「はぁ? 楓のヤツが帰ってない?」
三顧の礼よろしく、修理の依頼をするべくふたたびアトリエを訪れた時に出迎えたのは、和灯晶斗の頓狂な声だった。
そして、ロングコートを羽織った女性だった。
顔立ちは良いし、化粧にもそれなりに気を遣っていることは見てとれるのだが、どこか燻んだくたびれた様子の、三十そこそこらしい女。かけた眼鏡の奥底に、底冷えするような知性を感じた。
……そして……
「そんなとこに突っ立つな、営業の邪魔だ」
「あ、あぁ。ゴメン」
「おいおい、彼……いや彼女? 客じゃないのかい」
「ただの余所者だ」
邪険に扱う晶斗、そして彼女自身の外見に反して、フレンドリーに微笑みながら手を差し出した。
「燦都署の刃藤です。ようこそお客人、この街へ」
「探偵の双見です。どうもありがとうございます。和灯さんとは、知り合いなんですか?」
「まぁオヤジさんから、このヤンチャ坊主の世話を任されまして、ね!」
と言って、不貞腐れてそっぽを向いている晶斗の頭にグリグリと掌を押しつけた。
「やーめろっ」
「おっ、やるのか? 久しぶりに秘剣『蜻蛉斬り』味わってみるかー?」
その手を晶斗は振り解いたが、本気で拒絶している様子はない。
それをいなす刃藤刑事も、どこか楽しげだ。
ちょうど楓と彼との距離感をスライドさせたような関係なのだろうと、レフは言外に把握した。
「つか、話ズレてんぞ」
「お客さんの前で説明するのは気が引けるんだがね」
「だから客じゃない。つか、いないものとして扱え」
あまりにぞんざいな言い様にむくれるレフだったが、そこで喚き立てて追い出されても困る。無言でその身を片隅に置くと、女刑事は語り始めた。
「昨日から、山村楓クンの行方が分からなくなっていてね。彼が友人とともにこのアトリエに訪れたところまではウラ取りが出来ているんだが、そこから先が不鮮明になっている」
「……あいつならその後もう一度ここに来た、ちょっとワケありでな」
「ワケあり、ね」
「俺が攫ったとでも疑ってんのか」
「あぁ、最初はそう思った」
「ひでぇ」
晶斗は顔に苦みを走らせたが、情を差し引けば、まぁ無理らしからぬ推量ではある。まして、怪物に襲われたところを保護しました、などという信じてもらえない事実を説明に挟むことなどできないのだから。
「最初は、と言っただろう。目星はついている、と言うより向こうから名乗り出てきた」
刃藤は、ポケットからまずキャラメルを出して、ふたりに一個ずつ握らせた。まずはこれでも食べながら心を鎮めて聴け、ということらしい。
彼らが包みを解いて口にそれを放り込んできてから、フィルムに包まれた一枚の手紙を取り出した。
そこには挑発的な文言で、山村楓を誘拐したこと。そして返還の見返りに、なんと和灯晶斗に大金を持たせて指定の場所に寄越すことなどが記されており、最後には
『チーム獄炎』
とこれまた攻め気のある調子のフォントで刻まれていた。
「今朝、山村さん宅のポストにその声明文が投げ込まれていた」
「この『チーム獄炎』ってのは?」
「街のクズどもだ」
刃藤の口から敬語が抜けた。衝動的に暴言が飛び出るほどに、彼らは度し難い存在なのだろう。
「恥ずかしながら、我らが郷里にもカラーギャングや半グレまがいの連中がいてね。車上荒らしやチンケな
「ウチにも前に来たぜ、得意満面で盗難車持ってきやがったからボッコボコに……丁重にお帰りいただいたよ」
「おい、穏やかじゃないことをさりげなく漏らすな」
(と言うか相手方が彼を指名してきたの、それが原因なんじゃ)
そんな考えがチラリと過ぎったレフだったが、言わぬが華とは了解している。
「まだそれぐらいだったら可愛いモンだったんだが、どうにもここ最近になって急激に勢いが増してきてな。殺人事件にまで関与しているという話も出ている」
自身もキャラメルを口腔に放りながら、忌々しげに奥歯で噛み潰す。
「対立するグループ、有力な情報提供者、奴らが関与していると思われる事件を追っていた刑事……それらがことごとく失踪ないし死体として発見されている」
「おい、そんなハナシ聞いたためしないぞ!?」
「当然だ。大っぴらに公表すればパニックになる……しかもその死に方というのが妙なものでな。皆、いずれも焼け死んでいた」
「焼死……?」
晶斗の目が、初めて何かを求めるかのようにレフの方を見た。
そこまでは話半分に聞いていた彼の表情が、険しいものへと変化した。
「そうだ。火元などないところで黒焦げのガイシャが発見されたり、あるいは勤め先のビルが燃えたりと、色々な。しかもそういう時に限って、メンバー全員にアリバイがあったりする……挙句、巨大なバケモノが事件の直後に蠢いたのを見た、なんて与太話まで流れる始末さ」
「……」
「まぁそんなわけだ。先方はお前をご指名だが、あとは我々警察の仕事だ。当日は絶対に店を出るなよ」
「は?」
「は、じゃない。連中の本命は楓クンでもカネでもない。おそらく慎重で容易に報復の隙を作らないお前自身だ」
「そんな恨みを買うほどのことかね」
「さっきも言ったが、連中は日を追うごとに残虐になっている。ちょっとした侮りさえも、十倍の仕返しをするぐらいにな。マトにかけられたお前がこの件に協力したところで、いたずらに相手を刺激し、楓クンを危険にさらすだけだ……
スレた感じからは想像もつかない、冷静な見識と細やかな気配りを見せる彼女に、反骨精神旺盛な晶斗もさすがに口をつぐんだようだった。
「それでも協力したいというなら、そうだな……抜け目ないお前のことだ。奴らと揉めた時、その連絡先ぐらいは抑えてあるんだろう。その名簿を借りるぞ」
へいへい、という気のない返事と共に、晶斗は戸棚から分厚い帳簿を引っ張り出して、彼女に渡した。
その重さに辟易する彼女は、
「今のご時世に手書きの伝票とはね……アナログ主義は親父さん譲りか」
と軽い皮肉を吐いてそれを脇に挟んで戸口へ向かう。
その去り際、足を止め、
「……ビルが溶け、人が死ぬ……この街じゃ、まずありえないことだったんだがな」
と感傷を込めて刃藤刑事は呟いたのだった。