機動戦士ガンダムEXVS InSert Credit(旧:掌のレバーと指先のボタンで、広がる世界。) 作:kaneda_02
●お知らせ(2023/6/6追記)
タイトルを変更しました。
旧タイトルに馴染みのある方を考慮し、旧タイトルは見える形で残しています。
アーケードゲーム感をより強くしたく変更しました。
突然の変更申し訳ないです。
●お知らせ(2023/6/30追記)
オバブ稼働しちゃいましたね。
それに合わせ、本作に置けるエクストリームバーサスの仕様もアップデート予定です。
既存話はクロブ準拠の仕様のままでいこうかと思うので、修正の予定はありません。また、今後公開される話は、しばらくクロブ準拠で進める予定です。区切りがいいタイミングで、オバブ準拠にアップデートします。
●エクストリームバーサス
全国のゲームセンターにて稼働中の大人気対戦ゲーム。
機動戦士ガンダムシリーズに搭乗するモビルスーツを操作し繰り広げる2on2の対人戦が魅力。
大型アップデートや新作発売を続けて、十年以上続いてるすんごいタイトル。
ソーシャルゲームや家庭用ゲーム機が普及・充実する昨今、その煽りを受けるゲームセンター業界において、根強い人気を誇る人気タイトルです。
執筆開始時(2023年4月)では、シリーズ6作目に当たるクロスブーストが稼働中。
●制作のノリ
本作は、執筆開始時(2023年4月)にアーケードにて稼働中の「機動戦士ガンダムエクストリームバーサス2 クロスブースト」をモデルに一部機体に「これがついてたら面白くなるんじゃないの?」と作者の妄想を追加されたものとなります。広い懐で受け入れていただけると嬉しいです。
洗濯の終了を知らせる機械音が鳴り響いた。
食器を洗い終えた少年は、手に付着した水分をキッチンに吊るされたタオルで拭き取った。テレビ台の脇のアナログ時計を一瞥した。出発の時刻が迫っていた。
急いで洗濯機から濡れた衣服を取り出した。リビングダイニングの窓際に洗濯物の入ったカゴを置いた。
外は生憎の雨だった。
曇天が日光を遮っているせいか、リビングダイニングは薄暗かった。気が散るから登校前にテレビはつけないようにしていたし、電気代を節約するために敢えて照明はつけていなかった。幼心に家計のことはわからなかったが、それが母の一助になればと少年は信じていた。
少年は、小さな手で洗濯物を干していた。シワを伸ばすために体全体を使って洗濯物を力一杯振った。アナログ時計が定期的に鳴らす秒針の音と洗濯物が空気を不定期に叩く音が、静まり返ったリビングダイニングに響いていた。
刻一刻と迫る登校時間に急かされているせいか、ハンガーに不格好にかけられた男の子物のTシャツには伸ばしきれていないシワが目立った。一方で、Tシャツの隣にハンガーで吊るされた女性物のブラウスは、丁寧な仕事ぶりを感じさせた。
窓の外で一陣の風が吹いた。雨が横殴りになった。窓ガラスに打ち付けられた雨が、重力に引かれて流れた。薄暗い部屋で黙々と家事を進める少年の頬と重なった。
目が覚める。
頭が重い。
体は熱いのに、悪寒が修の体から離れない。
修は、僅かに上体を起こしサイドテーブルに置かれたスポーツドリンクを飲む。その横には、昼休み中に母が買ってきた風邪薬や冷却用のシート、真新しいスポーツドリンクとレトルト食品が入ったレジ袋がある。中身は全て未開封だった。
朝、起床後に飲んだ風邪薬と先程口にしたスポーツドリンク、横になる前に額に貼った冷却シートは、元々家に常備していた物だった。しかし、母は備え置きの薬や飲料を把握していなかったため、修への確認もなくそれ等を買っていた。
今や、家の管理のほとんどは修が行っている。支払い関係は母に任せる他ないが、できうることは全て率先して修が行っている。
唯一、朝食と修が学校に持っていく弁当は母が作っている。母親らしいことをさせて欲しいと以前口にしていたため、修は不承不承頷いた。
リビングダイニングのテーブルには、ラップのかかった朝食とランチクロスに包まれた弁当があることを思い出した。早朝、修が体調を崩したことを知らなかった母が作ったものだ。
修は、レジ袋の中のレトルトのおかゆを見た。次いでスマホの電源を入れ時刻を確認する。お八つ時が迫っていた。
お腹は空いていなかったが、母が作った料理に手を付けていないことに申し訳無さを感じた。レトルトのパックとスポーツドリンクを指先に引っ掛けるようにして持ち、リビングダイニングに出た。体を支配する倦怠感により、足元が覚束ない。
リビングダイニングは静まり返っていた。週末から降り続く雨音が、窓ガラス越しに届いていた。
レトルトの中身を適当な耐熱容器にひっくり返し、電子レンジに入れる。パウチに記載された時間分パネルを操作し加熱を始めた。
待ち時間でダイニングテーブルにあった朝食をキッチンに持ってくる。ピンと張られたラップを取り除き、表面に水滴をまとったプチトマトを指先で摘んだ。
食べる。
熱に犯されて薄ぼんやりとした意識の端で、プチトマトの瑞々しい食感を感じ取った。中から果肉が飛び出し、修の口に広がった。風邪の影響で麻痺した味覚が、やけにぼやけた味の輪郭を感じさせる。
もう一粒食べる。
機械的に咀嚼する。電子レンジの駆動音と雨音がリビングダイニングに満ちている。リビングダイニングを覗く。修の希望で買い替えられたデジタル時計は、液晶テレビの脇で音もなく時刻の移ろいを告げている。
最後の一粒を手にしたまま、しばらく修はデジタル時計の移ろいを目で追った。アナログ時計の音が夢にまで出てくるようになり、我儘を言って買い替えてもらった時計だ。その経緯を修は記憶の中に探った。
途端、胸が締め付けられる。
鼓膜を震わせる機械音に、記憶の深い海に潜り込んでいた修は我に返った。電子レンジが調理の終了を知らせていた。容器を取り出そうとした修は、自分の手に粘着質な物体が張り付いていることに気がついた。目を向けた。握り潰されたプチトマトだった。
手を洗って耐熱容器を電子レンジから取り出した。朝食のおかずが乗せられた平皿と一緒にダイニングテーブルにつく。
「いただきます」
咳で痛めつけられた喉で紡ぎ出す。
平皿の上の固形物を箸で口に運ぶ。よく噛んでから活動の弱まった胃に落とす。ラップで密閉されていたためか、水分をよく吸った冷凍の唐揚げは衣がふやけていた。
やっとの思いで食べ終える。胃が苦痛を訴えていたが、修はそれを無理矢理抑え込んだ。
食器を洗い終え、ダイニングテーブルをウェットティッシュで吹いた。片付けを済ませ、リビングダイニングを去る。
自室のベットで横になる。
掛け布団を口元まで引き上げ、スマホを確認した。
SNSには、風邪を案じるメッセージが届いていた。母のメッセージや授業の合間にクラスメイトが送ったメッセージ。
優花のメッセージもあった。風邪のお見舞いを買って出る面倒見の良さは、親譲りだと思った。修は、その申し出をやんわりと断った。幸いなのは、メッセージのやりとりであるからこちらの心中を相手に読み取られないことだ。
修は、優花に合わせる顔がなかった。
一覧画面を確認する。
叶からは何もなかった。
修は安堵を覚えた。
幼馴染に向き合うことは何より怖かった。
目が覚める。
頭の重さは多少軽減されている。
スマホで時刻を確認した。一時間ほど経過していた。
体が怠い。
修は、体がベッドに沈むままに横になっていた。何の気はなしに寝返りをうち窓の外を見る。
雨が降り続いている。
週末から続く雨だ。週末から翌週中まで不安定な空模様が続くと、先週末に見た天気予報を思い出した。
洗濯物をベランダに干せないことを嫌悪した。晩ご飯の献立を考えた。
心臓の拍動が、雨音に紛れて聞こえてきた。徐々に大きくなってくる。やがて、鼓動は別のものに変わった。アナログ時計の秒針の音だ。
修は、咄嗟にサイドテーブルのスマホを取った。動画アプリを開き、目についた適当な動画を再生する。部屋を包む静寂を消し去るなら何でも良かった。
エクストリームバーサスの動画だった。
毎日正午に動画を投稿しているチャンネルだ。投稿主の声とBGMに、修は聞き入ることにした。
エクストリームバーサスを始めたての頃、上手くなりたいと考えた修は、参考になりそうなものに手当たり次第に目を通した。動画もその一つだ。以来、プレイの参考にするために動画を観続けている。
動画では、投稿主が楽しそうに実況解説を行っている。ネタ寄りの内容の動画だからか、いつにも増して声色が嬉々としている。
修は、動画の音量を限界まで上げた。音量のレベルを示すバーが上限に達してもなお上げようとした。それでも物足りず、休息を要する体を無理矢理起こし勉強机の上に置いていたブルートゥースイヤホンを取った。
イヤピースを耳に乱暴に差し込む。音量を上げる。耳を労る旨のメッセージが、これ以上音量を上げることを止めていた。無視をした。
鼓膜を破るほどの大音量で動画を観る。拍動と重なるアナログ時計の音を消し去りたかった。
しかし、エクストリームバーサスのプレイ動画を観ていると、動画内の機体の動きに週末のプレイが重なった。修は、動画アプリの広告に表示された自分と全く関連性のない動画を再生した。
エクストリームバーサスの動画を観ていると、チャンネル主が楽しそうにガンダムをプレイしている様が想像できた。身内とチームを組み、思う存分ガンダムを楽しんでいる様が想像できた。ずぶ濡れの格好で筐体に一人向き合う自分が連想された。
隣の筐体には誰もいない。ボタンを弾く音とレバーのスティックが縁にぶつかる音、筐体から流れる電子音だけが耳につく。
それらは、窓ガラスの外に聞こえる雨音と定期的に鳴る秒針の音と似ている。修は、イメージの中でも構わないから隣の筐体から音が聞こえることを望んだ。
しかし、もう隣に誰かが座ることはないように思えた。特に、最も望む相手が座ることは決してないように思えた。
修は、叶を傷付けた。
ガンダムと向き合うと、逃れ難い事実が嫌でもついてくる。
かといって、一人になりたくもなかった。
寂寞とした自室は、修の胸の奥を刺激した。
布団が重い。罪悪感と心細さに押しつぶされそうだ。
翌日には熱が下がった。
修は、リビングダイニングの窓際に洗濯物を干していた。昨日一日中着ていた寝巻きをハンガーにかける。隣に母のブラウスをかけた。どちらも型崩れを避けるため丁寧にハンガーに袖を通し、裾を持ってシワを伸ばした。
十分すぎるほど寝ていたからか、いつもより早く目が覚めた。全ての家事を終えても時間には余裕があった。
手の中でスマホを弄ぶ。背面に回した指先が、無意識にスマホを打鍵していた。
液晶テレビと向かい合うように設置されたソファに座る。朝の家事を進めるにあたり、気が散るからテレビはつけていなかった。
視線を巡らせる。飾り気のないリビングダイニングルーム。余分な物が排され、必要最低限の家具だけが置かれている。基本仕事に追われ家にいない母が家具を必要とすることはなく、また修も家計の負担になるような買物を避けたからだ。
結果として、リビングダイニングルームには、ダイニングテーブルと椅子、ソファとテレビ台の上の液晶テレビ、その脇のデジタル時計だけがあった。
そのため、真っ白な壁にピンで固定されたコルクボードが目立った。修は、コルクボードに歩み寄った。
現像された写真が飾られている。
写真は父の趣味だったようだ。修が産まれる前に撮影された父と母の写真。産まれて間もない修をベッドの上で抱きかかえる母の写真。亡くなった父の趣味を引き継いだ母が撮影した幼少の修の写真。友人家族全員でキャンプに出かけた時の写真。
修は、キャンプ場で撮影された写真に指先で触れた。幼少期の頃であるため、記憶は朧気だ。昔そういうことがあったような気がする、と他人行儀とも受け取れる感慨を得る。
指先で、写真の滑らかな表面を撫でる。幼少の自分と彼の左右に立つ幼馴染二人。
固く腕を組んだ三人の満面の笑みを見た。もう二度と得ることのできない距離間に思えた。指先で彼の両隣にいる少年と少女を隠す。そうした方が、中央の彼には相応しいように思えた。
窓の外から雨音が聞こえる。洗濯物の真下で健気に働いている乾燥機が、絶えず駆動音を漏らしている。無機質なそれは、むしろ静寂を引き立てる。
修は学生服を着た。保冷バッグを入れた学生鞄を肩に下げ、傘を持って外に出る。ここ数日の雨でグッと気温が落ちたように感じる。エレベーターに乗ってもそれは変わらない。エントランスからオートロックを潜っても変わらない。傘を差し、雨の中を歩いても変わらない。
修は、一人で登校することを選んだ。
待ちあわせの時刻より早く家を出たため、当然合流場所に叶も優花もいない。熱が下がり本日登校することを伝えていなかったが、そのことが転じて修の行動を正当化させていた。
二人に会うことは避けた。
この孤独が、自分には相応しいと修は思った。
日中の学校では努めて明るく振る舞った。
体調を案じるクラスメイトには、授業中に教師が生徒の反応を伺うために視線を巡らせた際には、平常を装うことに慎重を期した。
教室の喧騒に揉まれながら、修は自分を麻痺させることを選んだ。浮かべ続けた笑顔が頬にシワを刻むように、紛い物の笑みが心を犯してくれることを望んだ。
辛うじて成功だった。
笑みが作る型紙に流し込まれた流動的なメンタルが、修自身に現在の心理を錯覚させる。クラスメイトの他愛のない話に、適していると思われる返答を適していると思われる表情で返し、教師の講釈には文章に句読点を打ち込むように頷きを返す。最も、胸の内を雄弁に語っている文章ほど叙情的な句読点の使い方ではなく、ハウトゥー本がかくあるべきと定める機能的な頷きを返すのが関の山だった。
そうすることで、胸を圧迫する心細さと罪悪感に目を向けないようにした。プチトマトは替えがきくが、修の感情を司る胸中に替えはない。
だが、教室の隅で一人過ごす叶が視界に写る度、整形されたメンタルが崩れかける。型紙の底にじんわりと穴が空き、そこから漏れた液体が修の心細さと罪悪感に垂れる。
修は、自分自身下らないと思えてしまう話題を近くのクラスメイトに振ることで型紙が補修される時間を稼いだ。
生きた心地がしなかった。
完全下校時刻を迎え、修は帰路についた。
話し相手がいないため、また傘を打つ雨音をシャットアウトするためにブルートゥースイヤホンを耳につけ音楽を流す。ガンダム作品の主題歌ばかりを集めた自作プレイリストをシャッフル再生した。
一雨一度の季節に相応しく、日に日に気温が下がっていく。修は学生服の襟を引き上げた。
先週決めた教室のレイアウトやメニュー、看板のデザインを形にする作業は仕上げに入っていた。強制されたわけでもないのに、修を含めたクラスメイトの多くは完全下校時刻まで残り作業を行っていた。
高校生になることで文化祭の規模が大きくなったからか、誰も彼もが夢中で作業に取り組んでいた。
修もそうすることにした。作業に夢中で取り組むことにより、自身を取り巻く事柄を忘れられた。少なくとも、手を動かしている最中は。
叶は早めに教室を後にしていた。校門に向かうその後姿を見て、叶の下校を初めて知った。叶の傘が、校門で待っていた傘と近付く。叶は、その傘の持ち主と帰路についた。傘の縁からスカートが覗けた。ビニール傘越しに見えた髪は、セミロングではなかった。
修は新天町に入る。商店街を傘を閉じて歩く。商店街を明るく彩る照明に、僅かに目が眩む。
バイトは休みだった。文化祭を控え、事前にシフトを減らしていたためだ。
だというのに、修はバイト先が入っているテナントビルの脇にあるコンビニエンスストアに立ち寄っていた。意味もなく店内を徘徊する。
興味があるわけでもないのに雑誌を手に取った。立ち読み防止でフィルムが巻かれているため、中を読むことはできなかった。
修は、自身の行動に納得のいく理由をつけたくなり、表紙を見た。ファッション誌だ。表紙を飾る甘いマスクの青年が、目元に蠱惑的な色気を漂わせている。季節を先取りした冬の服装は、今の外気にピッタリなように思えた。
表紙を舐めるように隅から隅へ確認する。すると、特集記事のタイトルが表示されていた。
『温もりを感じるインテリア。充実のお家時間を。』
タイトルが添えられたイメージ写真に目が行く。木材を使用して作成された家具と柔らかそうなカーペットが、温もりを感じさせる。壁際に配置された背の低い棚とその天板に乗せられた観葉植物のせいか、小さい画像は多くの情報量を持っていた。
店内BGMの中に雨音が混じる。機能的な部屋の風景が浮かび上がった。秒針がチラつく。
修は雑誌をラックに戻した。商店街側の出口ではなく、他方の出口を潜った。心臓が圧迫されていた。
軒先に出る。通りには雨が振っている。修は胸を抑えて呼吸を整えた。足元から冷気が立ち上る。
目の前を何度も傘が過ぎった。その流れに混じって帰路につけばいいと思う。なのに、修の足は頑なにそれを拒んだ。
オートロックを解除しエントランスからエレベーターに乗る。エレベーターから降りて廊下を進み玄関扉の鍵穴に鍵を差し込む。捻って解錠し、自宅へ入る。
暗い部屋だ。
ガラス窓越しの雨音と乾燥機の駆動音が支配する部屋は、きっとここよりも寒い。修は二の腕を抱いた。
「修くん……?」
声に首を巡らせる。
傘を差した薫が立っていた。
「薫さん」
修は慌てて笑顔を作った。薫の眉根にシワが寄る。何故ここにいるのか問われているような気がした。
「学校帰りに何となくコンビニに寄りたくなって……。薫さんはバイト終わりですか?」
咄嗟に口から出た内容に、修は自分が薫に対して建前を使っていることに気が付いた。修は、薫と自分との間に壁を作った。
「そうだね。修くんは学校帰り?」
傘を閉じて修の隣に薫が並ぶ。薫の疑問に当たり障りのない返事を返す。
修は、身が引き裂かれるような思いだった。
薫に罪悪感や寂しさを吐露したい反面、叶を置いて一人救われることを拒んだ。
胸の内を吐露することができれば、いくらか楽になるだろう。根本的な解決ができなくとも、それで修の心は楽になるはずだ。あの日あの時、修の手を包んだ幻覚のように、外気に触れて冷たくなった修の手を薫は包んでくれるかもしれない。
だが、叶はどうなる。
叶は、誰にも救いを求めていない。修が傷付けたのにも関わらず、叶は一人でその事実を咀嚼し続けている。修を責めるわけでもなく、不都合な事実に蓋をして修達と元の鞘に納まる様子もない。
なのに、自分だけ救われていいものか。
修は、薫に対していつも通りを装った。必死で笑みを作った。
「帰りましょう」
修は、傘を差して軒先を出た。雨が傘を叩く。修は、薫に帰宅を急かした。
薫が怪訝な表情で首を傾げた。いつもの自分に比べ、不自然だっただろうか。わからない。そこまで考えを巡らせる余裕が修にはなかった。
薫が修の隣に並ぶ。雨が振っていることを幸いに感じた。傘が修と薫を隔て、雨音が声音を歪ませる。修は、自分を理解して欲しいと心の奥底から望む相手に自分を偽ることを苦痛に感じながら、西鉄天神駅までの道を歩んだ。
西鉄天神駅のホームへ続く階段を登る。もう少しで薫と別れられる。修は、右の指先で太ももを打鍵した。左側に並ぶ薫に悟られないように逆の手でそうした。
一人になりたい。だが、ドアノブを引いて暗い自宅に帰りたくはない。
理解して欲しい。だが、一人救われることは卑怯だ。
内なる葛藤を胸に、一段一段を登った。
その時、階段を降りてくる通行人に気が付いた。直前で気が付いた。至近に差し迫る通行人に、咄嗟に道を譲ろうとした。修は半身をそらした。突然のことであったため、左にいた薫と接触した。互いの手の甲が、触れる。
修は、無意識にその手を握っていた。
気付き、ハッとして手を離す。薫の温かい掌の感触が、修の寂寞とした胸中を一瞬にして染めかけていた。修は、思わず口を開いた。胸の内を吐露したい衝動に駆られた。
「…………」
それを直前で堪える。罪悪感がそうさせた。
中途半端に開いた口を笑みの形に変化させる。薫の手を握った左手で後頭部をかく。
今ちゃんと笑えているだろうか。違和感なく、自然に。突然、女性の手を握ってしまったことを恥じる少年を装えているだろうか。
修は不安だった。
不安だったから、修は改札口へ向かった。これ以上薫といると、我慢ができそうになかった。だから早々に別れたかった。
薫が、修の手を掴んだ。
振り向く。
薫が、修を見詰めていた。こちらの胸中を見透かしているような瞳は、悲愴感を湛えていた。水晶体に修が写っている。薫から、修はこう見えているのだろうか。
修は、繋がった手から伝わってくる薫の優しさにとうとう我慢ができなくなった。
薫が修を抱き寄せる。背中に薫の腕が周る。
腕の中の薫を抱きしめた。目前のショートカットを、目頭から溢れた涙がつたった。
「僕は、幼馴染を傷付けたんです」
西鉄天神駅と一体化した商業施設。各階を繋ぐエスカレーターを登ると、小さな休憩スペースが窓際に設けられていた。閉館時間が迫っているためか、館内は閑散としていた。修と薫は、窓際のベンチに隣り合って座っていた。
薫は、修の手を握って離さなかった。
「何でこうなったのかずっと考えています。だけど、考えれば考えるほど自分の幼稚な言動に耐えられなくなります。一人でいると考え込んでもっと苦しくなる。楽になりたいんですけど、そう考える資格はないんです。だから、少しでも苦しさを紛らわせるようにいつも通りに振る舞ってました。でもそんなことをしても余計に辛くなるだけなんです。寂しさに潰れそうになるんです」
修は情けなかった。
薫に事の顛末を説明し、自分の胸中を吐露するほど、自分の不甲斐なさが浮き彫りになる。
なのに、修は薫に甘えずにはいられなかった。繋がった自分と薫の手を一瞥する。まるで母の手を握る子供のようだ。修は、薫の手から逃れようと腕を引いた。だが、薫はそれを許さなかった。より強い力で修の手を引く。
その力が、修の甘えを引き出す。自分を理解して欲しい幼い欲求が、修の意思に反して言葉を紡ぐ。
「ガンダムは、僕にとってはすごく意味のあるものなんです」
西日が差し込む部屋で齧りつくように観た映像は、修の中でいつまでも風化せずに記憶に刻まれている。
「小さい時からずっと好きなんです。その好きで、叶と一緒に遊べることがどれだけ嬉しかったか。なのに、結果的に僕はガンダムを使って叶を傷付けた。最低だ」
薫はしばらく修の手を握り続けた。
言葉を探しているようだった。
ややあって、薫が口を開く。
「修くんはどうしたい?」
修はその問いに考える。
「一緒にガンダムやりたいです。これからもずっと。三人で一緒に帰りたいし、また一緒に勉強したいです」
実現不可能な願いに思えた。少なくとも、実現するための方法がないように思えたし、あったとしてもそれを実行する権利が修にあるかどうかは別問題に思えた。
「そのために、どうするべきだと思う?」
修は考えた。考えて、ようやく告げる。
「そんなこと……僕は望めないです」
「そっ、か」
薫の指先が、絡まった修の指を撫でた。
薫は、そのニュアンスに言葉を失った。
厚く巧妙な仮面の下からようやく引き出した修の願望は、彼にとって望めないものだった。
望む望まないではなく、望めない。
修は、理想を願う権利が自分にないと思っている。
修の生真面目さが、修自身を苦しめているように思えた。
良いところでもあり、悪いところでもあった。
薫は、修との付き合いの中で彼の人となりを理解していた。実直で親思いな男の子だ。自分に好意を向けてくる相手でもあり、同様に好意で応える相手でもある。
一方で、修の幼馴染のことはほとんど知らなかった。修の話す内容としておおよそのイメージはつくが、詳細はわからなかった。顔を見たことはあるが、話したことはない。その程度の関係性であるから、当然だった。
その事実が、薫にこれ以上の言及を許さなかった。
薫は、修の頭を抱いた。抱き寄せた時、修が僅かに抵抗した。無理矢理に抱き寄せた。すると、修は諦めたように脱力した。
頭を撫でながら、耳元で囁く。
「大丈夫。きっと、大丈夫」
修が前を向けるように。
幼馴染と元に戻れるように。
撫でる度にそう願った。
薫は、ガラス窓を見た。
窓には雨が付着している。その背後には、夜の帳が降りている。対して館内が明るいからか、ガラス窓には薫と修がハッキリと写っていた。
薫は、ガラスに写る自身の指先を見た。巧から拝借したアーケードコントローラーのボタンを夜な夜な押していたからか、最近指先が少し硬くなってきたような気がする。
披露する機会はないかもしれない。
修の後頭部を見下ろし、漠然とそう考えた。
通りには雨が振っている。往来の中、傘も差さずに走った。すぐ目的地についた。いつものゲームセンターの入口だった。
付着した水滴を拭き取ることもせずに入店した。雑多な音が迎え入れる。
種々様々な筐体の光輝が、視界を埋め尽くした。
今は家に帰りたくなかった。孤独になることを拒んだ。胸を圧迫する息苦しさを感じたくはなかった。
ゲームセンターの喧騒は、鼓膜を絶えず震わせていた。
階下に向かうエスカレーターに乗った。エスカレーターの終端に達すると、左手にUターンしてエクストリームバーサスのコーナーを目指す。
筐体に百円を投じてプレイが始まる。
機体を操作する指先は、どうすればいいのか見込みも立たないままボタンを押下した。
罪悪感とそれに勝るとも劣らない孤独を忘れたくて、修はモニターに傾注することを選んだ。
そうすることで、叶と一緒にガンダムをプレイした思い出が蘇る。修は、その思い出に縋った。
傷付けたこと、勝手に一人で救われようとしたこと。
雨音とアナログ時計の音が支配する自宅に戻ること。
「大丈夫」
今にも金切り声を上げて逃げ出したい。
責任、罪悪感、孤独から逃げ出したい。
だが、修自身の性がそれを許さない。
向き合え、と修に強要してくる。
「大丈夫だから」
修は、まだ体に残る薫の体温と楽しい思い出が全てを上書きしてくれることを願った。
今にも押し潰されそうな自分を守ってくれるように思えた。