崇永記 作:三寸法師
〜1〜
北条時行が信州より関東へ進撃したという知らせが京に齎されてより何日が経っただろうか。七月末を迎えても尊氏は京を出ることが出来ずに居た。
「ある意味で道誉殿の言う通りだったか……帝は未だ尊氏様に出陣のご許可を下そうとはなさらない」
「殿。近頃京では北条時行討伐祈願のための祈祷が盛んに行われているそうで御座います」
「はッ!祈祷で敵を殺せるなら、北条義時は承久の乱で後鳥羽上皇の前に敗れていたさ。実際に敵を倒すのは、呪詛ではない。武者による弓や薙刀、知恵者による軍略及び戦術だ」
しかし、状況は全く変化する兆しがない。六角軍はいつ何時召集があっても良いよう、各地で重臣たちが軍事演習を実行しているというのに、師直からの続報は未だ届いていなかった。
そんなある夜のことである。執事が俺の耳元で囁いた。
「殿。山中殿がお越しに」
「ああ、急ぎ通せ」
忍軍棟梁である道俊自ら持って来た報せであれば、かなり重要度の高い知らせであろう。たとえ深夜であろうと早朝であろうと事態を早急に対処するため会うべき相手である。
「殿……」
「その格好、余程慌てて来たようだな」
「いかにも……足利直義、武蔵国井出沢にて惨敗。
「……時行が故郷に錦を飾ったか。まるで出世はしていないが」
元弘三年五月二十二日に最後の得宗である北条高時が自害して鎌倉幕府が滅亡して以来、二年余りが経つ。遂に時行は念願の故郷への帰還を果たしたという訳だ。
「直義殿はどうなった?生きてはいるんだろう?」
「はい。ただ、駿河国にて再戦を図ったようですが、成果としては芳しくない様子。それより、殿。さらに重要な情報が」
「重要?どのような?」
「直義麾下の武将淵辺義博が
「……戦時には様々な噂が飛び交うと言う。その類では?」
「いえ、間違い無いかと。何でも弑した後は故事に習い、首を近くの林に捨てて来たとか。本人がそう吹聴して回っているそうで」
「一応聞いておくが、作り話ではないんだな?」
「某も最初は耳を疑いました」
「そうか……真の話であれば、狂徒の仕業と言う他ないだろうな」
つい先月に北条泰家が後醍醐を暗殺せんとした翌月に、今度は足利直義の部下が鎌倉陥落の混乱に乗じて幽閉されていたとはいえ仮にも親王殿下であられる御仁を弑し奉る。
極め付けに、ろくな供養もせずに林の中にポイ捨てして来るという発想。あまつさえ、それを得意げに自慢して回っているというのでは救いようがない。論外だ。
「しかし、あの御方が……確かに大事だ」
「……は」
おそらく直義は後醍醐帝に詰問されるようなことがあれば、護良親王が討幕の最大級の殊勲者であったことを棚に上げ、北条と通じていたとでも言い訳するつもりなのだろう。
だが、問題はそこではない。今は奥州に居る北畠顕家と義兄弟であり、赤松円心の三男則祐を股肱之臣*1としていた護良親王が死んだことは、これからの時局において大きな意味を持つ。
「道俊。これによって、北条の天下奪還は潰えたぞ」
「……それはどういう?」
「仮に北条が過去の因縁を水に流し、親王殿下を将軍として担ぎ上げていれば、奥州という後顧の憂いなく西進できた。その威名により、かつての北条泰時*2の如く二十万近い大軍を以てしてな」
しかし、実際はそうではない。護良親王が死んだ今となっては鎌倉を奪還した諏訪軍もとい北条軍は、北畠顕家に後背を突かれることを想定しつつ、京の軍勢に目を向けなければならない。
貞宗ですら手を焼いた諏訪頼重であっても、京と奥州の二方面作戦は手に余るだろう。いや、最早完全に勝ち目がない。
「道俊。ここに一通の書状がある。目を通してくれ」
「はっ……殿、これは!?」
「諏訪頼重からの密書だ。望月が持って来た」
京から逃げる様にして戻った時行は、必ずや俺と誼を結べたと頼重に話した筈である。それで、反乱の合間を縫って西国に住む俺に密書を寄越したのだろう。
「六波羅探題南方の座を認めるらしい。すなわち、俺は西国統括の片翼を任せられる。それだけではないぞ。西国十一ヶ国の守護に任じた上、鎮守府将軍に封じるそうだ。ここまで大盤振る舞いされれば、目が眩むのも無理ないことやもしれぬな」
「しかし、殿は北条の天下奪還は潰えたと」
「そうだ。いや、そもそも俺は最初から時行の誘いに乗るつもりなどなかった。ただ、父上に接触されては厄介である故、乗ったフリをしただけに過ぎん。手合わせにしろ探題の要求にしろそれを隠すための目眩しだ」
仮に時行あるいは泰家が父時信に声を掛けていれば、どうなっていただろうか。足利に降伏するきっかけとなった虚報を真に受けたことを後悔して出家するくらいだ。応じていた可能性は決して低くはなかっただろう。
そうなっていた場合、かなり面倒なことになっていた。重臣たちの大半を取り込むことで、足利と密に接する俺から実権を取り戻そうとしたに違いない。世に言うお家騒動である。
「下手をすれば俺が殺されるだけで済まず、家そのものが足利か新田の手によって潰されていた。危ない危ない」
「……殿。危険が去った訳ではありますまい。もしこの乱が終わった後、殿が北条や諏訪とやり取りしていたことが知られれば、取り返しのつかないことに」
「いや、足利は北条を討伐した後、現政権に反旗を翻す腹だ。佐々木一族の嫡流である六角を潰すよりは、活かそうとする筈」
「だと良いのですが……討伐の最中に発覚することとて、あり得ましょう」
一抹の不安が滲む道俊の顔を見て、俺も尤もであると思わざるを得ない。総大将の尊氏は異常な寛大さを持つ男だからこの際置くとして、問題は文武両面で尊氏を支える師直である。
あの執事は確かに賢明で先が読めるが、これを機に京極に佐々木一族の頂点の座を握らせようと考えないとは言い切れない。六角が逆賊北条と通じていたとなれば、誰も文句は言わないだろう。
「道俊、俺はこう考える。
「殿。口で言うのは容易いでしょうが、実際その通りに行くとは限りますまい」
「まぁ見ておれ。我に秘策あり」
逆にこの密書を六角の繁栄の礎にしてくれる。俺は自らの失態と言うよりか、不幸によって絡め取られた誰の手によるものでもない罠から脱するべく、鈴を鳴らして自らの近侍を呼び付けた。
〜2〜
朝廷では倒錯した公家たちが「あかん北条天下取ってまう」だの「わっしょい帝」だのと口々に言っていると聞く。どちらも前世においてSNSのトレンドで目にした覚えのある言い回しである。
あまり気が進まないが、誰が発信源であるか突き止めなければならない。俺と同じ類の人間であれば、然るべき対処を講じる必要があるからだ。
「殿、兵たちは皆出陣が待ちきれません!かく言う私も将ではありますが、その一人にございます!」
「目賀田よ、焦るな。直に討伐命令が下る。それより、糧秣の準備について再度馬淵に聞いて参るのだ」
「はっ!」
図らずも今回の遠征軍は六角氏にとってかなり厄介なことになってしまった。師直が六角氏当主である俺に
人数だけではない。師直は明らかに時行討伐後、京の軍と干戈を交えるつもりだ。おかげで兵糧の用意が大変難儀なことになってしまった。人数にしろ距離にしろ問題となる要素が多過ぎるのだ。
「はぁ……」
「お悩みですか?主様」
「……その主様呼び止めてくんない?むず痒いわ」
「今更でしょう。いい加減慣れてください」
屋敷の縁側で黄昏ていると、もうすっかり佐々木荘にある六角邸に馴染んだ若年の執事が声を掛けて来た。
「帝は賢過ぎる。賢過ぎるのだ」
「……あの偽帝、まだ思い違いをしてるんですね」
「偽帝言うな。繋ぎだったとはいえ、かつては誰もが認めた上で皇位にあった御方だぞ。少しは口を慎め」
「主様も不満そうだったのに」
「不満というより、苛立ちだ」
「もっと酷いじゃないですか」
月を跨いでも尊氏に討伐の許可は下りない。同じ宇多源氏の血筋であることから懇意にしている貴族によると、執拗に征夷大将軍の座を求める尊氏の様子を帝が訝しんでいるらしい。
手持ちの六韜の記述を確認しつつ、淹れて貰った茶を少しずつ口に含む。実のところ、俺に大軍を指揮した経験はない。身体に走る緊張感は前世における入学試験を思い出させた。
「そなたは此度の戦、思うところがあるのでは?」
「……ないと言えば嘘になってしまいます」
微笑の中でも瞳には憂いの色が宿っている。当然の反応だろうなと思いつつ、俺は湯呑みに入った茶を飲み干した。
「やはり従軍は止めておくか?」
「気遣いは無用です。今の私は貴方の執事。万事、主様の御為に」
「そうか。戦では我が軍の本陣で待機していろ。決して北条の連中に顔を見せるな。味方の他軍にもだ。良いな?」
「はい。仰せのままに」
緊張感をほぐし、どのようにして今回の戦を勝ち残るかをただひたすら考える。後醍醐方との戦闘が待っている以上、いかにして兵力を損なわないかが今回の戦の焦点になるだろう。
策を巡らすだけでは足りない。肝心なのは、足利首脳陣が実際に選択する戦法である。総大将の尊氏を知略で支えるのは弟の直義や執事の師直に腹心の道誉を加えた三人だろう。
「殿!」
「平井か。どうした!?」
「て、天狗!天狗が!て、手紙を持ってきました!殿宛とのことです!」
「……遂に来たか」
「て、天狗なんて本当に居るんですね!日記に書きたいと存じますが、如何でしょう!?」
「日記ぐらい好きにしろ。機密事項でなければ別に構わん。あとお前……天狗もどきでそんなに興奮するな!手紙寄越したらさっさと顔を洗って来い!」
「はい!どうぞ!ああ、良いもの見たなぁ」
「全く……」
手の施しようがない程に浮かれた平井から分捕るようにして書状を受け取った俺は縁側から自室に戻り、中身を確認し始めた。
「いよいよだ。尊氏様が出陣なさる」
「……ということは、足利尊氏が征夷大将軍に?」
「いや、後醍醐の帝は武士を将軍としては決して認めない。実際、この文には尊氏様が将軍になったとは一言も書かれていない」
要は事後承諾狙いの出陣である。きっと直義が遠江からも追い払われたという話でも耳にしたのだろう。そうでなければ、尊氏が焦燥に駆られて拙速に焦る筈がない。
また、こうしている間にもどんどん時行の元に武士たちが集結している。報せによると、北条の一族である名越家の現当主高邦が六千騎を率いて時行の傘下に加わったらしい。
「予定通り、八幡宮で式典を執り行う。また、大軍を通すべく愛知川の仕掛けを全て外す。これらの旨を馬淵に伝えてくれ」
「分かりました。お茶のお代わりは良いですか?」
「ならば一杯だけ頼もう」
中先代の乱の終幕が近付いている。勢いに乗った北条軍は鎌倉を占拠した後、一部の軍勢を派遣して直義を足利にとっては第二の拠点と言える三河国にまで追い払った。
しかし、あくまで一部は一部。時行たちは態勢を整えるという名目の元、鎌倉に留まっているらしい。
「時行……果たしてお前は鎌倉で羽を休めてる場合かな」
そう呟いた後、淹れ直された茶で喉を潤す。今の六角軍は精強そのもの。使い潰されるつもりは毛頭ないが、足利軍の中に組み込まれても主力として十分な働きが出来るに違いない。
八月二日。北条時行にとって最大の仇敵となる足利尊氏が馬上の人として鎧姿で京の屋敷を出ると同時に、六角軍が各々の使命を果たすべく近江八幡へと集結し始めた。
感想頂けると嬉しいです。お気軽にどうぞ
[11/12追記]
関連作品として『暗殺教室』とのクロス小説『[読み切り版]異本崇永記』を投稿しました。あまり推敲していない上、存分に人を選ぶような設定の短編ですが、興味あれば是非。
→(URL: https://syosetu.org/novel/330228/ )
以下本誌ネタバレ注意!
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最新話めっちゃ面白かった……ただ、真に勝手な話ながら心情的に今後予定してる展開がやりにくくなるジレンマ
また、吹雪の現状を確認しておかないと中先代の乱以降の話が安易に書けないのが最近の悩みの種