冬木の街の人形師   作:ペンギン3

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第32話 柳洞寺でもう一度

 時を隔てて幾数月、変化は常に訪れるが、変わらないものはトコトン変化は無い。

 そもそも、数ヶ月で変わり得る事なんて、劇的なことがなければ殆ど無いのであるが。

 月下の下で、聳え立つ寺へと続く石段を見て、つくづく私はそう感じる。

 

 あの日の夜との違いは、虫のさざめきがより聞こえること。

 甲高いその声が耳によく響いて、私の中で反響する。

 意味もなくノスタルジーを掻き立てられる彼らの声は、一体何を囁いてるのか。

 見上げた月は雲に隠れる事もなく、笑って私を見下ろしていた。

 答えは、自分で考えなさいとでも言う様に。

 

「元より、答えなんて求めてないわ」

 

 一人、涼やかでヒンヤリとした階段に足を踏み出しながら、独りごちる。

 一歩登る度にカツンと靴裏に合わせて鳴る音は、私の無関心さの証明。

 この場に用はないと言うように、唯々上り詰めていく。

 そんな私に物申す人も生き物も物も、今はここにいない。

 なので私は先へ、目的を果たす為に寺へと続く石段を登り続ける。

 夜のこの場所は、まるで切り取られて輪っかにされた絵の様に似た風景を連続させられた。

 

 けれども、途切れる事のない歩みも、行き先があるならば有限で。

 無限に続くかの様に思える道のりも、目的地は薄らと暗闇の中に姿を現す。

 登っている最中に木々がそよ風で揺れているのが、まるで私を応援している様に感じるのは流石に都合が良すぎるかと、先程の私の気持ちを振り返りながら少し笑って歩いて。

 

 そうして、気付けばもう門はそこにあった。

 目的はある、迷いはない、つまりは進むしかない状況。

 なので、残り一段になっても、私は何の感慨もなく踏み出す。

 そうして全ての石段を登りきったところで、私は振り返った。

 目に映るのは、揺れる木々と、街灯によって穿たれた穴空きだらけの街並みに、欠けたお月様。

 

「ついたわ」

 

 登りきったのだと、誰かに報告する様に呟く。

 それは恐らく、揺らめいていた木と、照らしてくれていた三日月に対して。

 自分でも良く分かっていない独り言だけれど、彼らに対して感謝の念は確かにあったから。

 ポツリと、溢れる様に私は言って、そうしてから再び前へと進みだす。

 帰り道も、またよろしく、なんて思いながら。

 

 

 

 

 

 そうして着いた柳洞寺。

 出迎える人は誰も居らず、せせらぎみたいな自然さだけがそこにはあった。

 人工の建物なのに自然と調和できている、ちょっと不思議な場所。

 少し前に、柳洞くんがそれを、和の心と評していたのを思い出す。

 だとしたら、宗教的には渡来したものだけれど、すっかり日本のモノになったのだと、深い感心を覚えずにはいられない。

 もしかしたら、夜のこの時だからこそ感じる感覚なのかもしれないと考えると、昼間も見学に来てみようかなんて思ってしまう。

 夜の暗闇の故の連結か、それともそれさえもこの建物を造る時に計算されていたのか。

 興味は尽きなく、調べてみたいとも思う……が、残念ながら今日はそれが理由で訪れた訳ではない。

 

 だから、私は本堂から踵を返し、そのまま別の場所へと向かう。

 目指す場所は柳洞寺の裏参道、及び地下へと続く道。

 裏参道は墓へと続き、地下は例のアレが存在する。

 私はその場所に用が有り、しなくちゃいけない事が少しあるのだ。

 けど、その前に……。

 

「誰?」

 

 端的に、かつ明瞭な問いを投げる。

 今、微かにだけれども人の気配を感じたから。

 自然物だけだった世界に、僅かながら人の足音がしたのだ。

 普段だったら気づかないけど、今はほんの少しの些細なことでも、目立ってしまう場所だから。

 間違ってないと確信しての問いかけで、そしてそれはやはり正解であった様だ。

 

「アハハ、見つかっちゃった」

 

「……こんばんは、三枝さん」

 

「うん、こんばんは、マーガトロイドさん」

 

 声がして、建物の影から姿を現したのは、最近霊能少女だと分かった彼女。

 三枝由紀香、何時も楓達と一緒にいて、私とも会話をする事があるおっとり気味の少女。

 そういえば、彼女は前にもこの場所に来たことがあったなという事を思い出した。

 

「今日はまた罰ゲーム?

 それともこんな季節に肝試し?」

 

「ううん、今回は両方違うかな」

 

 少しバツの悪そうな顔を浮かべながら、彼女はゆっくりと私の前まで歩いてきた。

 見つかっちゃったと言っていたから、私を見て隠れていたのだろう。

 それが反射的なものか、意図的なものかはさて置くとして。

 

「ふぅん、深夜の散歩が趣味なの?」

 

「散歩は趣味じゃないけど、ここ最近はここを覗きに来てる時はあるかな」

 

「どうして?」

 

 訊ねると、三枝さんはそれはね、マーガトロイドさん! と声を弾ませながら楽しそうに答える。

 おとなしめ、ところにより元気な彼女の言葉。

 それにそっと耳を傾けていると、入ってくるのは学校でやった肝試しの時の事。

 

「私、マーガトロイドさんに、もしあの時にお寺で見た人と会ったら、お話してみたいって言ったよね?

 初めて見た時はビックリして逃げちゃったから今度こそはって、そう思ったんだ」

 

 中々見つからないけどね、と困った様に笑う三枝さん。

 その顔に、チクリと針で刺されたみたいな、罪悪感が湧き出る。

 だって、それは。

 

「ここ数日?」

 

「うん、そうだよ」

 

「あの日、怪談をした日から?」

 

「そうだよ、けど、流石に毎日じゃないから」

 

 弟達の世話もあるし、とエヘヘと笑いながら言う。

 その笑顔は屈託なくて、けれど私にはキツいもの。

 だって、やっぱり予測通りに彼女は、あれからあの時の私から逃げた事を気にしてしまっていた様だから。

 

「マーガトロイドさん、どうしたの?」

 

 三枝さんが、様子を窺うように私の顔を覗き込む。

 多分それは、私の表情が曇ってしまったから。

 最初にバツの悪い表情を浮かべていたのは三枝さんでも、今度は私にそれが移ってしまっただろうからだ。

 

「ちょっとね、思う所があったの」

 

「聞かせてもらっても、良いかな?」

 

「興味本位?」

 

「それもちょっとあるけど、でもそんな顔をされたら誰だって気になっちゃうよ」

 

「……そう」

 

 そうである、彼女はあの陸上部の良心、優しく可憐な三枝由紀香だ。

 私が困ったり、気まずそうな顔を浮かべていたら、心配しない訳がない。

 私は自分の後ろめたさで、思わず配慮に欠ける表情を浮かべてしまったのだ。

 ならば、とどうするべきか頭を廻らせる。

 ここで私が、後ろめたさを吹き飛ばして、三枝さんに対して取れる行動は……。

 

「そうね、貴女には聞く権利があるわ。

 そして私にも、話す義務があるのね。

 貴女と私の間にある齟齬の事を」

 

 三枝さんが、夜のこの場所に、居もしない影を探し求めていたと知ってしまったから。

 彼女の行動と心の内を聞いた私は、行動しなくてはならない。

 素知らぬ顔で、さあ誰でしょうとは言える根性は、私には無いのだから。

 

「マーガトロイドさん、良いの?」

 

「私が話したいの、でないとスッキリしないわ」

 

 心配そうに覗き込む三枝さんに、私は澄まし顔でそう答える。

 自分で撒いた種で、三枝さんを惑わしていたのだ。

 だったら私は、まずはその責任を取らなくてはならないと考えるのは当然の事。

 むしろ偉そうにできる立場ではない。

 なので、私を気遣って、話しにくい事なら……という彼女を制して、私は話し始める。

 彼女の見た影と、あの時の事について。

 

「あの日貴女が見たモノ、私に似てるって言ってたわよね」

 

「え、うん、マーガトロイドさんと、雰囲気が似てるって思ったの」

 

 金髪だったし、という呟きが聞こえて来て、苦笑を浮かべてしまう。

 その場に居たのが氷室さんだったら遠目でも看破し、楓だったら怯えつつも突っ込んできただろうから。

 たまたま、そこに居てたのが三枝さんだったから生じた事態。

 そう考えると、少し間が悪かったのかもしれないわ、なんて思ってしまった。

 

「そう、ならその感性は正しかったと言えるわね。

 あの時に丑の刻参りをしていたの、あれは私よ」

 

 半ば開き直って告げた、私の馬鹿丸出しの話。

 それを聞いた三枝さんは、あぁ、と納得した様な声を上げただけで、特に驚愕しても無い。

 ただ、そうだったんだと自然に受け止めているだけ。

 

「驚かないのね」

 

「だって、マーガトロイドさんだって言われて、納得出来ちゃったから」

 

 雰囲気が似てたのも納得だね、と笑っている彼女。

 特に文句を言う事も無く、怒りもしない。

 何時もの、柔らかくて包容力のある三枝さんのまま。

 

「楓なら驚かせやがって! って怒ってるところね」

 

「蒔ちゃん、怖がりだからね」

 

「氷室さんなら、皮肉の一つでも飛んできそうよ」

 

「鐘ちゃんは優しいから、その後でフォローしてくれるよ」

 

 例えとして持ち出した友人達の事も、うん、そうだねとそのまま受け入れる。

 でも、私が聞きたいのはそういう答えでは無くて。

 もっと単純な、そして気になってる事。

 だから気になって、そわそわしてしまう私に、三枝さんは一言こう言った。

 

「怒って無いよ、マーガトロイドさん」

 

 私の気になっていた事は、正しく三枝さんに伝わっていたらしい。

 柔らかい、まるで姉であるかの様な笑顔を浮かべて。

 もう一度、うん、怒って無いよと言ってくれのだ。

 

「……ごめんなさい、無駄足を踏ませたわね」

 

 なので私が出来る事は、素直に謝ってしまう事だけだった。

 出なければ、私は三枝さんの顔を真っ直ぐに見る事が出来そうになかったから。

 三枝さんの慈悲に満ちた態度は、私の疾しさを、見事に射抜いてしまっていた。

 

「マーガトロイドさんは素直だね。

 うちの弟達なんか、反抗期丸出しなんだよ」

 

 いっつも大変なんだ、そう語る三枝さんは、本当に優しい顔をしていた。

 そっと触れる様な、ゆっくり頭を撫でられてるかの様な、総じて言えば甘やかされている様な感覚。

 嫌いじゃないが、どちらかと言えば甘やかしたい私としては、何とも言えないむず痒さを覚えずにはいられない。

 

「私は三枝さんの妹?」

 

 思わず耐えきれずに聞けば、三枝さんは面食らった顔で、え? と声を上げたが、次の瞬間にはほにゃりと楽しげな笑みを浮かべて。

 だったら凄く楽しいね、と嬉しそうに言ってくれる。

 それを聞いて、彼女に何故楓達が勝てないのか、物の見事に理解してしまって。

 少し負けた気分が胸の中に広がるが、それは決して悪くない気分で。

 私も彼女に、勝てそうにないな、と思わせられてしまう。

 なので、つい口から余計な言葉が漏れてしまうのだ……こんな風に。

 

「おねぇーちゃん」

 

 正直、少し笑ってしまっていた。

 だって、三枝さんはこんなにも優しくて暖かいから。

 すると彼女も、フフっと笑い声を漏らして、私の方を向いたのだ。

 

「マーガトロイドさんって、結構お茶目だよね」

 

「もしかしたら、調子に乗りやすいだけなのかもしれないわ」

 

「調子に乗ってるマーガトロイドさんって、あんまり想像できないかなぁ」

 

 そ、ありがとうと口早に答えて、私はそっと三枝さんから視線を外す。

 照れくさいからというよりかは、そんな事ないわという気まずさから。

 そんな私に、三枝さんは楽しげに声を掛けてきてくれる。

 ちょっと懐かしむような、優しい感じで。

 

「こうしてマーガトロイドさんと二人きりで話すのって、ちょっと珍しいね」

 

「そうね、二人で話すには、周りが騒がしすぎたもの」

 

 楓に氷室さん、あの二人と三枝さんは何時も合わせてセットで行動している。

 そんなイメージすら浮かぶ程に、彼女達は一緒にいて。

 だからこうした機会は本当に貴重で、思わず目的を横に置いて、一時ここに足を縫い付けられてしまったのだ。

 

「実はね」

 

「ん?」

 

「最初、マーガトロイドさんを見た時、驚いちゃうほど綺麗で、ちょっと怖い人かもって思っちゃってたの」

 

 それにこんな事まで三枝さんは語っているのだから、余計にここに留まってしまう。

 逃れられないように、ギュッと。 

 それは、私自身が三枝さんの話を聞きたいから。

 だからこうして足を止めていて、彼女の言葉に耳を傾けているのだ。

 

「間桐君を引っぱたいたとか、とっても冷たい目を向けられるとか、最初はそんな噂ばっかり流れてた。

 今なら、マーガトロイドさんがそんな事をする訳無いのにって分かるのに」

 

 間桐くん、引っぱたく、廊下で…………覚えが無きにしもあらずであるが、話の腰を折る訳にもいかず、そのまま三枝さんの言葉を聴き続ける。

 彼女は淀みなく、つまりは溢れて来る自身の言葉の泉の導くがままに語り続けていた。

 

「けど、マキちゃんや鐘ちゃん達を通じて、段々とマーガトロイドさんの事が分かってくると、怖い人じゃなくて親しみやすい人だって分かったんだ。

 もっと知りたくなって話しかけて、すると楽しい人だってわかって、段々と勝手に親近感を覚えていったの。

 だから最初は怖くて敬語で話していたけれど、思い切ってタメ口にしてみたんだよ?」

 

 マーガトロイドさん、全く気にもしなかったけど、と小さく呟く三枝さん。

 拗ねている……というよりは落ち込んでいる空気を感じる。

 私なんて、というネガティブなもの。

 苦笑を浮かべているところから単なる自虐であるのであろうが、些か以上に気になってしまう仕草であった。

 ……なら、と私は三枝さんの頬っぺたに、軽く手を当てた。

 え、と顔を上げた三枝さんに、私は穏やかに、凪いだ風の様に言葉を伝える。

 普段の三枝さんの顔が見たくて、暗い表情が似合わないと思ったから。

 

「ごめんなさい、それと……ありがとう」

 

 本当に気がついた時に、三枝さんは私に敬語ではなくて友達のような、気軽な喋り方をしてくれる様になっていた。

 何時の間にか、本当に自然に、三枝さんと私は友達になっていたのだ。

 切っ掛けとか、劇的な何かとか、そう言った特別なものは私達の間には何もなかった。

 けれども、本来は友達ってそうやって作っていくものだと、私はそう思っている。

 

 三枝さんは、良い意味で空気なのだ。

 その場に居てくれたら自然に馴染んでいて、急に居なくなられたら息をする度に感じていた甘味を見失ってしまう。

 それが私にとっての、三枝由紀香という女の子。

 天然で霊視してしまうけどどこまでも普通で、甘えたくなってしまう友達。

 

「私は三枝さんがそうして歩み寄ってくれて、本当に感謝してるわ。

 私はそういう事、自分からは切り出せないタチだもの。

 三枝さんが近付いてくれなかったと仮定したら、私は飄々としながら距離を測りかねていたわ。

 もしそうだとしたら、今の関係は大きく違ったでしょう?」

 

 確かめる様に、けれども半ば決め付けて私は言う。

 さっき言ったように、三枝さんはそっと寄り添ってくれるタイプだけれど、私は気付かなければ省みない性分で。

 きっと気付けずに、そのまま歩いて過ぎ去ってしまっただろうから。

 だから、と私は繋げる。

 

「私は、三枝さんが友達になってくれて、良かったと感じているの。

 それは変えようのない真実で、貴方も一緒だと思っているのだけれど?」

 

 三枝さんの顔を覗き込みながら、私は淀みなく言う。

 あなたはどう? とゆっくりと探りながら。

 暗い夜の場所でも表情が分かる程に近い、三枝さんとの距離。

 息を飲んでいる三枝さんの頬は、色は分からずともその体温は伝わってきて。

 ――彼女の吐息は、思っていたよりも熱かった。

 

 

「……マーガトロイドさん、近いよ」

 

 小さく、尻すぼみな声。

 恐がっている様な、怯んでいる様な、いや、どちらかというと困っている声音。

 交じり合う視線、返されるそれは困惑。

 嫌がっている訳じゃないけど、近すぎる距離にどうすれば良いのか判断しかねている様な、そんな感じ。

 

「ん、そうね」

 

 思っていたよりも真剣に成り過ぎていたようだった。

 何が、と問われれば、三枝さんの表情を明るくしたかったと答えよう。

 唯、それが上手くいったかは別の話であるようだが。

 

「ごめんなさい」

 

「ううん、大丈夫。

 それに、マーガトロイドさんにさっきみたいに言ってもらえて、正直に言うと嬉しかったかな」

 

 私が距離を取ってから、三枝さんはようやくそう言ってくれて。

 さっきまでの暗い表情ではなくて、明るい表情を見せてくれた。

 お日様というよりかは、陽だまりの様な優しい笑顔を。

 

「こうして言葉を交わさないと、中々に分からないものね」

 

「そうだね、だから話し合うって事って、きっとすごく大切。

 私とマーガトロイドさんが、そうだったから」

 

「友達同士で分かり合えることはあっても、分からない事の方が遥かに多いもの。

 だからこそ、相手の事が知りたいと思うのだけれど」

 

 そうして、友達は形作られていくのだ。

 三枝さんと私がこうして親しくなれたのも、三枝さんがこちらに飛び込んできてくれたから。

 お陰で三枝さんの事が少しだけ分かって、もっと知りたいと思うようになって。

 後はそれを繰り返す度に親しくなっていく。

 好循環のスパイラル、親しくなる為の方程式。

 それが上手く嵌ったのが私達。

 

 軌跡と呼べるものは見えないけれど、見えない気持ちが縁を繋げて。

 今日もこうして、この場所で出会うことができた。

 不思議といえば不思議だけれど、今この時に三枝さんは私と友達なのねと強く感じているのは確かで。

 今までの私の友達とは在り方が違うのに、妙にしっくりと感じてしまう。

 

「おかしなものね。

 私、楓と三枝さんを同じ友達のカテゴリーに含んでいるのに、扱いは全く違うの。

 友達にも種類があるのかしら?」

 

「うーん、多分だけれど、友達というより人付き合いの関係だと思うな。

 この人はこんな感じだからこう付き合いたいって……考えると難しいね」

 

 上手に言えないなぁ、と漏らす三枝さんだが、ちょっと成程と思ってしまった。

 相手によるイメージで、私達は付き合い方を変化させる。

 区別されて、細分化し、その人との付き合い方を確定させて。

 友達だと意識しても、人によって態度を変えてしまうのはこのせいだったのかと、納得したのだ。

 

「ううん、それで充分よ。

 三枝さんは本質を捉えるのが、上手なのね」

 

「えっと、どういたしまして?」

 

「なんでそういう回答になるの」

 

 ズレた答えに、思わず笑ってしまう。

 それに対して三枝さんは、アワアワと何を言って良いのか詰まらせて。

 思わず、そんな姿を見てるとからかいたくなってしまう。

 きっと、凛から伝染させられた、とってもタチの悪い病気なのだろう。

 私に元々あっただなんて思えないくらいに、私を衝動的に動かそうと本能がしてくるのだから、まず間違いはない。

 だから、気持ちの赴くがままに、私は口を開いていた。

 

「可愛いわね、三枝さん」

 

「も、もうっ、マーガトロイドさんったら、私で遊んでる!」

 

「ごめんなさい、困っている三枝さんを見てると、ついね」

 

 ひどいなぁ、と呟く三枝さんに、ごめんなさいねと言って慰める様に頭を撫でる。

 ほわっ!? と驚いた声を三枝さんが上げるが、私は構わずにそのまま続けて。

 

「マーガトロイドさん?」

 

「慰めるっていう口実なの。

 このままもう少し、三枝さんの髪の毛を感じさせて」

 

 そう言って、私は手櫛の感覚で三枝さんの髪を感じ続けて。

 三枝さんは、私ので良いのかなぁ、と少し自信無さげにボヤいていたが、私的には今の三枝さんだからこそ、頭を撫でたくて、それでいて髪に触れたくて。

 なので結局、それから十分くらい三枝さんはされるがままであった。

 私の心の衝動的な部分は、しっかりと鎮められる事と相成ったのだ。

 

「マーガトロイドさんって、ちょっぴり意地悪だね」

 

「うん、そうなの、知らなかった?」

 

 終わった後で三枝さんがポツリとそう言って、私はにこやかに肯定する。

 もしかしたらチョッピリじゃないかも、と再び言う彼女に私はごめんなさいね、と今日で何度目になるかも分からない謝罪をして。

 三枝さんと、計ったように顔を合わせて、そして笑い合う。

 何してるんだろうとか、バカしてるんだねとか、おおよそに言うとそんな感覚を感じたから。

 

 ちょっとした戯れ。

 嫌いじゃない、むしろ好きな方な友達との交流。

 そっと笑い合えているのは、それが良いと、それで良いと感じれているから。

 夜の寺の、三日月が笑っている空の下で。

 

「こういう時って、何となくフォークダンスでも踊りたくなるね」

 

 踊れないけど、と三枝さんが矛盾した、不思議な事を言い出す。

 どうして? と尋ねれば、女の子の、ちょっとした憧れかな、と帰ってきて。

 そういえば、前に美綴さんに借りた漫画の中で、そんなシチュエーションがあったのを思い出す。

 好きな人と、夜のガーデンで手を取り合って遠く響く音楽を頼りに、ステップを踏んでいく、なんていうベタな展開。

 三枝さんも、似たようなものを想像しているのかと考えると、こんな場所でもそれらしく見えてくるかも、と思ってしまう。

 

「一つ、踊ってみる?」

 

 何気なしに提案してみるが、三枝さんは首を横に振る。

 流石に想起させられても、ここではそんな空気にもならないという事か。

 そう、と呟いて引き下がると、三枝さんは暗い空を見ながら、こう言った。

 

「出来れば、好きな男の子と、一緒に踊りたいかなぁって」

 

 純真無垢に、気負い無く告げられた言葉に、思わずこっちが赤くなりそうになる。

 三枝さんの透明さが、透き通って私を貫いた感覚がしたから。

 

「夢があるわね」

 

「うん、夢みたいな事って分かってるけど、想像したらワクワクしちゃうんだ」

 

 エヘヘ、と照れ笑いする三枝さんは、やっぱり可愛い女学生で。

 彼女が妙なものが見えるなんて、ちょっと信用し難いことにも思えてしまう。

 

「三枝さん、私以外にこの場所に、他の誰かが居たりとかするのかしら?」

 

 だから、つい確かめる様な事を尋ねてしまう。

 魔が差したとも言える、空気を読めていない質問。

 三枝さんからしても急だったようで首を傾げていた……けれども、特に何も尋ねることなく、彼女は私の質問に答えてくれる。

 私が空気を読まなかった分、三枝さんが読んでくれた形だ。

 

「え、えっとぉ、誰かが居るってわけじゃないけど、ただ……」

 

「何?」

 

「……何か、気持ちがある気がする。

 誰かを想ってるとか、これがしたいとか、そういう気持ちみたいなのかな?

 それがね、ポツンと、このお寺に存在してる気がするの」

 

 変だね、何言ってるんだろう私、と三枝さんは困った顔をしていた。

 が、それもあながち間違いではないと、私も同意できる。

 だって、何時しか来た時に、そういうモノを私も感じたから。

 まるで誰かの忘れ物の様に、寂しげなモノがそこにはあるのだ。

 

「分かる気がするわ」

 

「そうかな?」

 

「えぇ」

 

 遥か昔に、置き忘れていった大切なもの。

 風化して、今にも解けてしまいそうな、儚く淡い形のない形。

 触れられないから、ずっとそこにあり続けた見えない想い。

 普段は気付かない様に空気に溶けているそれは、夜という黒色に一面を染められた今だからこそ感じれるもの。

 

 ……けれど、そんなものはどうしようもない。

 触れられない、形無き芳香は、結局のところ私の手に負えないのだ。

 この場にいて、気付かないはずのモノに気付いてしまえば、後は気まずさが積み重なるのみ。

 こういうのは、最終的には徳の高い宗教家が事を片付けるモノなのだ。

 まぁ、つまりは柳洞くんの実家に投げるしかない、詮無き事に過ぎない。

 

「行きましょう、三枝さん」

 

「置いてっちゃって、良いのかなぁ……」

 

「どうしようもできないのなら、そっとしておいてあげるのが慰めよ。

 何も分からないのに何かしようとすると、大抵はヤブヘビになるもの」

 

「……そっか」

 

 私の言葉に納得してくれたのか、三枝さんは頷いてくれて。

 だから私達は、脇道に逸れるように、その場を後にする。

 元よりこの場所に用事なんて無かったし、こんな場所に長く居続けたいとも思えなかったから。

 見捨てる様に、この場より退散する。

 ……残された想い、何かを追い求めている有り様は正に情念で。

 その形は、未練を残す様に、今もその場で燻り続けていた。

 

 

 

 

 

「あの、マーガトロイドさん?」

 

「何?」

 

「どこに向かってるの?」

 

「この道、貴方も知ってるでしょう?」

 

 本道を後にした私達は、現在裏手へと続く道を歩いている。

 ついてくる三枝さんはどこか不安な顔をして、けれども足取りはしっかりとしたものであった。

 なので、そこまで怖がっている、という事ではなくて、暗闇が疑心を擽っているだけの話。

 だったら、話をして紛らわせてしまえば良いと、私は三枝さんに返事を返す。

 

「霊園、要するにお墓ね」

 

「こんな時間にお墓参り?」

 

「参ると言っても、私がしたのは丑の刻参りだけれど」

 

「あぁ、この前の……」

 

 思い出したのだろう、その声には色々な気持ちが含まれてる様に聞こえた。

 だが、極力気にしない様にして、私は三枝さんにこう語りだす。

 

「そういえば、三枝さんには私がここに何をしに来たのか、まだ話してなかったわね」

 

「あ、そうだね。

 確かにまだ聞いてなかったなぁ」

 

 思い出したと言わんばかりに呟いて、それでマーガトロイドさんは何をしに? と三枝さんが視線を向けてくる。

 なので、それはね、と枕詞につけて勿体つけて話す。

 視線で、この暗い道の先を見据えながら。

 

「この先の場所に、私は用があるの」

 

「丑の刻参り?」

 

「その結果を見にね」

 

 良く分からないといった顔をする三枝さん。

 正直、今の発言で分かるとも思えないから、私の不親切なのだろう。

 けれど、百聞は一見に如かずとも言う。

 三枝さんは一回見て貰った方が早いという判断である。

 

 そういう訳で程々に足早く、先へと進んでいく。

 見えるモノは薄暗くて、先が見えづらいが足が道を覚えている。

 けれども三枝さんは慣れていないのか、ちょっとおっかない感じの足取りで……。

 

「手、借りるわね」

 

「え?」

 

 このままでは待ち合わせに遅れる、と私は三枝さんの手を握った。

 驚いた声を出している彼女を無視して、私はドンドンと目的地に向かう。

 この先にあるモノ、それはある意味で寺にあるには相応しい霊の集う場所。

 教会の裏庭が十字架で埋め尽くされているように、寺は墓石が存在する。

 霊園とは即ちそういう場所で、だからこそ私が目を付けた所でもある。

 

 

 

「到着、ね」

 

 そうして急ぎ足で来た結果、中々の速さで目的地に到着する事ができた。

 暗い世界の、静けさに満ちた墓石の苑へ。

 

「マーガトロイドさん、ちょっと強引だよぉ」

 

「ちょっと急ぎたかったの。

 ごめんなさいね、三枝さん」

 

 最早誠意があるのか怪しい形式上の謝罪を行いつつ、私は三枝さんに語り始める。

 この場所の、ここに何を求めてきたのかを。

 私の目的、それらを取り留めもなく、流れるように。

 

「ねぇ、三枝さん。

 ここはお墓、死した人が眠っているの」

 

「え、うん、そうだね」

 

 急に何を言いだしたのかと不思議そうな顔をしている三枝さんに、私はゆったりと喋りながら歩く。

 場の静けさと、この場の空気に寄り添いながら。

 墓の桶置き場にへと足を進めて、足をピタリと止める。

 ――どこからか、虫のザワめきが聞こえた。

 

「なら、その人の魂はどこに行くの?

 灰になって燃え尽きるのかしら?

 それとも黄泉の国へと旅立って、最後の審判を受けるの?

 もしかしたら、集合無意識として、桜の木の下で皆が眠っているのかもしれないわね」

 

 一方的に私は語る。

 本当のところ、今語っている内実なんてどうでも良い事だ。

 しかし、つい悠長に口が動いてしまうのは、三枝さんがしっかりと真面目に聞き逃さずに聞いてくれるから。

 それが嬉しくて、つい無駄な話を長々と続けてしまう。

 が、あまり時間もないので、適度に省略しながら私は、本当に語りたいところへと話を繋げていく。

 墓にある魂、それらの行き着く場所、そしてそこから溢れる副産物について。

 

「でもね、死んでしまった後に、確かに溢れてしまう人達がいるの。

 それも一定数、体のない魂だけで、この地上を彷徨っている。

 思考する能力も、行動する力も無いのに、それこそ夢遊病の患者の様に。

 それを、人は幽霊と名付けたの」

 

 触れないのにそこに在り、意思がないのに出歩いて。

 それはきっと死んだ人の忘れ物として、幽霊はそこに居る。

 無念、渇望、未練……霊になる理由なんて、そこら中に落ちているから。

 

「私はね、そんな霊の、所謂怨霊と言う類のモノが捕まえられたらって考えたの」

 

 桶置き場の下の方へ手を伸ばす。

 そして、少しチクリとした感覚が手に走って、手に何かを握った感覚と共に、私は力を入れてそれを引っ張る。

 木製の桶置き場から、何かが引き抜かれる。

 そうして引き抜かれたもの、それは私の手の中にあって……。

 

「藁、人形?」

 

「そうよ、流石に五寸釘じゃなくて、普通の釘で留めてたのだけれどね」

 

 私の手の中にあったものは藁人形。

 何時しかのではなくて、新しく新造したモノ。

 悪霊や怨念が入り易い様に、意図的に空洞を用意した人形の形。

 

「ねぇ、三枝さん、この藁人形……怖いと思う?」

 

 そっと、三枝さんの前に藁人形を突き出す。

 この藁人形に何があるのか、見えるものがあるのかという問いかけ。

 さぁ、答えて、と私は彼女に告げて。

 

「……怖くはない、かな。

 それに、多分その藁人形さんは空っぽだと思うな」

 

 だからその答えが返ってきた事に、納得が心を支配したのであった。

 ある意味で、ここに三枝さんを連れてきたのは、それを確かめる為の最終確認だといっても過言ではなかったから。

 折角こんな珍しい時に会えたのだから、という機会主義的な発想で、私は三枝さんをここに連れてきたから、ある意味でここに来た目的は達成したといえよう。

 

「そう、ここのお墓の霊魂は、おおよそお盆休みにでもならないと、帰ってこないみたいね」

 

 確かめて、検分して、そして出た結果を、他の人に確認してもらう。

 こうする事で、正しく物事を見る視線を、固定しようとしたのだ。

 三枝さんからすれば、いきなりこんな所に連れてこられた挙句、呪いの藁人形に類似した品を見せつけられたのだから、溜まったものではないだろうが。

 

「今度、私の奢りでどこか行きましょう」

 

 だから、そんな事を私は口にしていた。

 罪悪感と感謝とが入り混じった、私の謝罪。

 今日は謝罪の言葉は便利に使いすぎたからこその、私なりの誠意の見せ方。

 物で誤魔化そうとしている訳ではないけれど、これが一番目に見えて伝えられる精一杯であるから。

 それに三枝さんが許してくれるなら、私の人形劇を添えて楽しんで貰いたいとも思っている。

 

「えぇ!? そんなの悪いよ。

 私なら、全然大丈夫だから!」

 

「三枝さん、これは私がこうしないと収まりが付かないからこう言ってるの。

 私の為に、どうかお願い……」

 

 三枝さんの目を、覗き込みながら私は頼む。

 今日はこんな時間に、三枝さんを振り回してしまったから。

 そうして私達は交わり、互いにじぃっと見つめ合っていると、急に三枝さんは顔を崩して笑顔を浮かべる。

 なんだと思っていると曰く、前にもこんな事あったねと、彼女は言ったのだ。

 

「前? ……あぁ、デパートの時ね」

 

「うん、あの時も、マーガトロイドさんは、同じ事を言ってたよ」

 

 言われて頭に過ぎったのは、例のメガネを買っていた時の事。

 楓に笑われた事は、絶対に忘れないであろう出来事。

 けれど、あの時の三枝さんだけじゃないけれど、突発的に付き合って貰っていたなと思い出す。

 そう考えると、ある意味で私の特性なのかもしれない。

 

「メガネ、似合ってくれると言ってくれて、嬉しかったわ」

 

「マーガトロイドさんは美人で、とっても可愛いんだって、私はあの時には知ってたんだよ?」

 

「お上手ね」

 

「本音だよ」

 

 そこまで堂々と言われると、気恥ずかしくて仕方がない。

 だから照れ隠しがてらに、私はちょっと話をズラす。

 このままでは、三枝さんの和みワールドに何時の間にか誘われてしまうから。

 私は、不思議の国か鏡の国に誘われるのが鉄則というのに。

 

「今度はあの時の喫茶店よりも、豪華な方が良い?」

 

「ううん、本当に無くて良いの。

 でも、その代わりに一つだけお願いしても良いかな?」

 

 三枝さんは、こんな事を頼むのはちょっと図々しいかもしれないけど、と本当に自然にこんな頼み事をしてきた。

 それは些細で、細やかで……とっても、優しさに満ちたもの。

 私の照れ隠しなんて、それこそ一撃で吹き飛ばしてしまう類の。

 

「私の家にね、人形劇をしに来て欲しいの。

 私も見てみたいし、弟達にも見してあげたいから」

 

 前から気になってたんだけれど、ダメかな? と私を上目遣いで覗き込んでくる三枝さん。

 ……正直、痛烈な一撃であったと言わざるを得ない。

 何がといえば、三枝さんのお願いの仕方と、内容と、その気持ちが。

 何より、私の人形劇を見たいと言ってくれたのが、何よりも嬉しくて。

 

「任せなさいな。

 沢山お見上げを持って行くから、しっかりと道案内を宜しくね」

 

「っうん!」

 

 私が笑って、三枝さんも笑っている。

 この娘は、本当に和やかにさせてくれると、心のそこから感じているのだ。

 それが彼女の良いところで、私も抵抗を諦めて彼女の世界に少しばかり浸ってしまう。

 ひどく暖かくて、何時までも浸かっていたいぬるま湯に。

 

 

 

 それは三日月昇る11月の、淡い光と暗い夜の中でのお話。

 移りゆく季節は、秋から冬へと移りゆく。

 そんな肌寒く感じてきた季節に、三枝さんの優しさはじんわりと熱を持って伝わってきた。

 心のモノが、体まで伝わってきた、ささやかだけれど離したくない、そんな日のこと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「マーガトロイドさん、本当にここでお別れなの?」

 

「えぇ、私はもう少しばかり用事があるの」

 

 あれから、私達は月を見上げたり適度に会話しながら、本道のところまで戻ってきていた。

 時間の針が進むにつれて、冷たさは徐々に大きくなっていく。

 そろそろ防寒着も必要ね、と思わせられる夜だ。

 そんな中で、私は三枝さんとお別れをしていた。

 藁人形の他にもう一つ、やらねばならない事があったから。

 

「もうこんな時間だよ?」

 

「こんな時間だからこそよ」

 

 意味を汲み取ろうとして首を捻っている三枝さんに、私は考えなくて良いわと告げる。

 実際、考えても不愉快なだけだから。

 

「あまり遅いと、三枝さんは弟達が心配するでしょう?

 なら、早めに帰ってあげなさい」

 

「マーガトロイドさんも、遠坂さんが心配するよ?」

 

「凛は夜行性だし、私は放し飼いにされてる様なものだから、気にしなくて大丈夫よ」

 

 ね、だから、と真っ直ぐに目を見ながら言うと、三枝さんはうぅん、と後ろ髪を引かれる感覚を患いながらも、うん、それじゃあまた明日と告げてきた。

 私も、三枝さん、また明日と返して、そこでお別れ。

 珍しく二人っきりになった私達の、実に呆気ないさようならであった。

 名残惜しくは思うけれど、だからと言ってやらねばならない事を先延ばしにする訳にもいかない。

 だから、私は踵を返して再び道を戻り始める。

 ただ、途中でお墓へと続く道を逸れて、外れの細い道を歩いていく。

 忘れ去られて、少し荒れている道を。

 

 

 

「……少し、寒いわね」

 

 口から、ポロリと言葉が溢れる。

 意味のないけれど、愚痴の様に衝動的に飛び出した言葉。

 きっと、三枝さんと居た時の温度差に、心が息を吐いて温めようとしているのだ。

 ましてや、この先に進むと、もっと冷えるだろうから。

 温める代わりに、私はメガネをそっと掛ける。

 お守りの様に、悪いことから守ってくれます様にと、あの時に買った赤色のメガネを。

 

 そうして、しばらく歩いていると、小さな洞穴へと道は繋がっていた。

 中は暗いけれど、微かに光があって、申し訳程度に整備されているのが分かる。

 その中へ、私は躊躇なく入り込む。

 ひたすら前へ、道を曲げる事なく進んでいく。

 

 そうして、どの程度歩いただろうか、5分か10分か、はたまたそれ以上か。

 暗い洞窟の中では、時間感覚が断絶するから幾ら時間が経ったのか、てんで見当がつかない。

 ……けれど、キチンとゴールは用意されていたようで。

 

 大きく拓けたところへと、そこは繋がっていた。

 しかし、その場には何もなく、まだ続く道のみが存在する。

 

 ――そんな場所に、一人の老人が立っている。

 ――私の足音に反応して、むくりとその躰をこちらに向けた彼は……。

 

「間桐、臓硯」

 

 呵呵、としわがれた笑いが木霊する。

 私がしていた、約束事の一つ。

 この場所で、彼と会うというもの。

 彼の笑い声が、無条件で憎たらしく聞こえたのは、正しく私の心情を映しての事だったのだろう。

 ……憂鬱が、雨の様に私の中に広がり始めた瞬間であった。




三枝さんの口調が掴めなくて、すごく難産でした(小並感)。
あと、別に次の話でサーヴァントを召喚したりとか、そういうのではないです、はい。

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