中? 下じゃなくてって?
……聞こえないですなあ(白目)。
私の腕の中に、早苗がいる。
急に現れて、目を丸くしていた私の腕の中に満面の笑みで飛び込んできたのだ。
何かが起こる予感はあったけれど、それがまさか早苗が引き起こすとはあまり想像していなかった。
けど、それは嬉しい予想外であるので、私としては大変嬉しいのだけれど。
わざわざ会いに来てくれたいじらしさとか、私の中で笑顔でいてくれる愛らしさとか、そういうものが心に響く。
きっと私が送った年賀状を意識してくれたのだと、少し考えれば直ぐに分かったのだから。
「フフ」
だから嬉しくて、つい彼女の頭を撫でてしまう。
キチンと手入れされた彼女の髪は艶良く流れる様で、手触りがとても良い。
何時までも触っていたくなる感触、ここに早苗がいると分かりやすく実感できる。
とまあ、そんな私と早苗の戯れに、
「あんた、それ誰?」
呆れた声が掛けられたのは、ある種の予定調和だったのかもしれない。
私の後方から掛けられたのは、よく通る透き通った張りのある声。
……その正体は、この神社の持ち主である凛の声である。
「友達」
「仲の宜しいこと」
問答無用で容赦なく、本気で呆れられている。
何を考えているのあんた、と言わんばかりに。
けど、こういうのが女子同士のスキンシップだと私は思うのだ。
凛は隙無く、そういうところは晒さないけれど。
「……あの、アリスさん。
こちらの方は?」
早苗を抱えながら凛と会話していると、どこか警戒気味の早苗の声が聞こえてきた。
腕の中を見れば、どこか不審そうに膨れている早苗。
表情には誰? という疑問と、仲良さげですね、という何だか不満そうな視線の組み合わせ。
私は膨らんでいた早苗のほっぺを指で一突きし萎ませてから、互いのことを端的に紹介する。
「遠坂凛、私の友達でホームステイ先の大家でもあるわね。
こっちは東風谷早苗、私が旅行先で仲良くなった子ね。
よく手紙のやり取りをしてるでしょう?」
「あー、文通の子ね」
早苗は貴女が、と小さく呟き凛をじっと見て、凛の方はへぇ、この娘が、と早苗ときっちり目を合わせて彼女を観察していた。
私越しに、二人は視線を交わし合う。
静かだけれど何故だか張り詰めた、緊張感すら感じられる空気。
何を互いに読み取ろうとしているのか、微妙に察することが難しい。
でも、あえて形容するならば、それは興味と牽制が入り混じったものだと言えるだろうか。
凛からすれば、早苗がどういう娘なのかを見極めようとしており、早苗からすると凛は知らない私の友達ということであり、それだけで警戒に値するのであろう。
なんて訳で、二人は視線を交わし合う。
ともすれば、それはお見合いの風景にも似ていたのかもしれない。
二人の真剣さがそれだけのものであり、私が介入しづらい空気も生成されていた。
だから訪れるは必然たる沈黙、誰もが黙して語らぬ場。
第三者が居れば、居た堪れなくなることは確実であろう。
そんな静寂が支配する私達であったが……。
「貴方、アリスのこと好き?」
「っ、はいっ! それはもう三度のご飯よりもです!!」
凛が急にそんな質問を投げかけ、早苗も臆することなく即答してしまっていた。
私としては大層照れくさいから、少々オブラートには包んでもらいたい。
そして凛も、そんなおかしな質問を唐突にするものではないと言ってやりたい。
ともすれば、返ってくる答えは刃物の刃の如き鋭さを持っているかもしれないのだから。
尤も、早苗に限っては私に辛口のコメントをする事が想像できないが。
自惚れではなく信頼でこう思える辺り、早苗は本当に良い子だと断言できるものがある。
「そして一日のお風呂よりも信仰が大事、ですものね」
でも、私としても今のはストレートすぎたから、半ば茶化す目的でそんな事を口にしてしまう。
後は、早苗からお風呂には入れないのはちょっと、と返事を貰うだけ。
それで何もかも無かったように終幕、とぼた餅を脳内絵図に描いていたのだけれど……。
「そうですね、勿論その通りです。
私は風祝、守矢の神々を奉るのがお役目です」
早苗は間髪入れずに答えて、私もそれに頷く。
凛のみはイマイチ理解できていない顔をしていたが、後で説明すれば良いだろう。
なので取りあえずは、この気恥ずかしい空気は取り払えたと私は考えて。
「でもですね」
だから、そう続けた早苗に、私の心の防壁は隙だらけだったと言っても差支えない。
「それと同じくらい、アリスさんの事を思ってしまっている私がいます」
私の腕から逃れて私と目を合わせた早苗に、かなり近い距離で私はそんなことを言われて。
「一緒に居た日数はそんなに多くないはずなのに、それでも私の中でこんなにも大きくなってしまったんです」
真っ直ぐぶれる事なく、彼女の言葉が一直線に私の心に直撃する。
まさに不意打ち、防ぐ手立てなんてどこにもない。
「アリスさん、貴女の事も同じくらい大切に思ってるんですよ?」
故に言葉は私の心に届いてしまい、咄嗟に何て返せば良いのか分からずに言葉に詰まる。
……そして、そんな私を見逃さないのが一人、横合いから私を追撃に入る。
「愛されてるわね、アリス♪」
機械的にそちらに振り向けば、面白いと顔にデカデカと書いてある邪悪な顔をしている凛の姿。
思わず学校中にこの顔を晒してやりたくなる衝動に駆られるほど、大変に不味い顔をしていた。
頬っぺたをぐにゅぐにゅと弄って、その顔ごと危ない思考を彼方へと飛ばしてやりたくなってしまう。
「……ありがとう、早苗」
結局、出てきたのはそんな言葉、気の利いた言い回しなんて、今は出来うるはずもない。
面映ゆいを通り越して、最早恥ずかしいにメーターは振り切れているから。
顔が赤い、自覚出来るくらいに赤いのだ。
きっと男の子に告白されても、こんな事にはならない。
私が無様を晒しているのは、早苗が純粋無垢にそんな事を大真面目に告げてきているから。
それだけで私はこんなにも動揺してしまう。
げに恐るべきは無心の心、それだけ色が混じらずに早苗は私を好きだと言ってくれている。
恐るべし東風谷早苗、と激賛しても良い。
凛もニタニタしているけど、その好意が凛にも向けられたら、ほぼ確実に少しは動揺することだろう。
なので凛には、笑うなら今の内に笑っておけば良いと然りげ無く思っておくことにする。
今からからかわれる分も合わせて、私はそう結論づけた。
「それから、覚えておきなさい、凛」
「あら、何のことかしら?」
ついでに小声で凛に捨て台詞を吐いておく。
余裕綽々なのは、きっと今の内だけだという事を知るが良い。
そんなせせこましい決意をしている私を他所に、凛は客足が少なすぎる境内を見渡して、何かを決めたように頷いた。
「じゃ、お客さんが来たことだし、今日はそろそろ終了で良いわ」
「アバウトね」
「違うわよ、余裕を持って優雅たれよ」
家訓をサラリと告げているが、絶対に違う。
義務的にやっているらしいこの神社だが、あまりの客足の少なさに辟易としているのだろう。
大体ここらの住人は、エセ神父のせいでキリスト教徒だから、とは凛の言。
それなのにわざわざこの神社を存続させる理由を問えば、伝統だから、とのこと。
割と義務的なところが大きいようだ。
「じゃ、ちゃっちゃと着替えていくことにしましょうか」
凛がそう言い放つと、さっさと神社の中に引っ込む。
私もそれに続き、トコトコと境内を駆けていく。
「早苗も寒いでしょうし、付いてきなさい」
「いえ、ここで待ってます。
私は守谷の風祝ですし、あまり他所様の所にお邪魔するのも憚られます」
「あの二柱なら気にしないと思うけれど?」
「これは節度の問題ですから」
「……そう、すぐに戻ってくるわ」
然りげ無く早苗も連れて行こうとしたが、やや固く断られてしまった。
彼女なりのルールがあるのだろうが、頑固で風邪を引かれても敵わない。
早く戻らなければ成らないだろう。
「で、どうやって篭絡したの?」
慌てて神社に駆け込んで、いざ着替えんとしている中での凛の言葉。
お馬鹿の一語で切り捨てたいが、確かにそう聞かれるだけに早苗に懐かれてしまっているのは自覚している。
故に、とても返答しづらい質問である。
「秘密を知っちゃっただけよ」
「危ない匂いがするわね」
「法に触れることなんて一切してないわ」
「余計に胡散臭く聞こえるわよ」
ご尤も、ただ早苗との間に共有されている秘密であるだけに、中々に語りづらい。
それに、もし凛に神様っているの? なんて言った場合には即座に教会で浄化の儀が執り行われるであろう。
腹立たしいが、何者にも代え難い真実であるのだ、それが。
それ程に信じがたい、それが早苗と私の間の秘密。
「ま、詳しくは本人にでも聞きなさい」
「あ、そ。
アリスがそういうのならそうするわ」
私からは説明不要なため、この様な中途半端な言になってしまった。
世の中、こうにも通じ合えないものかと溜息の一つでも吐きたくなってしまう。
「巫女服は鞄に詰めてね。
持って帰って洗濯するから」
「えぇ……変な所に持ち込んだら承知しないわ」
「する訳ないでしょ、この大馬鹿!」
「ならいいけれど、けちくさ大魔神」
何て軽口を叩きながら、私達は早々に境内へと舞い戻る。
早苗は律儀に、静かに待っていたようだ。
手に向けて、白い息を吐きかけていた。
「戻ったわ」
「はい、お待ちしておりました!」
褒めて? と言わんばかりに早苗に見上げられる。
なのでそれに応えて、私は彼女の頭をポンポンと軽くなでるのだった。
「まるで犬ね」
「忠犬よ」
「アリスさんの犬なら、私は喜んで叫びます。わんわん!」
凛のからかいを受け流すと、正しく犬の様に早苗はその言葉を拾う。
二柱との関わりを見て分かっていたが、流石の忠誠心といえよう。
「あらいけない、アリスが友達を犬呼ばわりしてるわ」
「貴女の猫の皮が剥がれて、中身のしっぽが見えてるわよ、狐さん」
「どうせ訳ありでしょう?
それに何時までも冬木にいる訳じゃないんだし、良いのよ別に」
学校で着込んでる猫が剥がれていると指摘すると、あっけらかんと凛はそう返してきた。
毛皮が剥がれても、その厚顔さは変わらないらしい。
柳洞くんも全力で目の敵にする遠坂凛の生態、ここに垣間見たりと言ったところだろうか。
「ロクなこと考えてないでしょ、あんた」
「ロクデナシが何か言ってるわ」
ジト目で睨まれたので、私も同じような視線を返す。
互いに互いの評価は似たり寄ったり、話を続けるなら平行線を辿るであろう。
何て不毛な罵倒の嵐、なんてことにも成りかねない。
そしてそれは凛も承知していたのか、私達は互いにはぁ、と息を吐いて睨み合いを停止する。
全く、目ざといにも程がある。
油断も隙も在りはしない、下手をすれば直ぐにでも怪しい言質を取らされかねない程に。
「……仲、良いんですね」
そんな私達を見て、早苗はそんな事を漏らす。
その目はちょっと私が言うのも憚られるが、嫉妬が混じっている様にも見える。
「遠慮がないだけで、仲が良いとは限らないわよ」
「遠慮が無いということは、それだけ近い位置にいるという証左です」
凛の誤魔化すような言葉に、早苗は直ぐに切り返してみせる。
何か思うところがあったのか、それともただ単に何故だか癪に障っただけか。
どこか拗ねた様に言う早苗に、私と凛は顔を見合わせざるを得なかった。
私は困惑し、凛は肩を竦める。
そして早苗は私達の間でジトっとした目を、何故だか私に向ける。
中々に不可解で、また対処に負えざる状況。
さて、どうしたものかと、遠坂邸までの道中で私は必死に試行錯誤する事となる。
恐るべし神愛の子、守谷の風祝。
「それで、どうするのよ、これ」
帰り道の道中、すっかり拗ねてしまった早苗を他所に私と凛は話し合いを続けている。
話題はもっぱら拗ねてる子の話。
凛が早苗に話しかけても、アリスさんとお話をすれば良いじゃないですか、とそっぽを向かれる状況。
最初は面白がっていた凛も、火が自分にまで飛び火するとなれば話は別らしかった。
面倒くさいからさっさと解決しろとのこと。
そんな事、わざわざ言われるまでもなく承知している。
この状況が続くのは、私としても非常に心苦しくはあるから。
「何とかしようとは思うわよ」
「そう、ならその口先で篭絡して見せなさい」
「怪しい単語を使わないで。
ただ説得するだけよ」
「こんなに拗ねさせるまで好意を抱かせといて、よく言うわ」
「早苗が純粋なだけよ」
「ならアリスは純粋さを逆手に取った悪い女ね」
「女子が女子を引っ掛けたところで、一体何の得があるのかしら……」
あまりに不毛な言葉遊び、何時もの私と凛の会話。
ただ、内容が内容だけに、私としても譲歩しづらい所がある。
それをわかった上で、凛は私で遊んでるのだから本当にタチが悪い。
生まれ持っての性悪だったのかもしれないと思うほどにだ。
「……また、二人っきりで楽しく会話しています」
そしてそれを面白くないと思う娘が、ここにも一人存在する。
目を向ければ不機嫌さを隠さない早苗の姿。
構って欲しいというのと、構わないで欲しいという感情の間で揺れ動いてるようにも見える。
そういうことをするから、頭を撫でたくなるのだということに、早苗は何時気づくのだろうか。
私の手は、自然と早苗の方に伸びていく。
凛が小さく、懐柔が始まるわ、何て言ってるのを聞き流して。
そして……、
「アリスさん何て……知りません」
伸ばした手を、フイッと避けられてしまう。
早苗としても、私が頭を撫でたら機嫌が治る、という事に反抗したかったのか。
都合が良すぎる女じゃないと示したかったのかもしれない。
「嫌なの?」
「好きですけど我慢してるだけです、フンッです」
ご立腹、私がなにか言っても、馬耳東風と聞き流されそうだ。
けど、それでも私にチラリと目を向けてくることから、ちゃんと気にしてくれているというのは理解した。
面倒くさいことこの上ないが、可愛いとも思ってしまう。
それがこの娘の魅力なのかも、と感じるのは日頃の人徳か。
「嫌われちゃったわね」
「楽しそうに言う事でもないわよ」
相変わらず火種を巻いて、燃料を投下する凛。
こんな空気でも、何だかんだで楽しめている辺り厚顔というか、豪胆というか、少々迷ってしまう。
ただ、肝が座っていて神経がワイヤーロープだという事だけは確かといえよう。
「で、次はどうするの?」
「……時間が解決してくれる事を祈りましょう」
そう告げた瞬間、凛の顔に使えないと書かれた様な気がするのは気のせいではないだろう。
だが、そうも言うならば、自分でやってみれば良い。
目で告げると、凛はあからさまに目を逸らした。
然りげ無く、頑張りなさいと告げてきたので、あくまで最初から最後まで早苗の対応は私に投げるのであろう。
それはそれで一興である、早苗は私の友達であるのだから、そこはある意味決まった流れだったのかもしれない。
「さて、ね」
早苗が何を望み、感じるであろうか。
神ならぬ身で全てを解することはできないが、それでも早苗のことだ。
少しばかりは理解できるというもの。
「早苗、後ででいいわ、あなたの頭を撫でさせて」
そう言うと、早苗はじー、と私を見つめてきた。
それはさっき聞きましたと言わんばかりに。
だから私も、こう続ける。
全てが全て分かってるわけじゃないけど、今はこの言葉が必要だと思ったから。
「私が早苗の頭を撫でたいだけ。
勿論、あなたの機嫌は気になるわ。
だってこれはお願いなんですもの、仲直りしたいに決まってるでしょう?」
露骨に過ぎた言葉だと思うけど、ここまではっきり伝えないとダメだと感じたのだ。
兎に角本音で、だけれども早苗を擽るような言葉。
私も、面白がっている凛ですら、何だかんだで早苗に機嫌を直して欲しいと思っている。
このままじゃ、話だってままならない。
なので私は微笑んで、早苗の顔をジッと眺める。
応えてくれるわよね、という期待と共に。
「……アリスさんのそういうところ、凄くずるいですよね」
「私を狡くさせているのは、早苗のせいでもあるのよ」
私が詭弁じみたことを言うと、早苗はプイッと顔を背ける。
ずるいです、と再び小さく呟いたのを、私はキチンと聞いていた。
だから、私は早苗の頭に手を伸ばして。
……早苗も、今度は私の手を避けなかった。
「そんなの、アリスさんの言い分です」
「そうね、それが分かる早苗は賢いわね」
早苗の頭を、そっと撫でる。
髪は艶やか、意味もなく手櫛をして全体を触ってみたくなる程の透き通る感覚。
厳しめだった早苗の顔が、段々と緩くなってきている。
「見事なまでに篭絡ね」
「うるさいわよ、そこ」
一名外野が茶々を入れてくるため、私の顔が厳しいものになったけれど、それはご愛嬌といったところか。
空いてる方の手で軽く凛を小突いてから、やや名残惜しくも早苗の髪から手を引く。
思わずといった感じで私を見た早苗は、私と似たような所感だったらしい。
目が、僅かに潤んでいたのが印象的だった。
「さ、そろそろ着くころね。
ほら、早苗、あれよ」
私が指さす方向にあるは、冬木市一の幽霊屋敷。
とっても怖い、童話の魔女が住まう家。
周りの木々のザワめきすら、クスクスなんて笑い声に聞こえてきてしまう場所。
早苗が感心したように、わぁ、と小さく声を漏らす。
それ程にここは、見事な雰囲気が出ていた。
一歩一歩、近づいていく事にその感は強くなっていく。
そして、いざその家を前にした時、扉の前に踏み出した人物がいた。
風に靡く黒色のツインテール……凛の髪。
扉の前に出た凛は私達に振り返って、微笑んでみせた。
正確には、私達、ではなくて早苗に。
「ようこそ、東風谷早苗さん。
我が遠坂の家へ、よくお出で下さいました。
歓迎いたしますわ」
言葉遣いが丁寧で、野蛮な凛をして品に溢れている様に見える。
思わず目を丸くしていると、凛からチラッと視線を向けられた。
そこ、あまり巫山戯た目をしてんじゃない、と。
ただ、それも一瞬のこと、次の瞬間には何事もなかったかの様に早苗に微笑んでいた。
「……急に猫の毛皮なんて取り出して、寒かったのかしらね?」
「そこ、煩いわよ。
世の中には様式美とかいうのがあるの、黙ってなさい」
笑顔だけれど何時もの口汚さを発揮しつつ、凛は私を罵る。
でも、確かに成程と思った。
遠坂家の当主として、守るべき礼節とやらがあるのだろう。
私の時にはそんなもの無かったけれど、今回は早苗がお客さんだからということで納得しておくことにする。
「……フフ、お邪魔しますね、遠坂さん」
「えぇ、どうぞ」
私達を見ていて早苗と凛は、思わずといった感じに互いに笑いあっていた。
さっきまでは私と凛が話していると拗ねてしまったのに、どういう心境の変化か。
面白い化学反応、もう少し見ていたいと思った。
が、ここは玄関である。
ようこそ、何て言っている凛が、冬のこんな所で立ち往生させる訳がなかったのだ。
「さ、中に入って。
お茶を出すから」
「はい、では改めてお邪魔します」
二人仲良く告げて中へと入っていく。
私もそれに置いていかれないように付いていく。
頭の中は、さてどうなっているという疑問符で溢れていた。
そして現在、私は部屋にコートを掛けて居間へと戻ってきたところ。
そこで、二人の会話が聞こえてきたのだ。
仲良さげに聞こえてくる会話、楽しげなトーンなお陰で、それはよく理解できた。
ある意味とっても興味深い会話。
なのでそっと、宜しくないと分かっていたが二人の会話に隠れて耳を澄ませてしまっていた。
何かの、切っ掛けになるかと思ったから。
二人が仲良くなった切っ掛けが分かるんじゃないかと、そう思って。
「さっきは、初めて私の名前を呼んだわね」
「そうでしたか?
ならすみません。
改めて遠坂さん、よろしくお願いします」
「別に……凛でいいわよ。
アリスだってそう呼んでるんだから」
「なら凛さん、と。
何か、アリスさんのお陰でお得な感じです」
「何だかんだでアリスは切っ掛けになる事が多いし、間違ってないわね。
あ、私も早苗って呼ぶから」
思ったよりもスムーズに、想像よりも容易く、二人は距離を詰めていく。
はてな? と思っても、それは事実であるようで。
仲良さげに、会話さえしてみせているのだ。
距離はそう簡単に詰めれるものなのか、と感心するより先に呆気に取られてしまう。
「ところでさ、アリスが口が悪いのって知ってる?」
「そうなのですか?
アリスさん、私にそういうところ全然見せてくれなくて……」
「きっとあなたの前じゃ、いい格好をしておきたいのね。
いつも自信満々に見える癖に、こういうところは姑息なんだから」
「別に姑息って、そういう訳じゃないと思うんですけど」
「アリス贔屓ね、私の知り合いにも一人そういう娘がいるわ」
「私と似たような方なのですか?」
「いえ、どっちかというと内向的な娘。
でも、とてもアリスと仲が良くて、慕っているという点ではあなたと一緒よ、早苗。
まぁ、彼氏がいる分だけ、貴方ほどベッタリしている訳じゃないけど」
「成程、アリスさんらしいです」
「そうね、純朴な子に漬け込んでる辺りなんて特にね」
……人がいないところで色々と言ってくれている。
早苗は問題ではない、凛の暴虐さが問題なのだ。
よくもそこまで人の悪口を会話の中に混ぜ込めると、逆に感心さえできてしまう。
悪い意味で、というのが大きなウェイトを占めるけれど。
「ところで、凛さんはアリスさんと、えっと、その……」
「仲が悪いかって話?」
「言いにくい事をサラッと言いましたね」
「問題ないからよ、そんな事は」
「つまりは?」
「それなりってこと。
別に取り立てて仲が悪いって事はないわ」
「そうですよね、仲良さげでしたもん」
「……早苗、話聞こえてる?」
「え、はい、アリスさんと凛さんは仲がいいって話ですよね?」
「どこでどうなって仲が良くなったのよ!」
「明け透けな関係とか、そういうところがでしょうか?
私にはとても及びません。
私とアリスさんは、親友、みたいな間柄じゃないですから」
「な、何言ってるのよ!
私とアリスはそこまで仲いいなんて言ってないでしょ!
勘違いしないでって話よ!」
「慌ててると、逆に誤魔化してるように聞こえますよ?」
「うわぁ、何なのこの感覚。
すごくムズムズするし、何か納得いかないわ」
じっと静かに聞いていると、聞こえてくるのはすっかり打ち解けた二人の会話。
凛は基本的にからかう方なので、からかわれるとは早苗の方が強いのか。
相性的な問題もあるのだろうが、何ともはやである。
ただ、二人とも何だか楽しそうな声音で。
そうかそうか、そんなに私の悪口は楽しいかと思わずにっこりしてしまう。
「で、そろそろ出てきたらどう?」
が、そんな時に、鋭い凛の声が投げかけられる。
早苗の困惑した声が中から聞こえてくるが、どうやら凛には見抜かれていたようだ。
腐ってもここは遠坂の家、それ故に大概のことは察知できてしまうのだろう。
はぁ、と溜息一つ吐き、私は扉を開ける。
ソファーに座っていた凛と早苗が、同時に私を見た。
凛はニンマリ笑っていて、早苗は驚いた顔をしている。
どうにも凛に乗せられてしまったようで面白くないが、仕方ないという時もあるだろう。
「バレてたのね」
「誰の家で、私が誰かという事を覚えておくべきね」
流石は魔術師殿、とでも言うべきか。
まぁ、私も同じ役職ではあるのだけれど。
「で、盗み聞きなんて、大層な趣味をしてるわね、アリス」
「聞いているのが分かっているのにかこつけて、罵詈雑言を並べた輩の言うこととは思えないわね」
そう、凛がこれでもかと悪口を並べていたのは、私が聞いているのを知っていたから。
でなければ、居ないところでアソコまでの悪口を並べるなど凛らしくない。
彼女は正面から笑みを浮かべて獲物をいたぶるタイプなのだ。
「弁明はしないのね」
「しても意味がないもの。
凛、あなたは自分が良い性格をしていると思う?」
「学校では優等生よ」
「家では性悪丸出しじゃない」
牽制と共に、ジャブの入れあいの如き攻防が起こる。
もうすっかり馴染んでしまった性分なので、今更どうにかできるものでもない。
「これだけ悪口を言い合ってるのに仲が良いの、やっぱり不思議です」
「これも一種の慣れよ。
それに、これが凛じゃなかったら私だってもっと険悪になるわ」
「……やっぱり、仲が良いですね」
シミジミと呟く早苗に、まぁね、と返す。
仲が良いか悪いかで言えば、断然に良いと返せるから。
「よく堂々と言えるわね」
「自分が言う分には大丈夫なのよ」
へぇ、と呟く凛を横目に、私もソファーにお邪魔する。
凛の横か早苗の横か、一瞬迷ったが早苗の方のソファーに座る。
「ま、良いわ。
それよりも、まずは一杯のお茶はいかが?」
「……頂くわ」
寒い場所から戻ってきたところ、その気遣いは有り難みを感じる。
なので紅茶の注がれたカップを受け取り、私もようやく一息つけた。
横から覗かれる早苗の視線を気にしつつ、ほんの少しばかりの息を吐く。
それは暖かくて、どこか紅茶の香りがした。
そうして、私達は軽く浅く、色んな会話をした。
例えば早苗が神社の風祝と呼ばれる役職にいることだとか、学校の凛は何重にも猫を被ったエセ優等生だとか、私の人形の服は全て私が自作している事だとか。
ちょっと踏み入ったとこだと、早苗が私と凛の関係に嫉妬してただとかそういう話。
割とダラダラしていたが、正月はこういうものらしいし、問題はないということだそうだ。
実際、私がルーマニアにいた頃も、たまに人形劇を路上でしに出かける以外は似たりよったりだった。
そんなどこか緩い空間の中で、凛がふと思い出したように呟いたのだ。
「そういえば早苗、貴方どこに泊まる気?」
……瞬間、空気が凍った。
今までの能天気な雰囲気はどこかへと出張し、代わりに外の空気がどこからともなくこんにちは。
今すぐにお帰り願いたい寒さを感じる。
「凛さん、泊めてもらえませんか?」
「ダメよ」
どこか懇願にも似た早苗のお願い、それを一瞬で一蹴する凛。
割と鬼だと思うが、この屋敷は魔術工房でもあるのだ。
迂闊に一般人を留めたいと思う場所でないのは承知出来る。
だからと言っても、早苗をこのまま放り出すのはあんまりだと思うのだけれど。
「じゃあ私はどうすればいいのでしょうか……」
困った様に呟いている早苗に、私としても返す言葉に詰まってしまう。
これといってアテがあるわけでもなくて、けれど素直にここに泊まれば? なんて言い難い。
さてはて困ったどうしよう、と頭を悩ませようと思った時、凛が言った。
「ちょっと問題があってこの家に泊まられるのは困るけど、別にアテなく放り出そうとしてる訳じゃないのよ?」
「……どこかあるの?」
聞き返せば、どこかいたずらっぽそうに凛は頷く。
さて、凛がこういう顔をしている時には、誰かが割を食う。
それが誰になるのかはわからないが、全く何も考えていないという訳でないという点は評価できるであろう。
「どこ?」
「衛宮君のとこ」
サラリと、凛は何の気負いもなく答えた。
対して私は、思わずその返事に絶句してしまう。
え、何を言ってるの的な問題で。
「大丈夫よ、あそこには桜だっているんだし。
それにあの弱み、ちゃんと握ってるもの」
「……イイ性格ね、本当に」
「魔術師ですもの、その程度はね」
小さく囁いた凛に、私は肩を竦める。
何とも恐るべし遠坂凛、柳洞くんですら慄くタチなだけはある。
「……衛宮くんならゴリ押しで行けそうね」
「頼み事をされたら断れないタチだもの。
心配だけれど、今回だけはその性質に感謝ってね」
決めたら即決、凛は立ち上がって早苗に告げた。
「早苗、出かける準備をして。
良い民宿があるの、紹介してあげるわ」
その顔、とっても笑顔につき。
早苗の、楽しみです! という言葉に私はちょっぴり苦笑したのだった。
さーて、次は何時に投稿しましょうか。
今回は本当にギリギリでしたし、次は20日程度ですかねー。
……早苗さんが出てくると、本当に話が長くなって困るのです。