冬木の街の人形師   作:ペンギン3

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( ´・ω・`)_且


第41話 心の中で微睡む君は

 風荒ぶ、星が見えない冬の日の夜。

 カタカタと揺れる窓を背景に、憂鬱混じりの溜息を吐きだした。

 部屋の中に居るのに息が白い。

 寒いと感じてしまうのは、この気温だけの事だろうか?

 ……もし問いかけられたのなら、私は否と答える他にない。

 

「そういう訳で、私は暫く身動きは取れないの」

 

 というのも簡単な話、それは私に突き刺さっている視線のせい。

 向けているのは約一名、約を付けているのは他の輩の内心が推し量れないため。

 どういう状況かといえば、報告会といえば良いのか。

 集まっているメンバーは、私がメディアを召喚した時のそれと一緒であるのだから。

 

「端的に言えば……失敗ということじゃな」

 

「成功はしているわ」

 

「内容がアレでは、失敗の謗りは免れんじゃろうて」

 

 冷え冷えとした場に響くのは、嗄れた老人の声。

 嫌な事に、慣れてしまいつつある妖怪(仮)の声である。

 淡々とした口調ながら、口角が上がっているのが実に嫌らしくて不愉快極まりない。

 

「少なくとも、どういう結果になるかは分かったわ。

 召喚が可能であるという事も」

 

「意外と負けず嫌いよね、アリス」

 

 凛がボソッと何か言ったようだけれど、何も聞こえないフリをしておく。

 自分にも誤謬があったと認めるのは吝かではないけれど……他人にそれを指摘されるのは面白くないのだ。

 

「――それで、弁明は終わりですか?」

 

 その時、特段に冷ややかな声を浴びせられる。

 声の方向には、白を基調としたメイド服に身を包んだ彼女の姿が。

 明らかに、今の現状を揶揄している物言い。

 口調だけでなく、私を見つめる目まで冷ややかで。

 

「何か言いたい事が?」

 

「いえ、単にこの茶番は何時まで続くのかと思っただけです」

 

「……そう」

 

 売られている、明らかに喧嘩を吹っ掛けられている。

 しかも、もし私が反駁して買ったならば、十分に叩き潰せると思っているのだろう。

 表情は動かなくても、好戦的なもの言いだけで分かってしまう。

 そして実際、口論に発展したら私は容赦なく言い負かされる。

 なら、と私は矛先をズラす事にした。

 

「イリヤに会えなくて、寂しい?」

 

「なっ……」

 

 正直、恐ろしく無礼な物言いである。

 けれど、挑発に微笑みを返せる程に私は人間ができていないのだ。

 それに、当て付けがましいけれど、そこまで的外れとも無いだろう。

 事実、僅かばかりであるが表情を動かしている。

 他の人物であれば大した事ではないが、この鉄面皮を纏っている彼女の場合においてはその限りではない。

 事実、新雪の如く白い肌は僅かに赤い。

 照れというよりかは羞恥で、羞恥というよりかは怒りで、だ。

 

「悪かったと思っているわ」

 

「………………左様、ですか」

 

 先制して予防線を張っておくと、静かな声がその場に溶ける。

 けれども怒りが消えた、というよりかは火に油を注いだ感が強い。

 何故だか、大炎上するアインツベルン城が脳裏に過ぎった。

 火を付けまくっている体操服なイリヤと、激昂しながら火消しをしている彼女の姿もだ。

 

「そこまでにしておくのだな」

 

 爆発一歩手前、正にそんなところで低いくせに通りの良い声が私の助け舟としてやってきた。

 黒のカソックを纏った神父が、待ったを掛けたのだ。

 ……なんだろう、この助かったという気持ちと、助けられてしまったという微妙な感覚は。

 これが世に言う、呉越同舟というやつなのだろうか。

 

「何がでしょう?」

 

「我々が今日ここに集まった目的は、こうして戯れ合うことであったかな?」

 

 今度は分かりやすく、彼女は顔を顰めた。

 正論だと認めたのだろうけれど、侮蔑の意味合いでも見出してしまったか。

 神父は常時がこれなので、わざわざ気にするだけ無駄だろうけれど。

 

「そうね、ごめんなさい」

 

 皮肉の一つや二つ、当然の如く頭に浮かぶ。

 けれど、今はそれ以上に彼女の怒りを買うのが些か以上に面倒だったから、そのまま素直に便乗した。

 他人に宥められ、噛み付いていた私も直ぐに頭を下げた状況。

 さしもの彼女も、これ以上何かを言いづらい。

 そうして案の定、すぐにお騒がせしました、と綺麗に頭を下げた。

 ホッと、少し息を吐く。

 毎回こうだと、どうにもやりにくいと感じながら。

 

「それで、どうするのだね?」

 

「……そう、ね」

 

 落ち着いたと見たか、早速神父が尋ねてきた。

 どうする、とはこれからの研究の事でありメディアの事である。

 これまで協力してきた分、これからの行動について確かめるのは当然のこと。

 まぁ、もう既に召喚してしまったのだから、どうするもこうするも研究は理論のみでしか続けられそうにないのだけれど。

 

「曲がりなりにも召喚だけは出来たからのぅ」

 

「まるで、失敗すればもう一度実験できたと言いたげね?」

 

「呵呵、その通りよ」

 

「ほざきなさいな」

 

 だからどうした、としか言えない。

 やり直せないし、よしんばやり直せてもやり直そうとは思わない。

 ただ、あの娘を見捨てられそうにないから。

 

「それで……」

 

「もう良いわ。

 だから、聞きなさいな」

 

 間桐家の妖怪が何か言いかけたところを遮る。

 私の中には、既に結論が存在しているのだから。 

 今は伝えるべき事を伝えようと、更に言葉を続けた。

 私の決めた事、これからのメディアの事。

 規定事項として淡々と口にする。

 

「メディアは私が保護するわ」

 

 明瞭に、簡潔に、結論をまず伝えた。

 皆、とにかくそれをまずは聞きたかっただろうから。

 一瞬の、僅かな静けさが訪れる。

 その中に多分な訝しさが混じっていたのは、想像の通りであった。

 

「――つまりは」

 

 静けさの間の後、最初に声を発したのはアインツベルンの彼女であった。

 眼力だけで鉄も両断しそうな雰囲気で、ジロリと私を睨む。

 

「権益を貴女の手元で囲うという事ですか?」

 

「穿った見方ね」

 

 発された邪推に、私は間髪を入れず否定する。

 元よりメディアは私の管轄で、研究成果を提供するという締約だった。

 何らこの決定には問題ないのだと、そう続けた。

 

「しかし、現状彼女は魔術を扱える状態ではない。

 つまりは、君の締約は履行できない。

 私の見立てではそうであるが、どうかな、凛」

 

「決めるのはアリス、私じゃないわ」

 

「ほぅ、随分と甘いことだ」

 

 フンッと、凛がそっぽを向く。

 神父に向けて、つまらない事で煩わせるなと言わんばかりに。

 私に向けて、さっさと片付けろと意思を込めて。

 だから、ふぅ、と一つだけ息を吐き出した。

 言葉を滑らかに、滑るように飛び出させる為に。

 

「メディアが不安定なら安定させて、魔術の研究ができるまでに回復させれば良いの。

 全てはそこからよ。

 安易に研究の材料にして、消耗し尽くすなんて愚劣極まる行為だわ。

 全てを急いて運ぶことはない、そうでしょう?」

 

「ふむ、それは確かにそうじゃがな」

 

 私の言葉に、直ぐに反応してきたのは間桐臓硯。

 だが、その昏い目が、出来るのか? と尋ねていた。

 それに、私は迷い無く頷く。

 

 彼女は今、とても辛い記憶の中を微睡みながら召喚された。

 正直に言えば、魔術の行使自体が嫌な記憶を思い出す鍵にもなっている。

 だから、暫くは魔術の行使はさせられない。

 

「傷には瘡蓋を、トラウマには優しさを、時間の流れの中で包んでいく他にないのよ。

 メディアには、冬木聖杯戦争十年分のコストがあるでしょう?

 やすやすと捨てるのは、間違っていると断言するわ」

 

 どう? と周りを見渡せば、無言の中にでも感じれるものがあって。

 嗤う者、苦い顔の者、変わらぬ者、様々な顔であるが概ねの趨勢は決まっていた。

 つまりは……今回は私の弁で押し切れた、という事だ。

 

 メディアのコストは莫大だからこそ、安易な一歩が大きな過ち。

 繰り返したのはその事だけだったけれど、聖杯戦争なんてものを二百年もの間続けている人達。

 お陰で気が長かったのか、全員が良しとしてくれたのにはホッとせざるを得なかった。

 取り敢えず、暫くはメディアの安全が確保出来たのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「疲れたわ……凛、膝枕して」

 

「嫌よ」

 

「ケチね」

 

「アンタって時々、素でおかしくなるわよね」

 

 あの会談から時間にして一時間、私達は二人で遠坂邸に戻ってきていた。

 会談があった場所、今では誰も使っていない館での話し合い。

 メディアの今後の去就を決める会議。

 その決着は、私が望むモノへと無事に譲歩を引き出せた。

 正確には、”してもらった”が正しいのであるが。

 

「甘えたくなる時ってあるでしょう?」

 

「別に無いわよ、そんなの」

 

「……本当かしら?」

 

「仮にあっても、絶対アリスになんか見せない」

 

「意地っ張りね」

 

「そもそも、同じ歳の女の子に甘える方がおかしいの」

 

 お分かり? と不審そうに私の顔を覗き込む凛。

 やや下方向、半ば上目遣いの凛は今日も可愛いかった。

 なので、これは恐らく反射であったのだろう。

 こう……ムニっと、凛の頬っぺたを私の人差し指がつついていた。

 ツンツン、ツンツン、と。

 

「……何してるのよ、アンタ」

 

「柔らかそうな肌があったの、仕方がないわ」

 

 明らかに、凛の目はバカじゃないの? とその眼力が物語っていた。

 でも、止めない。

 意地悪で不愉快な変態達に虐められた私の傷は、存外に深い。

 凛に、体で払ってもらいたいと思ってしまう程に。

 そもそも、こんなにキメ細やかで触り心地の良い凛の肌がイケナイのだ。

 

「………………疲れすぎて、脳みそ溶けてるのね」

 

 私の指を掴んで押し戻しつつ、頭痛がしている様に顔を顰めている凛。

 まるで”駄目だこいつ、早く何とかしないと”と思っているかの様で。

 確かに、と自分の事ながら頷かずにはいられなかった。

 

「ごめんなさいね、凛」

 

「謝るくらいならやめて。

 それと、今のアリスに必要なのは、さっさと寝て忘れる事。

 愛しのメディアが待ってるわよ、つつくんならそっちにしときなさい」

 

「メディアに甘えるなんて、みっともなくて出来る訳ないでしょう」

 

「だからって私に懐くなっ!」

 

「凛だから良いのよ」

 

「気持ち悪いこと言ってんじゃないわよっ」

 

 嫌なことは全部忘れよう、そうしよう。

 そんな決意の元、凛にもっとじゃれるために撓垂れ掛かろうとして。

 嫌がる凛と戯れる私、非常にノンビリとしたキャットファイト。

 このままもう少し遊んでいたい、そう思って――あ、と声が漏れた。

 ――何時の間にか、凛がとってもイイ笑顔で私に笑顔を向けていたのだ。

 不味いと思ったけれど、時すでに遅し。

 ゲンコツが一つ、綺麗に私の頭に降ってきたのだった。

 

「い・い・か・げ・ん・にっっっ、しろーーーっ!!」

 

 気合一閃、私の頭をヒヨコが踊る。

 凛の一撃は、上手い具合に私の頭をシェイクしていた。

 痛みが追いついてきた、ズキリと頭蓋に稲妻が走る。

 

「痛い、とっても痛いわ、凛……。

 お酒飲んだ訳じゃないのに、頭が割れてる気がする……」

 

「自業自得、酔ってないのに前後不覚になってたでしょう?

 これで、目は覚めたでしょ」

 

「キツすぎる処方箋ね……」

 

「処置なしだったもの、仕方ないわ」

 

「半分は、優しさで満たして欲しかったわね……」

 

「バファリン鼻に突っ込むわよ!」

 

 痛みのせいか、凛の声が頭に響く。

 まるで二日酔いみたいと、この理不尽を嘆かずにはいられない。

 酔ってもいないのに、酔いどれ感覚で凛に構い続けた罰なのか。

 凛の言う通り、どこまでも自業自得なのだから目も当てられない。

 

「部屋に戻って、寝るわ」

 

 痛む部分に手を当てながら言えば、さもありなんと凛は頷いた。

 私の所業はさておいて、殴ったのは凛であろうに。

 はぁ、と小さく溜息を零してしまったのは、どう考えても凛に文句を言うのはお門違いすぎるから。

 

 単に、外道二人に極寒メイドを相手にして疲れたから、凛に構ってもらおうと思っただけだったのに。

 ……まぁ、興が乗りすぎて暴走したのは否定しようがないけれども。

 最近、凛は構ってくれていなかったのも大きいかもしれない。

 拗ねてる訳ではないけれども、面白くもなかったから。

 

「凛」

 

「なに?」

 

 だから部屋に戻る前に、少しだけ凛と話してから戻ろうと思った。

 不機嫌そうな声、面倒くさそうな声。

 でも、そんな事は一向に気にせずに告げる。

 

「メディアに掛かり切りになるからって、凛が煩わしくなる訳じゃないわ」

 

 むしろ、何時もと同じくらいに構ってくれないと調子が出ない。

 そう告げると、凛はまたも頭痛を患った様にこめかみを抑えて。

 もう、コイツはっ! と呟いて顔を上げた時、顔が真っ赤に染まっていた。

 照れているとか、恥ずかしがってるとかではなく、単純に怒っていたのだ。

 微妙にプルプルしてるのが、噴火前の火山そのものっぽくもあった。

 そしてお約束の如く、即刻爆発していた。

 

「こんっの、寂しがり屋っ!

 わざわざ恥ずかしい事言ってんじゃないわよ、魔術師のクセに!

 別に好きでも何でもないのに、恋人みたいなこと言うな!!

 言っとくけど、私はアリスなんて好きでも何でも無いんだからねっ!」

 

 捲し立てながら言う凛は、妙なところで照れ屋であった。

 何か凛の中でツボでもあるのだろう、こういう時に爆発するみたいな。

 最近、稀に衛宮くんも爆発させてるのを見るので、間違いないだろう。

 難儀な性格、だからこそ遠坂凛でもあると思うのだけれど。

 

「ごめんなさいね、半分は戯言よ」

 

「半分って何よ」

 

「もう半分は……何かしらね」

 

 優しさかしら、と戯けながらその場を離れる。

 流石の私も、面と向かって本気よ、と言い放つのは些か以上に恥ずかしかったから。

 早歩き気味だったのは、多分逃げたかったのだと思う。

 ”アリスってば……”と小さく呟いた凛の声は、仕方がないわね、というニュアンスに溢れていた。

 

 

 

 

 

「メディア、居る?」

 

 自分の部屋の戸を、そっと開ける。

 部屋の中は何故か真っ暗で、無音が命の気配さえ感じさせない空間を作っていた。

 もしかして、こんな時間だけれどメディアは部屋を空けているのかと、そう思ったけれど……。

 暗闇の中に、吐息を感じさせない影が一つ、まるで影法師の様にそこにあって。

 

「メディア?」

 

 問いかけても、答えはない。

 ただ、息吹さえ感じない空間に、目を閉じたまま彼女は存在していた。

 動いているメディアを見た事ない人は、一見すると彼女を盲目の彫刻や人形と見間違うかもしれない。

 でも私は、彼女が動き、喋り、表情を変える事を知っている。

 そっと彼女の手を握れば、冷たく凍えてしまっていても、確かに脈動を感じとれた。

 ここに居ると、私に確証を与えてくれたのだ。

 

「冷たいわ、メディアの手」

 

 暖も取らずに、寒い部屋でジッとしていたからだろう。

 何故? とか、どうして? と疑問が過ぎるけれど、今はそんな事はどうでも良い。

 肝心なのは、メディアが寒くない様にしてあげることだ。

 はぁ、と私の吐息をメディアの手に吹きかけ、そのまま彼女の手を摩る。

 昔日の冬、私が何時しかしてもらった様に。

 寒さなんか忘れちゃえと、懐かしさを溢れさせながら。

 

 何となく、私にこうしてくれていた人の気持ちが分かった。

 冷たさというモノは、常に人を苛んでいくから。

 ほっとけない子なら、つい駆け寄ってしまう。

 鬱陶しく思われるとしても、それで良いとはた迷惑なお節介を焼きたくなるのだ。

 

 それに、暗くて一人ぼっちだと、つい此処ではない何処かに思いを馳せてしまうものだから。

 今のメディアは、あまり面白く無い事を思い出してしまったのだろう。

 でなければ、こうして寂しげに虚空を眺めてなんていないだろうから。

 そんなメディアの姿が、どこか捨てられた子犬を想起させられた。

 

「ねぇ、メディア。

 もう眠たい? それとも少しお話でもする?」

 

 話しかけて……でも、反応は返ってこない。

 まるで抜け殻、この分だと幾ら話しかけても答えは無いのだろう。

 恐らくは心の、少し奥の方に引き篭ってしまってるのだ。

 僅かでも、メディアの事を感じられるから。

 ここに居ると、彼女の魔術回路が教えてくれているから。

 

「そう、ね。

 なら、こうしましょうか」

 

 呟いて、そっと私の指に、何時も携帯している針をチクリと刺す。

 一滴の血が、プックリと指のお腹に出てくる。

 何をするか、なんて簡単な話。

 メディアが奥に引き篭っているのなら、呼びに行けば良いだけの事だから。

 ――私の指を、メディアの口に躊躇なく含ませた。

 押し込む様に、奥へ奥へと。

 

「本当は粘膜と粘膜が一番良いのだけれど……まぁ、論外ね」

 

 反対の手をメディアの頭に充てて、魔術回路を一本だけ起動させる。

 この方法はやや不確かだけれど、やってやれない事はない。

 強く自分を持ってさえいれば、つまりは何時も通りの自分でいれば問題ないから。

 覚悟を決めて、メディアと私の魔力を同調させながら、小さく告げた。

 

「お邪魔するわね、メディア」

 

 

 

 

 

 ――落ちて行く。

 

 暗闇の中を、真っ逆さまに。

 

 ――落ちて往く。

 

 他の人の心に、溶けゆく様に。

 

 ――奈落の底へと、堕ちていく。

 

 

 

 本来なら有り得ない、侵入不能な心の迷宮。

 誰も心なんて覗けない。

 よしんば、覗けた時点で封印指定を受けるであろうそれを、私はいとも簡単に行使できていた。

 それは私の能力が高いからとか、何か特別な才能があるからとか、そういう話ではない。

 単に、私とメディアにはパスが繋がっているから、それを通じて辛うじて干渉できているだけ。

 事実、私が一瞬でも気を抜けば、恐らくは取り返しのつかない事になる。

 

 ――私は貴女、貴女は私。

 

 心の中に、自分以外が居るという矛盾を、メディアの深層は排斥ではなく同化する事で解決しようとしているから。

 自我を強く持ってないと、あっという間に溶かし尽くされてしまう。

 私はアリス・マーガトロイド。

 他の何者でも無いと言い聞かせながら、心の中に沈んでいく。

 

『こわ、かった』

 

 そうして降っていく中で、聞こえてくる声。

 私が聞きたかった、メディアの鈴の音。

 どこか影を感じさせる声音だけれど、彼女の声が聞こえて僅かばかり安堵する。

 

『どこからどこまでが”少女()”で、”女性()”なのかが分からなくなっていたから。

 どちらの記憶もあって、生々しさも一緒。

 だったら、私は女性()であるべき、ですけど。

 召喚された私は、どこまで行っても不完全。

 どうあるべきか、なんて私にも分からない』

 

 それは、トコトンどこまでも独り言だった。

 私が侵入している事にも気がつかない、唯々愚痴を呟いているようなモノ。

 更に言えば、私はそれを立ち聞きしているという、相当に趣味が悪い娘であるとも。

 けれど、幾ら私が申し訳なく思っても、メディアは独り言を止めたりなんてしない。

 むしろ、どんどんと内容を鮮明にさせていく。

 

『姫と敬われた私が居ました。

 魔女と罵られた私が居ました。

 どちらも生々しくて、色褪せていない記憶の欠片。

 でも、そのせいで開き直れない。

 どちらかに偏っていれば、私は決められるのに。

 姫であるか、魔女であるか』

 

 メディアの不安定さの、その発露とも言える呟き。

 嘆きとも言えるそれは、どこまでも苦悩に満ちていて。

 彼女の言葉の一つ一つが、私に突き刺さっていく。

 だって、彼女をそんな風に召喚したのは私だから。

 自分の研究成果に満足してここまで考えなかったのは浅慮だったかと、羞恥にも似た感情が私を苛んでくる。

 

『でも、私はどちらでもあって。

 両方が、共に私なのを知っている。

 けれど、だからこそ、私はどちらでも無いと思えてしまう。

 私はこうだと、自分に自信を持って言えない。

 (少女)(女性)は、もう別人と言って良い程に違ってしまっているから。

 その合間の私が誰なのかなんて、もう私にも分からない、分からないです……』

 

 ここに来て、最初にメディアが呟いていた言葉を、自然と思い出してしまう。

 ”こわ、かった”と、確かにメディアは呟いていた。

 自分自身の境界が曖昧で、存在自体も何者か決めかねている。

 自分の事なのに、分かっているのに分からなくなる。

 

 それは、どれだけ苦痛な事なのだろうか。

 自分が自分であると、本来自身が確立しているであろう自我が、彼女は不安定であるのだ。

 自分が誰であるかなど、本来自分が一番理解している。

 それなのに、今のメディアはそれが出来ていない。

 原因は……言わずもがな。

 

『私は私を決められない。

 私はメディア、そうとしか答えられない伽藍堂。

 姫であり魔女である私は、その実何者でもないのです。

 あるのは郷愁だけ、だから寂しい。

 でも、魔女の私は人が信じられません。

 自身のマスターでさえ、信じられていないのですから。

 ただ、寂しさ故に、彼女の優しさ故に縋っているだけ。

 だから、私は――』

 

「メディア!」

 

 切なさの滲む、切実さが溢れ出る独白。

 それに対して、私は反射的に叫んでいた。

 聞こえてるかなんて分からないけれど、それでも私は耐えられなかったから。

 このままでは、メディアは自身の自己嫌悪に押しつぶされてしまう。

 それが、どうしても堪えられなかったから。

 

「それでも、私は!」

 

 だから、叫ぶ。

 考えなしに、感情で。

 ここは心の中なのだからと。

 

「私は、貴女に会えて嬉しかったわ!

 貴女は、私の誘いに乗ってくれた!

 それが何より――」

 

 出会ってまだ数日だけれど。

 それでも、彼女と私は上手くやれそうだと、そう彼女が確信をくれたから。

 他でもない、今ここに居てくれる彼女が。

 

 

 私の叫びが届いてるか、そんな事は分からない。

 けれど、もう心の中心はそこにあって。

 どこまでも続くと思われた落下は、もう終わりを告げようとしていた。

 

 ――僅かな衝撃を伴って、私はメディアの心へと降り立つ。

 ――底へ、抜けたのだ。

 

 そこは暗い訳でも明るいわけでもない場所で、メディアがポツンと一人で立っていた。

 所無さげに、何をするでもなく。

 ただ、私の姿を見たら、目を真ん丸くして驚いていたけれど。

 

「アリス、ちゃん?」

 

「こんばんは、メディア。

 今日のご機嫌いかが?」

 

「……どう、して」

 

 分からない、といった風にメディアは呟いていた。

 私がここにここに居る事に、私と話をしている事に。

 

「私は主で貴女は従者。

 契約があるのだから、繋がってるのは道理なのよ」

 

 それで、と私はメディアの顔を覗く。

 どうしてこんな深い所に居るの? と、問いかけながら。

 すると、メディアは少し困った顔で、答えを返してくれた。

 

「色々、考えすぎちゃったみたいで。

 余計な事ばかり考えたから、ダメダメだったんです」

 

 ニュアンスに満ちた言葉、だけれども大体の想像は出来る。

 メディアには私のせいで、ややこしい問題を背負わせてしまっているから。

 そう、他ならない私のせいで。

 

「そんなところだと思ったわ。

 でも、だから迎えに来たの。

 大丈夫よ、貴女には私が居るもの。

 私はメディアが子供でも大人でも、どっちでも良いの。

 今、ここに居る貴女に、私の傍に居て欲しいだけよ」

 

 そう告げると、メディアは絶句して私を見ていた。

 表情はやや驚いた様に、だけれども段々と羞恥の赤に染まって言ってる。

 何故、と首を傾げそうになっていると、メディアは堪らずといった風に叫んでいた。

 

「な、何でアリスちゃんが知ってるんですか!?」

 

「何を……」

 

 問い返そうとして、それが何なのかに思い当たった。

 メディアの悩み、それを何故私が知ってるのかと言う事。

 それは簡単な事よ、とメディアに軽く説明する。

 普通なら言葉にせずとも気付いていたであろう、今は動揺して気付けていない程度のモノ。

 

「ここは何処?」

 

「私の、心の中です」

 

「私は誰?」

 

「アリスちゃんです……あっ」

 

 言葉を二つ掛けるだけで、簡単に理解できたようで。

 ”そういう事ですか”と小さく呟いていた。

 そうして、また顔を赤くする。

 それも、さっきよりも赤く。

 羞恥を怒りを、8:2でブレンドした紅さ。

 

「アリスちゃんの……」

 

「何?」

 

「アリスちゃんのえっち!」

 

 何が、と言おうとした時点で、ポカポカと胸をグーで叩かれていた。

 全然力が入ってないせいか全く痛くなんてないけれど、異様なムズ痒さを覚える。

 どうしてこんな事になっているのか。

 簡単に想像は付くけれど、だからと言ってどうしようもない事だから。

 

「人に心を見られるなんて、裸を見られてドキドキしちゃうくらいにヒドイ話なんです!

 アリスちゃんは人の裸を見て、真顔で見たわって言ってるえっちさんですっ!

 むっつり! アリスちゃんのむっつりすけべ!!」

 

 あまりに、あまりにも酷い言い掛かりを付けられていた。

 裁判所に訴えたら、閻魔様が直々に出張って来て裁いてくれるくらいに。

 

「メディアが部屋に引き篭ってるからよ。

 引きずり出そうとしたら、貴女がたまたま全裸だっただけよ」

 

 痴女はどちらだと聞き返せば、メディアは天を仰いでから、静かに溜息を吐いたのであった。

 明らかに納得してなさそうな表情が、色々と物語っている。

 でも、わざわざ蒸し返しても不毛なだけ。

 だから、これ以上はメディアもこの事について、兎や角いう事はなかった。

 ……もしメディアの中で、私が変態認定されていたのだとしたら、非常に思うところはあるのだけれど。

 それは兎も角として、メディアに手を差し出す。

 キョトンとする彼女に、私は軽く告げた。

 

「帰りましょう、メディア」

 

「そう、ですね。

 アリスちゃん、迎えに来てくれてありがとうございます」

 

 微笑みながら、私の手を取ろうとして。

 手を手が触れ合う……その直前、ピタッとメディアの動きが止まった。

 何かと思ってメディアの顔を覗くと、彼女もまた上目遣いで私を見上げていて。

 

「今度、またこうなっていても、迎えに来てくれますか?」

 

 そう、どこか試す様に、揺れる様に尋ねてきて。

 不安、とはまた違う、私の口から答えを聞きたがっている様な口調。

 安心したいが為か、私の反応を見たい為だけなのか。

 真相は、メディアの心の奥底に居るのに分からない。

 ただ、私に望まれている事と私が望んでいる事は一致しているから……。

 

「えぇ、何度でも、何時だって来るわ」

 

「――アリスちゃん、ありがとうございます」

 

 私が告げた瞬間、メディアが微笑みながら私の手を取って。

 下から上へと、重力に逆行して引き上げられる感覚に見舞われる。

 心の底から現実へ、浮上しようとしているのだ。

 そんな中で、ポツリとメディアが思い当たった様に言葉を漏らしていた。

 

 

「そういえば、アリスちゃんがここに来た方法って……。

 私とアリスちゃんを繋ぐには、あーいう接触が必要ですけど。

 もしかしてアリスちゃん、私にキ――」

 

 メディアの呟きが終わる前に、メディアの底から引き上げられる。

 それにこれでオシマイと、ちょっとした安心感を感じながら、少しこれからの事を考えていた。

 メディアのこれから、私が彼女にしてあげられる事なんかを。

 多分、先はとっても長くなる、そういう付き合いの仕方だから。

 先立っては、メディアの寂しさを無くしてあげようと、それを第一目標に定めながら。

 

 ――世界を抜けて、現実へと帰還する。

 

 戻ったら、まずはお風呂に入ろうかしら、二人で。

 なんて考えてたのは、きっと寒くて冷たかったから。

 暖めてあげたいな、と純粋にそれだけ思えていたのだ。












おまけ

 上から下へ、いいえ、いいえ。
 下から上へ、底の底からの帰還の最中。
 私を心を染めていたのは、たった一つの事だけでした。

 具体的には、アリスちゃんの事。
 私のここへと来る手段、それを考えた時に最も容易な方法は……即ち、対象の粘膜と自身の粘膜の接触。
 つまりは口付け、そう口付け……。

 アリスちゃんは多分、私にチューしてここに来たという事です。
 女の子同士で、なんて…………不潔です、とっても!
 女の子と女の子でそんなの、すごく変です!
 何か、イケナイ方向に倒錯しています!!

 頭に浮かぶのは、アリスちゃんの唇。
 そっと目を閉じて、優しくキスされて…………何かじゃなくて、粘膜と粘膜を擦り合わせる様に深く深く、それこそ舌が絡み合っている光景。

 ――――――えっちです、不潔です!!!

 やっぱり、アリスちゃんは不潔です!
 わざわざ、そうまでして迎えに来てくれたのが嬉しくて、また来てくれますか? なんて聞いてしまいましたが、それ即ちまたキスされるということ。
 ……今、気が付きましたが、自分から不潔な道へと歩んでる気がします。

 別に望んでそうなる訳ではないのに、結果的にそうなってるなんて……とっても変な感じです。
 と、それよりも、アリスちゃんの事です。
 口付けされている真実が、何よりも重要です。
 大人である私の記憶があっても、心がファーストキスだと思っているのに。
 想像すると、甘くとろけるミルクの味。
 そんな感じのが、アリスちゃんからする気がします。
 アリスちゃんのミルク味と、ネチャネチャ、ネチャネチャ……。
 アリスちゃんの匂いも合わされと、多分もっと変な感じが……。

 ………………ダメです。
 戻ったら、真っ先にアリスちゃんをとっちめなくてはいけません!
 むぅ、と怒りながら引き上げられて、現実に戻るこの瞬間。
 私に広がっていたのは……。

 ――何故だか、血の味でした。

 初キスが鉄の味!?
 斬新すぎて、思わずたじろぎます。
 しかも深い!
 喉元まで……アレ? とここでおかしさに気が付きました。
 どう考えても、アリスちゃんの舌の感触ではなかったですから。
 恐る恐る、目を開けます。
 すると……、

「起きたのね、メディア」

 微笑んでるアリスちゃんが、自分の指を私の口に突っ込んでいます!
 …………フフッ。





 ある意味で私の純情を穢したアリスちゃんと、ツンとした態度を取りながら一緒にお風呂に入ったのは、また別のお話です。












お久しぶりです、皆様。
最近は少し涼しくなりましたが、未だに熱さが抜けません。
しかし、小説の中では冬だということを思い出して憂鬱になったここ最近です。
未だに定期での連載は難しいですが、これからちょこちょこ時間を見つけて書いていこうと思いますので宜しくお願いします。
……次の投稿はいつかなぁ(遠い目)。

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