私達はバスに乗ってる。
焦燥感に苛まれながら、それでも一定の速度でバスは進んでいく。
早くと願っても、願えば願うほどに時は遅く感じられて、余計にヤキモキが酷くなってしまう。
それを紛らわそうとチラリと横目を向ければ、ひどく落ち着かない様子のメリーと、表面上は何も変わらないマーガトロイドさんの姿。
しかし、落ち着いている様子のマーガトロイドさんも、膝の上で指をトントンと何度も叩いている。
表情には出ていなくても、それだけ焦っているんだって、そう思う。
そうしたもどかしさの中で、私はそれを打破しようと、もしくは誤魔化そうとして、マーガトロイドさんに声をかけた。
「マーガトロイドさんは、蒼崎さんにどこで知り合ったの?」
「私はまだ会ったことがないの」
「……へ?」
話題にし易い共通の人物。
その話題を振ったつもりが、最初からエラーを投げてしまったらしい。
思わぬ暴投であった。
「会ったこと、無いんですか?」
「えぇ、お話だけなら、何度も伺っているのだけれどね」
メリーがビックリしたように話しかければ、マーガトロイドさんはキッパリと言い切った。
彼女の話しぶりから、何か執着でもあるんじゃないかと思っていただけに、予想外の展開である。
「蒼崎さんの話って、どんなのを聞いてたの?」
ならば、と私は話題転換に乗り出す。
一回逸れたからって、それでめげていては会話は続かないのだから。
「彼女、人形師なのよ。
その筋では、かなり有名人よ」
そして、見事にマーガトロイドさんは乗ってくれた。
よし、このままで行こう。
「人形師?
お人形さんを蒼崎さんは作ってるんですか?」
メリーの声、ひどく驚いている。
蒼崎さんが人形を……。
確かに、想像するとかなりのシュールさが伴っているようにも感じる。
蒼崎さんが、ウフフと笑いながらメガネを光らして人形を作っている姿。
想像すると、何だか危なげなものが存在しているようにも感じるから。
「貴方達は何を想像しているのかしら」
どこか呆れたような、マーガトロイドさんの声が届く。
だけれど、仕方ないと思うんだ、私は。
だって、蒼崎さんがリカちゃん人形を笑顔で拵えていると想像すると……色々と、キツイ。
「……蒼崎さんは、少女趣味なんですか?」
恐る恐るに、メリーがマーガトロイドさんに声を掛けていた。
怖いけれど、気になって仕方がないと言う風に。
その気持はすごく分かる。
怖いもの見たさというやつだ。
「はぁ、蒼崎の人形は基本的に精巧な、まるで生きているかのような等身大の人形よ。
貴方達の想像してるでしょう人形とは、また別のもの」
そ、そっか……。
良かったと思う反面、何だか残念に思っている自分が居た。
何を残念に思ってしまったのか……それはきっと考えてはいけないことなのだろう。
「等身大の……人形」
メリーが、何だか意味ありげに顔を赤くしている。
一体どうしたというのだろうか。
「メリー、もしかして気分が悪いの?」
メリーはすごく緊張してたから、それが元で体調を崩してしまったのかもしれない。
それを考えると、心配が止まらなくなりそう。
……だけれど、メリーは首をブンブンと勢い良く振って否定する。
「違うの、蓮子っ。
何でも無いんだよ、本当よ!」
違うよ、私そんなんじゃないよ、と涙目で訴えてくるメリー……可愛い。
でも、何が違うのか、それが私には分からないのだ。
「あぁ、成程」
しかし、マーガトロイドさんは納得したように呟いて、呆れた表情を浮かべていた。
そして、メリーの耳元にマーガトロイドさんが口元を近づけて。
「――――」
小さく、何かを囁いていた。
「ち、違いますっ。
私、そのっ」
「そう、それなら滅多なことは考えないことね」
うぅ、と呻いているメリーは、顔を真っ赤にしている。
私には、何がなんだか分からない。
だから気になった、彼女達の仲で分かり合っていることが。
「メリー、何なの?」
「い、言えないよ、こんなこと」
「何よ、それは」
何故だか拒否される。
酷い、私達は一心同体なのに。
隠されると、余計に気になるというのに。
「マーガトロイドさんも、絶対に言っちゃダメですからね!」
しかも念押ししているし。
メリーめ、何を思っていたのか。
「マーガトロイドさん、教えてもらえない?」
「だ、ダメですっ」
私とメリー、二人でマーガトロイドさんを見つめる。
さぁ、どっちに付くのかと。
「……さて、どうしたものかしらね」
マーガトロイドさんは意味深長に笑っていた。
楽しんでいるんだって、それが分かりやすい形で伝わってくる。
もぅ、と私とメリーもムッとしている。
でも、このまま誤魔化すなんて認めない。
さぁ、どっちに付くかを決めなさい!
「少し、考えてみたらどう?」
「そういう問題じゃないよ、私が気にしてるのは」
誤魔化すように、しかして楽しんでいるマーガトロイドさんの言葉を、私は一蹴する。
そう、何も私は内容が気になっているんじゃない。
メリーが、私に隠し事をしているのが気に入らないんだ。
「……蓮子、そういうの、プライバシーの侵害なんだから」
うぅ、と唸りながら、メリーは私を上目遣いで威嚇していた。
メリーの目が、それ以上訊いたら酷いんだから! と語っている。
むぅ、可愛いけど、これはそういう問題じゃないのに……。
「私にも話せないことなの?」
「蓮子だから、話せないの」
「どうしてよ」
メリー、妙なところで頑固だから困ってしまう。
多分今も、すごく意固地になってる。
言葉の節々からそれが見えて、だから私も躍起になってしまうのだ。
「だって……」
「だって?」
何だというのか。
意地悪、意地悪! とメリーの目が訴えている。
今は、口よりも目の方が、メリーは多弁になっている。
それをしっかりと分かりつつも、私は目より口を動くのを待っていた。
……そして。
「れ、蓮子、きっと笑って私を馬鹿にするから」
「え?」
私が、馬鹿にする?
――あぁ、そういう事か。
メリーの口振りから、身振りから、私はようやく腑に落ちることができた。
単に、メリーが無駄に想像力豊かなところを働かして、妙な妄想でもしたんだろう。
だから、その内容を知られたら、馬鹿にされるとでも思ったのか。
……流石はメリー、よく分かっている。
「私、ばかになんてしないよ?」
「嘘言ってる!
すごく棒読みになってるわ、蓮子!」
やっぱり、と目を釣り上げるメリー。
でも、そう言われても、メリーの面白妄想の内容が気になってしまう。
だって、メリーをからかいたいのだから!
「マーガトロイドさん」
だから、揺さぶりを掛けるために、私は事情を言い当てたのであろう、マーガトロイドさんに目を向ける。
……そしてそこには、すごく呆れた顔をしているマーガトロイドさんが。
「な、何?」
「いえ、別に」
言葉を濁して、でもやっぱり、といった感じに、マーガトロイドさんは口を動かした。
「見ていて飽きないわね、貴方達」
「メリーと私、昔からのコンビだからね。
伝統芸能と言っても差し支えないわ」
「私たち芸人じゃないよ」
マーガトロイドさんの言葉に、胸を張って私は答える。
メリーは、どこか的外れの言い訳をしているけれど。
そんな私達を、やっぱりマーガトロイドさんは呆れた目で見続けていて。
でも、その目がどこか私達は擽ったく感じていた。
「全く、気が抜けることね」
脱力気味に、マーガトロイドさんがそう零して。
アハハ、と私とメリーは互いに苦笑じみたモノを浮かべて。
そうして、気付く。
――あれ、緊張、どこかに行ってる?
あれ程あった焦燥感も、嫌な気持ちも、どこかに旅に出ていた。
まるで、探さないでくださいと置き手紙をしてあるかのように。
「どうしたの、蓮子?」
おっとりとした、メリーの訪ね声。
それで、分かった。
――何時も通りって、結構重要なことなのね。
首を傾げているメリーを見て、つくづくそう思った。
そんな中で、バスは確実に、目的地へと近づいて行っていた。
「ん?」
「何だ、式」
車中、運転中に式が何かを気にするように、すれ違ったバスに目をやっていた。
じぃ、とそれは蟻地獄を観察するのにも似た視線であった。
しかし、目をやっていたのもつかの間で。
どうでも良さげに、彼女は顔をバスから離した。
単に移動しているから、物理的に不可能なのもあったのであろうが。
「いや、どこかで見知った気配がしただけ」
「縁、と言う奴か」
成程、と呟きながら、橙子は車のスピードを緩めない。
さて、何が起こっているのか。
橙子はそれを考えていた。
このままでは、恐らく教授は見つからない。
自らを撒き餌にして誘き寄せたが、同じ手は通用しまい。
次は、式と分断されるであろう。
ならば、どうするべきであるか?
これまでの相手の行動を鑑みるに、相手は推測と憶測を積み立てている相手を消していっているように思える。
――何の憶測や推測であるか?
――それはハーンの記憶について。
――その内容が問題であるのか?
――確率的にはそうである。しかし、別の可能性も十分にあり得る。
――では、別の可能性とは?
――ハーンの、現状を壊そうとしている者を消している可能性。
そこまで考えて、橙子はふむ、と一つ呟く。
どちらにしろ、マエリベリーが関わっていることに変わりは無いのだ。
だからか、ならば、と橙子は考えた。
――ならば、水面に石を投げて、その波紋を見てみるのも一興か。
時刻が夕方に差し掛かった時刻。
アリスと、蓮子と、マエリベリー。
3人が飛び出して言ってから1時間もの時間。
両儀幹也はひたすらに待っていた。
コーヒーを二回お代わりし、時折思い出したように橙子に電話を掛ける。
それでも繋がらないから、今度は大学で橙子が来るのを無言で待ち続けていて。
そして、ようやく目的の人物の姿が見つかったのだ。
「橙子さんっ」
見つけて、声を掛けて……そして、気がつく。
「式も、来てたんだ」
「あぁ、非常識にも真夜中に電話を掛けてきたんだ、コイツは」
不機嫌そうに返した式、彼の妻。
視線で、疎ましそうに、気怠そうに橙子を睨みつけていた。
しかし、本人はどこ吹く風で全く堪えている様子はない。
むしろ鼻で笑っている始末であった。
「夜行性だろう? お前は」
反省のはの字すら見えない。
何時もの橙子過ぎて、幹也は呆れた顔をして、式はどこか殺意を滲ませている気配すらあった。
「そういえばお前は殺しても代わりが居るんだったよな」
ぼそりと、式が恐ろしいことを呟く。
半ばじゃれる様に、僅かに本音を混ぜての言葉。
橙子は、少し笑って答える。
「あぁ、確かに代わりはいるよ。
それも確かに私ではあるが、一個体の蒼崎橙子の連続かと言われれば、疑問を抱く産物ではあるがね。
まぁ尤も、私にはどうでも良い話ではあるが」
超然とした話である。
蒼崎橙子には意思があり、強烈な人格まで有しているのに、それを屁とも思わない。
これによって、蒼崎橙子は一種の現象と化していると言っても良いのだろう。
壊れても自然と次に引き継がれて、この世に有り続けるのだから。
「何にしても、橙子さんは橙子さんでしょう」
「どうでも良い話だ」
そしてそれを受け入れる幹也も、切って捨てれる式も、やはりどこかが緩んでいるのだろう。
それも、二人とも自然体であり、変に歪んでしまっているとか、そういう事は一切ないのだから、余計に。
「うん、所で君はこんな所で何をしてるんだ?」
「……あなたを待ってたんですよ」
喧嘩を売ってるとしか思えない質問に、うんざりとした感じで幹也は答えた。
年中この調子である。
よく、昔は毎日出勤できていたものだと、幹也は自分のことながら感心してしまっていた。
「あぁ、報告か。
ご苦労なことだ、黒桐」
「今は両儀ですって」
律儀に幹也は訂正するが、橙子は聞こえていないように無視をする。
彼女にとって、彼の本質はどこまでも黒桐幹也なのだから。
今更、それを曲げようとも思えないのだ。
式も、別段気にしている訳でもなく、幹也だけがむず痒がっている状況である。
「とまあ、こんな状況でして」
「流石は黒桐、妙なモノを惹きつけるタチは相変わらずか」
報告終了と共に、橙子は幹也に、どこか楽しげに笑いかけた。
褒めてるのだか貶しているのだか分からない……いや、完全に皮肉であろう。
蓮子とマエリベリー、そしてアリスの事について話したら、この反応である。
でも、幹也も随分と慣れてしまったもので。
これからどうするのか、と実の部分だけ拾い上げて会話を続行する。
「ふむ、所で連絡はつくのかね?」
「今から電話しますよ」
ここにいない女学生たち。
彼女達は橙子が危ないと踏んで飛び出していった。
ならば、既に橙子の無事という目的は達しているのだから、呼び戻すだけ。
だから、携帯電話で彼女達に知らせようとするが……。
『現在、この電話は電波の繋がらない所に――』
「あ」
幹也に、冷たい汗が流れた。
そうだ、当たり前の話だった。
――橙子さんが丁度こちらに着いたということは、彼女達も橙子さんの居た場所に着いたってことじゃないか!
ごく当たり前のこと。
あの時、自分は冷静だと思っていたのだけれど。
橙子が危ないと聞いて、自分も柄になく焦ってしまっていたのか……。
自己分析と共に、猛省を促したい感情が湧き上がってくるのを、幹也は感じずには居られない。
「失態だな、黒桐」
どこかにやけた顔で、橙子が幹也に話しかけた。
それは、素直に認めなければならないことでもあった。
「橙子さん、お願いがあります」
「やれやれ、また逆戻りか」
彼女達を迎えに、という幹也の言葉は、口にするまでもなく橙子は察していた。
そして、彼女達に用事がある橙子としても、このまま待つことは好ましくはない。
だから、彼女は幹也の頼みを快諾する。
「式、お前はどうする」
そこで、橙子はもう一人の同行者に訊ねる。
お前はもう一度同じ道を来るのか、それとも別個に行動するのかという事を。
「行く」
「ほぅ、珍しいな」
式の即答に、橙子は驚いた風にそう言った。
だが、言われた式からすれば自明のことである。
自分で個別に動いても、獲物は釣れないであろうこと。
待っているだけというのも、性に合わないこと。
そしてなにより、幹也がそこにいること。
それらの理由が、式を決断させたのだ。
「では、今すぐ出るとしよう」
橙子の言葉に従って、彼女達は車へと向かう。
どうにも振り回されてばかりだと、各々が思いながら。
「この近辺に居るはず、だけれど」
バスから降りて10分ほど歩いた所で、私達は探索を始めた。
私が呟きは、二人の耳にも届いていたようで、宇佐美さんとハーンさんの二人が周りに目を配り始める。
どうにも人気が少ないからか、音が響きやすい環境のようだ。
「蒼崎さん、無事かな……」
ハーンさんが心配を滲ませながら、小さく呟いた。
それに答えるのには、些か証拠が欠けているので、立証がし辛い。
「大丈夫よ、蒼崎さんなんだから」
結局、宇佐見さんの根拠ではないけれど、何故か納得してしまえるような言葉で、その場は再び静まり返った。
その静寂の中で、私は考える。
ハーンさんの夢の事、そして彼女の由来を。
十中八九、それが今回の騒動の発端で、そして解決する鍵でもあろうから。
横目でハーンさんを見ると、真剣な顔で蟻一匹見逃さぬと言わんばかりである。
宇佐見さんはそれを気遣いつつも、何かを探し求めるように視線を彷徨わせていた。
私も、それらに気を配りつつ、頭の片隅で考え事は続ける。
教授が消えた、まずそれが事件である。
なぜ消えたか、と言われればハーンさんについて、何かを知ったか有力な手がかりを掴んだと言った所か。
その手段は、証拠も目撃情報もないことから、恐らくは魔術やそれらに類する能力を使用したと思われる。
そして、次に事件に会うと思われる有力者は蒼崎橙子。
彼女も色々と調べていて、答えに辿り着いてもおかしくないから。
魔術的な視点も活用すれば、捜査や思索は大きく進んだことであろう。
だからこそ、彼女が危ないと踏んだのであるが……。
どうにも、その彼女の姿が見当たらない。
既に消されたか、移動したか。
後者であれば単なる取り越し苦労で、私の杞憂に済むのだけれど。
「あ、こっちにトンネルがあるよ」
宇佐見さんがそう言って、指をさした方向にはトラックがぎりぎり通れる程のトンネルが存在していた。
だけれど、注目すべき点はそこでは無いであろう。
そのトンネルには、確かな残滓を感じれたのだから。
「結界の……跡?」
そして、ハーンさんも正確に、事態を洞察して見せた。
そう、このトンネルにあるのは、魔力の残滓。
結界を構成していたであろうモノの跡であったのだから。
「本当なの? メリー」
「うん、間違いないよ」
宇佐見さんがハーンさんを問いただして、それに肯定をする。
彼女の能力は、どうやら専門のモノだけあって、細かい所まで気が回るもののようだ。
「えぇ、間違いないはずよ」
だから私も、ハーンさんが感じたことに同意する。
どうやら、本当に信頼の置ける能力のようであるから。
「へ? マーガトロイドさんも分かるの!?」
驚いたように、勢いよく。
宇佐見さんが私に声を上げた。
話していなかったのだから、まあ当然の反応であろうけれど。
けど、このまま黙っているのも虫の居所が悪くなるというもの。
魔術について話す訳にはいかないが、それでも答えられる範囲であるのならば、助けに入るのは吝かではないのだ。
「えぇ、人よりかは良く見えるのよ」
決して、嘘ではない。
早苗がそうであったのと同様に、私の目も他には見えないものが見えるのだから。
「それで、両儀さん達を手伝っていたんですね」
納得したようなハーンさんの声が聞こえる。
それは違うのではあるが、まあ敢えて訂正するほどのことでもない。
だからそのまま聞き流して、私たちは進んでいく。
目の前のトンネルへ、誘われるように。
トンネルは暗く、出口であろう光までの距離は、遠い。
その暗がりへと、足を踏み入れて……。
一歩進んだ所で、何か他のモノを感じた。
ハーンさんが言っていた結界ではなくて、他の魔術の痕跡を。
「マーガトロイドさん?」
宇佐見さんが何事かと声をかけてくるが、私の耳からはすり抜けてしまって。
誘われるように、何らかの魔術が施されたであろう壁までたどり着く。
「これは……ルーン?」
上等な、束縛を齎すであろうルーン文字。
その効力は、魔力切れか解除されたせいで発揮されてないが、その残滓程度ならば感じられる。
「何かあったの!」
宇佐見さんとハーンさん、その二人が近づいてくる。
何か見つかったのかと、慌てながら。
「これよ」
私が壁を指さすと、そこに書いてある文字を見て、二人は目が点になっていた。
「なんですか、これ?」
ハーンさんが思ったことを口に出したかのように、ルーンについて訪ねてくる。
「うーん、どっかで見かけたことがあるような?」
一方で、宇佐見さんは小骨が引っ掛かったような顔をしていて。
「ルーン文字よ、お呪いのようなものね」
そう二人に告げると、ハーンさんは首を傾げたままであったが、宇佐見さんは、あぁっ!? と思い出したように声を上げた。
「ルーン文字って確かケルト人が使っていたっていう……」
「そう、そのルーン文字よ」
目を輝かせて宇佐見さんが聞いてくるので、然りと答えると、へー、これが、と興味深そうにまじまじと壁を眺め始めた。
どうやら、知識として知ってはいたのだろうが、実際に描かれたモノを見るのは初めてなのであろう。
宇佐見さんは、そっちの知識にも明るいらしい。
……私もばれない様に注意をしなくては。
「でも、そのるーんもじ? がどうしてここにあるんですか?」
そうして、至極もっともな疑問をハーンさんは口にする。
えぇ、聞かれて困る質問だけれど、適当に返答するほかはないであろう。
「蒼崎の専門分野だったはずよ。
そういう怪しいものを、彼女は好んで研究しているもの」
間違ってはいない。
蒼崎橙子は魔術師である。
故に、この文字は彼女の研鑽の証なのであろう。
精巧に、そして重圧に重ね掛けされていたであろうそれらの文字。
それは一種の美しさすら伴って、その場に存在していたのだから。
「あー、そう言えばオカルトの専門って聞いたもんね」
宇佐見さんが、納得したようにそう頷いていた。
なるほど、確かに蒼崎橙子の専門分野はオカルトだ。
言いえて妙とは正にこの事であるのだろう。
「なら、これは虫よけの様な物なんだ」
ルーン文字を見て、宇佐美さんはそう結論を出していた。
が、虫よけという表現に、微妙な気分になる。
これを見てそう表現するとは、中々に図太い神経をしているのだろう。
「綺麗、ですね」
ハーンさんは、宇佐美さんに比べて、随分と可愛らしい表現をする。
そう、この流麗な文字を見たら、普通はそう思うはず。
まじまじと見つめているハーンさんを見て、納得に似たモノを覚えずにはいられない。
宇佐見さんが、妙なことを言ってくれたせいで、だけれど。
「そう、この綺麗なものは、蒼崎が用意したモノと見て間違いはないわ。
だからこそ、問題なのよ」
私が言い放ったのを聞いて、二人は魅入られていたが、はっとしてこちら側に帰って来た。
そう、これがあるということは、確かに蒼崎がここに居たということ。
そのルーンの効果が切れているということは、少々不味い事になっている可能性も、本格的に考慮に入れなくてはいけない。
「蒼崎さん、どこにいるんだろう……」
急に不安が帰宅したように、ハーンさんがポツリと漏らした。
それだけ、嫌な予感が這い寄ってきているのだ。
「だ、大丈夫だって!
蒼崎さん、こんなものを残しているくらいだし、全然ピンピンしてると思うよ!」
「うん、そうだよね、きっと」
塞ごうとしているハーンさんを、宇佐見さんが必死に励まそうとしている。
そしてそれを汲み取ったハーンさんも、努力して毅然としようとしていた。
だから私はそんな二人を見て、思考を巡らして……。
そうして、思い至ったのだ。
だから、私は提案する。
「考えてみましょう、これまでの事を」
人差し指を一本立てて、私はそう提案した。
このポーズは、凛が説明をするときのポーズで、つい真似したくなるような、不思議な癖があるもの。
「これまでの」
「こと?」
二人は示し合わせたように、私に問うてきた。
それに対して、私は頷きながら、彼女たちに説明する。
「原因は大まかだけれど予測はできている。
なら、どうやって解決するかを考えなければならないわ」
「え、でも」
私の言葉を聞いて、困ったような顔をしたのは宇佐見さん。
「どうすれば、良いのかな?」
そしてハーンさんは、ひどく真剣な顔をしていた。
驚くほどに、引き込まれそうな眼をしている。
「えぇ、方法はあるわ。
……たった今、思いついたの」
一つばかり、重要なことに気が付いただけの事。
でも、きっとそれを媒介にして、何かを呼び起こせるはずなのだから。
「まず私達は、重要なことを見落としていたわ」
「というと?」
宇佐見さんが、身を乗り出して聞いてくる。
それを手で制しつつ、私は順番に語り始める。
「まず、教授が何らかの手段を持って消えたということ。
あまりに不可解な消え方をしていたから、そちらの方にばかり考えが偏っていたわ」
「それは……そうですね」
ハーンさんが神妙な顔で頷いて、その事を肯定する。
それを確認して、私は話を続ける。
「ここで考えるべきだったのは、方法もそうだけれど、もう一つ必要なことなのよ」
「それは、何?」
宇佐見さんが確かめるように、私に問いかける。
それに、私は端的に答えた。
「何故、消えたかよ」
「えっと、それは……」
私の言葉を聞いたハーンさんが、どこか居心地が悪そうに、口をモゴモゴしていた。
消えた理由、それは皆で確認した通りのものだと、そう言いたいのであろう。
それは尤もなことだと、私も思っている。
探るような宇佐見さんの視線を受けながら、私は仮定を述べ続ける。
「えぇ、それはハーンさんの秘密を知ったから。
そう言いたいのね。
それはその通りよ。
ただ、もう一つ着目しなければならない点があるわ」
何? と言いたげな目をして、それでも無言で続きを促す二人。
望み通り、私はひたすらに語り続ける。
「それはね、どうやって教授を拐った存在は、教授の事に気がついたのか。
つまりは、その存在は、どうやって私達の事を把握しているのか、という事」
「っあ」
何かに気付いたかのように、気付いてしまったかのように、ハーンさんは小さく声を漏らした。
恐らく、彼女が想像していることは、当たっていると、そう思う。
「……見られてるの?
今も、私達を?」
不気味そうに、宇佐見さんが呟いた。
そう、それが答えなのであろう。
きっと彼、もしくは彼女は、こちらを見ていることであろう。
そして、その条件は……。
「多分だけれど、ハーンさんが夢を見て違う世界を見るのと同様に、向こうも寝ている間に、夢を見ているのだと思うわ」
「夢で……私と、知らない誰かは繋がってたんだ」
驚愕や呆然といった表情を混ぜ合わせたように、ハーンさんは呟いた。
そう、きっとこれは憶測にしか過ぎないことだけれど、きっと合ってる。
直感が、そして目が、私にそう告げているから。
「だから、ね。
きっと方法的には、簡単なことだったのよ。
教授を拐った犯人を、探し出すのは」
「どう、するの?」
宇佐見さんが、未だ整理がついてない顔で、私に訊ねてきた。
だから私は、任せてと言って、そしてここに居ない誰かを、呼んだ。
「見ているのでしょう?
それはもう分かっているの。
だから出てきなさい!」
そして、もう一言。
揺さぶるように、誰かに告げる。
「出てこなかったら……ハーンさんに、ある事無いこと全てぶちまけるわよっ!」
大きな声で、トンネルに反響させながら、私は叫んだ。
これ以上ないほどに精一杯に、ハーンさんの目を見つめながら。
半ば本気に、少々の虚勢を伴って。
私は、その存在に、伝えたのだ。
すると……。
――空間が、裂けた。
異界にでも繋がっていそうな、気味の悪い穴。
その中から、ぎょろりとした目が幾つも、一斉に私を見ていた――
次回にて、空の境界編(激しく疑問)は終了です。