冬木の街の人形師   作:ペンギン3

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先月は更新できなかったので、何とかもう一話更新です(月末スライディング)。


第36話 混じり合う思惑

 聞きたい、と彼女は言った。

 聞かせてあげる、と私は答えた。

 けれど、今は部屋には私一人。

 

 イリヤは、答えた私にとても嬉しそうな表情を浮かべていた。

 形容するなら、冬に咲いた向日葵みたいに。

 それまでのいたずらっぽい笑みではなくて、純真な子供の様な。

 でも、とイリヤは言う。

 時計を見て、私を見て。

 

『また、後で。

 夜が来た後、またこっそりと来るわ』

 

 今は、セラが怖いからゆっくりできないし。

 イリヤは、はぁ、と溜息一つ吐いてそう言っていたが、恐らくはあのメイドの方がもっと深い溜息を出したいだろう。

 でも、もしこの部屋でイリヤが見つかったら、私もイリヤも連座で睨まれ……いや、私の方は即刻叩き出されるかもしれない。

 と、そういう訳で、イリヤとリズはこの部屋から退避した。

 逃げるというには大胆であり、隠れながらというには軽い足取りで。

 この分では、多分イリヤは捕まらない自信があるのね、と私に信じさせる足取りで。

 

 ただ、それから十分後に聞こえてきた声は……。

 

『あぁーっ! セラずるい!!

 部屋の中でマチブセなんて、主人にする事じゃないわ!!』

 

 ……どうにも、イリヤの作戦負けを知らせるモノであった。

 

 はぁ、と息を吐き、イリヤに黙祷する。

 生きているけれど、きっとお説教コースは確定だろう。

 あの不機嫌な彼女は欠点を一つずつ論っていくタイプと見たので、終わった後はイリヤの口からエクトプラズムが見えるかもしれない。

 でも、多分だけれどイリヤは私の事を漏らさないでいてくれると、私は何故か信じていた。

 後でまた来ると言っていたから。

 あの目で、外の話を聞きたいと言っていたから。

 都合の良い解釈だけれど、そう想えるのがイリヤだった。

 もしかしたら、また絶対に会いたいな、という私の願望の反映なのかもしれないけれど。

 もしそうだったら、私はイリヤに入れ込みかけているわね、と笑ってしまいそうになる。

 彼女の中身か容姿、両方共に私は気に入っているのだから。

 

 ――だからイリヤ、また絶対に後でね。

 

 誰にも聞こえない様に心の中で、祈る様に呟いた。

 顔はきっと、笑っていただろうけど。

 

 

 

 

 

 そうしてイリヤの叫び声が聞こえてからしばらく、無聊の時が訪れる。

 恐らくはイリヤはお目付け役の様な、あの不機嫌な彼女にお説教をされている頃だろう。

 私には遠く離れた所を視る目は無いから、その実態は分かる訳ないのだけれど。

 

 自然と頬杖をついて、外の景色を眺めていた。

 雪が降り積もりつつある、白のカーテンと言っても過言ではない風景が目に飛び込んでくる。

 これは止んだ後が大変ね、カタカタと窓を揺らす風の音に耳を傾けながらそう思ってイリヤの事を考える。

 雪の白さが、彼女を連想させたから。

 

「雪の妖精さん、なんてね」

 

 冗談めかして呟いてみたけれど、強ち間違ってないと感じてしまう辺り、私は彼女に神秘的なモノを感じているのだろう。

 透き通るような白い髪に、ルビーを溶かして凝縮したような赤い目、それに彼女の可愛いとも綺麗ともいえる容姿が合わさって、人間離れした雰囲気を醸し出していたのだと思う。

 夜の雪原を彼女を見た日には、本人が否定しても妖精だと断じてしまう魅力がイリヤにはあった。

 悪戯っぽい目に赤さを隠している所が、余計にそう思わせられるのだ。

 本当に綺麗……思わず、人形さんにしたくなるくらいに。

 

 そこまで考えて、ちょっと苦笑してしまう。

 可愛く仕上げるか、それとも精巧に生きているかの様に緻密に作り込むのか。

 職人としても、少女としても、迷って仕方がないのだ。

 どっちも作れば? なんて野暮な考えが過ぎって、我ながら愚にも付かないと頭を振る。

 私が作りたいのは量産品ではなく、一つっきりのお人形だから。

 

 頭の中で、小悪魔なイリヤと天使の振りをした小悪魔なイリヤが、ガヤガヤと騒ぎ始める。

 等身大にしちゃう? とか、髪はやっぱり本物に近付けるべきねとか、ココアはバンホーテンのモノが良いわ、とか。

 最後は意味不明だったけれど、概ね私の脳内会議に出席しているイリヤは、如何に自分の人形の価値を釣り上げようとしているのかに終始している気がする。

 まぁ、本当に私の脳内会議なだけだから、全く持ってイリヤの意見なんて微塵も入ってないのだけれど。

 

 内からムクムクと溢れてくる創作意欲に、私は鉛筆とスケッチブックを取り出す。

 湧き出る熱が収まらない内に、紙の中に想いを全て閉じ込めてしまおうと、そう思って。

 だけれど、そんなタイミングで扉がコンコンと叩かれる。

 ……率直に言って、とても間が悪いと思ってしまったのも仕方ないだろう。

 

「失礼します、マーガトロイドさま」

 

 入ってきたのは無表情な、今まで見たことのないメイド。

 と言っても、顔はやはり一緒で、違うのは雰囲気くらいなモノだけれど。

 その入ってきた彼女は、スケッチブックを持っている私に一目しただけで、要件をサラリと告げる。

 特に抑揚なく、お仕事ですからと言わんばかりに。

 

「お館様がお呼びです、よろしいですね?」

 

「えぇ、望むところよ」

 

 どうやら、待っていた時が来たみたい。

 私の目的、その手段に近づく為の話し合いが。

 それまで考えていた事を、頭の中の小物入れに仕舞う。

 ベッドに座っていた状態から立ち上がって、自分の状態を確認する。

 時差も有り、朝の八時に日本を出たけれど、現在のドイツは昼の三時。

 飛行機に揺られた十二時間は、確実に私の体のリズムを崩したけれど、決して悪い気分ではなかった。

 むしろ、高揚してきてるといっても過言ではない。

 

「では、こちらへ」

 

 立ち上がった私を一瞥し、先導し始めたメイドの背中、それに付いて行く。

 けど、足こそは彼女に続いているとはいえ、彼女の背中ではなくその先にある話し合いに付いて私は考え始めていた。

 これまでとこれからの事、行き着く先々に想いを巡らしてしまうのだ。

 だって、この一年に冬木でしてきた事、それらが無駄に成るか成らないか、恐らくはこの会談で決定するから。

 そう考えると、背筋は何時も以上に真っ直ぐと伸びて、懐に居る上海や蓬莱に語りかけたくなる。

 ねぇ、私はね、今から頑張って話し合うのよ、貴女達と話せる様になる為に、と。

 

 とても先、この会談が成功した先の事を考えて、まだまだ荒唐無稽ねと一人苦笑する。

 でも、この話し合いで結果が出せれば、そんな事も夢物語じゃ無くなるのかもしれないのだ。

 ここが踏ん張りどころと、自覚して然るべきなのだろう。

 意識すると、自然と力が入る。

 頑張らなきゃと、気力が充実してくるのだ。

 

 そうして決意して、どれほどの廊下を歩いただろうか。

 距離感が分からなくて、まるで永遠に同じ場所を徘徊している気もする。

 もしかすると、そういう認識阻害の魔術が張り巡らされているのか。

 ……だとしたら、非常に気になる事この上ないが、下手に抵抗なんてできない。

 したら最後、四方から私を処刑する為のギミックが作動するだろうから。

 なので息を殺して粛々と、私はメイドの後をついて行って……。

 

 ――気が付けば、大きな扉の前に立っていた。

 

 どういう道を辿ったのか、まるで思い出せない。

 けれども、扉は目の前にあって、メイドは静かに私を見ていた。

 準備は良いのかと、その目が告げている。

 言葉なんて返す必要はない、出なければこんな所まで来ていないのだから。

 ……なので、私は静かに頷いた。

 

 ――扉が、開く。

 

 広がっている風景は、静謐という文字に荘厳という意味を付け足したような場所。

 もしかしなくても、冬木の言峰教会よりも余程立派な、されど神への信仰なんて微塵にもなされていない、不思議な矛盾に満ちた場所。

 扉を開けた向こうから、冷ややかな空気が流れてくる。

 私に対する当て付けの様に、生の感情をそのまま載せてしまっている様に。

 

 沈黙している私に、メイドがお越し下さいと促し、私も頷いて彼女に続いていく。

 一歩その場に足を踏み入れれば、コツコツという大理石と靴が反発する音が、辺りへと響き渡る。

 周囲の壮麗な建築が、その音も合わさって私を威嚇しているのかと思ってしまう。

 でも、後になんて引けるはずもないので、澄まし顔を取り繕ってそのまま真っ直ぐと歩いていく。

 そして、奥の祭壇の場所で……。

 

 ――ゆらりと揺らめく白い影。

 ――景色と同化していた人物が一人、そこには居た。

 

「アリス・マーガトロイド、冬木から訪れた客人で相違ないな?」

 

「えぇ、お会い出来て光栄です、アハト翁」

 

 朴訥が語り出せばこの様な声になるのか、そう思わせられる声に、私は礼を失しない様に答える。

 前を見据えれば、まるでモノを見る目で私を見ている、長身のギリシア彫刻の様な老人がそこには居て。

 この人物こそが、と私は息を呑む。

 

 ――ユーブスタクハイト・フォン・アインツベルン、この城の支配者にして小聖杯鋳造の担い手。

 

 何百年もの間、聖杯とその先の第三魔法を求めてやまない執念の塊。

 程度で言えば、間桐臓硯に匹敵する。

 けど、どうしてだか間桐臓硯と違って、生々しさを感じる事はない。

 凄みを感じる事はあっても、どうしようもない程の欠落を感じるのは、間桐臓硯とは違うベクトルで壊れてしまったからか。

 間桐臓硯は常に裏があると読める人物ではあるが、目の前の老人はそういうモノを一切感じさせない。

 ただ、そこにあるだけと思えてしまう。

 

「間桐臓硯からの紹介状は、お読み頂けましたか?」

 

 それ故に気が反ったのか、口火を切ったのは私からだった。

 アハト翁は表情を動かさず、代わりに私の目に視線を合わせる。

 ……まるで無機物の様な目に、彼の瞳は固まっていた。

 

「間桐の家も酔狂者を寄越すとはな。

 一体、何を考えておるのやら」

 

 呆れているのか、吐き捨てているのか、判別が付かない口調。

 どちらにしろ、あまり友好的でない事だけは確かである。

 

「英霊を、それもキャスターを召喚したいと、確かそう書いてあった。

 目的は、それらに師事する為ともな」

 

「はい、その通りです。

 この通りの若い身空、若輩者は近道をしたがるモノです」

 

「小娘よ、ぬけぬけと言うな。

 間桐にどうやって取り入ったかは知らぬが、我らに道理を通すのであればここで潔く立ち去るが良い」

 

「そういう訳にも行きませんから、今ここに立っています」

 

 行き成りの無理難題、間桐臓硯ですら日本を出る前に、頑固者と評していた意味を如実に理解出来た。

 その口調と、木石な目を見ていれば、彼が極度な保守主義者である事が見受けられる。

 聖杯なんて手段にも関わらずに、二百年にも渡り同一の手段しか取ってないのは、その表れか。

 もしくは、アインツベルンにとって、二百年とは瞬きするに等しい時なのか。

 推測は他所に、話し合いは進んでいく。

 冷たく、まるでこのドイツの冬の様に。

 

「ならば小娘よ、一体貴様は何を齎すのだ。

 我らは魔術師、何を持ってアインツベルンの利とする。

 我らの技術に伍する、その形を述べよ」

 

「ノウハウの蓄積と研究の成果の提供。

 後は現界した英霊の観測をする事による、英霊の運用形態の構築などですね」

 

「等価交換というには、釣り合いが取れておらぬ。

 それに、それらは御三家全てに共通して、饗されるモノであろう」

 

 淡々と、だけれども目を鋭くして指摘するアハト翁。

 言葉に露骨さを滲ませる様は、間桐臓硯とは違い正直ではあるが、だからと言って快いかと言われれば正反対である。

 要するに、露骨な賄賂の要求でもあるのだ、面白いはずがない。

 しかし、ここで折れなくては話が頓挫するかもしれないのも、また事実である。

 

「……何か要求はありますか?」

 

 思わず、敬語をかなぐり捨てそうになったが、なんとか我慢する。

 少し声も震えていたかもしれないが、向こうはそんな事気にしてないし問題はないだろう。

 そもそも、私の方が温いと言われても仕方ないのだから。

 そんな私を尻目に、アハト翁は淡々と、だが明確な意志を持って告げる。

 

「貴様の行っている研究を随時、その成果を全てアインツベルンに公開する事を要求する」

 

 けど、それは……私が思っていた要求とは、また別のものであった。

 てっきり、現実可能でイヤラシイ範囲での、そう、例えば遠坂や間桐の情報を垂れ流す、間諜の役割だとか。

 しかし実際に要求されたのは、私よりもアインツベルンの方が遥かに蓄積しているであろう技術の提出である。

 面食らわなかったと言えば、嘘になるだろう。

 

「良いのですか?」

 

「かまわぬ、というよりも、大して期待などしておらん」

 

 無機質に、淡々と彼は吐き捨てる。

 わざわざ相手をするのも馬鹿馬鹿しいと言わんばかりで、だがと彼は続けた。

 

「魔術師とは、根源に辿り着く手段に過ぎない。

 だからこそ、その方法もまた、多い方が良い。

 聖杯戦争も然り、貴様の求道も然り。

 貴様の研究は、アインツベルンの分野にも重なる事がある故に」

 

 間桐臓硯は手紙を長々と書いていたらしい。

 概ねの事情はアハト翁も察知している様で、小憎たらしげに言葉を次々と吐いている。

 普通の魔術師なら、到底呑める条件ではない。

 自らの研究の成果の秘匿、それは確実に成されなければならない重要事項。

 系列として引き継いで、次代へと託していくバトンなのだから。

 しかしそれは……私に限っては、また別の話であった。

 

「その条件を呑めば、了解は頂けますか?」

 

「了承できるのであればな」

 

 念を押すように確認しても、彼は是と言っている。

 私からすれば、千載一遇のチャンスで、付け入る隙以外の何者でもない。

 だって……どうせ、この研究は自己で完結するモノでしかないのだから。

 よしんば他家に術を教えても、私が困る事なんてその術を拡散されて精度を落とされる事くらい。

 

 しかしアインツベルンとて、そこまで愚かな真似はしない筈。

 根源を目指しているのなら、技術は秘匿するもの。

 しかも私の術を応用できたら、という発想なのだ。

 間桐臓硯辺りが手紙で研究内容を教えたのであろうが、今回ばかりはそれが幸いした。

 鬼の霍乱という奴なのだろう、間桐臓硯がこのような事を援護をしてくれるなんて。

 

「分かりました、承諾しましょう。

 ギアスが必要なら、書面を用意して頂けると助かります」

 

 私は至って普通な顔を装い、焦りなんて微塵も見せずに告げる。

 災い転じて福となす、いや、この場合は私の早とちりだったのか。

 内心で緊張が高まりつつある私に対して、鉄面皮のアハト翁はただ淡々と首肯して。

 ――思わず、手を握りしめてしまっていた。

 

「格別のご配慮に感謝致します」

 

 さっきとは違う意味で震える声、表情を隠すために頭を下げる。

 何か、遠いところに手が届いたような、そんな気分。

 ドキドキと心臓が破裂しそうなくらいのテンポで、リズムを刻んでいる。

 知らず知らずの内に、大きく力んでしまっていたらしい。

 思わず漏れてしまいそうな笑みを、私は我慢するのに必死だった。

 

「後ほど、使いの者に書面を運ばせる、部屋で待っておれ」

 

 彼の声に反応して、今までずっと後方で待機していたメイドが、再び私を部屋に案内してくれようと、私の前に上品に歩いて来て、こちらへと小さく告げる。

 それを確認して、私はまた深々とアハト翁に頭を下げると、そのまま来てくれた彼女について行く。

 高揚はそのまま、冬の廊下が少しは私に落ち着きを取り戻してくれるのかな、なんて考えながらの歩みであった。

 

 

 

 

 

「宜しかったのでしょうか、ご当主様」

 

 アハト翁しかいないと思われた祭壇に、もう一人の白い影が現れる。

 厳しい顔をした、アリスにキツく当たっていたメイドだ。

 彼女はこの場の伏兵として、アリスがアハト翁に害を及ぼそうとした時に誅する役割を与えられていた。

 本来は戦闘用でない彼女も、魔術師としては一級品である為に伏せておく手札としては最適だったのである。

 

「……構わない、むしろ天佑である」

 

「天佑、ですか?」

 

 普段は必要ない時は口を開かないアハト翁だが、この時ばかりは口元が滑らかであった。

 口が滑ったとも言えるが、アハト翁自身がそれに気付き、即座にセラに下がるように申し付ける。

 セラも口が過ぎたと思ったのか、素直にそれを受け入れて下がる姿勢を見せた。

 

 その場の祭壇に残ったのは、これで文字通りにアハト翁ただ一人。

 それを知ってアハト翁は、自然と口を開いていた。

 誰に聞かせるでもなく、ただ事実を確認する為に。

 

「時が満ちる、我らが望んだその時が」

 

 淡々と、何ら感情を見せる事なくアハト翁は呟く。

 しかし、聞く者がいれば、背筋を震わせる悪寒に囚われたかもしれない。

 耳から絡みつくような、まるで恨みがましい言葉でも聞いたかの様に。

 

「あと一年で再び始まる、我らの闘争。

 小娘、残念であったな」

 

 空に告げるアハト翁は、この時だけ、今この場にいない少女に声を掛けていた。

 器を作る技能があるアインツベルンだからこそ、この時期に感知する事ができていたのだ。

 ――大聖杯に力が満ちつつあるのを、彼こそは知っていた。

 その様な時期に、自ら生贄の様に現れて、寄りにもよって最弱クラスのクズ札を持っていったと、アハト翁は認識していたのだから。

 

「日本では確かこう言うらしいな。

 ”飛んで火にいる、夏の虫”と」

 

 彼の記憶ではその言葉は、日本人が食料のない夏場に現れた虫を取って食うという、恐ろしく野蛮な文化の象徴であった。

 出典は民明書房と言われる辞典で、それをドイツ語に訳したのはフィンランドの名家であるエーデルフェルト家だと言われている。

 彼はそれで日本について勉強し、自身の中の日本観を育ててしまっていた。

 そしてそんな野蛮な日本の冬木で、あの少女は自らを饗そうとしている。

 あまりの滑稽さに、クク、と普段笑わないアハト翁が、声を漏らしてしまった程の事。

 

 彼は彼女の、アリスの研究成果などどうでも良かった。

 ただ勝手に、唯でも最弱な手札を余計に弱くして、自らの首を絞めている少女の愚かさに嘲笑を浮かべずには居られなかったのだ。

 だからこそ彼は、今回の事もただそれらしく振舞ったに過ぎない。

 いずれは殺す者に対する、彼なりの策略であった。

 

「もしやそういう意味であったか、間桐家め」

 

 もしかしたら、アインツベルンだけでなく間桐家も感知していたか、と邪推するアハト翁。

 どれだけ間桐の家に粉を掛けられているかを確かめるべくこの城に呼んでみたが、アレは本当の意味で野良魔術師だと彼は判断していた。

 その目は不敵な輝きに満ちていて、間桐が溢れさせている暗さとは対極にあった。

 そういう分かりやすさを、人を見る目のない彼は信じる事にしたのだ。

 ある意味で、アリスという少女は幾ら取り繕っても、純朴さを隠せてはいなかったのだから。

 間桐家も、その様な策略で優秀な魔術師を潰そうとしていると、彼が邪推してしまったのも、思い込みの強さ故かもしれない。

 

「まぁ、良い。

 どのみち勝つのは我らがアインツベルン。

 冥土の土産に、残りの余生を楽しむがよかろう」

 

 それは、アハト翁なりの慈悲であり、余裕であった。

 今度は最強の手札を、彼は引き寄せているのだから。

 ただその場に、彼はジッと立ち続けて、次こそはと情念を燃え上がらせる。

 その老人は少女を、どこまでも見下していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「もう、夜ね」

 

 気が付けば、もう既に夜の十時を回っていた。

 あれから部屋に戻った私はする事もなく、イリヤのラフ画を描いてみたり、ここのメイド服がどういう構造なのかを調べたりしてみていた。

 実に興味深く、思わず熱中してしまったのは、このアインツベルンの成せる魔力か。

 

 それから部屋に届けられた夕食についても、ある意味でアインツベルンは流石であった。

 カルトッフェル・ズッペ(芋のスープ)にポテトパンケーキ、付いていたヴァイスヴルストとザワークラフトにパンのセットにも、そのまま茹でたジャガイモが塩で味付けして大胆に一個まるまる出されていた。

 凄まじい勢いでの芋攻め、ドイツらしいというのか何というか。

 味に関しては文句の付けようも無かったから、これはこれで良かったのだけれど、お陰でお腹はいっぱいいっぱいだ。

 思わずお腹周りが気になって、さわさわと食後のお腹を触ってしまっていたのも、仕方ないだろう。

 

 そしてそのまま、大きな風呂へとメイドに連行されて、何から何まで綺麗に清められてしまった。

 まさか、服までメイドに剥がれて、手洗いであんな所まで洗われてしまうとは……。

 とても事務的な作業だったけれど、恥ずかしい事に変わりがない。

 何時かの早苗とお風呂に入った時の事を思い出して、必死になって遠い目をするのに必死であった。

 何げに他人に体を洗われるのは、中々に恥ずかしい事なのねと、ちょっと分かってしまったこの時。

 早苗がどうして私に体を洗われるのを嫌がっていたのか、ようやく少し分かった気がした……洗ってあげている分には、とっても楽しいのだけれど。

 

 お風呂から引き上げられた後は、白いネグリジェを着けさせられて、ようやく部屋に帰還。

 服は明日辺りに、洗って返すとの事。

 恐らくは今頃、メイド達が洗濯機を回している……のか手洗いなのかは知らないが、服を洗ってくれている事に違いはない。

 色々とこの城のメイドは、色々と大変である事が伝わってくる状況である。

 まぁ、私は客人として甘えるしかないので、後日に礼を述べるくらいしか無いのであるが。

 

 でも、ようやく気持ちが落ち着いた事もあって、はぁと息を吐く。

 ちょっと気疲れしたかもしれないし、達成感から出てくる安堵の息かもしれなかった。

 だって、これでようやく……。

 

「私の目的への第一歩、それを踏み出せるものね」

 

 クスッと、人知れずに笑ってしまう。

 嬉しいというか、楽しみというか。

 前途は決して明るい訳ではないけれど、それでも前に進めるというのは実に励みになるから。

 先だっては、英霊召喚にどの人物を呼び寄せるかとか、そういう事まで考えていた。

 捕らぬ狸の皮算用なんて、言わせたりなんかしない。

 これは正当な計画なのだ、今後の予定、明日の献立を考える様なものなのだから。

 

「上海、蓬莱、待っていなさい。

 私はきっと、貴方達とお喋りをするし、遊んだりもするんだから」

 

 今は部屋にある机に鎮座させている彼女達に、私は喜びの声を掛ける。

 二人を引き寄せて、ギュッと抱きしめてしまう。

 はっきりと分かる、今の私はテンションが高いと。

 

「私と貴方達は、ずっと一緒だったものね。

 ……もし動ける様になったとして、貴方達は今までの事は覚えてくれてる?

 覚えてないのなら仕方ないけれど、もし覚えてくれてるのなら……」

 

 掌にある彼女達に、私は染み渡らせるように語りかける。

 気持ちが届いて欲しいと、願いを込めて。

 貴方達二人に届けと、確かな意志を持って。

 

「昔の事を語りましょう。

 私と貴方達と、それからね……」

 

 それ以上、私は言葉を紡がなかった。

 いや、紡げなかったが正しい。

 色々と気持ちが溢れて、ただ彼女達を握る手を強くしてしまう。

 まだまだ先の話なのに、夢想は止まらなくて、それどころか零れてしまうくらい。

 こぼれた感情が、上海達に届いてと、そう祈ってしまうのは贅沢な願いか。

 いいや、そんな事はないと自分に言い聞かせる。

 きっとそれは、この娘達も分かってくれていると。

 

 そこまで考えて、やっぱり苦笑してしまう。

 気持ちが浮ついているのは自覚できてるけれど、それでもここまで酷いとは自分でも想像していなかった。

 なでりなでりと、上海と蓬莱の頭を撫でながら、そんな事を考えていた。

 人は嬉しいと、人知れず興奮してしまう事を学んだ一日である。

 そっと、上海達を机の上に座り直らせた。

 ようやく、この時間帯になって、眠気が巡ってきたのだ。

 だって、時差もあったとは言え、もう既に二十時間以上は私は動いていて、それなりに疲れてもいるのだから。

 

「お休みなさい、上海、蓬莱」

 

 何時もの挨拶をして、私は自然と瞼を閉じる。

 明日は良い日になると、無条件で信じられる気分でのお休みの挨拶。

 来る時は不安もあったが、枕を高くしての心境だったのが、とても安心できたのだった。

 

 

 

 ………………

 ……………

 …………

 ………

 ……

 …

 

 

 

 何だか、体が重い。

 夢を見ているのか、だとしたら一体何の夢を見ているのか。

 強く意識すると、不思議な情景を浮かび上がってくる。

 ふわりと、羽が風に乗る感覚で――

 

 

 

「ア~リスさん!」

 

「……早苗、貴女、自分が何をしてるか分かってるの!」

 

「分かってます、私、そんなに子供じゃないです!」

 

 気が付けば、私は畳に敷かれた布団の上で、早苗に馬乗りにされていた。

 手は縛り上げられて、お腹の辺りに早苗が乗って私を見下ろしている。

 

「そう、だったら直ぐに離れて。

 悪いことは言わないわ、それが貴女の為よ」

 

「何でそんなこと言うんですか……」

 

「早苗?」

 

 早苗の顔を覗き込むと、上気した頬に潤んだ瞳が私の目に写りこんで……。

 

「アリスさんは何時もそうです。

 アリスさんがいっぱい触れてくれて、私をときめかせるクセに、私からは触れさせてくれません。

 狡いです、横暴です!」

 

「早苗、だからと言って、こんな事をして良い事にはならないのよ」

 

「自分が間違ってるなんて分かってます。

 でも、我慢できないんです!

 全部、アリスさんの意地悪のせいなんですからね!」

 

「早苗!」

 

「今はアリスさんの言うことなんて聞きません。

 問答無用です!!!」

 

「何を、する気?」

 

「こう、するんです」

 

 そう言うと、早苗はゆっくりと私に顔を近づけてきて。

 可愛い唇を突き出して、そのまま……。

 思わず私は目を閉じて、ジッとその時が訪れるのを待っていて、そして。

 

 

 

 

 

「……夢?」

 

 ぱちくりと、目を覚ましてしまう。

 額には汗、体は驚く程に熱かった。

 

「……悪夢、なのかしらね」

 

 判断がつかない状況に、ぼそりと呟く。

 ――そんな呟きに、幼い声が返ってくる。

 

「早苗って人、嫌いなの?」

 

「嫌いな訳ないわ、大切な友人よ」

 

「なら、別に悪夢じゃないわ。

 嫌いだったら、無条件で責め立てたくなるんだから」

 

「そうね……ん?」

 

 重い瞼で会話をしていたが、途中で違和感に気が付く。

 私は一体、誰と会話しているのかと。

 そして、どうして私のお腹はまだ重いままなのかと。

 ゆっくりと、錆び付いた機械の様に、視線をお腹の辺りに向ける。

 すると、そこには……。

 

「えへへ、来ちゃった」

 

 小悪魔っぽい笑みを浮かべた、妖精さんの姿が。

 思わず絶句する私に、彼女は穏やかに言う。

 反して、目の輝きは増していくばかりだけれど。

 

「こんばんは、アリス。

 今日は良い夜よ。

 だから、いっぱいお話を始めましょう――」

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