吾郎センセーは転生者   作:アステカのキャスター

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 アイは斉藤家のソファーに沈んでいた。

 見送りに行けなかった事を拗ねているのもあるが、それ以上にアイは顔を赤くして足をバタバタさせていた。

 

 

「うううぅぅぅぅ──!」

 

 

 色々と弱みを見せ過ぎて悶えていた。

 いつも嘘で取り繕うアイにとって、黒歴史もいい所だ。なのに思い出せばがっしりした胸で泣いて頭撫でられて安心感を感じて甘えていた自分が何故か死にたくなるほど恥ずかしくなった。

 

 母親の事件もあるし、この黒歴史の羞恥心といい、心の中は恥ずかしさで埋め尽くされ思い出せば悶えてしまう気持ちと、繋がりを失った悲しさでかき混ぜられて心中は穏やかではなかった。

 

 

「ううぅ……私、どうしちゃったんだろ」

 

 

 人を好きになった事がない。

 だからこそ、この心の中を満たすようなこそばゆい感覚がどういう感情なのか理解できない。完璧な嘘の仮面なんて被れる気がしない。こんな事考えてる暇なんてないのに。

 

 ピロンッ♪ とスマホの音が鳴る。

 誰からか起き上がって確認すると、そこには『吾郎センセ』と表示されていた。

 

 

『活動休止中はゆっくり羽を伸ばせよ』

 

 

 短い言葉で労いの言葉が書かれていた。

 それが何故かとても嬉しくて、心を満たす。

 

 

『今日までとりあえずお疲れ様、これから頑張ってな』

 

 

 たったそれだけの言葉で悲しい気持ちを忘れさせる。胸が少し高鳴って、何故か顔が熱くなる。お酒も飲んでいないのに、名前の分からない幸福感に酔わされているみたいで、ソファーに倒れ込んでは足をバタバタとさせていた。

 

 

「ただいまー」

「ひゃわぁ!?」

 

 

 そんな時、三人が帰ってきた。

 変な声を出しつつもすかさずソファーから起き上がっていた。

 

 

「……? ママ、どうしたの?」

「な、何でもない!」

 

 

 気付かれないように嘘を張り付けて二人を出迎える。アイはこのこそばゆいような気持ちに蓋をした。活動休止になっても気が抜けないのは変わらないから。

 

 今はそれでいいと、思い続けていた。

 

 

 ★★★★★

 

 

 幸せだった。

 私はようやく愛を知ることができた。愛のない愛から愛を知る為に二人を産んで、母親になる辛さを教わって、家族と思える人達に出会えて、仲違いしていた仲間たちと笑い合って、今の私は幸せだった。

 

 ああ、本当に幸せ。

 今なら胸を張って言える。私は二人が大好きで、この幸せを手放したくない。自覚するのが遅くてどうしようもないけど。

 

 

 私は二人を愛してる。

 

 

 ずっと言えなくて、本当今になるまでどうして言えなかったのか分からないくらい。気付いたのはきっとあの人のお陰で、私は幸せを手に入れてる。

 

 空っぽだった私は、嘘吐きだった私はもう居ない。それを偽ることだけはもう、出来なくなった。

 

 この愛だけは嘘を吐けない。でもそれが何処か嬉しかった。それは私の本当の想いだから。

 

 

 

 けど、どうしてなのだろうか。

 

 何かが、足りないような空虚な感覚。

 

 そんな想いがずっと胸に突っかかえている。

 

 それが何なのか私にはわからなかった。

 

 

 ★★★★★

 

 

 アイがアイドル辞めて八年後。

 それは10月の事だった。宮崎総合病院でミヤコさんの担当をする俺に電話が掛かってきた。それは知らない番号で、少しだけ目を細めながら通話ボタンを押した。

 

 

「もしもし」

『あっ、雨宮吾郎さんの電話でよろしいでしょうか?』

「はい、えっとどちら様でしょうか」

 

 

 女の人の声、しかも知らない番号。

 一体誰なのか尋ねると通話越しに聞こえた子供の声と共に告げられた。

 

 

『雨宮玲司の妻の雨宮美咲と申します』

「………はっ?」

『夫の玲司が病気で亡くなってしまい、法事の連絡をさせていただきました』

 

 

 呼吸が止まった。

 親父が亡くなった。それはいつか死ぬのは分かっている。でも、病気であったことも再婚していたことも知らなかったその事実に、軋んだような痛みが胸に響いた。

 

 

「すみません。今は出産間近の患者様が居るので法事には向かえません」

 

 

 行けない。行けるわけがない。

 今更、血の繋がりがあるからといって掛かってきた連絡は、腹立たしいと思うくらいだった。言い訳を口にして向かえない口実を作った。

 

 今更、本当に今更だ。

 捨てた俺の事をどうして今更。行きたくないし知りたくなかった。捨てて幸せになった親の事なんて見たくはなかった。

 

 けど……

 

 

「……もし納骨したら、墓だけ教えてもらえますか」

 

 

 せめて一度だけ腹を割って話してみたかった。

 死者は何も語らないけど、それでも血の繋がりは簡単に途切れない。捨てた人間だとしても、決別くらいはしておきたいから。

 

 ああ、知りたくなかった。

 頼ってほしいなんて思っちゃいない。けれど、捨てられた俺には欠片ほどの愛も無かった事実が、ただ空虚な感情で溺れさせるようだった。

 

 

 ★★★★★

 

 

 12月17日。

 宮崎総合病院にて、壱護はミヤコの手を握り続け、ミヤコは陣痛の痛みに泣き叫んだ。破水から出産の時が来て絶叫を上げていた。

 

 

「うああああっ!! 痛い痛い痛い痛い痛いっっ!!」

「もうちょい頑張れ、ヒーヒーフー」

「ひぃ……ひぃ……ふぅぅぅぅ!!」

「ミヤコ頑張れ!!」

 

 

 手を握る壱護に苦痛で叫び続けるミヤコ。

 テキパキと処置を施し、赤子を取り上げる吾郎。その手には産声をあげて泣き叫ぶ小さな赤ん坊が抱えられていた。

 

 

「ふぎぁああ、ふぎゃああああ……!!」

「産まれました、元気な女の子です」

 

 

 タオルで包み、臍の緒を切り結んで優しく抱き抱える。淀みない動きで失敗することもなく赤ん坊は元気に泣いている。ミヤコがホッとしてベッドで笑っているのに対して、壱護は力が抜けたように項垂れていた。

 

 

「抱いてあげてください。壱護さん」 

「おっ、おお……」

 

 

 壊れものを扱うようにそっと優しく抱える。

 泣きながらもペチペチと頰を触る赤ん坊に、瞳から涙が流れ始めていた。産まれてきてくれてありがとう、と笑いながら泣いていた。

 

 

「俺と、ミヤコの……」

「赤ん坊より泣いてる」

「まあ、気持ちは分かりますよ」

 

 

 これから彼らの家族としての人生が始まるのだ。

 色々と大変かもしれないが、それでも二人の愛の結晶としてきっと育っていく。それが少しだけ羨ましいとさえ思えてしまう。

 

 

「先生、この子の名前は?」

「俺でいいんすか名付け親」

「先生だからいいんです」

 

 

 その信頼が何処か照れてしまう。

 頰を軽く掻いて産まれてきた子供の名前を告げた。

 

 

「──美鈴(みすず)。ミヤコさんの一文字を取って美鈴。鈴は清らかな意味合いを持つから純粋で綺麗な心を持った人になってほしい、心優しい人に育ってほしいって意味合いがあるんですがどうですか?」

「素敵な名前ですね」

「産まれてきてくれてありがとう、美鈴」

 

 

 きっと二人は厳しく優しく育てる。

 家族の形が出来て、忙しいこともあるし大変な思いをする事だってあるだろう。それでもきっと、子を愛する事が出来る。

 

 親は子を愛する為に居る。

 その事実がほんの少しだけ辛いって思えた。嬉しいはずなのに、そうであることが正しいのに。

 

 自分はそうじゃなかったって、思えてしまうから。

 

 

 ★★★★★

 

 

 12月19日。三人は宮崎に来ていた。

 ミヤコ達の子供が産まれた連絡から、仕事を調整して三人でわざわざ此方まで来ていた。吾郎に会えるのも楽しみだったのだが、病院に着いて先ずはミヤコの赤子を見て頰を緩ませていた。

 

 

「きゃわ〜〜〜〜〜っ♡♡」

「すっごい可愛い! 壱護社長よりミヤコさんの遺伝子が強そうだね」

「産毛は金色だけど、瞳はミヤコさんの色だ」

「お前ら少し静かにしろよ」

 

 

 病室に入るとため息を吐きながら美鈴を見る吾郎。既に騒ぎすぎて涙目になっているその子を見て、今回は転生者ではないと実感しながらも視線を二人に移した。

 

 自覚があったのか、色々と気不味そうに視線を逸らす二人にやや苦笑した。

 

 

「あっ、センセ!」

「少し騒ぎすぎだ。ほら、もう泣くぞ」

「ふえぇぇえええええぇぇ!!」

「ああっ!? ご、ごめん、ママさん任せた!」

「えっ、ちょっ!?」

 

 

 抱き抱えていたアイは美鈴をミヤコに渡した。

 泣き叫ぶ美鈴を押し付けられてどうしたらいいか分からず、困惑しながら視線を吾郎に向けた。

 

 

「ったく、ミヤコさんゆっくり揺らして」

「えっと、こうですか?」

「そうそう、ほら泣き止み始めた」

 

 

 うつらうつらと瞳が揺れ目を閉じ始める。

 手慣れて美鈴をあやす上手さに思わず拍手すら溢れていた。逆に赤ん坊が何考えているのか分かるのか、エスパーじみた観察眼にスバルだけは少し戦慄を覚えていた。

 

 

「私ちょっとトイレ行ってくるね」

「出て左奥な」

「はーい」

 

 

 病室から出ていくアイ。

 自分が入院していた懐かしい病院に、思わず鼻歌を歌っていた。久しぶりに吾郎に会えたこともそうだが、やっぱり近くにいると安心する。それが無意識のうちに嬉しさを醸し出していた。

 

 自分が入院していた部屋を覗いた。

 入院してた時に貼っていたシールが棚に貼り付いたままだ。私もこんな事があったなと感慨深さのまま歩いていると、看護師の声が聞こえた。

 

 

「マジ!?」

「噂じゃあって話だけどね」

 

 

 医局の休憩室から漏れた声。

 一瞬、その声に驚きながらもトイレへと向かおうとしたその時だった。

 

 

 

「雨宮先生、アメリカ行くって」

 

 

 

 足が止まった。

 えっ、と唖然とした声が漏れて動けなかった。雨宮先生がアメリカに行く。その言葉が聞き逃せなくて、日本から離れていく事実を聞いて頭が回らない。

 

 

「割と信憑性高いと思うよ? 論文とか色々書いててよく出張行くし、なんならなんでこんな田舎の病院に留まり続けてるのかってくらい凄い人だし」

「まあ確かに、あの人凄い良い人だもんね。優しいし、頼りになるし、結婚してないのが不思議なくらい」

「同年代だったらプロポーズしてた」

「分かるわー」

 

 

 聞こえない、聞きたくない。

 これ以上遠く離れてしまったら、偶にしか会えないその時すら来なくなるのかもしれない。アメリカに行けばきっと吾郎は大成する。そんな気はする。医者としてはとても天性だと思うほどの腕と、寄り添う優しさを持っているから。

 

 ただ、アメリカに行けばきっと今まで以上に会えなくなる。自分と吾郎は何処まで行っても他人だから、忙しくなったその先に自分に吾郎は会おうと思ってくれるのか。

 

 今までずっと考えてきた。

 吾郎とアイは家族じゃない。味方をしてくれる親代わりの存在、それだけしか繋がりがない。それに満足していた、それでいいと思った。自分はその繋がりに救われていたから。

 

 

「………っ……」

 

 

 胸が痛い。

 一年に二回くらいしか会えないあの人に、これ以上会えなくなる事を想像すると苦しくなる。医者としての大成、アメリカとはそういう場所だ。医者としての幸せはきっと掴めるのに、行ってほしくないって思ってしまう。

 

 幸せを願う事がこんなにも辛いなんて、思っていなかった。胸を抑えたまま、ただその思いだけが抉るように痛くなった。

 

 

 ★★★★★

 

 

 帰ってからアイの様子がおかしい。

 仕事では女優としての仕事を完璧にこなしている反面、家に帰ったら茫然としている事が多くなった。俺もルビーも大丈夫かと聞いたが空元気。これは何かあったなって察するのは時間がかからなかった。

 

 

「母さん、何があったの?」

「うえぇ!? い、いやなんでも」

「嘘つくなら先生に報告するぞ」

「ダメッ!!」

 

 

 その声に、何が原因なのか分かってしまった。

 

 

「先生と、何かあったのか?」

「うっ……いやぁ」

「言わないなら先生に聞くけど」

「ウチの子が怖いよぉ!?」

 

 

 かれこれ十二年一緒にいるのだ。アイが永久推しなのは変わらないけど、此処まで時間が経つと家族の距離感として見えてしまう。アイは母親としてしっかりしているが、その分ドジな部分もある。人間味というのか、偶像に縛られ続けた自分が近くで彼女を見てれば、なんでも叶えてあげたいアイドルとして見れずになっていくものだ。

 

 罪悪感はあれど、ため息を吐きながら言葉を紡いだ。

 

 

「俺だって脅迫みたいな事はしたくないけど、相談してくれれば俺達の方でも出来る事があるかもしれないだろ。まだ子供だけど、俺だって母さんの力になりたいって思うし」

「スバル……」

 

 

 あの日何も出来なかったが今はもう六年生、中学生一歩手前だ。出来なかった頃と比べたら出来ることは増えている。だから今はちゃんと支えたいって思えてる。あの時のあの先生の言葉があったから、俺はきっとこの在り方を嫌わずにいられてる。

 

 

「何があったの?」

「実は……」

 

 

 アイは観念したように話し始めた。

 聞いた後、俺はアイから離れた場所で先生に電話をかけた。

 

 

 ★★★★★

 

 

「あっ? アメリカに行くのかって?」

『うん、まあ一応風の噂で』

「そっち東京なんだけど」

 

 

 風の噂にしても遠すぎやしないか?

 此処は宮崎のド田舎だぞ? どうやったら風の噂が届くのだろうか。若干疑問はあるが、恐らく宮崎に来た時誰かが口を滑らせたな。

 

 

「アッチの有名な教授から誘われてはいる。一月半ばまでに答えをくれって言われてるけど」

『まだ返答してねえの?』

「まあな」

 

 

 返答はまだしてない。

 そろそろクリスマスだから、正月を越えたら返答しなくては行けない。行く場合は色々と手続きがある上、居候の神無も居る。簡単に答えは出せない。

 

 

『意外だな。アンタだったら迷わず行くと思ってた』

 

 

 スバルの言葉に少しだけ動揺した。

 確かに、今までの俺なら迷わなかったと思う。迷わずに上に上がろうとする為に努力していたと思う。

 

 

「俺だってそう思ってた」

『何で過去形?』

「少し、な」

 

 

 今は少しだけ、疲れてしまった。

 自分語りという訳ではないが少しだけ話し始めた。

 

 

「医者を始めたきっかけって何だと思う?」

『人生二周目だからじゃねえの?』

「いやまあそれもあるけど、単純な話……認めて欲しかったのもあったんだ」

 

 

 きっと親父に認めてほしかった。

 俺が医者になったのは俺が居て良かったって思ってもらう為、そして本当はもう一つだけあった。それが親父に認めてもらうこと、何処に居るかも分からなかった親に認めてもらう為だった。

 

 

「俺の親さ。俺が産まれた時なんて言ったと思う?」

 

 

 俺はそれを原動力にもしてた。

 あの人が言った言葉を否定したかったから。

 

 

「お前なんか産むんじゃなかったって言ったんだよ」

 

 

 母親を死なせてまで産まれてきてほしくなかった。そんな言葉がいつも胸に突き刺さる。大切だったもの、これから大切にするもの、きっと天秤は愛した人に傾いていた。同じ選択をするならきっと同じ答えを出すかもしれない。

 

 だからせめてあの人は言った。

 後悔のない人生を生きろ、って告げて離れていった。

 

 

「俺も望んだわけじゃないし、母親が俺を産んで亡くなったからそういう気持ちは理解出来る。けどさ、それでも辛いものはあったんだよ」

 

 

 俺が母親を殺した。

 そう言ってるみたいで辛くて、俺はその後祖父母に預けられた。祖父母から渡された愛は祖父だけは少しだけ冷たくて、束縛こそされなかった人生だったが、それが良かったと思っているのは前世の影響もあるから。

 

 

「前世は親に恵まれなくて一人で生きてきて、親からの愛を求めてた気持ちもあるから、余計に辛かった」

 

 

 冷遇されていたわけじゃないが、祖父にとっては娘を犠牲にしてまで産まれた子供のように見えていたのかもしれない。それほどいい思い出は無かった。

 

 

「産まれてきた意味が欲しくて医者になった。いつか産んでよかったって事を認めてほしかったから」

 

 

 認めてほしかった。

 いつか会えたら、せめて酒を交わして話くらいはしたかった。どうして俺が産まれたのか、せめて今までの人生分の出来事を語り合って、知りたかった。

 

 

「その意味も、もう無くなった」

 

 

 もう、祖父母も親父も死んだ。

 今となっては話すことも出来なくなって遅過ぎた。本当に遅かったのだ。向き合えていたなら変わっていたのか。

 

 

「家族はもう全員居なくなった。祖父母も親父も他界して認めてほしかった原動力も消えた。せめてもの望みだったから、それが無くなれば虚しいんだ」

 

 

 疲れてしまった。

 頑張ってきた意味がなくなったわけじゃない。けど、理由が欠けてしまったら止まるのだって早い。疲れて立ち止まって、今を振り返れば何も無いのだ。何処にいるのか。何処に向かっているのか。

 

 人並みの幸せでも、求めていたら何かが変わったのかも分からない。このまま訳も分からずに突っ走っていいのか。

 

 

「医者、続けたいのかも分かんなくなってさ。冷めたというか、覚めたというか」

 

 

 それが本当に幸せなのか。

 幸せと感じる理由を探さずに認められる事が本当に正しい選択なのか。

 

 

「医者としての幸せって……本当に幸せなのか」

 

 

 更に上に上がって何をしたいか。

 そこに本当に自分が求めた幸せがあるのか。

 

 

『医者、辞めるのか?』

「それは辞めないさ。けど論文で教授に推薦されてる以上はさ、医者の実力ではなく知識を求められてるから現場から離れていくんだ。それが少し嫌なんだ」

『だったらアメリカ行くなよ』

「それとこれとは話は別だ。それはちゃんと悩んで決めるっつーの」

 

 

 医者としては誉れだし、寄り添う優しさで誰かを救う事はさりなちゃんと約束していたから。医者は辞めない。それは決めてるつもりだ。まあ生涯現役ってのは今の心じゃ無理かもだけど。

 

 

「回診の時間だ。切るぞ」

『あっ、ちょっ』

 

 

 電話を切り、担当している人達の回診に向かう。

 幸せになる道が分からない、そんな自分が精一杯生きる事だけに目を向け続けていたから。本当、俺も損な生き方をしてる自覚はあるのに変えられない人間だった。

 

 多分、憧れていたのかもしれない。

 家族と笑い合える。そんな日々が少しだけ羨ましいと思えるから。

 

 

 ★★★★★

 

 

 ああ、本当は知りたくなかったんだ。

 

 俺の親父、雨宮玲司が死んだ事はまだいい。

 

 人はいずれ死ぬ。それを分かっているから。

 

 

 けど……

 

 

 あの人は結婚していた。

 

 子供も、妻もいて家族の形があった。

 

 俺を捨てて、祖父母との繋がりも捨てて新しい幸せを歩んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 俺は……?

 

 俺は何なのだろうか。

 

 俺はどうして生まれてきたのか。

 

 母親を死なせてまで生まれた意味はあったのか?

 

 神様はどうして俺を生まれ変わらせたのか。

 

 

 

 

 今は何処か……心が痛いままだ。

 

 

 ★★★★★

 

 

 12月25日、宮崎総合病院にて。

 深夜の中で医局の椅子に座る三人の姿がそこにあった。

 

 

「んじゃ、とりあえずクリスマスって事で」

「「「乾杯」」」

 

 

 三人の紙コップが掲げられた。

 医局の休憩所の机の上にはピザにチキン、シャンメリーにケーキと豪勢な食事が並んでいる。今日の当直組である俺たちのささやかなクリスマスパーティーだ。

 

 

「酒飲みてぇなぁ……」

「我慢してください。わざわざシャンメリー買って来たんですから、それで誤魔化してください」

「恋人や家族がいる医師たちに、一日オフをくれてやった大馬鹿野郎は何処のどいつですか?」

「パイセンだよ。お陰で診察時間外、俺ら担当してるし」

「すいません黙ってシャンメリー頂きます」

 

 

 アルコールのないシャンメリーを飲みながらチキンを頬張る。かれこれ十年以上の仲だ。そこまで働けば色々と変わるものも多くなり、出来る事も増えて、余裕を持てるようになる。医師たちに休暇を与えてベテランである三人だけで当直をしている。

 

 とはいえ三人でこの病院を回すのは意外と大変なのだ。数が数だ。回診だけでも想像以上に時間を取られて、クリスマスはあと一時間もすれば過ぎてしまう。

 

 

「まあ、俺達独身だしなぁ。クリスマスとか一人で祝った所でな」

「ぐふっ」

「あっ、婦長が死んだ」

 

 

 先輩は血管についての専門医、毒舌看護師は婦長。俺に至っては産科医のチーフだ。論文で推薦を頂いてるから上手くいけば准教授になり、教授としての道を歩むかもしれない。宮崎という田舎から考えるなら破格の上がり方と言える。

 

 ただし、スペックの高さに反比例するかのように三人とも結婚出来ない。シャンメリーを飲み干したコップを叩きつけてやや早口で語り始めた。

 

 

「うるさいです私だって結婚しようと思えばできますしこれでも他の患者様から宮崎のナイチンゲールって言われるくらいなんですからまだまだ現役だし焦る必要なんてないし」

「結婚出来ない女の負け惜しみじゃん」

「宮崎のドクトリーヌ*1の間違いだろ」

 

 

 悲鳴が医局に響き渡った。

 頭がハッピーになりそうになった。痛みから解放されグッタリして床に伏せる俺と先輩。倒れたまま一応聞いてみた。

 

 

「つか先輩は? 結婚の目処とか」

「婚活パーティーとかよく行ってるし、焦る必要も」

「いや最近、薄毛に悩まされてる人が言っても説得力ありませんが」

 

 

 確かに抜け始めている。

 このままいけば五十代にはつるつるまっしぐらだ。立ち上がって先輩はシャンメリーを飲み干すと、コップを机に叩きつけた。

 

 

「バカめ、俺みたいなおっさんになってくるとな。余計な油が落ちた頃に出てくる、渋みがある色気を持った男になってくるんだよ」

「渋くても髪は抜けますよ」

「宮崎のクロッカス*2が何か言ってる」

 

 

 アイアンクローが飛んできた。

 現実的な話、そろそろヤバいと思いながらも頭の痛みに地面をタップした。ハゲが感染るからやめてほしい。

 

 

「つーか吾郎、お前が一番おかしいからな! なんだお前、40超えたってのにその若さ! 少しはその若さ寄越しやがれコンチクショー!!」

「それに関してはマジ同意なんですが」

「体質だし仕方ないでしょ。俺は居候いるんで結婚とか考えてねえし」

「クソが!余裕かましやがって宮崎のカブト*3がよぉ!!」

「せめてワンピで統一しろよ」

 

 

 なんで俺だけ作品違くて敵役なんだよ。

 ローが良かった。ワンピで一番好きなキャラだし。結局、お互いを罵り合っても虚しいと感じて二人はため息をついた。

 

 

「結局俺ら独身同盟は未だ継続中か」

「いや結んでないんですけど」

「スペック高いくせに、私達結婚出来ないのマジなんなんですかね……」

「お前のは性格だろ──あっ、ちょっ、関節はそっちに曲がっ、ああああああああああっ!!?」

 

 

 先輩の叫びが医局に響いた。

 あはは、と渇いた笑みを溢しながらシャンメリーを飲むと二人は少しだけ目を細めた。

 

 

「……吾郎、本当に大丈夫か?」

「えっ?」

「お前誤魔化すの上手いけど、俺たちには流石に通じねえぞ」

 

 

 ……気付かれていた。

 時間って怖いな。長く居れば居るほど信頼関係が深まって、隠している事も分かってしまう。婦長も先輩も、俺の嘘を見抜けるくらいには同じ場所で働いている。

 

 ああ、今気付かれたくはなかった。

 

 

「……大丈夫です。疲れてるだけですよ」

「……まっ、なんかあったら俺たちを頼れよ」

「頼られても力を貸すかは別ですけど」

「「おい」」

 

 

 親父が死んでから、ずっと脳裏を過ぎる。

 関わりはないのに、それでも繋がりを求めていたからそれが無くなれば虚しくて、足枷がついたかのように心が疲弊する。

 

 親愛ではなく、家族としての愛。

 それを何処か求めていた自分がいたから。

 

 

「……急患か?」

「いや、これプライベート用なんで。ああ元医大のメンバーの飲み会っぽいっすね」

「マジかー、本当交友関係広いのに何で結婚できねえの?つか家族欲しいなら合コンとか行けよ」

「余計なお世話だつるりん先輩」

「ぶっ飛ばすぞコラ」

 

 

 軽口を叩き合っても満たされない。

 塞がらない心の傷に目を背けて、酔えないシャンメリーを飲み続けた。

 

 

 ★★★★★

 

 

 12月28日。

 

 星野アイはコンビニに出掛けていた。

 金髪のウィッグ、サングラスに帽子を被り変装は完璧。高いアイスを買い少しだけ鼻歌混じりに街を歩く。

 

 住んでいる場所は人が多いが、その分住む場所の設備は充実している。コンビニどころかスーパーも、居酒屋も、必要なものが徒歩で買いに行ける。紫がかった髪は最近のドラマの為に短くしてるし、かなり変装しているから記者の心配もない。

 

 色々とあったが、時間が経ちすぎると警戒の為の束縛がストレスになったりするのだ。短い距離でも変装して、行き先を教えたら外出出来る。ちょっと過保護かもしれないが、売れっ子の女優には必要経費だ。

 

 

「ん? んー?」

 

 

 そんな中、目を細めた。

 知っている顔がいた。肩を貸しながらタクシーまで酔い潰れた、綺麗な女の人を運ぶ此処にいるはずのない吾郎の姿が。

 

 

「あれ、センセ──」

 

 

 声をかけようとした時、目を疑った。

 タクシーに乗る前に女の人が吾郎の唇を奪った光景に。

 

 

「────」

 

 

 吾郎は力強くデコピンをしてタクシーに乗せた後、唇を擦っている。タクシーの運転手に金を渡すとそれを見送ってため息をついていた。僅かに頰は赤くなりながら。

 

 ズキリ、と痛みが走った。

 ただただ、胸が締め付けられるように痛くなった。

 

 

 ★★★★★

 

 

 遡る事、二時間前の話。

 東京の居酒屋に来て旧友達と再会し、グラスを掲げた。

 

 

「「「「「乾杯!」」」」」

 

 

 卒業してからそれぞれの道を進んでいた医大の親友達が集まって、酒を飲んでいる光景を前に少しだけ口角が緩んだ。医者は忙しい、都合よく集まれたのは奇跡だ。

 

 

「しっかしまあ、よく集まれたもんだな」

「まあ私達は有給使ってだけど、雨宮くんは?」

「俺は単純に予定開けてこっち来る予定だったんだ」

「何で?」

「墓参り」

「あー」

 

 

 課題の時はいつも五人で教え合っていた。

 というよりは吾郎がいつも教えていたから、自然とグループが出来上がった。こうして飲むのは二十年ぶりになったが、今では全員医者としての道を進んでいる。

 

 

陽縁(ひより)は?」

「えっ、えっと……まあ予定空けてたし」

「とか言ってー、雨宮くんに会いたかったんでしょー」

「そそそそんな事ないもん…! 偶然だもん!!」

「雨宮くぅん? 久しぶりの陽縁ちゃんを見た感想は?」

「あの頃からあんま老けてねえな。両隣と違って」

「「おいコラ」」

 

 

 天野、白石はかなり老けていた。

 というよりは、どちらかと言えば体型からして経産婦。二人して既に結婚して子供が出来ている為か、何処かふくよかになっている。

 

 

「だって私達既婚者だしー、ママだしー」

「へー、西野は?」

「俺も結婚してるぞ。そろそろ子供産まれるし」

「マジか。てことは結婚出来てねえのは俺だけ?」

「陽縁もだけど」

「うううっ、だってぇ……!」

 

 

 涙目で朱雀井が唸った。

 朱雀井陽縁、大学時代はこの中では成績が一番悪かった。頭は悪くはないのだが、本番という時にいつも緊張して力を発揮できない。対人のコミュニケーションが致命的に欠けていて、よく医者を選んだなと思うほどに鈍臭かったりする。

 

 

「まだ上がり症治らねえのか?」

「いつも雨宮くんがフォローしてくれてたじゃん? 多少は何とかなったけど、新人の対応とかはめちゃくちゃ緊張すんの」

「間違ったこと教えちゃったらって……」

「大丈夫だっつーの。二十年働きゃ、ベテランだ」

 

 

 それでも医学試験を合格して医者になったのだ。それは誇るべき事だし、未だに鈍臭いとは思わない。ここまで働いてきた以上、自分を認めてあげてもいいと少しだけ笑った。

 

 

「お前なら大丈夫だろ。自信持て」

 

 

 その言葉に顔を赤くして縮こまる。

 吾郎は酒を飲みつつ、褒められる事に慣れてないあの頃と変わっていない事に軽く笑っていた。

 

 

「……こーゆー事言うくせにこの男は」

「うっせ。俺はいいんだよ。どうせ恋人とかうつつ抜かせなくなるし」

「産医のチーフでしょ? そりゃ時間取られるけど」

「いや、アメリカ行く可能性が出て来たんだよ」

 

 

 四人の驚愕の声が居酒屋に響いた。

 アメリカは日本以上に医学が進んでいる。手術の多さなら日本が多いかもしれないが、医学界の先進国といえば間違いなくアメリカが浮かぶ。推薦だろうが医者としては誉な話だ。

 

 

「マジかー、優秀だと思ってたけどアメリカかー」

「てことは、日本に帰ってこない感じ?」

「論文で教授になるまでは帰れないとは思う。行くかは決めかねてるけど」

「流石主席。スケールが違うわぁ」

 

 

 その言葉を聞いて、朱雀井はジョッキを片手に立ち上がって宣言する。

 

 

「飲みます」

「おう、飲め飲め!」

「いや無理はすんなよ」

「飲んで嫌なことは忘れます!!」

「記憶飛ぶまで飲む気か?」

 

 

 二時間後。

 見事に出来上がった朱雀井は目を回しながらテーブルに伏した。飲み過ぎて酔い潰れている。

 

 

「きゅう……」

「ほら言わんこっちゃない。ほら水」

「ううう……」

 

 

 こんな泥酔した姿は初めてかもしれない。

 渡した水のグラスを、吾郎の手ごと掴んでクピクピと飲んでいる。

 

 

「こんなコイツ酒癖悪かったか?」

「あはは、まあ雨宮くんの事少なからず想ってたから寂しんじゃない?」

「こんな可愛いのに、未だ結婚出来ないの吾郎のせいだろ」

「責任取って結婚したらー?」

「ぶっ飛ばすぞ。人を女たらしみたいに言いやがって」

 

 

 女性経験、前世含めてゼロ。

 告白された事は確かにあったが、嘘が分かってしまう吾郎からすれば、本当に好きだからと告白された事はない。ただ遊びとして付き合いたいと思っている人ばかりで、それが気に入らなくて付き合った事はない。

 

 なんというか、あの時代はかなり冷めていた。

 よく友達が出来たなと我ながら思っているようだ。

 

 

「ったく、朱雀井の家は誰か知ってるか?」

「あー、此処だね。情報送るよ」

「タクシーまで運ぶわ。会計俺が出しといてやるから解散な」

「マジィ!? 太っ腹!」

「いいのかよ、俺も少し出すぞ」

「いいよ、色々と話聞けて楽しかったし」

「わーい、雨宮くん愛してるー!」

「はいはい」

 

 

 伝票を握り、朱雀井を背負って店を出た。

 三人に手を振り、飲み会は此処で解散となった。

 

 

 ★★★★★

 

 

「コイツ軽いな……」

 

 

 何食ったら胸部がデカくて体重が軽いのだろう。

 背負ってみたら甘い香水の匂いと朱雀井の体温が背中を包む。酒も入ってるし最近色々と考える事も多いから色々とグラついてる。理性も心も色々と疲弊してる気がする。

 

 

「すみません。コイツをこの住所まで、お金先に払うんで釣りはコイツに。迷惑かけますがお願いします」

 

 

 タクシー乗り場に到着すると、先に運転手に万札を渡した。背負っていた朱雀井を下ろしては肩を貸して座席に座らせるが、肩を掴まれて離してくれない。

 

 

「ほら、タクシーまで到着したから降りな」

「いっちゃ、やだぁ……」

「また会えんだろ。連絡くれたら話せるから」

 

 

 赤い顔のままボーっと眺めている朱雀井。

 虚空を見つめながらグッタリとしている。

 

 

「会えてよかったよ。色々と楽しかった」

 

 

 楽しかった。それは事実だった。

 今は色々と考えていたから、仲間と飲むのは本当に気晴らしにはなった。ただ本心を告げると、朱雀井はくしゃりと笑った。

 

 頬を両手で挟まれて顔が近づいた。

 視界が赤くなった朱雀井の顔で埋め尽くされた。

 

 

「─────」

 

 

 呼吸が止まった。

 酒でも酔えなかった熱が、移された気がした。

 

 

「大好き…本当に……」

 

 

 動揺から額を弾いた。

 酔った勢いの過ちを誤魔化すように唇を拭った。

 

 

「痛っ!?」

「酔い過ぎだ馬鹿っ、すみません行ってください」

 

 

 朱雀井を乗せたタクシーは発車した。

 それを見送った後に地面に座り込みそうになった。額に手を当てて空を見上げる。

 

 

「っ……クソッ、人の気も知らないで」

 

 

 油断した。酒の力って怖いものだ。

 唇に触れた熱さが未だ残る。本当に勘弁してほしい。今はやめてほしかった。顔が熱くなって、頭を掻きむしりたくなる衝動に襲われた。

 

 酒って怖い、本心を曝け出すから。

 嘘がない告白が此処まで動揺するなんて思わなかった。

 

 

「ん?」

 

 

 足音が遠ざかる。

 誰かが走り去っていく背中が夜の闇に消えていった。

 

 

 ★★★★★

 

 

 痛い。

 痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い。

 

 走った先で息を切らして立ち止まる。

 苦しくて、耐えきれなくて痛くて、足は止まった。

 

 

 今までの比ではないくらいに締め付けられる痛み、嘘も何もかも出来る気がしないくらいに感情がぐちゃぐちゃで痛くて痛くて涙が出ては止まらない。

 

 しゃがみ込んで、声にならない嗚咽が夜に響く。

 それを自覚してしまえば、もう止める事は出来ない。分かってしまった、分かりたくなかったこの想いはもう誤魔化せなかった。

 

 嘘なんて言葉で抑えきれないくらいに溢れて止まらない。その感情に名があるとするなら……。

 

 

「いやだ」

 

 

 それを自覚するのが遅かった。

 誰かの手に渡る事が許せなくて、幸せを願う事も出来ない。こんな事今までなかった。此処まで痛いなんて知らなかった。

 

 この想いが、こんなに苦しいなんてわからなかった。名前も分かって、それがなんなのか自覚しているのに訳が分からないと嘘をつくように叫ぶ。

 

 

「痛い、痛いっ、痛いっ!!!!」

 

 

 癇癪を起こすように叫んだ。

 夜の公園で叫ぶ声は誰にも届かない。俯いたまま胸を押さえて泣き続けるアイの側に鴉が一羽、飛んできた。

 

 

 

「──もう貰えなくなるって思うと痛いよね」

 

 

 

 黒い服を着た女の子が声をかけてきた。

 薄ら笑うその在り方が不気味で、泣きながらその子供に視線を合わせた。

 

 

「味方であり続けて、愛を貰って、その想いが誰かの手に渡れば癇癪を起こして泣き続ける」

 

 

 今の自分を示す言葉が続いた。

 やめて、って叫ぶ前にその在り方を言葉にした。

 

 

 

「醜い独占欲だよね。貴女は貰えるだけ貰って何も返せていないのに」

 

 

 

 独占欲。

 その言葉が致命的に刺さった。いつも支えられてばかりなのに、自分が何も返せていない。会えて嬉しいって、助けてくれて嬉しいって思う反面、自分はあの人に何を返せているのか。助けられて当たり前の患者と、担当医の関係はもう終わっているのに。

 

 愛を欲しがってる癖に、何も与えられてない自分がとても醜く感じた。好きという気持ちが怖く感じる。

 

 

「だって貴女の愛は、あの先生から貰ったものと釣り合わない」

 

 

 少女は笑う。 

 背中を向けてアイから離れていく。鴉の羽ばたく音と共にアイの前から消えていく。

 

 

「そんな安い想いじゃ、あの人は救えないよ?」

 

 

 その言葉だけが酷く耳に残った。

 

 

 ★★★★★

 

 

 ああ、分かってる。

 

 この想いの名前はもう分かってる。

 

 それを誰かに渡したくないって思えるこの気持ちも全部分かってるの。

 

 

 

 それは『恋』だ。

 

 

 

 でも、それを認めたくなくて。

 

 父親みたいに頼る感情が正しいと思って蓋をして。

 

 その在り方が嫌いじゃないから、その関係に依存して満足していた。

 

 

 

 でも、私は何も知らなかった。

 

 センセの事も、アメリカの事も、センセを好いていた女の人も何一つ知らなくて、気づいた時にはもう手遅れだった。

 

 センセが遠ざかっていく事に気付けなくて。

 

 

 

 

 今はずっと、胸が痛いの。

 

 

 ★★★★★

 

 

 アイの様子がおかしい。

 熱があるわけでもないのに、不器用な笑みで心配させないように演じている。けれど彼女の目には隈が出来ていて、目は赤く腫れていた。

 

 その様子を見たスバルは電話を掛けようとしたが、それをアイは素早く止めた。今はあの人に頼らないで……なんて言葉を聞いて目を見開いていた。

 

 感情がチグハグになっていた。それを見ていた斉藤夫妻も仕事に影響すると思ったくらいだ。此処まで様子のおかしいアイを見た事がない程に、彼女は嘘を使えなくなっていた。

 

 料理を作ったら部屋に閉じこもった。

 天真爛漫だった彼女の面影など見る影もないほど。

 

 

「どうしたんだよ本当に」

「(先生と喧嘩でもしたのか……?)」

 

 

 明らかに異常事態だ。

 先生と何かあったか問い詰めようかとスマホに手をかけるとルビーはそれを止めた。心配する壱護とミヤコ、そしてスバルに向き直って告げる。

 

 

「今は、私に任せてくれない?」

 

 

 ただ一人、アイの気持ちを僅かに察したルビーがその言葉を告げて、アイの部屋のドアをノックした。コンコンと音を立てても返事もない。

 

 

「ママ、入るよ」

「えっ、ちょっ……」

 

 

 ルビーは容赦なく入った。

 枕にしがみついて涙目になっているアイを見て、ドアをまた閉めた。

 

 

「先生と何かあったの?」

「何もないよ……」

「ふーん」

 

 

 どうしてそうなったのか。

 それだけはルビーは誰よりも分かってしまった。だってそれは同じ想いを持っているから。その涙は誤魔化せないからルビーは核心に迫った。

 

 

「ママは諦めるの?」

「えっ?」

「ママがせんせーの事諦めるなら」

 

 

 真剣な眼差しでアイを見つめて告げた。

 

 

「十六歳になったらせんせーを貰うよ」

「ダメッ!!!!」

 

 

 子供に対して、大人気ない叫びが響いた。

 子供の戯言に過ぎないその言葉で、此処まで動揺した姿を見せていた。戯言なんて吐いたつもりはないくらいに想いは込められていて、否定の言葉が反射的に口から漏れていた。

 

 

「やっぱり、せんせーが好きなんじゃん」

「でも、センセは……もう」

「恋人が居るって聞いたの?」

「キス、されてて。でもセンセは拒絶してて」

「確認もしてないのに勝手に落ち込んで、確認する度胸もなくて、ママって本当に臆病だよね」

「ルビー!!!!」

 

 

 怒鳴り声でアイは叫ぶ。

 その様子にルビーは怖気付く事もなく、拳を握り締めて睨んだ。涙目になってアイの胸元を掴んで言葉を吐いた。

 

 

 

「狡いよ、()()

 

 

 

 ルビーは素の自分を曝け出した。

 ずっと星野ルビーを演じていた、アイに愛される為の在り方を捨てて消えなかった想いを口にした。

 

 

「私があの頃から生きてたら、きっとまだ諦められなかったのに」

 

 

 後悔はあった。約束していた筈だった。

 生きられたなら……あの人と結ばれていたかもしれなかったのに、死んでしまった自分の後悔。どうして私は生きられなかったのかという後悔が……ずっと胸に突き刺さる。

 

 

「歳の差が残酷なくらい離れてて、届かないって分かってる私と違う癖に」

 

 

 残酷なくらいの歳の差。

 そして子供である以上は、きっとそういう目で見てくれない。勝算なんて殆ど無くて、好きという想いをぶつけてもあの人は振り向いてくれない。星野ルビーでは結ばれない事が分かってる。

 

 

 

「私の方が……先に好きだったのに」

 

 

 

 天童寺さりなの本心。

 自分が先に好きになったのに、自分があの人と結ばれたかったのに、それは叶わない事を知って涙を流して、拳を握って悔しい気持ちを押し殺してそれでもルビーは告げた。

 

 

「なのに、勝手に諦めないでよ……そんなの卑怯だよ」

 

 

 ライバルが母なんて馬鹿げた話だ。

 けれど、まだ届く筈なのに自分から諦める様子を見ていられなくて、嫌われようと本心を告げた。

 

 

「終わった事かもわからないのに、勝手に終わろうとしないでよ」

 

 

 アイは目を見開いた。

 先に好きになった、その言葉に荒唐無稽な可能性が頭をよぎった。馬鹿げた話かもしれない。漫画のような話かもしれない。それでもその可能性にアイはルビーを見つめた。

 

 

「ルビー…まさかルビーって」

「いいの、私は」

 

 

 首を振って涙を流しながらアイを抱き締める。

 

 

「行って、せんせーの所に」

 

 

 背中を押された。

 同じ想いを持っていたルビーからの精一杯の勇気を貰って、アイは立ち上がった。鏡を見れば酷い顔だった。それでもいい、今はあの人に会いたいって思いだけが身体を動かした。

 

 

「ルビー」

「ん?」

「愛してる。ルビーがどんな人であっても」

「っっ…!!」

 

 

 ギュッと抱きしめて告げられた言葉にまた涙が流れた。ルビーの初恋は終わり、家族の愛を手に入れた。苦しい痛みも嬉しい想いも涙となって流れる。心配させないように笑って、背中を押してアイを部屋から出した。

 

 

「行くのかよ」

「うん、ごめん。多分迷惑いっぱいかけると思う」

「ったく……もうアイドルじゃねえしな」

 

 

 帽子だけ被せられて、頭に手を乗せられた。

 

 

「送ってやる」

「いいの?」

「恋って止まらないもんらしいからな。今なら分かっちまうんだよ」

 

 

 ミヤコが抱えている美鈴を見る。

 スクープのネタを増やすリスクを、自ら上げに行くなんて社長のやる事ではない。けれど、アイを娘のように思って育てたから応援くらいはしてあげたいという気持ちが勝ってしまった。ミヤコも止める気はないようだ。

 

 

「場所知ってんのか?」

「うっ……えっと」

「此処だって。墓参りに行ってるらしい」

 

 

 スマホを見せると、此処から少し離れた墓所が表示された。

 

 

「広いから見つかるかわかんないけど」

「ううん、ありがとうスバル」

 

 

 アイはスバルの目を見つめる。

 ルビーがそうであるならもしかしたら同じなのか。

 

 

「ねえ、スバルももしかして……」

「………」

 

 

 動揺はしなかった。

 ルビーの会話が聞こえたから、もしかしたら聞かれるって思っていたから。スバルは軽く笑って手を取った。

 

 

「星の砂、未だ持っててくれてありがとうアイ」

「!」

「でも、今はアイの息子だから」

 

 

 ギュッと握った手は少しだけ悔しさが滲んでいた。きっと、自分が先生と同じ立場だったとしても振り向かせられないって分かってしまうから。初恋はもう終わった。とうの昔に終わっていた筈なのに少しだけ胸が痛くなった。

 

 

「行ってくれ、ルビーは任せて」

 

 

 スバルを手繰り寄せてアイは抱きしめた。

 気味悪がられても仕方のないと思ったその発言も気にせず、抱きしめられて狼狽えてるスバルに、アイは力強く抱きしめて愛を告げた。

 

 

「スバルも愛してる。誰であっても、私の息子だよ」

「……ありがとうアイ」

「行ってくる」

「頑張れよ」

 

 

 アイは壱護と共に外に出た。

 残されたミヤコをスバルは引き止めて、アイの部屋にいるルビーの所へと近づいた。跪いて俯いているルビーの前に座った。

 

 

「……ルビー」

「なに? スバル」

「何も見ないから胸くらいは貸してやる」

「なぁに突然。キモイよ」

「俺も同じ気持ちだから。頑張ったな」

「っっ……!」

 

 

 頭に手を乗せられてもう限界だった。

 耐え切れずにスバルの胸に飛び込んで涙を流した。アイの前で泣かないように耐え続けた心は決壊した。

 

 

「うっ…ああああああっっ…ああああ……!!」

 

 

 約束は叶わない。初恋は此処で終わった。

 辛い気持ちも全部、涙となってスバルの胸を濡らしていく。痛くて痛くて、止まらない涙をスバルは抱き寄せて受け止めていた。

 

 

 ★★★★★

 

 

 

「(なんだったんだスバルの連絡)」

 

 

 今どこにいるって連絡されてとりあえず返したけど、電話出たらすぐに切られた。菊の花だけ買って親父の墓を探そうと墓所を歩き始めようとしたその時だった。

 

 

「玲司、さん?」

「えっ?」

 

 

 玲司、それは親父の名前。

 足を止めて振り返れば、俺の姿を見て固まっている妙齢の女性と、長い黒髪の三十代くらいの女性がそこに居た。

 

 

「あっ、すみません……人違いでした」

「玲司って……俺の親父の」

「!」

 

 

 その事に驚いて目を見開いてるが、驚きたいのはこちらの方だ。まさか親父の再婚先の母親に出会ってしまったのだから。

 

 

「貴方が、吾郎くんですか?」

「……はい。もしかして親父の」

「雨宮美咲です。直接会うのは初めてね」

「えっと、雨宮吾郎です」

 

 

 雨宮美咲、再婚した親父の妻。

 そして年齢からして60代くらい、まさかこんな所で会うとは思わなかった。話をするために場所を少し移した。自販機近くの休憩所のベンチに座る。

 

 

「わざわざ墓参りに来てくれてありがとう。玲司さんも喜ぶと思うわ」

「いや、親父からしたら誰って思うと思いますけど」

「そんな事ないわよ。玲司さんにそっくりだし」

 

 

 俺が親父に会っているのは赤ん坊の時だけ。

 流石に四十年以上も経てば顔も忘れる。ただ、残された写真を見たら確かに俺は親父に似てるようだ。瞳だけが母親譲りでそれ以外は親父にそっくりだった。

 

 でも、それだけだった。

 俺は捨てられたと言われても過言ではなかった。赤ん坊から今に至るまで連絡の一つも無ければ会ったこともない。祖父母に全部預けて一人幸せになっていた親父に腹を立ててるのかもしれない。

 

 会いたいって、思ってはいなかった。

 それでも、あの人がどんな生き方をしたのか尋ねた。

 

 

「親父は、何か言ってましたか俺の事」

「ええ」

 

 

 美咲さんは悲しい顔をして語り始めた。

 

 

「貴方にずっと申し訳ないって思ってた。けど、今更どの面下げて貴方に会うんだって言い訳して会わなかった。貴方に会っても誰って、返されるだけだと思ってたから」

 

 

 それでも、会って話が出来たならどれだけ未来は変わったか。愛を手にして幸せになった親父と、愛を貰えずに与える事しか出来ない自分。家族に憧れた自分は、どこまでいっても親からの愛に欠けていて。

 

 生まれてこなければよかった……なんて言葉が、ずっと胸に突き刺さる。

 

 この世界に生まれた理由を探し続けた。いつかその言葉を忘れられるように、いつか会えたらその言葉を撤回してほしかったから。

 

 

「でも、お婆様から貴方が産科医になるって聞いた時はあの人、泣いてたのよ」

「えっ?」

「玲司さん、貴方の母親が死んで全部投げ捨てて死のうとしたの。それを助けたのが私なの」

 

 

 信じられなかった。

 けど、嘘ではないって分かってしまう。辛かったから投げ出して後を追うように死にたいと思って、この人に出会った。楔のように、この人が親父を繋ぎ止めていた。だからきっと幸せを手に出来た。

 

 

「ずっと責任があったって。だから産科医になったと聞いた時、母親の事を思って選んだってずっと泣いてたの」

「俺、は……」

 

 

 分からない。

 親をどう思えばいいのか分からない。憎みたい気持ちもある。けど自分のせいだと言えるから憎み切れなくて、決別の為に来たというのに心が揺らぐようだった。

 

 誰のせいでもない、この憎しみも悲しみもどこに向かえばいいのか分からずに、動揺したまま美咲さんに質問した。

 

 

「あの……美咲さん、親父…玲司さんがいて幸せでしたか?」

「──幸せだったわ。あの人が居てくれたから今があるから」

 

 

 その答えに目を背けた。

 辛かった、これ以上聞くのが辛かった。家族の在り方が眩しくて、どうして俺は生まれてきたのか更に分からなくなって、苦しくなった。

 

 

「だから、貴方も幸せになって」

「っっ」

「これ、私の住所。偶には遊びに来て」

 

 

 手に握らされた紙に住所が書かれていた。

 優しく頭を撫でられた。祖母がやってくれたような……そんな優しい手付きで、軽く抱き寄せられた。

 

 

「貴方も、あの人の血を持った大切な家族なんだから」

 

 

 その言葉に何も言えなくなった。

 

 

 ★★★★★

 

 

 美咲が車で帰っていくのを見送ると、吾郎は休憩所のベンチに座り続けた。早く墓参りにいけばいいのに、身体が動かない。本当に心に穴がポッカリ空いたみたいで、ただ思考の海に呑まれていくようだった。

 

 

「幸せ、か」

 

 

 結婚でもすればそれが手に入るのか。

 好きでいてくれた人に俺は何を返せるのか分からない。人を好きになるなんて分からなくて、心から護りたいって思えればいいのか。

 

 幸せってなんなのだろうか。

 父親に愛されたかった思いももう消えて、新しい家族の繋がりができて、それでも何故か心は空虚なままだ。

 

 

「……幸せになっていいのかな、さりなちゃん」

 

 

 手を伸ばしても、空に浮かぶ太陽は掴めない。

 誰かを愛して、誰かに愛されたら幸せは手に入るのか分からないけど……きっかけがあるなら、少しはそれに目を向けたほうがいいのだろうか。

 

 医学第一に考えてたから、それが償いになると思っていたから。でも、それでも自分の幸せに目を向けていいのか。

 

 ああ、本当に馬鹿みたいな悩みだ。

 幸せに向かえない自分が……なんか馬鹿みたいだ。立ち止まったら、生き方がなんかストイック過ぎて自分でも引きそうなくらい考えてなかった。

 

 でも、少しは立ち止まってもいいのかな。

 

 

「……?」

 

 

 一羽の鴉が着地した。

 片眼が潰れた、宮崎で見た事のある鴉が座っているベンチに飛び乗った。

 

 

「神無の鴉か? アイツ留守番してた筈じゃ」

「──センセ!!」

 

 

 その声に見下ろしていた顔を戻した。

 息を切らして、汗だらけで帽子から垂れた髪も少しだけボサついていて、此処にいるはずのない女が目の前にいた。

 

 

「アイ? 何で此処に……」

「スバルから聞いたの」

 

 

 少し呆れた目でアイを見た。

 確かに連絡は返していたが、来ると思わなかった。墓参り終わったら来てほしいって言うならまだしも、此処に来るなんて。

 

 

「墓参りにでも来たのか?」

「ううん」

 

 

 彼女は首を横に振り、帽子を脱いだ。

 今はこの場所には吾郎とアイしかいないが、無用心と外した帽子を被らせようと立ち上がるが、アイは帽子を捨てて吾郎の瞳を見つめた。

 

 

「センセに伝えたい事があるの」

「伝えたい事?」

「うん、大切な話。聞いてくれる?」

 

 

 言葉を返せずに無言で頷く。

 

 

「センセと出会った時は、少しだけ怖い人だと思っていました。私の事を少し避けるし、私の悩みに対して厳しい忠告とか言ってきて、人生の重さを自覚させられて、当初は少しだけ苦手だったの」

 

 

 それは、入院してきた時の話だった。

 そう言えば……色々と最初から厳しかった気がすると苦笑を溢した。

 

 

「でも、私の事をしっかりと見ていてくれた。いつも嘘で本音も分からない私の事を見てずっと正しく導いてくれて……嘘ばっかりで本当にどうしようもない私を、センセはずっと見捨てなかった」

 

 

 アイは言葉を続けた。

 ずっと支えてもらって、何も返せていない事を悔やんでいた。

 

 

「いつの間にか、私の心の拠り所になってた。電話で大変な事をよく愚痴ったり、辛い時には頑張ったなって褒めてくれたり、家族としての愛が欠けていた私に寄り添ってくれたりして」

 

 

 ずっと心の拠り所になってくれた。

 父親が居たらこんな人なんだろうって、思っていた。

 

 

「初めてのドーム公演の時、怖かった思いをした私に言ってくれた。幸せになってほしいと願っているって、どちらをとっても構わない中、帰るはずだった宮崎のチケットを破り捨てて私を支えてくれた。センセが居なかったら今日までの私はきっと居なかった」

 

 

 けど、どうしてだろうか。

 その想いは変わってしまった。父親として見れないくらいに想いは膨れ上がって痛くなった。

 

 

「私は、この想いの名前が分からなかった。でも、二人が踏み出すきっかけをくれた」

 

 

 スバルとルビーが背中を押した。

 さりなと涼介の二人の想いが……アイに勇気を与えた。だから今、此処にいる。伝えなきゃいけない事はもう分かっているから。

 

 

「この想いは、きっと今までの人生の中でセンセだけに向けたいって思えるから」

 

 

 この感情はきっと間違ってないから。

 臆さずに見つめる星の瞳は真っ直ぐで、逸らすことを許さずに言葉は紡がれ、想いを告白した。

 

 

「──私は貴方が好きです。私と結婚を前提に付き合ってくれませんか?」

 

 

 その答えに、吾郎は動揺もする事はなかった。

 軽く俯いて、光を失ったかのような昏い瞳で答えを返した。

 

 

 

「……俺はやめとけ」

 

 

 

 拒絶の言葉と共に、心の底に溜まっていた言葉を吐き出した。

 

 

「俺は、お前をさりなちゃんと重ねていた」

 

 

 それが始まりだったから。

 重ねてしまったら戻れなかったから、きっと重ね続けて逃げ続けた。そんな事をしても意味はない筈なのに、あの子が帰ってくることがない絶望が苦しくてそれに縋っていた。

 

 

「夢の続きを見たくて勝手に重ねて、導いたのだってきっと……アイドルになりたかったあの子の夢を叶えてあげたかったからだ。だから俺はお前の味方をした」

 

 

 味方でありたかった。

 家族が居なくて、家族のように見ていたあの子が死んで、まるで代わりを探すかのようにアイを見ていた。家族なんかじゃない。依存されても困る。その言葉はアイだけじゃない、自分に対しての言葉でもあった。

 

 

「お前を見てなかったから、きっと幸せに出来ない。俺が出来ると思えない」

 

 

 もう手遅れだ。

 重ね過ぎて今は罪悪感でしかない。アイドルが終わり、夢が終わってからはアイを見られていたかもしれないが、大切な時にその思いで助け続けた自分が嫌いだった。

 

 

「俺なんかより」

「センセ以外の人なんていない」

 

 

 掴みかかるように吾郎の胸元に近寄った。

 

 

「なんかじゃない、嘘はつかないで」

「っ、お前にそれを言われるとはね」

「じゃあどうしてあの時、幸せであってほしいって言ったの?」

 

 

 あの時、双子を愛しているアイに向けての言葉。

 気の利いた便利な言葉じゃない。ちゃんとアイを見て、アイを支えていた人間じゃなきゃ言えない魔法のような言葉。だから立ち上がれた、代替として見ていたならきっと今の自分はあの日に終わっていた。

 

 

「あの言葉が、さりなちゃんに重ねた私に向けた言葉なんて思ってない」

「っっ……」

「私を見て、本当に嘘って言える?」

 

 

 言葉を紡げずに無言のままだった。

 星のような瞳が、吾郎の昏い瞳に光を伝えるように再び告白する。

 

 

 

「私はセンセ、雨宮吾郎を愛してる」

 

 

 

 愛が分からなかった彼女からの言葉に僅かに動揺した。誰かを好きになるなんて分からなかった彼女が紡ぐ愛が眩しくて、その言葉の重さは誰よりも知っていた。

 

 昏い瞳が照らされて、動揺と共に頬が赤くなった。

 

 

「今度は、私がセンセを幸せにしたい。ずっと貰ってばっかりだったから、今更で狡いかもしれないけど」

 

 

 手を握られて、逃がしてくれない。

 上目遣いで、僅かに頰を赤くして愛を伝えた。

 

 

「私の愛は、センセの幸せに届きませんか?」

 

 

 その言葉はとても真っ直ぐで、あの時とは逆だった。

 嘘を吐いて愛を求めていた不安定な彼女に、嘘を見抜いて味方であろうと真摯にアイを見ていた吾郎とは真逆なくらいに、真っ直ぐな想いだった。

 

 

「俺、は……」

「嫌なら避けてよ」

 

 

 アイの顔が近づく。

 アイの幸せを願うなら避けるべきだ。自分には相応しくない、罪悪感が心を刺し続けている。避ければきっとこの想いは終わる。それでいい。

 

 それでいいはず……なのに。

 ズキリッ、と胸が痛くなった。それを自覚してしまえば嘘なんて吐けない。自分が傷付けるって分かっているのに。   

 

 

「────」

 

 

 逃げる事が出来なかった。

 重なった唇がその答えだった。

 

 

「センセ」

「……俺で、いいのか?」

「貴方だからいいの」

 

 

 握られた手の温もりをもう離せない。

 身体を駆けるような熱が、想いがきっと答えだと信じたくなってしまったから。だからもう離せないし、離してくれない。

 

 

「……付いてきてほしい」

「何処に?」

「すぐ分かる」

 

 

 手を繋いだまま、片手に菊の花を持ったまま歩き始めた。幸い人が居ない上に墓所にカメラは無粋な為、マスコミも居ないしアイは髪を下ろしたまま。

 

 

「此処だ」

 

 

 雨宮家と掘られた墓標の前に辿り着いた。

 

 

「ここってもしかして」

「親父の墓だ。俺も今日、初めて来た」

 

 

 墓標は綺麗なまま。

 雨宮玲司の妻であった美咲に既に手入れされている為、菊の花束を墓の前に置いた。

 

 

「四十三年ぶりだな。親父」

 

 

 四十三年という長い年月。

 再会は何処か肩透かしで、悲しいとか嬉しいとかそんな気分も湧かない。血の繋がりがあっても時間は思いを風化させる。死んでしまえば全て等しく終わりだ。

 

 

「色々と積もる話があったと思うけど全部飛ばすわ。答えちゃくれないだろうし、だから大事な事だけ報告する」

 

 

 父親が眠る墓の前で、手を握ったまま話し始めた。

 

 

「紹介するよ」

 

 

 もう、重ねない。

 家族のように見ていたさりなと重なる事はない。

 

 

「この人は星野アイ」

 

 

 自分の罪悪感も、生まれてきた意味も言い訳にしない。ただ、この感情のままに想いを告げた。

 

 

 

「俺が──幸せにしたい大切な人です」

 

 

 

 雨宮吾郎が幸せにしたい相手。

 幸せになれないと思っていた自分が、幸せにしたい人間であり、一緒に幸せになりたい大切な人。

 

 それが答えだった。この答えを恥ずかしい事にしたくないから、吾郎は自分なりの愛を宣告する。

 

 

「セ、ンセ……」

「俺は、この人と幸せになりたいから」

 

 

 今はもう話せない。

 生まれてきた意味を知って、いつか再会できた時に笑っていられるように。生まれてきてよかったって思える事を自慢できるように。

 

 

「見ていてくれ。いつか会えたらその時は一生分の話をしよう」

 

 

 吾郎は笑った。

 やっぱり、生まれてきてよかったって今は思えるから。繋いだ手がその想いを肯定してくれているみたいだから、吾郎は罪悪感も葛藤も全部飲み込んでそれでも笑った。

 

 

「アイ」

 

 

 そして、向き合った。

 答えを返す為に、アイの瞳を見つめた。星を宿したその目は涙で溢れていた。

 

 

「全部、言わせてごめん」

 

 

 左手で、溢れる涙を優しく拭う。

 

 

「俺はまだ愛してるって言えないけど」

 

 

 家族としての愛、アイだけに向ける愛、まだそれが決別出来ている訳じゃない。だからまだ言えない。その言葉がとても大切だから、まだ愛してるという言葉は伝えられない。

 

 

「俺が君を愛したいって思えるから、聞いてくれ」

 

 

 けれど、その先があるなら。

 本当の意味で愛してるって言える時が来るのなら、その時はきっと幸せだと思えるから。こんなに辛くて、振り回されて訳が分からなくて、でも愛おしいと思えるこの想いを口にした。

 

 

 

「──アイ、俺は貴女の事が好きです」

 

 

 

 雨宮吾郎は星野アイに恋をした。

 真っ直ぐで、嘘なんてないその言葉がとても心に響いて涙は止まらない。悲しくて流す涙はなくて、吾郎は左手でアイの頰を撫でた。

 

 

「俺と一緒の時間を生きてくれますか?」

「──はいっ!」

 

 

 アイは吾郎を抱きしめた。

 お互いに泣き続けて、涙が枯れるまで二人が離れる事は無かった。死が二人を分つまで、きっとその愛は消える事はない。

 

 今日、二人の愛は解けない程に強く結ばれた。

 

 

 ★★★★★★★★

 

 

「むかしむかし、ある所に一人の男の子が産まれました」

 

 

「母親を犠牲に産まれた赤子に父親は、産まなきゃよかったと言って、男の子を祖父母に預けて去りました」

 

 

「男の子は前世の記憶を持っていました。親なんて居なければよかったと、願い続けた今世で願いは叶いました」

 

 

「でも、男の子は家族の愛を欲していました」

 

 

「矛盾してるよね? でも、自由の先に何もなくて、あんな言葉を吐いて去っていった父親に認めてもらいたくて、そして生まれてきた意味を探す為に男の子はもう一度医者になりました」

 

 

「そして研修医の時に、自分の境遇に似た女の子と出会いました」

 

 

「家族のお見舞いはなくなり、苦しむ女の子に寄り添いました」

 

 

「家族としての愛があれば幾分か心を救えたのか。それは本人にしか分からない話だけど、それを与えられなかった自分に後悔しました」

 

 

「女の子は死にました。彼は嘆きました、家族のように思っていた女の子が死んで、自分が何も出来ない事を知って後悔していました」

 

 

「それから暫くして、愛を知らない少女に出会いました」

 

 

「愛を知らないその子が、愛を手に出来るように支え続けました」

 

 

「それはきっと、死んでしまった女の子と重ねていたから」

 

 

「夢が終わり、重ねていた事に罪悪感を覚えました」

 

 

「人に想いを託すなんて都合のいい言葉じゃない、代替として見ていた自分が嫌いになりました」

 

 

「父親が死んで足が止まり、与え続けた愛も空っぽになり、幸せから程遠い場所でずっと苦しんでいました」

 

 

「アメリカの話も、他人からの想いも、考える事が多くて心はずっと辛いままでした」

 

 

「そんな彼を救ったのは愛を与えられ、愛を知った少女でした」

 

 

「空っぽで、幸せになれない彼に彼女は愛を返しました」

 

 

「満たした愛は与え続けた愛とは違う事を知り、彼は心を奪われました」

 

 

「愛されて、愛して、幸せになる為に、その愛は固く結ばれたのでした」

 

 

「めでたし、めでたし」

 

 

「──えっ? どうして鴉が広い墓所にいる彼のところに彼女を導いたのかって?」

 

 

「さあ?」

 

 

「まあ……そうだね。強いて言うのなら」

 

 

「神様の気まぐれじゃない?」

 

 

 

 〜完〜

*1
ONE PIECEに出てくる141歳の医者。医者の鑑ではあるが、ぼったくりと魔女の異名を持つ元気なおばあちゃん。

*2
ONE PIECEに出てくる71歳の医者。海賊王の船の船医。医者としての実力は高いが、髪型がフラワーなおじいちゃん

*3
NARUTOに出てくる忍医、腕は作中最高位に属するが、仙人の力を持った敵役メガネ。色々と足して取り込んでいくサイコパス




 吾郎センセ
 このルートでは罪悪感や葛藤が多い。ルビールートでは父親が死ななかった分、心が揺らぐ事が多く、幸せに自分から向かおうとしない。悪いわけではないのに贖罪のようにずっと苦しんでいた。アイをさりなちゃんと重ね過ぎての罪悪感、産まれてきた事で母親を死なせた罪悪感、そして父親が死んで認めてもらいたかった想い、アメリカへの推薦、陽縁という恋心を抱いていた同級生の告白、立て続け過ぎて心が追い付かずにどうしたいか揺らいでいた。でも、アイはそれを受け止めて幸せになれない自分のことを幸せにしたいという嘘のない心に心は奪われた。
 その後、アメリカで働く事はやめて、東京に小さな診療所を建てて働くつもりらしい。まあファンからのアンチは半端じゃないらしいけど本人は気にしない。


 星野アイ
 恋心を自覚して、そして今まで支えてもらって何も返せてない自分に苦しんだ。それでも背中を押してくれたルビーとスバル、そして迷惑かけてしまう事が分かった上で応援してくれた斉藤夫妻のお陰で立ち上がり、吾郎の心を奪った。愛を知ることが出来たアイが愛を知らなかった吾郎に愛を与える。嘘はとびきりの愛といっていたアイが包み隠さず伝えた愛だからこそ、吾郎の心を奪えたのだ。

 その後は結婚して三人目の子供が産まれるらしい。それはまあ、後日談があるならという事で。


 星野ルビー
 愛される為の星野ルビーを演じる事をやめて、アイを奮い立たせた十二歳の子供。初恋は砕け散ったけれど、家族となって吾郎が父である事はそれはそれで嬉しい。天童寺さりなとしての想いは隠していたが、一緒に住み続けてから吾郎にあっという間にバレたらしい。その後はアイドル一番推しになってくれてライブ会場の先頭でサイリウムを振っていたりとか。


 星野スバル
 元々無理だと分かっていたからダメージは少ないが、それでもアイの幸せを思って行かせた勇者。帰ったら帰ったでアイに名前がバレた。泣いたし、壱護から凄い目で見られたけど吾郎が説得してくれた。まあ何処ぞの馬の骨より先生なら任せられたからとりあえず蹴り飛ばして幸せになれよと言ったらしい


 斉藤夫妻
 子供が産まれた。名前は美鈴、双子が手間かからなかった分育児ノイローゼになりかけたらしいが、それでも幸せを手にしてアイの事を娘と思っていたから父親のように協力した。この後、壱護プロダクションで吾郎のサポートに一躍買って出たらしい。


 朱雀井陽縁
 この作品のみのオリキャラ。酔った勢いでキスをかました事を覚えていないらしい。ずっと好きだったけど踏み出せなかった女の子として書きたかった為に書いた隠れた主役。初恋は見事砕け散ったけれど、作者的に書いてて好きだった。
 

 神無
 鴉の一羽が謀叛を起こした。かっこつけたけど吾郎の餌付けに負けた。



 あとがき
 言わせてくれ。めっちゃ難産で三回くらい書き直して漸く完成したと思ったらルビールートより10000字も多かった。父親のように見てた男に恋するってむずくね?想像以上に時間がかかって出来た。めっちゃ頑張った。後日談は多分書くだろうけど、やる前に???ルートを書くつもりです。実はそっちの構図の方がもう出来てたりする。いや本当に難しかったです。

 よかったら感想、高評価お願いします。
 この作品を三回も書き直して妥協を許さなかったのは僕のプライドと感想などの応援や評価があったからです。本当にいつもありがとう。多く待ってます。

 因みに作者は男なのでBL展開があるルートは書かないつもりです。というよりガールズもボーイズも偏るルートは多分書きません。

 ???ルートをお楽しみに。

 寝ます!!
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