冬木の街の人形師   作:ペンギン3

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ギリギリセェーフ!
何とか9月に投稿できました(話が進むとは言っていない)。


第34話 白き道のり

 とある日の朝、起き上がると肌寒くて、思わずシーツを手繰り寄せてしまう。

 屋内であるはずの部屋は全体が冷たく、兎に角寒いから、膝を抱えて丸くなって、寒さをやり過ごそうとする。

 勿論、真っ白なシーツは深く被ったまま。

 肌寒い日のシーツには魔力があって、その仄かな暖かさから逃れられなくなるのは、人間の生理的、本能的、感情的に抗えない事。

 だからもう一度眠りに誘われようとして……。

 

 ――そこで、僅かに開けていた目の隙間から、机の上から見下ろしている上海と蓬莱の姿が見えた。

 

 表情はなくて、何を考えているか分からないけれど、何故かその目が、また寝るの? と問いかけて来ている気がしたのだ。

 

「寒い?」

 

 上海と蓬莱に問いかけるけど、喋りだしたりなんてしない。

 ただ、冷たい机の上から私を見下ろしているだけ。

 けど、それが無言の抗議の様な気がして、とてもではないが二度寝する気には成れなくなって。

 

「おはよう、上海、蓬莱」

 

 結局、シーツを城壁に、ベッドを牙城とした難攻不落と思われたこの場所は、上海と蓬莱の視線のみにて陥落した。

 故にのそのそと、寒いのを堪えながら、ゆっくりと体を起こす。

 軽く背伸びをして、意識をハッキリさせると、そのまま私は服を着替える為に床に足を付けて……。

 

「ひぅっ」

 

 小さく、反射的に声を上げてしまう。

 鋭い冷たさが、足元には満ちていたから。

 思わず床を睨めつけるが、急に暖かくなる事なんて無くて。

 

 仕方なく、近くにあったスリッパを履いて、クローゼットから服を選び出す。

 最近は厚手の服を着て、寒さをやり過ごしている。

 今日はセーター、白い生地の毛編みのモコモコさが心地良い。

 昔はこの上から、よくジャンパースカートを羽織っていた記憶がある。

 今は流石に子供っぽすぎるから、着れなくなってしまってるけど。

 下はロングスカート、ジーンズを履く時はあるけど、今日はこっちの気分だったから。

 なので、着衣の乱れを整えて、鏡の前で一回転。

 

「悪くは……ないわね」

 

 何時もみたいにスカートがフワリと浮き、少し心も浮かぶよう。

 今日は、ある意味で大切な日になりそうだから。

 部屋にある時計を見れば、今はまだ朝の五時。

 秒針はゆっくりと、時間の流れを緩やかにして動いている。

 多分、それは今が寒い朝だから……。

 

 部屋で息を漏らすと、白い霧になって部屋を濡らす。

 もうこんなに、と季節の入れ替わりを実感せずにはいられない。

 いま窓を開けたら、きっと気持ちの良いけれど体を凍らせられると錯覚してしまう風が全身を撫でるのだろう。

 流石にそれは御免こうむりたい。

 なので、代わりに洗面所へと向かう。

 そこで顔を洗って、次に朝食。

 何時も通りの朝、ちょっと何時もよりも早い時間だけれど。

 

 そうして、やや寝惚け眼で洗面所へ。

 白の洗面器を前に、蛇口を捻り水をひと掬い。

 やっぱり冷たくて、この雪解け水の様な冷水は私の顔から脳へと直接大声で朝だと告げてくる。

 もう起きてるわよと言い返したいところだけれど、残念ながら水に何を言っても形を変えて受け流されることは請け合いで。

 その代わりに顔を洗えば、揺らいでフワフワしていた意識は、すっかりこの体に定着していた。

 全く、と思わなくもないけれど、代わりに白のタオルでゴシゴシと顔を拭く。

 拭き終わったあとに、冷えた手に軽く息を吹きかけて、手を擦り合わせた。

 やっぱり、冷たいものは冷たく、手から体中へとゆっくり冷たさが広がっていく錯覚すら覚える。

 

 この冬の冷たさは、身を凍てつかせられて、それどころか世界までも永久保存しようとしてるのかと邪推してしまう。

 だって雪は、氷は、陽さえ遮れば永遠を生み出せるから。

 銀世界には一面に白が折り重なって、シンシンと雪が降り積もる。

 そこで動き回れる子がいたとすれば、それはきっと人間ではなくて妖精なのだと私は信じるだろう。

 

 ふと窓から外を見れば、極々普通の晴れ模様。

 私の想像した冷たく冷え切った雪景色はそこにはなくて、太陽の暖かさも微かに感じる事ができる。

 ――だから、

 

「ここに永遠はないのね」

 

 なんて呟いてしまったのは、きっとまだ頭が寝起きのままだったせいなのだろう。

 外にある抜け落ちてしまった木々は、そよ風一つで身震いして。

 でも私は、そんな動いている世界が好きで。

 動かない世界も悪くなんてないのだけれど、今はこちらが落ち着くと感じて、クスリと声を漏らした。

 禿げ上がっている木に、春が来れば芽吹くわよ、と小さく声をかけて。

 私はそのまま台所へと向かう。

 冷たい空気に、ようやく少し慣れながら。

 

 

 季節はもう十二月、振り返れば紅葉は枯葉となり、風に乗って舞い散っていた。

 色とりどりの季節から、白に染まる季節へと変わりゆく季節へ。

 時さえも凍らせてしまいそうな中、私は妖精の様な彼女と出会う――

 

 

 

 

 

「忘れ物無いわね、アリス」

 

「キチンと確認してるから大丈夫よ」

 

 お母さんみたいなこと言うのね、と凛に言えば、彼女は別に、と言うだけで。

 制服を着込んだ凛に、私は手を振る。

 大きくではなく小さく、行ってきますとの声を乗せて。

 

「……行ってらっしゃい」

 

 朝だからか、そんなに大きくない声で凛は告げて。

 赤のコートを翻して、学校への道を辿り始めていた。

 私も茶色のケープコートにマフラーを揺らしながら、凛とは別の方向へ、バス乗り場の方へと向かう。

 キャリーバックを引いて、ゴロゴロと音を立てながら。

 

 

 

 アインツベルンからの招待状、それに私は応じた。

 そしてその日が今日で、故に学校やアルバイトは全面的に休止。

 今回はアルバイトの方には、桜が入ってくれる事になっている。

 学校の方には、唯一身上の都合により、欧州に戻らなくてはならないとしか伝えていない。

 けれど、わざわざ向こうまで戻らないといけない用事なら、と渋々ながら認めてもらっている。

 近々あるテストについては自己責任になるが、と釘は刺されたのだが。

 なので、あとは飛行機に乗って向かうだけ。

 チケットは既にミュンヘン行きのモノがあり、関西空港から飛び立てば十二時間ほどで現地に到着する。

 それからアインツベルンからの迎えが来るらしいから、到着後は私の口先三寸で何とかする他にない。

 

 何を要求されるのか、何を求められるのか。

 どうやってアインツベルンを納得させられるのか、私は何ら解決策を見出してないが、守るべき一線を除いて、基本的には頷いて行くしかないだろう。

 それで、私の目的へと大きく飛躍する事ができるのだから。

 

『関西空港発、ミュンヘン空港行き、810便はただ今離陸します。

 シートベルトを締め、アナウンスがあるまで座席の移動はご遠慮下さい』

 

 さて、そろそろらしい。

 バスと電車、それからまたバスを乗り継いで、ようやくたどり着いた空港。

 忌々しいことに一時間ほどの待ち時間があったが、つつがなく飛行機に乗ることが出来た。

 あとは、この飛行機が向こうに着くのを待ち続けるだけ。

 その間、昨日は夜中に中々眠れなかったし、少しばかり惰眠を貪るのも良いかもしれない。

 離陸する重力の違和感に耐えながら、私はそんなことを考えいた。

 考えて、重力の違和感がなくなった途端、ゆっくりと目を……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ねぇ、セラ、今日お客さんが来るそうね」

 

「はい、お嬢様、お客人というよりはネゴシエーターらしいですが」

 

「ふぅん、どっちでも良いけど。

 ここに来るなら、例えどんな目的を持ってたとしてもお客さんよ」

 

「無礼者はその限りではありませんが」

 

「マナーを弁えてないお客さんは招かれざる客ね。

 ふふ、その時はその時、楽しい舞踏会の時間の始まりよ」

 

「その様な不埒な輩であるのなら、お嬢様の手を煩わせる事も、ましてやお顔をお見せすることもありません。

 ですので、お嬢様におきましても、あまりはしゃがれない様に」

 

「えぇー、そんなのつまらないわ。

 タイクツだもの、そんな時に滅多に現れないお客さん。

 気にならない方が不思議よ」

 

 ベットの上で足をぶらつかせる主に、お付のメイドであるセラは溜息を漏らさざるを得なかった。

 どうにも、アインツベルン家当主であるユーブスタクハイトが、ポロリと要らない事を言ってしまったらしい。

 お陰でお姫様は興味津々。

 稼動早々このお姫様、イリヤスフィール・フォン・アインツベルンの家庭教師を勤めているセラとしても、些か以上に疲労を感じずにはいられなかった。

 

「それにしても、わざわざこんな所まで、何の御用かしらね」

 

「……わかりかねますが、もしやアインツベルンの技術を盗みに来た野盗かもしれません」

 

「それだったら、おじい様が招待する訳ないでしょう?」

 

「ですが、得体の知れないものであるのは確かです」

 

 警戒は怠らない方が良い。

 そうセラはイリヤスフィールに告げて、優雅に一礼し部屋を辞する。

 それを見送ったイリヤスフィールはつまらなさそうに外を見やり……唐突に、閃いたと座っていたベッドから飛び降りた。

 その顔には、イタズラっけが十二分に混じった笑みがハッキリと示されていて――

 

 

 

 

 

「ねぇリズ、リーゼリット。

 貴方、今はする事ないのよね?」

 

 私はこっそりと自分の部屋を抜け出して、使用人室を訪ねていた。

 目的? 在るわ、とっても重要なのが。

 想像すると、楽しくて愉快なものが。

 

「……何、イリヤ?」

 

 いま使用人室に居るのはリズだけ、他の皆はお仕事の最中。

 だから丁度いいの、リズは私に優しいから。

 ちょっと眠たそうだけれど、それは寝起きだから。

 半日も寝てて、一時間前に起きたばっかり。

 リズはそういう娘だから仕方ない。

 逆に考えて、だからこそ今は私と遊べるもの。

 

「一緒に遊びましょう」

 

「今日はおママゴト?」

 

「しないわ、そんなの。

 今日はリズの趣味には合わせてられないの」

 

「私の趣味だったんだ……」

 

 初めて知ったって顔をして、リズは無表情に呟いていた。

 リズったら、そういう所は無意識で困っちゃうわ。

 でも、そんなリズだから全力で遊んでくれるのだけれど。

 

「今日するのはね、セラやみんなと隠れんぼ。

 ドキドキするし、ハラハラだってするわ。

 それでね、今日来るお客さんに会うの!」

 

「お客さん?」

 

「うん、ここに来るっておじい様が言ってた」

 

「……悪い人?」

 

「分からない、けど会ってみたい」

 

 だからね、と私はリズに手を差し出す。

 一緒に行きましょう? と。

 私と貴女ならやれるわ、と。

 

「イリヤ、会いたいの? どうしても?」

 

「うん、誰だか知らないモヤモヤの人。

 でも、だから顔を見たいの。

 それでね、外の話を聞きたいわ。

 私、何にも知らないもの」

 

「堂々と、会いに行ったら?」

 

「言ったでしょう、おじい様のお客さんだって。

 だからこっそり、バレないようによ。

 バレたらお仕置きされちゃうもの」

 

 無表情のおじい様の顔を思い出すと、今でも溜息が出ちゃう。

 怖いし、酷いから。

 多分、今回程度ならそこまで酷いお仕置きはされないだろうけど。

 

「アハトの耄碌じじい、早く死なないかな」

 

「そんな事になったら、アインツベルンを管理する人がいなくなっちゃうわ」

 

「イリヤに遺産が横滑り、がっぽがっぽ」

 

「嫌よ、面倒くさいもの」

 

「なら、仕方ない」

 

 それに、リズはあまりおじい様が好きじゃないみたいだけれど、私は嫌いじゃないから。

 お仕置きのせいで私に酷いことするって、リズは考えてるみたいだけれど。

 でも、おじい様は色々、教えてくれるから。

 キリツグの事とか、日本の事とか、いっぱい……。

 

「リズ」

 

 色々と想いを絡ませて下からリズを見上げると、リズはくしゃりと私の髪の毛を撫でてきた。

 ……ちょっと、いきなり何してるのって感じだけど、嫌いじゃない。

 でも、絶対にレディにする事じゃないし、どう考えてもリズは私を子供扱いしてる。

 

「リズが頭を撫でられる方よ、私じゃないわ」

 

「イリヤは、可愛いね」

 

「話を聞きなさい、リズ!」

 

 強く言うと、リズは頭を撫でるのをやめたけど、全然反省した顔はしてない。

 だから文句の一つも言いたくなっちゃうわ。

 ……けど、リズは。

 

「じゃあ、イリヤ。

 作戦会議、しよっか」

 

 マイペースに、急にそんな事を言い出して。

 どうしたの? イリヤ、と私の顔を覗き込んでくるのだから、むぅ、と唸るしかなくなっちゃう。

 ズルい、そういうリズの天然なところは本当にズルい。

 

「イリヤ?」

 

「良いわ、今日のところはこれまでにしといてあげる」

 

 しょうがなく、大人の私の方が譲歩する。

 リズは首を傾げていて、やっぱりリズはお子様何だって分かっちゃう。

 だから、寛大な私は許してあげちゃうんだ。

 

「それじゃ、作戦を練りましょう、リズ」

 

 そう言うとリズは頷いて、でも直ぐにこんな事を言い出す。

 

「イリヤが考えて、私は無理だから」

 

「リズったら、しょうがないわね。

 その代わり、私が決めた事にはちゃんと言うこと聞くのよ」

 

「うん」

 

 ちょっと困らせられるけど、リズはどこまでも素直。

 従順な娘は好き、だから私はリズが好き。

 勿論、セラも嫌いじゃないけど。

 

「じゃあリズ、作戦開始よ!」

 

「まだ、作戦決まってない」

 

 リズ……無粋なツッコミよ、それ。

 リズを睨んで、でも言われた通りに作戦も考え始める。

 セラ達の監視を躱しつつ、どうやったら会えるだろうって。

 ちょっと悩んで、ふと顔を上げて外を見やったら。

 

「白いね」

 

 リズが呟いた通りに、白が窓の外は広がっていた。

 この雪は、お客さんを歓迎してるのか、それとも……。

 

「イリヤ」

 

「私は――だと思うな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……腰が、痛いわ」

 

 飛行機から降り、ドイツに一歩踏み出した私の最初の一言はそれだった。

 情緒が無いにも程があるけれど、実際に腰は悲鳴を上げている。

 何時間も座りっぱなしだったツケが、今ここに現れていたのだ。

 こう、重石でも乗せられてるような、背中全体に圧力が掛けられている感覚。

 冬木に来た時も味わったけど、久々のこの感覚との再会に思わず涙が出そうになる。

 無論、悲劇的な意味合いで(人に寄っては喜劇になる)。

 

 けれど、飛行機から降りたらそのまま人の波は止まる事なく、そのまま空港のターンテーブルへと足を運んで。

 私もその波に流されて、腰を労わる暇さえない。

 まぁ結果的に、立ってる間に痛みとはサヨナラを告げられたのは幸運と言わざるを得ないが。

 代わりにキャリーバックと再開し、私はそのまま中央出入り口から外へと向かう。

 片手間にケープコートを着込み、マフラーを巻いてそのまま空港外へと一歩を踏み出す。

 すると……、

 

「これが、ドイツの冬なのね」

 

 想像以上の寒さに襲われ、身震いしながらキョロキョロと辺りを見渡す。

 確か、アインツベルンからのお迎えがあるという話だったから。

 周りを見たところ、まだそのお迎えとやらは来ていない様だ。

 なので適当に、自販機の傍でゲオルグのコーヒーを買って時間を潰し、その間にどんな風に迎えが来るのかと思いを馳せる。

 

 歴史ある大家のアインツベルンのお迎えとは、一体どんなものなのだろうか?

 魔術師の家系は、そもそも機械の類は忌避するものである。

 遠坂の家だって、機械類の類は極めて少ない(生活に必要なライフラインは整えてはあるが)。

 遠坂の家より更に苔の生えてるであろうアインツベルンが、何で来るのかは全く持って想像がつかない。

 よもや、馬車で来るとは思えないが。

 

 考えれば考えるほど、興味が尽きない。

 もしかすると、徒歩で行軍する事になるのか。

 もしそうならば、私としては遺憾の意を表明する他ないだろう。

 仮定の話ではあるが、現実になったのなら地獄だ。

 憶測でモノを言うのは大変に宜しくないが、考えれば考えるだけ、悪い予感は募っていく。

 それこそ、思わず貧乏揺すりをしてしまうくらいに。

 

「……もし」

 

 そんな時であった、私が声を掛けられたのは。

 振り向けば、そこには全体が白の装いで統一された人物の姿。

 白の頭巾にメイド服、あまりにも目立ちすぎる彼女から、強制的に理解させられる。

 つまりは、彼女こそがアインツベルンからの使者であるということを。

 

「アリス・マーガトロイド様で、相違ないですね?」

 

「えぇ、私がそうよ」

 

 首肯すると、彼女は一礼してからこう述べた。

 

「ご足労頂き、ありがとうございます。

 これより、当家へとご案内させて頂きます。

 どうぞ、こちらへ」

 

 彼女は私に付いてくるように促してから、そのまま駐車場へと案内される。

 多くの人混みの中、彼女が気にされないのはメイド服に何らかの魔術が仕込まれているからか。

 流されぬように、誰も気にしない彼女の背中に付いて行く。

 そして彼女が足を止めた先にあったものは……、

 

「ベンツ?」

 

「はい、メルセデス・ベンツ300SLクーペです。

 アインツベルン所有の自家用車。

 この車の色違いも、アインツベルンには保管されています」

 

「そ、そうなの」

 

 正直に言おう、驚いたと。

 まさか、アインツベルンが近代的な車を持っているとは。

 空から馬車できた方が、まだらしいと思えてしまう辺りが恐ろしい。

 ある意味で車で来てくれた方が、常識的ではあるのだが(魔術師的にそれで良いのかは脇に置くとして)。

 思わずこの黒塗りの高級車に、まじまじと見入ってしまう。

 

「どうぞ、お乗りください」

 

 淡々と、彼女はカモメの翼みたいに開いた車のドアの、助手席の方を勧めてくる。

 ……これは、もしかするとスポーツカーなのか。

 目を丸くする私に、彼女は特に反応を見せず、再びどうぞと言う。

 なのでそれに従うように搭乗すれば、彼女は運転席へと座り込み、素早く扉を閉めた。

 そして徐ろにイグニッションキーを回し、エンジンを入れる。

 

「あ、安全運転よね?」

 

「この車には、認識阻害の魔術が掛けられてます。

 ご心配には及びません」

 

「どう言う意味かしら、それは!」

 

 少し語気を荒げると、彼女は私の方を向いて。

 初めて、笑顔を私へと向けた……残念な事に、安心させる類のモノではなく、とっても不敵なものだったけれど。

 

 

「では、参ります」

 

「ちょっと、ねぇ!」

 

 私の抗議はどうにも耳に入ってない様で、思いっきり、何ら躊躇なくアクセルを踏み抜いたのだ……解せない。

 

「ちょ、ちょっと!」

 

「アウトバーンは疾走するのが礼儀ですので」

 

「ふ、巫山戯ないで!」

 

「至って真面目です」

 

「ドイツ人のジョークは笑えないわ!」

 

「? どこがジョークでしたでしょうか」

 

 真面目におかしいのか、窓の外の風景は次々に流れていく。

 まるでテレビの録画を早送りするかの様に。

 パラパラ、パラパラと、気分的にはアトラクション。

 時速100km出ている、メーターの針がそう示している。

 全く持って巫山戯た話、私から出てくるのは悲鳴だけ。

 しかも、運転している彼女はとっても飄々としているのだから、とてもじゃないが納得いかない。

 もっとお淑やかに運んで貰えるものと思っていたのだから、とんだ計算違いといえよう。

 

「叫んでも良いのかしら!?」

 

「錯乱なさりましたか?」

 

「貴方は素でそう言ってるのよね!」

 

「そうですが?」

 

「きっとジェットコースターに乗っても、顔色一つ変えないわ、貴方は!」

 

「アインツベルンのメイドですので」

 

 あまりにトンチキな回答に、私は沈黙しか答えるすべを持っていなかった。

 なので、ひとまず落ち着くように軽く深呼吸する。

 こんな中であまり効果があるとは思えないけれど、気休め程度に。 

 そのお陰か、心なしか落ち着いた気がしたので、ひとまずホッとする。

 そして落ち着いて最初に浮かんできたのは、やはりこの状況に対する不満であった。

 

「普通の車は無かったのかしら……」

 

 主に、スポーツカーではなくて。

 ようやく慣れてきたスピードの中でそう文句をつけると、惚けた顔で彼女は言う。

 それならば、と更に巫山戯た事を。

 

「車はお好きではないのですか?

 ならば、クラウザー・ドマニ1100cc ssiでお迎えに上がれば良かったですね。

 アウトバーンでならば、時速200kmで走れます」

 

「真冬のドイツでそんなスピードで走ってみなさい、それだけでシベリアな気分になるわ」

 

「えぇ、ですので車でお迎えに上がりました」

 

「スポーツカーでしょう……普通の車は?」

 

「メルセデス・ベンツはれっきとした車です。

 よもや、Ⅳ号戦車で来る事をお望みでしたか?」

 

「普通の車って言ってるじゃない!」

 

 そもそも、なんで魔術の大家であるアインツベルンが車だけでなく戦車など持ち合わせているのか。

 自動車大国のドイツだから、魔術師もそれに合わせて近代化したとでも言うのか。

 全くもって謎だし、疑問は募るばかり。

 溜息が溢れるが、残念ながらお隣には全然聞こえてない(むしろ意図的に無視されている感がある)ので、幸せに足を生やさせ逃がしている様な不毛な感覚に襲われる。

 

「アインツベルンは随分と車好きなのね」

 

「はい、歴代のお嬢様方の趣味ですので」

 

「多彩なご趣味ね、それは」

 

「全くもって」

 

 皮肉混じりに言っても、全く通用しない。

 あと、そこなメイドの趣味も、絶対に反映されている。

 でなければ、こんなにノリノリな筈は無いのだから。

 

「そろそろ減速してます」

 

「それはまた急ね」

 

「アウトバーンを抜けて、外れた道を通りますので」

 

「そう、ようやく……」

 

 言葉通り、加速が止まなかった車は、徐々に外の景色を早送りでなくありのままで映し出し始めた。

 それを確認すると、色々どっと虚脱してしまう。

 恐らく今の私は、どこか遠い目をしている事だろう。

 過ぎ去った先程の事を考えれば、機内食とご対面しなかった事が奇跡的な事象に感じて仕方がない。

 できればそういう事態は、一人の女の子としては避けるに越したことはないので、大いに結構なのだが。

 

「おや」

 

「何かしら?」

 

 急に彼女が声を漏らしたので、何事かと思ったが、その疑問は即座に解消される。

 一目瞭然、というのが一番正しいのだろう。

 だって、窓の外には、風に乗って舞い散っているモノがあったのだから。

 

「雪……」

 

「はい、どうやら降り始めて来たようですね」

 

 降り始めの、穏やかな雪。

 積もるかどうかは分からないが、見ていて目が離せなくなる。

 思えば、ブクレシュティで見る雪も、そんな気持ちにさせられた。

 幼心で見た時も、一人空を見上げた時も、気性こそは変われど、その純白さは変わる事なくそこにあり続けた。

 だから、いま雪を見ても、同じ気持ちになるのだろう。

 

「雪は、お好きですか?」

 

「え?」

 

 そんな私に、彼女は急に声を掛けてきた。

 急に、そんなロマンチックさを感じる質問をされるなんて、考えていなかったから。

 振り返れば彼女は無表情で運転していて。

 けれども言葉に、いま降り始めた雪の様な柔らかさを感じたから。

 

「ん、見てる分にはね。

 触ると、冷たくて吃驚してしまうもの」

 

「そうですか」

 

 ごく自然に、私は返事を返していて。

 彼女も、素っ気ないけれど、僅かに口元を緩めて言葉を返してくれたのだった。

 まじまじと不躾な視線を彼女に寄越せば、それだけで察してくれたのか、短く言葉をくれる。

 

「今代のお嬢様は、雪が好きな様ですので」

 

「お嬢様って、アインツベルンの?」

 

「はい、お嬢様にとって、雪とは馴染み深いモノがあるのでしょう」

 

「積もるものね、ドイツの雪は」

 

「お陰で毎年の雪掻きは大変でした」

 

「今年もきっとお疲れ様」

 

 からかうニュアンスを持たせての言葉に、彼女は返事をくれなくて。

 その代わりに、饒舌になっていたそのお嬢様の事が、きっと大切なのねという事だけが伝わってきた。

 アインツベルンのお嬢様、そんな人がいると聞けば何時もの好奇心と名付けられた猫がひょっこりと顔を出すのが私の悪癖。

 

「会えるの?」

 

「お嬢様にご用事はないでしょう」

 

「そうね、でもそれこれは可分できなくて?」

 

「ご当主様が決める事ですので」

 

「そう……」

 

 ならば、アインツベルンの翁に、私的なお願いとして尋ねてみよう。

 もしかすれば、会わせて貰えるだろう。

 出来ないと言われるのなら、それまでだろうが。

 

「それよりも」

 

「何よりも?」

 

 左手の人差し指で、前の方を軽く指さす。

 なので前を見てみれば森が広がっており、その中へと続く道は車が何とか通れるほどの車道だけ。

 しかも、どうにも森全体に人除けの魔術が張り巡らされてる。

 大規模な魔術、魔力が感知できる人物ならば、ある意味で悪目立ちしそうではあるが、逆にこれ程のモノになると侵入者があれば直ぐに探知できるであろう。

 そういう意味では、この結界はアインツベルンの自信の表れとも見える。

 

「立派なものね」

 

「この程度の施設、大家であるアインツベルンにとっては造作もない事です」

 

 事も無げに言われれば、こちらとしてもそれ以上何かを言おうとする気にもなれない。

 そうね、と短く返して、同じ風景が続く森へと視線を走らせた。

 

 冬のせいか、鳥一羽見つからない森。

 けれど、時々小動物、リスや兎が顔を出す。

 ……本来は、冬場では殆ど見かけなくなる動物達が。

 

「あれは?」

 

「ご当主様が作られた人工生物です。

 同時に使い魔でもあり、この森の監視の任務に従事しています」

 

「結界があるのに?」

 

「もしも、結界が破られた時の備えです。

 その他にも、お使いには便利な子達ですから」

 

「そう、勤勉なのね」

 

「アインツベルン製ですから」

 

 その物言いに、思わず苦笑してしまう。

 老舗の意地を感じさせられるモノであるし、絶対の自信を感じたからでもある。

 流石のアインツベルンと言えば良いのか。

 

「そろそろです」

 

 そんな私の思考を遮って、彼女が告げる。

 森の続いた光景は、遂にその果てへと至る。

 正面から見える景色は、段々と拓けて、そして……。

 

 ――ハッと、息を飲む風景が目に飛び込んできた。

 

 雪降る古城、寓話の箱庭。

 私の想像していた、いや、それ以上の偉容。

 千年の積み重ねの幻想とも言えるそれに、彼女は事もなさげに到着です、と告げたのだ。

 

 遠き日に、置き去りにされた場所――アインツベルン城。

 古錆びた城は、雪に寄って白亜に染め上げられているようにも見えた。




本当はイリヤと会うまで進めたかったけど、キリが良かったので区切りました。
あと、迎えのメイドさんは名無しのメイドさんで、今月に引退予定とかいう脳内設定があったりします(どうでもいい話)。

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