まぁ、そう言う時もありますよね!(言い訳)
八坂の神は無言で歩いていく。
どこまで行くのかと思っていたら、外にまで出て行って。
一瞬、パジャマでは風邪をひかないかと思ったが、八坂の神の歩く速度が早いので、仕方がなくパジャマ姿のままで外にでる。
ずっと無言のまま、私は彼女についていって。
そうして、たどり着いた場所。
漣が聞こえ、涼やかさに満ちた場所。
昼間、早苗と精一杯駆けていた空間。
……湖が、私達の終着点であった。
「では、始めるとしようか」
口火を切ったのは、八坂の神。
振り向いた彼女の姿は、神社にいた時よりも不思議と存在感があった。
この湖の雰囲気がそうさせるのか、それともここに何かあるのか。
分からないが、八坂の神の存在感が、私の背筋を正していく。
それだけ、彼女から感じる雰囲気が澄んで私を貫いていたから。
「私が、話したいこと。
それは私達、神と呼ばれるモノの事についてだ」
「神、ですか」
神、
時に試練を課し、時に助けてくれる存在。
非常に気まぐれ、と注釈もつけられる。
尤も、ここは日本で、神の概念もまた違っているというのはよく知っている。
何よりも、人の傍に寄り添ってくれているのだから。
この国では、神と人の間に距離なんてない。
手を伸ばせば、握ってくれるくらいに近くにいてくれる。
ただ、今の人には、神様が近くにいることが見えていないだけなのだ。
「あぁ、そうだ。
お前も知っている通り、近年著しく信仰が衰退している。
……もう、神は人に必要とされてはいないようだからな」
力強い声なのに、どこか儚さを含んだ言葉。
そこにあるはずなのに、眼を離せば消えてしまいそうな郷愁じみたものを、彼女から感じてしまう。
「人は無意識に、何かに縋って生きてます。
その中には、神に縋って生きている人もいるはず。
必要ないなんてこと、ありません」
私は、存在感を確固とさせようと、八坂の神に語りかける。
この神様のことが嫌いではないから。
いなくなられるのも嫌だから、私はそんなことを言う。
「そうかな? 現在の人は、神には全能を求めている。
西洋で言うところの唯一神、それが人々の間に根付いた概念。
そう、神を一個体としてではなく、概念にしてしまった。
だから、個体である私達は、忘れ去られるしかない」
けれど、帰ってきた言葉は自嘲気味なもの。
憂鬱気味の言葉。
だけれど、直ぐに頭を振って、八坂の神は私を見た。
自嘲の中でも、何か燻っているものがある目で。
「いや、そんな事、今は関係のない話だ。
私が今お前にしたい話は……」
八坂の神の目が鋭くなる。
ともすれば、睨んでいると思える程に。
けれど、きちんと八坂の神の目を見ていると、その目が真摯な事がわかる。
きっと彼女にとって、大切な事を告げようとしている程度には。
なので、私は黙って彼女の言葉を待つ。
その時に訪れたほんの僅かな沈黙、落ち着かない心境。
私が少し緊張しかけた時に、八坂の神は話し始めた。
「お前に、私達と共にあって欲しい。
それが私の願いだ」
「共に……ある?」
八坂の神から発せられた言葉の意味。
その真意が良く分からない。
戸惑いが、私を包もうとしかける。
そんな私の困惑を汲み取ってか、八坂の神は更に補足を始めた。
「共にあるというのは、他でもない。
私達と共に歩んで欲しいということだ。
例え、如何なる時にでも。
家族に近いものと思ってもらってもいい」
「それは、何故?」
唐突と言える告白。
まだ、よく掴めない。
理由も、理屈も、考えも。
ただ、彼女の目から、本気だという事が分かるだけ。
「……こうして告げるのには、情けない話なのだがな」
八坂の神はそう前置きして、理由を話し始めた。
表情はない。
けれど、その中に苦渋が見え隠れさせながら。
「私達は、既に神秘の中でも薄れゆく存在だ。
現し世に置いて隠匿されている法則の中でさえ、居場所を失いつつあるのだ。
最早、神は現代で生きていくことはできない」
……正直な話、その事については、どこかで察していた事ではあった。
けれど、直に言われるのでは、重みが違う。
それも誇り高い、八坂の神の言葉であるのだから、尚更だ。
それだけ、今が切羽詰っているのか、自分で暴露しているのと同義であるのだから。
もう八坂の神達には、余裕がないのかもしれない。
私たちと同じ世界で暮らす余裕が。
「失われた神秘は、遠い過去へと忘却されていく……」
「然り、私達は歴史となって、後は流れていくだけとなる。
隠されていた世界、見えない視界は人間達が自力で取り払った。
人間は……神を必要としなくなった」
八坂の神は、ひどく無表情であった。
何故、と考えるのは愚行に過ぎないであろう。
今まで、共に歩んできて、助けてきた人間から一方的に捨てられれば、複雑な気持ちになるのは当たり前の事。
神は超然としているというが、これだけ人間の傍で生きてきたのならば、その精神性も人間に近しくなるのも同義。
きっと、神にとって人間は我が子にも近い仲間であったのだと、私は思うから。
「少なくとも、私は貴方達が居なくなるのは嫌です」
「そう言ってくれるだけでも、確かに私達は救われている。
何よりの本心での言葉で、その敬意は信仰にもなっている」
「恐縮です」
神は忘れ去られていく、それが近代という時代。
私も見えなければ、敬意は持っても、何れは忘却の彼方に流されていたのかもしれない。
けれど今、私の目の前には、八坂の神は見えている。
私の世界では、八坂の神は生きているのだ。
「なればこそ、その感性を持っているアリス、お前に頼みたいのだ。
今や、私達を認識できる人間は数少ない。
だがいない訳ではないのだ。
その中でお前を選んだ。
その意味、わかるか?」
選択肢がある中で、私を選んだ。
共に歩もうとしてくれる、その中の一人として。
理由、考えると、一人の少女が頭に浮かんだ。
きっと、これが答えであると。
「早苗、ですね」
「そうだ、早苗はお前に良く懐いている。
それどころか、友としての敬愛さえ持っている。
神だけでなく、早苗とも歩めるのはお前だけだ、アリス」
早苗の友達としては、非常に嬉しく思う言葉である。
何より、認められたという感覚が強い。
けど、ここで問題があるとすれば、それは……。
「もし、私が貴方達と歩を合わせるなら、どうなるのですか?」
ここが、私にとって重要な事であった。
ただ単に、今よりもずっと深い付き合いをするならするで、それもまた覚悟が必要であるかのようだから。
けど、その為だけの話ではない。
これは八坂の神達にとって大事で、これからにも繋がっていく話であるのだから。
「……私達と早苗の為に、今持っている生活の全てを捨てる覚悟をしてもらう」
「何故?」
「言っただろう、私達は現代で生きていく事は出来ないのだと。
ならば、新天地を求むるが他にあるまい」
「そんな場所、あると思いますか?」
「ある」
根性の悪い質問。
そう思って問いかけたモノに、いとも簡単に返答され、返答に窮してしまう。
存在すると、断言されたのだから。
どこかに、神様達が存続する為の聖域があるという事を。
そのことが、頭にこびり付いていく。
「だが、私達だけでは移動するのは無理だ。
ことを起こすには……早苗の力がいる」
「早苗の?」
問うと、八坂の神は然りと頷く。
早苗、東風谷早苗。
私の友人、はしゃぎやすく猪突猛進で、そして意外な程に繊細な子。
私にとってはそれだけの、唯の女の子にしか見えなかったのだけれど……。
「あの子に、一体何の力があるというのですか」
もしかしたら神職関連で、何かを極めているのかもしれない。
そう思っての質問。
けれど、帰って来た答えは、想像以上のものであった。
「守矢の風祝は、奇跡を起こす力がある。
いくら血が薄れようとも、諏訪子の血統である限り、その潜在力は侮れない。
その身には、神の血が混じっているのだから。
人間か神か、常に天秤が揺れているだけに過ぎない。
特に、今代の子、早苗は先祖返りしたかの如き適性を見せている」
「早苗が、洩矢の神の直系……」
衝撃にも似たものが、私を貫く。
早苗は、不思議な雰囲気を纏った、変な子だとしか思っていなかったから。
思い出せるのは、やはり無邪気な笑顔だけだったから。
「これほど神秘が後退した時代で、早苗が生まれたのは奇跡という他ない。
あの時、確かに私は運命にも似たものを感じた。
消え行く我らの前に、斯も遣わされたかのように誕生した彼女の事はな」
早苗が半神、その事がそもそも驚きの対象であった。
けれど、更にその彼女がキーであり、奇跡を起こすのだというのに、私は驚愕とまでいえる感情を抱いていた。
確かに、それらの事を考えると、早苗が生まれたことは限りなく奇跡的なことだと思えたから。
それと共に、思ったこともあったけれど。
「早苗が鍵なら、早苗に頼めばいい話です。
どうして、わざわざ私に話を持ちかけたのですか?」
そうである、そもそもの話だ。
早苗が奇跡を起こすのならば、私が趨勢に何かを及ぼすとは思えない。
なのに、なぜ私にこの話をしたのか。
そこが、ひどく気になったのだ。
「あぁ、それは単純だ」
それに対して、八坂の神はほんの少しだけ、表情を和らげた。
優しく、何かを思うように。
そして告げた言葉は、また強く意識させられるものであった。
「何よりも、早苗はお前の事が好きだからだ」
「……え?」
今までの、大きな話の流れを断つような、些細な理由。
けれど、確かに私の胸に、その言葉が一番響いていた。
「お前が未練で、お前が救いだ。
早苗にとってのだがな。
お前がいるから、早苗はより現代であるこの世界を望んでいる。
お前がこちらに来るとなれば、早苗は現代を捨てるだけの決断を下せるだろう」
そこで目にした八坂の神の顔は、促している様にも見えた。
決意するようにと、語りかけているようにも聞こえた。
とても大切なこと、故に私は迷う。
これからの、とても大事な提案をされているのだから。
まず、考えたのは魔術のこと。
もし、八坂の神達について行けば、とても神秘に満ちた場所にたどり着くことであろう。
そこならば、もしかしたら魔法にも手が届くかもしれない。
神を維持するだけの神秘があるというのは、それだけの可能性があるのだから。
次に考えたのは、早苗のこと。
彼女のことだ、私が来てくれるとなれば、きっと大喜びしてくれる。
早苗はそういう子だから。
大いに想像がついてしまっていた。
だから、私は迷ってしまっていた。
それだけに、新たな可能性を感じていたから。
私の中の天秤は、確かに揺れ動いているのだから。
……でもその時、頭に思い浮かんだ言葉があった。
――アリスにとって重いもの。
――未練とか、誰かの顔とか。
――そういうのを思い浮かべたら良いさ。
洩矢の神が、ここに来る前に言っていた言葉。
それが心の中に、水面に落ちた雫の、波紋のように広がっていく。
あの人は、八坂の神がこの提案をするのを知っていたから、あんな事を言ったのだろう。
けれど、その言葉に従う様にして、私の中に駆けていくものがある。
それも、一つでなく無数に。
最初に凛の顔が浮かぶ。
次に衛宮君や桜、間桐君の顔。
その他にも、柳洞君や美綴さん、陸上部の三人娘に藤村先生やネコさん達の、沢山の顔。
そして、それらを構成する、冬木での数々の思いで。
花開いたように、私の中に広がっていく想い。
……自然と、はぁ、という溜息を出していた。
凛辺りに言わせれば、心の贅肉とでも言われそうな理由で。
それは、私の中の天秤のこと。
――とても面倒なことに、見事なまでに均等であった。
冬木の方にも、守谷の方にも。
自分が優柔不断であったとは、今の今まで知らなかったと言えるくらいに。
「私、上手く飛べないみたいです」
独白に近い形で、八坂の神に言葉を告げる。
けど、彼女は沈黙したまま。
だから、私は独白する様に語りを続ける。
「自分の事を軽いと思ってました。
けど、思い返してみると、意外なほどにしがらみに囚われています。
でも、それは嫌なことではなくて、誇らしくも嬉しいことなんです」
誰かと手を繋げば、それが暖かなことに気付いてしまう。
どちらか選べと言われても、そんなものは選びようがない。
永遠の分岐路に立たされない限り、私はヌルく沈むような選択をするだろう。
それ程に、現状は心地よい。
「私、こう言ってはなんですけれど、結構恵まれていたみたいです」
傲慢な言いだけれど、溢れかえるほどに持てていたと、いま気がついたから。
まだ早い、決めたくなどないと、そう思ってしまったのだ。
「……それは、無理だということか?」
「もっともっと、時間が欲しいということです」
そう私が言うと、八坂の神は珍しいことにポカンという、どこか抜けた表情を浮かべた。
けれど、それはすぐに呆れたモノに変わっていったのだけれど。
「時間がないといったはずだがな」
「何時までありますか?」
聞き返すと、少し顎に手を置いて八坂の神は考えたあとに、こう答えた。
「本当にギリギリのタイムリミットは、早苗の死ぬ間際だ。
だが、早苗自体も今の力を持ち続けられるとは限らない。
早苗の力の衰えも考えると、二十年以内には決断して欲しい」
「二十年……」
思っていたよりも、時間はあった。
それが多いのか少ないのか、私には判断が付かない。
時の流れが、もしかしたら私に教えてくれるかもしれない。
そんな、今の私にとっては、とても長くある時間。
「よく、考えてみます」
「そうして欲しい。
私達にとっての鍵が早苗であるのと同様に、早苗にとっての鍵はお前なのだから」
鍵、私が、早苗にとっての。
耳に入ってきた言葉を考えてみると、何だか大げさに聞こえてくる。
けれど、私の中にも意外なほどに友達が占めるスペースが多いのだから、一理あるのかもしれない。
「考えると言ってくれただけでも助かる。
私達神の事も、お前は考えてくれているのだから」
「目に見えて、そして知っているのなら当然の事です」
「早苗の言う通り、お前は確かに優しい子だな」
「……恥ずかしいから、あまり褒めないでください」
普段はそんなことを口にしなさそうな方だから、不思議な感覚に囚われそうになる。
優しい表情を浮かべて、早苗にするような顔をしているのだから、余計にそう感じてしまう。
何だかむずむずする感触だ。
けど、そういうのも、たまには悪くはないと思っている自分も、確かにいて。
「礼の代わりと言ってはなんだが、良いものがある」
「はぁ」
話が一段落着いたところで、気の抜けた返事をしてしまう。
けど、やはり八坂の神はそんな事は関係なしに、言葉を紡ぐ。
自信ありげな声で、どこか楽しそうに声を出しながら。
「湖を見てみろ。
集中して、よく目を凝らしてだ」
彼女が示したのは、私が綺麗だと感じた湖。
今は夜の帳に包まれて、静かな印象を与えるのみとなっているもの。
けれど、八坂の神はそれを目を凝らして見ろという。
疑問に思いつつも、私はじぃっと湖を覗き込む。
覗き続ける、何かがあるのかと疑いながら。
すると、その時に……僅かな瞬きが、見えた。
「これ、は……」
言葉が出ない。
それ程に、驚きに値することであった。
そう、そこには。
「星、空」
湖には、満天の星空が広がっていた。
どこまでも広がって行く、海のような空。
輝きに彩られた、星達の色が。
無限に広がっていくようにも見える色彩に、目が惹きつけられていく。
星降る夜空の美しきに、何故だか涙が流れそうになった。
私はただ美しいと、それだけを思う。
変に言葉を飾る必要もない。
この光景を表すには、その一語で十分であったから。
そして湖の光景に見惚れてしまった私は、自然と空の方にも視線を向ける。
けれど、その空は、ただ暗くて。
湖に映っていた宝石のような輝きは、ただ一等星が輝いているだけで。
「礼の代わりになればと思ったが、どうかな?」
声の方向へと視線を向けると、どこか自慢げな表情をした八坂の神の姿が、そこにはあった。
少年じみた、そんな表情。
自慢のモノを、そっと見せてくれた、そんな時の。
「これは、何?」
それに対して、私は敬語すら忘れてしまって。
自分が分からない、この美しいものの事について訊ねていた。
圧倒されたと、その思いだけが今の胸にあったのだ。
「在りし日の風景。
それが湖に映っているモノだ。
ここは私達の最盛期から共にあって、私や諏訪子の影響を色濃く受けた場所でもある。
ここは私達が、思い出を沢山刻んだ場所でもある。
その為に、ここはよく見える者が見ると、あの時の光景がそのままに飛び込んでくる」
自分達の思い出の場所、記憶の刻んだ神様の土地。
聞いた瞬間に、納得を深く感じた。
この湖そのものが、神様たちのアルバムのようになっているのだと、そう理解したから。
きっと、私と早苗がこの場所を美しいと感じたのも、それが原因だろう。
私達には、他の人達が見えないものが、どことなく見えてしまっていたから。
「星の瞬きは、こんなにも美しいのね。
無数に広がって、散りばめられた宝石。
一つくらいは、欲しくなっちゃいそう」
一人、おかしな事を口にしながら、私は何気なしに水を掬ってみた。
……けど、それはやっぱりただの水。
私の手には煌きはない。
それが、ちょっぴり残念であった。
「アリスさん! 神奈子様!
二人揃ってデートしてたって本当ですか!!」
その後、神社へと戻ると何故だかご立腹気味の早苗がそこにいた。
視界の端には、ウシシ、と笑っている洩矢の神の姿。
あぁ、また早苗で暇つぶしをしてたのだと、大体理解してしまった。
「早苗、あのね……」
もぅ、と心で呟いて反論しようとした。
その時のことであった。
「星が、綺麗だった」
八坂の神が、そんな発言をしたのである。
驚いて目を剥いて彼女の方を見てしまう。
そして、そこあった八坂の神の姿、それは……。
「……私だって、たまには洒落の一つは言う」
慣れない事をして、戸惑っている様な八坂の神の姿。
表情が、如何にも困ってますと言いたげなもの。
「ありゃりゃ、神奈子上機嫌だね」
けれど、洩矢の神から見れば、今の八坂の神は上機嫌なようだ。
その言葉を着た瞬間、八坂の神は、フン、とだけ声を漏らしてこの部屋から出ていった。
「あれは相当に恥ずかしがってると見たね」
それに、洩矢の神は愉快そうに笑っていた。
珍しいと、面白いと。
……この方も、本当に大概な神様である。
「アリスさんっ!」
けど、そんなことを考える前に、まずはこの暴走姫を落ち着ける必要があるようであった。
どうどう、と馬を静止させる要領で、早苗に話しかける。
「落ち着きなさい、話せば分かるわ」
「そういう時はですね、日本では問答無用と返すのが礼儀なのですよ!」
そう言って、早苗は私の両肩を、がっちり掴んだ。
彼女の表情は、尋問でも始めそうな顔をしている。
これから、八坂の神と何をしていたのかを問いただすのであろう。
……そして見事に予想通りに、早苗のマシンガンの如き質問に晒されることとなった。
誤解を解くのには、多分の時間が犠牲となったのだ。
そして荒ぶる早苗が落ち着いた時には、既に寝るには丁度いい時間になっていた。
もう少し、落ち着いてくれていたのならば、ゆっくりお茶でも出来たかもしれないのに。
どこからともなく、溜息じみたものが出そうになるが、そっと心の中に仕舞い込む。
まぁ、これもこれで早苗らしくはあるかなと、そうも思ったから。
「という訳でアリスさん、一緒に寝ましょう」
「布団を隣に並べて寝るってことよね?」
「それ以外に何かあるんですか?」
……変な質問をしてしまった自分が、妙に汚れている気分である。
「何でもないわ。
私の布団はどうするのかしら?」
「予備の布団はこちらにあります。
付いてきてください」
すっかり機嫌が直った早苗は、スキップでも始めそうに、小走りで進んでいく。
それについていく為に、私も自然と足が速くなる。
そして辿り着いたのは何もない空き部屋。
この部屋の襖を開けた早苗は、畳んである布団をエッセエッセと取り出している。
私もそれに続いて、せーの、という掛け声と共に布団を一緒に持ち上げた。
「襖の奥で燻ってた布団って、何だか独特の匂いがするわね」
「寝っ転がってるうちに、何も匂わなくなりますよ」
「そんなものなの?」
「そんなものです」
わっせ、わっせと早苗と布団を挟んでの二人三脚。
実はであるがこの布団とやら、私は今まで使用したことがない。
遠坂邸では何時もベッドで寝ているから、布団で寝るのは初体験なのである。
「はい、この部屋です」
布団の寝心地などを想像していると、いつの間にか早苗の部屋の前まで到着していた様である。
そのまま部屋に布団を運び込んで、早苗も自分の分の布団を敷く。
あっという間に、布団が二つ並んでいた。
「えへへ、アリスさんと一緒にお休みなさいをするんですね」
布団が二つ並んで実感したのか、早苗が嬉しそうにそんなことを言う。
それに引きづられるように、私も少し笑っていた。
随分と可愛らしいことを言ってくれたから。
嬉しく、微笑ましい気持ちになったのだ。
「そうね、もう時間も時間ね。
早速寝ましょうか」
時刻、只今十一時半。
寝るには丁度いい時間帯。
魔術師の夜は長いが、今は関係ない。
普通の友達の家に来ている、唯のアリスであるのだから。
「そうですね。
じゃあ電気消しますね!」
寝る前なのに元気よく、早苗は部屋の電気を消す。
さっきまでは見えていたものが、急に見えなくなってしまう。
今あるのは、私が座り込んでいる布団の感触だけ。
「アリスさん、手を繋いでみても良いですか?」
暗闇の中で、早苗の声が響いてくる。
ちゃんとここに居ると、伝えてくれるかのように。
「良いけれど……暑くはないの?」
「暑さより嬉しさのほうが上回るから大丈夫です!」
「そういう問題なのかしらね」
やはり、今から寝るはずなのにテンションが高い早苗。
大体、彼女の魂胆が見えてきた。
「お喋りはいいけれど、程々の時間で寝るわよ」
「……はーい」
一瞬不満げに、返事までに間があった。
想像通り、遅くまで喋り明かそうとしていたのだろう。
あらかじめ釘を刺しておいて、正解だったというべきか。
けど、別に喋るのが嫌というわけではない。
だからほどほどと言ったのだ。
「で、何の話をするの?」
「今日の、神奈子様との話です」
「誤解だって伝わったはずよね」
溜息を吐きそうになりながら、私は早苗に聞き返した。
またそれか、と思わなくもなかったから。
けれど早苗は、そう言う意味ではありませんと言う。
首をかしげていると、早苗は何なのかの説明を始めた。
「誤解だっていうのは分かったんですけれど、詳しい内容をちゃんと聞いてないことに気がついたんです」
「それは……」
今回の、八坂の神との会話。
それは、まだ早苗には秘されている事。
迂闊に私が口走る訳にはいかないモノだ。
「進路相談のようなものよ。
これからどうするのか、早苗とはこれからも付き合っていけるのかって話し」
だから、都合よく誤魔化してしまう。
あまり嘘は付きたくないから、ギリギリグレー色での回答。
だけれど、早苗にはそれで十分だったようで。
あ、と小さく声を漏らしたのだ。
「そっか、アリスさんは外国からいらしていたんですもんね」
「そうよ、忘れてたの?」
からかい気味の声音で聞くと、はい、と戸惑ったような声で返事が返ってきた。
早苗にしてみれば、私はすっかり友達であり外国人なんて要素はどうでも良くなっていたのだろう。
ある意味おおらかな早苗らしいと思うけれど。
「アリスさん、帰っちゃうって前も言ってましたもんね」
「早苗も、帰ったらルーマニアまで遊びに来てくれるって言ってくれてたわよ」
「……そうでした。
離れてしまっても、私から会いに行けば距離なんて関係ないです」
僅かに陰りを感じさせた早苗であったが、思い出を思い出したら直ぐに復活した。
それだけ、早苗の中では固く決めている話なのかもしれない。
「私からも、もちろん会いに来るわ」
「っはい!」
そうだ、私達は互いに会いたいと思えば、何時でも会える。
それだけ世界の距離は近く、同じ空を見上げている限りは顔を合わせられるのだから。
……でも、それも、早苗が行ってしまえば別の話だ。
何れか早苗が二柱と共に旅立てば、最早会う機会は無くなるだろう。
跡には、ただ思い出だけが残るのみ。
「アリスさん?」
思わず、強く早苗の手を握っていた。
咄嗟に物悲しくなってしまったから。
だって私は、一緒に旅立ちたいとは思えていないのだから。
八坂の神には考えておきます、と答えはした。
けれど私はまだ、捨てられないものが多すぎる。
早苗とは別れたくないけど、凛達とも一緒にいたい。
強欲だとは思うが、手に入れただけ私は保持し続けたいのだ。
早々に割り切ることなんて、私には出来そうもないのだから。
「ううん、何でもないわ。
早苗がいるなと、思ってただけなの」
意味不明なことを、私は言っている。
けどそんな私に、早苗の宥めるような声が聞こえてくる。
「はい、私はここにいますよ」
そう言って、手をやんわりと握り返してくれる。
まるで、子供にそうするかのように。
「……早苗にそんな事されるなんて、不思議な気分ね」
「アリスさんが甘えてくれて、戸惑ってるけどすごく嬉しいです」
私と早苗、二人で変ねと声を抑えて笑い合う。
優しく、暖かく、柔らかな感触を感じながら、私は理解できてしまう。
そう、早苗はここにいるんだ。
まだキチンと、ここに居てくれている。
居なくなった訳ではないんだから、そんなに焦る必要なんてないのだ。
「そう、よね……」
「アリスさん?」
そうだ、まだ時間もある。
嫌な想像ばかりが巡ってしまって、気落ちしていたに過ぎない。
まだまだこれからなのだ。
だから、私にとっての最善を考えていこう。
そして両手に溢れるくらいに、欲張って色んなものを手に入れていこう。
「――――――――」
「起きてますかー」
ボンヤリと意識がしている。
耳は音を拾うが、返す気力はほとほとない。
心地よい倦怠が体を包みゆくのだから。
「まぁ、良いです。
……お休みなさい、アリスさん」
沈んでいく感触に身を委ねた時、最後に聞こえたのはそんな言葉であった。
――お休みなさい、早苗。
「えぇ!? もう帰っちゃうんですか?」
「ここには逃避に来ただけだもの。
休足は十分取れたわ。
……余計にこんがらがった事も、あるのだけれどね」
起きて直ぐの朝食の席。
そこで早苗の悲鳴のような声が響き渡る。
一方私も、返事はしたのだけれど、最後の部分は小声で誰にも聞こえないように呟いて。
だけれども、しっかりと神様達には聞こえていたようで。
八坂の神は無表情で味噌汁を啜り、洩矢の神は楽しげにこっちを見て笑っている。
兎にも角にも、ここは変わらずと言ったところか。
「まあまあ、今生の別れじゃあるまいし」
「……それはそうなんですけど」
笑っていた洩矢の神が、私をフォローするかのように話を入れてくる。
早苗はそれでも不満そうで、チラリと私の方を見てくる。
今にも頬が膨らんで、リスにでもなりそうな形相だ。
「早苗、誰にでも都合はあるものだ。
無茶をいうものではない」
「むぅ」
八坂の神も、早苗を諭すようにそう告げる。
昨日の話しをの事も思い出している様な口ぶりである。
これは八坂の神なりの、恩返しも含めたフォローなのかもしれない。
「……分かりました、はい」
二柱に押されるように、早苗は不承不承ながらに頷いた。
これだけ想ってくれている早苗には悪いけれど、私もそろそろ帰りたいのだ。
考えさせられて、天秤が揺れて、そして思い浮かんだ顔を見に、冬木の街へ。
「手紙は書くわよ、私から」
「はい、分かりました」
そう言って、早苗は黙々とご飯を食べ始める。
一切の口を聞かず、もぐもぐと。
「やっぱり早苗は可愛いねぇ」
その中で、洩矢の神のからかうような、慈しむような声だけはきちんと響いていたのだった。
「これは……」
そうして、沈黙の中での朝食は終わって、今は帰り支度をしている最中。
早苗の部屋に持ち込んだ、私の荷物を整理しているところなのだったのだけれど……。
「こんな所に居たのね」
私は早苗の部屋で見つけたものがあった。
文机の上に、ちょこんと鎮座していた彼女。
――それは、何時しか早苗にあげた私の人形。
解れたところなどもなく、丁寧に扱われていたであろう事が分かる彼女。
それはとても嬉しく、そして喜ばしいこと。
何故なら、早苗はこの娘のことを、単なる物とは扱ってなかったのだから。
「あ、アリスさん」
そして、そんなタイミングに、早苗が顔を出した。
私が人形の頭を撫でている時に。
「早苗、ありがとう」
「ふぇ?」
この娘のことで礼を言うと、早苗は呆けた顔をした。
急に何事なのかとでも思っているのかもしれない。
けど、今私が一番に伝えたい気持ちはそれであったから。
「この娘、早苗のところにいてて、安らいでるように見えるわ」
目の錯覚だろうけれど、単なる虚像であろうけれど、そう感じてしまうくらいに、この娘は慈しまれている。
それが何よりも嬉しかったのだ。
「えっと、その、折角アリスさんから引き取った娘なので。
大事にしなきゃって思ってました」
「えぇ、お人形を大事にできるのは、とっても女の子らしいことよ」
朝食での不機嫌さも隠れる位に、早苗は戸惑っていた。
けれど、段々と嬉しそうに顔がにやけてきている。
私も、どんどんと嬉しくなってしまっている。
だから、思い切って聞いてみた。
気になることができたのだ。
「早苗、この娘に名前をつけたりした?」
「え、そ、それは……」
嬉しそうな顔から一転、今度は恥ずかしそうに顔を俯ける早苗。
恥ずかしがっているということは、何か名前を付けたということでもある。
ならば、余程変な名前でもつけたのだろうか。
もしそうならば、それはそれで気になるのだけれど。
「恥ずかしがらなくても良いわ。
折角名前をもらったのに、呼んでもらえない方が悲しいわよ」
「うぅ」
痛いところを突かれたように、口から呻き声を漏らす早苗。
そして、少しの間逡巡する。
だけれど、覚悟を決めたのか直ぐに顔を上げた。
そして声を震わせながら、こう言ったのだ。
「あ、あーちゃんって呼んでます」
「そう、あーちゃんね」
確かに子供っぽいけれど、別に悪くなんてない。
十分に可愛らしい名前だろう。
「ふふ、良かったわね、あーちゃん」
そう語りかけると、一瞬だけニコリと人形が笑ったような気がした。
無論、気のせいではあるが。
早苗は恥ずかしいのか、顔を真っ赤にしている。
「うん、ありがとう早苗。
これからも、この娘をよろしくね」
「は、はいっ!」
声が甲高くなりながら、早苗は返事をする。
それに私は微笑を浮かべながら、早苗の頭に手を置いた。
「えっと、アリスさん」
何かを言いたげに、上目遣いで見上げてくる早苗。
だけれど、その前に私は彼女に語りかける。
目を合わせて、揺れている瞳を見つめながら。
「大丈夫よ、また会いに来るわ」
サラリと、彼女の柔らかな髪を撫でる。
できるだけ優しく、気持ちを込めて。
「……はい、何時でもお待ちしてます」
そして早苗も、何かを感じたように、とても落ち着いた表情でそう答えた。
……大丈夫、これからも私と早苗は友達なのだから。
私は心の中で、自分に言い聞かせるようにそう呟いた。
この娘も、きっと私と早苗を繋いでくれている。
先の人形、あーちゃんを見て、私はもう一度そう感じたのであった。
「それじゃあ早苗、帰ったら手紙を出すわ」
「はい、アリスさんの手紙が届いたらすぐに返事を出しますね!」
そんな言葉を交わしあって、私は神社を後にする。
感慨がないわけではないが、まだ何時でも会えるという安心感があったから。
私はあっさりと行動できた。
それに、だ。
……凛に、ずっとバイトを代わってもらい続ける訳にもいかない。
そろそろ潮時だったのだ。
『電車が出発します、お足元にご注意ください』
電車に乗り、私はこれまでの事を考える。
色々なことがあって、忘れられないことも沢山できたから。
「それにしても……」
今回、気掛かりなのは八坂の神達のこと。
早苗との別れが一番心にキタが、彼女達の事も心配であるのだ。
――そんなことを、ボンヤリと考えていた時の出来事だった。
――窓から、湖が見えた。
それは、昨日八坂の神と見た、キラキラとしていたもの。
在りし日の、思い出のつまった場所。
その場は、今も美しくて……。
彼女たち神様が、未だにそこにあるという事が直に伝わってきた。
「神は――」
自然と、口が動いていた。
この光景に、感じずにいられないことがあったから。
「神は死なず、未だこの土地にある」
ずっとずっと、遥か昔から神様たる彼女達はここに住んでいた。
その証は、美しさを私の目に映し出している。
大丈夫だと、伝えるように。
所詮は私の主観に過ぎなくても、その心こそが彼女達の力になる。
だから私は、その光景を目に焼き付けて、密かに祈りを捧げよう。
少しでも、彼女達がここに在れるようにと。
信仰なんて持ち合わせてない不信神者だけれど、せめてと天を仰ぐ。
この気持ちが、せめて彼女達の力になりますように、と。
これで……ようやく冬木へと物語は戻ります。
次は、アリスちゃん、夏休み最後の日、とかでいいですよね。
以下、次回予告を兼ねた茶番。
凛「お帰り(満面の笑み)」
アリス「ただいま……その手に持ってるものは何?」
凛「メイド服よ」
アリス「あぁ、そんな約束だったものね」
凛「えぇ、これで貴方には過ごしてもらうわ。
……夏休みが終わる、この一週間を」
アリス「は? 何を言ってるの、凛。
一日だけの約束だったはずよ!」
凛「アンタが留守の間、私がどれほど苦しんだと思ってるの。
ワカメには絡まれるし、あの娘には醜態晒すし、衛宮君には生暖かい目をされるし!
……その代償を、アンタに払ってもらうのよぉ!」
アリス「理不尽ここに極まれりね」
凛「なんとでも言いなさい。
これは決定事項よ!」
アリス「……好きになさいな」
こうして、アリスのメイド暮らしが始まるのであった。
みたいな話になると思います!