「……長くこの仕事をやってきておりますが」
と、拘束される晶斗に、冷ややかな目線を送りつつ洞島は言った。
開け放たれたスーツケースの中身を、己が何をしたのか見せつけるように彼へと向ける。
「ここまで低俗な悪戯をしたのは、貴方が初めてでしょうな」
そこに詰め込まれていたものの大半は、日本銀行券ではない。
もっと質の低い、それっぽく見せた紙束。
その図柄は寄せているだけで出鱈目で、顔部分にはへのへのもへじ雑な肖像。
それはそうだろう。判別のつかない偽札など、違法も良いところだろう。
「テメェらには、それで充分だろうが」
と嘯く晶斗は、さらに圧迫を加えられ、叩きつけられる。
「……先に言った通り、どのような思惑があったにせよ例外は存在しません。我らを
気取った物言いと共に、オーナーは手を振り上げる。
「なァが、謀っただ」
彼と、その向こうの腕時計を睨みながら、晶斗は低く嗤う。
「ニセモンだろ、それ」
目は細まったままに、男の口元から笑みが消えた。
SPたちにもわずかに動揺が奔るが、晶斗を確保している力に隙は生じなかった。
「画面越しに見た時はもしやと思ったが、実物見て確信した」
「……」
「その時計のデザイナーはな、作成の年の初めに、息子を亡くしてる。その死を悼むため、魂を慰めるため、その時計には彼の好きだったペンギンを彫ったんだ……それが、そんな雑な仕上がりであるはずがねぇ……せいぜい五千円が良いとこだ」
男はケースの偽札に目を落とす。その中にあった唯一の本物……シワだらけの五千円札を、ふんと鼻で笑いながら自らのポケットにしまい込んだ。
「これだけじゃねぇ、今日の出品だけでも怪しいのが相当混じってた。しかもあの会場、意図的に暗くしてたし、気温も上げてただろ」
集中力を削いで判断力を鈍らせ、客の誤認を誘う。おそらくはそのために。
「なるほど、見る目は確かのご様子。その審美眼ゆえに、贋作を許せず非難のために乗り込んだ、と言ったところでしょうかな? だがまだ世の中をご存知でない」
ややあって、男はまた笑みを甦らせた。だが、若輩の違反者への軽侮を今度は隠そうとともしていない。
「承知しているのですよ。ここに来る方は皆、暗黙の内に。虚々実々内に繰り広げられる駆け引きもまた粋と心得、興じている。欺き、欺かれる。知恵と眼力の限りを尽くして相手を出し抜く痛快さ。その妙味を解さぬようでは、一流の蒐集家とは言えませんな」
オーナーは、上からの目線で揶揄を飛ばす。
なるほど『審美会』は文字通り、美そのものではなく、それとそれを覧る人の真偽を審らかにする会合であったのか。
「冗談じゃねぇ、笑わせんな」
低い喝破とともに、可動するかぎり、晶斗は目と首を持ち上げた。
「こういう場じゃ騙された方が悪い。知らなかったとしても、物の価値も分からねぇのに余計な色気出してこんなトコに来るようなヤツは、痛い目を見て当然。俺だってそう思うさ」
けどな、と身を捩る。
「どんな物であれ、道具には作り手の想いが込められている。それを無視して偽物で貶め、ゲーム感覚で弄ぶような野郎を、俺は許さん」
自分が蒐集家ではなく、職人であるが故に。
その
「……ま、恥ずかしげもなくイミテーションのカフスなんてつけてるヤツに言っても、しょうがねぇけど」
と言い添えて。
視線の先には、晶斗を締め付ける男の腕。えっと軽く声をあげた彼の逸れた注意を、晶斗は見逃さない。すかさず注意がおろそかになった脛を蹴り上げ、体勢が崩れたところで膝で鼻柱を潰す。
すかさず組みついてきたもう一人の出鼻を挫く。繰り出された蹴りをかわし、伸び切った関節に両拳を叩き込む。そしてのけぞる彼の襟口を絞り上げるや、出その片腕に渾身の力で持ち上げて振り回す。SPの第二波に男の身柄を投げ飛ばし、巻き込んで昏倒させる。
そのうえで、自らのスーツの着こなしを正した。
「……なかなか荒事に手慣れていらっしゃるようだ」
と、少し驚きはしたものの、洞島に動揺はない。
当然だ。彼の絶対的な権勢を保障する至宝、武器。それはまさしく今、男の手に握られている。
悪趣味な黄金とルビーをちりばめたレンズの形をとって。怯えるのは、この狼藉者の方だと言わんばかりに。
「試してあげましょう。その自信がいつまで、『本物』でいられるのかを、ね」
〈スプリガン〉
調子はずれのガイダンスボイスが鳴り響く。わずかにずらされたフレームの隙間から、金粉のごとき粒子が際限なく放出される。
やがてそれは形を成して、圧迫感と威容を伴う影となって、丸腰の晶斗の前に立ちふさがったのだった。
~~~
「……うーん」
腕組みしながら、山村操亮は廊下のあたりをまだうろついていた。
帰れと言われたものの、言われた通りに帰るに帰れない、というのが彼の心境だ。
もちろん、品物が横取りされるのではないか、というゲスな懸念のためではない。ない……はずと本人は思いたかった。
ただ、あの時の晶斗と、彼を取り巻くスタッフの目つきがどうにも尋常ではない気がしていた。
実際、彼の忠告に反して居残った操亮に向けられた視線も、どことなく剣呑なものだった気がするし、どこかへの連絡を交わしているようだった。
当初は彼自身の鈍さもあって身におよぶほど危険だとは考えていなかったのだが、にわかに鋭さを増したのは、十数分のちのことだった。
「――了解。確保します」
無機質な声がわずかに耳に入る。かと思えば、どこかに話をつけたらしいスタッフたちは、身を切り返して、操亮に歩み寄ってきた。
「すみませんお客様。例の品の受け渡しの件で、ご同道いただけますでしょうか」
「え、あの? ちょっと?」
その慇懃無礼な態度も、高圧的な声も、有無を言わさず肩を掴む力も、とうてい自身で言うような『客』に向けられたものではない。
戸惑うも、スーツをまとった強盗、という表現が似合う分厚い体格と強面を持つ男たちに囲まれているのだ。ついていけば危うい、とは直感するものの、抗うような体力など、ボンボンにあるべくもない。
誰か、助けてという声をあげたいが、周囲には傍観者ひとりさえいない。そもそも、極度の緊張で舌が張り付いて喉が枯れる。
だが、その悲鳴ならぬ悲鳴を聴き取ったかのように、頭上の天板がは外れた。
弾け出たそれを避けた男たちの合間に、中から飛び出て来た小柄な影が割り入った。
たしかレフだなんだのという、若い探偵。
性別不詳ながらもドレスをまとった若者は、動揺する彼らの脚を払って転倒させるや、それぞれに踵落としを食らわせたり、返す刀でローアングルから繰り出した両脚キックで、側頭部を壁へと叩き送ったりなど、一気呵成に攻め立てて場を支配する。
「ヤマさん、ここは任せて早く逃げてください」
「いや、でもアキがさぁ」
「良いから! そっちは僕に任せてっ」
華奢なその身のどこから出てきたのかという強い声。
しかしだからこそ、信の置ける、頼りたくなる存在に見えてくる。
「……じゃあ、頼んだ。でも、あーっと……きみも、気を付けて」
何と言葉をかけるべきか分からないので、いまいちしまりのないセリフと共に、操亮は踵を返して撤退した。
~~~
悪漢どもを制圧しつつ、山村操亮の気配が安全圏へと遠のくのを背越しに感じ取ってから、レフは息を吐いた。
――これでようやく、出してやることが出来る。
〈ライカン〉
フレームをゆるめて狼型のフェアリーを外へと放出してやりつつ、自身はその身に秘していたデバイス一式を展開していく。
すなわち、背にはハードボイルドライバーのベルト部分を抜き放つ。スリットの奥の股よりは、サラマンダーをレンズを装填したそのドライバーの本体を抜き取る。
それらを黄金の毛並みの上から巻いたり、咥えたりさせつつ、
「君は、先に合流して」
と言い置く。
反応らしい反応はなかったが、その意図はきっちりと伝わったらしく、大型犬程度に抑えられたその身を旋回させて、廊下の奥へと駆け去っていった。
さて、とレフはあらためて腰に手を当て思考する。
山村父の安全は確保した。そして、晶斗の援護にライカンを向かわせた。
――だが、
(サイアクだ)
見つかった。よりにもよって霧街八雲。あの軽佻浮薄な霧街のドラ息子に。
何故いるのかは深くは考えまいが、その先に待つ結果を想えば……自分は、この町にいるべきではない。
「――なんて、トンズラこけるワケないじゃない」
一瞬沸いた己の弱気を、レフは叱咤した。無意識に壁に添えた手が、指先が、ガラスの壁に触れる男の指と重なる。
依頼人は必ず見捨てない。相棒は必ず守る。
それが、探偵としてあるべき姿。破るべからざる信条。
「そうだよね、おやっさん」
そこにはいない恩師に向けて、独り呟くレフだったが、感傷に浸る暇はない。
壁から身を遠ざけて俯きがちだった頭をもたげたのと、曲がり角から二つの影が飛び出て来たのは、危うくもほぼ同時だった。
そしてその若い男女一組の、特殊な着衣を見たレフは、隠さず顔をしかめた。
「こいつらまでいるのか……どうなってるんだ、この場所……」
俗世離れした詰襟の白服、こちらを道具としか見ていないような、無機質な目つき。
――財団X。
あらゆるオーバーテクノロジーに投資、流用、果てには盗用することで利益を追求する、死の商人の複合体。
そこに居合わせ、そして今遭遇したことは、まったくの偶然だったのだろう。
だが相手には、相対したのが何物かは理解したのだろう。
何やら取り出した端末とレフの顔とを見比べるように目線を上下させつつ、
「対象を断定」
「了解。確保する」
と機械的な声とともに、男女はそれぞれに同じ型の、没個性的なバックルを取り出した。
〈Raid riser〉
腹の前に据え、腰に巻かれつつあると同時に、手には覚えのない、長方形に近い小型のデバイスが握られている。
〈Bullet!〉
〈Dash!〉
銀光りするフレームの内に、青とオレンジの獣を囲う、異質な道具のボタンを押す。
「実装」
異口同音。それを自分たち仮面ライダーがそうであるように、バックルに納めてさらにドライバー本体のスイッチを掌の下で叩く。
〈Raid rise〉
ベルトから吐き出されたワイヤーが異質な挙動をして男女の肉体を絡めとる。
やがてそれは鋼のスーツに代わり、頭から上半身にかけてを獣の装甲を部分的に鎧う。
男だった方は青い狼を、女だった方はオレンジのチーターを、かろうじてそれとわかる造形で。
〈Shooting Wolf! The elevation increases as the bullet is fired〉
〈Rushing cheetah! Try to outrun this demon to get left in the dust〉
テンションの温度差著しい音声とともに未知の存在へと成った彼らを唖然と眺めながら、
「何それぇ……僕、聞いてない」
とレフは、思わず率直な所感を漏らしたのだった。