冬木の街の人形師   作:ペンギン3

9 / 58
まさかの諏訪編、まだ終わらなかったの巻(涙)
自身の才能と文章力の無さが悲しいです。

そして、今回のオマケは『とある日の桜ちゃん』です。


追記:深夜テンションで書いたので、誤字が多発している模様。
   発見次第報告をお願いします。


第8話 その湖はどう見えたか 中

 早苗に引っ張られる形で、私は石段を登り続けている。

 彼女の家がこの先にあるそうだが、どうにも普通の家ではないらしい。

 

 この石段を上がる前は、鳥居と呼ばれる不思議な門?があり、そこを潜るとどこか望郷させられるような、だけれど厳粛さを感じさせるモノを感じさせた。

 そして今登っている石段は森で囲まれていて、森の中には一部突出した大木に何かが括りつけられていた。

 

 

「早苗、あれはなにかしら?」

 

 少し気になったし、折角早苗がいるので尋ねてみる。

 

「あれは御柱ですね。

 この神社の祭神であらせられるお方の、象徴のようなものです」

 

 どうやら早苗の家は、日本独特の教会のようなところらしい。

 そういえば冬木にも、似たようなものがあったと記憶している。

 

 あれは寺と呼ばれていたが、また違うものなのだろうか?

 冬木に戻ったら、行ってみるのも良いかもしれない。

 

 

「長いわね」

 

 

「安心と伝統の階段です!」

 

 

 こうして話で紛らわせたくなるほどには、この階段を歩いている。

 教会の癖に人に詣らせる気はあるのだろうか?

 などと考えてしまう。

 

 何にせよ、毎日この階段を往復することになっている早苗には同情しよう。

 私がやると筋肉痛に悩まされそうだ。

 しかし、と早苗を見てみる。

 

 サクサクと階段を登って行っている。

 全く息が乱れている様子もない。

 まぁ、毎日この階段を上っていれば鍛えられもするか。

 

 

「もう少しですよ、アリスさん」

 

 

 そう言うと、やや駆け足気味に早苗は上へと石段を足を進め始める。

 遅れを取るわけにもいかないので、私もそれに続く。

 もう少し、こちらのペース配分も考えて欲しい。

 無論、内心でのボヤキなので早苗に聞こえることはない。

 

 

「ほら、到着です!

 アリスさん、ここが私の家にして仕えている守矢神社です!」

 

 

 一足先に石段を登りきった早苗が、クルリと私のほうに向き直り手を広げて歓迎する意を示している。

 そして私は息を整えつつ、ようやくこの長かった石段を登りきったのだった。

 

 

「ここが、そうなのね」

 

 

 そして私の眼前に広がっていたのは、何かを祀るような、そして何かを感じさせる建物があった。

 おそらく、これが早苗の言っていた祭神を祀っている建物なのだろう。

 そして他にも建物はあるが、祭神を祀っている建物が主、その他の建物は従と明確な分け方をされているようにも感じた。

 

 

「ささ、アリスさん、こちらへ。

 家に上がる前に、少しだけ挨拶してまいりましょう」

 

 

 挨拶というのは、誰にするのか?

 ここは神を祀ってある神殿。

 であるならば、そういうことだろうと私は自己完結し早苗についていく。

 

 というか仕えていると早苗は言っていたが……。

 早苗が司祭をしていると聞いて不安になるのは、私だけなのだろうか?

 

 まあ、そんな事はさておいて。

 早苗は、打ち水に使うような杓が沢山並んでいて、水盤が設置されているところに私を案内した。

 

 神聖な場所で水。

 ふむ、と思考する。

 

 

「聖水の類かしら、これは?」

 

 

「はい!確かに清めるためのものですから、ある種の聖水と言えなくもないですね」

 

 

 そう言って、ニコニコしながら早苗は私にその場所の用途を話す。

 

 

「これは手水舎と言って、神様に会う前に身を清める場所です」

 

 

 身を清める、と聞いて思わず聞き返す。

 

 

「服を脱いで、水を被るの?」

 

 

 もしそうなら苦行もいいところだ。

 そういえば、この前テレビで滝に打たれていた、聖職者がいたはずだ。

 服は着ていたが、どちらにしろ嫌な話には変わりない。

 

 だがそれを聞いた早苗は、キョトンとし、次には笑い始めた。

 人の心配を笑い飛ばすとは、中々に良い趣味をしている。

 それは後が怖いと知るべきよ、早苗。

 

 

「もぅ、アリスさんはえっちですね!

 外国の方はオープンな方が多いらしいですけど、アリスさんもそうなんですか?」

 

 

 ……何なのだろう、この恥をかいてしまった感覚は。

 それとルーマニア人は牧歌的だけれど、そんな簡単に脱いだりしないわよ。

 

 

「違うわ。

 で、どうするの?」

 

 

 にべもなく否定し、何をするのかを尋ねる。

 簡単に挑発(恐らくは天然)にのっていては、堪忍袋が幾つあっても足らなくなるのが目に見えているから。

 

 

「まずはですね」

 

 

 という語り口から、早苗が順番に行う手順を真似ていく。

 一礼し、杓で左、右の順番で清めるなどを行う。

 

 早苗もこの時は、厳かに何も喋らずに行為を行う。

 司祭としての誇りか意地か。

 どちらにしても、それが更にこの場の神聖さを高めている。

 

 口を音を立てずに清め、左手をもう一度清める。

 そして、杓に水が柄を伝うように傾け、元の場所に戻した。

 そして、最後に再び一礼。

 

 音が立つ隙もなく、それは終了したのだ。

 ここは祝福されている神聖な場所。

 そう認識するには十分であった。

 

 

「お疲れ様でした、アリスさん」

 

 

 私を見上げるように見ている早苗は、少し大人びて感じた。

 が、すぐにへにゃっと表情を崩し、さっきまで見ていた表情になる。

 

 

「問題ないわ。

 変わった体験もできたのだから」

 

 

 日本らしい秩序に満ちた儀礼。

 それは気持ちを沈めるのには、とても最適だった。

 

 それににこにこしながら早苗は頷き、この神社で一番存在感がある建物。

 御神体が祀ってあろう場所へ、歩んでいく。

 

 

「では、ご挨拶と参りましょう。

 キチンと心を込めてやってくださいね。

 そうすれば、すぐに終わりますから」

 

 

 この本殿の飲まれそうな程の荘厳な雰囲気の前に、私は無言で頷く。

 そうして早苗は手をパンパンと叩いて、静かに目を瞑る。

 隣に早苗の真似をしながら、祈りを捧げる。

 

 ただ無心に、この場に感じる神聖な何かに向けて。

 それに畏敬を伝えるのみ。

 

 他に何も考えない。

 考えてはいけないのだ。

 神に向かい合うこの場では。

 不純物は混ぜられない。

 

 それが1分、いや2分かもしれない。

 正確には分からないが、それだけ集中していたことはわかる。

 さて、挨拶は届いただろうか。

 私なりに、真剣に祈りを届けたつもりだが。

 

 

「アリスさん」

 

 

 顔を上げると早苗が私を見ていた。

 困惑したように、何かを探るように。

 

 

「少し用事が出来ました。

 付いてきて頂けますか?」

 

 

 訪ねてはいるが、それは有無を問うてはいなかった。

 足早に早苗は先に行く。

 本殿の中への扉を開ける。

 全く、やっぱり人の話を聞かない。

 そう思いながら、私は彼女の後ろに付いて行くしかなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 本殿の中は、意外に質素なものだった。

 広さの割には物がない、そんなところか。

 そして、奥には銅像が台の上に鎮座していた。

 

 その像は風化しているが、それでも長い歳月をかけて存在しているそれは、ハッキリとここに居ると主張している。

 これが作られた何百年も前。

 名うての職人が作ったのだろうその像。

 知らぬ誰かの過去を思ってしまうほどに、この像には色々な思いが込められているような気がする。

 

 

 

 

 

『立派な像だろう?

 信仰の対価として、当時の人間達が私の所に奉納しに来た軍神の名に恥じない一品さ。

 ま、似てないけどね』

 

 

「そうなの……」

 

 

 信仰の対価なら、人間たちも全力でこれを拵えた事だろう。

 感謝、願い、畏敬、恐怖。

 

 様々なものが混沌として、信仰を成している。

 これにはその人たちの思いが全て込められているのだろう。

 

 成程、これを贈与された方も鼻が高くなるだろう。

 人の思いも、馬鹿に出来ないと思わせられるのだから。

 私が人形を作るときも、これほどの気迫を込めて作れば目指しているものに届くのだろうか?

 

 

「アリスさん……もしかして、聞こえておられるのですか?

 彼の人の声が」

 

 

 早苗が、まさか、でも、と困惑しているかの様に、私に問うている。

 何が、そう言いかけて留まる。

 

 私に話しかけたのは誰だ?

 

 早苗?

 いや、彼女の声質とは別のものだった。

 

 そもそも、あれは声だったのだろうか?

 もっと自然のものに近いものだったのでは?

 私が気付かずに流してしまいそうになったのも、そこにあって当たり前のような気さくさを、感じてしまっていたからだろう。

 

 

 どこかに誰かがいるのか?

 だけれど見渡してみても、どこかに誰かがいる訳ではなかった。

 

 私は神経を尖らせて、探ってみる。

 そして、集中したおかげで気付たことがある。

 

 この神殿、さっきよりも神秘や大源(マナ)が増しているのだ。

 どうして察知することが出来なかったのか。

 そのことに愕然とする。

 

 

『昔はもっと信仰があり、力もあった。

 神力を少し垂らすだけで、周りの者は疾く平伏したものさ。

 それが今では、影が薄すぎて気付いてもらえないとはね』

 

 

 自嘲するように、声の主は言う。

 その声は力強いのに、消えそうな儚さを持っていて。

 そこに居ると確信できるのに、居なくなりそうな不安定さを併せ持ていた。

 

 

「神奈子様……」

 

 

 早苗が誰かの名前を呼ぶ。

 切なそうに、子供が親を呼ぶかの如く。

 神社の、そして早苗の主の名前だろう。

 

 

『悪かったね、湿っぽくさせてしまって』

 

 

 その声の主、早苗が仕えるモノはカラカラと快闊な笑い方をした。

 それは先ほどの自虐とは別の、明るさを振舞うような笑いだ。

 

 

「……紹介致します。

 こちらにおわす御方こそ、守矢の祭神。

 八坂神奈子様であらせられます」

 

 

 早苗は何かに驚いたまま、自らの主上を紹介する。

 早苗が畏まり、腕を向けている方向に目を向ける。

 

 先程は何も見えなかった場所。

 

 だけれども。

 祭神たる彼女の声、名前、そしてこの場に満ちている神秘。

 それらが揃い、私の中でかちりと音を立てる。

 

 見える。

 薄く、そしてひっそりとだが。

 銅像の横に並ぶ彼女の、八坂神奈子の姿が。

 

 

「この度はお招きに預かり、恐悦至極です」

 

 

 私は彼女の姿を認めると、深々とお辞儀をする。

 

 神たる身をこの目で視認できた。

 それは御伽噺が本当に存在していたような物で。

 嘗ての、神代の原風景を垣間見れたような、そんなノスタルジーめいた物を感じられたのだ。

 

 

 だからこそ、深く礼を尽くそうと思う。

 彼の人物は、古き世から存在し続けている。

 その重みを目と感覚で私は認識したのだから。

 

 

「私が見えるか。

 肌で私を感じるだけでなくか。

 目も特別という訳だな」

 

 

 更に笑いを深くして、八坂の神は歩みを進める。

 足音が聞こえる。

 薄くしか存在感を感じられないのに、それでもはっきりと分かるように歩くのだ。

 

 

「頭を上げな。

 私はね、早苗の友達の顔を見に来ただけだよ」

 

 

 その言葉に従い、私は顔を上げる。

 私が顔を上げると、八坂の神は私の顔をじっくりと見つめる。

 何かを覗こうとするように。

 

 

「なるほど」

 

 

 彼女はそう呟き、じっと私の顔を覗くのだ。

 それが何故かザワザワする。

 疚しいことなど無いはずなのに。

 覗かれてはいけないものを、見られている気がしてしまって。

 

 

「ん、悪かったね」

 

 

 私の目から充分何かを見取ったのか、覗き込むのをやめる八坂の神。

 存在が薄かったはずの彼女からは、相対する事で圧力のようなものまで感じられた。

 

 この神は、確かに神足り得る資質を持っているということだろう。

 そして場数もかなり踏んでいるということだ。

 

 

「いえ、問題ありません」

 

 

 背中に冷たいものが流れるのを自覚しながら、努めて普通に振舞う。

 尤も、それも無意味なもので。

 

 

「へぇ、強がりな娘だね。

 ま、早苗の友達だったら何だって構いやしないよ」

 

 

 見透かされている。

 それにため息の一つも付きたくなるが、そんな無礼な真似をするわけにもいかず軽く頭を下げるにとどまった。

 

 

「礼儀正しいのは良いことさ」

 

 

 おそらく、今も内心を読み取られているだろう。

 辟易としてきそうなやり取りだ。

 

 

 

 そして、こんな状況に亀裂を入れたのは、守谷の司祭たる早苗であった。

 

 

 

 

 

「神奈子様、あまりアリスさんを苛めないで下さい」

 

 

 むすっとした早苗が私と八坂の神の間に入ってくる。

 私を守ろうとする様子は、まるで子犬を庇うが如き様子であった。

 

「あはははは、いや、悪いねぇ早苗。

 その娘があんまりにもイジメ甲斐のある娘だから、つい年甲斐もなくはしゃいでしまったよ」

 

 

「謝るなら、アリスさんに謝ってください!」

 

 

 ……何なのだろう、この空気は?

 さっきまで、重苦しさや厳粛さがあったのに。

 一瞬でそれが無くなってしまっていた。

 

 それに、早苗は良いのだろうか?

 

 

「早苗、随分と親しげね」

 

 

 神に仕える身なら、何というか……もっと厳格なものが、あるのではないだろうか?

 それなのにとっても緩く感じる。

 それで良いの?どうしてもそう思ってしまう。

 

 

「そうですね、生まれた時から一緒でよく遊んでもらいましたから!」

 

 

 パタパタと尻尾を振らんばかりの早苗。

 そして早苗の目、表情などを見て、私は自分の勘違いに気づいた。

 

 早苗にとって、神様というのは最も身近にある存在。

 家族、と言っても差し支えないものなのだろう。

 

 

 私は今まで、神とは絶対の君主、人間とは一線を画した存在だとばかり思っていた。

 だが現実では、人間に寄り添って存在していた。

 私の想像と、ズレがあったのだ。

 

 何だかなぁ、と思ってしまうが、それを受け入れてしまっている自分もいる。

 そして思い出したこともあった。

 日本では、万物に神の祝福が与えられるという概念があったことを。

 確か八百万だったか?

 

 まぁ、ともかく一々そんなに細かいところまで人間の面倒を見ているのだ。

 人間と密接に過ごしていても、おかしくはないと感じる。

 

 これが欧州やイスラム圏などの唯一神的考え方では、こうは行かなかったであろう。

 もし唯一神、または創造神が姿を現すと仮定するならば、もっと人間を見下した、何とも思っていない存在になっているのではないだろうか?

 そんな想像をしてしまう。

 何故かアホ毛が抗議するかの如く頭によぎるが、瑣末な問題で気にするほどの事でもないだろう。

 

 

「この娘は生まれた時から私達が見える、ある種の特別な存在なんだよ。

 早苗は私の姿が見えている、これを知った時の感動はひとしおだったね!」

 

 

 そして八坂の神も愉快げに、早苗のことを話す。

 その姿は神様というより、子煩悩な大人そのもので。

 私がこの二人を家族と感じたのも、間違いではなかったと実感する。

 

 

「早苗がある意味で純粋に育った理由が、分かった気がします」

 

 

 絶対に甘やかされて育ったに違いない。

 そして、箱入りに育てられもしたのだろう。

 でなければ、白昼堂々と水戸の副将軍のような真似はしないであろう。

 

 

「ん?もしかしなくても、早苗のことを馬鹿にしてるのかい?」

 

 

「いえ、気のせいです」

 

 

 そして、早苗の面倒臭さが誰に似たのかも、はっきりと確認できた。

 神様は面倒というのは神話での共通の物だが、それとは別物のめんどくささだ。

 はっきり言うと、割かし俗な面倒臭さだった。

 八坂の神にとっての不敵な顔というのは、凛のニヤつき顔と同列ということを覚えておこう。

 目の前のこの顔をはっきりと覚えて。

 

 

「それにしても」

 

 

 八坂の神は早苗に向き直る。

 そしてポンと、優しげに頭に手を置いていた。

 

 

「早苗は良い友達を見つけたね」

 

 

 そう言って、早苗の頭を撫でる八坂の神。

 早苗の髪が乱れないように配慮しながら撫でているその様子は、日頃から撫で慣れているのだなと容易に看破できる程のものであった。

 

 

「アリスは私達のやり取りを見ても、微塵も揺らいではいない。

 今時珍しく、信頼できる娘だよ」

 

 

 そう言って私のほうに振り向く八坂の神。

 早苗もそれに合わせて、私の方を向いた。

 

 確かに思っていたのとは違ったが、それで失望するほど狭量でもないつもりだ。

 肌で、目で八坂の神を感じ、敬服したのは本当のことなのだから。

 

 どうしてそんなにこにこした目で、私を見るのをやめて。

 その生暖かい視線は、むず痒くなる。

 居心地が悪くなってしまう。

 

 

「アリスさんは優しい人ですから。

 私の話にきちんと付き合ってくれますし、湖の綺麗さも分かってくれました。

 心が綺麗な証拠ですね!」

 

 

 私が黙り込んでいたら、早苗が更にヨイショをする。

 褒め殺しでもされるのではないか、と言わんばかりである。

 一体何だというのだろうか。

 

 

「褒めても何も出ないわ。

 もし出たとしても、照れ隠しの鉄拳だけよ」

 

 

「その言葉自体が照れ隠しだな」

 

 

「もぅ、アリスさんは可愛いですね!」

 

 

 この二人?は、本当に人の揚げ足を取るのが好きなようだ。

 こっちにとっては、傍迷惑極まりない話だというのに。

 

 

「ねぇ、一つ聞いてもいいかしら?」

 

 

 このまま弄られ続けるのは御免こうむる。

 という訳で、話題の転換をしよう。

 

 

「八坂の神が祭神なのに、どうして名前が守矢神社なのかしら?」

 

 

 その場で疑問に思ったことを即座にでっち上げる。

 が、何故?とも思っていたので、問題はないだろう。

 そしてそれに回答したのは、早苗でも八坂の神でも無かった。

 

 

『ようやく私の出番だね!

 ずっと出番待ちで、会話に入り込む隙を伺う羽目になってたよ』

 

 

 そう言って、何処からともなく童女のような声が響き渡る。

 そして彼女の姿は何もない場所から、スゥと空間が滲んで染み出すように現れたのだ。

 その様子が異質に見え、つい凝視してしまう。

 

 

「へぇ、私も見えるんだね。

 神奈子を目で捉えられるようになったからかな」

 

 

 フムフムと感心するように私に笑いかけている、幼さが目立つ少女。

 少女だけれども、その身は犯し難い神聖さを纏っている。

 そして目は底が見せていない。

 彼女も一筋縄では相手にできない人物だと嫌でも分かってしまう。

 

 そして確信する。

 この方も、同じく神なのだろう。

 

 

「諏訪子様、いらしていたのなら、声を掛けてくれれば良かったのに」

 

 

「あのタイミングで急に割って入ったら、空気読めてないって話しさ。

 タイミングよく現れた方が、かっこいいと思わないかい?」

 

 

「成程、勉強になります」

 

 

 ……早苗が奇抜な娘に育った原因は、八坂の神だけではなかったらしい。

 むしろこちらの神様の方が、酷いかもしれない。

 

 

「ふふ、分かってくれたのなら重畳。それで」

 

 

 小さな神様がこちらを向く。

 つい身構えてしまうのだが、そんな私をクスクスと彼女は笑う。

 

 

「私は洩矢諏訪子。

 守矢神社で、元々の祭神だった神様だよ」

 

 

 これで答えになってない?

 そう言った彼女はケロケロと意味深に笑う。

 

 元々の祭神、今は違うということ。

 そして八坂の神は軍神である。

 そこまで考えると答えは自ずと解った。

 

 

「八坂の神と、洩矢の神の戦争ですね」

 

 

 そして彼女は負けてしまったのだろう。

 だがそれだと次の疑問が出てくる。

 

 

「どうして私が今もここに居るのか、気になる?」

 

 

 悪戯っ子そうな表情で洩矢の神が言う。

 それに反して八坂の神は、悠然としているが沈黙している。

 今私が読みとれるのは、その程度のことだけだった。

 自身で考えていても埒が明かないため、一つ頷くと洩矢の神は滑らかに話しだした。 

 

 

「私はこの諏訪を治める神様だったのさ。

 そこに神奈子が、色々と引き連れて押しかけてきたってわけだよ。

 無論、他所様の家に暴力団引き連れてやって来たのだから争いになる」

 

 ここまでOK?と聞かれたので素直に頷く。

 八坂の神が何か言いたげに、鋭い眼光で洩矢の神を睨みつけているがそよ風の様に受け流し、続きを話し始める。

 

 

「そして戦った末、私は神奈子に負けちゃったのさ、残念無念。

 でもね、この土地の人間達は私への信仰を捨てなかったんだよ。

 神奈子も人間達の熱意に負けて、私を排除しきれなかった。

 統治も脳筋の神奈子より、私の方が上手かったしね。

 これが人徳なんだなぁって、実感できたよ」

 

 

 日頃の行いって大事だよね。

 そう言って洩矢の神はケロケロと可愛く、意地が悪そうに笑う。

 そして最後に、と付け加える。

 

 

「尤も、私は神奈子に負けちゃった訳で。

 名義と土地は手放さなきゃいけなくなったんだけどね」

 

 

 あーあ、世の中最後は暴力がものを言うんだね、などとおちゃらけた風に言って洩矢の神は締めくくった。

 

 神々の戦い。

 人間からすれば神話の類の事だが、洩矢の神に言わせればヤクザ物の闘争になるらしい。

 私の中で、何か大事なものが崩壊してきている。

 

 それを見て見ぬ振りをし、頭痛にも気付かないふりをする。

 早苗とは別のベクトルで、すごく頭が痛くなってきた。

 神様たちの嫌な部分ばかりが、早苗に継承されている気がしてならない。

 そんな2柱を最早隠すことなく溜息を漏らし見てみると。

 

 

「諏訪子よ、お前は人間に慕われていたかのように語ったが、明らかに恐れられていただけではないか!

 よく口が回ることだ、詐欺師にでも転向したか?」

 

 

「神奈子こそ!

 洩矢神社を守矢に改名してくれたお陰で、大いに弱体化する羽目になったんだよ?

 責任を取らなきゃいけないとは思わないかな?」

 

 

「まだ根に持っていたのか。

 普段は気にしてないような態度をとっているのに、化けの皮が剥がれたか」

 

 

「神奈子こそ、ネチネチと。

 器が知れるよ?」

 

 

「それは貴様にも当てはまるだろうが!」

 

 

 何を思ったのか喧嘩を始める始末だし。

 早苗もやれやれと肩を竦めている。

 

 

「行きましょっか、アリスさん」

 

 

「あれは放置してもいいのかしら?」

 

 

 全力で放置していたいのが本心なのだが、このまま去るのも気が咎めなくもなかった。

 しかし、早苗は首を静かに振る。

 

 

「いつもテレビの番組争いで、こんな感じですので問題ありません」

 

 

 問題しかないだろうに……。

 神様とは一体なんだったのか。

 そんな思いを抱えつつ、私は失礼しましたとだけ言ってこの場から立ち去る。

 

 

「アリス、行く前に一つ聞きたいことがあるんだ」

 

 

 だが立ち去ろうとした私に、洩矢の神が待ったをかける。

 八坂の神との争いを、中断してである。

 

 

「アリスは自分が好きかな?」

 

 

 この神様は何を聞いているのだろう?

 なんも脈絡もない、質問に疑問を覚えるが素直に答えておくとする。

 

 

「それなりには好きですが?」

 

 

 それを聞くと彼女はふむふむと頷く。

 そして八坂の神が、それに洩矢の神に同調するように言葉を発した。

 

 

「ならば精一杯愛するのだな」

 

 

 それだけ言うと、彼女たちは再び自分たちの争いを再開する。

 一体なんだったのか?

 私にナルシストにでもなれという事なのか。

 

 特段自分を蔑ろにしている覚えもない為、何故?という気持ちが深くなる。

 が、心当たりがないものは仕方がない。

 言い争いをしている彼女達に聞くのも憚られた為、頭を下げて本殿を後にする。

 

 一体なんだったのだろうか?

 最近は分からない問いばかりが増えている気がする。

 

 

 

「アリスさん、お疲れ様です」

 

 

 出ることの出来ない袋小路にいるような感覚を味わっていた私に、早苗が声をかけてくる。

 申し訳なさそうに、早苗は私の顔色を伺いながら話しかけてきたのだ。

 

 

「直ぐに終わるって言葉、嘘になっちゃいました」

 

 

 心を込めてお参りすれば、あっという間に時間は過ぎる。

 祈りを捧げる前に早苗はそう言っていたが、結果として反古にする形になってしまったことを少し気にしているようだ。

 

 

「でも、ですね」

 

 

 早苗は続ける。

 彼女は何かを伝えようと、自分の思いを紡いでいく。

 

 

「神奈子様はアリスさんが真面目にお祈りして、信仰が届いたから会いたくなったんだと思います。

 アリスさんがすごく真面目にお祈りをしてくれたから、すごく嬉しかったんだって思うんです」

 

 

 彼女は八坂の神のことを話す。

 自分なりに、彼女の思いを汲み取って。

 

 

「近頃って、殆どの人が神様を信じなくなってしまったんです。

 信仰してくれる人が段々と居なくなってしまって。

 きっと、寂しかっただろうし悲しかったと思うんです」

 

 

 これは早苗の憶測だろう。

 合っているかは分からない。

 だが、彼女は2柱の神様と長く時を過ごしている。

 そういう一面があるのを、読み取っているのかもしれない。

 

 

「だから、神奈子様はアリスさんに会えて、今日は幸運だったって思ってると思います。

 信仰だけじゃなくて、ちゃんとここに居るとアリスさんは分かってくれたんですから。

 だから素の顔も見せたんだって、そう思います」

 

 

 何だか必死な早苗に、私は気付けば彼女の頭に手を置いていた。

 桜にしたように、丁寧に彼女の頭を撫でる。

 

 

「分かってるわ、大丈夫よ」

 

 

 だから簡潔にそう言って、彼女を落ち着かせる。

 彼女は気にしていた事が大体分かった。

 

 

「私の思っていた神様と八坂の神が違ったのは確かよ。

 でもね、それで八坂の神や洩矢の神のことを失望したりしないわ」

 

 

 2柱の姿が見えなくなったことで、不安になったのか。

 早苗が気にしていたのはこういうことだったのだろう。

 私の答えに早苗は微笑を浮かべ、ですね、と小さく呟いた。

 

 

「神奈子様は、アリスさんが微塵も揺らいでいないと言っておられました。

 信仰心も、心根も、でしょう。

 でも私はアリスさん自身の言葉で聞かないと、少し不安になってしまって。

 もぅ、私も信仰心が足りてませんね」

 

 

 神奈子さまの言葉を信じきれてないなんて。

 そう言って早苗は、軽くぽかっと自分の頭を叩く。

 そうしておどけてみせた早苗は、次は顔を上げて魅入られたように私の目を見てきた。

 

 

「初めてでした、私以外に神様が見えた人は」

 

 

 早苗は語る。

 今度は自分のことを。

 

 

「湖だってそうです。

 他の人と違って、ちゃんと綺麗だって言ってくれました」

 

 

 自分の思ったままに、真っ直ぐな瞳で。

 早苗は私に伝えるのだ。

 

 

「私は……アリスさんと会えて本当によかったって、そう思ってるんです」

 

 

 だけど、と彼女は瞳を揺らしながら私に言う。

 

 

「その分だけ、ちょっと不安になるんです。

 アリスさんに嫌な子って思われたらと考えると。

 それが怖くて」

 

 

 今まで本当の意味で、彼女と同じ視点で風景を見れる人は居なかった。

 だけれど、同じものが見れる人が現れた。

 

 それは彼女にとって期待するのと同時に、不安も与えてしまっていた。

 良くも悪くも多感な娘なのだろう。

 何も考えていないようで、存外ナイーブさを持っているのが彼女なのだろう。

 

 

「安心なさい。

 鬱陶しくは感じても、ここに居る人達を嫌いになんてならないわ。

 あなたを含めてね」

 

 

 騒がしくて勝手で、人の話を聞かない。

 出会ってまだ1日も経ってないのに、こんなにも悪いところを見つけてしまった。

 

 だがそれは彼女が私に壁を作らずに、話しかけて来てくれたから。

 誰だって自分を良く見せようとする中で、彼女は仮面を被らずに素の姿を最初から見せてくれていた。

 

 それは無防備で、迂闊で、間抜けで。

 その純粋さは私に苛立ちと不安を煽り立てていた。

 

 だけれども、不快ではないのだ。

 彼女は常に全力なだけ。

 それが、少し、そう、少しだけ眩しかったのかもしれない。

 

 

「約束してくれますか」

 

 

 早苗が見上げる形で、ジッと私を見つめる。

 そんなこと……。

 

 

「約束なんて無理よ。

 人の心は常に動くものだから」

 

 

 出来ない約束など、余程の事がない限りするべきでないのだ。

 それが不安を煽ることになっても。

 

 そして矢張り、早苗はシュンとして俯く。

 だから私は彼女の顔を両手で上げさせる。

 まだ私の目を見てもらう為に。

 

 

「だから私を信用なさい」

 

 

「え?」

 

 

 私が早苗にそう言うと、彼女は戸惑ったように声を上げる。

 何の事だか良く分からない、そんなところだろう。

 だから、今度は彼女に私が伝えるのだ。

 

 

「人の気持ちなんて、見えないから分からない。

 だから、その人を信用するしかないのよ。

 ……私は信じられないかしら?」

 

 そう伝えると、早苗はブンブンと頭を横に振る。

 

「神奈子様も言ってました。

 アリスさんは信用できると。

 それに、私もアリスさんを信用してます!」

 

 

 早苗は何かを求めるように私を見上げる。

 ここまであからさまなら、私も分かる。

 彼女が答えたのだから、私にも義務があるだろう。

 

 

「あなたを疑えるほど、私は妄想家ではないのよ。

 だから、私を信じるあなたを信じるわ」

 

 

 単純なのは少し一緒に居たらすぐに分かるのだ、早苗という娘は。

 それ故に信用を勝ち取りやすい娘なのかもしれない。

 少なくとも、私が彼女を疑うことはないだろう。

 

 

「ありがとう……ございます、アリスさん」

 

 

 ホッとしたように、少し潤目になっている早苗。

 これで泣かれるのも、抵抗を感じる。

 故に、一つ笑わせてみることにしようか。

 

 

「早苗、友達になる条件を教えてあげるわ」

 

 

 そう言うと、早苗ははへ?とおかしな声を上げる。

 それに可笑しさを覚えつつも、私は続ける。

 

 

「それはね、互いを信頼し合うこと。

 今の私たちのようにね。

 これからもよろしく、早苗」

 

 

 そう言って、私は手を差し出す。

 握手をしよ?そういう意味を込めて。

 そして早苗は、震えつつ私の手を握り返したのだ。

 

 

「う、うぅ、アリスさん、あ、ありが、とうございます」

 

 

 ……結局ヤブヘビになってしまったようだ。

 持っているハンカチで早苗を涙をぬぐいつつ、どうやったら泣き止んでくれるかを考える。

 

 

 結果、クソ寒いジョークで場を凍らせてしまったのだが。

 やはり私は芸人には向いていないらしい。

 

 そして一応だが、涙は止まったのだ。

 涙が止まったのだから、問題はない。

 自身にそう言い聞かせつつ、自分を慰めること以外にその場で私ができることは存在しなかったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『とある日の桜ちゃん』

 

 

 

 

 

「先輩、恋人同士って何をしたら恋人らしいのでしょうか?」

 

 

 今はゴールデンウィークの真っ只中。

 時刻は午後二時。

 居間で先輩と二人、お茶を啜りながらお煎餅をパリパリとしていた。

 そんな中で、ずっと思っていたことを聞いてみる。

 

 なぜ今になって聞いたか?

 それは先輩と二人きりになる機会が、極端に少なかったからだ。

 

 普段は兄さんと魔術の修練。

 夕食時は藤村先生がいる。

 それにまだ私は高校へ進学できていない為、通学路も別々。

 それに先輩は忙しく、バイトや困った人に手を差し伸べたりしていて、中々に二人きりになれない。

 

 だけれど、ようやく機会が巡ってきた。

 今日は兄さんは都合があるそうで、魔術の修練はお休み(因みに兄さんは、先輩が一人で魔術の修練をするようなら必ず止めるように!と私に釘を刺している)。

 藤村先生は授業の準備を今の内にしておくとかで、今日は学校の方に出向いている。

 

 そして、先輩も今日は休日らしくのんびりと過ごしていた。

 今こそが聞くチャンス!

 そう思い切って聞いてみたのだ。

 

 

 先輩は固まる。

 どれくらいの固まり具合かというと、奈良の仏像を思わせるくらいの固まり具合だ。

 

 

「先輩、口を開けてください」

 

 

 私の言葉に先輩は思考が停止していたらしく、おとなしく従ってくれる。

 そこに食べやすく割ったお煎餅を、口に運ぶ。

 

 お醤油味のお煎餅をパリパリと機械的に咀嚼し、飲み込む。

 そして飲み込んだのを確認すると、私は温めのお茶を差し出す。

 それを口に含んで、ようやく先輩は意識を取り戻したのだ。

 

 

「手を繋いだりとか、か?」

 

 

 ちょっと自信がなさげである。

 でも、そのほうが先輩らしくて安心する。

 それは先輩の女性経験が無いという、証明にもなるからだ。

 

 

 私が先輩の初めて!

 そう思うと、優越感や独占欲みたいなものがユラユラと湧いてくる。

 

 先輩は私を見てくれている。

 そんな、甘い蜜のような快感。

 

 先輩は他の人を気にしてしまわないか?

 そんな、見苦しくドロドロした疼き。

 

 その二つが私の中でせめぎあいをするのだ。

 だけれども、今はそれを棚上げする。

 先輩と触れ合えるチャンスが、そこにあるのだから!

 

 

「では先輩、手を繋いでみても良いでしょうか?」

 

 

 そう聞くと、先輩は少し顔を赤くして沈黙する。

 そして赤い顔のまま、私に尋ねるのだ。

 

 

「桜、いきなりだな。

 どうしたんだ?」

 

 

 嫌がってはいない。

 ただ、私が唐突なため驚かせてしまったようだ。

 

 それと、先輩は手を繋げる口実が欲しいのだ。

 特にこのまま流されるように、手を繋ぐのが恥ずかしい。

 

 そう考えているのだろう。

 伊達にずっと一緒にいる訳ではないのだ!(まだ同棲して数日だけれど)

 

 先輩が私のことでドキドキしてくれてるのに、胸から何かが溢れそうになるのを我慢しつつ、私は先輩にこんな理由付けをする。

 

 

「先輩……。

 今日は、今日だけでいいから私に構ってくれませんか?」

 

 

 私の言葉に先輩はあっ、と声を漏らした。

 何かを後悔するかのように。

 

 先輩は忙しい。

 だから相対的に私といる時間が少なくなるのだ。

 

 こんな我が儘、普通なら言わない。

 だけれど今回は方便に過ぎない。

 ごめんなさい、先輩の気持ちを弄んだりして。

 

 でも、私だけを見て欲しい、そんな独占欲もあるんですよ?

 だから意地悪させてください。

 そして、後でウンと叱ってくれると嬉しいです。

 

 

「悪かったな、桜。

 その、長いこと一緒に居てやることができなくて」

 

 

 そして私の目論見通り、先輩は私を寂しがらせていたと考えてくれたようだ。

 先輩は優しい。

 ゴメンな、と撫でてくれる頭からも、その優しさが染み込んできそうだ。

 

 

「いえ、全部私の我が儘ですから」

 

 

 先輩があったかい。

 もうずっとこのまま撫でられていたいなぁ。

 そんなくらいに。

 

 

 でも。

 

 

「先輩、それで、手を繋いで貰えますか?」

 

 

 どうせなら先輩と暖かさを共有したい。

 だから、お互いの温もりが感じられるように、手を繋ぎましょう?

 

 

「ああ、桜。

 手、繋ごうか」

 

 

 

 手を差し出してくれる先輩。

 自然体を装おうとしておるが、顔の赤みは隠せていない。

 

 先輩、そんなに照れないでください。

 こっちまで赤くなってきてしまいます。

 

 

「はい、喜んで!」

 

 

 私の顔がどんな状態かは、見れないのでわからない。

 ただ、ひたすらに熱かったのだけは自覚できていた。

 

 

 …………

 ………

 ……

 …

 

 

「なぁ、桜」

 

 

「何ですか、先輩?」

 

 

 手を繋いで、私達は少しの時間だけ寄り添っていた。

 それでも先輩は恥ずかしいのか、もぞもぞしている。

 

 

「もう30分くらい繋いでないか?」

 

 

「まだ30分なんですよ」

 

 

 先輩はやっぱり恥ずかしがり屋さんだ。

 私はこのまま、ずっと繋いでいたいというのに。

 

 そうして、また静かな時間が訪れる。

 それでも先輩の体温が感じられるだけ、すごく心地いい時間に感じられる。

 

 そうしてまたこの時間がしばらく続く。

 私はそう思っていたのだが、先輩がその時間をこさせなかった。

 

 

「買い物に行きたいんだけど、桜」

 

 

「……まだ繋いでいては、ダメですか?」

 

 

 先輩に迷惑かけてるってわかってるのに、甘えるのがやめられない。

 ごめんなさい、でもこの暖かさは離せそうにないんです。

 そして私が駄々っ子みたいなことを言ったのに対して、先輩はこんな提案をしたのだ。

 

 

「じゃあ、手を繋いだままで買い物に行くか?」

 

 

「…………ぇ」

 

 

 先輩がお顔を少し赤くしてくれている、それが嬉しい。

 では私はどんな顔をしているだろう。

 緩みきった顔?それとも呆けた顔?

 どちらにしても、緩みきっているには違いない。

 

 

「じゃ、行くか」

 

 

「はい!」

 

 

 靴を履き、先輩の手を握り外へ出る。

 手の暖かさは、先輩と春の残滓で陽気に満ちていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おぉ、士郎君に桜ちゃん。デートかい?」

 

 

「買い物です」

 

 

 デートにはもっとおめかしして行きたいので、これは数に入らない。

 先輩とのデートに備えて、今度新しい服でも買いに行こうかな?

 

 それにしても、で。

 もう三回目になる、デートかと聞かれるのは。

 

 

「ガハハ、まぁ、何にせよ仲が良いのは結構なことだ」

 

 

 私たちの手を見て、八百屋のおじさまはニヤニヤしながら頼んだお野菜を袋に詰めてくれる。

 ……思っていたよりも恥ずかしい。

 そして先輩は、最初こそは赤くなっていたけれど、今は普段通りに戻ってしまっている。

 慣れてしまったのだろう、ちょっと残念に思ってしまう。

 

 

「ありがとうございます」

 

 

「おぅ、また二人で来な!」

 

 

 八百屋のおじさんにオマケまでしてもらい、ちょっと重たくなった袋を先輩が持っている。

 俺は男なんだから、重たいものは俺が持つよ、って先輩が頑なに袋を死守したからだ。

 先輩らしいけど、やはり気にしてしまう。

 私これでも力持ちなのに。

 

 手を繋ぎながらお買い物。

 今もドキドキしているけど、先輩に迷惑をかけてしまうのなら、ここが潮時なのかもしれない。

 

 

「先輩、袋のことなんですけど」

 

 

「桜は女の子なんだから、無理するなよ」

 

 

 先輩は優しい、それは知っている。

 だけれども、今は頑固さの方が先行している気がする。

 これと決めたら、滅多なことがない限り意見を変えないのが先輩だ。

 だから搦手で言ってみよう。

 

 

「袋を片方ずつ、二人で持ってみたいんです。

 これもやってみたかったのですけど……ダメですか?」

 

 

 心持ち上目遣いで先輩を見つめる。

 アリス先輩直伝の必殺技だ。

 これで決まらなきゃ、アリス先輩に新しい技を教えてもらおう。

 

 

「……分かった」

 

 

 やった!流石はアリス先輩。

 今度お礼にお茶を奢りながら、今回の成功についてお礼を言わなきゃ。

 そう心に固く決め、先輩と二人で袋を持つ。

 

 

「でも、ちょっと寂しいな」

 

 

 先輩が握っていた手を見てそう言った。

 痛いほど気持ちはわかります。

 私も同じ気持ちです!

 

 

「でも、二人で重さを分け合うって、素敵な事だと思いませんか?」

 

 

 でも口は別のことを話している。

 自分から言ったのに、そんな事は言えない。

 

 

「そうだな」

 

 

 話題は無事に逸れた。

 それに残念のような、安心したような気持ちを感じる。

 

 

「でもさ」

 

 

 先輩は袋を見ながら、ポツリと呟く。

 

 

「同じ重さを背負わせてしまうなら、全部俺が背負いたい。

 そうも思う俺がいるんだ」

 

 

 先輩の言葉は、生真面目な先輩らしさに満ちたものだった。

 それは献身的で、かっこよく感じてしまって。

 

 でも、やっぱり寂しいと感じてしまう言葉だった。

 

 

「先輩、重たいものは嫌いですか?」

 

 

「重たいとさ、苦しくなったりしないか?」

 

 

 私のおかしな質問に、先輩は律儀に答えてくれる。

 そして、先輩の答えに私は自分が思うままに答える。

 

 

「重たすぎると苦しい、と思ってしまうのは普通のことだと思います。

 でも、重たくないと不安に思ってしまうこともあるんですよ?」

 

 

 持っているものが軽すぎると、無くしてしまったものはないか?

 そんな気持ちがふらりと、心の隙間に入り込んでくるのだ。

 

 慌てて持っているものを確認をする。

 そして全て持っているのを確認できても、何かを忘れてしまっているのでは?

 そんな疑念まで現れる。

 

 だけど、重ければそこにある事がすぐに分かる。

 疲れてしまうことはあるけれど、それでも安心できるのだ。

 自分はきちんと持っていると。

 

 

「だから、全部一人で背負わないでください。

 私が安心できるように、重さを共有してください」

 

 

 全部を一人で何とかしようとする先輩だから。

 何時か蒲公英の種のように、何処かに行ってしまうのでは、と不安になるのだ。

 

 だから一緒がいい。

 私は先輩と同じだけの重みを背負いたいのだ。

 一緒に手を繋いでいられるように。

 

 

「俺はあんまり器用じゃない。

 だからさ、桜に重みを多く押し付けてしまいそうで怖い」

 

 

 それを聞いて、気付いた。

 不安なのは私だけじゃない。

 先輩にも、不安に思うことはあるんだって。

 

 

「それで桜が倒れでもしたら、俺は自分が許せなくなると思う」

 

 

 そっか、と納得できた。

 私と先輩のこと。

 

 

「何だか私たち、ウサギさんみたいですね」

 

 

 相手のことを考えると、つい一歩引いてしまう。

 大好きだからこそ、色々と臆病になってしまうのだ。

 

 

「桜は可愛いからいいけど、俺が兎なのは変だと思うぞ」

 

 

「先輩にも、可愛いところはいっぱいありますよ?」

 

 

 私がそう言うと、先輩は何とも言えない顔になる。

 男の人に可愛いという言葉は、複雑な気持ちにさせるようだ。

 それもまた可愛いと思ってしまうのは、やっぱり先輩だからなのだろうか。

 

 何にせよ、ごめんなさいと謝って私は続きを話す。

 

 

「先輩は私が倒れそうな時は、助けてくれますよね?」

 

 

 先輩はすぐに頷いてくれる。

 分かっていてした質問。

 私じゃなくても、先輩は困っている人を見たら助けないではいられないのだから。

 

 

「私も先輩が倒れそうな時は、助けたいです」

 

 

 私も先輩を助けたい、力になりたい。

 心から、そう思っている。

 

 でも先輩は我慢してしまうから。

 笑って大丈夫って言えてしまうから。

 

「だから重さを分けてください。

 先輩が疲れていたら、休んでもらうために。

 倒れる前に気付けるように」

 

 

「……俺はきっと倒れない。

 倒れちゃいけないんだ。

 だから大丈夫だよ、桜」

 

 

 答えになってない。

 そんなの大丈夫なはずがないのに。

 

 

「先輩が倒れたら、心配したり悲しんだりする人がいるって、それだけは覚えていてください」

 

 

 結局出てきたのは、負け惜しみじみた在り来りな言葉。

 

 先輩は頑固だ。

 自分の意見を簡単に曲げたりなんてしない。

 

 

「……悪い」

 

 

 先輩はそれだけ言うと、それ以上は語らなくなった。

 それだけなのに、先輩の一言は私の心に強く残った。

 

 多分それは悲しいから。

 先輩にこれ以上入ってくるなって、そう言われたのと同義なのだから。

 

 

 私は先輩の内側に入れて貰えるのだろうか。

 重さを共有できるのだろうか。

 ……分からない、でも諦めたくない。

 

 だけれども、気持ちだけじゃどうにもならない。

 だから努力でもしてみよう。

 先輩に近づくための。

 

 

 まず最初は……先輩みたいに、困っている人を助けることからしてみようか?

 そうしたら、何か分かってくることもあるかもしれない。

 

 

「私、頑張ります」

 

 

 今は決意表明をしておこう。

 意思をしっかりと心に刻む為に。

 

 

「桜は頑固だな」

 

 

 私の宣言に、先輩は困ったようにそれだけ言う。

 傍迷惑なのは、分かっているつもりだ。

 

 でも先輩にだけは頑固と言われたくない。

 それは先輩の専売特許なのだから。

 

 

「手、繋いでいいか?」

 

 

 先輩そう言って、立ち止まった。

 きっといま先輩にできることを、一生懸命に考えて提案してくれたのだと思う。

 

 

「ビニール袋、持ってますよ?」

 

 

「俺が手を繋ぎたいんだ。

 ビニール袋は俺に持たせてくれ」

 

 

 やっぱり先輩ってズルい。

 

 嬉しくて嬉しくて堪らないのだから。

 自分の単純さ加減に、呆れつつも先輩の手を取る。

 

 重みは感じられないけれど、きちんと温かみは感じる。

 それだけで、先輩はここにいるって分かるから、今はこれで我慢しておく。

 でも、少しだけ先輩に意地悪させてもらおう。

 

 

「っ桜、この繋ぎ方って……」

 

 

「先輩、帰ってお茶にしましょう」

 

 

 私は早口でそう言うと、下を向いて歩き始める。

 ダメ、恥ずかしい。

 だけど、すごくいい。

 

 私たちの手は、絡み合うように握られている。

 俗に言う、恋人繋ぎ。

 

 

 私達は、普通の恋人みたいにやれているのだろうか。

 まだ若葉マークの恋愛初心者には、判断が難しい。

 

 

 

 

 

 互いに真っ赤になりながらの帰り道。

 そして無論、考えるまでもなく目立っていた。

 周辺の奥様方によって噂は広がり、3日後には学校にまで広がっていたのだ。

 自業自得とはいえ、あんまりだと思う。

 

 

 うぅ、暫くお外歩けないかも……。




士郎と桜で甘い話を書こうと思ったら、結局無理だったの巻。
僕もにやける様な話が書きたいのに!(血涙)
誰か、才能を分けてください(切実)



















NG集


 先輩と手を繋いでの買い物。
 恥ずかしいけど、とっても心地良い温もりを感じる。

 今日の行き先はスーパーだ。
 夕飯だけでなく、他の物も今回で買い揃えてしまう魂胆なのだ。
 二人でカゴを片方ずつ握り、スーパー内を巡る。

 レジを済まして、後は袋に詰めて持って帰るだけとなったのだが……。


「なぁ、桜。
 あれはなんだ?」


 先輩が目を見開いていた。
 信じられない物を見つけたと言わんばかりにである。

 私も気になり顔を上げると、そこには……。


「タダって本当に最高の言葉よね♪」



 一心不乱にビニール袋を略奪する遠坂先輩の姿が!

 ……何をしているんですか、姉さん!?

 先輩はもはや何も考えられなくなったようで、呆然とその姿を見ていた。
 私は何も見なかったことにして、先輩を引きずる形でその場を後にした。


 そして翌日、遠坂先輩は何事もなかったかの様に、優等生ぶりを学校で発揮していたとかなんとか。
 女の子が信じられなくなりそう、と先輩が遠い目で語ってくれた。
 
 私も自分の中にあった、完璧な遠坂先輩像が見事に崩壊するのであった。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。