我らが愛すべき穂群原学園。
その校内、一年の領域は現在は安定しているとはいえ、入学当初は凄まじいものがあった。
それは何故か? 何て問われれば、愚問と返すのが穂群原学園一年の反応であろう。
彼女達を知らないのであれば、それは転校生か世捨て人の類に違いはないのだから。
彼女達、突出した二人の少女。
即ち、遠坂凛とアリス・マーガトロイド。
私達の同期で、まさかこの様な人物が同時に現れるとは、この氷室鐘の灰色の脳細胞を持っても見抜けなかった。
天は、時に不条理をもたらすものだと、シミジミと感じずにはいられない。
だが、それは良いとしよう。
単に同級生になっただけなのだ。
むしろ光栄にでも思っていた方が精神的に健全である。
私の趣味である人間観察も、大いに捗るのだ、何ら文句の付けようがない。
そういう訳で、私なりにこの二人は注目に値する人材であった。
暇になった時、何事もない時はこの二人を眺めていれば正解なのだ。
華美というより瀟洒な二人は、見ていて気持ちいいものがある。
……まぁ、遠坂嬢は全く隙を見せてはくれないのだが。
その代わりと言ってはなんだが、マーガトロイド嬢とは仲が良い。
あの気難しいと学内で評されているマーガトロイド嬢がである。
完全無欠の美少女ぶりの遠坂嬢とは違い、彼女はキツイところがあるとは衆目の一致するところなのだ。
何より、あの間桐慎二を廊下で平手打ちにしたという話題は、今でも大きく語り継がれている。
汝、逆鱗に触れることなかれ。
それを標語とし、一学期初頭は本当に爆発物でも扱うが如き対応をされていた。
外国人であるということも、更に触れがたさを高めていただろう。
孤高にして異質、それが彼女に下された学生達の評価であった。
そんな彼女と、私はそれなりに仲が良い。
それもこれも、あの自称黒豹のお陰か。
あの流動的とも言える行動力は、流石の一語に尽きるというもの。
尤も、その分屍じみた姿を晒している蒔の字を、見習いたいとも思わないが。
けれどもキチンとした繋がりもあって、私とマーガトロイド嬢は良くとまでは行かなくても、程々には会話をしている。
その中で、色々と見えてくるものがあり、それがまた興味深い。
彼女は通常、学校では近付きがたい、怖い、お高いなんてイメージが先行しているが、実際はそうではない。
話してみれば、ある程度は踏み入れさせてくれて、根の部分である女の子の姿、そんな部分も見えてくる。
確かに独特で気難しいところはあるが、決して取っつけないという訳ではないのだ。
そして、そんな私が彼女を探っていく中で、丁度趣味が合いそうなモノを発掘した。
これにはマーガトロイド嬢も、私さえも驚いた事である。
それは何か?
……言ってみれば知的好奇心が満たされて、脳細胞にも刺激が行き渡るという、私の中で数少ない心躍るものと分類しても良い。
私とマーガトロイド嬢は、互いに相手はそんな事に興味がない、と思っていただけにそれは軽い衝撃でもあった。
だが、だからこそ、私達はある程度仲良くなれたと言っても過言ではない。
故に、私は今日もその話題を彼女に振る。
決して、嫌がらないことを知っているから。
むしろ、積極的に聞きたがる事を、私は知っているから。
昼休み、マーガトロイド嬢の教室まで来て、私は彼女を呼んだ。
また、新たな話題を提供する為に。
「今度は間桐くんが、ねぇ」
「どうだ? 中々に面白いだろう」
昼休み、気分が向いたので自作したサンドイッチの詰めてあるお弁当を食べようとしていた時。
急に訪れた氷室さんによって、私は屋上へと誘拐された。
何でも、この話をする時には、何分外聞が悪いとのこと。
気にしなければいいのにと思うが、氷室さん曰く、人の噂ほど危険なものはないから、だそうだ。
けど、確かに話の内容は人に聞かれれば眉を顰められそうな事だと言えよう。
別段悪いことではなく、誰だって話していることだけれど。
でも、その誰だって話していることを、私と氷室さんが話しているとひどい違和感を覚える、とは楓の言。
偏見と狭量に満ちた世の中だことと、顰めっ面を浮かべた私は悪くないはず。
だって、それは……。
「でも間桐くんよ?
今回も遊びに決まってるわ」
「そうかな?
彼とて人の子、お人形に話しかけてみれば、痛烈な感情と共にビンタが帰ってきた事もあるのだ。
なら、少しは大人しくもなることだろう」
「一体何時の話をしてるのよ……」
「さて、一年も経ってなければ、最近と言えるのではないかな?」
「遠い昔ということにしておきなさい」
そう私が言うと、ちょっと皮肉げに見える笑みを浮かべて、氷室さんはこう言った。
「物事が鮮烈に記憶に残っている限り、それは最近と評しても間違いではないさ。
何時でも思い出せるというのは、三日前の夕飯を思い出すよりも容易いことなのだから。
さて、そんな事よりもだ」
私にとって面倒くさいことをそんな事呼ばわりし、氷室さんはメガネをクイッと人差し指であげた。
これから、本題に入ると印象づけるように。
「私達が今気にしているのは、あの間桐慎二に思い人が出来たかもしれないということ。
しかも、その相手は我らが由紀香かもしれないというのが重要なところなのだ!」
彼女にしては熱く語っている。
尤も、この手の話題で盛り上がるのは、大抵の女子は同じであろう。
私達が話しているのは、そんな誰だってしているようなこと。
それを楓は違和感がヒドイなどと詰るのだから、本当に不届き千万であろうと言えよう。
「三枝さんね、本当なのかイマイチ信用できないけど」
「事実として、彼は本気で由紀香を気にしている。
何度も蒔の字に絡まれているにも関わらずな」
話題、本題、それは間桐君が三枝さんの事が好きなのではという疑惑であった。
……私としては、全く持ってナンセンスと断じても良い話題である。
別に三枝さんに魅力が無いということではない。
実際に、私の知っている女の子の中でなら、一番女の子らしいのが彼女と言える。
でも、だからこそ間桐君の好みでは無いと思ったのだ。
だって彼は、特別に憧れている節があるのだから。
平凡で陽だまりのような三枝さんは、タイプではないだろうと容易に想像がつく。
「何だ、その様な胡乱な目をして」
「そうもなるわ、証拠が少なすぎるもの」
そう言うと、分かっていないなと言わんばかりに氷室さんのメガネが光に反射する。
私としては、彼女がどうしてここまで自信満々なのかが気になるところだけれど。
彼女は断定口調で物事を話していく。
まるで、それが真実だと断ずるかの様に。
「あのナンパ師である間桐慎二がだぞ?
良妻賢母の卵たる由紀香に目をつけた。
しかもずっと、何時もなら直ぐに目を離すであろう一般人代表たる由紀香をだ。
これこそ、間桐慎二が由紀香を狙っているという証拠にほかならない!」
「あぁ、成程。そういうことね」
そこまで聞いて、何となくだが私は察することができた。
この異様なテンションの氷室さん。
その要因は、恋ばなというよりも身近な友人に面白そうな話題が近づいてきた。
つまりはその一点に尽きるのだろう。
氷室さんは何時も話題や噂に飢えている。
それは彼女に気質であり、私もよく頼りにしている部分でもある。
しかし、彼女は常に一歩引いたところからそれを見ていた。
彼女は傍観者足ることを望んでいたし、観察するだけで満足だったのだ。
……けれど、それがこと身内の事となると話は違ってくるのだろう。
距離が近すぎて、傍観者たろうにも手が届いてしまい、出したくなってしまう。
親友の三枝さんなら尚更、といったところか。
それで想像や妄想ばかりが先行して、そうとしか考えられなくなっている。
私が推察するに、氷室さんは近視眼に陥ってしまってるのだ。
「そこでだ、マーガトロイド嬢」
「何?」
少し楽しげな氷室さんの声。
割とロクでもない予感がヒシヒシとする。
そしてそれを裏付けるように、氷室さんは何かに挑もうとしている挑戦者の目で、こんな事を提案したのだ。
「此度の事件、私達で解決してみないかな?」
そんな、とんでもないことを、サラリと言ってのけて。
然りげ無く事件呼ばわりしていることに、氷室さんの心境が容易に読み取れてしまう。
氷室さんから見て、間桐くんは悪い犬か何かだったのだ。
三枝さんが噛み付かれる前に対処するのか、それとも敢えて咬ませてみるのか。
今回は三枝さん達が、というよりも、氷室さんが何を仕出かすかの方に興味の天秤が傾いている。
だから私は、
「そうね、一枚噛ませて」
楽しそうな騒ぎに便乗する為に、簡単にその誘いを受諾したのであった。
ロクでもないことを、たまには自分からしてみようなどと悪いことを考えながら。
そんな訳で、私達は屋上を後にした。
と言っても、直ぐに行動を起こす訳ではない。
現在昼休み、会話しながらお昼を食べれば時間はあっという間に過ぎ去っていく。
なれば、行動出来るのは必然的に大きな空白時間が生じる放課後だけということになる。
なので結局、私は放課後に氷室さんの教室へと足を運んで。
既に手配していたらしく、その場には氷室さんと楓、そして今回の主役たる三枝さんの姿があった。
氷室さんは、その場の人達を一瞥して、満足げに頷いてから語り始めたのだ。
「よく集まってくれた。
今回の要件は、間桐慎二が由紀香の周りを彷徨いている件についてだ」
「お、遂に吊るし上げる時が来たってことか!」
氷室さんの言葉に、楓が何故だか私の肩をバンバン叩きながら嬉しそうにしている。
楓の目は、貴公の首は柱に吊るされるのがお似合いだ、と言わんばかりに好戦的で。
まるで私が、間桐くんに対する最終兵器か何かのような扱いである。
何時ものことではあるが、失礼極まりない。
「ちょっとマキちゃん、私は別に困ってないよ?」
「うんにゃ、由紀っちがそわそわしてたの、お天道様が見逃しても、このわたしゃあ知ってるね。
あんだけガン見されれば、嫌でも気になるし。
というか、私達の由紀っちにあそこまでセクハラ的視線を寄越した時点でギルティ!
裁判を経ずに処罰決定だってもんさ。
だからこその私たちだし、マガトロだもんな」
「……私を数に含めるの、やめてくれないかしら?」
「もう、そんなことを言って!
何だかんだでここにいる時点で分かってんだっての。
あれだろ? 今流行りのツンデレってやつだろ?」
何だか、楽しそうという理由で来てみたけれど、早まってしまった感がしてしょうがない。
この楓の絡み方がとても鬱陶しい。
どうにかして、と氷室さんに視線を向けると、氷室さんは楓に、まぁ待て、と静止してから彼女の考えていることを、順番に語り始めた。
勿論、間桐くんをぶちのめしたり、リンチするなんていう蒔寺流の物騒なものではない。
「今回は本格的に由紀香に被害が出ているわけではない。
むしろ、見方によっては、間桐の行動は可愛らしいものですらあるだろう。
故に、強攻策は今のところは必要ない」
「えぇー」
不平をそのまま口に出して、楓は何だよー、と氷室さんを睨んでいた。
が、そんなことは意にも介さず、氷室さんは己の考えを述べ立ててく。
楓の意見など、最初から聞いていないと言わんばかりに。
「要は、間桐が由紀香に近づきたがっているということだ。
ならば敢えて、そういう方法もあるだろう」
「ならばいっその事ってか?」
氷室さんと楓の視線が交わる間で、火花が散る。
楓が睨んで、氷室さんはそれを躱そうともせずに飄々と受けている。
その中間で、何で空気が冷えているのか分からず、オロオロとしている三枝さんの姿。
なんだ、何時ものことかと思う反面、三枝さんは苦労をしていると分かる状況。
これで何時もならば、三枝さんが仲裁に入るのだろうが、今回は三枝さん本人のことで、彼女も戸惑っている。
ならば、と私は会話に参加することにした。
「落ち着きなさい、氷室さんにはもう言ってるけれど、必ずしも間桐くんがそうである訳じゃないのよ」
そう言うと、氷室さんには溜息を吐かれて、楓からは何言ってんの? とやや冷た目な視線が帰ってきた。
この二人の中では、既にそういう事で確定しているというのか。
面倒くさい事この上ない。
「どうしてそう思うのか、言ってみなさいな」
「どうしても何も、あの間桐が女に目をつけたってなれば、それはモノにしたいってことだろ?」
「これに関しては蒔の字に同意する。
そうでなければ、動きそうにない人物だからな」
成程、頑なにそうであって欲しいと願っているだけかと思ったが、間桐くんの今までの信頼と実績を持ってすれば、そういう評価になるようだ。
確かに、外の目立つ部分だけを見ていれば、そう評されてもおかしくはない。
日頃の行いがいかに大事かというのが、良く分かるというものだ。
「そうかもしれないわね。
でも、だからといって何時もの間桐くんとは違う部分が一つあるわ、そうでしょう?」
「はい?」
何が? と言いたげな楓に、氷室さんは思い当たったように、あぁ、と小さく呟いた。
流石に頭が早い、でも何時もの氷室さんなら自分で気付たはず。
やっぱり、少々の視野狭窄に陥っている感はあるようだ。
「自分からは声を掛けに行かない、か」
「その通りよ、それが相違点」
氷室さん達が言うように間桐くんがナンパをしに行くのならば、すぐに声を掛けて如かるべきなのである。
それがずっと遠くから見ているだけなど、間桐くんらしくない事この上ない。
だから、私は氷室さん達が思っている事とは違うだろうと考えていた。
何か、きっと別の理由があるのだろうと思っている。
それが何かは、分からないが。
「……シンジツノ、アイ?」
「微塵も信じていない事を言っても、現実味の無さが加速するだけよ、楓」
間桐くんと愛、何ともアンバランスな組み合わせの言葉。
喉に魚の骨が詰まった感覚さえ覚えてしまう。
それに私と楓で渋い顔をしていると、ポンっと手を叩いた人物が一人、そこにいた。
我らが氷室鐘女史である。
「それだ」
「えー、それはない、絶対にない」
即座に楓からの否定が入るのだが、氷室さんは逆に納得したような顔をしている。
何か、彼女の中でぴったりと繋がってしまったみたいで。
辟易としてしまう私に、胡散臭げに氷室さんを見る楓、それからジッと考え込んでいる三枝さん。
そんな面々に、氷室さんはその良く回る舌で、言い聞かせに入ったのだ。
「有り得ないということは有り得ない。
どんな事だって起こり得る可能性はある。
それが今回の間桐に起こっただけのこと。
でなければ、あれだけしおらしい間桐は見られまい」
「それは……まぁ、そうかもしれないけどよー」
未だに納得いかなさ気な楓だが、返す言葉が見つからないらしく、うーん、とこめかみの部分をグリグリと捏ね回している。
実質、既に楓は氷室さんに反駁する力を失ったのであろう。
そして私も、氷室さんが意見を変えようとしないことが分かったので、反論することはない。
では、と最後に残っている一人に目を向けた。
ずっと静かに考え続けていた、三枝さんに。
「ねぇ、鐘ちゃん」
「なんだ、由紀香」
自分の意見が求められているのを察したのか、三枝さんは何時も通りの緩やかさで、氷室さんの顔を見る。
穏やかさの中に、困った様な雰囲気を漂わせながら。
「私は、違うと思うな」
「なぜそう思う?」
三枝さんの意見を頭から否定することはせずに、氷室さんはその理由を問うた。
返ってくる答えで、その良し悪しを判断しようとしているらしい。
それに対して三枝さんは、一つのエピソードを語った。
優しげにハニカミながら、多分ね、と言いながら。
「お寺の近くで、一回だけ間桐君と会ったことがあるの。
それからだったと思うな、間桐君と良く目が合うようになったのは」
三枝さんの言葉を聞いて、どうして急に間桐くんがと思っていた私の中の疑問が氷解したように思える。
突然変異的に間桐くんが三枝さんの周りを彷徨き始めた事が謎だった私にとって、答えが提示されたようなものだから。
点と点に、線が引かれたような感覚。
氷室さんが、ふむ、続けろと続きを促すと、三枝さんは更に語っていく。
「そんな大したことじゃないんだけどね。
お爺さんが座っててね、お休み中ですかって声を掛けてたの。
そしたら間桐君がたまたま近くに来て、誰か居るのかって聞いてきたんだ。
だから私も、うん、お爺さんが一人って答えたら間桐君、何か急に足早になって帰ってっちゃったんだ」
何でだろうね? と首を傾げる三枝さんに、いまいち私もどういうことか掴み兼ねる。
お爺さんが一人……その辺りに、間桐臓硯でも居たのだろうか?
もしそうなら、間桐くんの反応もおかしくはないと思う。
思うが、それなら三枝さんに粘着する必要性が感じられない。
……もしかして、三枝さんに魔術の仕込みでも、間桐臓硯がしたというのか?
だとしたら、戦々恐々と様子を見に来る様子も、話しかけられないのも一定の理解を示せる。
だが、もしそうだったら、私は早急に手を打たねばならない。
友達一人を見捨てるには、あまりに忍びない話であるのだから。
「どんなお爺さんだったの?」
半ば恐る心を押さえつけて、背筋に嫌な汗が流れていることを自覚しながらの質問。
何事もなく、何事も起こらない、そうであってくれと強く願っていた。
そうでなければ、私はどうにかしてしまいそうだと感じたから。
そんな私の問いに、三枝さんは小首を傾げていた。
あれ? という不吉な言葉とともに。
「うーん、上手く思い出せない、かな。
ごめんね、マーガトロイドさん」
「……そう」
もしかしたら、何らかの魔術で認識をずらされてしまっているのか。
考えれば考えるほどに、私は溺れていくかの様に推測を積み重ねてしまう。
全て悪い方への、邪推じみたものだ。
けど、そういう嫌なものは溢れるばかりで、切っ掛けがなかったらリセットも切り替えもできやしない。
そんな私の焦りを他所に、氷室さんはどこか曖昧に笑っていて、楓は笑顔のままで凍りついていた。
何か覚えでもあるのか、それとも私と同じく嫌なモノを感じ取ったのか。
二人を一瞥すると、二人共が苦笑い気味に三枝さんへと訊ねたのだ。
「なぁ、由紀っち。
その爺さんってお寺で見えて、間桐の奴が誰かいるのかって言ったんだよな?」
「うん、そうだよ」
「その後、その後老人はどうした」
「何時の間にか居なくなってたよ」
聞けば聞くほど、内容が怪しく感じてしまう。
怪しく、危ないように感じる老人。
最初に考えてしまったのがあの妖怪爺だったせいで、未だに彼のそこの見えない笑みが脳裏にチラつく。
不安は増すばかりで、落ち着かない。
だが、三枝さんの話を聞いた二人は何故か納得した顔をしていて、どこか達観した様な表情にすら見えた。
何が分かったのか、何を理解したのか。
付き合いが深い二人だからこそ、見えてきたものがあるのだろう。
だけれど、残念ながら私は仲が良いといっても、阿吽の呼吸で通じ合えるほどではない。
だから私は、分かった顔をしている二人に振り向いた。
話せと、視線を送ったのだ。
けれど二人は、
「ま、まぁ、世の中には知らないほうが幸せって事もあるよナー」
「うむ、蒔の字の言う通り、知るべきことと知らざるべきことがある。
今回のは後者だ、気にする必要はなくなった」
諭すように、私へとそんな事を言って。
分かった顔で二人頷きあっていたのだ。
三枝さんは最初から最後まで頭に疑問符を浮かべていて、同様に私も答えが分からないというモヤモヤに囚われながら、結局この場を解散する事となった。
正直に言うと、解せないという気持ちが強かったことは、否定のしようがない事実である。
……後で、氷室さんをとっちめようと決意した瞬間でもあった。
梯を外された気分なのだから、これくらいの権利は得られるであろう。
「で、君は私をこんな所に呼び出したという訳か」
「最初にここに連れてきたのは貴女よ、氷室さん」
「前の呼び出しの時はそうだったな」
翌日の放課後、部活がない事を確認して氷室さんを捕縛。
問答無用の強制連行、是非は問わなかった。
このモヤモヤのせいで、思わず昨日は考え込んでしまったのだから当然である。
「それで、どういうことか説明してもらえるかしら?」
一歩氷室さんに詰め寄ると、彼女はまぁ待てと手で私を制する。
タダで引かないぞ、と視線に力を込めると、氷室さんは少し考えたあと、信じられるかどうかは別だが、と前置きをした上で語り始めた。
「由紀香は見える、見えないはずのモノがな」
「……霊能者?」
「本人はそんな大したものじゃないと言っているし、恐らくはその通りなのだろう。
見えるのは由紀香だけなのだから、私には如何様にも判断し難いことだがな。
……どうだ、信じがたい話だろう?」
そう言って肩を竦める氷室さんは、どこか遠い目をしていた。
何かを回想するように、そして思い出しては頭が痛そうにして。
彼女にとっては、それが何よりも本当だからそんな顔をしていると、外から見ていた私は分かってしまたのだ。
なまじ魔術を扱うものとしては、そういう人がいるというのは知っているから。
「いいえ、信じるわ」
だから容赦なくそう断言すると、氷室さんは意外そうな顔をしたあと、逆に納得したかの様に頷いた。
「そういえば、欧州人は迷信深いのだったな」
「人によりけりよ」
迷信そのものを扱う私からして、信じない訳がない。
それが信用のできる友達の言であるのならば尚更だ。
自分がそうであることを外に発信するかどうかは、また別の問題であろうが。
「成程、確かにそうだろう。
ところで、要件はそれで終わりかな?」
「違うわ、迷探偵の氷室さん」
「……何故だか罵倒された気分になったのだが」
「気のせいよ、きっと」
ただ、ちょっと想像に頼りすぎて推理が脱線しているだけ。
えぇ、決して他意なんて無い。
私は文字通りの意味でしか言ってないのだから。
「……で、他に何の用がある」
「もう分かってるでしょう?」
仕方なく目を瞑ったと言わんばかりに、話題を転換する氷室さん。
その露骨さに少々の苦笑を覚えつつ、私は彼女の目を見て答えた。
氷室さんならば、既に私が呼び出した理由がわかっていると判断して。
すると彼女は、そうだなと返事をして、彼女なりの正しい推理を披露したのだ。
「結局、由紀香の周りに間桐が彷徨くという行動は解決できていない。
だからこそ、その相談をしに私を呼んだ。
つまりはそういうことなのだろう?」
「流石は氷室さん」
その一言に、氷室さんは一つ頷くだけであった。
この程度、誰にだって推測ならできると言わんばかりに。
けれど、推測できてもそれを確信を持って言葉にできるかは別。
その点、氷室さんは断言するだけの胆力を持ち合わせているので、彼女の話を聞いていると説得力を感じるのだ。
尤も、その説得力ある話の内容が、大いに間違っていることがあるのだけれど。
「本来はこちらが解決しなければならないことなのだがな。
頼んでないとはいえ、世話を掛ける」
「少しでも関わったからには、解決しなくちゃならないでしょう?
じゃなきゃ、目覚めが悪いわ」
本来の目的が氷室さんの愉快な観察であった為の罪悪感も押して、私はそう考えてしまう。
嘘はついてないけれど、言葉を飾って綺麗に装飾している感は否めない。
その分だけ、きっちりと働こうとは思えるけども、だ。
「お人好しで助かる。
ならば、これから協議に移ろうか」
「お人好しではないわ。
単に、私の傲慢で癇癪じみた部分が納得してないだけよ」
「そういうところこそが、お人よしというに」
話の前に少々の訂正を入れると、茶々を入れるように、即刻そんな事をいう氷室さん。
どうにも氷室さんは、私がチョロくて人助けを積極的にするように見えているらしい。
それこそまさかである、そんな人は衛宮くん一人で十分だ。
私は精々、友達だからというお義理的な理由でしか行動しない。
それ以外は、仕方の無い場合か自身に利益のある場合のみに動く。
だから決して、私はお人好しなんてヘンテコ生物ではないのだ。
「貴女がそう思うなら、そう思っておきなさい。
イザとなって助けを求められたら、自分が動くかなんてわからないんだから」
「そうだな、では私はそう思っておくとしよう」
ニヒルな笑みが、今ここでは憎い。
妙にもやっとするこの時。
イラっとしたので、仕返しにムニムニと氷室さんの頬っぺたを引っ張る。
……名前の通り冷たいとかそんな事はなく、その頬っぺたは暖かく、柔らかい。
彼女が女の子であるということを、全力で感じさせられる肌触りであった。
「何をする」
「言葉で虐められるんですもの。
子供っぽく癇癪を起こして、復讐してることろよ」
ムニムニ、ムニムニと氷室さんの頬っぺたを無心で触り続ける。
非常に微妙な顔をしている氷室さんではあるが、抵抗はされない。
もしや、これが三枝さんの問題を解決するための報酬だとでも言うのか。
もしそうならば、前払いとは気前が良い。
元々そんな物を求めるつもりなど無かったから、代わりに堪能するのも一興。
だから私は指でつついたり、撫でたりと、割と存分にセクハラ行為を行ってしまっていた。
そんな事を行っていた時間は、およそ五分間。
長いようで短い時間、けれども私は充分に満足したと言っても過言ではない。
「……終わったか?」
「えぇ、これで終わり」
手を退けて氷室さんの顔を覗くと、頬っぺたが若干赤くなっている。
少々つつき過ぎたせいで、腫れているのかもしれない。
「ゴメンなさい、調子に乗りすぎたわ」
「そうか、ようやく理解したか。
よくも人をここまで辱められるものだ。
……だが、これで断らせないぞ、マーガトロイド嬢」
「元よりそのつもりよ」
そう告げると、氷室さんはよろしいと答えた。
だが頬っぺたが赤いせいか、どうにも締まらない。
少しばかり笑い声を漏らすと、氷室さんは不服そうに私を見て。
なので私も笑い声を引っ込めて、素直に彼女と向き合った。
ケロリと何もなかったかのように振舞うと、彼女は軽く息を吐いた後、では、と告げた。
ここまで寄り道ばかりしていたが、やっとスタートラインに立てたようだ。
さぁ、ようやくではあるが話し合いを始めよう。
「私としては、間桐に由紀香が見える類の人間であると伝えれば、それで問題は解決すると思う。
現状、怖いもの見たさで近づいて来ている線が濃厚であるし、理解できないものは根源的に恐怖し気になってしまうからな。
それでも粘着するようであれば、憑かれるぞと脅せば良い」
「ここで考えるべきは、間桐くんが何を考えてるかね。
三枝さんの体質が気になっているのか、それとも他に目的があるのか。
視野を限定しすぎるのはいけないわ」
私が反駁混じりに言うと、氷室さんは意地の悪い顔をしていた。
にやりと、わかりやすく悪い笑みを浮かべてみせたのだ。
「おやおや、私の推理はあれ程頑なに否定していたというのに」
「根に持つのね」
「私はプライドがそれなりに高い方だからな」
それはそれは、と肩をすくめる。
が、それだけ有り得ないと思えた推理? だったので、私としてはそうとしか思えなかっただけだ。
それが私の思い込みに過ぎないというのならば、それもまた納得できる話ではあるが。
「そう、それは悪かったわ」
「わざわざ形だけの言葉を寄越してくる辺り、意地の悪さが良く分かるというものだ」
ふんっと、呆れたような氷室さんの言葉に、深読みしすぎていると思う私がいる。
別にそこまで考えていた訳ではない。
単なる脊髄反射での返事なのだから。
「それで、間桐くんについて他に何か分かるかしら?
例えば、どんな目で間桐くんが三枝さんを見ていたか、とか」
「ふむ、成程」
手を顎に当てて、氷室さんは考え始めた。
完全に主観の話ではあるが、それでも他人が感じるモノは重要だ。
それだけでも、傾向が読み取れてしまう事が多々ある。
なので氷室さんに訊ねたのだ。
彼女は人間観察が趣味で、だからこそ色んなものを感じ取れていると思ったから。
するとやっぱり、氷室さんは心当たりがあったようで、神妙な顔でこんな事を言った。
「間桐の目は、何かを気にしている風に見えた。
成程、私が拘っていたのは、つまりはそういうことか」
「あぁ、そういうことね」
どうやら氷室さんは、間桐くんの目が真剣だった故に、恋愛ごとに結びつけていたらしい。
気持ちは分からないではない、私もそういう話が好きなのだから。
だけれど、今回はその可能性は除外させてもらおう。
どうにも、それだけと見るには余計な要素が混じりすぎている。
「なら、どうしてそんな目をしていたか、という事について考える必要があるわ」
一つ取っ掛りを得たので、ここから更に推測を深めていく。
どの結論にたどり着くかは分からない、間違えるかもしれない。
けれども、その場合は思考の流れを遡って、正しい場所からやり直せばいいだけなのだ。
だから私と氷室さんは、淡々と考えを広げていく。
「ふむ、もしや間桐はそういう知識に興味があるというのか?」
少し考えてから、意外そうにぼそりと氷室さんが呟いた。
彼の家系とその生業を知らなければ、恐らくは意外に見えるのであろう。
が、彼は魔術師の家系であり、三枝さんのはまた別のお話であるように思える。
いや、彼にとっては魔術と異能の違いが分かっても、どちらも超常的なものには変わりないのか?
……どうにも確証が持てない、中々に難しい問題である。
人の心は覗けないのだから、こうして考えるしかないのではあるが。
「そうかもしれないし、そうでないのかもしれないわ」
「あやふやだな」
「霧が濃い場所は、どうやっても全てを見渡すことなんてできないもの」
「違いないが歯がゆいな」
まぁ、だからこうして推測を重ねている訳で。
実際、心が覗けてしまったら人間関係は大きく変容するであろう。
私はそれを望まないし、それでいいと思っている。
ただ、時折面倒に思うだけで。
「結局、間桐が由紀香の見える事に興味があるのか、それとも別のところに興味があるか、だな」
「別のところ、に何か考えはある?」
難しそうな顔で俯きながら考えている氷室さんに訊ねると更に顔を顔を顰めて、こめかみをグリグリと解し始めた。
彼女にとっても、間桐くんの行動の意図は読み取りづらいようだ。
そうして、私達はウンウンと唸り続ける。
ある意味、ここまで真剣に男の子のことを考えたのは初めてかもしれない。
そんな風に思考が逸れてしまうくらいに、答えは見つけづらくて。
……そんな中で氷室さんがポツンと言った一言、それが何故だか心に訴えかけるものであった。
「見えないものは怖い。
が、それに憧れる場合も、あるやもしれない」
「……三枝さんに、間桐くんが憧れているってことかしら?」
我ながら目を丸くして尋ねると、氷室さんは、いや、妄言だったと首を振るうのみ。
だが、私の中では、その考えはよく響いていた。
あながち、間違ってはいないと思えたのだ。
「もうちょっと聞かせてくれるかしら?」
「ん、妄言だといったのだがな」
「良いから」
しつこく食い下がる私に、氷室さんはやれやれと肩を竦め、大したことではないが、と語り始めた。
本人的には、どうなのだろうと思っている内容である事が、ありありと伝わってくる。
「間桐はその嗜好と行動から分かる通り、高みでふんぞり返るのが大好きな人間だ。
それは恐らく、名家であることから来る選民意識と、自身の能力の高さに依るものが大きいのであろうな。
だが、奴には一つばかり欠けているものがある」
「……他の人にないような、何か特別なもの?」
推察して尋ねると、そうだと頷かれる。
尤も、彼女としては納得の行く説では無いようであるが。
「あの間桐が、自分が欠けてる等と自覚的な意識を持つこと自体がまず有り得ない。
マーガトロイド嬢が私の恋愛説を否定したように、私もこの説を眉唾だと思っている」
と、最後に氷室さんは締めくくった。
確かに、おおよそ氷室さんの考えは間違っていないであろう。
普通に間桐くんを観察した時、彼の自信は傲慢とも取れるのだから。
――だけど、私は彼女が持っていないパズルのピースを持っている。
それは間桐くんの家のこと、彼自身のコンプレックスのこと。
知っていて、彼が気にしていることも分かっている。
だから私は、聞いた瞬間に反応したのだ。
「任せてくれないかしら、氷室さん?」
「……本気か?」
「本気だし正気よ、私は」
揺るがず惑わず真っ直ぐに告げると、どこか呆れたような顔をして氷室さんは私を見ていた。
何を馬鹿な、とでも思っているのだろう。
でも、だけれど、だからこそだ。
「そういう訳で、私に任せてくれないかしら?」
「……好きにすればいい。
だが、失敗したら私が後詰で行動する。
これで良いかな?」
「問題ないわ、至極当然の判断ね」
そうして、私は間桐くんに話を聞くことになったのだ。
きっと、彼は鬱陶しがるだろう。
けれど、話さずにはいられないだろうと、そう確信にも似た感覚を覚えながら。
私は屋上を後にした。
藪の中から出てくるのは何であるのか、蛇か鬼か、それとも……。
ぼんやりと考えながら、私は彼へと会いに行ったのであった。
そしてこれは、間桐くんから話を聞いた翌日のことである。
「解決したわ」
「……本当に、そうだったというのか」
何時もの放課後、屋上にて。
部活を放って私に結果を聴きに来た氷室さんの顔は、正に愕然と呼べるものであった。
どうにも、私の想像以上に氷室さんは驚いている。
間桐くんをも観察してきた自分に、ちょっとした驚きを感じずにはいられないのか。
それとも、自分の観察眼が思ったよりも低かったと感じてしまったのか。
どちらにせよ今回の件、私は彼女の想像を上回ることに成功したらしい。
「情報量が違うもの、たまたま私の方が彼の意外な一面を知っていただけよ」
かつて、夜の公園で乱暴される程度には、だけれど。
あまり嬉しくない記憶の断片を振り払いつつ、私はきっちりと氷室さんに報告したのだ。
これにて、事件は解決したと。
「……何だか、釈然としないオチだ」
「現実ってそういうものよ」
不服そうな氷室さん、余程意外で納得がいかないのか。
そんな様子を私はクツクツと笑っていた。
悔しそうな氷室さんの顔が、思ったよりもクセになりそうだから。
でも、そんな私を見て、何を思ったのか急に目を見開いた氷室さん。
まさか、とか、いや、しかし、などの戸惑った反応が見られる。
もしかしなくても、変な方向に思考を持って行っている様な気がする。
思わず胡乱気な目をしてしまう私だったが、それは脆くもすぐに崩れ去ることになる。
氷室さんの、あまりに酷いトンチキ推理によってだ。
「もしかすると、マーガトロイド嬢は間桐と深い付き合いがあるのか?」
「……は?」
呆然とした顔をしていたと思う。
あまりの突飛さに、目が点にすらなっていただろう。
しかし、氷室さんにあっては至って本気らしい。
「でなければ、あの間桐慎二が転向などするはずがない!」
「どれだけなの、間桐くんは……」
ある意味、そこまでの信頼を間桐くんは得ているというのだから、それはそれですごいのであろうか。
あいも変わらず、想像力逞しい。
だから私は、きっぱりと告げる。
「違うわ、微塵もそんな事はないもの」
ただ、ほんのちょっとだけ、他の人が知らない彼を知っているだけ。
彼の半分も理解してないし、知ろうとする積極性もない。
「そんな事より、氷室さんの隣に立つ男性は誰が似合うのか、そんな遊びでもしましょう?」
「ふむ、興味深くはあるが、それよりも間桐との関係を聞かせて欲しいものだな」
「そうね、じゃあ最初に氷室さんの隣に間桐くんを据えてみましょうか」
彼女の言を一切聞こえないふりをして、私は言葉を紡いでいく。
そんな気など、一切合切存在しないと証明するように。
結局、そんな意味のない時間を過ごした一時。
屋上で私と氷室さんの、つまらない喧騒が響く。
でも、多分それも私は楽しんでいるんだろ思う。
だって氷室さんは笑っているし、私の口も弧を描いている。
それはちょっぴり、素敵なことだって思うのだった。
――そんな事があったこの時より、間桐くんと話すことがあれば、氷室さんが意味深に笑う事となっていた。
正直に言うと面倒くさい。
なので、そのうち柳洞くん辺りと組み合わせて、存分にからかってやろうと決意する。
人を呪わば穴二つ、実に素晴らしい日本語であろう。
それをその内、氷室さんには存分に味わって頂こう。
そんなどうでも良い決意をした出来事であった。
露骨に飛ばされたワカメ兄さんとの会話。
という訳で、次回はワカメ兄さん回です。
やりましたね兄さん、出番が増えますよ!(桜並感)
というか今回、氷室さん回と言い張るにはパンチが足りなさ過ぎます……。
どうでも良い話ですが、この話で一番ノリノリで書けた箇所はアリスが氷室さんの頬っぺたをツンツンしているところでした。
なんか和んで、ヤバイずっと続けたいとか思っていたところです。