

一人と一匹が目指すのはともに軌道エレベーター。

本編とは違う世界での、グエルの短い旅が始まる。

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クロス元①:かめくん(著:北野 勇作)

徳間デュアル文庫から前世紀に発刊されたSF。

主人公は、かめ型メカの「かめくん」。

タイトル通り、この物語はかめくんを描いた、かめくんの物語であり、
どこか懐かしい街で、かめくんはスルメをかじったりアルバイトをしたり図書館の司書に恋したりしながら、
緩やかな日常を過ごしてゆく。

そんなかめくんを描いたノスタルジックなSF作品。

ふんわかした優しいお話が好きな人に、おすすめの一冊。

かめとは真逆に、柔らかな文体の中にがっちりと硬いSFマインドがつまっているので、SF好きにもおすすめ。

是非読んで欲しい。

以下は公式の書籍紹介

かめくんは自分がほんもののカメではないことを知っている。クラゲ荘に住みはじめたかめくんは模造亀。新しい仕事は特殊な倉庫作業。リンゴが好き。図書館が好き。昔のことは憶えていない。とくに木星での戦争に関することは…。日常生活の背後に壮大な物語が浮上する叙情的名作。日本SF大賞受賞。

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クロス元②:ザリガニマン(著:北野 勇作)

かめくんの姉妹編である、ザリガニマンもクロス元。
姉妹編である委譲、必然的にクロス元になってしまう。

かめくんとはうってかわって、こちらの主人公は小さな会社に勤めるトーノヒトシという青年。もちろん、人間だ。

かめくんの敵はザリガニなのだが、そのザリガニがどうして出現したのかを描くお話。

ヒロイックなお話のように見えて、常に哀愁と後悔が漂うストーリーは人を選ぶかもしれない。僕は好き。

公式の書籍紹介。

『有限会社ムゲンテック』の社員トーノヒトシは、「人類の敵」を開発する最中に、謎の爆発事故に巻き込まれた。破壊された機材、飛び散った現実。生体素材と人間とのインターフェイスは思いがけない事態に発展。彼は「正義の味方」ザリガニマンとなってしまったのだ。ゆけ、トーノヒトシ! 戦え、ザリガニマン!


水星の魔女 第16i話「グエルとかめくん」

「グエルとかめ」

 

第1章 かめんたる

 

 

 

 グエル・ジェタークがそれを見つけたのは、地球の荒れ果てた廃墟をあてどもなく彷徨っていたときだった。

 助けられなかった、なぜ助けようと思ったのかすらわからないアーシアンの子供を弔い、名も知らぬテロリストと別れた後、グエル・ジェタークはなにをしたらいいかわからなくなっていた。

 

 いや、とグエルは思う。もともとわかってなんかいなかったじゃないか。

 父さんの言うとおり学校へ行って、ホルダーになって、決闘して・・・将来は会社を継ぐ。父さんの決めたとおりに。自分の考えで決めたことは、たぶん一個もなかった。

 どこまで行くのか、どこを目指すのか。わからないままに歩き続けた。前に進まなければいけないという強迫観念めいた衝動があった。

 

 地球の廃墟は、グエルの経験したどの場所とも違った。調整されていない紫外線が肌を焼く。計画されていない天候は時として有害ですらある。でこぼこに突き出たアスファルト路面は草木でかち割られて、歩くのも一苦労だ。

 かつて地球有数の重工業地帯だったのだろう。林立する工場群とそれに絡まるように育った植物の森を、グエルは歩いた。

 

 どのくらい歩いたのか、もう記憶がなくなった頃、それを見つけた。

 

 大きな卵、というのが最初に見たグエルの感想だった。

 

 大きさは5メートルにもなるだろうか。こんな卵が存在するはずはない。グエルの考えを肯定するように、卵は太陽の光を照り返して白銀に光った。かすれた漢字で"木星圏第17阻止防衛線"と書いてある。

 

 大気圏再突入ポッドだ。そうグエルは思った。授業で習った、モビルスーツを軌道上から地上へ単独降下させる降下猟兵用の強襲降下ポッドにそっくりだった。もちろん、大きさは目の前のそれより遙かに大きい。目の前の卵の小ささから考えると、強襲降下用というよりは緊急時の脱出ポッドに近いだろうか。切り傷のような裂け目が無数についているが、その全てが浅い。何かが中に入っているにしろ、無事だろう。

 

 誰かが。助けを求めている誰かが中にいるかもしれない。

 

 グエルは、無意識にそう思い、気がつくとポッドの側面にある強制開放ハンドルをひねっている。

 ポッドの機能は生きていた。グエルが後ずさると、圧搾された空気が開放される音がして、卵形のポッドは開放状態になる。ゆっくりと、花が開くように。

 

 そこにそれはいた。楕円形で、緑色で、でかい金属の塊。

 

 それがなんなのか、グエルが疑問に思う前にそれは立ち上がった。

 体躯は、2メートルほどだろうか。のっぺりとした顔をしている。短い手足が楕円の身体から突き出ている。短い足の間から、これまた短い尻尾が見える。つぶらな小さな丸形の瞳が、グエルのほうを見つめている。

 

「かめ」グエルは呟いた。それは、まちがいなく、かめだった。

 

 小さい頃、弟のラウダへくれてやった誕生日プレゼントのひとつに動物図鑑があった。幼かったラウダは飽きもせずに本を開いては、グエルに見せに来た。お気に入りのページは絶滅動物のページで、そのなかのひとつに、甲羅を持つずんぐりむっくりとした生物の姿があったのをグエルは思い出す。

 かめ、そう、かめだ。ウサギとかめの寓話で有名な、かめ。

 冷静に考えればこんなにデカイかめは存在しないはずだ。よしんば存在するとして、二本脚では立たないだろう。にもかかわらず、グエルは目の前のそれをかめだと思った。なぜだか怖くはなかった。よくみれば愛嬌のある顔が、そうさせるのかもしれない。

 かめは、ぷるぷると震える。まるで、長い眠りから覚めた後のように。冬眠から覚めたあとのように。

「かめ」グエルがもう一度無意識に呟く。

 その呟きが聞こえたのか、かめはグエルの顔をじっとみて、それから頷いた。肯定の合図だった。

 

 グエルは、まるで縫い付けられたようにその場を動けないでいた。ある種の呆然としていた心が冷静になり、目の前の現実を処理し始める。

 目の前のこいつは何だ。動物のかめに似ているが、金属色の緑色ボディは、あきらかに目の前のかめがメカニカルな存在であることを示していた。機械のかめ、メカニカメ。

 思いつく可能性のひとつは、こいつがドローン戦争時代の自立型戦闘兵器ではないか、ということだ。見た感じ、兵装の類いはついていないから電子あるいは輸送作戦用だろうか。短い足は戦闘機動には向かないはずだ。動物の形状をさせるのは擬態の側面だろうか。しかし、擬態なら二足で立たせはしないだろう。違和感しかない。こちらを襲ってくる様子はない。カプセルから解放された直後、命令待ちの状態だろうか。

「・・・おい、おまえ」グエルはおそるおそる目の前のかめ型メカに声を掛ける。

 そうすると、かめ型メカはゆっくりと右手を持ち上げ、自分の顔を指さした。ぼく?とでもいうように。そのあまりの毒気のなさに、グエルの中にあった緊張感は、あっという間にしぼんでしまった。なんだこいつは、本当に兵器なのか。脳天気な。

「おまえ、どこの誰だ。所属はどこの企業だ。いや、お前は何者だ」緊張が抜けたグエルの口から出たのは、そんな台詞だった。

 かめ型メカは手足をわちゃわちゃさせてなにかを言おうとしている様子で、グエルには一向にわけがわからない。そのうちあきらめたのか、何かを思いついたのか、かめ型メカはグエルの方に一歩踏み出すと、地面にしゃがんで(驚くべきことに、しゃがめるようだ)、地面にゆっくりと、文字を書いた。

 

『かめ』

 

 グエルは、今度こそ脱力して、危うく膝をつきそうになった。もう当初の緊張感などどこにもない。かめってなんだ、かめって。お前は誰だと聞かれて、人間だと返すようなものじゃないか。そんなものは、見ればわかる。

 あきれた目でかめ型メカを見つめると、そいつはグエルの方を指さしてきた。ぼくはかめ。きみはなに?そう言いたげに。

 

「おれは・・・」グエル・ジェターク、そう名乗ろうとして、グエルはどうしてもそう名乗れない自分に気がつく。言葉が喉から先へ出ていかない。

 

 お前は何者だ、と聞かれたときの答えなど決まっていた。少し前までは。ベネリットグループ筆頭のジェターク社の御曹司、次期CEO、アスティカシアでもっとも強いMS乗り、ホルダー。

 いまは、そのどれでもなかった。

 父さんは、自分が殺した。決闘に負けて、ホルダーでもなくなった。地球に墜ちて、宇宙の全てと切り離された。ボブという仮の名前すら、通じる相手はもうどこにもいない。

 

 今の自分が、なにものかという問いに対してグエルは答えるすべを持たなかった。

 おまえは、何物でもない。世界から、氷の刃を押し当てられているようだった。

 汗が額を伝う。瞳が恐怖に揺れる。おれは、誰だ。

 

 その恐怖をかすかに拭ったのは、目の前にいたかめだった。なぜだか、こちらを心配そうにのぞき込んでいる。かめの表情などわかるはずもないのに、なぜだかグエルにはそう感じられた。

 

「グエル・・・おれはグエルだ」絞り出すように名乗ったその声に、かめは頷いた。

 

 それは、相手が明確に意思疎通が可能であることをグエルに認識させた。こいつはきっと、間違いなく、敵じゃない。

 

 

 

 

 

第2章 かめめじるし

 

 

 

グエルは地球の荒れ果てた廃墟をあてどもなく彷徨っていた。そのうしろを、とてとてとついてくる、かめ。親鳥の後に付き従うひな鳥のように。

 

「・・・なんでついてくるんだ」

 

 かめは、首をかしげる。いけないのだろうか、とでも言いたげな雰囲気。

 

「おまえな、おれの行き先とお前の行き先は違う。おれにについてきても、無駄だ」

 

 グエルはそう言って、自己嫌悪に陥る。無駄だって?じゃあ、お前は今どこに向かっているんだ。あてもなく、歩いているだけじゃないか。そんなおれが、何を言えると言うんだ。

 グエルの背中を、かめがそっと叩く。ぽんぽん、と。

 こいつはもしかして、とグエルは思う。おれのことを心配してついてきているのだろうか、と。振り向いて、かめの顔をのぞき込む。のっぺりとした顔からは、表情は読み取れないが、なんとなく心配されている、というのは正しい気がした。気を遣われているのは、こちらなのだ。

 くそ、とグエルは思う。かめに心配されるなんて、屈辱だ。おれはかめよりは強いはずだ。いや、相手は機械だからこちらより強いかもしれないが、それにしたって機械に心配されるのなんかごめんだった。人間には人間のプライドがある。

 その無意味なプライドが、グエルに質問をさせた。

 

「お前は、どこに行きたいんだ」

 

 かめは、しゃがみ込んで、ゆっくりと土の地面に文字を書いた。

 

『きどうえれべーたー』

 

 氷水を掛けられたように、グエルには感じられた。軌道エレベーター、地上から宇宙への直通通路。人類が築いた超巨大構造物。宇宙へ戻る道。

 なぜ、そのことに今まで思い至らなかったのか。いや、グエルには本当のことがわかっている。あてどもなく地上をさまよい歩いていたのも、どこに向かっているか考えないようにしていたからだ。宇宙に戻れば、自分のしでかした全てと向き合わなければならないからだ。目をそらした、逃げようとしていた。だからだ、と思う。こいつの言葉を、氷水を掛けられたように感じたというのは、そういうことなのだ。考えないようにしてきたことを突きつけられた。

 かすれた声で、グエルは呟く。

 

「・・・おまえは、そこへ行って、どうするんだ」自律型のドローン兵器は現在では許容されない。よくて機能停止、さもなくばスクラップになるだけだ。

 

『なかま かえる まもる』

 

 グエルは、声も上げずに泣いた。なぜ泣き出したのか自分でもわからなかった。ただ、仲間の元に帰るのだというかめの言葉が、胸の奥に染みた。

 

 

 グエルが日が暮れたことに気がついたのは、自分の背中をさするかめの手が止まったのを感じたからだった。ずいぶんと長いこと、泣いていた。

 グエルは顔を上げて、かめの瞳をじっと見た。

 月に照らされた緑色の金属の肌が、優しくその視線を迎えた。

 

「軌道エレベーターのある場所が、お前にはわかるんだな」

  

 かめは頷き、地面にゆっくりと文字数列を書き留めた。

 衛星測地系座標記述。経緯度データ。そして、なんだかわからない、軍用記号と思しき文字列。かめは、自信満々に、あくまでもグエルにそう見えただけだが、書き終えた。だが、一つ足りないデータがある。

 

「・・・現在位置は、わかるんだろうな」

 

 かめは、しゅんとして、うなだれた。

 くそったれ、とグエルは思う。どんなに正確な座標があっても、現在地がわからなければ何の役にも立たない。右も左もわからないとはこのことだ。アホか、と怒鳴ろうとして、グエルはしかし押し黙った。かめが、あまりにも落ち込んでいるように見えたので

 。

「・・・夜が明けたら、GPS端末を探してやる。テロ屋の置き土産が、GPS付きのジープか何かがどこかにあるはずだ。そいつがあれば、現在地がわかるさ」

 

 そのグエルの言葉に、かめは顔をあげて尻尾を振る。

 こいつ、結構わかりやすいのかもしれないな。グエルはそう思った。

 グエルは近場の樹にもたれかかる。疲れた身体が、沼に沈むように意識を眠りへと吸い込んでゆく。

 

 

 

 背中の痛みでグエルは目が覚める。服を脱いで鏡を見れば、背中に樹のあとがくっきりついているに違いない。歩き通した身体の節々が、きしみを上げ、痛む。

 それでも、グエルは力強く立った。GPS付きの車両を探す。やることが明確になると、身体に力が入る。

 かめは、グエルの隣で仰向けになって寝ていた。かめは、こんな風に寝るものなんだろうか。本物のかめをグエルは見たことがなかったので判断はつかなかったが、どうにも違う気がした。やはり、こいつは機械のかめ、メカニカメだ。生物ではない。

 グエルは脚でかめを小突いて起こす。

 

「おい、起きろ。GPS端末を探しに行くぞ」

 

 かめは目をぱちくりさせると、ゆっくりと反動を付けて、起き上がった。手慣れたものだ。

 それから、一人と一匹は周囲を歩き回った。あてもなく歩いていた昨日までと違い、グエルの脚には力があった。アーシアンの子供を助けようとした夜、モビルスーツで上空に飛び上がったあの夜を、グエルは必死に思い出す。

 いいか、あのとき地上の様子はどうだった。どこに何があった。あのときおれは、子供を預けられそうな車両や建物を、人がいそうな場所を探していた。そいつを思い出すんだ。グエルはの血まみれの子供を抱く感触を思い出さないようにしながら、記憶を探る。

 北西の森の中、不自然な空き地があったはずだ。あそこが、隠れ家の家のひとつならばだ。

 それを意識した途端、周囲の景色は変わった。廃墟と植物の代わり映えしない風景が、いまは目的地を指し示す道しるべに見えた。建物にも、植物の生え方にも特徴がある。今地上で見えるそれと、上空で見たそれを照らし合わせろ。グエルは自分に言い聞かせて、歩く。かめは、その後をついてくる。

 

 ほどなくして、それは見つかった。テロリストが運用していたと思しき、中型の軍用車両。屋根付きのクルマ。燃料あり。もちろん、GPSも。

 グエルは運転席に乗り込み、エンジンを掛ける。好調なエンジン音があたりに響く。

 GPS端末を起動、現在位置を確認。東アジア、日本列島、加古川エリア。続いて目標座標を入力、サーチ。かめが昨晩書いた、衛星測地系座標を放り込む。

 

「・・・なんだこれは」

 

 グエルは呟く。GPS端末には二つの光点が表示されている。現在位置と、目標である軌道エレベーターの位置。問題は両者の距離だった。

 

「オイ、どういうことだ。目標地点は大阪エリア。東に100kmも離れちゃいない。そんなに近いなら目視でも軌道エレベーターは確認できるんだ。くそっ、おまえの座標は大間違いだ!」

 

 狂った自律戦闘機械に何を期待していたんだ。そう言いかけたグエルを止めたのは、かめの表情だった。

 そこに軌道エレベーターがある。そう断言するような顔。自らの求めるものがそこにある、という確信に満ちた表情。

 

「そんな顔しても無駄だ。だいたい、軌道エレベーターは赤道上に建設されてるんだぞ。いま、ここが、赤道上から何キロ離れてると思ってるんだ」

 

 かめは、そう言い放ったグエルの顔を、悲しそうにしばらく見つめた後、おもむろに東へ向き直った。とぼとぼと、そう聞こえてきそうな歩き方で、東へ向かって歩き出す。

 おれの行き先とお前の行き先は違う。グエルは自分が最初に言い放った言葉を思い出した。かめは、それを理解していたのかもしれない。

 フン、とグエルはクルマのハンドルに顔を預ける。歩きたいなら、好きにすれば良いさ。おれは、100kmの近所にあるかめの目的地なんかに、興味はない。軌道エレベーター、赤道上にある。どうやって行けと言うんだ。日本列島だぞ、ここは!

 

 

  ハンドルに押しつけた額が痛み出したので、顔を上げたグエルの目には、まだかめが映っていた。すこし離れてはいたが、まさにかめの歩みで、あの短足で素早く歩けるわけがないのだった。ここに来るまでは、グエルの方が歩く速度を合わせていたのだ、無意識のうちに。

 しばらく見ているうちに、グエルはだんだんと苛ついてきた。なんだ、あのノロさは。いや、おれの知ったことか。歩きたいのだから好きにさせればいい、放っておけ。そう思う心の脇に、一つ思いついたことがある。

 大阪エリアにはGPUマップを見る限り、港があるはずだ。そこに行けば、軌道エレベーターまでいける船が見つかるかもしれない。

 そこまでいくついでだ。ついでにあのドンがめを乗っけていったところで、たいした手間にはならない。そのはずだ。

 グエルは、自分でひねり出したその言い訳に飛び乗った。

 

 クルマを発進させのろのろと歩くかめの横に付ける。

 

「おい。いつまでノロノロと歩いて行くつもりだ?」

 

 かめの脚が止まる。

 

「おれも大阪に行く。船が見つかるかもしれないからな。ついでだ、乗せていってやる」

 

 振り向いたかめはとても嬉しそうな表情で、多分この顔を忘れることはないだろうな、とグエルは思った。

 

 

 

 

第3章 かめかー

 

 

 かめの身体は2mと大きく、どうクルマに乗せるかグエルは悩んだが、最終的にはかめ自らクルマの屋根によじ登ることにより解決を見た。案外、重量は軽いらしかった。

 クルマの旅は快適だった。道はガタガタで、振動もひどかったが、自分の足で歩かなくてもいいし、エアコンだってついている。昨日までの環境に比べたら天国だ、とグエルは思った。

 

 100kmは、以外に長かった。宇宙空間と地上の距離感覚はまるで違った。それにテロリストにも、テロリスト掃討部隊にも見つからないよう、頻繁に止まっては警戒して進んでいたから、歩みの遅さはしようがなかった。どちらにみつかっても、碌なことにならないのだ。再び捕まるか、掃討部隊の方に見つかれば車両ごとモビルスーツの砲撃を受けてふっとぶか。どちらもごめんだった。

 かめは、そんなグエルの心配を気にもとめていないかのように、クルマの屋根の上を満喫していた。日光浴をするような感覚なのだろう。かめの甲羅干し、というわけだった。

 ときおりクルマから降りて休憩するグエルの目には、かめとクルマの姿は、まるで親がめの上に乗る子がめのようにも見えた。写真を撮ってラウダに見せたら、あいつは喜ぶだろうか。

 

 クルマの旅は怖いくらいに順調だった。空に機影はなく、道に人影はない。海沿いの工業地帯の廃墟を、グエルはクルマで駈ける。

 気持ちに余裕が出てくると、グエルは妙な匂いがすることに気がつく。生臭いような、べとつくような。それでいてどことなく涼やかな。これが、潮の風という奴なのだろうか。

 海、地球にしかない。潮の香り。

 嫌いじゃない、とグエルは思った。

 

 しかし、物事が順調に進んでいるとき、大抵はその先に落とし穴がある。

 

 例えば、かめが『まもる』と言っていたこと。

 かめが格納されていたのは大気圏突入用のポッドに無数の切り傷があったこと。

 それはどこからか地上に墜ちてきたはずであること。

 

 ほんの少し考えを巡らせれば、たどり着けたはずの問い。

 

 かめは、一体、何と戦っていたのか。

 

 

 

 海が見える海岸沿いの道にクルマをとめ、休憩していたグエルの目に、ふとした違和感が飛び込んでくる。クルマの上にかめが乗っている。のんびりと、日光浴を楽しむかのように。その目が、赤く光っている。赤色、警戒色、レッド・アラート。

 かめの顔を見る。明らかに緊張している。どうした、なにがあった。かめにそう声を掛けようとして、グエルはクルマのほうへ戻るべく、海からきびすを返す。

 

 ほんの一瞬前までグエルの首があった空間を、鋭い赤い鋏がかすめていく。

 

 グエルの後ろに伸びた髪がばっさりと切断される。切られた髪が地面に落ちるより早く、グエルは前方へ向けて転がるように飛ぶ。攻撃された。誰に?なにで?

 前転と同時に振り向いた視線の先に、それがいた。

 

 赤い鋏。赤い甲殻。赤い脚。気色の悪い見た目。二足歩行の、ザリガニ。2mの巨大な生き物。

 

 それは、自然にあるはずのない形。クルマのうえにのっかっているかめと同じように。それよりおぞましく。ヒトによってそのように作られた怪物。

 

 グエルの判断は速かった。即座に運転席に飛び乗り、クルマを急発進させる。

 

「なんだ、生物兵器か?クソッ!」

 

 そのグエルの判断は間違っていない。グエルの優れた直感は、図らずも"敵"の正体を言い当てている。グエルは知るよしもない、これから知ることもないそれの正体は、有限会社ムゲンテック製、ザリガニ型生体式自律労働機械・ザリガニィ。果てなき歴史の昔、かつての人類が製造し、製造者である人類に反旗を翻した生体マシンのなれの果て。

 クルマをグエルは走らせる。アクセルは踏める限り踏む。奴から離れるんだ。いくら生物兵器とはいえ、クルマのほうが早いハズだ。

 グエルの考えは間違っていない。ここが海沿いでさえなければ。

 グエルの視界の右側には海。波打ち際に、赤い波。

 海は、青いはずだ。わいて出た疑問の正体は、たやすく明らかになる。

 群れだ。あの生体兵器の群れが、泳いでこちらを追っている。

 

「・・・しくじったか!」

 

 まずい、とグエルは思う。慌ててクルマを出した。そうしなければ死んでいた。だが、ここから先は海沿い堤防沿いの一本道だ。内陸側に逃げられない。

 安全運転なんざクソくらえだ。グエルは一気にアクセルをふかす。

 だが、ザリガニィの泳ぐ速度はそれ以上に速い。木星重力圏の惑星開発事業にすら投入されたザリガニィのパワーは、地球の海などものともしない。

 蛇のようにうねる海沿いの道を、クルマが駈ける。かめは大丈夫か。グエルは思うが、スピードを緩める余裕などない。しっかり掴まっていてくれ、と祈る。

 大丈夫だ、かめはまだ乗っている。クルマの重心変化でわかる。

 そう安心した瞬間、かめが左側の屋根をひっかく音が、グエルに聞こえる。

 左に避けろ。なぜだかグエルにはそのひっかき音の意味がわかった。

 とっさにハンドルを僅かに左に切る。ザリガニィの鋏が空を切る

 仲間を踏み台にして、堤防を高速で登り切ったザリガニィが突撃してくる。

 

「おれは運転に集中する。避けるタイミングで合図しろ!」グエルの叫びに、かりかりというひっかき音が応える。

 

 グエルの中でスイッチが入る。モビルスーツを操縦するとき、無意識のうちに入るスイッチ。超人的な集中力と反射神経が、ろくに運転したこともないクルマを手足のように操ってゆく。

 加古川から西明石、西明石から西舞子。遙か昔に浜の散歩道と呼ばれ親しまれた細い堤防道路を、すさまじい速度でグエルは駈ける。

 だが、だめだ。

 ザリガニィの速度は速い。そして、学習する。

 ザリガニィは先回りをし始めた。沖に出て、高速で泳ぎ、遙か先で待ち構え始めるのがグエルには見える。

 

「・・・堤防の終りは見えてきた、どうする。どう動けばいい」

 

 歯を食いしばりながらクルマを操るグエルの眼前に、巨大な構造物が見え始める。明石海峡大橋。ヒトが宇宙に住み始めるずっと前、島と島を結ぶ交通の要所として整備された大吊橋。

 グエルの目の前、クルマのガラス越しに、かめの指が橋を指さすのが見える。

 あの橋へ。あの橋へ。

 かめの指がそう言っていた。

 

「あそこへ向かえっていうのか!」

 

 力強いカリカリ音。肯定の合図。

 橋の方へ向かう。海沿いの道で?別の道を進めば内陸へ逃げられるかもしれない。いや、内陸に逃げたところで廃墟群に突っ込むことになる。小回りはあっちの方がきく!

 グエルは内陸部に逃げても不利になると瞬時に判断。明石海峡大橋へ向け、アクセルを目一杯踏み込む。

 かめを信じることにしたことも、かめには多分何か考えがあるのであろうことも、すべてはグエルの無意識のうちに考えた。それが、グエルの判断をほとんど瞬時といって良いほどの速度へ引き上げていた。思考と反射が、半ば融合する。

 瞬く間に明石海峡大橋という巨大構造物がグエルの眼前に迫る。さらに向こうには、回り込んできたザリガニィの壁。

 

「さあ、来たぞ!どうする!」

 

 応えるように、かめが吠えた。

 

 それは決して声ではない。かめの甲羅に搭載された戦闘機動エンジンの始動音だ。

 

 かめが飛ぶ。クルマを抱えたまま、迫るザリガニィの壁を飛び越え、橋の上まで。

 

 大推力を精密にコントロールし、かめはクルマを明石海峡大橋の上へ下ろす。同時に甲羅が火を噴いて、戦闘機動エンジンはその生涯を終える。

 

「ハ・・・ハハ。おい、やったぞ」

 

 グエルは緊張の糸が切れたかのように、ハンドルから手を離す。アクセルから離した足が震えている。この橋の高さなら、あの化け物もそうは追ってこれない。そうグエルは油断する。

 

 だから、気がつくのがほんの少し遅れた。まだ、かめの指が橋の先を指し示していることに。

 

 音がする。ガサガサという音。何かが積み上がっていく音。小さな何かが寄り集まって、巨大な何かになろうとしている音。

 

 バックミラー越し、大きな赤い鋏が、天を突いて。

 

 そしてそれは立ち上がった。

 

 無数のザリガニィが、その生体構造を融合させ、一つの巨大なユニットとなる。

 

 それは、巨体。それは、巨大。それは、無数がたった一つとなった、融合型ザリガニィ。

 

 体躯40mを優に超えるそれが振り上げた鋏を前にして、グエルは声にならない叫びを上げた。ホイルスピンにもかまわずアクセルを踏み込む。ただただ逃げる。

 無駄だ。あのサイズだ、こんなちゃちな橋なんか簡単に破壊される。頭の中の理性を恐怖でねじ伏せて、グエルは駈け、そして無駄だったことを思い知る。

 

 融合型ザリガニィの鋏が、明石海峡大橋を文字通り切断する。吊りワイヤーがはじけ飛び、路面が崩れ、橋脚が吹き飛ぶ。

 

 グエルはクルマから放り出され、明石海峡へと墜ちていく。かめも。

 

 

 

 良いことなのか悪いことなのかはわからない。

 

 学園から放り出されても、テロリストの襲撃に巻き込まれても、地球へ墜ちても。化け物に襲われても。

 そしていま、クルマから放り出されても、水面にたたきつけられてもグエルは死ななかった。 肺に水が入らないよう必死に口を閉じ、重しになる服を脱ごうともがく。

 

 どこかで、とグエルは思う。どこかで死んでおけばこんなに苦しくなかっただろうか。傷ついたプライドを、父さんを殺した罪を、地上を彷徨う痛みを味わうことなく楽になれただろうか。

 

 グエルは、目を大きく開いた。海水が目にしみこむが、知ったことではなかった。

 

 クソッタレだ!

 

 何も自分で決めてこなかった!弟に後始末を押しつけた!父さんを殺した!そんな自分から逃げだそうとした!

 こんなところで死んでたまるか。おれは、生きて、おれのしでかしたこと全てと、向き合わなきゃならないんだ!

 

 決意の元に見開いた目で、グエルはそれを見た。それは、海中に沈んだかめだった。無数のかめの死骸だった。グエルが出会ったかめよりも、遙かに大きな死骸、その群れ。

 

 いつのまにか、かめがそばを泳いでいる。グエルの手を引く。こちらへこいと。

 海峡深く沈む、巨大なかめの死骸めがけて、一目散にグエルを引っ張って泳ぐ。

 

 それは、死骸ではない。それは、生き物ではない。かつて、汎用亀形作業機械と呼ばれた巨大な戦闘機械。敵を打ち倒す作業のためだけに作られた、模造亀用強化重外骨格。

 巨大なかめの腹が開き、グエルとかめを吸い込んでゆく。

渦に巻き込まれ、思わずグエルは目をつむる。

 

 そして目を開けたとき、どこにいるのかグエルは気がつく。

 

 コックピット。

 

 どこかで見たようなシート、どこかで見たようなモニター、どこかで見たようなレバー。シートの後ろには、かめが無数にのびたケーブルで壁面とつながれ、固定されている。

 グエルはモビルスーツの中にいるような気がして、いつものようにシートに座り、レバーを握る。

 

 どこからか、グエルの頭の中へ情報が流れ込んでくる。声でもなく、文字でもなく、情報だけが頭の中に書き込まれるような感覚。

 

 それは、かめがグエルに伝えたかったこと。

 

 目の前の敵はザリガニィということ。木星でザリガニィとの永い永い戦いがあったこと。それに対抗するために、かめという、亀形自律機械、模造亀が無数に製造されたこと。かめの装備として、巨大な模造亀用強化重外骨格が建造されたこと。そして、地球本土決戦に備え、かめ本体の処理能力を超える戦闘能力が要求されたときに備え、かめ自身がパイロットとなる人間と模造亀用強化重外骨格をつなぐカメ=ヒト・インタフェースマシンとしての機能を備えること。

 

 そしていま、自分といっしょに戦って欲しいということ。

 

 グエルは思わず、すこし笑った。あまりに荒唐無稽な話だ。太古の昔の木星圏でのザリガニ生物兵器と亀形戦闘メカとの戦争だって?大体なんだこの操縦系は。モビルスーツそのものじゃないか。何万年たとうと人間の考えることは変わらないのか?

 まるでできの悪い映画の世界に迷い込んだようだ。そうとも、信じられないに違いない。この身体に走る痛みさえなければ。

 

 いっしょに戦って欲しい、か。

 

 グエルは思う。思い出す。

 あの学園で、スレッタ・マーキュリーにそう言われたときのことを。

 どうして、あのとき。もしもあのとき、一歩踏み出せていたならば。

 

 後悔だった。そしていま、二度とすまいと誓った。

 

 眼前に文字が映し出される。パイロット名称登録。

 

 それは儀式のような、お約束のようなものだった。ヒーローが名乗りを上げるように、変身と大きく叫ぶように。ロボットに乗るときの、お約束。

 

 お前は誰だ。目の前の文字はそう問いかけているようで、グエルは震えた。喉がこわばる。引っ込もうとする声を、強い決意で無理矢理押し出す。

 

 そして叫ぶ。震える声で。

 

「おれは・・・ジェターク!グエル・ジェタークだ!」

 

 父を殺した。兄であることを放り出した。好きな女の手助けもできず、そんな自分からも逃げだそうとした。それでも、まだ残っているものがある。前に進む。罪と向き合い、家族と向き合い、宇宙へ戻り、おれのできることをする。

 

 それが、おれの進むべき道だ。それが、グエル・ジェタークだ。

 

「お前といっしょに戦う!そして、おれ自身を、グエル・ジェタークを証明してみせる!」

 

 叫びとともにレバーを握る。

 

模造亀用強化重外骨格の瞳に光がともる。

 朽ちかけた鉄腕に力がみなぎる。

 海原を裂いて立ち上がる。

 

 橋の瓦礫を蹴散らしながら、巨大な鋏を掴んで止める。

 

明石海峡のど真ん中で模造亀用強化重外骨格と融合型ザリガニィは四つに組み合う。

 

 巨体と巨体、5分と5分。

 

「まずは、こちらの有利な場所にさせてもらう!」

 

 模造亀用強化重外骨格の甲羅の中心、キールと呼ばれる部位がせり上がる。木星重力圏用戦闘機動エンジン。

 

「ブースト!」

 

 海が爆ぜた。

 明石海峡の海水は瞬時に沸騰し、巨大な水蒸気爆発を起こす。エンジンの余波で海中の土砂が巻き上げられ、淡路島全域に降り注ぐ。

 その爆発を遙か後に置き去りにして、グエルはザリガニィを海から弾き飛ばす。推力に任せた体当たり。明石の廃墟を巻き込んで、ザリガニィを陸上へ吹き飛ばす。

 

 グエルの脳内に警告情報。かめからの警告。模造亀用強化重外骨格はかめ側の操作により左サイドの戦闘機動エンジンを噴射。ザリガニィが鋏の間から放った重粒子ビームをかろうじてかわす。

 

「相手の反応が早いか!サイドエンジンの操作は全部お前に任せる!おれは奴への攻撃に集中する!」

 

 グエルは操縦系のうちサイドエンジンの制御をすべてかめに委譲。回避操作の全てを託す。ダリルバルデの操縦経験がグエルの中で生きた。任せるべきは任せる。取るべき手綱は取る。

 

 マシンを信じ、マシンとともに戦う。こういうことか、とグエルは思う。自身の持てる能力は、全て攻撃系へ回す。一歩も引くな。逃げればひとつ。進めば二つだ!

 

 シャワーのように降り注ぐ重粒子ビームの中をエンジン出力を全開にして突撃する。甲羅の端は弾け飛び、表面装甲のあちこちが消し炭になる。回避のほとんどをかめのサイドエンジンにまかせ、手足への致命打は先読みのAMBACでしのぐ。かつてファラクトのビームを避けたように、それ以上の動きで。

 

 時間にしてほんの一瞬、しかしグエルにとっては何時間もたったかのように感じられるほど濃密な瞬間を経て、模造亀用強化重外骨格は融合型ザリガニィの喉元へ肉薄する。

 

「ビームを撃ってる間は、鋏が使えないか。隙だらけだったな!」

 

 模造亀用強化重外骨格がその顎門を開く。

 

 首への噛みつき、その一撃。

 

 急所を狙い澄ましたその一撃で、融合型ザリガニィの群体制御回路が集中する器官は完膚なきまでに粉砕され、バラバラになったザリガニィたちが、エンジン噴射の余波で燃え尽きてゆく。

 

 戦いが、終わる。

 

 

 

 

第4章 かめびうす

 

 

 かつて、そこは大阪と呼ばれた巨大都市だった。道頓堀、大阪城、ウニバーサルスタジオ。様々な観光名所に彩られた西の都市は、今や廃墟。

 荒れ果てた都市の中を、グエルとかめは歩いていた。

 模造亀用強化重外骨格はその全てのエネルギーを使い果たしたのか、もはや動くことはなかった。記憶の中のGPSマップと道路看板を頼りに、一人と一匹は道を歩く。

 やがて、視界の向こう側に天高くそびえる長大なレール。まさに電車のレールのような巨大構造物が見えてくる。廃墟に残された広域地図にはこう記載されている。

 

 軌道エレベーター「通天閣」。

 

「本当にあった・・・のか。あんなに大きいなら、もっと遠くから見えてもいいはずだ」

 

 グエルは一人、疑問を口にする。答えが返ってくるなどとは期待していなかった。返ってくるとして、それが理解できるような内容だとも思えなかったが。 

 

 道を行く。通天閣はどんどん近づいてくる。道頓堀を超え、阪急電車の線路跡をまたぎ、アーケードを越え、歩き着いた一人と一匹を、アーチ門が迎える。アーチ門には大きく"旧世界へようこそ"と書かれている。

 

「旧世界・・・なんのことだ」

 

 グエルにはしかし、なんとなくわかる気がした。幼い頃家庭教師に聞かされた地獄の門の話。この世とあの世を隔てる門。これは、何かの境界線なのだ。

 恐る恐る門をくぐり、後ろを振り向く。アーチ門は変わらずそこにある。アーチ門には大きく"新世界へようこそ"と書かれている。

 

 世界が違うのだ。グエルは思った。だから外の世界からは、中にある通天閣が見えなかった。たとえどんなに巨大でも。おそらく、衛星から見ても観測できないだろう。

 おれはきっと、とグエルは思う。夢の世界に迷い込んだ少女アリスのように、この世界へ迷い込んでしまったのだ。元いた世界から。

 おとぎ話か小説の世界のように荒唐無稽だが、そうとしか考えられない。どのみち、とグエルは思った。こちらの常識で測れないようなことがばかりなのだ。今更この程度のことでどうなるというのだ。

 

 

 どのくらいの時間歩いたのか、一人と一匹は通天閣の麓に到着する。

入り口と思しきところにはかすれた文字でかかれた看板があり、かろうじて 〝電車〟〝駅" "通天閣" の文字だけが読み取れる。電車、という言葉でグエルは理解した。こいつは、通天閣とは巨大な電磁レール加速器なのだ。リニアモーターカーやレールガンの巨大な親戚だ。

 これが軌道上へ輸送物を射出する。昇り一方通行の、巨大なエレベーター。その行き先ははたして、本当に宇宙なのだろうか。

 漫然と辺りを見回すグエルの服の袖を、かめが引っ張る。

 

「おい、なんだ。どこへ行くんだ」

 

 そういいつつ、グエルはかめに引っ張られるのに任せて後をついて行く。

 

 複雑な駅構内を、かめは迷わずに歩いて行く。まるで、何度も来たことがあるかのように。

 駅の壁や天井は所々崩れ落ちていて、見上げれば様々なものが見えた。無数に張り巡らされたケーブルや、ピカピカと光を放つ機械、本当に電車のような形をした電磁射出カーゴ。

 

 瓦礫だらけの通路を抜け、ほこりまみれの階段を昇り、やがて到着したのは、改札口だった。

 かめは、改札口の横にしつらえられた自販機のような機械を指さす。表示には"券売機"。

 

 ここで、乗車チケットを買うのだ。直感的にわかった。

 

 かめは手慣れた手つきで、しかしゆっくりと。まるでこちらに教えるように券売機を操作してゆく。太い指が、ボタンを一つ一つポチポチと押してゆく。

 やがて券売機に無数の行き先が表示され、かめは迷わずそのうちの一つを押した。

 

「木星」

 

 グエルは呟く。それに答えるようにかめは頷き、もう一度券売機を指さした。

 無数に表示される行き先の中、見知った文字が幾つか目についた。"アスティカシア" "木星" "子供部屋" "クエタ" "地球" "水星"。

 

 行きたい〝とき〟へ、行きたい〝場所〟へ。チケットを選べ、そういうことなのだろうなとグエルは思った。

おれの行き先とお前の行き先は違う。数日前に自分が喋った言葉が、思い出された。

 

「おまえとも、ここでお別れか」呟いたグエルに、かめは頷いた。肯定の合図だった。

 

 グエルは、しばらくじっと券売機を見つめたあと、ボタンを一つ選んで押した。行き先が印字された切符が券売機から出てくる。紙でできているはずなのに、それは鉄よりも重く感じた。

 

 軌道エレベーター「通天閣」。それが指す軌道とは、宇宙空間の軌道を指し示すものではないのだろう。おそらくそれは平行宇宙とか、夢と現実とか、そう言った別のものを指し示しているに違いない。

 

 きっとこのかめ型機械とも、もう会うことはないのだろう。

 

 別れを惜しんでいる自分を悟られないように、あるいは別れの挨拶のように、グエルは亀の背中を手のひらで叩いた。ぽん、という中身の詰まったいい音がした。戦いの埃でくすんだ緑色の金属面に、グエルの手形が残る。かめはその手形を見て、次に自分の手のひらを見ると、自分の手のひらを、そっとグエルの胸に押し当てた。

 

 左胸に、かめの手形が残る。

 

 グエルは微笑んだ。今よりずっと小さな頃。まだ母がそばにいた頃のように。

 

 静寂を引き裂くように、駅構内にベルの音が響いた。

 発車ベルだ、とグエルは思う。

 時間が来たのだ。

 

 かめはほんの数秒だけグエルの顔を見つめると、きびすを返し、改札口へ向かってグエルを引っ張った。

 

「おれの方が先か」

 

 グエルは改札へ向けて歩き出す。切符を改札機に入れようとして、一瞬迷い、一度だけ振り向いた。

 

「おい、かめ!」

 

 改札の外側で、見送るように立つかめに向かい、グエルは叫んだ。

 

「ありがとうな!」

 

 かめがそっと手を上げて振る。

 それを見て、グエルは切符を改札機に入れた。

 そして、二度と振り返らなかった。

 

 第15話 父と子

 

 助けられなかった、なぜ助けようと思ったのかすらわからないアーシアンの子供を弔い終えたとき、グエルの中にあるのは一つの思いだった。自然と、言葉が口に出た。

 

「おれは、どうすれば・・・」

 

 長く見ていた夢から、突然覚めたような気分だった。目の前の現実と、自分の気持ちに、心がたった今折り合いを付けているかのよう。

 名も知らないテロリストが、応える。おれを捕らえた男。俺に食事をねじ込んだ男。子供を埋葬するのを、無言で手伝った男。

 

「おれはお前の親じゃない。・・・どうしたらいいかなんて、自分で考えるんだな」

 

 男が背を向けて歩き出す音が聞こえる。

 

 歩き出す。どこへ?

 

 おれは、何を求めている?・・・その答えは自分の中にある。グエルはすでに、それを知っていた。もはや思い出すこともない、あの夢幻の出来事の中で、それに気づいた。

 

 逃げれば一つ。進めば二つ。気がつけば、グエルは男へ向けて一つの言葉を口に出している。

 

「教えてくれないか、軌道エレベーターへの行き方を」

 

 そう、これ以上なくしたくはない。おれと、父さんをつなぐものを。

 

 

 to be continued...The Witch from Mercury EP.16

 



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