魔法少女かずみ?ナノカ ~the Badend story~ 作:唐揚ちきん
カンナの死を看取った次の日、俺は河川敷にてホームレス共同体の皆さんへ別れの挨拶を告げていた。
本来なら俺のような行く当てのない子供を匿うなど、相当なリスクがあったはずだ。それを差し引きしても俺を引き入れるメリットはなかっただろう。
それにも拘らず、俺を温かく迎えてくださったこの方々に心よりお礼を申し上げたい。
「ありがとうございました! 短い間でしたが、皆さんから受けたこのご恩一生忘れません!」
深々と頭を下げると、杉松さんが寂しげな表情を浮かべる。
「本当に行くのかい?」
「はい。こんなものが届いた以上は皆さんにご迷惑は掛けられません」
俺の手には、大きな文字で書かれた警告文が握られていた。
文面の内容はこうだ。
『本日、十八時までにあすなろタワーで待ってるから一人で来いよ。もし破った場合は、一緒に生活してる河原のオジサンたちがなぜか居なくなりますのでご注意を。なんてな!』
差出人はあきらだ。この紙を包んだブロック片が今日の昼に俺が寝起きする小屋に投げ込まれていた。
奴には既に俺の居場所は割れていた。幸い、その時間帯はホームレスの皆さんは空き缶集めに精を出していたため、奴と鉢合わせた人はいなかったが、仮に居た場合は見せしめとして命を奪われていた事だろう。
杉松さんたちは性質の悪い嫌がらせだと言っていたが、あきらを良く知る俺には分かった。
奴ならやる。確実にやるだろう。
あの天才的外道なら物理的にホームレス共同体を破壊する術をいくつも持っている。
俺は河川敷とそこに住む心優しい人たちにもう一度お辞儀をして、この場から立ち去った。
杉松さんに焼き魚をご馳走できなかったのは心残りだが、今の内にここから出なければ、ご馳走にされるのは彼らだ。
餞別として正式にもらったフード付きのジャージを羽織り、あすなろタワーへと向かう。
道中、洋食屋『アンタレス』の前を通ると、開店前の店先で掃除を行う赤司大火とその母親の姿を見つけた。
「あんた、箒の掃き方がまるでなっちゃいないよ。そんな意味なく力込めて地面に押し付けて、箒が折れたらどうするんだい」
「煩いぞ、お袋。そこまで言うなら、見本を見せてくれよ。見本」
「アホ
どうやら、母親に掃除の仕方で怒られているようだ。叱られた彼は不満げな表情を浮かべつつも、言われた通りに掃き方を改める。
その様子に俺は僅かに口元を弛めた。あの少年は日常へと帰っていった。もう
さらばだ。俺ではない
それだけを横目で眺めつつ、過去を振り切るように店の前を通り過ぎた。
お袋を見てもかつてのように取り乱さなかった自分が少しだけ誇らしかった。心に整理が付いたおかげだろう。
俺とあの少年は違う道を行く別人だと納得ができた。ならばもう、一人の知人として彼の今後を応援するのみだ。
彼らの生活を守るためにも、あすなろタワーへと足を急がせた。
*
あすなろ市の中央に、街の象徴として建っているこの建造物は、集約電波塔兼観光名所だ。この街の子供なら一度は親に連れて来てもらった事があるだろう。
例に漏れず、俺もまた親父が生きていた頃に連れて来てもらった。
しかし、今は懐かしさに浸る暇はない。
タワーの前に立っていると、不意に背後から気配を感じた。
顔だけ振り向けば、そこにはルイが腕組みをして佇んでいる。
「ルイ……」
「やめろ、残火。これはお前を誘き寄せる罠だ」
流石斥候の魔法少女。あの手紙の事まで知っていたようだ。
文字通り、複数の目を持つ彼女には隠し事はできそうにない。
だが、俺は譲る訳にはいかない。
「罠でも行く以外に道はない。それに直感だが、あそこにはかずみが居そうな気がするんだ」
あすなろタワーの上部の展望スペースを自分の顎で指し示した。
奴ならば、かずみを連れて来る。彼女に俺を殺させる事が、一番俺を苦しめる事になるからだ。
最悪であるが故に、自分にとっての最悪な展開をイメージすれば、その狙いは自ずと見えてくる。
「ならば、私も同行する! 異論はないな?」
「駄目だ、ルイ。それをすれば、奴は何らかの手段でホームレス共同体を襲う。彼らにはあそこ以外に帰る場所はないんだ」
「しかしッ!」
それでも断固として、彼女は納得しなかった。
俺はもう何も言わず、タワーのエレベーターに一人で入る。
ルイもまた愚かではない。彼女とて理解していただろう。
にも拘らず、あえて無意味な問答を積み重ねたのは、俺には何となくだが分かった。
もう彼女は知人を誰も失いたくないのだ。里美を筆頭に仲間を何人も失った彼女には、決して癒えない傷跡が心にいくつも残っている。
だからこそ、俺はルイを連れて行かない。彼女に自己満足の心中などして欲しくないのだ。
これは負け戦。手札の強さでは話にならないワンサイドゲーム。
杉松さんたちへの配慮も嘘ではないが、俺の本心はずっとこう思っている。
……かずみに会いたい。
この感情は、過去に来てから長い間抱えてきた想いだった。
俺はかずみを救うためにここに来た。期間にすれば二、三週間程度だろうか。
酷く長い時間を過ごしたような気分だ。
だが、ようやくお前に会える。俺のたった一人の妹に。
エレベーターが展望スペースの階まで上がっていく。
焦ったい時間の中、俺はかずみの事だけ考えていた。
彼女に会って、まず何を言おうか? 俺の事など知る由もないだろうから、最初は自己紹介からだ。
よし、決めた。俺はこの金属の扉が開いたら、すぐにかずみに話しかけ、名を名乗ろう。
そうやってじっくり考えている内に、エレベーターは目的の階に到着する。
開いた扉から見えたのは、忘れもしないかずみの姿。黒いとんがり帽子に、黒いマント。その下には露出の多い衣装。
そして、十字架のような長い杖……。
懐かしささえ感じる魔法少女の衣装だ。
「かず……」
感動で声が上擦ってしまう。
だが、その名前は最後まで言い終わる前に。
「『リーミティ・エステールニ』!」
杖から迸る閃光が、開かれた扉から注ぎ込まれた。
正確に俺へと照準を合わされた眩い魔力の光線は、全身を破壊の光で塗り潰す。
「みッ……ぐッッ、がああああああああああああああああああああああ……ッ!?」
叫んだ喉が魔力に焼かれ、呼吸が止まる。
目は激しい光で視力を失い、映る景色は白から黒へと変わった。
耳は自分の絶叫さえも、途中で聞こえなくなり、完全な静寂に包まれる。
皮膚は高熱で炙られたように焦げ付き、瞬く間に炭化して剥がれ落ちていった。
全ての感覚器官を失い、俺の意識は掻き消えていく……。
―—はずだった。
喪失した五感の代わりに、新たに生まれた別の感覚がそれを捉えた。
肉体から何かが幾つも生えて、欠損した部位を埋め立てていく奇妙な意識。
その『生えた何か』はテディベアだ。みらいの魔法が自動的に発露し、肉体からテディベアが数十ほど生成されたのだ。
治癒でもなければ、再生でもない。元あった肉体を改めて、違う形に作り替えていくその工程は“再構築”。
俺の姿は人から、歪んだ異形へと変えられていく。
五感が戻った時、肉体は薄ピンク色の外骨格に覆われていた。
両手と尾の先から競り上がっているのは大剣の刃。三本もの剣を生やしたその姿はみらいの魔法を纏った形態。
『
俺が確固たる自身のアイデンティティを確立したからか、カンナがくれた『コネクト』の魔法のおかげかは判断できない。もしかすると、その両方かもしれない。
分かるのは、今ならこの力を十全にコントロールできるという事。その一点に尽きる。
開いた鋏角の間から伸びている大剣を杖代わりに突き刺すと、熱で溶け掛けたエレベーターの中から俺は飛び出した。
既に入り口から充分な距離を取っていたかずみは、俺の姿を見て、嫌悪感を隠さない。
「気持ち悪い……本当に人に化けていただけの魔女モドキだったんだ……」
そうだ。俺は怪物になった。
中核かつ本体であるイーブルナッツを破壊されない限りは、俺に死は訪れない。
肉体が全て魔力で構成された紛い物だからこそ可能な芸当だ。魔法少女はもちろん、あきらにすらこの再構築は真似できない。
「その通りだぜ、かずみちゃん。そいつこそ、ニコちゃんを陰から操り、プレイアデス聖団を崩壊に導いた諸悪の根源の魔女モドキ……いや、魔物、『スコルピオーネ』だ。人間の姿に擬態していたみたいだが、俺たちの目は誤魔化せないぜ?」
視界の端から歩いてきたのは、怨敵・一樹あきら。
奴は余裕のつもりか、未だドラーゴに変身しておらず、憎たらしい少年の姿のままだった。
その後ろからもう一人見慣れぬ顔が続く。ややベージュ色に近い白い髪をストレートに流した小学四年生くらいの子供だ。
顔立ちはかずみに似ているが、浮かべた目付きはあきらに似ている。何より、微弱だが、確かに彼女から感じるこの反応はイーブルナッツ特有の魔力。
あの幼女がかずら。カンナの手で造られた白竜の魔女モドキ、『ドラーゴ・ラッテ』だ。
俺の中のカンナの記憶によると、その実力は魔法少女三人を軽くあしらう速度と魔力を保持しているらしい。二つイーブルナッツで強化したドラーゴと同等と見積もった方がよいだろう。
加えて、プレイアデス聖団の全員の魔法を自在に使えるようになったかずみ。
……本当にルイを連れて来ないで良かった。
この戦いは負け戦だ。みらいの魔法でパワーアップしたとはいえ、この三名を相手に勝利を掴み取れるとは到底思えない。
だがしかし。
『……残火だ』
「ああん? 何だって?」
『俺の名は残火だ! それ以外に俺を表す
俺は、最後まで諦めずに運命と立ち向かう。
この街であった全ての魔法少女たちがそうしたように、抗って、抗って、抗い続けてみせる!
それがこの短くも重厚な時を過ごした俺の答えなのだから。
〜かずみ視点〜
あの大剣、あのテディベアを生み出す魔法。間違いない、あれはみらいの魔法だ。
魔物・スコルピオーネは、みらいの魔法を奪い取って、自分のものにしているんだ。
そもそもそれが狙いで、あいつはプレイアデス聖団に近付いたのだとあきらは話していた。
魔法少女を殺して、魔法を奪い取る最悪の怪物。それがこのスコルピオーネの本性。
私が倒さなきゃ……。私が、この魔物を倒して終わらせなきゃいけない。
それが曲がりなりにも、プレイアデス聖団に作られた魔法少女としての私の務めだ。
分身の魔法で数を十人に増やし、敵を囲う。エレベーターから飛び出した時の俊敏さから、準備に手間取る合体魔法は危険……。
それなら、数人で肉迫しての接近戦で引き付けてから、残りで遠距離狙撃でダメージを蓄積させよう。動きが鈍くなるまで相手の体力を削って、全員での一斉射撃でトドメを刺す。
方針は決まった。私は即座に近接攻撃に適した帯電や硬質化の魔法を選択し、分身に使わせる。里美の操りの魔法で、分身の動きの精度を格段に上昇させ、スコルピオーネ目掛けて突撃させた。
武装は硬化魔法を付加した大剣使いを二人、帯電魔法を付加した鞭使いを二人、十字の杖を変形させた長剣使いを三人。合計七人の私が乱戦に突入する。
振るわれる魔物の鋏から突き出た大剣を同じく硬化した大剣の刃で受け止める。魔力で形成された刀身同士が激突して、鈍い音と火花に似た光が散った。
それを庇うようにスコルピオーネの尻尾が弧を描くように跳ねた。尾の先端に付いた第三の大剣が、鍔迫り合いをしている大剣使いの片方を襲う。
当然予測していた私は、背後に回った二人の鞭使いに電気を纏わせた乗馬鞭で絡みつかせ、尻尾の固定させる。これで三本の刃の動きは完全に封じた。
間髪入れずに、開いた両脇から装甲の隙間にそれぞれ三本の長剣の切っ先を突き立てる。
―—浅い……。分身からの反応で貫通の手応えがないとすぐに分かった。
脇の下にある関節部分を狙ったのにも拘らず、刃先は数センチで止められている。装甲の下にある筋肉を締めて、刀身を挟み込んだ様子だ。
けれど、そんな姿勢で筋肉に力を入れていれば、次の動きに移る事は不可能。スコルピオーネはこれ以上身動きはできない。
距離を離して四方から囲むように配置していた杖を持つ分身に、本体の私を加えた四名は魔法を撃つ体勢は整っている!
これで終わり。プレイアデス聖団を裏から支配していた邪悪は散滅する。
「『リーミティ・エステールニ』……!」
四方向から放たれるミチルの破壊の魔法が、スコルピオーネを分身ごと狙い撃つ。
最初の一撃とは違って、流れる力の逃げ場はない。威力は単純に四倍された訳じゃなく、中心点で交わり何倍にも膨れ上がる。
光の波が収束し、弾ける。近くにあった窓ガラスが吹き荒れる魔力で、砕けて散った。
これで勝負は付いた、はず……。
白い光が薄れた後、そこに見えたのは黒焦げになって崩れた――壁。
不揃いで凹凸のある壁は崩れたは……テディベアで作られていた。大量のテディベアを中途半端に溶かして固めた悪趣味な芸術品のような全方位を覆うドーム状の壁だ。
悪夢ような壁がボロボロと砕けて、その内側から煤で汚れた薄ピンクの装甲が見える。
無傷、じゃない。でも、致命的なダメージまでは受けていない。
緩やかな動作でスコルピオーネは動き出す。
『かずみ……。俺は敵じゃない。信じてもらえないかもしれないが、お前の味方なんだ』
歪に反響する声は
聞く必要はない。こういう嘘でプレイアデスの皆を操ってきたんだ。あきらがそう言っていたから間違いない。
「かずみお姉ちゃん。援護するよ!」
後ろからやって来たかずらが、軽く飛び跳ねて、四枚の翼を持つ白い竜へと姿を変えた。
ニコがイーブルナッツの力を組み込んで作ったというこの子は、魔女モドキへ変身する能力を持っていると聞いていたけれどまさかドラゴンになるとは思っていなかった。
滑空するようにスコルピオーネに接触すると擦れ違いざまに、額から生えた曲刀のような長い角で斬り付ける。
『くっ……』
両手の大剣で十字に重ねて防御の姿勢を取るが、私の攻撃で焼け焦げて脆くなっていた大剣はその一太刀で根元からへし折れた。
行ける……! みらいの『ラ・ベスディア』でテディベアを呼び出して回復する前に、もう一度高火力の攻撃で叩けば、今度こそ打ち倒せる!
滞空して羽ばたくかずらに、同時攻撃を提案する。
「かずら! 私と力を合わせて遠距離から攻撃して!」
『任せて、かずみお姉ちゃん。仲良し姉妹の絆、アイツに見せ付けちゃおうよ!』
頷きを返して、スコルピオーネが接近して攻撃してくる前に破壊の魔法を撃ち出した。
かずらの開いた口からくすんだ白い炎が放った白い光に螺旋を描くように巻き付いて、真っ直ぐに放出される。
「『リーミティ・エステールニ』!」
『カルド・エルツィオーネ!』
破壊の光線と爆炎が交わり、多少弱っているスコルピオーネを呑み込んだ。
飽和する白いエネルギーが敵の装甲を焼き尽くし、修復すら行わせる事なく、打ち砕く。
『ぐ、ううぉおおおおおおおおおおおおおおおおおぉぉぉ……!』
唸るような絶叫を上げながら火炙りになったシルエットは小さくなり、両手の鋏や尻尾が焼け落ちていった。
白い炎が観覧スペースを染め上げるが、魔法で作られた火焔は燃え広がる事なく、役目を終えた瞬間に消え失せた。
残ったのは人型の炭の塊。それが焦げた床の上に物言わず、転がっている。
またテディベアを生やして肉体を作り直そうとする気配はなかった。
私は恐る恐るその焼死体に近寄る。警戒を怠らずに、いつでも杖で身を庇えるように構えながら、スコルピオーネだった死骸を蹴った。
ぼろりと腕らしき部位が割れて、床に散らばる。
「本当に、死んだの……?」
魔女モドキでもあるかずらに尋ねるが、彼女は竜の姿のまま肩を竦めてみせた。
『どうだろうね? この怪物もイーブルナッツを核にしてるなら、それを取り出せばきっと自我は消滅すると思うよ』
どうしようか。後方に居るあきらに判断を仰ぎに行く?
いや、駄目だ。首を振って弱気な自分を振り払う。
あきらがいくら頼り甲斐があると言っても、魔法少女である私が自分の意思で対処するべきだ。
これはプレイアデス聖団が撒いた種。一時的だけど、その一員だった私が決着を付けないといけない事。
最後の務めとして、杖を大きく振り上げて、死骸に向けて叩き付けようとした。
その瞬間、黒ずんだ塊から一本のケーブルが飛び出した。
「……ッ!」
杖の十字の部分でとっさに身体を隠すが、伸びたケーブルは私の右耳の下――私のソウルジェムへと突き刺さる。
「あ――」
ソウルジェムを割られる。そう思ったが、違った。
破壊の代わりに、もたらされたのは膨大な映像だった。
そのどれもが悲しくて辛い、敗北の歴史。かつて赤司大火と呼ばれる少年の成れの果ての短い人生。
そして、あきらに関する私の知らない一面だった。
嘘だ。嘘だ、嘘だ、嘘だ。
こんなものが真実であるはずがない。スコルピオーネが用意した偽の記憶に決まっている。
でも、それなのに……。
心は言っている。これが本当の事だと私じゃない私が囁いている。
誰なの……? もしかして、ミチル? 私の傍に居るの……?
全身から力が抜け、ぐったりと焦げた床に座り込んだ。左耳に付いた、私のソウルジェムではない鈴がちりんっとなって、宙に浮いた。
鈴のイヤリングだったそれは花の蕾が花開くように捲れ、中身が出る。
現れたのはグリーフシード。誰のものかなんて考えるまでもない。
ミチルだ。魔女になったミチルが落としたグリーフシード……。
「そんなところに、居たの?」
差し出した両手で、ミチルのグリーフシードを優しく包み込む。
握ったそれから、何故だか感じ取れた。今見た記憶が真実であり、スコルピオーネ―—残火こそ私を救おうとした人だと。
プレイアデス聖団を裏から操り、壊滅させたのは彼ではなく……。
「……あきら、だったんだね」
振り返った遥か後方に立つ、大好きだった男の子を見る。
最初は心配そうな目で何か言おうとしていた彼だったが、私の表情から何かを察したらしく、にまっと相好を崩した。
「あっれぇ? ひょっとして全部バレちまったか?」
ぞっとして背筋が凍った。
生まれて一月も経っていない私でも分かる、全人類の悪意を集結させたような笑み。
誰かが成り代わっているとか、何者かに操られているとかじゃない。本当に出会った時から彼は邪悪だったんだ。
「じゃあ、もう隠してる必要はないよなぁ? ……変身」
彼の姿が瞬時に切り替わり、別の形状へと変貌していく。
そこに居たのは不幸と悲劇を導く黒い竜。それが一樹あきらの正体だった。
四枚の蝙蝠のような翼。指先から伸びた長い鉤爪。額から生えたジグザグに曲がった角。
かずらの色違いのようなその姿こそ、残火に見せられた記憶の中でいくつもの悲劇を作りあげた真の諸悪の権化だ。
黒竜になったあきらは、滑るように空中を飛んで接近しようとする。
立ち上がろうとするが、脚は思うように動かなかった。肉体の問題じゃない。精神が原因だ。
私の心は折れていた。何もかも信用できない中、たった一人支えてくれたあきらが黒幕だった。
その事実が心の中核から私を蝕んでいた。
「はは……」
乾いた笑いが口を突いて出た。
涙は出なかった。泣き出すには私はもう多くの間違いを犯してしまった。
最たるものが、残火の殺害。私は、私を救いに来た人をこの手で殺してしまったんだ。
騙され、操られ、全てを自分の手で壊して、帰る場所も失った。
絶望が心を黒く汚染していく。
……私、魔女になるのかな。いや、それよりも早くあきらに殺されるか……。
けれど、近付くあきらを阻むように白い影が私の前に躍り出る。
『おっと。それは駄目だよ、パパ。かずみお姉ちゃんはやらせないよ』
「かずら……。あなたは……」
そうだった。かずらは私と同じように作られた命。
私と同じ由来を持つ、この世でたった姉妹なんだ。間違えていた私はまだ一人じゃ――。
『蠍の魔女モドキを殺すのを手伝ったら、かずみお姉ちゃんを食べさせてくれるって約束であたしはパパに付いたんだよ? 忘れちゃったの?』
「……え」
かずらが言った言葉が理解できない。
私を、食べる……? それがあきらと交わした約束?
目の前が暗くなるのを感じる。でも、耳だけはしっかりとこの最悪の会話を拾ってくる。
『あー……。確かに言ったな。でも、悪ィなァ。あれは嘘なんだわ。……俺さ、他人が最後に残した好物を横から掠め取るのがだァい好きなんだ。大事に取って置いたものが奪われる悲しみが最高のスパイスになるからなァ?』
黒い竜が先の割れた、蛇ような舌で口元を舐め取る。
それを受けて、白い竜も歪んだ笑みを浮かべた。
『知ってたよ。だって、あたし、パパと同じ精神構造してるんだよ?』
『はっはっは。似た者同士だなァ、マイ・ドーター。で、どうするよ? お前との格比べはとっくに付いてるだろォ?』
『そうだね。でも、あたしにはこれがある』
鉤爪の生えた手を開くと、そこには小さな宝石箱が握られている。
宝石箱を無造作に握り潰したかずらは、その中から二つのイーブルナッツをあきらへ見せ付けた。
あきらはそれをつまらなそうに眺めて言う。
『おいおい、何か隠し玉があるとは思ってたが、今更イーブルナッツかよ。かずら、お前、俺が思ったより馬鹿だったんだな』
蔑むような目付きでかずらを見下しながら、黒い竜は出来の悪い生徒に教鞭を取るように説く。
『イーブルナッツの特性は感情エネルギーの吸収と増幅。イーブルナッツが増えれば、魔力は増幅されるが、感情エネルギーの核である魂の一部は吸収される。俺が何で二つで止めてるか考えたこともなかったか? 三つ目で魂がイーブルナッツに吸収され、自我崩壊が起きる。四つも使えば……ボン! 増幅され過ぎた魔力はコントロールを失い、大爆発する』
片手を大げさに広げて、爆発を表した。
『俺の言ってることがただの脅しかどうかくらい、お前の
かずらはその説明を黙って聞いていた後、逆にあきらを小馬鹿にする噴き出した。
『ふふッ。やっぱりパパは人間だね。固定概念に支配されている。それは魂が一つの場合だよ。魂が二つあれば片方が吸収されても、自我崩壊は起こらない』
『あ? まさか、かずみちゃん喰って「魂が二つになりましたー」とかやるつもりか? それこそ馬鹿だぜ。ソウルジェムを砕いて取り込んだところで、魂の数は増えねェんだよ』
ますます呆れ果てた黒い竜は侮蔑の感情を強めるが、白い竜はそれを物ともせずに笑い続ける。
『それが、固定概念だって言うだよ。わざわざ噛み砕かなければいいの……こうやってね!』
「わっ……!」
白い尾が伸びて後ろに居た私の身体を巻き取り、自分の手元へと引き寄せた。
濁りのある白い、ゴツゴツとした硬い鱗が肌と触れ合う。だけど、次の瞬間、ずるりと触れた肌が吸い込まれた。
「な、に……これ!?」
底なし沼のように私の身体は、白い竜の肉体に沈んでいく。
皮膚が鱗と溶け合うように融合している。どうして、何が起きているの!?
もがけばもがくほど、身体は絡み取られるように呑み込まれる。魔法を使う事もできず、白い沼へと落ちていった。
黒い竜の驚愕した声が吸い込まれる寸前に聞こえる。
『……同化、融合か! そういや、お前の肉体の素材はかずみシリーズだったな。こりゃ一本取られたわ。まさかそんな方法で魂を取り込むとは……確かに人間には出ない発想だ』
それを最後にぷっつりと音が消えた。
光もなく、匂いも感触もない。私の意識は闇に溶け、薄く広がって、次第に消えていく。
何も見えない。何も聞こえない。何も感じない。
私は、
……ああ。私は、わたしは、ワタシは……。
——わタしハ、ダァれ……?
主人公は消し炭、ヒロインは化け物に吸収……もう救いが見えない展開になってきました。