もしかしたら、間違った理屈を捏ねているかもしれませんので、その時は直ぐにご報告ください。
……今更ながら、fateの設定って難しいですね。
この冬木には、魔術の名家が二つほど存在している。
一つは遠坂、もう一つは間桐。
その両家の邸宅は紛う事なき、館と評される程に大きなものである。
取り分け間桐邸は遠坂邸よりも大きな館であり、どちらが冬木の
この前に凛が、親の敵を睨むような目で見ていたのも納得の貫禄を醸し出している。
そんな大家の前で一人、私はインターフォンの前に佇んでいた。
眼鏡がズレていないかをしっかりと確認して、服装も乱れていないかを点検する。
家を出る前に鏡の前で確かめたのだが、最後の確認とばかりにしっかりと整える。
……何故こんなことをしているか、正直にいって尻込みしてしまっているからだろう。
それほどにあのジジ様に会いたくないのだ。
だけれども、これを乗り越えねば私の目的は遠のく。
これは試練の時、超えなければならない大きな峠なのだ。
ここが踏ん張りどき、一度侵入してしまえば覚悟は決まる。
さぁ、ここからが勝負である。
決意を決めろ。
そう自分に言い聞かせて、気持ちを落ち着かせる。
最後に深く深呼吸をし、自らを整えてから……私はインターフォンを押した。
ピンポーン、と間の抜けた音がして、そうして声が聞こえてくる。
『あー、どちら様ですか?』
気怠そうな声、渋々出たと言わんばかりの声。
その持ち主を私は知っている。
よく聞いたことのある声だから。
「もしかしなくても、間桐くんね」
『……げ、マーガトロイドかよ』
早々にご挨拶である。
間桐くんはあの妖怪爺から、とても素敵な教育を受けていたらしい。
「良家の出にしては、躾がなっていないご挨拶ね」
『っ、お前が急に来るからだろうが!?』
それでも、っげ、と言われる筋合いはないのだけれど。
相変わらず、失礼な人物である。
学校では女の子に優しいなどと噂が立っていたが、この反応からとてもそうは見えない。
「アポはとっていたと思うのだけれど、あなたのお祖父様から聞いていたりはしていないのかしら?」
『何ぃ? ちょっと待ってろ、ジジイに聞いてくる』
虚を突かれたかのようにそれだけ言い残し、インターフォンは沈黙した。
……そうして私は、口から息を吐き出した。
それがこれからの不安に対するものか、少々の安堵だったかは、私にも判断がつかないものであった。
もしかしたら、その両方なのかもしれない。
そんなことを賢しらぶって考えてみて、案外簡単に答えが出た。
あぁ、成程、そういうことか。
などと自身で納得していると、玄関の扉が開き中から独特の髪型をした男の子が現れる。
「ったく、ジジイの奴。
前もって言っておけよな、全く」
悪態を付き、ぶつくさ言いつつ私の方にやって来る人物。
間桐慎二その人である。
「お前も物好きだよなぁ、マーガトロイド。
態々あのジジイに会いに来るなんて」
「私もこれ切りにしたいものよ。
あの妖怪に会うのは」
そうして再びため息を吐き出す私を、間桐くんは変態を見るような目つきで見つめていた。
……何だか、ひどく納得がいかない。
「私は至って正気よ、間桐くん。
今回ばかりは必要悪のようなものよ」
「っは、言われるまでもないってやつ?
自分で頭おかしいことしてるって自覚している分にはまだ良いさ。
馬鹿には違いないけどね」
間桐くんの毒舌は今日も冴え渡っている。
いつもは衛宮くんに向けられるそれが、私に向けられている。
そこには、本当に馬鹿だな、なんて気持ちが分かり易いくらいに詰められていて。
「間桐くんが心配してくれるなんて、明日は台風が来るのかしら?」
「はぁ? 誰がお前なんかを心配してるなんて言ったわけ?
魔術に失敗して、頭に蛆でも湧いたとか?」
馬鹿にする気持ちの中に、ほんの1割の心配を込めるのが間桐くん流。
衛宮くんと間桐くんの二人を知っているからこその、ギリギリで分かる程度の気遣い。
意味もなくクスリと来てしまう。
そして、間桐くんは大層それが気に入らなかったらしい。
「今日のお前、やっぱり頭おかしいよ。
ほら、案内するからさっさと入れよ」
肩を怒らせながら、玄関まで向かい始める間桐くん。
その後ろ姿に、顔が見えないからとつい言葉を投げていた。
「間桐くん、あなたでも安心できるものなのね」
「……マーガトロイド、やっぱりさっきから変だぞお前」
振り返った彼の表情は怪訝そうで、訝しげに私を覗き込もうとする。
が、途中でどうでも良くなったらしく、早足で館の方へ足を進めていった。
その背中について行きながら、私は決意をさらに固める。
弱気な私はこれで終わり。
あとには何時も通りの、アリス・マーガトロイドがそこにいるのみ。
ここからは理論も大切ではあるが、精神論を掲げてよう。
そうして余裕を取り戻せて、改めて思う。
間桐くんのお陰で、嫌な緊張感が飛んでいったのだと。
私がさっき溜息を吐けたのは、間桐くんのお陰で脱力できたから。
それだけ私が落ち着けた、ということでもある。
ある種の間桐くんのマイペースぶりに、今回ばかりは助けられた、ということなのだろう。
だから彼の背に感謝を支えつつ、私は戦いの場へ向かう。
直接感謝を口にしないのは、間桐くんが本格的に調子に乗るから……ではなく、本気で気持ち悪がられるであろうから。
……間桐くん然り、柳洞くん然り、どうにも私の周りには失礼な男の子ばかりが多い気がする。
衛宮くんは素直であるが、アレはアレで変わり種。
結果、私の周りは変人だらけ。
おおよそ、恋愛なんて当分は出来そうもない。
そんな思考が働いているあたり、大分落ち着けてきたようだ。
さて、意識を切り替えるとしよう。
「呵呵、よう来たな、マーガトロイドの」
「本日はお時間を頂き、ありがとうございます」
間桐くんに案内された、とある一室。
そこに、いた。
しわがれた老人、和服を身に纏った何よりも深い目をしている老人。
これが、間桐臓硯の姿。
彼の姿がはっきりと見える。
蠢く肉塊でも、虫の集合体でもない。
草臥れている普通の老人の姿、今の私の目には臓硯の姿が人間として写っている。
「ほう、この前見かけた時には眼鏡はかけてなかったかのように見受けられるがな。
……成程、魔眼殺しか」
――見破られた、一瞬で。
興味深そうな視線を私に向ける、間桐の主。
伊達に長生きはしていないということか。
「伊達者を気取ってみました。
それなりに悪くはないと自負しています」
「年頃の娘子なのだから、それくらいは当然なのだろうのぉ」
何も読ませぬ表情で、呵呵と笑い声だけを漏らす臓硯。
恐らくはこの眼鏡の意味も、既に見破られてしまっているであろう。
元から分かっていたことだけれども、やはりこの爺、油断ならない。
「慎二、下がれ」
「……分かりました、お爺様」
本人が居らぬ所ではジジイ呼ばわり。
だけれど流石に、間桐くんも本人を目の前にすれば下手に出るらしい。
どこまでも間桐くんらしい判断である。
「ぉぃ、そんな目で僕を見るな!?」
間桐くんは小さな声でそれだけ私に言い、その場から去っていった。
そういうところが小物っぽいって、自覚したらもう少しマシになるのかしら?
……いえ、間桐くんなのだし、大して変わるはずはないわね。
「さて、慎二は行ったようじゃな。
では本題といこうかのぅ。
本来ならゆっくりと饗すところなのじゃがな」
「お構いなく」
本当に、心の底から構わないで欲しい。
これが私の本心であると、はっきりと言える。
それに、態々意地悪く笑っている辺り、私の内心は簡単に看破していることであろう。
タチが悪い、私が知っている何よりも性根が悪い。
「そうかぇ、呵呵呵。
ではお主が聞きたいこととは何か、聞かせてもらおうかのぅ」
充分からかったと言わんばかりに、臓硯はあっさりと話題を転換する。
わたし的には有り難いが、性格が良いとはとても言えない。
せめて間桐くんが、こうならない事を祈るのみである。
「私は今回、聖杯戦争を構築するときに間桐が担当した令呪について、お話を聞かせて頂きたく、参上した次第です」
「お主、それがどういうことか、分って言っておるのか」
臓硯は何も読み取れない笑みを浮かべたまま、しかし試すかのように私を見つめる。
どんなことを考えているのか分からないが、それでも何かを期待されている程度のことは読み取れた。
それが臓硯が察せられるように感じさせた擬態であっても、それに何か意味があることは確実なのだ。
私は臓硯を満足させるような答えを、それを言えるかどうかなんて分からない。
だから私は、自身の所存を述べるのみである。
「どのような対価を払うのか、ですね」
「魔術師なのであるし、それは当たり前であろう」
至極ご尤も。
令呪というものは、間桐が構築した魔術の結晶と呼んでも差し支えないもの。
令呪について知るということは、そのシステムの魔術の派生が可能であろうし、間桐の魔術にも迫ることができるのかもしれないのだから。
それをタダで何かを得る時は、後で多大な代価を支払うことになるのであろう。
「さて、お主は儂に何を提示するのかね?」
底なし沼のような臓硯の目が、私を射抜く。
沼が ”よこせ” と蠢いている。
彼の口元が、弧を描き私を威圧する。
背筋が冷たくなる。
ここで失敗すれば沼に取り込まれてしまうような、そんな感覚まで抱いてしまう。
これが、500年生きた魔術師というものか。
だけれども、ここで屈する訳にはいかない。
これを乗り越えた先で、私の夢へ一歩足を進めることが出来るのだから。
今の私には大した物が支払える訳でもない。
だからこそ、ここから口車に乗せなければならない。
勝負の時間だ。
「私が令呪の知識を求めるのは、自身が抑止の輪にいる英霊から技術を授かりたいと考えているからです。
故に私が知識を授かりたいサーヴァントは
聖杯戦争では、最弱と呼ばれているサーヴァントです」
「少しは勉強してきたようじゃな」
静かに続きを促す臓硯。
それに頷いて、私は続きを語る。
小さく呼吸して、自身を落ち着かせながら。
「私がキャスターを召喚すれば、必然的にキャスターの座は埋まることになるでしょう」
他の場所なら知らず、この冬木の地でサーヴァントを召喚すれば、必然的に聖杯に接続されて、座は固定される。
そしてそれは、私が聖杯戦争に参加しなければならないということ。
最弱のサーヴァントと呼ばれるキャスターを以てして。
「聖杯の選定は行われず、不正規の召喚でキャスターを呼びだせば、何らかのペナルティが課されるでしょう」
召喚に成功し、聖杯にキャスターとして登録されても、何らかの揺り戻し、もっと言えば弱体化が有りうる。
故に、私が聖杯戦争に参加しても、勝てる見込みは限りなく低いものになるということ。
それは
聖杯戦争の中で、マスターが勝手に自滅すれば、間桐の家としても遣りやすくなるであろう。
「ほぅ、お主、参加するつもりか」
聖杯戦争、次はおよそ50年は先の未来の殺し合い。
それは惰性のように長い時間。
永遠の先のように、今の私からは感じてしまう暴力的な時間。
だからこそ、その間にできることもあるだろう。
「場合によりけり、です。
何か手段がないか、探ってみます。
時間は、腐る程あるのですから」
これはきっと、愚か者の楽観論。
世の中そう都合が良く進むわけはない。
今は時間があっても、時が進むにつれて覚悟を決めなければならない時が来る。
だけれども、折角の根源への近道。
リスクがあっても、リターンを望んで賭けるには十分すぎるものがある。
故に私は今日ここに来たのだから。
「ふむ、そうじゃな」
臓硯は考えるように、その実何も考えていないかのように無表情で沈黙する。
その間に、今の状況を少し整頓する。
今回私が令呪について教わりに来たのは、英霊を召喚するため。
決して聖杯戦争に参加するのが主目的ではない。
だけれども、必要があれば私は参加する。
臓硯に持ちかけた取引は、私がキャスター枠を埋めることで、聖杯戦争に参加するサーヴァントを実質的に無力化するというもの。
要するに、ただでも弱いキャスターが非正規の召喚で更に弱くなったら、どうあがいても勝ち目はない、ということ。
だから召喚を許して欲しいという嘆願である。
取引しようにも、私が提示できる条件はそう多くない。
だからこその、この提案であった。
徹底的に下手に出ている私の提案。
だけれども、それを通してでも私は英霊に師事するということに魅力を感じているのだ。
そして英霊の、魔術の先達としての見識をも私は当てにしている。
それは何にも代え難い、私の
だから私はこんな提案をした。
あとは、臓硯がこの提案を承諾するか。
それとも別の条件を提示するか、である。
今回の私が語った条件は、ここまでなら私は譲歩するという、私の都合を持っての提案だから。
臓硯が別の条件を提示するのであれば、私はそれを吟味しなくてはならないであろう。
臓硯の顔を伺う。
何もない無表情、ずっと見ていたいとはとても思えない深い瞳。
そこに何も映し出さないからこそ、私は彼が何を考えているのかがわからない。
だから彼がどんなことを言っても動揺しないよう、私は心を落ち着けることに専念する。
そして何も音がしないと思ってしまう程の沈黙の果てで、臓硯は言葉を発した。
それは荒くもなく、穏やかでもなく、どことなく愉しげな声音を伴ったものであった。
「許可はできんな、その条件では」
……本当に一筋縄ではいかない。
相手にも、相手の都合があると分かってはいるのであるが、彼の場合は何を要求してくるか、それを考えるだけで胃をきゅっと掴まれた感覚に苛まれる。
だが何かを言える訳でもなく、臓硯の言葉を静かに待つ。
彼が提示するであろう条件を、頭の中で廻らしながら。
「お主がサーヴァントを召喚するとして、そのような方法で召喚されたサーヴァントでは、一騎のサーヴァントの魔力量として到底値せぬ。
願いを叶える願望機として、聖杯が機能しなくなる」
足元が崩れていく感覚、思わぬ眩暈に襲われる
……どうして私は、この程度の欠陥を考えられなかったのであろうか。
こんな方法では、自分のサーヴァントを手に入れることができても、臓硯には到底利益がない。
どうにかならないかと思考を巡らせる私に、臓硯は追撃するかのように語りを続けた。
呵呵、と先程のような読み取り難い笑いの下で。
「そも、お主は勘違いをしている
キャスターの召喚など不可能なのじゃよ、これは」
「勘違い……ですか?」
何を勘違いして、間違っていたのであろうか?
私なりに、聖杯に対して勉強をしてここに来たのであるが。
「そう、聖杯戦争の景品たる聖杯。
それはアインツベルンが用意するもの。
いまこの冬木の地には存在しない」
「……詳しく聞いてもよろしいでしょうか?」
私が調べた本には、聖杯は冬木の地にあり、マスターを選定するということであった。
それはルーマニア宗主宮殿の図書室で調べたことであり、そして何よりもそれを著した人物は、若き日の間桐臓硯その人であったはず。
それが何よりも解せなくて、私は困惑を深くしてしまう。
「うむ、聖杯には2種類ある。
まずはマスターを選定し、何よりも冬木の土地をサーヴァント召喚のために整地する大聖杯というもの。
しかしこれは、システムであって器ではない」
初めて、臓硯の表情がわかりやすく動いた。
その大聖杯とやらを、誇るように、自慢するように、そして夢見るように語る。
それは自分達の努力の結晶だからなのであろうか。
だがもしそうなら、未だこの聖杯戦争で誰も願いを叶えられていないのは、酷い皮肉であろう。
だが大聖杯、か。
サーヴァントの魔力を貯めておく器とシステムを分けたのは、その方が根源に近づくために便利だったためか。
それとも大聖杯に膨大な魔力を溜め込ませることで、不具合が起きたら問題があるからなのか。
どちらにしろ、尤もな理由があるに違いない。
「そして願いを叶える聖杯、これは小聖杯と呼ばれているものだのぅ。
小聖杯は脱落したサーヴァントの魔力を保存しておく、入れ物のようなもの。
これがなくして聖杯戦争は始めることはできぬ」
つまりは大聖杯と小聖杯、この二つが揃っていないと、まともな召喚は出来ないということなのだろうか?
「ですが、器がなくても召喚だけはできるのではないですか?」
苦し紛れの、だけれども確かめたい疑問点。
そう、システムが生きているのなら、召喚だけならば可能なはずなのだ。
それに臓硯は先ほどと変わらぬ表情、胡乱な笑みを浮かべたまま語った。
「召喚は可能であろう。
しかし、召喚されるのは単なる英霊。
大聖杯と小聖杯、この二輪が揃っていなければ、クラスは与えられない。
何のクラスも与えられていない、抑止力が意思を持ったもの。
故にそれは聖杯戦争とは何の関係もない、唯のはぐれサーヴァントとなるわけじゃな」
そもそも前提からして間違っていた。
私がサーヴァントを召喚しても、それはキャスターではない。
つまり、今までも理論構築は完全なる無駄骨だったということ。
……もはや打つ手がない。
嫌なことは早めに終わらせておこう。
そんな心理のもとで、間桐邸を訪問した。
が、それは十分な下調べを終えていない状態でのこと。
その結果、間違った理論を掲げたまま私は押し入って、そうして恥を掻いただけに終わる。
――なんて無様。
急いては事を仕損じるを地で行ってしまった屈辱。
今日は忘れられない日になりそうだ。
「……本日はありがとう御座いました」
辛うじて出た言葉はこれだけ。
他に何を言えばいいのかが、分からなくなってしまっていた。
俯いてしまっている私。
どんな表情をしているかは、自分でもわからない。
でも、確実に顔は赤くなっているであろう。
こんなことなら、焦らなくても良かったものを。
全てにおいて憂鬱、何をしても失敗する気分。
今の私よりも、確実に木偶の方が使いようがあるであろう。
「まぁ待て、何も協力せんとは言っとらんぞ」
だからこそ、間桐臓硯の言葉を聞いても、私は放心してしまっていた。
聞こえてはいる、理解してもいる。
だが、思考が回らなかった。
……いや、臓硯の言葉で頭が冷えつつあったが、それでも排熱が追いついていなかっただけ。
そんな私を尻目に、臓硯は人の悪そうな笑みを浮かべて、続きを話しだした。
「聖杯の力を借りずに、英霊の召喚を行う。
これは、非常に興味深い。
これを成功させれば、聖杯戦争ではより有利に事を運べることとなるからのぅ」
成程、ルールの穴を作るつもりなのだろう。
正規のサーヴァントの他に、番外の非正規サーヴァントを呼び出せば、戦いは恐ろしい程に優位に運ぶことができる。
それはある種の禁断の果実。
成せれば、圧倒的な戦力差で戦うことができるのだから。
……だが、それも諸刃の剣でもある。
「サーヴァントの重みに耐え切れず、自壊します」
それだけではなく、確実に冬木の土地を蝕んでいくであろう。
私がサーヴァントを弱体化して呼ぼうとしていたのは、聖杯戦争云々は置いておいても、自分で支えきれる自信がなかったからだ。
だからこそ、それに託けて私は理由として弱体化を捩じ込んだのだ。
結果は悲惨なこととなったのであるが。
「呵呵、今後の課題であるな」
愉悦と言わんばかりに笑う、間桐の長老。
彼の悦楽は、聖杯戦争そのものに直結しているのではと疑うほどに愉快そうに。
だが、これが悪魔の取引であったとしても、チャンスであることには変わりない。
「つまり召喚する場合は、その研究結果を優先的に間桐に回せばいいわけですね」
「取引とは、そういうものじゃよ」
ニタリ、とこちらがゾッとするほどの表情を浮かべる臓硯。
だけれど、それだけに今までの笑みよりも、幾らか人間味を感じさせた。
「契約成立です、間桐の翁」
「では頼むとしようかの、マーガトロイドの」
……一線を踏み越える。
どれほど危険であっても、ここが落としどころであったから。
ギリギリで、許容できる範囲であったから。
だから私は、悪魔、もとい妖怪と契約を結んだのだ。
「それで、教えていただけますか?」
令呪のこと。
そしてあわよくば令呪本体を手に入れる。
それが、私の今回の目標であったから。
「呵呵、利害が共通しているのからのぅ。
ある程度は譲歩するが、しかし」
臓硯は珍しく真面目な顔を浮かべて、そうしてこんなことを言いだしたのだ。
「大聖杯を知っていたとなると、お主は儂の本を読み込んでいるということじゃろう。
令呪についても、ある程度のことは知っているのであろう?」
一つ頷く、言われるまでもなく調べていることであった。
そうすると、臓硯は然も困ったと言わんばかりに、溜息を吐いたのだ。
「ならば、他に令呪について教えることもあるまいて。
あとは令呪なのじゃがな」
いきなり頼りない事を言われて、不安になっていた私に、臓硯は更にこんな事をほざいたのだ。
「儂は御三家の成約により、令呪を生成することを禁止されていてのぅ。
教会に行って、貰ってきてくれ」
「お世話になりました」
役に立たない、そんな判断を私は下した。
むしろこちらが一方的に搾取されることになりかねない。
契約なんてなかったのだ。
「まぁ待て、マーガトロイドの」
臓硯が先ほどと同じような言葉を投げかけてくる。
今度は何を言うつもりなのだろうか。
「教会に行って、令呪を要求したからといって、はいそうですかと渡されるはずがあるまいて。
御三家の許可は、当然必要なものであろう」
……言われる通りである。
思ったより疲れているのか、頭が回らなくなってきている。
まだこの家を去るまでは、気をしっかり持たねば。
そう自分を叱咤する。
「では代償として、間桐は何を求めるのですか?」
もはや私は、自身の研究の内容を明かすつもりはなくなっていた。
私自身にしても、間桐と組むことにメリットは無くなっていたし、他の御三家にも令呪の扱いにして同様の許可を取りに行かねばならなくなっている。
それに間桐だけを贔屓していたら、後々厄介な事になるのに決まっているのだから。
「そうじゃな、では」
よく分からない曖昧な笑みを臓硯は浮かべていた。
何か良くないことを言おうとしているのか。
だがその割には表情は穏やかなような、悪戯っぽいような、凡そこの老人に似合わない表情をしていたのは事実である。
「慎二と桜、この二人によくよく目をかけていてやって欲しい。
どちらも粗忽者には違いないが、あれでも間桐であるからのぉ」
それは孫を心配しての発言だったのだろうか。
だがやはりこの老人の場合、裏がありそうなのである。
「その程度のことなら……それだけですか?」
口に出してから、要らないことを言ってしまったと思った。
だけれども聞かずにはいられない程に、その提案が間桐臓硯らしからぬものであったから。
すると臓硯は、堪えきれなくなったかのように、呵呵と再び笑い出す。
この爺は人が悪い笑いしか浮かべられないであろうが、それでも常に笑っているのがなんとやらである。
「あなたはどう足掻いても好々爺にはなれなさそうですね」
「魔術師にそんなものがいたら、観察の一つでもしてみたいもの。
どんな結末を辿るかもの」
やはり人の不幸は何とやらで生きている人間なのであろう。
それだけに、やはりあまり頼るのも、信頼するのも頂けない。
だが、である。
間桐くんや桜、この二人は見ていて飽きない。
だから目を離すことはないであろう。
臓硯に言われるまでもないのだ。
「では、今度こそ契約成立ですね」
「うむ、それと研究の件は対価に見合うと思えば、条件に乗ってもらおうかの」
……取り扱いが難しい問題である。
自信過剰のようだが、あまり間桐に情報を流すと、後々凛に締められる気がする。
嫌というほど徹底的に。
だから、ここはお茶を濁しておくのが最善であろう。
「対価に見合えば、ですね。
分かりました、私が満足できる条件ならば乗ります」
これは影響力が少ない曖昧な約束。
こちらに強制性が無い為に、殆ど空文化されているようなもの。
間桐臓硯という500年生きた怪物にしては、あまりにも詰めが甘いことだ。
「うむ、よろしく頼む」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
これで一つ、目的に近づいた。
色々と疲れはしたが、それなりの成果といえるものは手に入れることができた。
……だからだろう、その時は油断していた。
「だがの」
臓硯が立ち上がり、こちらに来ていた。
目の前に立っている彼は、人間の姿をしているが、やはりどこか異質なものを感じさせる。
そんな彼が、私に手を伸ばす。
「これだけは知っておくといいが」
彼が手を伸ばした先、私の眼鏡。
「儂は500年生きている」
それが剥がされ、真実が……見える。
「それがどういうことか、夢忘れるでない」
這い回る蟲、蠢く肉、それはどこまでも醜悪なオブジェのよう。
気付けば息を飲んでいて、おかしくなりそうな自分を必死に抑えていた。
だけれどもその、見るにも耐えない彼の体は。
何もかもが、爛れそうなその姿は……それでも必死に生きようとするのを感じた。
「えぇ、忘れない。
然りと覚えておくわ」
忘れられるはずがない、このようなこと。
彼がどのようにしてこうなったかは、私の知る由ではない。
だけれども、これが500年生きた魔術師だということは、私の脳裏、そして心に刻み込んだ。
彼の執念は、確実に本当のものであるのだから。
「では、また会おう」
「えぇ」
二度と会いたくない。
そう思いながらも、口では違う返事をして、彼がここを離れるのを静かに私は見送った。
眼鏡はきちんと置いていったのは、律儀なのか当たり前なのか。
狂気を前にして、私は茫然自失気味にそんなことを考えていた。
臓硯がその場を離れたから、ようやく逃避できるような事を考えられたのであろうから。
「……ぉい、おい」
暫くの放心後、間桐くんが私に話しかけているのに気付く。
臓硯のアレは想像以上に肝を冷やしていたらしい。
「お前、あのジジイに何かされたんじゃないだろうな?」
薄気味悪そうに、間桐くんが私を見ている。
その様子は、心配というよりも、警戒というものであった。
やっぱり、予想通り、みたいな類の。
「幸運なことに何事もなかったわ。
暫くはこの辺を彷徨きたいとは思えなくなっているけれどね」
「自業自得だろ、そんなもの」
正論である、これ以上ないほどに。
……流石に分が悪い。
火傷すると分かってながら手を出した分には。
「そういえばなのだけれど」
だからこの話題はあまり続けることをせずに、別の話題に乗り換える。
振りなことに固執するのは、あまり賢いとは言えないから。
「間桐くんと桜って、兄妹仲は良いの?」
「はぁ? 普通だよ、普通。
あんなの気にもしてないし、あいつだってそうだろう」
そうかしら?
何時もある程度、互いを気にしていると思うのだけれど。
そしてその輪をうまく保っているのは……衛宮くんだ。
「衛宮くんと3人で仲良くやっていたりするんじゃない?」
「意味が分からないね。
どうして衛宮のような凡人に、僕が気をかけなくちゃいけないのさ」
「友達だから、でしょう」
ふん、とそっぽを向く間桐くん。
自分では友達と言わないが、否定しないあたりが、間桐くんの可愛げというものだろう。
伝わりにくいのが、ひどく難儀な点であるが。
「ほら、とっとと自分の家に帰れよ。
いや、遠坂の家に帰れ。
お前のせいで調べ物してたのに、集中力が途切れて鬱陶しかったんだからな!」
「それは悪かったわね。
でもあの家で、ゆったりと調べ物なんてできるものなの?」
すごく落ち着かないと思うのであるが。
私がそれを気にすると、間桐くんは鼻で笑い、何でもないことの様に呟く。
「僕はね、ここで長年暮らしてきたんだ。
ちょっと離れていた時期もあったけれど、それでもここは選ばれし間桐の家なんだ。
今更落ち着くとか、落ち着かないとかどうでもいいんだよ」
成程、感覚が鈍っているのか図太いだけなのかはさて置き、それなりの愛着はあるのか。
それも、間桐というブランドに対しての物のようではあるが。
「そう、ならいいのだけれど」
靴を履き終え、ようやくこの場から離れられる。
緊張の連続ではあったが、それでもようやく、という開放感があった。
「じゃあね、間桐くん。
学校で会いましょう」
「9月まで会うことはないだろうさ。
精々可愛げをもう少し磨いておくんだな」
間桐くん、最初から最後まで失礼極まりない人。
だけれども、それに救われたのも事実ではある。
だから……最後くらいは。
「そうね、さようなら」
笑って別れましょう。
とびっきりに、私にできる笑顔で。
「呵呵、面白くなってきた」
誰も寄せ付けない、間桐の家の奥にある部屋で、儂は密かに歓喜する。
永遠の始まりの、その手がかりが見つけた気がしたのだから。
「マーガトロイドの小娘め、中々に面白い案を残していった」
サーヴァントの独自召喚。
聖杯戦争に参加する身としては、とても危険で、そして甘美なもの。
だが、そのシステムをわざわざ聖杯戦争で使う必要などない。
それが分からぬマーガトロイドは、やはりまだ若いのであろう。
クラスを持って現界させる。
これさえ成功すれば、あとは簡単である。
こう命令すればいいのだ。
「すなわち、自害せよ、と」
そうするだけで、盃は満たされる。
それを繰り返すだけで、簡単に願いに近づいていく。
だがそれをするには、アインツベルンの聖杯が必要である。
肝心の盃がないのであれば、中身は地面にこぼれ、総じて無駄になるだけなのだから。
それに、アインツベルンの聖杯、今代はどのような
どちらにせよ、アレの複製品なのには違いないのだろうが。
まだ聖杯自身は、調整中で中に埋め込まれてはいないであろう。
だが幸いなことに、こちらにも一つばかり手札がある。
「桜よ、お主が役に立つかもしれんが」
思わぬ偶然、思わぬ幸運。
これが天啓というものかもしれない。
「呵呵、可愛い孫が役に立ちそうじゃな。
桜よ、お前を貰ったこと、これほどに感謝したことはないぞ」
桜の盃に魔力を注ごう。
そうすることで、道は開かれる。
冬木の霊地の関係上、何十年単位の計画にはなりそうであるが、最初で最後と考えれば悪くないであろう。
老人は嗤う、孤独に一人で。
「……ねぇ、アリス」
「なに、凛」
現在私は、凛の部屋にお邪魔している。
本を持ち込んで、読んでいるといったところ。
と、言っても、別段特殊な本とかではない。
単なる小説を読んでいるだけなのだ。
「こうしてずっと同じ部屋に居て、ジっと小説読んでいるようだけれど。
何か用があったんじゃないの?」
「……別に、用がなくちゃきちゃいけないのかしら?」
「別にそうは言ってないわよ。
ただ、珍しいって思っただけよ」
「そう」
そう、特別に理由なんてない。
何となく、一緒にいたいだけなのだ。
そんな理由で、私は今日、凛が寝るまで彼女の部屋に居座っていた。
そういうのも、たまには良いでしょう、凛。
聖杯についての設定、途中で正直な話、自分で何を書いているのかが分からなくなった状態でした。
なので、今回は自身のない回でもあります。
どうも、弱気な意見ばかりですみません。