が、4月1日に間に合うようにこしらえた突貫製品です。
なので、品質の保証はしかねます(特に最後らへんが)。
それでも良い方のみ、どうぞ。
ある日の午後。
私は桜と一緒に、何時もの喫茶店でお茶をしていた。
この場所では、私は桜の相談事に乗ってることが多いが、今日もそんな何気ない日常のひとコマを消化していたのだ。
尤も、私の顔は無表情を押し通せているか、不安なところではあったが。
それは、桜の相談の内容が問題であった。
「衛宮くんにもっと甘えたい?」
「はい、そうです!」
寝言は寝て言え、その言葉を寸でのところで飲み込む。
衛宮くんと桜がアレなのは、本人達以外で皆が認めるところがあるというのに。
桜が何を思ってそんなことを言ったのか、まずはそれを確かめないと話にならない。
「いつもダダ甘じゃない」
「イチャイチャと甘えるのは別なんです。
アリス先輩はそれが分かってません!」
バンっと机を叩く桜、だが私の方がそうしたい。
いつもあの二人は甘く感じているのに、これ以上行くと爛れそう、と感じてしまう。
退廃的なのは、まだ早い。
特にこの無自覚に純粋な二人の間には。
「じゃあ膝枕をしてもらうとか、普通に甘えれば良いじゃない」
投げ遣りにそう言うと、何ともモジモジした桜が俯いて、ボソボソと口を動かす。
「えっと、そのきっかけが欲しいなって、そう思ってるんです。
流石にいきなりそんなこと言ったら、先輩に引かれちゃいますから」
……面倒くさい、始末に負えないくらいに。
この娘は、何も悩む必要なんて無い癖に。
「言えば戸惑いながらでも、衛宮くんはしてくれるわよ」
衛宮くんは恥ずかしがっても、桜がしたいと言ったら叶えることだろう。
基本、二人の関係はそんな感じなのだから。
……ダメ、想像すると紅茶が甘くなってきた気がする。
妙に甘く感じる紅茶に顔を顰めていたら、桜のうぅ、と言う呻き声が聞こえてくる。
億劫気味に顔を向けると、熟した林檎のように赤くなっている桜が。
その顔を見せれば、衛宮くんも簡単に折れるだろうに。
「……分かりました、正直に言います」
桜がそんな前置きをする。
顔が赤いのは、何に対して恥ずかしがっているからなのか。
私がじっと見守る中、桜は開き直ったように、一気に捲し立て始めた。
「こんなこと、素面で言ったのなら恥ずかしくて死んじゃいます。
兄さんには笑われ、藤村先生にはパンダでも見るような目で見られて。
そして先輩の顔も、私が直視できなくなっちゃいます。
だからアリス先輩に力を借りに来たんです!」
ようするに、桜の方が耐えられない、と。
告白まで進んでいて今更、と呆れる他にない。
でも、桜は至って本気のようだ。
だから尚の事、タチが悪く感じてしまう。
「私は桜が衛宮くんに甘えるのに、都合の良い口実を考えればいいの?」
然り、と桜は力強く頷いた。
どれほど思いつめているのかと突っ込みたくなるような真剣さ。
もはや呆れを通り越して、笑いの感情が込み上げてくる……但し、乾いたものだが。
「そう、ね」
半ば惰性で考える、何か無いのかと。
自分がバカみたいだと、そんな自虐まで浮かんでくる。
そして、頭の中まで桜色に染まってしまった後輩を見つめる。
もう、馬鹿ばっかりだ。
「馬鹿ばっかり」
口に出すと、より身にしみて感じられた。
もうすぐ春だから、みんなの頭もそれに向けてお花畑に近づいているのだろう。
そんな時に、断片的な単語が頭に過ぎった。
それらはさっき、自分で思った言葉の羅列。
春、馬鹿、お花畑、など。
そう言えばだが、もうすぐ四月だ。
……丁度、都合の良い日があるではないか。
「ねぇ、桜」
「はい、なんでしょう、アリス先輩」
身を乗り出して、期待で目を輝かせている桜がいた。
心持ち、鼻息も荒く感じる。
春の麗らかな陽気は、見事桜に伝染していたようだ。
そんな彼女に、私は苦笑しつつ告げた。
「あなた、一つ馬鹿になってみる気はない?」
春の陽気がパンデミックとなって広がり祭りになる、ほんの数日前の出来事だった。
「ん、朝か」
土蔵の扉の隙間から、光が差している。
どうやら完全に閉まっていなかったようだ。
左手をかざして、陽の光を遮ろうとしても、大した意味はなく眩しい光は自身を焼き続ける。
朝日を目一杯浴びることから、衛宮士郎の朝は始まった。
「この時間なら……桜は起きてなさそうだな」
寝起きで目がしっかりと開かないが、それでも時計程度なら見える。
土蔵で修理した時計は、朝の6時を指していた。
最近はこの時間帯でも、流石の桜も夢の世界の住人だ。
でも油断できない。
桜はこの家に寝泊まりしてるわけだから、起きて直ぐに家事が出来てしまったりする。
昨日は6時に起きたのに、桜は笑顔で朝食を作っていた。
そんなことが続いたお陰で、最近は台所の主が誰か分からないくらいだ。
だが、今日は久々に自分の腕を発揮できそうである。
足音を殺して、台所に向かう。
中々到着しないから、やや早足気味に。
こういう時、自分の家の長い廊下がもどかしく感じる。
「爺さん、改築しまくったもんな」
何かにつけて”士郎、家を大きくしよう。もしかしたら、突然家族が増えるかもしれないしね。”なんて意味不明なことを言って、爺さんは屋敷を拡張していったのだ。
もしかしたら、正義の味方だった切嗣は、俺みたいに誰かを拾うかもしれないと思っていた。
家族が増えたら、俺が一番弟子だと胸を言うつもりであった。
現実では、そんなことは無かったのだが。
そのせいで、結局離れの洋風の部屋は、放置され続けることとなった。
でも、今は桜が使っているし、そこのところは爺さんに感謝している。
「よしっ」
台所に着いたが、誰も居ない。
一番乗りに成功できたみたいだ。
桜には悪いが、この場所は譲れない。
神聖にして不可侵な、衛宮家の聖域。
虎は立ち入るのが厳禁。
それがこの台所であるのだ。
「確か鮭があったよな」
冷凍庫を覗くと、鮭やら肉やらが詰まっている。
何げに冷凍食品の類が一切無いことが、衛宮の冷凍庫の誇りだったり。
そんな冷凍庫から鮭を取り出し、冷蔵庫の方からは、ほうれん草や豆腐、卵を引っ張り出す。
今日は、ちょっとベタだが、王道を行くメニューにしよう。
朝に鮭や卵焼きは、大正義であるのだから仕方がない。
……でも、これだけでは足りない。
うちの皆はよく食べるから、これだけでは不安だ。
何かあったか、と思案していると、冷蔵庫に昨日の煮物の残りを発見。
よし、これも出すことにしよう。
「これでおかずの不安はなくなった」
満足満足、善哉善哉っと、これは一成の口癖だった。
一成の口癖は独特だから、時々口が勝手に吐いてしまう。
一成の目の前で零した時は、何故かひどく喜ばれたが。
「っと、そんなことはさて置いて」
朝食作りの続きを、っと。
湯がいたほうれん草は再び冷蔵庫に仕舞い、鮭を焼き始める。
グリルに鮭をかけて、じっくりと待つ。
そういえば鮭で思い出したことがある。
桜が前に作ってくれた、鮭とキノコのバター醤油包み、アレは美味しかった。
で、いま俺が作っているのは、何の変哲もない焼き鮭。
……何かできないか。
周りの具材を漁るが、特に良い物が見つからない。
何だか、良く分からないが負けた気分である。
弟子の成長を喜ぶべきか、師匠として情けなく思うべきか。
今の俺にできることは、精々鮭にレモンを添えること程度だった。
次までに新しいレシピを開発しておこう。
「焼けたかな?」
葛藤に苛まれているあいだにも、時間は流れていく。
丁度程よく鮭が焼けている時間である。
グリルを覗くと、こんがりとした鮭が、その姿を晒していた。
それに満足感を覚えつつ、鮭を皿に乗せていく。
あと、煮物は軽くレンジにかけて終了。
今日の朝ごはんの完成である。
「あとは皆を呼ぶだけだな」
ほうれん草を冷蔵庫から取り出しつつ、時計を見ると時刻は7時。
……おかしい。
桜は何時もはこの時間にはしっかりと起きているのに。
珍しく寝坊しているようだ。
「ま、寝坊も何も、春休みなんだけどな」
今日は4月1日。
藤ねぇが羨む、学生の特権たる春休みの真っ只中であった。
さて、藤ねぇはほっといても勝手に来るから良いとして、桜は起こしてあげよう。
でも、桜の部屋、か。
……想像したら、背中がザワザワと騒ぎ始めた。
パジャマ姿で寝ている桜。
考えるだけで、嬉しかったり、申し訳なかったり。
妙にドキドキする。
そうして葛藤が、自らの中に生まれる。
頭の中で、白い羽を生やした虎が囁いてくる。
『ねぇ士郎? 年頃の女の子の部屋に許可なく入るのは、お姉ちゃん的にどうかと思うけどなぁ』
ご尤も、そういうところは妙に常識的なのが、教師として働けている所以である。
『でもぉ、士郎も男の子なんだし?
気になったりするのは、お姉ちゃん、よぉく分かります!』
ん?
『だから譲歩して、桜ちゃんの体操服をお姉ちゃんが着てあげる♪』
「なんでさっ!?」
何時の間にか、虎の羽が黒に染まっていた。
墨汁で染めたかのように、真っ黒な姿。
自分の煩悩を凝縮したかのようである。
「ありえないありえない」
ブンブンと頭を振る。
頭の中の虎は、”もぅ、士郎は照れ屋さんなんだからぁ!”といってフェードアウト。
もう戻ってこなくていい、切実に。
「はぁ、行くか」
何か振り払うようにして、立ち上がる。
主に虎とか、煩悩とか、あと虎とか。
……だが、少し遅かったようだ。
廊下から、小走りで走っている音が聞こえる。
それがホッとしたようで、少し残念なようで。
両頬をパシッと叩き、頭をリセットする。
それと同時に、彼女が扉から現れた。
何時も通り、そう、これは何時も通りの朝だ。
「おはよ、桜。
今日は遅かったんだな」
何時もと同じように挨拶する。
俺が顔は下に俯けてしまっているのは、後ろめたかったりする訳では断じてない……多分。
桜は走ってきたせいか、やや息を荒げ気味だった。
でも、待っていればいつもと同じ挨拶が来るに違いない。
「おはようございます」
ほらきた、これで何時も通り。
「……あなた」
思わず顔を上げていた。
目の前には、涙目で真っ赤になった桜。
それは決して、走っただけで上気する顔の赤さを逸脱していた。
「さ、桜?」
「うぅ、アリス先輩の馬鹿。
これじゃあ、恥ずかしいのは変わらないじゃないですか」
上ずった声で、彼女の名前を呼ぶが、桜は俯いて何かを呟いただけ。
あなた、あなた……あなた。
これはつまり、どういう意味なのか?
動揺が冷めあがらない内に、桜は顔を再び上げた。
その顔は、とても赤く、そして目を潤ませてもいた。
そしてそれと同時に、覚悟を決めたかのような強かさも滲ませていたのだ。
「あ、あなた! ご飯の用意をさせてしまってごめんなさいっ!!
奥さん失格ですね、私っ!」
「なんでさっっっ!?」
何よりの、心からの叫びであった。
「……私、恥ずかしくて死んでしまいそうです」
そこには燃え尽きた桜の姿があった。
プルプルと震えて、両手を床につけて嘆いていている。
さっきまで、あなた、と震える声で呼び続けていたが、桜の中の何かが耐えられなくなったらしく、今ではこんな状態になっている。
「なぁ、桜。
どうしてこんなことしようと思ったんだ?」
桜らしからぬ唐突な行動。
それがどうしてなのか、理由が分からないのである。
「だって、……かったんですもん」
「ごめん、もう一回頼む」
純粋にその部分だけ小さくなって、聞こえなかった桜の声。
でも、桜は泣きそうになっていた。
悪いことをしている、女の子を泣かせそうになっている。
罪悪感や爺さんとの約束が、脳裏を駆ける。
もういいよ、そう言おうとした。
だけど、それより先に、桜が蚊の鳴くような声で、もう1度言った。
そしてそれは、今度こそ俺の耳に届いた。
「だって、先輩に甘えたかったんですもん」
それは桜のささやかな、そしてどこまでもこそばゆい囁きであった。
「……そっか」
気の利いた返事を思いつかない。
そこまで俺の経験値は高くないし、女の子のことを知らないから。
女の子には優しく、爺さんはそう言ってたのに、情けない限りの体たらくだ。
だから……。
「――っあ」
桜が小さく声を漏らす。
……俺が、桜の頭に手を置いたから。
優しく、彼女の髪を撫でた。
俺は口が回らないから、行動で示すしかなかった。
「もしかして桜、寂しかったのか?」
大抵の時、桜が大胆なことをするのは寂しかったりするのを誤魔化すためだった。
今回もそうだとしたら、俺は本当に情けない。
嫌気がさすくらいに、自己嫌悪が襲いかかってきそうだ。
俺の様子に気付いたのか、桜は勢いよく首を振る。
「違います、本当に甘えたかっただけなんです」
シュンとして、桜は小さく告げる。
悪いことをしてしまったと、反省するかのように。
「先輩に撫でてもらって、それから桜、と呼びかけてもらえるだけで、私は満足だったんです。
でも、そんなことを言うのも恥ずかしくて、自分でも訳が分からなくなっちゃいました。
こっちの方が恥ずかしいのに……何で私はこんな事をしたんでしょうね」
自嘲するかのような響きも混じってきて、まるで沈んでいくかのようで。
気がつけば、桜を抱きしめていた。
「せん、ぱい?」
「桜は照れ屋さんなんだな。
でも、桜らしいってすごく思う。
だから桜、なんて言えばいいか分からないけど、えっと、元気出せ」
こういう時に、自分の語彙力不足が嫌になる、まるで子供のようだ。
慎二なら、ポンポンと痒い言葉を連発できるだろうに。
……何だか、こっちまで恥ずかしくなってきた。
「先輩、もう大丈夫ですよ、私」
気を持ち直したのか、声が柔らかくなっていた。
でも、今は駄目だ。
「ごめん桜、ちょっとだけ待ってくれ」
「え?」
どうして、と思っているであろう。
でも、切実に待って欲しい。
「俺、顔赤いから。
見られたくない」
自分でも分かるくらいに顔が熱いから。
自分で悶絶してしまいそうなほど、女々しい理由。
でもそれほどに、今の俺は重症だった。
「フフ」
「……笑うなんてひどいぞ、桜」
背中から聞こえてくる、桜の笑い声。
まるで微笑ましいものを見たかのような、柔らかい笑い声。
これではまるで子供のようだ。
「だって先輩、可愛いんですもん」
……言い返せない。
こんな状態なのだ、何か言っても滑稽にしか過ぎないであろう。
駄目だ、これは駄目だ。
桜にくっついてても、赤さが取れるわけがなかった。
おまけにみっともない、醜態まで晒すハメにもなった。
今の状態に耐えられず、そっと桜を離す。
「先輩、顔は赤いままですよ?」
からかう様に、だけど優しく告げる桜。
それが余計に羞恥心を煽る。
「さ、桜だって、真っ赤なままじゃないか」
苦し紛れの、言い訳じみた言葉が飛び出る。
が、それもまた真実であった。
余裕を持ってるかのような桜の口調。
でも、桜の顔は多分俺よりも赤くなっていて、それが冷める様子は一向に見られない。
恥ずかしい、照れてしまう、といった感情が、俺にも分かるくらいに前面へ現れていたのだ。
「……先輩にそんなことされたんですもん、当たり前です」
顔は赤いままで、だけれど俺の目をしっかりと見ながら、桜は告げてくる。
「……そっか」
それ以上、俺は何も言えなかった。
無言で桜と見つめ合う。
何となく、それが今は正しいような気がしたから。
だから、こうしてずっと時間が流れていくって、そんなことすら感じてしまっていて。
桜が浮かべた微笑みが、何よりも暖かかった。
だから、
「うがあぁぁ! 君達! 何時まで続ける気だあぁぁ!!!」
それが終わるのが、少し寂しくもあった。
「全くもぅ、少し空気読んで見守ってたら、延々と続けちゃって。
朝からベタベタと! お姉ちゃんはプンプンです!
君たちのせいで、せっかく披露しようとしていたネタが、全部吹っ飛んじゃったんだから!」
どちらかというと、藤ねぇはプンプンというよりも、カンカンだった。
その様子は、王に憤怒を覚えたメロスにも見えた。
「ちょっと聞いてるの? 二人共!」
「ご、ごめんなさい、藤村先生」
桜はさっきから、ずっと赤いまま。
さっきまでの気恥かしさと、藤ねぇに見られていた羞恥とが合わさって、桜の顔の朱は収まるところを知らない。
「ゴメンで済んだら、おまわりさんはいらないの!
しかも今回は、証拠立件ともに不可な完全犯罪なのよ?
私は糖尿病が死因にされちゃうのね」
およよ、などと胡散臭い泣き真似をする藤ねぇ。
桜はあわあわしているが、俺は逆に自分が冷静になっていくのを感じる。
周りが混乱しているのを見ていると、自分は存外冷静に慣れてしまう、といった感じのアレである。
「で、桜、誰に教唆されたんだ?」
だから気付けた、桜が大胆になれた理由に。
一人では桜は戸惑ってしまうが、誰かが居るとどこまでも強くなれるから。
今回も誰かの力が働いていると、そう思ったのだ。
「こら士郎、私の話はまだ終わってません!」
ポコンと、藤ねぇに叩かれる。
「他人事のようにするんじゃありません。
士郎と桜ちゃんは共犯なのよ!」
……それを聞き出すのは、暫く無理そうだ。
「全く、士郎ったら。
もういっそのこと、私がこの家の風紀委員兼書記長に就任しちゃおうかしら」
こってりとした、藤ねぇのお説教。
実に30分、体感時間で1時間という長さであった。
しかもご飯食べながら喋るから、米粒が飛んでくる。
「ご飯中に喋るのは行儀悪いぞ」
「今はそれどころじゃな~い!」
……理不尽だった。
で、藤ねぇは時刻が8時を回ると、早々に立ち上がって一言。
「今日はこれくらいにしといてあげる。
じゃ、行ってきまーす!」
と言って学校に出勤していった。
あとに残ったのは、何も言えなくなってプルプル震えている桜と、爺さんが頭の中で手を振っている精神状態の俺だけであった。
「で、桜、誰に唆されたんだ?」
「唆すって、そんなんじゃありませんよ、先輩」
take2、今度は二人っきりなので、穏やかに話が聞ける。
桜と俺、藤ねぇという台風に見舞われ、ともに精神的な被害は大きかったが、それでも唯一良い事はあった。
程よく力を抜いて話ができるという、そういう状態に落ち着いたこと。
それが、何よりの幸いだったのだろう。
「ただ、私が相談したんです。
先輩に甘える方法は何かないのかなって」
「桜が相談する相手、ね」
まず思い浮かんだのが慎二。
だけど、そもそも桜が慎二にそんなことを相談できるはずがなかったので除外。
当然慎二の方も、嬉々として馬鹿にするであろうから。
次に思い浮かべたのは……。
「もしかしてそいつって、金髪でショートヘアだったりするか?」
「それ、もう答えが分かってますよね」
あはは、何て困った笑いを浮かべている桜。
それに、俺はどんな顔をしたことだろうか。
それにしてもマーガトロイドの奴、桜に何を仕込んでくれてるんだ。
「俺、最近はあいつのキャラが分かんないんだ」
「意外に優しいですよ」
桜の返事は曖昧なもの。
それはわかっているのだ、前の藤ねぇの一件で面倒みが良い事は理解しているから。
でも、マーガトロイドは場所によって、何だかキャラが違うように感じたりする。
教室では気難しげだし、コペンハーゲンでは存外気楽そうに感じる。
「あと、結構お茶目さんです」
「今回の件で、よぉく理解した」
強調して言うと、あたふたとし始める桜。
でもそれくらい驚いたのだ、ちょっとくらい言っても、罰は当たらないと思う。
「で、でも、私から相談したことなんです!
アリス先輩は悪くありません!!」
必死の弁護、でも確かにそれも事実であった。
というか、そもそもである。
「今回、別に誰かが悪いとか、そういうことはなかったよな」
「あ、言われてみれば、そうですね」
何が悪かったといえば、巡り合わせが悪かったのだ。
……俺達の不注意も存分に含まれているのであるが。
「という訳で、俺は別に桜を責めようとか考えてるわけじゃないんだ。
ただ、きっかけがどこにあったのかを知りたいだけで」
「そう、ですか。
……でも、びっくりさせてしまって、ごめんなさい」
ぺこりと、頭を下げる桜。
でもそうされると、逆にこっちが悪くさえ思えてしまう。
「いや、俺の方こそ過剰に反応してゴメン」
俺も頭を下げる。
そうして、二人で顔を上げると、次に安心感が湧いてきたのだ。
「あとで二人で、藤村先生にも謝りに行きましょうか」
「そうだな、って、あ」
「どうかしましたか、先輩?」
首をかしげている桜。
そんな彼女に俺は机の上を指差した。
「あ、先生、お弁当忘れていってますね」
「慌ただしかったもんな」
それ程に、我を忘れていたということだろう。
「後で届けに行かないとな」
「そうですね、藤村先生もお昼にはお腹が空いているでしょうし。
私達はお昼ご飯、どうしましょうか?」
「そうだな、学校に届けに行こう。
……そうだな、ついでだし昼は藤ねぇ達と一緒に食べるか」
「え? 私が行っても大丈夫なんですか?」
「桜は直ぐにうちの学校に来ることになるんだし。
学校で一緒にお昼も食べても何も問題はないよ、早めに雰囲気に慣れる事もできるしな。
それに弁当はいつも多めに作ってるし」
弓道部の奴らがタカってくるから、弁当はいつも多めだ。
何も問題はないのだ。
「そう、ですね、楽しみです。
でもその前に、私たちも朝ごはん、食べましょうか」
「食べる前にレンジにかけないとな」
すっかりと冷めてしまった料理を、次々とレンジに放り込んでいく。
その中で、ふと気になったことがあった。
きっと安心したから、そういう疑問を持つ余裕が出てきたのだろう。
「桜、どうして夫婦なんてネタだったんだ?」
確実に、マーガトロイドに吹き込まれた事なのだろうが。
それでも、あいつがどうしてそんなネタにしたのかが気になったのだ。
「あ、それはですね」
さっきを思い出したのか、少し顔を赤くしつつ、桜は答えてくれた。
カレンダーを見ながら、桜は告げたのだ。
「今日はエイプリルフールですから。
嘘をついてもいい日、だから思い切ってお馬鹿な虚構を作り上げましょうって、アリス先輩に言われたんです」
何だかダメになっちゃいましたけどね、と零す桜。
笑っているけど、少し寂しさも感じて。
「別に、嫌じゃなかった」
だから、そんなことを言ってしまっていた。
確かにすごく恥ずかしくて、真っ赤になってしまったけど。
それでも、心臓が高鳴ったのは、紛れもない真実だったから。
「……先輩、私」
桜が俺を見ていた。
まっすぐに、その目を。
だから彼女の目に映る感情、それがダイレクトに伝わってくる。
期待、その感情を強く滲ませていた。
「今ので、すごくドキドキしちゃいました。
続けたいって、思っちゃいました」
肌色が朱に交わり、そして紅に染まっていく。
「続き、しても良いですか?」
……断る術を、俺は知らなかった。
「そろそろ学校の方へ行こうか、桜」
「……はい、あなた」
互いに赤面する。
でも、それでも続ける。
嫌ではないのだから、それが堪らなくむず痒いものだったのだとしても。
「持ってくものは弁当くらいか。
あ、あと、帰り際に買い物にも行かないとな」
「せんぱ、あ、いえ、あなた!
私が荷物を持っていきますから、任せてください!」
フン、と気合を入れている桜。
でもそれをさせるわけにはいかない。
「桜は女の子なんだから、そういうのは俺の役目だよ」
「……先輩はいつもそればっかり、ずるいです」
桜はボソッと呟いてたが、しっかりと聞こえていた。
でもこればかりは譲れないのだから、仕方がない。
「行くぞ桜」
「はい、あなた」
トコトコと桜が後ろからついてくるのを確認して、俺は玄関を出た。
向かうのは学校の弓道場。
たまに藤ねぇが弁当を忘れていくから、届けに行く場所。
それ以上でも、それ以下でもない。
「と、そう言えば桜」
気付いたことがあった。
それは一応大事なことだ。
「それ、外でも続けるのか?」
流石にそれは、羞恥心の刺激が強すぎる。
想像しただけで、及び腰になってしまう。
「さ、流石に皆さんの前だと恥ずかしいですね」
それは桜も同じだったようだ。
名残惜しさもあるが外ではと、そう言おうとした。
でも、その前に桜が。
「だから、二人っきりの時だけ、お願いしますね」
照れながらそう告げてきたのだ。
思考が、停止しそうになる。
辛うじて、カクカクと首を縦に動かすことが、俺に出来た唯一のことであった。
「行きましょうか、あなた」
桜の微笑みは、春の陽気を思わせるような、そんな香りを持っていた。
今の俺は、きっとそれに当てられているに違いない。
「お、衛宮じゃないか。
丁度いいところに来たね」
「それは飯時だからってことか?
それとも藤村先生の手綱が欲しかったってところなのか?」
「ま、両方だねぇ」
弓道場に到着、と同時に美綴から挨拶をもらう。
顔には、待ちわびたぞ? と書かれているのだから、分かりやすいものだ。
「飢えた藤村先生が、他の生徒に襲い掛からないうちに、早く弁当を届けてくれ。
……おや、そちらさんは?」
美綴の視線の先、そこには桜がいていた。
ペコリと、桜が頭を下げる。
「初めまして、間桐桜といいます」
「間桐って、あの間桐の妹?」
「はい、多分ですけど、その間桐だと思います」
驚いたような顔を、美綴はしていた。
まぁ、何が言いたいかは理解できるが。
「見学に来たんだよ。
といっても、学校の雰囲気を感じに来た程度なんだけどな。
もうすぐ入学は確定してるんだし」
「へぇ、そういうことなら、ゆっくりしていってよ。
部長には、私から言っておくから」
「はい、ありがとうございます」
許可は得た、あとは元々の主目的だった藤ねぇの所在だが……。
「見つけた」
呆れ声が、思わず出てしまった。
朝、俺達に怒りを示していた藤村”先生”は、生徒に野獣の眼光をつけていた。
正確には、生徒の持っている弁当にガンをつけているのだが。
どちらにしろ、タチが悪いことに変わりはないのだが。
「ほら藤ねぇ、弁当持ってきたぞ。
だから他の人の弁当を見つめるのやめろ」
「しろぉ! よくやった、感動した!!」
藤ねぇが飛んでくる。
その躍動ぶりと言ったら、虎というよりも豹のような俊敏さであった。
「感動するよりも、忘れていったことを反省しろよ」
「それは朝のゴタゴタが悪かったのよぅ。
それに反省はしてないが、後悔はしている!」
キリッ、と良い笑顔を浮かべている藤ねぇ。
本当に現金なものである。
「はぁ、昼にするか」
「はい、あな、……先輩!」
一瞬ヒヤリとしたがギリギリセーフ。
桜と目を合わせて、軽く息を吐く。
「んじゃんじゃ、いっただっきま~す!!」
俺達の様子になど気付く気配はなく、むしゃむしゃと弁当を貪り始める藤ねぇ。
それは余りにも何時も通りの光景。
故に、この場においてだけ、俺達はいつもの自然体に戻ることが出来た。
それは魔法が覚めたかのようでもあったが、同時に安心もそこにはあった。
「あの先生、朝はごめんなさい。
あんなの、びっくりしちゃいますよね」
「ごめん、藤ねぇ」
だから自然と、こんな言葉が出ていた。
桜と俺は、何時もと同じ空間であったから、今朝の異常について、謝ることができたのだ。
「あ、もう大丈夫だよぉ、そんなことよりこの煮物!
ちょっと甘く煮つけすぎよ、醤油ドバーって入れてくれる方が、わたし的には嬉しいかなぁ」
尤も、藤ねぇはそんなことは気にしていなかった。
無駄にカラぶってしまった俺と桜は、藤ねぇらしいか、と肩の力が抜けたのであった。
「藤ねぇ、醤油ばっか入れてると体に悪いぞ。
それに慎二がそれを聞いたとき、”味のわからぬ蛮族が!”て物凄くキレてたし」
「間桐君は、甘く煮付けてないと食べれないんだ。
まだまだ子供なんだから」
いや、多分単なる好みの差だと思う。
桜に視線を送ると、クスクスと笑っていた。
慎二らしいことに感性がくすぐられたのか、藤ねぇの物言いがあまりにも横暴だったからなのか。
「何時か、兄さんとも食卓が囲えたらいいですね」
「そうだな、あいつ稀にしかこないもんなぁ」
ごく稀に夕飯時に現れては、ぶつくさ言いながらご飯をかきこみ、そして去っていく。
正直、何をしに来たのか分からなかったりするが、どうせなら毎日来ればいいのに、と思ってしまうのだ。
「間桐君が来るなら、今度こそ味の良さを教えなきゃね」
「えっと、多分喧嘩になっちゃうと思うんですけど……」
「ま、そこら辺は慎二の気紛れ次第だな」
妙に浮き浮き気味の藤ねぇに、あまり期待するな、と釘を刺しておく。
そもそも、好みが違うのが食卓に揃いすぎると、味を整合するのにすごく苦労する。
なので程々にして欲しいのだ。
「はい、今日も美味しかった、ごちそうさまでしたっ!」
「私もです、ごちそうさまでした」
「お粗末さん」
弁当箱は綺麗に片付けられていた。
気持ちよく食べられたあとの、この弁当箱を見るのは気分は良いものだ。
「みんな、2時からまた練習再開よ。
さっさと食べるべし!」
自分が食べ終わったのを良い事に、急かし始める藤ねぇ。
別に2時に期限を設けているのだから、急かす必要はないのだけれど。
「私達はどうしましょうか、先輩」
「そうだな……」
出来れば買い物に行きたい。
でも、である。
「せっかく来たんだ、桜は何かしたいことはないか?」
桜は今、学校にいるのだ。
もうすぐ入学する、この学校に。
だから聞いたのだ、何かないのか、と。
「えっと」
「なぁ、それならさ」
桜が頭を悩ましているところで、声がかかった。
その正体は、時々こちらを気にしていた、美綴であった。
「弓道、してみないか?」
「……」
「あ、別に無理になんて事はないよ。
ただ、機会があるのならやってみるのもイイかなって思っただけ」
美綴の勧誘に、桜は困ったように沈黙していた。
目を伏せているあたり、できれば断りたいのかもしれない。
「美綴」
「ま、いいさ」
俺が断りを入れようとしたら、その前に美綴は引いた。
桜の状態を見て、手応えがないことを悟ったのかもしれない。
「気が向いたらおいで……衛宮も誘ってな」
「えっ!?」
びっくりした桜が顔を上げる。
そこには、快活な笑みを浮かべた、美綴の姿があった。
「ビンゴか、衛宮も隅に置けないねぇ」
「し、静かに!」
流石に恥ずかしい。
別に隠す意図はないが、皆に言いふらす理由もない、むしろ恥ずかしい。
「お前、本当にわかりやすい奴」
何がなのだ、と言ってやりたいが、大体自分でも理解できている。
……もうそろそろ、耐性が出来ても良いと思うのだが。
「ほっとけ」
「こんなに楽しいのに、ほっとける訳ないだろう?」
睨みつけると、お幸せに、と残して脱兎のごとく、美綴は去っていった。
……せっかく、普段通りに戻っていた空気が、朝のように戻ってしまった。
「か、買い物に行きましょうか、先輩」
「そう、だな」
藤ねぇにその旨を告げて、この場を後にする。
気を付けるのよ~、と言う藤ねぇの言葉を背に受けながら。
「今日の晩御飯、何にしましょうか……あなた」
「……続けるのか、それ」
もう十分に恥ずかしい思いはしたと思っていたのだが、桜はまだまだ続ける気のようだ。
「アリス先輩が言ってたんです。
シンデレラの魔法が解けるのは、12時を過ぎてからだって」
「俺、王子様なんて柄じゃないぞ」
「私にとっては、何にも変えられない王子様ですよ」
……本当に柄じゃないけど。
そう言われたのなら、答えなくてはいけない気がした。
「分かった、出来る範囲でエスコートするよ、桜」
「はいっ!」
嬉しそうに、はにかむ桜。
それを見ていると、まぁ、良いかと思えてくるから不思議である。
「じゃ、まずは八百屋から回ろうか。
何か良いのがあったら、それを晩飯の食材にすればいいし」
「分かりました、あなた」
という訳で、八百屋に向かい野菜を漁る。
何時も通りに冷やかされる。
でもオマケしてくれるので、あまり文句も言えなくなってしまうのだから、困ったものだ。
それから肉屋、魚屋、と巡り、そして全ての店で冷やかされ続けた。
そして皆が皆、オマケをつけてくるのだ。
ここまで来ると、何かの作為的なものまで感じてしまう。
「奥さん、だなんて……」
「やっぱ、恥ずかしいものは恥ずかしいんだな」
何とも言えない心象だった。
前の手を繋いで買い物した時から、色々と冷やかされるようになったので、それが大元の原因だったのかもしれない。
あの時は、熱に浮かされてたのか、我ながら大胆に行動できたものである。
……頭が、痛くなってきそうだ。
「でも、ちょっと嬉しいです」
でもあの人たちのそれは祝福だから。
だから、恥ずかしくても、不快には思えない。
「みんなしてアレだもんな、俺はちょっと困るぞ」
「あはは、そうですね、あなた」
そうやって笑って、俺達は、自然と手を繋いでいた。
「帰るか、桜」
「はい、あなた」
繋いだ手は暖かくて、伝わる熱から、春の暖かさを感じることができた。
もう、寒くはないのだ。
今は紛れもなく、春だった。
「あら、成功したのね」
「成功って何がって……うわぁ」
視界には手をつないでいる衛宮くんと桜の姿があった。
仲睦まじく、楽しげに歩いている。
それを見た凛は、何とも言えない表所をしていた。
「あんた、桜に何を吹き込んだのよ」
「吹き込んだなんて、人聞きの悪いことを言わないで」
相談されて答えただけである。
それで失敗したのならともかく、成功しているのだからケチをつけられるいわれはない。
でも、気になっているであろうから、凛には教えることにする。
「何って夫婦ごっこよ。
折角のエイプリルフールだもの。
面白いことの一つや二つくらいは良いでしょう?」
「ま、確かにつまらないよりかは良いけど。
でも、夫婦ごっこって……」
意味不明、と言いたげに考え始める凛。
でも、二人を当てはめるのなら、それが一番似合ってると感じたから。
だからそうしただけのこと。
深い理由など、二人が作ればいいだけの話だ。
「今頃、あなた、とか桜は衛宮くんの事を呼んでいるわよ」
うへぇ、という顔をした凛。
だけれど、その直後に、面白いことを思いついたと言わんばかりにこちらに顔を向けた。
「ねぇ、アリス」
「残念ながら、エイプリルフールの企画は、ここで終了よ」
「……何でよ」
出鼻をくじかれて、面白くなさそうな凛が聞いてくる。
でも、事実としてそうなのだから、仕方がないのだ。
「エイプリルフールはね、本当は午前中だけしか嘘をついてはいけないのよ。
そういう習わしなの」
「え、でも、あの二人は」
凛は、遠くになった衛宮くんたちの背を見た。
明らかに、あそこはまだ続いているだろう、と。
「桜は魔法が解けたことに気づいてないのよ。
もうあそこまで行くと、嘘なんかじゃなくて、単なる真実なんでしょう」
「……あんたが一番楽しんでるんじゃない」
「まぁ、折角馬鹿になったんだもの、私もね」
だからこれくらいの得は、得ても良いだろう。
ほんのちょっとした、ささやかな楽しみに過ぎないのだから。
だから最後の馬鹿な事として、遠のいていく衛宮くん達に、少しばかりの祝福を願ったのであった。
もう、それすらも必要では、無いであろうが。
ちょっとしたズレ、みたいなものが起こってます。
士郎と慎二は弓道部に入ってません。
それは、魔術の鍛錬などで、時間が取れなくなってるためです。
といっても、特に意味のない設定だったりするのですがね。
甘めに行こうと思ったのですが、如何だったでしょうか?
正直、あまりしない話を無理して書いたきがするので、ケミカルな味になってないかが心配です。