今年もどうか、よろしくお願いします!
喫茶店の、とある一角。
私と衛宮くんが座っている席の間に、沈黙が訪れていた。
張り詰めた静寂、まるでゴムが限界まで引き伸ばされた時の様な緊張感。
衛宮くんの雰囲気が先程までと違い、コペンハーゲンのメディアの話を聞いた時以上に真剣な顔に切り替わっていて。
まるでスイッチを切り替えたかの様に、などと形容してしまうのは衛宮くんが魔術師だからか。
私を見つめている衛宮くんは、些か以上の動揺が未だに胸に残っているようだけれど、それでも話を聞きたいという意思は痛いほどに伝わってきて。
彼の混乱が収まるまで、私は静かに、ゆっくりと衛宮くんの頭の中が整理されるのを、揺れるコーヒーの水面を見ながら待ち続けていた。
それから、時間にして約三十秒。
僅かな間からの混乱を心の端に押し込めたであろう衛宮くんは、私の目を見ながら続きを話す様に促してきた。
「悪い、マーガトロイド。
続きを聞かせてくれ」
「大丈夫そう?」
「あぁ、問題ない」
「そう、なら良いわ。
これは、去年の十二月の時の事よ」
語りだし、思い出すのは雪化粧された白亜の城。
そこに住んでる、真っ白な彼女。
まるで幻想みたいで、けれども確かに私に足跡を残していったイリヤスフィールの事を。
「私は所用が諸々あって、外国に出かけていたの。
魔術師の家ね、冬木市にも関係がある大家よ。
そこでね、出会ったの」
ほんの一日だけの邂逅、それも夜だけの。
でも、あの瞬間だけで、私達は確かに友達になっていた。
語り部だった私と、聞き手だったイリヤは上手に噛み合ったのだ。
「白く透き通った、妖精みたいな娘。
楽しく人をからかう姿は、そのまま
深夜に、私の寝ていた部屋に侵入してきたイリヤ。
馬乗りされた時は流石に驚いたけれど、やや眠さの方が優っていた。
けれど、話をしている内にそんなものは段々と溶けて消えて。
話を強請ってくるイリヤが、とっても愛らしく感じてしまっていたのだ。
「でもね、悪戯をするのは寂しさの裏返し。
少なくとも、彼女のアレはそう感じたわ」
何となく、そういうのは分かってしまう。
メディアが寂しがっているというのが分かるのと同じで、イリヤのそれもそれとなく感じ取れた。
私が、そういう事に敏感だから。
「寂しがっているの、えぇ。
衛宮くんの事を知っていて、会いたがっていた彼女は。
衛宮くんに会いたいって、そう思ってるのね」
思いが強く、思い入れも底なしで、だからこそ想い過ぎる。
箱入り娘のイリヤは、空想する事でしか衛宮くんに会えないから。
どんな事を思っていても、考えていても、一番想っていたのは衛宮くんの事だって、彼女はそう言っていたのだ。
だったら、と私は思う。
伝えるのを躊躇してしまう言葉だけれど、そのまま衛宮くんに伝えようと。
今まで、そのまま伝えるには毒が強いと思っていたけれど、それでもイリヤの気持ちも一緒に伝えれば大丈夫だと思えたから。
言葉を途切れさせて、息を吸った。
曖昧な言葉で誤魔化す様な紹介から、確かに衛宮くんの心に彼女を住まわせる為の言葉へと切り替える為に。
……そして、
「その、寂しがり屋の女の子の名前はイリヤ。
イリヤスフィール・フォン・アインツベルン。
衛宮くんのお父さん、キリツグさんの娘さんだそうよ」
ただ、シンプルに必要な言葉だけをまずは紡いだ。
飾り立てる必要なんてなく、けれども衛宮くんが一番知りたがっていた情報を。
その方が、分かりやすく衛宮くんに届くから。
事実、衛宮くんは彼のお父さんの名前で息を飲み、娘さんと告げたところでどこかが傷んだ様な表情を僅かにだけ浮かべた。
痛み、衛宮くんの中で伴って刺さっているもの。
それは、お父さんに自分以外の子供がいた衝撃か。
それとも、その事を知らなかった、自分に対しての自己嫌悪か。
どちらにしても、衛宮くんの中ではかなりの衝撃が渦巻いているだろう。
衛宮くんを慮るなら一旦言葉を留めるべきだけれど、口が滑って止まらない。
間を置けないのは、まだ重要な事を伝えてないから。
イリヤの言葉を、何一つ告げてあげてなかったから。
「イリヤは、こう言ってたわ。
”私とお母様を捨てたキリツグが憎いの。だから、キリツグが子供にして愛したシロウって子も憎くて仕方がないわ”って。
貴方のお父さんは、イリヤを迎えに来る素振りすら見せなかったそうよ。
悲しくて、寂しくて、それを別の気持ちに変えないと、どうにかしてしまいそうだったんでしょうね」
甘い声で毒突く様に、不愉快そうにしながらも熱を込めて、呟かれていたイリヤの言葉。
憎いの、なんて言葉がイリヤから出てきた時点で、既に彼女も気持ちを制御出来なくなっていたのだろう。
イリヤの言葉は、イリヤが流したであろう涙の怨嗟も詰まっていた。
恨み節で、染み付いて忘れられそうになくて、色々な気持ちがごちゃ混ぜになっていた女の子の言葉だったから。
これはイリヤの弱音なのね、と察してしまえたのだ。
「……それは」
雪崩を起こした様に告げた、イリヤの言葉。
それを聞いた衛宮くんがどう受け取ったかなんて、私には分からない。
ただ、噛み締める様に、真剣な表情を苦みばしったモノへと変えて。
衛宮くんは、私に尋ねる様に、迷える様に言葉を発した。
「それは、俺が親父を、じいさんを取ったからなのか?
衛宮切嗣を俺が縛り付けてたから、娘に会いに行けなかったのか?
だったら……」
紡がれていた言葉は、問い掛けの様で、その実衛宮くんの中で完結している。
きっと、責任感の強い衛宮くんだから、自分を責める以外にどうしようもなくなってるのではないだろうか。
もしそうならば、待ったを掛けなくてはいけない。
衛宮くんが、イリヤの事を憎んでいるだけと思い込んでしまったら、それこそ贖罪をイリヤに捧げてしまうかもしれないから。
だとしたら、二人にとってあまりにも不幸すぎる。
「まだ、全部を話し終えてはいないわ。
勿体ぶって御免なさい。
ただ、順序通りに話してたら、誤解を与える印象を与えてしまったわ。
だから、待って。
最後まで、私の話を聞くべきよ」
なので、慌てて衛宮くんを制した。
どうにも、思い出話に浸りながらの話は、取り留めもなくなりがちで。
これから伝えなくてはいけない、重要な事と大切な事。
それを、私は全く伝えられてはいないのだから。
イリヤにとって、貴方の価値はそれだけではないのだという事を伝えたくて。
「……分かった、続きを頼む」
衛宮くんは他には何も言わず、ただそれのみを望んだ。
これから私の話す内容によって、イリヤに対する態度は固定されるだろう。
衛宮くんは、それしかイリヤに対する情報は得られなくて、それでもイリヤを意識せざるを得ないのだから。
だったら、せめてイリヤのもう一つの感情も伝わって欲しい。
憎悪、なんてモノだけじゃない事を。
それを明らかにすべく、私も一つ頷いただけで続きを話し始めた。
「えぇ、イリヤは確かに衛宮くんを恨んでいる。
でもね、それはイリヤが貴方のお父さんを好きすぎたからよ。
衛宮くんに対するイリヤの恨みは、それこそ逆恨み。
貴方が気に病む事じゃないの。
でも、どうしたって衛宮くんは気にしちゃうわよね」
真面目で、常に緊張が走ってる衛宮くんだから。
負わなくても良いものまで、つい背負ってしまう。
それが生真面目さ故か、それとも別の何かなせいかは分からないけれど。
「俺が、その娘の親父を取ったんだ。
そう思われていても、仕方ない」
「普通だったら、まずは理不尽だと怒るところよ。
まぁ、良いわ。
衛宮くんのそういうところ、私は好きだもの。
でもね、そういう衛宮くんだからこそ、この事も覚えていて欲しいの。
――イリヤは、貴方の事が好きって事も」
矛盾した言葉、憎悪と愛情の両立。
言った瞬間、衛宮くんは意味が分からないと言わんばかりに顔を顰めた。
二律背反もここに極まれり、言説に一貫性が無いようにも感じられる。
「理解できて?」
「……マーガトロイドが俺を言いくるめようとしてるんじゃないか、なんて疑うくらいには」
「憎さ余って可愛さ百倍って言葉は知ってるわよね?」
「いや、それ反対だから」
「そう?
でも、こっちの方が可愛いでしょう」
「そういう問題か?」
「そういう事だから、意味合いはこっちで合ってるの」
心の中で、多分ね、と小さく付け加えて。
イリヤは確かに意識していて、実際に想っている。
ただ、その愛憎の比率が如何ほどかは、正直私には分かりかねているから。
恐らくはどちらも相応に重くて、だからこそ衛宮くんにイリヤは執着しているのだろう。
難儀なものね、と思わざるを得ない。
「大丈夫、衛宮くんがいるからイリヤは天涯孤独でない事を知ってるの。
貴方がいるから、イリヤは憎んだり愛したり出来ている。
そういう繋がりは大事よ、えぇ。
居なくなったら、そういう事すら出来なくなるのだもの」
孤独は寒い、冷たいのだ。
イリヤは寒い冬のお城で凍えている、そして飢えているのだ。
温かいものが欲しい、満たされていたい。
それを齎してくれるのが、イリヤにとっての家族で。
”シロウは憎いけど、でもね、アリス”
どこか浮かされてるみたいに、イリヤは言ったのだ。
憎い憎いと言いながら、でもね、と。
”会いたいの、お話したいの、手も……繋いでみたい。
それで、キリツグの話を聞いて、許してあげる。
キリツグが私に謝ったなら、全部許してあげるの。
だって、シロウが悪くないの、本当は私も知ってるんだもの”
紛れもなく、それはイリヤの願望だった。
夢見る少女の、たわいのない空想。
優しい夢を思い浮かべる様に、それを語っていたのだ。
正直、聞いていると物悲しくて、寂しいわね、なんて余計な一言を漏らしてしまったくらいに。
だけれど、その言葉にイリヤは、そうかもね、と一言だけ返事をしただけであった。
だからこそ、分かる事もある。
イリヤにとって、衛宮くんは……。
「衛宮くんはイリヤにとって篝火なの。
そうね、正確には家族が、となるけれど。
衛宮くんと衛宮くんのお父さん、二人が今のイリヤの心の支え。
イリヤにはね、家族と言える人が居ないの。
祖父のユーブスタクハイトの事は嫌いじゃないみたいだけれど、アレは正真正銘に大家アインツベルンの機構みたいな魔術師よ。
イリヤにとって、暖かいモノではないのね」
だから、まだ見ぬモノに期待してしまう。
それが、かつて暖かさをくれた人なら、尚更。
衛宮くんのお父さんに衛宮くん、本能的にか直感的にかは分からないけど、イリヤは二人が暖かいと思ってるのだろう。
事実、私は衛宮くんの事を良い人よ、と称した時にイリヤは、そうよね、と小さく漏らした。
ついでに言うと、好みかどうかと聞かれたので、割と……と答えた覚えもある。
が、今はそれはどうでも良くて。
イリヤにとって衛宮くんは、取られたという気持ちの他に、まだ見ぬ価値があるのだ。
見た事がないから空想して、期待する。
本物を見た時、イリヤがどういう反応をするかは分からないけど、ガッカリとはしないだろう。
「だから、覚えておきなさい衛宮くん。
貴方がイリヤを想っていてあげる限り、貴方はイリヤの家族なの。
見知らぬ誰かを……なんて困惑はあるかもしれないけれど、衛宮くんなら脇に置いてくれるでしょう?
例えそれが難しくても、心の隅でも良いから覚えておいてあげて」
「あぁ、分かってる。
親父が残した子供なんだ、絶対に見放すことはしない」
衛宮くんは、そう言って深く頷いて。
その一方で私は、衛宮くんのその言葉の意味を咀嚼しかねた。
だって、それってつまりはそういう事で……。
「衛宮くん、もしかしてこの前にお邪魔した時、貴方のお父さんが居なかったのは……」
「マーガトロイドには言ってなかったっけ。
あぁ、居ないんだ、もう。
――親父、衛宮切嗣は死んでいる」
五年前の事だ、なんて衛宮くんの淡々とした言葉が、どうしようもなく遣る瀬無かった。
だってイリヤは、”キリツグの怨念返しをするの!”だなんて言いつつも、会えるのを楽しみにして、鬱憤を晴らそうとしていたのだ。
なのに、その当の本人は既に墓の中。
イリヤはまた、大切な人を失っていた。
復讐すると誓いながら、その実で甘えたかったであろう親という偶像を。
それに、だとしたら衛宮くんも、イリヤと同じ事を思っていてもおかしくはない。
だって、衛宮くんにとっても、代え難き親なのだから。
「……そう、衛宮くんは寂しくなかったの?」
「俺は親父の死に目に会えたから、大丈夫。
それに、大事なモノを託してもらえたから、さ」
「大事なもの?」
「あぁ、何に変えたって叶えたいモノを」
衛宮くんの顔を覗けば、そこにはどこか透明な表情があって。
どこか、何時もの衛宮くんの顔のハズなのに、現実離れしている様にも見えた。
まるでそこに居ないみたい、遠い何処かを見ているようで……。
「まだ、ここに居なさい」
「うん?
どう言う意味だ、マーガトロイド?」
「何処かに行ってしまいそうだったから、声を掛けたの。
桜も藤村先生も居る事を、忘れないであげて。
勘違いだったら、聞き流してくれても良いけれど」
「それは……」
一瞬、僅かに衛宮くんは言葉を詰まらせた。
迷いの様なモノが、衛宮くんの中にあるのだろうか。
恐らく、大切なものなのだろう、そのお父さんから託されたモノというのは。
桜達とそれ、どちらか迷ってしまうくらいに。
でも、衛宮くんが視線を彷徨わせたのは一瞬で。
「まだ、どこにも行かない。
行けないんだ、今の俺じゃあさ」
どこか現実離れしていた彼が、確かに戻ってきていた。
何もなかったかの様に、衛宮くんは目の前に座っている。
はぁ、と溜息を吐いているのは、手の範囲の狭さを嘆いての事か。
「何時かは、何処かに行けるようになってしまうわ。
だから、今は大人しく力を貯めておきなさい」
「マーガトロイドは体が軽いみたいだけどな」
「そうね、だって私だもの。
大抵のことを、上手く出来る自信があるわ。
でも、出来ない事もあるの。
こうしてこの場所で力を貯めているのも、そうよ。
出来る事を増やす為に、色々とね。
だから、今の私と衛宮くんに大差はないわ」
今は、ともう一度繰り返して、私もまた溜息を吐いてしまう。
メディアの召喚時の不備、そもそもが魂の創造ともいえる魔法への道程。
正直な話、どれほど長い道のりになるか、考えたくもない。
でも、私も衛宮くんと同じで、出来る事を積み上げて行く他にないのだ。
それが、魔術というものだ。
宝くじに当たるみたいに魔法を掘り当てられる可能性なんて、それこそ数える程しか無いのだから。
「ゆっくり、この街で揺られなさい。
イリヤも、きっと衛宮くんに会いに来るから。
素敵な事が、この街には沢山あるの。
それはきっと、これからも」
桜や間桐くんだって、その一つだろう。
それを、衛宮くんが分からない筈がない。
ただ、翼を生やして羽ばたきたくなる気持ちは、確かに分かるのだけれど。
ここは心地が良い街だから、頑張り過ぎる衛宮くんは、もう少しゆっくりとした方が良いかもと思ってしまったのだ。
「少なくとも、私は卒業するまではそうするつもり。
卒業後も……まぁ、場合によるけれど、ここに残るかもね。
だから、衛宮くんも急いで居なくなろうとしないで。
友達がいなくなると、寂しいでしょう?」
「お前……臆面もなく良く言えるな。
照れたりとか、恥ずかしくなったりとかしないのか?」
「言えるわ、実際に居なくなられる方が堪えるもの」
思うままに答えると、衛宮くんは気まずげに視線を落とした。
それがどう言う意味を持っているのかは気になるけれど、今は横に置く事にする。
脳裏の隅には留めておくけれど、今はそれ以上に重要な事があるから。
「衛宮くん、私からお願いがあるの」
「……言ってくれ」
大切な事、それは衛宮くんなら言わなくてもそうしてくれる、けれども中々に難しいもの。
わざわざ口にしようと思ったのは、衛宮くんは交わした言葉を意地でも守ってくれると思ったから。
信じてない訳ではない、ただ衛宮くんに強く強く意識して欲しいだけ。
勿論、既にそういう領域を超えて意識してくれてるだろうけれど、イメージを少しでも正確なモノにしたかったから。
「イリヤ、イリヤスフィールが来たら、どんなに憎まれていても、嫌いって言われても、それでも家族だって言ってあげて欲しいの。
勿論、衛宮くんにとっては急に現れた他人にも等しくて、見た事もない娘なのは承知してるわ。
でもね、寂しくなんてなくなるから。
もしかしたら、衛宮くんはもう寂しいなんて思ってないかもしれないけれど、でもイリヤにも暖かさを分けてあげて欲しいの。
イリヤには、衛宮くんの温もりが必要だから」
きっと、一度触れてしまえば、ベッタリになってしまうけれど。
でも、家族はベタつく位で、丁度いいと思うから。
桜には申し訳ないけれど、衛宮くんにしかどうにも出来ない事で。
イリヤと出会う事で、衛宮くんにも多くの幸があると思うから。
「ね、衛宮くん。
きっと、イリヤは貴方を愛するし、衛宮くんもイリヤの事を好きになれるわ。
だから、もし出会えたら、”こんにちは、妹”って言ってあげて欲しいの」
それだけが、イリヤに救いが訪れる道だから。
二人のお父さんは既に亡くなっている、もう残されている繋がりは義理の兄妹という淡いモノだけだけれど。
繋がりを自ら絶たない限り、会いたいとどちらかが想っていれば、必ず出会う事はできるだろうから。
私の言葉を聞いた衛宮くんは、私に真っ直ぐな視線を向けてきた。
真摯さ目に見える程に、揺らぎない目。
ある種の純朴さ故に、衛宮くんらしくて安心できる目。
「……言われるまでもない。
ちゃんと、その娘に向き合いたい。
親父の事や、他にも話さなきゃいけない事は沢山あるんだ」
「うん、そうね」
そうして、衛宮くんはやっぱり約束をしてくれた。
まだ見ぬ妹の為、そして恐らくは亡くなられたお父さんの為なのだろう。
揺るぎない視線は、何よりも衛宮くんが信用足り得る事を証明してくれている。
だって、衛宮くんは演技でそんな顔を出来る程、器用ではないのだから。
手先は器用でも、生き方が不器用でどこか硬直している衛宮くんだからこそ、決めた事には一直線に頑張ってくれる。
それが、自分の事でないにしても、とても喜ばしくて。
「やっぱり、衛宮くんは優しいわね」
「別に、そういうのじゃない。
当たり前にしなくちゃいけない事なんだ、きっと。
親父も、その娘の事を気に掛けてたから」
「分かるの?」
「良く家を空けて、外国に出かけてたんだ。
親父は人助けが趣味だから気にしてなかったけど、それ以外にもその娘の事をなんとかしようとしてたんだと思う」
何処か衛宮くんが遠い目をしているのは、彼のお父さんを思い浮かべているからだろう。
衛宮くんとイリヤのお父さん、衛宮切嗣。
彼のお父さんがどんな人なのか、人伝てにしか聞いた事のない私は断片的にすら分かってはいない。
けれども、衛宮くんにここまで想われている人が、育てた人が、悪い人だとも思えない。
イリヤに憎まれているのも、裏返せば元は大切に育てていたから。
だから私が分かる事といえば、二人のお父さんが人並み以上に自分の子供に愛情を注げる人だったという事だけ。
アインツベルンと繋がって子供を産んだのは、何かしらの事情があったのだろう。
魔術師としての事情か、それとも他のモノだったのかは分からない。
推測できるのは、何かが拗れた結果、アインツベルンを去ることになった事だけ。
その時に、イリヤを連れて行かなかったのか、連れて行けなかったのか。
不明だけれども、どちらにしても、それが不幸の始まりで。
衛宮切嗣という人にとっても、それは不本意な事だったのだと思う。
推理、というよりも想像の類になってしまうけれど、もしかしたら衛宮くんのお父さんは魔術師になり損なってしまったのかもしれない。
愛情が深い人だから、魔術師たれと子供を律せなかったのかもしれない。
それ故に、魔術の大家のアインツベルンを追い出されたのかも。
……なんて、全部想像に過ぎない。
ただ、だとしたら、非は誰にあるのだろうか。
魔術師に成りきれなかった衛宮切嗣?
それとも、根源を目指す呪いと化したアインツベルンに?
どちらにしても、双方共に報われない。
家族と離散した彼に、魔術師としては些かズレてしまって残されたイリヤ。
誰が幸福になったのか、答えは誰も、と虚しさしか残らない回答だけ。
「世の中、思い通りに行かない事が多いわね。
イリヤも、二人のお父さんも。
私も衛宮くんもね」
「けど、マーガトロイドはどうにかしようって、今日来てくれたんだろ?」
「そう、ね。
頼まれ事だけれど、どうにかなって欲しいとは思っているわ」
「だったら、マーガトロイドも十分良い奴だよ。
ありがとう、マーガトロイドが知らせてくれなかったら、俺はずっと知らないままだった」
ままならない事に溜息を吐いたら、衛宮くんはそれを打ち消す様にお礼を言ってくれた。
しっかりと、私の目を見つめて。
思うままに気持ちを伝えてくれているというのが伝わってきて、思わずムズムズとしてしまう。
ここまで正面切ってお礼を言われると、凄くむず痒いのだ。
「私はただ、知らせただけ。
これから、衛宮くんがイリヤが来た時に、どうにかしてあげるしかないの。
無責任な言葉だけれど、これは衛宮くんだけが出来る事よ」
「それでも、マーガトロイドは良い方向に持っていこうとしてくれてる。
今回だけじゃない、毎回助けてくれる事に感謝してるんだ」
「……イリヤと和解できてから、また言ってちょうだい」
顔、赤くなってないかしら。
思わずペタペタと頬っぺを触ったけれど、普段と変わらない体温で安心する。
そういう事を真顔で言うから、桜がメロメロになってしまうのだ。
そういえば、そういう英才教育を施したのはお父さんだって、衛宮くんは前に言ってた様な気がする。
……衛宮切嗣、もしかしたら、彼は女の子の敵だったのかもしれない。
衛宮くんはそうならない様に、是非とも気をつけて欲しい。
少なくとも、女の子に”このドン・ファン!”なんて言われない程度に。
「コホン、それは一旦横に置いておいて。
衛宮くん、今日はありがとう。
衛宮くんなら問題ないと思ってたけれど、こうして分かり合えると嬉しいものね」
「こちらこそ、だな。
知れなかったじゃ済まない事だし、知っておきたいことだった。
感謝してもし足りない」
「今日はもう、衛宮くんには沢山お礼を言ってもらったわ。
あとはもう、帰ってから桜にでも言ってあげなさい。
何時もありがとう、これからも宜しくお願いしますってね」
「分かった、そうする」
迷い無く頷いた衛宮くんに微笑んで、最後に、と私は懐から一人、人形を取り出した。
白い髪の、デフォルメされた三頭身。
コートを着込んで、ちょこんと帽子を被っている彼女。
「この娘、衛宮くんに上げるわ」
「この人形は?」
「渡してって頼まれてるの、作ったのは私だけれど。
持っててあげて、お守りにもなるから。
きっと、悪い事からも守ってくれるわ」
壊れ物を運ぶ様に、彼女を衛宮くんに手渡す。
懐に入れてたからかほんのり暖かいそれは、私の体温以外にも何か熱を感じさせられる。
それは感性が訴えてるだけで、実際にそういう訳ではない。
けれど、確かに私はそこに熱を感じているのだ。
それはイリヤの熱、想い、暖かさ。
ただ、持っているだけで感じるものが、そこにあった。
「可愛いでしょう?」
「そう、だな」
デフォルメされたこの娘に、どう答えれば良いか答え倦ねている衛宮くんに、私はそっと告げた。
「実はね、その娘は片割れでもう一人の人形とセットになってるの。
だから、もし見つけたら並べてあげて。
その内に巡り会えると思うから」
「……なぁ、マーガトロイド。
一つ、聞いても良いか?」
衛宮くんは、難しそうな顔を神妙な表情へと変えながら、視線を人形へと落としている。
マジマジと、彼女を見ているのだ。
ボンヤリと、ボヤけながら、衛宮くんの視点は何かの像を結ぼうとしていた。
「どうぞ」
故に、何を尋ねようとしているかは手に取るように分かる。
私はただ、静かに衛宮くんの像のポイントが合うのを待っていた。
それが、衛宮くんが彼女に思いを馳せる、貴重な材料になっていると理解できたから。
「あのさ、この娘ってもしかしてだけど。
……俺の、妹なのか?」
「そうよ、衛宮くんの妹」
ただ、簡素に、素っ気なく返事をする。
衛宮くんの思索に、私の声は殆ど必要なかったから。
僅かな静寂の後、衛宮くんはポツンと呟いた。
「じいさんに似なかったんだな……」
あまりにもシミジミとした言葉に、クスッと笑い声が漏れてしまった。
確かに、イリヤとイコールで日本人のお父さんは繋がらない。
でも、それは言わないお約束、と言える状況での言葉だったから。
「意地悪ね、衛宮くん」
「いや、だってさ」
「母方の血なんでしょう、そういうのが強そうな家系だもの」
何だかなぁ、とぼやいてる衛宮くんは、誤魔化す様にあまり口を付けていなかったコーヒーへと手を伸ばす。
一口飲んで、何とも言えない表情で顔を顰めたのは、やっぱり苦かったからか。
どうにも、こういう類の話をしていると、コーヒーを冷ましてしまうきらいがあった。
「お砂糖増して、飲むしかないわね」
「入れすぎはよくない」
「良いのよ。
女の子はお砂糖にスパイス、それに素敵な何もかもで出来てるもの」
「太るぞ」
「煩いわね」
ジトっとした視線を衛宮くんに向けながら、私はコーヒーを飲み干した。
ちょっと甘くて、けれども苦い。
冷めたコーヒーは、何とも独特なコクがあった。
そんな味の、コーヒーカップの底を見て、今日伝えた内容を振り返る。
混ぜた砂糖は、私のテコ入れ。
冷めたコーヒーは、衛宮くんとイリヤの関係。
底に残ったお砂糖は、さて何を暗喩してるのか。
スプーンで掬って、チロリと舐めればやっぱり甘い。
家族なんだもの、これくらいの関係が丁度良いかもね、なんて。
私はボンヤリと、これからの二人の事を想像して、ささやかな願望を抱いていた。
どうか、優しくお砂糖が溶けていきます様に、と。
「それじゃあ、桜によろしくね」
「あぁ、じゃあな、マーガトロイド」
「えぇ、衛宮くんも、また明日」
あれから少々して、用事を果たした私達はまたね、と言葉を交わしあっていた。
家に待たせている人がいるから、私も衛宮くんも席を立ったのだ。
途中まではバスで一緒、冬木大橋を越えたバス停で衛宮くんとお別れして。
トコトコと、暗がりの人気のない道を歩いていく。
寒いわ、と特段に意識してしまうのは、一人ぼっちの道であるのも理由の一つだろう。
ただ、元より寒空は暗くなればなるほどに、その威力を増していく。
必然的に、後ろを振り向く事もなく、ただ家への帰路についていた。
寒い場所では、人肌が恋しく、暖炉に恋慕を抱いてしまうから。
雪は降っていない日、だからと言って寒いのには変わりがない。
程度の問題かもしれないけれど、肌を指す痛みは未だに拭えていなくて。
ずっとこんな場所にいたら、体だけじゃなくて心も冷えるわ、何て考えていて。
――だから、その姿を見た時、私は呼吸を止めてしまっていた。
「…………メディア?」
呆然と、彼女の名前を呼ぶ。
そこには、どこか青白く見える顔をした、メディアが淡い笑みと共に立っていたのだ。
「待ってました、アリスちゃん」
待ってました、その言葉で私は正気に戻る。
どうしてメディアがここに居るのか、その言葉だけで十分に察せた故に。
だから、私はメディアの手を握っていた。
想像通りに、冷たく凍えた彼女の手を。
「馬鹿ね、ここでずっと待ってたの?」
「はい、アリスちゃんは帰り道にここを通ると思ってましたから」
平然と答えるメディアに、私はどんな顔をしていただろうか。
多分だけれど、苦い顔だったかもしれない。
だって、今日のコペンハーゲンでの私の行動は、メディアにとって突き放されていると写ったのだと分かってしまったから。
「メディアは、心細かったの?」
「それも、ちょっとあります。
でも、それ以外に伝えたい事があったんです」
「……何かしら?」
冬場の道端で、ジッとメディアは待っていた。
一刻も早く、私に会いたかったのだろう。
それはつまり、今日の事でメディアとしても思うところがあったということ。
余計なお世話と言いたいのか、それとも今までのベッタリとしていた状況でいたいという事か。
何よりメディアの言葉が気になって、私は心臓の鼓動を感じながら問いを投げていた。
平然とした顔を装いつつ、メディアに非難されたくない、なんて考えながら。
でも、彼女の言葉は、私の思っていたのと、どれも違っていて。
「アリスちゃんは、何も後ろめたく思わないで欲しいんです」
どういう意味か測りかねて言葉を詰まらせていると、メディアは”アリスちゃんはですね”と続きを述べていく。
私が口を挟む暇もなく、静かだけれど滑らかに。
「アリスちゃんはずっと、私にとっても優しい。
でも、それはずっと引きずっているから。
私が不完全なのは、困っているのは、全部アリスちゃんのせいって、ずっとアリスちゃんがそう思っているからです」
私は絶句を余儀なくされていた。
間違いなく、確かにメディアの言うことは私の思っている事と同じだったから。
でも、メディアはそんな私に気がついた風もなく続けて。
「私は、アリスちゃんの優しさが心地いいです。
アリスちゃんが甘えさせてくれるのが、とっても大好きで。
サーヴァントなのに、私を尊重してくれるアリスちゃんの甘さが安らぎなんです。
アリスちゃんは暖かいんです。
……だから、アリスちゃんを苦しめたくなんて、ないんです」
メディアが、上目遣いで私の顔を覗いている。
揺れる彼女の瞳を見て、ようやくメディアの不安が分かった気がした。
自分に優しい理由がそういう事ならば、誰だって気になってしまう。
その上で、今日の距離を置くような行動のせいで、不安が一気に噴出してしまったのだろう。
その内にメディアが大丈夫になったら、私はメディアを放ってしまうのでは、そういう気持ちが彼女の目から痛い程に伝わってくる。
だからか、ダメだって思っていても、それでも反射的に私は口が動いてしまっていた。
「私、ちゃんと言ったじゃない。
メディアの事が好きって、ね」
もう、馬鹿ね、ともう一度行ってメディアを撫でる。
本当に、この娘は心配性だと思いながら。
そんな事、わざわざ気にしてしまうくらいに、私の事を好いてくれている。
それが嬉しくて、私の言葉が信用されていない事が何となく苦くて。
不思議な感情のまま、キョトンとしているメディアに告げていく。
「私がメディアに優しいのは、確かに後ろめたいという理由もあるわ。
でもね、それ以上に私は貴女が気に入っている。
もっと知りたい、もっと仲良くなりたい、もっと信頼されたい。
そんな我が儘を抱いて、行動してしまうくらいにね」
メディアに対して、私は責任を負っている。
だからその義務感だけで動いているのではないか、なんて個人的には些か以上に不満な邪推。
好きって気持ちを伝えるのは、どうしてこうも難しいのか。
見えないものだから、信じるしかないというのが本当に大変だからか。
仕返しに、ギュッとメディアを抱き寄せながら、私は耳元で囁いていく。
「今日メディアをコペンハーゲンに連れて行ったのは、メディアが今は私しか居ないと思ったから。
それは寂しい、なんて我が儘を思ったからよ。
それで不安にさせるなんて、本末転倒ね。
大丈夫よ、メディア。
私は貴方と一緒にいるって、信じなさいな」
メディアの顔を覗き返すと、目を白黒させて告げられた情報を処理していた。
けれど、それも少しの間だけで、次第に落ち着きを取り戻して。
拗ねたような口調で、メディアは呟いていた。
「アリスちゃんは好きって簡単に言っちゃうから、信用しづらいです」
でも、信じます。
本当に小さな声で、メディアは言って。
ある種の降伏勧告であるそれに、私は莞爾と笑みを浮かべていた。
「帰りましょうか、メディア」
「はい、アリスちゃん」
自然と、私達は手を繋ぎ合って、帰路についていた。
私とメディアの手は、すっかり冷えて繋いでも暖かくならない。
けれど、どこか擽ったい様な感覚が心地よくて。
ネコさん、ごめんなさい、と心の中で小さく呟いてしまっていた。
どうにも、今はベッタリで良いかもしれません、と。
イリヤが再登場するのは、一体何時頃になるのでしょうね……(どうして作者にもわかってないのか、謎です)。