冬木の街の人形師   作:ペンギン3

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連載1周年、やったね!
これからもよろしくお願いします!!


第24話 一つ終わって、エンは繋がる

 現在、私達は宿泊ホテルに居る。

 蒼崎さんに車に乗せてもらって、皆で戻ってきたのだ。

 というか、全員が同じホテルに泊まっていることが、すごく驚きなのだけれど……。

 

「え、見えなく出来るんですか!」

 

 それ以上の驚きが、今私に襲いかかっていた。

 何がかと言うと、両儀さんの奥さんが、私と彼女の繋がりを断つことが出来るといったから。

 彼女、即ち八雲紫と私、マエリベリー・ハーンとの同一性を。

 

「お前達はもう十分に別人なんだよ。

 それが何時までも、無意識の中で相手を見ている……正直気持ち悪いだろ?」

 

「あ、あはは」

 

 随分とはっきり言う人だ。

 思わず、返事に窮してしまう。

 だけれども……確かに、と思うところはある。

 

 このまま夢を見続けたいと思っていると、何時までも成長をしない気がするのだ。

 夢を見ている、それは私の一部でもあった。

 だけど、そろそろ同床異夢の時が来たんだって、そう思ってもいる。

 私には私の感情が有り、彼女(八雲紫)には彼女の感情が有るのだから。

 

「でも、どうして……」

 

 分かったのですか、私と彼女の事を。

 そう続けようとした。

 本来なら、私と八雲紫しか知らない出来事のはずだったから。

 だけれど、私が言葉にするまでもなく、彼女は答えてくれた。

 

「私の目は特別製でな、お前達の在り方が視えただけのことだ」

 

 面白くもなさそうに、両儀さんの奥さん、式さんはあっさりと答える。

 よく見てみると、彼女の目は薄らと蒼さが滲んでいて。

 ――綺麗だなって、私は感じた。

 

「まるで瑠璃(ラピスラズリ)だわ……」

 

 特別、そう言われても頷ける彼女の眼。

 宝石箱から取り出した様に、キラキラとしているようにも感じる。

 

「ふぅん、そう言う奴もいるのか」

 

 私がじっと見ていると、式さんは納得したような顔で、そう呟いていた。

 そして私は、見ているのが急に恥ずかしくなってきた。

 

 ――何をしているの、マエリベリー。

 ――まじまじと見つめてたら、失礼じゃない。

 

 そう、自分で自分を叱責する。

 私だって、蓮子にひたすらに覗き込まれたら、恥ずかしくて真っ赤になる自信があるのだから。

 

「ご、ごめんなさい」

 

「別にどうとも思ってない」

 

 慌てて謝ると、非常に素っ気なく返される。

 怒ってるのかしら、と顔色を伺うと別段そういう訳でも無いみたい。

 単に、それがこの人の持ち味なのかもしれない。

 

「で、どうするんだ?」

 

 遅々として進まない話に、業を煮やした様に式さんが訊いてくる。

 私と彼女、これからどうするかについて。

 

 ……正直、八雲紫の夢を見るのは楽しい。

 見たことのない世界が、そこには広がっているわけなのだから。

 でも、だけれど、それを続けては駄目って事だけは分かっている。

 それは夢で、(うつつ)であることは、決してないのだから。

 普通の、蓮子の隣にいるのならば、交わることは無いだろう線。

 故にずっとそれを見ていると、現実から剥がれそうに感じるかもしれない。

 だから、私は……、

 

「はい、お願いします」

 

「ああ、そ」

 

 頭を下げてお願いすると、両儀さんはそれだけを小さく言う。

 そして私が顔を上げた、その時――

 

「――え?」

 

 ナイフが、目の前にあった。

 それが、私の目を貫いて、入り込んでいく。

 反応する間もなく、微動だにもできず、私は固まっていた。

 

 ……痛くはない、何も痛覚は訴えてきていない。

 けれど、大切な何かが、一つ断線した気がした。

 心の中で、プツリと音を立てながら。

 そうして、両儀さんはナイフを抜く。

 何の音も立てずに、何事も無かったかのように。

 するりとナイフが抜けた後は……私の目は、きちんと見えていた。

 

「え、一体なんなんですか!?

 あ、でも、見えてる?

 何がどうなってるのかしら、どれがどうなっているのかしら」

 

「落ち着け、繋がりを絶っただけだ」

 

 私が錯乱しそうになっていると、両儀さんは面倒くさそうにそう言う。

 でも、問題点はそこではないと思うんです。

 

「い、行き成り何をするんですか!」

 

 流石に、私でもびっくりしてしまう。

 まさかナイフを突き立てられるなんて、そうそうない経験だろう。

 けれど、当の式さん自体は実にケロリとしたもので、

 

「頼まれたからやった、それだけだ」

 

 呆気カランと、そう答えたのだ。

 あまりに自然であった為、思わず納得し、自失しそうになってしまいそうになる。

 けれど、一言くらいは何かをいうべきかな、とも思ったから。

 

「いきなりは、驚いてしまいます」

 

「言ってからやっても、怖いだけ」

 

 呆れたふうに言う式さんに、私は返す言葉もなかった。

 はぁ、と気の抜けたような返事をしてしまう。

 

 けれど、もうきっとあの夢は見ることがないのだろうと、そう直感する。

 彼女は、きちんとやってくれたのだろう。

 だから私は、彼女の目を見つめる。

 ……普通の眼、さっきまでの蒼い眼とは違う。

 けど、今はそこを気にすることではない。

 

「ありがとうございます」

 

 心を込めて、私は頭を下げる。

 今回の事件、今回の発端、それは紛れもなく今、式さんが消したのだから。

 ……これで能力を除けば、私はかねがね普通に近づいたのだろう。

 それは嬉しいし、でもちょっと怖かった気もする。

 

「それじゃ、私は行くから」

 

「え? どこへですか?」

 

 聞き返すと、式さんは一言で答えた。

 

「散歩」

 

 それだけ言って、この場から去って行く。

 その後ろ姿を、私はただ眺めているだけだった。

 

「ありがとう、ハーンさん」

 

 だから、いきなり掛けられた男の人の声に、少しビックリしてしまう。

 

「あ、両儀さん」

 

「こんばんは、ハーンさん」

 

 振り向けば、両儀さんがそこに立っていた。

 柔かな表情で、式さんの去っていった方向を見ている。

 

「ちょっと気まぐれだけれど、あれで可愛いところがあるんだ」

 

「え、えぇ、そんな感じがします」

 

 いきなりノロケ? と戸惑うけれど、別に彼にそんな意図はないのだろう。

 ごく自然な笑みを浮かべて、こう続けたのだから。

 

「素っ気なくされても、別に嫌われてるわけじゃないからね」

 

「……はい、それは分かります」

 

 私の目のこと、さっき解決してくれたのだし。

 嫌っていたら、わざわざそんなことしてくれないと思うから。

 そこまで考えて、そして気がついた。

 

「いつから見ていましたか?」

 

「えっと、散歩って式が言ったところ辺りからかな」

 

 なら、さっきの怖い光景も見てないのね。

 ちょっと安心できた。

 私の為とはいえ、奥さんが物騒なことをしているのを目の当たりにするのは、辛いと思うから。

 

「両儀さん」

 

「うん、何かな」

 

 ふと、私の中から、さっき両儀さんが言ってた言葉が蘇った。

 ”あれで可愛いところがあるんだ”って言葉。

 両儀さんがとても暖かな目をしていたから、私の心から、自然と思ったことが溢れる。

 

「多分ですけど、奥さんが、式さんが可愛い顔を見せるのは――」

 

 自分で言ってて、恥ずかしくなってくる言葉。

 だけれど、何となく告げなきゃと思ったから。

 

「両儀さん、両儀幹也さんだからだって、そう思いますよ」

 

 何で、私こんなに恥ずかしいこと言ってるんだろう。

 言い終えて正気に戻ると、急に顔が真っ赤になってるのを自覚してしまう。

 でも、両儀さんはそんな私に気付かずに、キョトンとした顔をしていた。

 

「式が可愛いのは、いつものことだけどなぁ」

 

「それ、惚気だと思います」

 

 さらりと、両儀さんも恥ずかしい言葉を言う。

 これに、普段の温和さが重なって、式さんは落ちたのかもしれない。

 そう思うと、巡り合わせは大事なのだなと、感じるのだ。

 

「早く、追いかけないと見失っちゃいますよ?」

 

 そして彼がここに居た理由にも、大体見当がついたのだ。

 彼は、式さんを追ってここに来て、式さんが素っ気なかったから、わざわざフォローしに私のところに来たのだろう。

 だから、早く、と両儀さんに告げたのだ。

 

「うん、ありがとう。

 じゃあこれで失礼するよ」

 

「はい、お休みなさい」

 

「うん、お休み」

 

 夜遅くだったから、そう言葉を交わして、私達は別れる。

 さあ、私も部屋に戻ろう。

 現在、ロビーの端っこにいて、自販機でジュースを買いに降りてきただけだから。

 蓮子も、部屋で待ちくたびれてるだろうし。

 

「メリー、まだこんな所に居たんだ」

 

「あ、蓮子」

 

 戻らなきゃ、と思ったところで蓮子がこの場所にやってきた。

 私が遅かったから、心配させちゃったのかもしれない。

 

「ごめん、さっきまで両儀さん達と話してて」

 

「もぅ、私を待たせてるんだから、そこを忘れちゃダメよ」

 

 少し不満げに、だけれど納得を見せながら。

 戻りましょ、と言ったのだった。

 

 

 

 そして、私達は自室に戻って、カーテンから覗いている月明かりを見上げた。

 電気は不要だと、今はいらないと思って、付けてはいない。

 その方が、見えないくらいが、きっと今は話しやすいだろうから。

 

「色々、あったね」

 

 蓮子が、その口火を切った。

 そこから、私達はつらつらと話し始める。

 教授に相談に来て、これまでにあった沢山の濃い出来事を。

 

「メリーの夢から始まって、メリーが自分を探す旅で」

 

「個人の問題だったはずなのに、事はどんどんと大きくなっていって」

 

「でも、知れたことも沢山あるんでしょう?」

 

 蓮子は少し笑ってから途端にむくれた顔になって、私はメリーの全部を知ってるわけじゃないわ、と呟いた。

 それから、一気に蓮子は捲し立て始める。

 

「メリーは勝手にどっかに付いてっちゃうし。

 急にすっきりした顔で戻ってきて、私に大好きなんて言うんだから。

 全く、人の気なんて知らないで!」

 

 蓮子からすれば文句なのだろうけれど、その顔は真っ赤になってる。

 でも、やめて。

 それを思い出したら、私まで顔が熱くなっちゃうから。

 あの時は、勢いがあったのよ。

 だから言えた言葉でもあるの。

 でも、決してそれは……。

 

「嘘じゃないのよ」

 

「そういうところが人の気も知らないでって事なのよ!」

 

 がるる、と言わんばかりに蓮子は顔をあかくして、私を睨んでいた。

 そしてその思いの丈をぶつける様に、私に彼女は叫ぶのだ。

 まるで、王様の耳はロバの耳と言わんばかりに。

 

「真面目に心配してた私がバカみたいで。

 でもみんなは何かわかった顔をしてて。

 私だけ知らない事が増えてすっきりしなくて。

 仲間はずれにされた気分だわ!」

 

 そうして、小さく蓮子は私に、弱音のようにこう吐いたのだ。

 

「秘封倶楽部の会長命令よ。

 教えてよ、いえ、教えなさい。

 何があって、何をして……」

 

 そこまで言って、恥ずかしそうに蓮子は顔を伏せてから、蚊の鳴くような声で囁いた。

 

「どうして私が大好きなのかも、しっかりね」

 

 小さく、小さく、でもしっかりと意志が宿った声。

 いじらしくて、素直な蓮子の気持ち。

 だから、私にもそれが伝播して、何を言えば良いのかわからなくて、口をパクパクさせてしまう。

 

「夜は長いんだから、全部吐いてもらうわよ」

 

 そこで、いつもの蓮子らしく笑うんだから、ズルいと思う。

 

「――蓮子にだったら、良いよ」

 

 こうして、私達の眠れない夜が始まる。

 もう彼女(八雲紫)の夢を見ることはないのだから。

 ……少しくらい、夜更かししても良いよね。

 

 

 

 

 

 大学、やや薄暗さが残る研究塔内の一室。

 目の前には、怜悧な瞳で私を見ている女性が一人。

 そう、私は今、蒼崎橙子と対面しているのだ。

 念願叶ってといえば良いのか、ある種の感慨のようなものはある。

 それと共に、緊張と不安もあるのだけれど、そこは何時も通りに行くしかないであろう。

 

「蒼崎橙子、一度会ってみたかったの。

 貴女に会えて光栄ね」

 

「光栄といきなり言われてもね。

 お前は私の何に名誉などを感じているんだ。

 人形か、噂か――それとも魔術か?

 どうなんだ、アリス・マーガトロイド」

 

「……名乗ってはいなかったのだけれどね」

 

 一瞬で、私が魔術師だという事が露見する。

 が、大した問題ではない。

 相手も、先人の魔術師であるのだから。

 ただ、なぜ分かったのかという事が気になった。

 

「なに、流麗な魔術回路は、それだけで魔術の存在を匂わせる。

 ……漏れているのさ、お前から魔術の匂いが。

 名前は、宇佐見達から聞いたのさ」

 

「成程」

 

 言われてみれば、私も凛から魔術の気配は感じる。

 しかし私も凛も、普段はしっかりと栓をして、魔術回路はしっかりと閉じている。

 魔力漏れだなんて起こさせないほどに、完璧に。

 凛がそれでも分かるのは、馬鹿みたいな回路数の賜物だろう。

 

「褒められたと思っても良いのかしら?」

 

「あぁ、そう受け取ってももらって結構だ。

 ――是非、バラしたくなるほどだよ」

 

「……貴女の好奇心(ネコ)は化物か何か?」

 

「ほぅ、良く分かっているじゃないか。

 私の使い魔(ネコ)は化物さ」

 

 尤も、意味は大きく違うだろうが、と蒼崎橙子は笑っている。

 何がどう違うのかは分からないが、今はあまり突っ込む気にもなれない。

 

「良く、魔術師と会う気になんてなったわね」

 

 だから、今思っている本音を彼女にぶつけてみる事にする。

 何故、と今何よりも私が思っていることだったから。

 

「ん、言いたいことがあったのでな」

 

 そして、蒼崎橙子もあっさりと答えてくれる。

 答えても良いことだからだろう。

 故にあっさりとしていて、故にあっさりと言葉にしたのだ。

 

「黒桐を手伝ってくれたそうだな」

 

「コクトー? ……あぁ」

 

 そういえば、昔居合わせた電車で、謎かけをしていたことを思い出す。

 その時の、両儀さんの名前がコクトーだったはず。

 

「私にも目的があったのよ」

 

「それでも礼は言っておこう。

 尤も、謝礼ならば式の家辺りにでも請求してくれ」

 

 残念ながら今は金がなくてね、などと呆気からんと言う彼女は、表情を変えずに、私を見ていた。

 それは、感謝しているというには、やや尊大な態度であろう。

 が、それが蒼崎橙子と言われれば、頷いてしまう自分がいる。

 両儀さんから聞いていた通りの、傍若無人な人物であると、そう言う意味で。

 

「だが、それ以外にお前に聞きたいことがあるんだよ、マーガトロイド」

 

 やっぱり、と思う。

 何も理由なく、私に会うのはおかしいと思ったから。

 ましてや封印指定の魔術師が、である。

 迂闊な行動をする裏には、何か目的があると思うのは間違いではないであろう。

 

「それで、何が聞きたいの?」

 

「あぁ、なに、簡単なことさ」

 

 彼女は哂っていた。

 ただ静かなのに、威圧感を感じる。

 さぁ、言ってみろと脅迫されてるように感じるほどに。

 

「お前、何の目的でここまで来た」

 

 あぁ、成程。

 確かに彼女からしてみれば、ひどく重要な問題であろう。

 わざわざ自分のいる場所に現れる魔術師なんて、胡散臭くて堪らないはずだ。

 

「まず、前提として一つ言っておくわ」

 

 蒼崎橙子は、やる時はやれる魔術師だろう。

 だから真っ先に、私は自らの保身を優先する。

 ここで意味もなく命を掛けるなんて、馬鹿みたいな話なのだから。

 

「貴女が目的ではないわ」

 

 それだけ告げれば、十分に彼女の憂慮は収まるであろう。

 事実として、殺気染みた気迫は、落ち着き始めている。

 

「人探しをしているのは本当なのだけれどね。

 ……パチュリー・ノーレッジを知っているかしら?」

 

 だからしっかり人物名まで告げて、彼女に逆に私は尋ねる。

 もしかしたら、隠遁している仲間として、何かを知っているかもしれないから。

 

「名前程度はな。

 ……だが、おそらくだがこの辺りには居ないだろう。

 縄張りも、気配すらも感じんさ」

 

「そう、残念ね」

 

 でも、これで私の任務は達成だ。

 蒼崎橙子が、わざわざ太鼓判を押して、この辺りには居ないと断言してくれたのだから。

 ……結局、ここまで来たのは無駄足だったのだけれど。

 

「それを探しに来ていたのか?」

 

「えぇ、極東にノーレッジがいるという噂があって、聖堂教会は人材不足だから必死に増員している最中だからね」

 

 彼女ほどの人材を下野させて置くのは惜しい、と人手が足りない連中は思ったのであろう。

 だから、わざわざ私みたいな者まで使って、探索なんかを始めたりした。

 ……どうして下野したのか、そこらの理由を考えているかは疑問ではあるが。

 

「それで、この場所に魔術師がいると聞いたのか?」

 

「そんなところね」

 

 ここまで話して、私はふと、気がついてしまった。

 この場所にいる魔術師、それは明らかに……。

 

「誰かは知らんが、私を目に留めた奴がいたらしい」

 

 ふむ、中々やるな、と賞賛している蒼崎。

 思っていたよりも、のほほんとしている。

 ……自分の場所が見つかった事も、あまり気にしていないのか。

 

「大丈夫なの?」

 

 あまりに蒼崎が無防備に見えて、だからか要らぬ質問を私は投げかけていた。

 何故なら、蒼崎の様な類の魔術師は、人目につかない為にこっそりと潜んでいるのだから。

 だから不安に思ったのだけれど……。

 けど、蒼崎は私の不安を一笑にする。

 

「なに、魔術協会でなく聖堂教会であるのならば、対して問題になどならん」

 

 私をスカウトする気があるのであれば別であるが、と意味深に私を見る蒼崎。

 それに対して、私は素直に首を振る。

 面倒事は御免であるから。

 聖堂教会の方に、報告などするつもりは無かった。

 

「わざわざ欧州から足を運んで、ご苦労なことだ」

 

 そんな私を見て、蒼崎は皮肉げにそんな事を言った。

 精々、要らぬ苦労をご苦労さま、と言ったところであろう。

 だけれど、前提が間違っているので、私は対して怒りも湧いてこない。

 

「日本に留学中なの。

 近くて、伝手があったから無理やり動員されただけよ」

 

 それだけ、聖堂教会は人手不足なのだ。

 わざわざノーレッジの様な魔術師の痕跡を追う程度には。

 ……尤も、ノーレッジが必要とされているのは、魔術の腕ではなくその管理能力にあるのだけれど。

 

「ほう、わざわざこんな僻地にか」

 

「日本のある土地に、気になるものがあったのよ」

 

 魔術的観念から見て、私のような西洋魔術師は設備の整っている時計塔へ行くはず。

 そんな揶揄を込めた蒼崎の言葉。

 けど、そこにないものがあるから、私はここに来ているのである。

 

「どこだね」

 

「冬木市よ」

 

 だけれど、私がそう答えると、蒼崎は興味深そうな顔をした。

 まるで、何か面白いものを見つけたように。

 ……何か知っているのか、誰かと繋がりでもあるのか。

 

「何か知っているの?」

 

「いや何、大したことではないさ。

 ただ、少し前にその冬木から、私のところに尋ね人が来た程度のことだよ」

 

「へぇ」

 

 尋ね人、わざわざ蒼崎に?

 ……何だろう、異様に怪しい。

 脳裏には、呵呵と嗤う爺や、麻婆を貪る神父の姿。

 胡散臭い人材は、他にも探せば山ほど出てくるであろう。

 

「誰かしら?」

 

 知ってるかもしれない、というか恐らくは知っている。

 そう思って、私は蒼崎に訊いていた。

 もしかしたら、何らかの行動の前準備をしているのかもしれないと、そう思って。

 

「さてな、特徴的な髪型だったのは覚えているのだけどね。

 名前はさて、何だっただろうか」

 

 惚けた様に、蒼崎は名前を告げなかった。

 ただ、ヒントを残しただけで、後は何も語らない。

 そこから考えられること、それは……。

 

「依頼はしなかったのね」

 

 蒼崎は尋ね人と言っていた。

 決して客とは言っていなかった。

 そして、こうして情報を僅かにでも漏らした。

 つまりはそうしても良い相手、単なる言葉通りの相手でしか無かったということ。

 

「なら、どうするかね?」

 

 無機質に、蒼崎は私を見ていた。

 ただ、そこに何かを感じる。

 こうする事で、まるで試しているかのような。

 

「……対価を、払うまでよ」

 

 懐から、私は上海と蓬莱を、鞄からは他の人形をいくつか取り出す。

 私の親愛なる人形、私に付き従う最愛の友。

 彼女達だからこそ、蒼崎に見せるのには相応しい。

 

「ほぅ、それでどうするつもりかね」

 

「一つ、劇の開演を」

 

 私は、舞台の上で響かせるように、目の前の彼女に告げた。

 これが私なりの誠意の示し方であり、矜持でもあるのだと。

 絶対の自信を滲ませて。

 

「ふん、まあ良い」

 

 やってみろ、と蒼崎は促した。

 無言で、私も頷く。

 元より、そのつもりであったのだから。

 

「さぁ、行くわよ」

 

 今宵も魅せて、上海、蓬莱。

 貴方達となら、上手くやれるわ。

 念じながら魔力の糸を伝わせて、私は彼女達を動かし始める。

 ――演目は、サロメ。

 

 

 

 

 女王サロメの、ある意味で独り舞台。

 鮮烈すぎる愛が、彼女の身や思い人をも焦がし、焼き尽くした物語。

 求めすぎるが故に、堕ちていったお話。

 

 女王サロメは、義父のヘロデから色の篭った視線を度々に向けられていた。

 今日も今日とて、宴の席でその視線に晒される。

 それに耐え兼ねたサロメは、テラスへと逃げ込んだのだ。

 

 ――そこで、彼女は声を聞いた。

 

 井戸の底から響き渡る、不気味で薄暗い声。

 だけれども、その声は美声でもあり、響く度にサロメの心を響かせた。

 だから、彼女は是非その声の主に会いたいと思ったのだ。

 

 故に、警備隊長に命令を下して、その者を自分の前に連れてこさせた。

 そうして隠し井戸から連れてこられた人物に、サロメは魅入られてしまった。

 黒い髪に白い肌、オリエントと西方の魅力が合わさったかの様な人物。

 しかし何より、その生真面目な彼の本質に、サロメは一目で心を掴まれたのだ。

 

 けれど、その彼、肝心のヨカナーンはサロメを見ようとはしない。

 それどころか、サロメの母の不義を詰るばかりで、決して彼女自身をヨカナーンは見ようとはしなかった。

 それでも、サロメはヨカナーンに魅入られていた。

 深く、何よりも深く、魔性のように。

 だから、サロメは言ったのだ。

 

『あなたに口づけをするわ』

 

『呪われよ』

 

 ヨカナーンは酷く冷たい目で、その言葉を吐いた。

 その姿に悲痛さを覚えたサロメだけれど、それさえも愛おしいとさえ思えてしまったのだ。

 そんな彼を思っている時に、サロメの前に義父と母がやってきたのだ。

 

 こんな所にいたのか。

 義父がサロメにそう言って、夜の中にいるサロメを見つめていた。

 そして、ふと思いついたように、こんな提案をしたのだった。

 

『踊ってみせよ』

 

 義父の命令、だけれども義父に一度でも従えば、後がどうなるかなどは、容易に想像がつく。

 なのでサロメは何度命令されても、それを拒否し続けたのだけれど……。 

 ……だけれども、義父の何でも願いを叶えるという言葉に、サロメは遂に陥落した。

 何でも、という言葉に確約を得たサロメは、全力で舞う。

 神秘的で、熱い思いと期待が込められた舞いを。

 彼女はこの場にいない、彼に捧げたのだ。

 そうして、舞い終わった彼女は義父から喝采を受け、願いを叶えようと言われたのだ。

 その時、彼女が要求したものは……。

 

『ヨカナーンの首が欲しいのです』

 

 その願いを聞いたとき、義父から微笑みが消えた。

 そしてサロメに、考え直すように懇願を始めたのだ。

 何故ならば、ヨカナーンは口は悪くも聖者であったから。

 遠ざけ幽閉することはあっても、それ以上のことはしてはないらないと、義父は考えていたのだ。

 だけれども、サロメは同じ言葉を繰り返し続ける。

 

『ヨカナーンの首が欲しいのです』

 

 壊れた機械のように、何度も同じ言葉を繰り返すサロメ。

 サロメの母である王妃も、自分を糾弾するヨカナーンが疎ましく、首を切るのに同意している。

 それに押される形で、すごく嫌そうに義父は命令したのだ。

 即ち、ヨカナーンの首を持って来いと。

 

 そうして、ここに持ってこられたそれ。

 ……ヨカナーンの首が、銀の皿に乗せられて持ってこられたのだ。

 聖者であり、糾弾者であったヨカナーンの首。

 しかし、サロメにはそんな事はどうでも良かった。

 ただ、その皿に晒されていた首を抱きしめて、思いっきりの口付けを施す。

 それは歓喜を伴った甘さを内包して、唇を燃え上がらせた。

 

『ヨカナーン、私はお前に口づけをしたのよ!』

 

 それはきっと、サロメの勝鬨なのだ。

 己が情熱の赴くままに、ヨカナーンの唇を貪るサロメ。

 手に入るはずもなかったモノが、今サロメの手の中にあったのだから。

 悦や楽に浸る彼女の姿は、とても妖艶で……そしておぞましくあった。

 

『殺せ』

 

 義父が、命令した。

 正気でいるには、耐え難い状況であったのだ。

 サロメは、それでも口付けを止めなかった。

 故に、自然の摂理として、サロメの首は落とされる。

 地へと、血を撒き散らしながら。

 しかし彼女は、笑って死んでいったのだった。

 それが、彼女の意思であるかのように。

 

 

 

 

 

 ふぅ、と一つ溜息をつく。

 失敗せずに終えれたという安堵感。

 劇中は夢中で忘れていた緊張が、今になって思い出したようにやってきたのだ。

 そこに響くは、一つの拍手。

 パチパチパチと、一定のリズムで。

 それはこの場に響いていたのだ。

 

「見事な人形の操作。

 流麗であったのは魔術回路だけでは無かったようだな」

 

「これが取り柄で生きがいなのよ」

 

 思った以上に好感触。

 彼女は作るほうが専門だけれど、見る方もそれなりに楽しめる人種のようだ。

 

「だが、な。

 一つばかり気になったのだが」

 

 それでも、蒼崎は怜悧さを忘れてはいなかった。

 どこか皮肉げに、彼女は私を見つめていた。

 馬鹿にしたように、関心をしているように。

 

「それは、魔術の上で必要なものなのかね?」

 

 そして、蒼崎は指摘する。

 私と、私の人形(最愛)達を観察した結果を。

 この道を辿る者の先達者として。

 

「相応の芸には、努力の裏打ちがある。

 天才であっても、それは変わらん。

 十全に使いこなすには、必然的に必要なものだからな」

 

 黙って、蒼崎の話に聞き入る。

 何を言わんとしているのか、それを胸に刻むため。

 彼女の目が、何かを語ろうとしていたから。

 

「人形への愛、という奴は見ていて恥ずかしいほどに伝わってくる。

 正に憑かれているのだろう、お前は。

 だからこそ、お前が目指しているものは何なのか。

 それが問題だ」

 

 さぁ、と。

 蒼崎は私に問いかける。

 まるで問答のように。

 

「二兎を追うものは一兎をも得ずという。

 一石二鳥など、都合の良い事は早々起こりようもない」

 

 蒼崎は、意地が悪そうに私を見ていた。

 それは、とても魔術師らしい顔で。

 あぁ、これから嫌なことを言おうとしているのが伝わってくる。

 

「――さて、お前は魔術をするには、些か余計なものが憑き過ぎている。

 お前が何を目指しているのであっても、届きはしない。

 ……人形を、捨てない限りな」

 

 クツクツと、蒼崎は嗤う。

 結果を知っているのだと、己と私に相対しながら。

 観劇をするように、私を良く観察しながら。

 蒼崎は、語るのを続けるのだ。

 

「その時、お前はどうする。 

 人形か魔術、どちらを選ぶんだ。

 お前のそれは、魔術と複合することなどない」

 

 そして、意思を持った悪意のように、蒼崎は言葉を紡ぎ終える。

 沈黙した彼女は、私の反応を待っているといったところであろう。

 ……巫山戯た話しだ。

 その様なこと、考えるまでもないのに。

 

「――どちらも、よ」

 

 決して、片方が欠けては成り立たない。

 車輪は両輪が付いていなければ、脱線する他にないのだから。

 それに、だ。

 

「そもそも、主と従が違うのよ。

 従うべきは魔術の方よ」

 

 私は、人形を自立化させる為に、魔術を学んでいる。

 その自立化を果たす為の手段が、根源に過ぎないのだ。

 魔術以外に手段があるというのならば、私はそれに乗り換えることであろう。

 

「根源こそが願いではないのよ。

 根源の先に、願いを叶える手段があるのよ!」

 

 だから、私は宣言する。

 蒼崎に対して、自分に対して、そして人形達に対しても。

 私の至るべき場所は、その地点であると、そう確信を持ちながら。

 ……すると、

 

「クク、成程なるほど、そういう事か」

 

 蒼崎は何が面白いのか、私の言葉に対して笑い始める。

 堪えきれずに、といった感がすごく満載で。

 

「お前はある種の、出来すぎた魔術使いと言うやつなのだな」

 

「そもそも、魔術師は根源の裏に何を見るのか。

 それすら代を重ねるごとに、忘却しているのではなくて?」

 

「クク、違いない」

 

 目的のある私の方が、そういう連中よりも余程魔術師であるだろう。

 根源に溺れるのではなく、もぎ取って帰ってくる気は満々なのだから。

 恐らく、私が研究している『魂の創造』という分野は、根源を覗いて戻ってくるのにも役に立つだろう。

 今は、サーヴァントや降霊術紛いの研究で、軒並みストップしているのだけれども。

 

「……もしや、先ほどの劇」

 

「私は素直なのよ。

 だから十分、気持ちは伝わったでしょう?」

 

「どこが」

 

 鼻で笑うかの様に、蒼崎は言う。

 ……本当に性格が悪い。

 これ程に、ハッキリとしていると言うのに。

 そう、私は劇を通して蒼崎に伝えた。

 それこそが私の誠意という、その思いの通りに。

 

 ――つまりは、あの劇こそが、私の憧れであるという事。

 

 サロメは、激烈にヨカナーンを求めていた。

 手に入らないと、刹那的に理解してしまったから。

 しかし、それでも彼に魅せられて、取り憑かれてしまった。

 不幸にも見えるが、彼女は死ぬ瞬間は確実に幸せであったであろう。

 どこまでも独り善がりであっても、彼女の手は、確実に彼へと届いていたのだから。

 

 勿論、私のは人形に対してであり、そこまでやろうとは思っていない。

 だけれど、ここまで思えたらいいなと、それに憧れる気持ちは無くはないのだ。

 

 何かをそこまで思えるのは、普通では出来ないから。

 それに溺れることができたら、世界は自分になるのだろう。

 ……そうするときっと幸せだろうけれど――きっと、人間ではなくなるのだろう。

 幸せであるのは、人間だけの特権ではないのだから。

 

 だから、きっと私は人間を辞められない。

 もし辞めるのだとすれば、私がこの世から存在を断つ時。

 この地上に何も、私が残すものが無くなった時なのだ。

 

「お前の手は、きっと先には届かない」

 

 それを見透かしてか、蒼崎は私に言葉(呪い)を掛ける。

 ……本当に嫌な人。

 先達者だから分かることがあるのだろうけれど、それで決め付けてくるのだから。

 

「伸ばしても届かないのなら、飛んででも取りに行くだけよ」

 

 それを成せた時が、私の願いの成就した時と言える。

 だからこそ、あらゆる道を模索しているのだ。

 抜け道の探索にだって、私はしている。

 あらゆる可能性を、私は考えている。

 正攻法では届かなくても、それで諦めれる訳ではないから。

 

「そうでは無いのだがな」

 

 だけれど、私の言葉を蒼崎は、どこか呆れを持って正す。

 彼女が伝えたい意味を、その言葉に乗せて。

 

「根源に至るということは、振り返らずに一人で歩き続けるということだ」

 

 それだから、と蒼崎は私を見て言う。

 どこか冷めた目で、それに呆れまで交えている不思議な目で。

 

「お前の人形劇は、誰かに見てもらうことで成り立っている。

 お前自身も、一人では居られないタチだろう。

 だからお前は……」

 

 蒼崎は全てを語らなかった。

 言うまでもない事であり、言われたいとも思えない内容だったから。

 けれど、もしかしたらと、私は思った。

 

「根源に至るということは、人間を辞めることなの?」

 

 そう尋ねると、蒼崎は酷く今更だ、という顔をしていた。

 そして、サラリと口にしたのだ。

 

「何を当たり前のことを」

 

 あっさりと、それを肯定した。

 だからか、もう一つばかり気になったことが出てきたのだ。

 これは、とても気になること。

 

「貴女は、今でも人間を辞めようと思ってる?」

 

 蒼崎の答えは……どこか諦めたような、けれど清い修道女の様な儚い笑みであった。

 それで、私は分かってしまった。

 ――蒼崎でも、一人では生きられないのだと。

 

「ところで、なのだけれど」

 

 だから、私はこれ以上この話題をする気にはなれなかった。

 これ以上の答えも、それ以上の助言も貰えそうになんてないから。

 

「訪ねてきた人、結局は誰だったの?」

 

 問答の原因になった、私が問いかけていた質問。

 それに対して、蒼崎は簡素に、だけれども答えてくれたのだった。

 

「何の力も持たない、ただの少年だったよ」

 

 

 

 

 

 ベッドに、私は沈み込む。

 今日あったことを思い出して、どっと疲れがやってきたのだ。

 蒼崎の部屋から帰って、自分の部屋でシャワーを浴びた、今現在。

 さっきの会話は、どうにも考えさせられることが多かったから。

 重くなっていく瞼を抑えて、つい考えてしまうのだ。

 

 魔術師として、自分がどこまでやれるかなんて、気が遠くなるような話。

 そして蒼崎は、根源にたどり着けるものは、孤独でなくてはいけないと言っていた。

 私は、自分がたどり着けるとは思っている。

 100年ほどかけたら、それ程の過程を踏んだのなら、の話だけれど。

 でも、それで孤独の独りぼっちになるのだとしたら、それは私にとって、本当に正しくあるのだろうか。

 ……考えると、やはり躊躇してしまう。

 

 そう、考えたのなら、私はすぐに自覚してしまう。

 私は、アリス・マーガトロイドは、寂しがりやなのだ。

 独りでなんて居たくない。

 何時か別れの時が来るのだとしても、絆は紡がずにはいられない。

 

「……上海、蓬莱」

 

 ふと、彼女達の名を呼んでみる。

 目を向けると、二人で仲良く並んでいる姿が見えた。

 けれど、私の声にはピクリとも動かない。

 ただ、そこに居てくれるだけだ。

 

「ま、てって、ね、二人とも」

 

 もう、瞼が閉じるのが我慢できない。

 そんな時に、私は殆ど無意識気味に、呟いていた。

 何を考えてその言葉を口にしたのかは、分からない。

 ただ、今は眠ろう。

 

 ――お休み、上海、蓬莱。

 

 

 

 

 蒼崎橙子は、自分の借りている一室にいた。

 その中で、先ほど出逢っていた少女の事を少しだけ、思い起こしていたのだ。

 手が届かないと、自分で断言した少女を。

 

「お前の手は、果てまでは届かん。

 ただ、横に伸ばすのならば――」

 

 隣にいて、手を繋ぐ程度のささやかな事ならば、容易に出来るのだ。

 それを、アリス・マーガトロイドは気付いていない。

 高くを見すぎて、足元が見えていないのだ。

 

「贅沢者が……。

 お前が欲しいものは、すぐ手に入るというのに」

 

 あの少女は魔術師に向いてはいない。

 才気と発想には溢れていても、残酷には成りきれないだろう。

 それは、彼女の人形劇を見て、理解できたこと。

 

 あれは、彼女の本質を表していた。

 それ程に、掛け値なしの――笑顔を、彼女は浮かべていたのだから。

 一人ではなく、皆で創造をしていくタイプ。

 人形についても、同じ作る人同士だから分かる。

 ――アレには、愛が篭っていた。

 だから、蒼崎橙子は不機嫌だったのだ。

 

「――馬鹿者め」

 

 彼女は煙草を吸いながら、少女にその言葉を送ったのだった。

 

 

 

 

 

「式」

 

「……何だ、幹也か」

 

 見つけた、と言って寄ってくる幹也に、式は何時もの仏頂面で彼を迎えていた。

 場所は人気のない公園、誰の姿も見えはしない。

 真夜中の公園で二人きり、ただ月だけが二人を見ていた。

 

「わざわざこんな事まで追いかけてきて、何なんだ」

 

 式は、言われずともそのうち帰る、と無感動に言う。

 だけれど、そんな式に、幹也はごく自然に、こんな事を言ったのだ。

 

「僕が君と居たいだけだよ」

 

「……馬鹿が」

 

 思わず手が出てしまいそうなのを止める。

 ここで殴ってしまったのならば、それはあまりにも幼稚だったから。

 ――恥ずかしい、何て理由だけで殴ってしまうのは特に。

 

「式の方だって、何時だって考えなしだ」

 

 幹也も、言われてるだけではなくて言い返す。

 それは彼なりの心配であり、式はそれが鬱陶しくも嫌いじゃない。

 どうしようもなく、両儀式という人間は、彼という鎖に雁字搦めに絡め取られているから。

 

「お前は、何時だって考え足らずなんだよ。

 直感も推理力も足りてないから、よく迷子になる」

 

「……今は関係ない話だろ、それは」

 

「そうだな、お前の話もだ」

 

 そして、何時もの如く幹也は式に言い負かされる。

 でも幹也は、それが嫌いじゃなかった。

 式は、今日も何時も通りと安心できるから。

 別に被虐趣味何かがある訳では、断じてないけれど。

 

「式、ちょっと良いかな?」

 

「……お前、何を言っても好きにしゃべる気だろうが」

 

 言外に、好きにしろと式は言っていた。

 だから、素朴な悪戯を、幹也は式に仕掛けてみたのだ。

 好きな子を、苛めてしまうかのように。

 

「月が綺麗ですねって言葉、式は知ってるかな」

 

 ……式は答えない。

 だからこれは、幹也の独白のようなもの。

 だけれど、彼はそれを止めようなどとは思わなかった。

 

「僕はね、何時だって月は綺麗に思うよ」

 

 それは、恐ろしいまでに惚気けているだけだった。

 自分と、式の仲を。

 恥ずかしがるとわかっていながら、彼はやってしまっていたのだ。

 

「……帰る」

 

「うん」

 

 だからすぐに、その場から身を翻した彼女に、幹也はついていく。

 さっきの仕返しと、だけれども本音を交えた言葉に満足しながら。

 

「……絶対に、”私死んでもいい”なんて言うもんか」

 

 拗ねた式の言葉を聞いていたのは、幹也と空の月だけだった。

 

 

 

 

 

 チュンチュン、何てベタな鳴き声を出している鳥達。

 あぁ、もう朝なのだと、嫌でも自覚できてしまう。

 んーっ、と身を起こして、目を軽く擦りながら私は起き上がった。

 上海、蓬莱、おはよう。

 そう、何時もの通りに声を掛けようとしたのだけれど……。

 

「え?」

 

 彼女達を置いていた机の上に、手紙が一通存在していた。

 それは見覚えのないものだけれど、宛名はアリス・マーガトロイド様へとなっている。

 自然、手がその手紙へと伸びていた。

 手に取り、何も仕掛けがない事を確認して、私はそれを開封する。

 そこには、大体この様な内容が綴られていたのだ。

 

 

 先日は失礼しました。

 この度はご迷惑をお掛けしたと思っております。

 そこで、私はせめてもの罪滅ぼしにと、貴女のお手伝いをさせて頂きました。

 私は、パチュリー・ノーレッジの居場所を知っているのです。

 ですから、彼女にも聖堂教会宛にお手紙を認めて頂きました。

 ですので、任務が果たせなかった事を、悔やむ必要は何一つありません。

 故に、安心して下さい。

                               かしこ 八雲紫

 

 

 余計な物を省いて表すと、こんなふうになった。

 思わず、その内容に頭が痛くなってしまい、そしてこれが何時の間にか部屋にあったことも、頭を痛くしてしまう。

 もう、自分の居ない所で事態が動きすぎている。

 それが悪いとは言わないが、翻弄されるのならば堪ったものではない。

 

「……逃げようかしら」

 

 避暑と洒落こんで、早苗の家に転がり込むのも良いだろう。

 それだけに、今は魔術も利害も億劫であった。

 だから、しばらく時間を置こう。

 

「えぇ、ちょうどいいわね、それ」

 

 名案に思える。

 早苗も嫌とは言うまい。

 むしろ歓迎してくれるだろう、彼女ならば。

 

「……決定ね」

 

 凛には悪いけれど、バイトはもう少しの間、頑張ってもらおう。

 それだけの対価に見合うことを、私は約束しているのだし。

 

「なら、行くことにしましょうか」

 

 考える時間、それを得るために、私は早苗の家へと向かう。

 それが確定した瞬間であった。

 

 

 

 そうして、つつがなく用意を済ませ、朝食を食べた私達は、後はチェックアウトするだけであった。

 

「色々、ありましたね」

 

 宇佐見さんが、そんな事を感慨深そうに言う。

 両儀さんなどは、確かに、と頷いている。

 皆も、総じて同じことを思っているだろう。

 

「けど、皆さんのお陰で、私は何とかなりそうです。

 ありがとうございました」

 

 そこに、ハーンさんが勢いよく頭を下げた。

 すっきりした顔で、感謝の気持ちを込めて。

 だからか、自然と皆がその言葉を受け止める。

 自分がどうとか、そういう事は一切考えずに。

 

「じゃあ、私は行くわ」

 

「え? もうですか?」

 

 意外そうにハーンさんが言うが、もう私は次の行動を決めているから。

 ここから早苗の家まで、少しばかり距離はある。

 だから早めに行動しようと考えたのだ。

 

「えぇ、貴方達も元気でね」

 

「そっちこそ……ありがとうね」

 

 宇佐見さんがはにかみながら、そう声を掛けてくれた。

 とても晴れやかな顔、恐らくはハーンさんと全てを話し合ったのだろうと、彼女を見て直感してしまう。

 仲の良いこと、この上ないことだろう。

 

「両儀さんも、お疲れ様ね」

 

「僕のは仕事だから良いんだよ」

 

 次に、私は両儀さんに声を掛けると、彼は何時もと変わらない柔らかさで、そう言ってのける。

 この人は、どんな時でも自然体を崩さない、などと感じてしまうのは観察不足であるからなのか。

 

「それでも、よ」

 

 隣の奥さんにまで目を向けて、私は苦笑する。

 この人は、そんな性分なりに、楽しくやっているのだと、奥さんと一緒にいるところを見て、分かってしまったから。

 

「何だ」

 

 

「いつも仲がよろしいな、と思っただけよ」

 

 奥さんが不機嫌そうな声を上げるので、からかい混じりにそんなことを言ってしまう。

 すると目が鋭くなった。

 あまり刺激すると、今度は私が裂かれてしまうであろう。

 

「それでは皆さん、互いに仲良く過ごすことね。

 それじゃあ、さようなら」

 

 だからその言葉を最後に、私は皆に背を向けた。

 このホテルから出るために。

 そして逃避行を、始める為に。

 

「マーガトロイドさん、縁があればまた逢いましょう!」

 

 宇佐美さんの声が、後ろから聞こえてくる。

 それは掛け値なしに本気で思っていてくれている言葉で、ほんのりと胸が暖かくなるのを、感じずには居られなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『小噺 コペンハーゲン物語 ティーカップを片手に』

 

 

 

「遠坂先輩、コーヒーに砂糖を入れすぎなんじゃ」

 

「今日の私は甘党の権化なのよ」

 

 どうしてこうなった。

 そう叫びたい気持ちを抑えながら、私はカップに砂糖を入れ続ける。

 ――目の前には桜がいて、何故かお茶をしているのだから。

 

「これもそれも……」

 

 ギリっと歯を噛んで、とある方向を睨みつける。

 そこには、素知らぬ顔で仕事をしている衛宮君と、新聞で顔を隠しているわかめ野郎の姿があった。

 

「遠坂先輩、兄さん達がどうかしましたか?」

 

「あ、いえ、別に……」

 

 桜がじっと私を見ながら訊いてくるので、私は稚拙気味に言い訳をしてしまう。

 うまい言葉を思いつけずに、すごく濁しながらなのだけれど。

 それがすごくモヤモヤしてしまう。

 だからこそ、あんにゃろうという気持ちが蓄積するのだ。

 主に、そこな男ども二人に対して。

 

「遠坂先輩! またぼぉっとしてますよ!」

 

「ごめんなさいね。

 色々と考えちゃって」

 

 そう、そもそも桜に何を話せばいいのか、それ自体が難しいのだ。

 いや、振りたい話題ならいくらでもあるし、聞きたいことだっていっぱいある。

 だけれど、それを置いておいても、私がそんな事を聞いていいのか、という気持ちになるのだ。

 遠坂と間桐の締約のこともあるし、私自身がこの子に対して、負い目がある。

 だから、考えてしまう。

 私はどうすればいいのかを。

 

「色々、ですか」

 

「そう、色々よ」

 

 互いに、ほんの少しの憂いを湛えて、コーヒーに手を伸ばす。

 その姿は……うん、多分絵にはなってるだろう。

 私と桜、二人揃ってアンニュイな雰囲気を纏っていれば、不思議な空気も形成されるだろうから。

 と言っても、それが良いものかと聞かれると、疑問符を幾らか付けなくちゃいけないけれど。

 

「間桐さんも、色々とあったのよね」

 

 だからそれを振り払うべく、私は行動を起こす。

 それにこんな巫山戯た状況も、珍しい折角の機会だとも思える。

 なので、ちょっとだけ。

 この娘の事を知ってもいいよね、と思ったのだ。

 

「遠坂先輩も、ご当主が亡くなってからは、苦労なさったと聞いてます」

 

「私は……良いのよ。

 耐えられる範囲での事だったし、それのお陰で私がいるし」

 

 今の遠坂凛を形作るのに、あの頃の苦労は忘れられない1ピースだ。

 理不尽なくらいに悲しかったし、遣る瀬無いくらいに寂しかった。

 だけど、それが今の私の成長に繋がっているのだから、今更否定する気にもなれない。

 仕方なかったとは思わないけど、そのにが味を噛み締めてこそ、でもあるのだから。

 

「貴方こそ、どうだったのよ」

 

 昔を思い出してタガが緩んだのか、無神経な事を聞いてしまう。

 しまった、と思ったのだけれど、桜は困ったような顔をして、答えてくれたのだ。

 

「正直、毎日が大変でした。

 いっぱい嫌な事をさせられましたし、慣れないことの連続で凄くしんどかったです」

 

 その言葉に、少しの非難があったかのような気がした。

 桜の、心の声が聞こえた気がしたのだ。

 思わず息を飲んでしまう私。

 でも桜は、こう続けた。

 

「でも、いっぱい頑張ったからか、今は幸せです。

 最近は良い事が沢山あって、浮かれちゃうくらいに、ですよ」

 

 にこりと、桜は笑ってそう告げた。

 自分の気持ちを、存分に言葉に乗せて。

 

「だから何も、気に病むことはないんです。

 でも、それでも気にしてくれるって言うのなら……」

 

 次に桜はいたずらっぽく笑みを浮かべる。

 それは可愛いとさえ思える、甘えるような笑みであったから。

 

「遠坂先輩と、もっと仲良くしたいです。

 そうすれば、私はもっと幸せになれると思います」

 

 そんな事を、柔らかく桜は囁く。

 それは、どうしようもなく難しいけれど、素朴な願い。

 故に、どこまでも甘く、蕩けて聞こえてくる。

 

「すっかり、魔術師になっちゃって……」

 

 巧妙な物言いだと、桜の言葉は私に染み込んでくる。

 正に甘言と呼べる言葉の数々だ。

 油断すると、溶けてしまいそうになる。

 

「アリス先輩から、薫陶を受けましたから」

 

 そして桜は、ちょっと自慢げにそんなことを言う。

 ……アリス、か。

 ここでその名前が出てくるのは、嬉しいようで……ちょっと妬ましい。

 

「遠坂先輩、凄く複雑そうな顔をしてます」

 

「そうかもしれないわね」

 

 いや、確実にそうなのだろう。

 自覚すると、惨めに感じてしまうけれど。

 それでもそれを言葉にするのならば……。

 

「私、アリスに嫉妬してるんだわ」

 

 本来、桜のその位置には、私が居てもおかしくなかったのだから。

 それをアリスはいとも簡単に、その席に座ってしまった。

 だから羨ましく、複雑になってしまう。

 

「遠坂先輩が、ですか?」

 

 だけれど、桜は驚いたように、私を見ていた。

 本当に? と目を丸くして確かめるように。

 

「ここで嘘なんて吐かないわよ。

 そうよ、好き勝手に振る舞えている彼女が、私は羨ましいのよ」

 

 本人がこの街にいないからこそ、こんな事を言えるのだ。

 もし近くにいたのならば、意識して言えなくなってしまうだろう。

 

「全く、不都合なだけの決まり事なんて、無くなればいいのにね」

 

 だからポロポロと、本音が漏れていってしまう。

 私は、不意打ちにはそれなりに弱いから。

 こんな機会を用意されて、一枚一枚こころの壁を引っペがされて。

 それで桜があんなことを言うものだから、もう私の心の防壁は、もうボロボロだ。

 

「そう、ですね」

 

 桜も、同じことを考えているのか、そんな事を呟いていた。

 そして、彼女もポロリと、こんな事を漏らしたのだ。

 

「こんな考えじゃ駄目って分かってるんですけど……思わずには居られないんです」

 

 そんな独白にも似た何かで、桜は言葉を紡いでいく。

 

「もし、ご都合主義のような物があるのなら、それに縋りたいって」

 

 他力本願ですよね、と弱ったように桜は微笑んだ。

 弱気なニュアンスを存分に含んで、それでも切にそれを祈るように。

 そして、これは単なる甘えですけど、と桜はこう呟いた。

 

「そのご都合主義を起こしてくれるのは……アリス先輩だって、そう思う時があるんです」

 

 押しつけで、勝手に期待して、凄く酷い事なんですけどね、と桜は言っていたのだけれど。

 でも、その顔は、アリスへの信頼感がにじみ出ていた。

 どうにもならなくても、それでも彼女になら縋れると、そんな気持ちさえを持っていて……。

 

「アリスも、そんなに頼られたら、嫌とは言えないわよね」

 

 アリスも、元々そういう時にはひどく甘いところがあるから。

 助けて、と言われたら拒否なんて出来ないだろう。

 でも、それに頼る気が満々なのなら……。

 

「アリスが、その時は潰れてしまうわ」

 

「分かってます。

 だから勝手に考えてるだけなんです。

 アリス先輩には言わないようにしています」

 

 こんな恥知らずなこと、絶対に言えませんから、と桜は困ったような顔で言う。

 だけれど、桜の顔は、まだ助けを求めているようにも見えたから。

 

「……その時は、私に頼りなさい」

 

「え?」

 

 驚いたように、桜が私を見ていた。

 何をビックリしているのか、この娘は。

 ……その事実が、更に私を苛立たせて、言葉を吐いてしまう。

 

「だからっ!

 どうしようもなく困った時は、私に頼りなさいって言ったのよ!」

 

 自分で想像していたよりも大きな声。

 何事か、と周りのお客さんが私達を見ていた。

 ゴホンと一つ咳払いして、私は席を立ち上がった。

 

「取り敢えず、そういう事よ」

 

 それだけ言って、私はお茶代を机に置いた。

 これ以上は、完全に猫が剥がれてしまいそうだから。

 

「またね、桜。

 今日は嬉しかったわ」

 

 少しでも、この子の本音に触れられて。

 この娘と、真っ向から話が出来て。

 

「私もです、遠坂先輩」

 

 多分、私は真っ赤になってる。

 そして桜は、笑ってるに違いない。

 全く、堪ったもんじゃない。

 

 この状況を作り出した、聞き耳を立てているであろう男二人にも。

 そもそもの原因になった、アリスにもだ。

 

「帰ってきたら、ひどいんだから」

 

 ここにいない彼女に告げて、私は店を出た。

 今日は非番で、でも呼び出しを食らっただけのことだったから。

 まずは先立って、衛宮君と間桐君への仕返しを考えながら。

 

「アリスは……帰ってきたら一週間よ」

 

 何が、とは言うまでもない。

 無茶苦茶コキ使ってやるんだから。

 そう、私は決意して。

 

 

 

 ……その時、どこかで金髪の少女がクシャミをしたそうな。




クッソ長かった空の境界編(大嘘)終了。
今回で学んだと……やるなら計画的に、ですね。
あと、事件の中心に主人公を置かないと、物語が乗っ取られます。
アリスってなんだ、空の境界編ってなんだったのだ(哲学)。





……でも楽しかったです!(まるで反省の色が見られない鳥頭)
こんな作者で、こんな脱線だらけの作品ですが、これからもよろしくお願いします。

あと、別に守矢神社編はやりません。
これ以上冬木に戻らないのは、作者が耐えられませんから。
ごめんね、早苗さん。

――と思ってたのですけど、迷ったので活動報告でアンケートを取ります。
早苗さんに出番が欲しい人、是非書き込んでください。

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