冬木の街の人形師   作:ペンギン3

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胎児よ
胎児よ
何故踊る
母親の心がわかって
おそろしいのか
            夢野久作『ドグラ・マグラ』より





第38話 運命の夜、契約の時

 その日、冬木には雪が降っていた。

 降り積もる程ではなく、切なく淡い、路傍に消えゆく泡沫の白。

 触れれば溶けて水となり、墜ちれば積もらず土に還る。

 それを見ていると、何故だか優しいのね、と思えて。

 私は、この冬木の雪が嫌いではなかった。

 だから、どうか――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 空を見上げれば雪が、地を見下ろせば人が疎らに。

 幽霊屋敷と名高い遠坂邸からの風景は、何時もとほんの少しだけズレていた。

 何故といえば、新年を迎えたから。

 雪も風も静かだけれど、どうしてだか空気がざわめいている様に思えるのだ。

 もしかしたら、それは私の心が落ち着かないからかもしれないけれど。

 

「アリス」

 

 私の鼓膜を、軽やかな声が撫ぜる。

 窓際から離れ、振り返れば、そこには凛の姿。

 先日までは遠坂神社絶賛営業中との事で巫女服だったけれど、現在は普段着で何時も通りの服装。

 アレはアレで面白かったのだけれどね、と忍び笑いを浮かべてしまう。

 そんな私に、凛は怪訝そうに”何?”と短く聞いてきて。

 

「巫女服、似合っていたのになって思っただけよ」

 

「家の中まで着てたら変態じゃない」

 

「そうかもしれないけれど、少し残念ね」

 

「アンタも着てたクセに」

 

「自分で着るのも良いけれど、他人のを見る方が私は好きよ」

 

 そう言うと、凛は何とも言えない目で私をジッと見て、はぁと溜息を吐いた。

 何が言いたいのかと一瞥すれば、何とも言えない口調で凛が尋ねてくる。

 

「もしかしてアリスって巫女服が好きだったりするの?」

 

「? 嫌いじゃないわね」

 

「それは、早苗の影響?」

 

「そうかもしれないけれど、凛のは素直に似合ってたからよ」

 

「あっそ」

 

 この誑し、と小さく呟いた凛は、どこか呆れた風でいて。

 女の子同士なんだから問題ないわよ、と私は事実その通りのままに返事をする。

 単に、感じたままの思いで、特段歪める必要などないのだから。

 フッと、凛は私から視線を外し、窓際に近づいて空を見る。

 シンシンと、雪がゆっくり降っている光景を。

 

「降ってるわね」

 

「そうね……凛、雪は嫌い?」

 

「別に、綺麗だし好きよ。

 寒いのはちょっと勘弁だけど」

 

 遠い空を凛は眺めている、空の果てに何かあるみたいに。

 一体凛が何を見ているのか、そんなのは私は全く分からない。

 ただ、凛は静かに空を眺めていて。

 懐かしいモノが、空の向こうにはあるのかなと思えた。

 

「冬木は雪が積もる時はあるかしら?」

 

「ん、滅多に無いわね。

 積もっても、そんなに積雪は無いけれど」

 

「そう」

 

 凛に倣って、私も再び空を眺める。

 雪はまるで彩る様に、綺麗に宙を舞っていた。

 冬木の街を、粧し付ける様に。

 それに拐かされた様に、私はそっと窓を開ける。

 すると、冷えた空気が私と凛を歓迎して。

 

「寒いわよ、アリス」

 

「凛は寒がりなの?」

 

「冷え性よ」

 

「分かったわ――でも、もう少しだけ」

 

 凛にそう言えば、一つ彼女は頷いて。

 私は、手を窓の外に伸ばす。

 降り積もっている雪の一粒、それを掌に掴もうとして。

 

「……やっぱり、駄目ね」

 

 でも、手にした物は、雪ではなくて。

 溶けて水になった、雪だった物。

 触れれば、私の体温と混じった生温さが伝わってくる。

 はぁ、と溜息一つで、私は窓を閉めた。

 どこか残念で、何故だかフラレた感覚が胸に過る。

 

「雪を掴めるとでも思ったの?」

 

 そんな私に、凛は不思議そうに尋ねてきて。

 何となく、と前置きして私は答える。

 不思議な事じゃないのよ、と思いながら。

 

「ここの雪は柔らかい感じがするから、何となく手に残ってくれる様な気がしたの。

 雪は触れたら溶けるなんて、子供でも分かる事だけれど」

 

「ふぅん、そうなんだ。

 ま、気持ちは分かるわ。

 こういう時って、何故だか出来そうな気がするもの」

 

 私はしないけどね、と凛はいたずらっぽく付け加えて。

 どこか、私がひどく子供っぽい真似をしてしまった気がして、頬を掻いてしまう。

 照れ隠しというよりは、どこかバツの悪さを覚えたから。

 指先から感じる感覚はとても冷たくて、きっと雪の魔術ね、と私には思えた。

 

「凛は」

 

「何?」

 

「凛は、よく許してくれたわね」

 

「ま、ね」

 

 何が、と凛は聞かずに、とても小さく返事をする。

 言わずもがな、彼女は何の事か分かっていて。

 私は凛の方を向かずに、宙に視線を彷徨わせながら言葉を続ける。

 出来るだけ然りげ無く、ちょっとした事を語るように。

 この一年の、私にとっての挑戦の事を。

 

「英霊召喚、それに大聖杯の魔力を行使するなら、宝石だけじゃなくてもっと対価を要求されるって思ってたわ」

 

「大聖杯に蓄積されてる分なら、霊脈を傷つけないもの。

 それに、どうせ何か起こるとしても、遠い日の話。

 六十年が七十年に変わったって、そんなに大差ないって話なだけ」

 

「……ありがとう」

 

「出世したら返してもらう事にするわ」

 

「……高く付きそうね」

 

 凛は笑みを浮かべて、私もそれにつられて笑う。

 その言葉は、魔術師じゃなくて友達としての凛の言葉だったから。

 信頼してるって、言葉でなくても伝わってくる。

 それがありがたくて、擽ったくて、暖かい。

 冷たい冬には良く染みる、凛の優しい心遣い。

 この一年での研究の事を知ってるからっていう理由での、等価交換よりもやや安い取引。

 それは単純に、凛が優しいから出来た事。

 もしかしたら、凛はこの一年で大分に緩くなってしまったのかもしれない。

 けど、その緩さは、私にとってはとても心地良くて。

 私は何気なしに、凛に甘えたい気分になっていた。

 具体的に言えば、ちょっと肩を預けて、寄り掛かりたい気分に。

 

「ねぇ、凛」

 

「何、ってきゃっ!?

 あ、アリス、イキナリなにすんのよっ」

 

 でも、窓際に立ったままではそんな事できなくて。

 代わりに、私は凛の背中にもたれ掛かっていた。

 凛なら、これくらいの事をしても、許してくれるかな、と思って。

 ……冷えた体に、凛の体温はとてもとても暖かい。

 この寒さの中でなら、ずっと引っ付いていたくなる程に。

 

「寒かったからつい、ね」

 

「何がつい、よっ。

 重いから今すぐ退きなさい」

 

「じゃあ急に腰が抜けた事にするわ」

 

「適当すぎるわよ!

 あーもうっ、邪魔よアリス!」

 

「分かってるけれど、もうちょっとだけここにいさせて」

 

「女の子でも見境なしか、あんたは!」

 

「見境なしじゃなくて、凛だからよ」

 

 逆に、男の子相手には、恥ずかしくてこんな真似は出来ないもの、と内心で思う。

 凛だからこそ、こういう事を気安く出来るのだと。

 そして当の凛は、ウガーッと吠えているけれど、一向に暴れる気配は見せない。

 振り解こうと思えば、凛は何時だって私から逃れる事が出来るのに。

 だから、それはきっと黙認なのねと勝手に判断して、もう少しだけ凛の背中で丸くなる。

 

 その背中で想うのは、今までに無い程に濃かった昨年の事。

 ルーマニアに居た頃も愉快な事はあったけれど、この街ほどに密度が濃かったかといえば、否と答える他にない。

 日本人は遠慮がちな恥ずかしがり屋とは、一体誰が言った風評であろうか。

 凛に間桐くん、それに楓なんかはその日本人観からは見事に外れている人物の典型例だ。

 藤村先生なんかに至っては歩く拡声器で、割とファンタジー世界の住人である。

 もしかしたら冬木だけが特別におかしいのかもしれないけど、取り敢えず暫定で私の日本人観は変な人が多い、といったところか。

 

 そのお陰で退屈なんて全然しないけど、時々騒がしすぎると思ってしまう事もある。

 けれど、そんな事も含めて、私はすっかりとこの街の事が好きになっていた。

 この時折煩わしい喧騒があるから、私は寂しくないと自覚できているのだから。

 一人で静かだと、時々余計な事を思い出してしまう。

 それをこの街の皆は、全てかき消して楽しい気分にさせてくれる。

 明日も良い日になると、信じさせてくれるのだ。

 だから、そんな冬木の街や人が、私は大好きだった。

 掛け値なしに、大切だと公言出来る程に。

 

「ん、凛、ありがとう」

 

「ありがとうじゃないわよ、バカ」

 

 凛の背中から、微睡んでいたい誘惑を振り切って離れると、照れれば良いのか怒れば良いのか分からない顔をした凛の姿があって。

 最終的に、ジトっとした目で私を睨むところで落ち着いた様だ。

 アンタ、何してくれてんのよ、と今更ながらに怒る方向に感情がシフトしていた。

 だから私は、気にした風もなく平然と凛を見返す。

 言いたい事があるなら聞くわ、といった姿勢で。

 

 ――そうすると、やはり先に折れてくれたのは凛だった。

 呆れたと言わんばかりに、疲れたと示さんばかりに溜息を吐く。

 それが凛の和解の合図で、凛に甘える形で私は彼女に微笑む。

 この街に来た頃はもう少しばかり抵抗されていたけれど、今ではすっかりと凛は私の事を知り尽くしてしまっていて。

 この場合、私が屁理屈でごねてしまう事を知っているから、彼女の方から折れてくれるのだ。

 筋が通らないのなら断固としても凛は噛み付いてくるけれど、一周回ってあまりに馬鹿馬鹿しい話であるなら妥協してくれるしなやかさもある。

 そして私も、凛がおおよそで妥協してくれるだろうと考えていたから。

 

 ……これは甘えなのは分かってる。

 でも、もう居心地の良さに溺れてしまってるから、早々に抜け出す事なんて出来そうに無くなってしまってるのだ。

 だから、と私は誤魔化す為に、外の風景を眺める。

 何時もと同じなのに、今日だけは違う風に見えてしまう風景を。

 

「凛」

 

「何よ」

 

「私の夢、叶うと思う?」

 

 凛の顔を見ず、私は空の向こうを見ながら尋ねた。

 ある意味では独り言な、答えのない問いを。

 どう答えて欲しいかなんて、私自身にも分からない。

 だけれど、凛に何でも良いから答えて欲しかったというのは、確かな事で。

 だから……、

 

「さぁ、私はアンタじゃないから分からない」

 

 その答えが、少し残念で。

 気分を切り替えようとした瞬間に、凛は”でも”と待ったを掛けてくる。

 凛の声は、どこまでも透き通っていた。

 

「私がアリスなら、絶対に成功させるわ」

 

 その言葉に、思わず振り向けば、そこにあったのは何時もの不敵な笑み。

 遠坂凛の、純粋で直向きな眩しい姿。

 どんな事だって自分なら乗り越えられると思っている、ちょっと傲慢だけれど、それでも可能性を信じさせてくれる彼女がそこに居たから。

 

「凛らしいわね」

 

 私なりの賞賛で、彼女に感謝の意を伝える。

 さっきのは、凛なりの発破で、それでいて励ましであったから。

 どこまでも走っていけそうな程の活力を、その言葉に私は吹き込まれる。

 弱気なんて無かったけれど、漠然とした不安だけは胸に微かに存在していて。

 だけれど、今ので私は、そんなモノを気にせずいられる。

 自分だけを信じて、真っ直ぐに突き進んで行ける様になったから。

 

 もう少しだけ外を見ていたいと言った私に、凛は程ほどにね、とだけ告げてこの場から立ち去った。

 ただ一人、その場に残った私は、少し曇っていた窓ガラスを一撫でして、少しばかりの感慨に耽る。

 これまでの事と、これからの事を夢想して。

 

 

 

 ――この日、私は運命に出会う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 まるで刺す様に鋭い寒さだった。

 ゲリラ的に降る雪は積もらず、だからと言っても止まなくて。

 寒さが雪を降らせるのか、雪が寒さを引き寄せているのか。

 見ているだけなら美しいのに、と何人もの人が残念がったか。

 そんな事、私には分からない。

 ただ、春を待ち望む人の気持ちが、この時ばかりは良く理解できた。

 

 そんな現在は、辺り一面が暗くて、空を見上げれば雪降る雲の合間から、僅かな月の光が漏れていた。

 既に夜で、痛い程に静かで、暗闇が誘っている様に見えるくらいに、魔術師の時間が訪れている。

 私はそこに、今回もメガネを掛けて訪れていた。

 

「凛、やっぱりここなのね」

 

「アンタは来たことあったっけ?」

 

「一回だけ」

 

 隣にいる凛に話しかければ、彼女は赤のコートを揺らしながら私の顔を覗いて。

 何したの? と言いたげな表情で、ジッと私を見つめてる。

 それに私は内緒と答えて、肩に掛けているポーチを揺らしながら、そのまま足を進めていく。

 

 目の前には、少し前に来た洞窟。

 狭くて暗く、けれども深く遠い場所。

 ――大聖杯へと繋がる入口。

 

 まるで深淵にでも繋がってそうだと、そう思ってしまえる暗闇で。

 私と凛は、そこに躊躇する事なく足を踏み入れる。

 魔術師にとって、その闇の向こうにこそ手にすべきモノがあるのだから。

 この暗闇こそ、私達にとっては友なのだ。

 

「凛はここに来た事ある?」

 

「こんな所、理由なんて無いのに来る事なんてないわよ」

 

 道中、凛と話しながらデコボコの道を歩く。

 道のりは険しいというには平坦であるが、煩わしく感じる程度には鬱陶しい。

 一応は真っ直ぐ歩けるくらいに整えてあるのが、何とも言えない感覚を呼び起こす。

 来たいものだけが、この道を通るが良いと言われてる感じがするのだ。

 こんな場所、来たくて来る人なんて、きっと変人しかいないのに。

 

「御三家の遠坂なんでしょう?」

 

「セカンドオーナーは暇じゃないの。

 こんな辺鄙な所、わざわざ足を運ぶ暇なんてないし。

 それにさ、ここって柳洞君の実家でしょう?」

 

「あぁ……」

 

 下手に理屈を並べられるより、余程説得力のある言葉であった。

 柳洞くんと凛、水に油で蛇とマングース、ついでに言えば魔女と坊主。

 分かり合える事はあっても、凛と柳洞くんの性質上、相容れないと相反するしかない二人。

 その様は、磁石のN極同士が反発してしまうのを思い起こさせられる。

 故に、凛がここにいると知ったら、柳洞くんは比叡山だと高らかに叫ぶことだろう。

 つまり、凛がこの寺の近くまで来るのは、中々にリスキーな行動だという事。

 好んで近づこうなんて、面倒くさくて嫌だろう。

 ……まぁ、学校で柳洞くんを見かけたら凛は、時々玩具の様におちょくってるけれど。

 

「そういえば、凛は柳洞くんとは、どんな接点で縁が出来たか聞いても?」

 

「別に大した事じゃないわ。

 ただ、中学生の時に柳洞君が生徒会長で、私が副会長だっただけだもの」

 

「推薦?」

 

「そうね、嫌だったけど、クラスで無理やり立候補させられて、都合の良い事を喋ってたら見事当選ってトコ。

 何で宝くじは当たらないのに、こういうのだけは上手くいっちゃうのよねぇ」

 

「凛はそれ以前に、宝くじなんて買ってないもの」

 

「アレ、一等の確率を言うと、根源掘り当てる並みに難しいモノよ。

 そんなの、買う方が馬鹿げてるでしょう?」

 

「堅実ね」

 

「お金は幾らあっても足りないもの。

 預金口座、幾ら見ても増えないのよね」

 

「増えてたら魔術とか魔法の前に、詐欺を疑うべきところね」

 

 話しながら、足を進める。

 既に、この前間桐臓硯と話した、大きく開けた所には出ていた。

 今回は、更にその先へと私達は向かう。

 けれど、その今から向かう場所に対して、私達が話している内容は普段の会話そのものであった。

 なんの気負いもなく、私達は日常の延長とばかりに会話をしている。

 この一年を通じて、私がして来た事の結果。

 それが分かるのが、怖い様な、嬉しい様な、不思議な感覚。

 緊張はしてないけれど、気を紛らわせたくなる気分だから、こうやって会話してるのだ。

 

 飾らないで理由をいえば、単に凛と話をするのが心地よいというだけなのだけれど。

 この街に来て、どんな時だって、凛と話していると楽しくて。

 だから今も、こうして二人で話している。

 ただ、それだけの事で。

 

「あ――」

 

 でも、直ぐに終わりはやってくる。

 道は無限に続いている訳ではなく、薄明かりの灯っている道の先に、ポッカリと空いた空洞があって。

 どうしてだか、その穴が口の様に私には見えた。

 

「もう、来てるのかしらね」

 

「さぁね……でも、綺礼の奴だったら、もう来てるに決まってるわ」

 

「どうして?」

 

「陰湿さが几帳面さに繋がってるのよ、アイツ。

 こういう事に関して、裏があっても手を抜いたりしないもの」

 

「欠点が時には長所にもなり得るのね……」

 

「違うわ、欠点が短所と融合して最悪になってるだけよ」

 

 あまりにあんまりな人物評に成程と納得して、私達は開けた場所へと一歩踏み出す。

 胸の中に、僅かな震えと、溢れそうな何かを抱えて。

 

 そして、そこで見たものと言えば……。

 

 

「ほぅ、死に急ぐか、妖怪」

 

「呵呵、何時にも増して好戦的だのぅ、綺礼よ」

 

「生憎と切開は私の生業だ、余計な手出しは止して貰おう」

 

「さて、儂は疼いておるなと、告げただけなのじゃがな」

 

 とても最悪な組み合わせが、不愉快さを撒き散らしながら睨み合っていた。

 いや、睨んでいるのは神父だけで、間桐臓硯は愉快そうにニヤついていて。

 それが余計に、神父の神経を逆なでしている様であった。

 その光景に、私も凛も、珍しいものを見たと言わんばかりに顔を見合わせる。

 あの神父にも、苦手で嫌いなモノはあったのかと。

 

「ふむ、どうやら儂ら以外にも、ようやく到着したようじゃな」

 

 声に不快さを滲ませている神父を他所に、臓硯は口元の口角を上げて私達を向かい入れる。

 ……そんな彼に、凛と揃って、無条件で不愉快な気持ちになってしまったのは仕方ない。

 何というか、彼の笑顔は、その皮の下に何か妖怪でも潜ませているのではないかと、そういうことを邪推してしまうモノだから。

 恐らくは初めて、そこにいる神父と同じ気持ちになった事だろう。

 

「こんばんは、意外に楽しそうで何よりだわ」

 

「呵呵、マーガトロイドの小娘よ、お主にはそう見えるか」

 

「えぇ、貴方は特にね」

 

 挨拶代わりの皮肉を、臓硯は面白い事を聞いたと言わんばかりに笑い声を上げて。

 その隣に居た神父は、僅かに表情を歪ませた以外は無表情で通している。

 実にこの場において対照的な二人で、神父にとってこの組み合わせは相性が著しく悪いと伝わってくる。

 腐っていても年の功という訳なのか、それとも単純に臓硯の不快さにアテられてしまったのか。

 もしそうだとしたら、あの妖怪を不快に思う感性が、あの神父にあった事そのものが驚きなのだが。

 

「相変わらずの様だな、アリス・マーガトロイド」

 

「貴方は何時も通りではないみたいね、言峰神父」

 

「なに、人間は善人であれ悪人であれ、内を暴かれるという行為は不快に思うものだ。

 この翁は、からかい混じりに、それも悪意を持って実行するのだからタチが悪い」

 

「アンタが言うな」

 

 神父の重い質の声ながらも朗々と述べる言葉に、凛が小さく悪態をつく。

 日頃からいびられてるせいで、絶対に用事が無い限りは教会に近づかない凛らしい言葉。

 それを聞いた神父は僅かに口元をつり上げ、僅かに微笑みを湛えながら凛の方へ向く。

 げ、と小さく凛が声を漏らすが、物の見事にヤブヘビここに極まれりだった様だ。

 嬉々として、神父は口を開く。

 

「兄弟子の下に姿を見せない不良娘に言われるとは、これはまた心外だな、凛。

 私は、何時もお前には手を焼かされていた記憶があるのだがな」

 

「煩い、懐かれたいんだったら、もう少し真人間になる事ね。

 もし更生したら、偽物と断じて殺してあげる」

 

「ッフ、天に旅立った時臣師も、さぞかし嘆いておられる事だろう」

 

「そうね、こんなロクデナシを弟子にした事、お父様もずっと後悔してるに決まってるわ」

 

 顔を突き合わせた途端、凛も神父も激しい皮肉の応酬を開始する。

 柳洞くんと会った時も同じ様な光景が見られるが、その時は凛は楽しげに言葉を交わし合っている。

 一方、目の前の神父の事になると、顔を憎々しげに変化させるのが最大の相違点。

 凛にとっての天敵が誰であるか、見れば一目で分かるのだから、どれだけ苦手なのかが伝わってくるというもの。

 それに凛は、臓硯に至っては口を利こうともしない。 

 そこの神父以上に、露骨に警戒しているのが目に見えて分かる。

 どうやら、ここに集まっているのは、お互いに身包みを剥がされない為に警戒し合うしかない連中ばかりの様で。

 御三家と監督役、二百年もの因縁の深さは、殺し合いをしてきた事も含めて、他の追随を許さない領域にあるだろう。

 ……まぁ、凛と桜はかなり仲が良いから、陰湿な神父と陰険な妖怪が凛は気に召さないだけだと思うけれど。

 

「何か言いたそうだな、マーガトロイド」

 

「変に目敏いと、デリカシーがないって言われるわよ」

 

「それは、お前に対して必要なモノなのか?」

 

「……貴方、女の子を敵に回す発言を、平然とするわね」

 

「なに、外見だけ繕って中身がないのならば、狗にでも食わせてしまった方が為になるだろう」

 

「凛、やっぱりこの神父は最悪よ」

 

「言われるまでもなく知ってるわ」

 

 まぁ、今現在は魔術師としてここに立っているのだから、女の子扱いされるのは何とも言えないが、もう少し言い方というものがあると思う。

 何時もこの神父は、複数ある選択肢の中から最悪なモノを選び出し、しかも意図的にそれを行っているのが分かるので引っ叩きたくなる。

 女の敵というよりかは、性悪男という意味合いで。

 更に何か言い返そうかと言葉を練り始めた時、急にしわがれた声が私に向けられる。

 面白そうに事態を見守っていた臓硯が、止めに入ってきたのだ。

 

「楽しそうなところで悪いがの」

 

「何がよ」

 

「気を逆立てるでない。

 ほれ、どうやら最後の客が訪れたらしい」

 

 そう言うと臓硯は杖を、私達が来た道の方へと向ける。

 杖が指し示した方向。

 そこを見れば、音もなく静かに歩いてくる白の姿。

 何時しか見た、アインツベルンのメイド装束……。

 

「お待たせ致しました」

 

「呵呵、ユーブスタクハイトはこの様な島国には足を運びたくもないか」

 

「――ご当主様は、現在多忙の為、私が代行を務めさせて頂きます」

 

「こんな所に集まれるほど、暇人ではないという事じゃな」

 

「………………」

 

 臓硯に絡まれたメイドは、答える事なく鋭い視線を向ける。

 まるで軽蔑するかの眼光、それを受けても臓硯は心地よさげで。

 間違いなく変態の所業であると、こればかりは断定できた。

 耐え切れずにメイドの方へと視線を逸らすと、彼女もこちらに歩み寄って来て。

 ジッと見ていると、どこかそのメイドの表情に既視感が過ぎる。

 あの城で見た、感じた雰囲気を纏っていたから。

 

「貴方、あの時の……」

 

「アリス・マーガトロイド様、お久しぶりです」

 

「えぇ、そうね」

 

 無感動に返してくる彼女に、私も言葉を選ばざるを得なかった。

 確か、このメイドはイリヤにセラ、と呼ばれていた人。

 あの時同様に、今も無表情でこの場に立っている。

 ここも、城も、大して変わらないと言わんばかりに。

 

「では、早速始めましょう」

 

「そうね、ずっとこんな所に居たいわけじゃないし」

 

「私も、出来る事なら早く取り掛かりたいわ」

 

 今も手早く、成すべき事だけを一直線に取り掛かろうとする。

 他の余分なものは排除して、自らの仕事のみを果たしに来たと示さんと。

 その事実に、私と凛は非常にありがたくて直ぐに飛びつく。

 だって、神父と臓硯に囲まれてお話なんて、罰ゲーム以上に拷問にも等しい行為なのだから。

 

「ふむ、そういう事ならば良いじゃろう。

 この歳で冬は堪えるでな」

 

「嘘吐きなさいな、そんな軽装で出て来てるのに」

 

 呵呵、と笑っている臓硯が着ているのは、何時もと変わらぬ詠鳥庵仕立ての和服。

 寒いと嘯くのならば、もう少し厚着して来いと言いたくもなる。

 まだ、そこな神父のカソックの方が暖かく見えるのだから、臓硯の言葉はわざとらしいにも程があった。

 

「アリス、構ってないで準備して」

 

「……了解」

 

 あまりのわざとらしさに思わずツッコミを入れてしまったが、それに対して凛からのお叱りを受ける。

 思うところはあるけれど、それでも確かに早くここから去りたいのなら、儀式を的確に終わらせる他にない。

 なので、私も早々に、振り返らずに準備に取り掛かる事とする。

 

 具体的には、大聖杯から魔力を引いての召喚陣の作成。

 材料といえば、家畜の血に宝石を溶かし、混ぜた物。

 大聖杯へは、アインツベルンの彼女がアクセスし、魔法陣と連結させる作業を担っている。

 神父は私への令呪一画の供給、凛は私の召喚における魔法陣の補佐を。

 臓硯はこの召喚を観察、一歩後ろから俯瞰した視線でこの実験を見守るとの事だそうだ。

 ……一人、良いご身分が混じっているけれど、きっと気にしたら負けなので気にしない様に努めよう。

 

告げる(Set)

 

 ポーチから、ペットボトルを取り出す。

 魔力を帯びた、血と宝石が混ざり合ったものを。

 そのまま蓋を開けて、真下の地面へと注ぎながら私は囁く。

 

設置せよ(Installation)

 

 私の声に従って、地と混ざった液体は、赤の陣を描いてゆく。

 ある種の指向性を持って、血は円を作り、円は模様を語り、模様は形を作る。

 そうして、出来上がったのは弱体化の陣。

 この陣は混ぜた宝石に干渉されており、サーヴァントを召喚する際はランクが弱体化して、サーヴァントとしては霊格がダウンして召喚される仕組みとなっている。

 こうしてスリムになった英霊は、私の小源(オド)だけでも運用可能になる様に設定されている。

 キャスターなんてクラスならば、余計に維持費は少なくて済む事は計算済み。

 多少は圧迫される事はあっても、これなら私の魔術回路にもある程度余裕が生まれる。

 私が、何度も計算を破棄しては作り直した努力の結晶だ。

 

「準備、出来たわ」

 

「よろしい。

 ならばこれより、令呪を授けよう」

 

 淡々と、神父は告げて自らの手を掲げる。

 そこにあるのは、一画の令呪。

 まるで刻印の様に、くっきりとそこに姿があって。

 見入る私に、神父は私に腕を出す様に要求する。

 それに従って、私はゆっくりと手を前に差し出し……。

 

「では、始めるとしよう」

 

 私の手に、神父の手が重ねられる。

 一瞬、反射的に振り解こうとしてしまったが、落ち着けと自分に言い聞かせてそのままジッと耐え続ける。

 その合間に、神父は何か呪文を唱え、鈍く手の令呪が発光し始めて。

 僅かに私の手の甲に焼けた感覚が走り、そして――

 

「完了した、この令呪は君の物だ」

 

 胡散臭い笑みを浮かべた神父が、そう告げて。

 手の甲に、私は視線を落とす。

 まじまじと、食い入る様に。

 心臓が強く脈打つのを自覚しながら覗いた先には……確かに赤い証が刻まれていた。

 

「おめでとう、これで君の願いは叶う」

 

「今更神父振って、どうするつもり?」

 

「今更も何も、私は元より神父だ。

 それ以上の理由が必要かね?」

 

 何時も通りに飄々と告げる神父に、私は溜息混じりに口を閉じる。

 あまりの不毛さに気付いたとも言えるし、こんな所で時間を潰すのも馬鹿馬鹿しいと感じたから。

 なので代わりにアインツベルンのメイドの方に目を向けると、ずっとタイミングを見計らっていたのだろう。

 

 静かに彼女が近づいて来て、こちらをとある物を差し出してくる。

 それは、私が取り寄せて貰える様に頼んでいた、ある聖遺物。

 権限の無い私に変わって、彼らが時計塔より借り受けてきた神代の品。

 ギリシャの伝承に伝わるモノの、僅かな欠片。

 ボロボロに擦り切れて、だけれども未だにその輝きを失ってはいない。

 

「ありがとう……これで全て揃ったわ」

 

 この聖遺物さえ有れば、確実に目当てのサーヴァントを召喚できる。

 何か間違っても、まさか幻想種である竜は召喚されないし、まず間違いない。

 古代コルキスの品で、レプリカである事もまずないとお墨付きもある。

 なので、堂々と私はここに、彼女を呼び込むだけで良い。

 

 心臓の音を自覚する、ドキドキと高鳴っているのが聞こえてくる。

 緊張ではなくて高揚、もう直ぐ手が届くところまで来た歩みへの震え。

 色々と胸に去来しそうなのを押し止め、私は最後の作業へと移る。

 全てが終わってから、それまでは油断大敵と自分に言い聞かせて。

 

 ――私は、目の前の魔法陣へと向き合う。

 

 

 

「始めるわ」

 

 後ろにいる凛達に、それだけを告げる。

 答えなんて聞かない、今は自分の世界に没入するのみ。

 手の神経が痺れて、どうにかなってしまいそうになるが、全てを押さえつけて。

 ――静かに、右手を伸ばす。

 

「素に銀と鉄。 礎に石と契約の大公」

 

 声は朗々、誓うはこの身で。

 

「降り立つ風には壁を。

 四方の門は閉じ、王冠より出で、王国に至る三叉路は循環せよ」

 

 座より来たりしは遥かな彼方、人理に刻まれし黄金の系譜。

 

閉じよ(みたせ)閉じよ(みたせ)閉じよ(みたせ)閉じよ(みたせ)閉じよ(みたせ)

 繰り返すつどに五度。

 ただ、満たされる刻を破却する」

 

 遠い日の、世界の記憶。

 刻まれた証を望む。

 

「――――告げる」

 

 扉は開かれ、器はここに。

 

「汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に。

 聖杯の寄るべに従い、この意、この理に従うならば応えよ」

 

 貴方には私の名を、私には貴方の名を。

 捧げるのは、私の想い。

 

「誓いを此処に。

 我は常世総ての善と成る者。

 我は常世総ての悪を敷く者」

 

 成すべき情理、課すべき合理、全てを認め、私は果たす。

 

「汝三大の言霊を纏う七天。

 抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ―――!」

 

 だから私の声に応えて、今ここにその姿を現しなさい。

 コルキスの魔女、悲運の姫っ!

 

 

 ――魔力が回る、大源(マナ)が震える。

 ――常世に亡い彼女を呼ぶ為に、幾何学的な魔法陣が回転する。

 ――溢れ出る本流、そうして――

 

 

 

 

 

「っ」

 

 誰かが、小さく声を噛み殺した。

 それにどんな感情が込められていたのか、全く検討が付かない。

 でも、そんな事よりも、私は声が出なかった。

 だって、これは――

 

 "――帰して、ください"

 

 小さく、声が聞こえる。

 か細く弱い、空虚な声。

 だけれど、何よりも想いの詰まった切実な本音。

 

 "――帰りたいんです――"

 

 呆然と、私は声の主を眺めていた。

 何かが噛み合わなかったのか、何かを違えてしまったのか。

 ただ、ジッと耳を傾けずにはいられない、それは……。

 

 "――私の国に、自分の国に帰りたいのです――"

 

 遠くて、空虚で、だけれど溢れている――

 響くそれは、どこまでも深く、引き摺られそうなモノ。

 

 視線の先に居る、声の持ち主。

 彼女は……、

 

「女、の子?」

 

 ――虚ろな目をした、女の子の姿。

 ――どこからか、形のない哄笑が響き渡る。

 ――それを、私はひたすらに聞き入る他になかった。







──聞こえた嘲笑は誰のモノか
──答えは心臓のみが知っている









…………明けましておめでとうございます(小声)

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