「フェアリーそれ自体でさえ、流出した今となっては人々を脅かす化け物ではあるが」
という鋭い否定の言葉で、霧街郁弥は前置きした。
「ジャバウォックはその中でもとびきりの厄災だ」
「……というと」
「多くのフェアリーは、むしろその動作を制限するために、様々な形でデザインされている。レンズ無しにはその形状を維持できず、粒子化すれば空中分解されるよう寿命が設定されている。されている。だがアレは」
石でも不意に飲み込んでしまったかのような、苦渋の表情で言い淀んでから、郁弥は
「上層部の意向で兵器として開発され、それら一切の制限が、解除されている」
と告げた。
「物理的脅威もさることながら極めて人間に近い柔軟な思考を持ち、既存のあらゆる精密機器類へのハッキング、クラッキングできる。物質化したその体内にレンズそのものを結合させることで長期間の維持が可能だ。だが何よりも、ジャバウォックの恐るべき点は……」
郁弥の口が、重く蠢く。
人によっては、それは先に列挙した特性よりかは恐るるに足らない、なんてことのないようなものに聞こえるかもしれない。
だが、確かにその事実を知った人々を恐慌せしめることには、違いなかった。
「千里は、確かにフェアリー関連で多くの対策に貢献した。が、あまりに近づき過ぎた」
と、押し黙ったままの晶斗に、父のかつての戦友は続ける。
「ジャバウォックの魔性に取り込まれたあいつは、孤島の実験棟に侵入し、そこに封印されていたジャバウォックを解放した。そしてそれがためにヤツは脱走。実験棟は崩壊し、それに焦った上層部は、闇の組織と結託してまで巻き返しを図ろうとした」
そして霧街郁弥はその後始末がために、それら愚かな重役らを一掃し、頂点に立った。
「そして君の父は、ジャバウォックに利用されるだけされて、その場で殺された」
「……何故、その親父の死を伝えなかった。この一年間?」
やや口吻を尖らせ、晶斗は問うた。
「多忙を極めていた。今なお、我々はその組織、財団Xによって新たに濫造され、悪用されるフェアリーの回収作業に追われている」
「それでも、一言ぐらいあって然るべきでしょうよ……たとえそれが、罪深い大悪党だったにしても」
「ある若者に、君への言伝は頼んでいたのだがな……」
と、悩ましげに郁弥は嘆息した。
「誰です、そいつ?」
一人の探偵の姿が脳裏に浮かぶ。
その名を告げず、ただ郁弥は、
「探偵助手だ、千里の」
そう、答えた。
「事件当時も同行し、恩師の死にも居合わせていた。あいつ以外に身寄りもなかったらしい。本人が大罪を犯そうとも、その身内に非はない。何より、旧友の忘形見だからな。私が、次の後見人となった」
その割には、実際の遺子である自分は放置されていたが、という言葉を晶斗は意地と忖度で飲み込む。
「だが、我々の所有していたライダーシステムの一基を強奪し、飛び出していった。以後、探偵の真似事などしながら手にした力で各地のフェアリーを狩って回り、師の仇とも言うべきジャバウォックを追っているとのことだ……定期的に連絡は取れてはいるが、正直に言って健全な状態とは言い難いな」
沈む表情を見る限り、郁弥は本気でその遺子を案じているようだった。
「だからもし君のところに来ることがあれば、一度私の元に顔を出すよう伝えておいてくれ」
「……それが、俺への用事ですか」
「いや」
郁弥は儚く笑ってかぶりを振った。
「君のところに千里がジャバウォック関連の資料を残してはいないかと踏んだわけなんだが、本当に何も知らなそうだしな。あとはまぁ……君を見ておきたかった」
「俺を?」
「当然だ。君とて千里の忘形見だろう。あいつはあいつなりに、君のことを想っていた。君を遠ざけたのは、フェアリーと関わらせたくなかったからだろう」
「今更そんなことを言われてもね」
「今だからこそだ」
郁弥は言った。
「ある程度落ち着いた今だからこそ、私は君とこうして対話できている……そしてあらためて、謝らせて欲しい。本来隠居の身のお父上を引き留め関わらせ、結果狂わせて破滅させたのは、我々の生み出してしまったモノだ……すまなかった」
本来であれば、自身が恨み言の一つを息子にぶつけても良い身の上だろうに。
そんな様子をお首にも出さず、郁弥は年下相手に深々と頭を下げた。
そして、いくらか言葉を交わした後、郁弥の諸用ゆえにお開きというかたちになった。
「入り口まで送ろう」
という彼の申し出に応じて、共に施設から退出した。
「もう一度確かめておくが……本当に、何も訪れなかったんだな?」
それは、気を許しかけたタイミングで不意に、ごく当たり障りのない感じで、その問いは会話に差し挟まれた。
先と同じような穏やかな語調。だがその奥底にある意識の、微細な変化を直感で感じ取った晶斗は、
「さぁてね。客商売ですから、人なんざ入れ替わり立ち替わり来ますよ」
……と、我ながら悲しくなるような嘘を、真っ向から堂々と吐いたのだった。