吾郎センセーは転生者   作:アステカのキャスター

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 引っ越し、就活、バイト、etcからの9000字。 
 頑張った(泣)早ければこの話もあと5話くらいで終わる気がする。完結まで頑張る。医療関係の話が出てきますがニワカです。これが本当に正しいのかはネットの知識なのでそこはご了承ください。




☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆話

 

 

 斉藤壱護はため息を吐いていた。

 それはあの先生の言葉。余りにも不吉過ぎる勘を告げられて、眠気に欠伸を溢しながらアイの居る家に向かっていた。

 

 もしかしたら夫に会うかもしれない。

 アイの嘘を見抜いた先生からの言葉はとても重くて、此方を不安がらせてるだけ、とは思えなかった。

 

 ともあれ、今日がドーム公演。

 夢が叶う日である中で、一分の不備もないように努める為に足を運んだ。ミヤコは先に電車で会場に向かい、準備を促す為に動いている。

 

 

「……ん?」

 

 

 玄関のドアの前に一人、怪しげな女が立っていた。

 髪は紫、横顔は痩せこけて何処か幽鬼のような存在を連想させる女がいた。そして、その女は誰かに似ていた。

 

 歳をとって若さを失ったような、誰かと姿が重なった。

 

 

「どちら様ですか?」

「!」

「そこに住んでいる子はウチの担当です。その子が誰かに会う約束なんて聞いてません。ご用件は?」

 

 

 手に持つ白百合の花、光の無い瞳で呟くように応えた。

 

 

「娘に、会いに来たのよ」

 

 

 壱護は目を見開いた。

 予想はしていた。誰かに似てると思っていた。だが、いざ見るとその紫の髪と顔立ちは歳をとったアイに姿が重なる。唯一違うのは、アイのようなカリスマを感じず、ただ不気味さを醸し出している事。

 

 

「……すみませんがお引き取りを。今日は彼女の大切なライブです」

「娘に会う事が、何故いけないの?」

「娘さんは貴女が迎えに来なくて捨てられたと思っています。会いたいなら後日、こちらの方に連絡していただければ」

 

 

 名刺を渡そうとする壱護に近づくと、ずぶりと音が聞こえた。白百合の花束が目の前で舞った。

 

 

「………ぇ?」

「お前か……」

 

 

 激痛。

 視線を下に向けると包丁が自分の腰元に刺さっている。刺された箇所から焼かれるような熱さを感じては、呆気に取られて刺されたにも関わらず混乱で動く事が出来なかった。

 

 

「お前が、奪ったのか……!」

「ッ、クソッ……!」

 

 

 油断した、母親と言えど不審者の認識を甘く見過ぎた。

 追撃が来る前に力強く腹を蹴り飛ばした。ドアの前から後ろによろめいて咳き込む母親。カランと地面には包丁が転がっていく。

 

 ドタドタと、音が聞こえた。

 そして家の扉は開かれる音が耳に届く。

 

 

「家の前で何の騒ぎ?佐藤さ……えっ?」

 

 

 最悪のタイミングで出てきたアイは目を見開いてその惨状を見た。腰元から血を流している壱護と咳き込んで倒れながらアイを見上げる伽藍堂の瞳、混乱に思考が止まりながらもそれが誰なのかは口に出していた。

 

 

「お、かあさん……?」

「っっ!!」

 

 

 壱護はすかさずアイを部屋に押し込み鍵を掛けた。

 咄嗟の英断、刃物を持つ母親から逃れるように部屋に立て篭もり、母親から引き離した。ドンドンとドアを強く叩く母親にビクッと震えながら、この状況を理解しようと思考を回し始める。

 

 

「開けて、開けなさいアイ!!」

「絶対出んなよ…! 錯乱してやがる……」

「さ、佐藤さん…!」

「斉藤だっつ…ってんだろ……っあ……」

「ち、血が……!」

 

 

 壱護が刺された。自分の母親に。

 その事実に動揺と困惑、そして外にいる母親の恐怖がアイを襲った。

 

 

「え…あ……う、嘘……!」

 

 

 ズルズルと玄関前に倒れていく壱護にアイはどうすればいいか分からずに混乱する。お世話になっている社長の重傷、突如連絡もなく訪問してきた母親の犯行、恐怖で体が震えては連絡先を必死に探す。

 

 

「(ど、どう…救急車…いや警察……血が、いっぱい……!)」

 

 

 危機的状況の中、判断が下せずにパニックに陥るアイ。頼れる人間は自分しかいないのにどうすればいいかわからない。どれだけ考えても頭の中は真っ白で焦りだけが彼女の心を支配している。そんな中でただ思い浮かんだのは……

 

 

「(せ、センセなら……!)」

 

 

 救急車を呼ばなければいけないのに、その指は焦りに焦って『吾郎センセ』と表示された連絡先に向いていた。早く出て、と祈るようにスマホを握り締めるアイ。繋がるともしもし、と吾郎の声が聞こえ、安堵と同時に叫んだ。

 

 

「──センセ助けて!」

 

 

 親より親と認めている存在に助けを求めた。

 

 

 

 ★★★★★

 

 

 

 走る走る走る。

 駅からアイの家まで全力で向かっている。通話状態のままトランクケースを引き摺りながら指示を出す。駅の近くでタクシーを拾う考えもあったが、この距離ならタクシーを見つけるより走った方が早い。

 

 

「アイ! 救急車と警察を呼べ! 救急車から先にだ! 壱護さんを横にして絶対に動かすな!!」

『う、うん…! で、でも血が止まんなくて……どうしたら…!?』

「俺が向かってるから落ち着け!!」

 

 

 パニックに陥ってる。

 それもそうだ。まだ二十歳になりたての子供が目の前で刺されたのを見ていたのだ。星野アイは精神的にはまだ幼さが残っているのは危惧していた。

 

 精神や心の強さは母親になれたから、二十歳になれたから大人になるとは限らない。想定外のことが起きれば焦るしパニックに陥る事は珍しい話ではないが、電話越しで伝わる動揺がこちらに届く程にアイは不安定になっている。

 

 

『外に、おか、お母さんが……センセ来ちゃダメ……!』

「はあっ!? 刺したのお前の母親かよ!?」

『ドアをドンドンって、センセまで刺されたら……!』

「警察に連絡したって叫べ!そうすりゃそこから逃げるから! 電話を切って叫んだら救急車を呼べ!」

 

 

 電話を切って走り続ける。

 アイの母親の犯行なら動揺しても無理はない。アイの家のマンションまで来ると足が止まる。叫び声にも似た声がマンションの下にも聞こえた。ドタドタという駆け足の音が階段から聞こえてくる。

 

 

「クソクソクソクソッッ!!!」

「っっ」

 

 

 誰かが階段を降りてきた。

 紫の髪、痩せこけた頰、そして顔立ちからアイを連想させる女。その手は血で滲んでいて、狂気を醸し出しながらこの場を去っていく。

 

 

「アレが犯人か、いや今はそれよりも……」

 

 

 階段を駆け上がる。

 トランクケースが階段で削られるような音を出しながら、アイの家の前に到着すると、インターホンを鳴らしては叫ぶ。

 

 

「アイ、俺だ!雨宮吾郎だ!!開けられるか!?」

 

 

 玄関前に飛び散る血痕、そして捨て置かれた包丁。

 しかもかなり鋭利で刃渡りの長いタイプの包丁にベッタリついた血を見て目を細めた。傷が相当深いかもしれない。

 

 ドアが開くと、動揺して震えているアイの姿が。

 

 

「センセ! さ、佐藤さんが……!」

「落ち着け!」

 

 

 玄関前に倒れている壱護。

 既にスマホで救急車を呼んでいるようで、早ければ十五分で到着する筈だ。壱護の容体を見て手首に手を当て質問する。

 

 

「壱護さん、聞こえますか? 聞こえるなら軽く握り返してください」

 

 

 だが、この状態は不味い。

 血がかなり流れている中で時間をかけていたら失血死は免れない。触れた手が軽く握り返され、意識はあることは分かった。

 

 

「(脈拍は早いが息はあるし、意識もある。出血部位は腰の辺り、臓器は恐らく外れてるけど傷が深く、血管が傷付いて出血多量……このままだと腎損傷の疑いアリ……!)」

 

 

 外見から診断出来るのはそこまで。

 意識があるが、傷は深くて出血量がかなり酷い。手持ちの医療道具でどうにかなる領域を遥かに超えている。吾郎は医者でも産科医。手術の経験は帝王切開などではあるとはいえ、分野が先ず違う。血管の損傷は外科医でなければ無理だ。

 

 

「ハサミとガムテープとバスタオル、出来ればガーゼみたいなものがあれば持ってこい!あと枕と毛布も!」

「う、うん!」

 

 

 持ってきたバスタオルをハサミでギリギリまで切り、折りたたんでガムテープで止めれば即席の長い包帯になる。壱護さんのスーツをハサミで切り、出血部位を露出させる。傷は深いが臓器部分は恐らく外している。

 

 

「壱護さん、痛いと思いますが我慢してください!」

 

 

 直接圧迫止血法。

 傷口を圧迫し、溢れる血を抑える為に傷口に近い腰の部分を強く押し込む。傷口が圧迫されて激痛を伴うが、止血しなければ救急隊が来るまで保たない。吾郎では時間稼ぎしか出来ない。

 

 

「ぐっ!があああっ!!」

「っっ、頼む……止まってくれ!」

 

 

 激痛による叫びに顔を顰める。

 アイは真っ青になりながら、身体は震えて目を背けている。叫びを聞き、歯を食いしばりながら傷を圧迫し続ける。

 

 

「っ、よし……!」

 

 

 出血が少なからず抑えられた。

 出血している部分を出来るだけガーゼで抑え込み、このまま圧迫して出血を留める。腰に手を回し、包帯代わりのバスタオルで状態をキツく固定する。やり過ぎれば血が止まりすぎてしまう為、ややキツめ程度に巻いて縛る。

 

 

「がっ…はあ、はあ……!」

「(出血は抑えられた!あとは……)」

 

 

 この出血量を考えれば恐らく700ml程は消費している。人間の血液量は体重の7〜8%。壱護は推定65キロとするなら大体5.2Lと言ったところだ。20%で出血性ショック、30%血を失えば命に関わる。体温の低下と意識の朦朧、出血は抑えても予断を許さない状況だ。

 

 

「アイ、塩って何処だ?」

「し、塩? えっと…そ、その容器に入ってる」

「少しでいい、そこで壱護さん見てろ」

 

 

 トランクケースに入れていたお茶の中身を捨て、ペットボトルの中に常温の水に塩を入れて振る。

 生理食塩水。簡易的な輸液代わりになる。多く取り過ぎると逆効果だが、出血多量の場合はこれで出血死の可能性を大幅に下げられる。

 

 そしてその場からあまり壱護を動かさずに、毛布をかけて枕を頭の下に置く。体温の低下をこれで抑えるしかない。どれも応急処置に過ぎないし、出来得る処置は此処が限界だ。救急隊を待つしかない。

 

 

「壱護さん、飲んでください。ゆっくりでいいんで」

 

 

 ゆっくりとペットボトルに入った生理食塩水を壱護の口へと運ぶ。コクコクと、喉に通っていくのを見て、飲み終えたらゆっくりと体勢を元に戻す。

 

 

「壱護さん、血液型は?」

「っぁ……B、だ」

「分かりました。そのまま横になって出来る限り意識を落とさないでください。手を握ってるので」

「ど……ーむ公演……」

「この状態じゃ無理だ。貴方は手術が必要だし、アイもこの状態じゃ……」

 

 

 外傷はなくても心の傷が深い。

 動揺もあり、嘘で誤魔化せるような状態じゃない。幾ら何でも身内や信頼している人の事件に動揺しないのが無理な話だ。嘘をつける天才でも人間である事に変わりはないのだから。

 

 

「先生…頼みます……アイを……」

「頼むって、何を……」

 

 

 握った手から力が抜けていた。

 パタリ、と床に手が落ちていくのを見て背筋が凍った。

 

 

「壱護さん? 壱護さん!!」

 

 

 意識が途絶えた。

 息はしているが、脈は僅かに遅くなり始めている。痛みと出血による意識レベル低下はこの状態だと無理もない。

 

 

「(クソっ、出血量を考えると無理もねえか。せめて救急隊が来るまで体温の低下を防がねえと……)」

 

 

 毛布を掛けて、リビングでゴミ箱に捨てられていたペットボトルにお湯を注いで脇に挟ませる。せめて救助隊が来るまで体温を下げないように処置を施す。今できる事はやれるだけやった。血で濡れた右手を洗い、壱護の側に座ろうとすると、アイが吾郎のシャツの袖を掴んだ。

 

 

「せ、センセ……」

「大丈夫だ、落ち着けアイ」

 

 

 その言葉を言ってもアイの表情は曇っている。

 恐怖と混乱、そして動揺が混ざった顔でどうすればいいか助けを求めているように思えた。

 

 

「ゆっくり息を吸って、今自分が出来ることは何か考えろ。処置は終わった、予断は許さないが壱護さんに出来ることはやった。救急隊が直ぐに来る。じゃあどうする?」

 

 

 深呼吸し、アイは視線を二人に向けた。

 

 

「外に出る準備、あと二人……」

「そうだ。あの子達が怖い思いをしてる。抱き締めてお前が落ち着かせてやれ。お前は今母親なんだから」

 

 

 泣きそうになるアイに左手で頭に手を乗せる。

 

 

「壱護さんは絶対に死なせない。俺が居るんだから何も心配すんな」

 

 

 吾郎は虚勢を張った。

 不安なのは吾郎だって同じだ。壱護の傷も処置も終えて出来る事は殆どなく、本人の気力次第だ。でも焦りを見せれば不安を増幅させるだけだ。頼れる人間がこの場では吾郎しかいない。それを分かった上で焦りを見せないように虚勢を張っている。

 

 

「先生、壱護さんは」

「大丈夫だ。あの人がそう簡単に死ぬか」

「ほんとに……大丈夫なの?」

「やれるだけやった。二人とも急いで着替えて、終わったらアイの所に集合してくれ」

 

 

 双子も泣き叫ぶと思っていたが、案外アイより冷静な様子を見て少し安心した。急いで二人が着替えている間に吾郎は壱護の所で様子を見続け、アイはリビングで二人の近くに寄った。

 

 

「ルビー、スバル……」

 

 

 ぎゅっと、二人を抱きしめた。

 

 

「ごめんね……私がしっかりしなきゃいけないのに」

「ママ……」

「怖いの…私のせいで死んじゃったら……!」

「……先生が大丈夫って言ったんだ。大丈夫だよきっと」

 

 

 ルビーもスバルも抱き締め返した。

 二人も不安にこそなっているが、アイの不安に比べたらまだ軽い方だ。身体が震えて、嘘偽りない不安からの涙を少しでも止めるように、ルビーは抱きしめたアイの背中をゆっくり撫でる。

 

 スバルは少し顔を俯かせながら、アイの腕の中に大人しくおさまった。

 

 

「(俺が…護らなきゃいけなかったのに……クソッ……)」

 

 

 油断していた。

 子供の身体とは言え何の為に転生したのか。アイを不安にさせて守る事も出来なかった自分を憎んだ。

 

 そんな中、外から音が聞こえた。

 ドタドタと階段を駆け上がる音が聞こえた。ドアがノックされると吾郎は警戒しながらチェーンロックをかけて開く。

 

 

「救急隊です!! 通報を受けて来ました!!」

「っ、今開けます」

 

 

 その後、壱護は病院へと救急搬送された。

 ドーム公演前だというのに、起きてしまった事件はアイに深い傷を残していった。

 

 

 ★★★★★★

 

 

「………」

「………」

 

 

 手術中のランプが光る中、俺とアイと双子達は部屋の外のベンチに座っている。終始無言、言える事などなく励ましの言葉も今では逆効果だ。

 

 

「……飲み物買ってくる。アイ、お前は何飲む?」

「いらない…ごめん、今は一人にしてほしいな」

「……分かった。ルビーちゃん、スバルくん、飲み物奢ってやるから俺と少し外行こうな」

 

 

 二人は頷くと俺の後ろについてきた。

 一人の時間が欲しい、そう言われたのは初めてかもしれないが気持ちの整理が付くならそれが最善だと言える。考える時間は必要だ。

 

 暫く歩くと自販機の前に到着し、二人に視線を向けた。

 

 

「何飲む? なんでもいいぞ」

「ホットレモン……」

「じゃあ……アイスココア」

 

 

 自販機のランプを押し、ガコンッと音が鳴る。

 俺は缶コーヒー、ルビーはホットレモン、スバルはアイスココアを手に取り近場のベンチに座る。

 

 

「怖かったか?」

「……うん、ママがあんな顔するのは初めてだったから」

「そうか……」

 

 

 まあ、あんな事が有ればそれも当然か。

 母親が子供を殺しにくるなんて、夢にも思わなかっただろう。何故殺しに来たのかとか色々と引っ掛かる部分は多いが、起きてしまった以上はどうしようもない。

 

 

「どのみち、今日のドーム公演は中止かな」

「えっ……?」

「アイ…君達のお母さんがあの状態だ。色々な事があり過ぎて、心がついていかないと思う。まあ社長代理のミヤコさんが超特急でこっち向かってるからその時にどうなるか、それ次第だけど」

 

 

 恐らく延期する可能性が高い。実際の話、壱護さん抜きでもライブ自体は恐らく可能だ。代理のミヤコさんがいれば主催は可能だが、問題はアイだ。あの様子でライブなんて出せばハッキリ言って失敗が目に見えている。

 

 

「駄目だ…それは駄目!」

「駄目って、仕方のない事だ。アイがあの状態でライブしたって、結果なんて分かるだろ?」

「じゃあ逆に聞くけど、公演の延期なんてしたらどうなると思う?」

「どうって、流石にファンだって納得はするだろ。目の前で刺された光景を見たんだ。同情心くらい湧くと思うけど」

 

 

 まだ警察も事情聴取として動いてない。

 アイが警察呼んだと嘘をついた後、救急車を呼んでから俺が来た。その時に気が抜けていたからなのか警察を呼ぶのを忘れていたらしく、俺がその後に一応連絡はしたが、まだ事情聴取に来てない。

 

 事件の事情聴取もそうだが、壱護の意識が戻らない以上はアイも動くに動けない。心に深い傷を負っている。この状況だけ見ればファンだって納得はするはずだ。

 

 だが、スバルは首を横に振った。

 

 

「事件は終わってない。まだリークされてないだけで、斉藤社長を襲ったのはアイの母親なんだよ? 時間が経てばそれも公表される。その情報が発信されたらアイはどうなると思う?」

「……っ、それは」

「間違いなく世間は騒ぐ。殺人未遂の母親と娘のエピソードなんて、マスコミからしたら売れるネタ。公演も中止になるかもしれない」

 

 

 流石にそれは考え過ぎだと思うが、スバルの言葉は否定出来ない。マスコミのネタとしては極上のネタ。壱護がアイを本来の母親から奪った故の逆恨み、アイを迎えに行ったのが壱護のみであるなら下衆の勘繰りが起きるのが目に見えてしまった。

 

 ドーム公演の為に先に現場に行って打ち合わせをしていたミヤコさんが居れば話は変わっていたかもしれないが、客観的に見れば、確かに状況は悪く見られる可能性が高い。

 

 

「流石に中止とまではいかないとは思うけど、それでもアイを非難する奴は絶対に現れる。あの母親の錯乱から変な勘繰りされる事もあるかもしれない」

 

 

 その上、犯人であるアイの母親は現在逃亡中。

 警察に捕まったという報告は受けておらず、母親はどうして引っ越してきたばかりの星野家の住所を知っていたのか、何を知っているのかも分からない。爆弾が走っていると言っても過言ではないだろう。

 

 

「今日しかないんだ。母親が犯人とまだ分かっていない今しかない。世間を黙らせるには、それでも立ち上がる姿勢を見せれる今日しか……」

「頼むってのはそういう事か。あの人……」

 

 

 その可能性があるからこその懇願。

 死ぬかもしれない瀬戸際に告げられた言葉の意味を理解するとため息をついた。公演がある以上、チケットの事もあり延期になるだろうが、事件がどう転ぶかわからない。母親から娘を奪った社長、そんなレッテルを貼られては壱護が悪者扱いされるどころか、なんなら人間関係的なスクープとして取り上げる記者も居る。

 

 長引けば長引くほどに事件の概要が広まる。アイの社会的な外見を崩される可能性が高いのも事実だ。

 

 逆に言えば、今日ライブを成功させた場合、壱護の想いを受け取ってステージに立ち上がる健気なアイドルとして書き換えられる。

 

 間違いさえ起こさなければ、この事件の中でも社長の願いを叶える為に精神的なダメージを負ってでも成功させる為に必死に頑張ったアイを世間が称えるように方向を逸らせられる。成功させた後なら仮に母親が起こしたと世間に回っても、アイが成功させるのにどれだけ苦しい思いを背負ったか、理解はしてくれるはずだ。

 

 

「言いたい事は分かった。だがやめとけ、アイの精神状態は穏やかじゃない。やった所で失敗は目に見えてる。心の傷はそう簡単に癒えるものじゃない」

 

 

 だが、それは成功出来ればの話。

 アイの精神状態を見れば成功なんて無理だ。嘘の仮面すら使えずに心から動揺し、罪悪感に蝕まれている。笑顔一つ出せる気がしない。

 

 医者としてはドクターストップだ。

 あんな状態じゃ心の傷に塩を塗るだけになるだけだ。そんな中で、スバルが俺の手を掴んだ。

 

 

「アンタしかいないんだ……」

「あっ?」

「俺やルビーじゃダメなんだ……護りたいと思っても護られる俺たちじゃ今のアイに言葉は届かないんだ」

 

 

 苦しそうな顔をしながらスバルは自分の不甲斐なさを呪っているようだった。アイに二人では言葉が届かない。護られてしまうだけの弱い自分達だけでは笑顔を取り戻せるだけの言葉をかけられない。

 

 何も出来ない自分の弱さを俺に伝えているようだった。

 

 

「アンタしか、今のアイに言葉は届かないんだ。誰よりも嘘吐きのアイの心を知ってるアンタしか……」

「だから言葉でもかけろと? 俺としては傷ついてほしくないんだけど」

「俺だってアイに傷付いてほしくない……けど、あの社長が夢見たドーム公演をやらないって言ったらきっと後悔し続ける。お世話になっている人に恩を返せない自分を許せないと思い続けると思う」

 

 

 アイの性格ならあり得るかもしれないが、それでも俺はやってほしくない。現実的な話、マイナスになっても俺はアイの味方だ。仮にそうなってしまったとしても、ここで無理に奮い立たせるような事はしたくない。

 

 そのはずなのに……

 

 

 

「頼むよ……先生」

 

 

 

 その懇願する姿が誰かに重なった。

 

 

 

「お前……まさか……」

 

 

 

 あり得るはずがない。

 頭の中で過った可能性はあり得るはずがないのに、子供であるスバルに重なってしまった。

 

 

 

「私からもお願い」

 

 

 

 その思考を切るようにルビーが頭を下げた。

 スバルとは反対の俺の手を握って、真剣な眼差しで言葉を紡いだ。

 

 

「ママは色んな事に後悔してると思う。起きた事も、壱護さんの事も」

 

 

 母親の凶行を引き起こしたわけではない。それでも自分のせいでと自分を責め続けている。原因は分かっているが、それだけの事でここまでなるとは思ってもなかったはずだ。

 

 

「私はどっちに転んでもいい。けど、今のママにはせんせの言葉が必要なの。せんせは誰かを助けれる優しさを持ってるから」

「っ!」

「お願い」

 

 

 ルビーはぎゅっと俺の手を握りしめて震えた様子で告げた。

 

 

 

「ママを、助けてあげて」

 

 

 

 誰かを助けれる優しさ。

 あの手紙に書いていた俺を優しい医者と言ってくれた子の言葉だ。俺にアイを救えるような言葉を言えるとは思えない。優しいだけじゃあの子を立ち上げる事はできない。

 

 救える医者ではなく、助けられる人間か……。

 

 

「ハァ……ったく」

「わっ、ちょっ……!」

「うおっ! 禿げるからやめろ!!」

「揃いも揃って買い被りすぎなんだよ。俺は医者で、心の傷を癒せる回復士(ヒーラー)でも魔法使いでもねえっつーの」

 

 

 復活の呪文も魔法もかけてやれない。

 ここは現実で、俺はファンタジーの住人ではない。みんな俺を買い被り過ぎてる。嘘が見抜けるだけのただの医者に何を期待してんのか。

 

 ただ、任されてしまった。

 壱護さんに、スバルに、ルビーに任されてしまった。

 

 俺は最善の行動を取れない。

 優しい味方であれれば良かった筈なのに。

 

 

「期待はすんな。全部アイ次第だ」

 

 

 この二人を見てると、どうしても動かずにはいられなかった。頭を雑に撫で終えると、俺は立ち上がった。ドームを中止してもアイの心を護る選択肢が最善だったのに、俺は間違った選択を選ぶ。

 

 今のアイを守る為ではない、未来のアイを守る為の決断をする。

 

 

 

「ほんっと、誰に似たんだか……君達は」

 

 

 

 ため息と共に、僅かに笑みが溢れた。

 本当、生まれ変わっても変わらないな……そういう所はさ。

 

 





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