月下の引き鉄
「居たか!?」
「ダメだ、どこにも……あんな状態で、動くなんて、無茶を!」
そう声を掛け合う医者たちを尻目に、月射照真は病院を抜け出した。
入院着のまま、手を支えに壁を這い、裸足の状態で足の裏が傷つくのも厭わず、息を切って路地の裏を潜る。
「いなくなったって聞いて、捜してみたらコレだよ」
ふと数歩先より呆れたような声が上がる。
夜の燦都の煌めきを逆光に、二人分の影が浮かび上がる。
「あーあ、そんなにイヤかね。オヤジの世話ンなるの。一度出てった手前、会わす顔ないってか?」
咄嗟に身構える照真はしかし、足腰を大きく揺らがせた。実のところ、立って歩いていることさえやっとだった。
だが、その半身がドブに浸かるより前に、差し込まれた腕が彼の身を支える。目線を上げれば、霧街八雲が、馬鹿みたいに邪気のない笑顔を向けてきていた。
「お前……ら」
照真は、八雲からその背後の青年に目を移し、複数形で呼んだ。
和灯晶斗。だがそこには、討つべきジャバウォックの姿はない。
……もっとも、再び相対したとして、戦うべき術などとうに無いのだが。
「何の用や、クソ息子。
「そりゃテメェだろ。まぁもっとも、あんなヤローに汚すだけの名誉なんぞありゃしないがな」
前のめりに食ってかかる照真を、まぁまぁまぁと八雲が宥め留める。そしてそんな彼の力さえ押し返せないほどに、照真は弱りきっていた。
「別にケンカしに来たわけじゃねぇ。ただのアフターサービスだ」
「……あ?」
到底そうとは見えない物腰の晶斗に対し、顔をさらに渋いものとする。
彼はおもむろに右手を振り上げた。その手の内から外れて飛んだものを、照真は本能的に掴み取った。
それは、純正化されたフェアリーレンズだった。
柔らかい、金色の光を夜の中に湛えた、
「……なんのマネや」
「レイスの代わり、でもないがな。そいつには精神を鎮める効果がある。せいぜい手元に置いて頭冷やせ」
「ナメ、とんのか……ッ」
食って掛からんとする照真だったが、それ以上身体が前に進むことはなかった。
肉体が本調子とは程遠い状態であるからだ。この男の言うような効果を受けているなどでは、断じてない。
「――そのフェアリーを使っていた人は、お前と同じように復讐の道に奔った」
晶斗が、調子を落として言った。
「もちろん当時のそいつが悪さを働いていたってのもあるんだろうが、俺にとって大切だったはずのその人が、心に獣を飼っていたことに何一つとして気づいてやれなかった……今でも、その後悔がずっと胸ん中に残ってる」
だから、と一転して真摯な眼差しを傾けて、続ける。
「俺はそいつを正しい形に使えるようにした。それでどっかのバカが、正気に立ち返ってくれるならそれに越したことはない」
そして、わざとらしい咳払いの後、ややトーンを少年っぽく高めた。
「『君がそれを持って再び戦いの場に戻るというのなら止めはしない。君が納得できるまで、僕らは何度だって相手になる。ただ――月明かりを頼りに、正しい方向に
自分でも取り澄ました物言いをしている……否、言わされているという自覚はあるのか。
歯に物でも詰まったように口をもごつかせた後、あらためて咳払いをして声を本来の低さに戻した。
「以上が、あいつからの言伝だ。俺はお前の相手なんざ二度と御免だがな」
そんな捨て台詞を吐きかけた後、晶斗はそのまま立ち去っていった。
「待、て……っ!」
慌てて追わんとするも、躓いてまた、八雲に支えられる。
その無様さに、臍を噛みつつ無理やりにでも引き剥がそうとする。
「離せや!」
「とりあえず、もう良いだろ。オヤジには黙っといてやるから、オレん
そう駄々っ子をあやすような説得をされている間に、すでに晶斗の姿はなくなっている。
奥歯を軋らせつつも、レンズを手放すことも出来ない。
忌々しいが、これのみがあの連中と繋がる唯一の
とりあえずは、この身を癒すべき。そんな退き際程度は、狼どころか野良犬でも弁えている。
八雲に肩を貸し、引きずられる形で、照真は人の営みの中へと戻っていく。
その前途を、頭上から注ぐ月の光がほのかに照らしているようだった。