絶撃の浜風   作:絶撃@

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 自分の中で湧き上がる衝動・・・その正体が何かもわからないまま出会ってしまった野球にのめり込んでいく涼子は、自分の居場所はプロ野球の世界にしかないと、持てる才能と小学生時代のすべてを野球に捧げてゆく

 だが、道半ばで女の子はプロ野球選手にはなれない事を知り、目標を見失ってしまう

 失意の中にあった涼子と出会ったプロ選手の王島は、涼子の野球への情熱とそれまで捧げてきた努力を不完全燃焼で終わらせないために、プロ野球選手との真剣勝負というステージに涼子を立たせるのであった

 野球人生最初で最後の真剣勝負を演じて完全燃焼した涼子は、自分の中で湧き上がる衝動を抱えたまま、今まで自分を支えてくれた父親に報いるために学業に勤しむのであった


不知火編 01 野球少女

(2021年8月5日執筆 2022年1月14日~2025年2月17日加筆修正)

 

 

 

 

 

 

 

 これは、浜風が初めて某鎮守府に訪れた日より、ずっと前・・・・浜風がこの世に生を受けた年・・・7年前の話である

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「・・・・え・・・・・・・なれないんですか?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 それは、・・・・青天の霹靂であった

 

 

 

 

 

 

 

 

「すまん、涼子・・・・・まさか知らなかったとは・・・・」

 

 

 

 

 

 そこは、とある野球グラウンドのベンチの片隅

 

 

 ユニフォーム姿にポニーテールの少女が一人、どうやら監督と覚しき男に頭を下げられ呆然と立ち尽くしていた

 

 

 

 

 その少女、涼子はリトルリーグの名門ブレーンバスターズに準決勝から急遽抜擢されたエースだった

 

 

 

 

全国大会の決勝を明日に控えていた涼子は、この土壇場で・・・・目標を見失ってしまった

 

 

 

 

まさに、脳天をガツンとやられた衝撃であった

 

 

 

 

 

 

 

 女の子はプロにはなれない

 

 

 

 

 甲子園の土も踏めない

 

 

 

 

 

 プロ野球選手になる、ただそれだけのためにこの6年間修練を積み重ねてきた涼子は、自分を待っていてくれるはずだった希望に満ちていたはずの未来と・・・・夢が・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 突然音を立てて崩れ・・・・閉ざされた

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

絶撃の浜風 不知火編

 

 

 

 

 

 

01

 

 

 

 

 

 

野球少女

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その7年前

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その少女は、とても変わった娘だった

 

 

 物心ついた頃には既に母親は他界しており、父との二人暮らしだった

 

 

 

 母方の家系は代々軍人だったらしく、その少女の母親も例に漏れず軍人で、深海棲艦との戦闘で命を落としている。父は技術畑の人間にしては珍しく社交的で、物事を客観的かつ論理的に捉える知的で物静かな人物であった。母親はバリバリの体育会で気性も激しい性格だったそうだが、それに反して父親の方は運動はあまり得意ではなかったようだ

 

 

 

 そんな対照的な二人がどんな因果で巡り逢い縁を結んだのか、傍から見ても首を傾げるばかりだったのは想像に難くない。婚姻関係を結ぶにあたっても、母方の家名を残したいという意向から、父親は婿養子に入る形を採っていた

 

 

 

 

 

 そしてそんな二人の間に生まれたその少女【不知火涼子】は、母親の面影を色濃く受け継いでいた

 

 

 

 

 

 母親のぬくもりさえ曖昧にしか覚えていないはずの幼少期の涼子であったが、父親が生前の母のビデオ映像をことある毎に見せていたため、今は亡き母を身近に感じながら育っていた。そしてやさしくて穏やかな性格の父親に育てられた涼子は、父親に似ておっとりとしてあまえんぼうであった

 

 

 

 涼子の父親は持てるリソースの大半を仕事に費やすタイプの人間だったため、取り立てて趣味と呼べるようなもののない人物であった

 

 そんな父親の数少ない趣味の一つがプロ野球中継の観戦だった。仕事を終えて帰宅の途に着くと、涼子をお風呂に入れ、一緒に夕食を済ませた後は野球中継を見ながら一息入れるのであるが、そんな時は決まって涼子がその膝の上にちょこんと座り込んではひとしきりはしゃいだ後、そのまま寝息を立てて眠ってしまう

 子供特有のじっとりとした高い体温のやわらかいぬくもりを感じながら、やさしく涼子を抱き上げ、そっと寝かしつける・・・・そんな至福の日常が、彼は好きだった

 

 

 お父さん子で甘えん坊だった涼子は、その影響からか幼少期は比較的穏やかな性格であった。それでいて頭の回転も速く、記憶力も良く、野球中継を見ている内にルールをすっかり覚えてしまっていた。そういう利発な所もあり、廻りからは父親似だとよく言われていた

 

 

 

 

 そんな甘えん坊の涼子であったが、父親の膝の上でぼんやり目に映っていただけの野球中継に次第に興味を惹かれていく

 

 

 

「お父さん、ボークって何? どうしてあの人怒られてるの?」

 

 

 

 母親に似て好奇心旺盛な涼子の姿を見るたびに、父親は顔をほころばせながらこう答える

 

 

 

「あぁ、あれはあの投手が反則をしたからだよ。プレートを外さないで三塁に投げるふりをして一塁に投げたからね。投手の送球にはいくつか決まりがあって、それを守らなかったからだよ」

 

 

 

 父親の説明を一度聞いただけで、涼子はすぐに得心する。そしてその思考は二つ三つ先へと飛び、「ふうん、そうなんだ」とは言わず、こう答える

 

 

 

「あの監督、すごい怒ってる」

 

 

「まぁ、今ので三塁走者がホームインして一点入ったから、叱られるのは無理もないよ」

 

 

 

 

 その後、いくつかのボークの事例を父から事細かに教わった。涼子は父の説明を知識としてではなく、具体的なイメージとして記憶に留めていた。そして二度と同じ質問はしなかった。気がつけば、下手な野球好きのおっさん連中よりも余程野球を知っていた

 

 ボークの投球フォームの違いを見ているうちに、今度は投球そのものに興味を持ち始めた。そして涼子は何かに魅入られたかのように、投球時の体の動きや使い方を飽きもせずにいつまでも眺めるようになっていた

 

 

 

 

 

 そんな彼女がが五歳になった頃に、涼子は突然野球をやりたいと言い出した

 

 

 父親は野球観戦は好きだが運動が不得手で、キャッチボールすら碌にした事はなかった。とてもではないが、好奇心旺盛な涼子の期待に応える事は無理だとわかっていた。色々と考えた末、いつも公園で野球をしている近所の子供達の所へ連れて行き、ほんの少しでいいからと、涼子を仲間に入れて貰うよう頼み込んだ

 

 

 

 

 それが、すべてのはじまりであった

 

 

 

 

そして・・・・

 

 

 

 

 この日の事を、涼子の父は生涯忘れる事はなかっただろう

 

 

 

 

 子供達の大半は小学生の低学年であった。その中に五歳になったばかりの涼子が入ろうとしていた。男の子たちからしてみれば、これは甚だ迷惑な話であったが、その子たちの父兄から「少しくらい仲間に入れてあげなさい」と言われ、渋々それに従うしかなかったのだから無理もない

 

 

 

 しかも涼子は「投手をやりたい」と言い出したのだから尚更であった。五歳の、それも今までボール投げもろくにした事のない女児が、ボールをキャッチャーまで届かせる事すら出来るはずもない。公園に遊びに来る時の涼子は、大抵は砂遊びをしてるか、他の女の子たちとお人形遊びをするかおままごとをしてるだけなのを、子供たちは無論、その親たちも皆知っていた

 

 

 

 だが涼子はマウンド(はないけれども)に立った。親たちからしてみれば、これも近所付き合いの一環でしかなかったのだが、子どもたちは子供たちなりに緊張感をもってゲームをしていただけに、親たちのゴリ押しで皆すっかりやる気が削がれていた

 

 

 

 和やかに談笑する親たちと、すっかりしらけムードの子供たちという、何ともいえない空気の中、涼子は構える

 

 

 ワインドアップで大きく振りかぶる。その本格的なフォームに「おやまあ、これは中々堂に入ってますねぇ」などと笑い声がそこかしこに聞こえた

 

 

 

 だが、それはすぐに止んだ

 

 

 

 涼子は左足を大きく上げ、腰、上体を大きく捻る・・・左肩は大きく外側に引かれ、大空を見上げんばかりに上体をのけぞらし、その背中が真正面を向いていた

 

 

 

 その、あまりにも女児に似つかわしくない本格的なフォームに、誰もが『えっ!?』となり言葉に詰まる

 

 

 

 そして

 

 

 

 次の瞬間、その女児は左肩を引き、上半身が高速旋回を始め、左脇を締め、旋回運動を縦回転へと変える

 

 

 蹴り出しから腰、上体の振り下ろし、腕、肘、手首を見事に連動させる・・・そして、

 

 

 

 

 

 リリースの瞬間、指先でボールを切るように押し出す

 

 

 

 

 

 もし、誰かがその球速を測っていたら、大騒ぎになっていたであろう。何故ならそれはゆうに80km/hを超えていたからである

 

 

 

 

 

 

 予想していなかったスピードボールが来たのに驚いたキャッチャーの子は、ほんの小さな女児が投げたという事実とのギャップに幻惑され、実際以上に速いと感じ慌てて飛びのいた

 

 

 バッターの子も、完全に振るタイミングを逸してただ見送るしかなかった

 

 

 

 

 そして

 

 

 

 

 マウンドでうずくまり、右腕を抑えて泣きじゃくる女児の姿があった

 

 

 

 

 

 

 「うわあぁーーーーん! お父さん! 痛いよぅ~~!」

 

 

 

 

 

 

 いち早く涼子の元に駆け付ける父親。涼子の右腕は、力なくプランとぶら下がり、指先は血まみれになっていた

 

 

 父兄の誰かが車を回してくれて、そのまま近くの病院へと連れて行った

 

 

 

 和やかだった公園でのひとときは、一転してまるで事件現場のような喧噪に覆われていた

 

 

 

 

 

 

 診断の結果、涼子は右肩を脱臼し、中指が骨折していた上に、右腕から上半身にかけての筋肉が細かく無数に断裂していた。加えて人差し指と中指の生爪がぺろりと剥がれていたのである。後になって脇腹や背中にも痛みを訴える程の満身創痍であった

 

 

 

 

 治療を終え、麻酔が効いているのか、涼子はぐっすりと眠っていた。頬に残る涙の跡が痛々しかった

 

 

 

 

「ボールを投げただけで、こんなに酷い事にはなりませんよ普通。本当は何をやったんです?・・・と、言いたいところですが・・・」

 

 

涼子の診断と治療に当たった医師の見解である

 

 

「いえ、本当に・・・それもたった一回投げただけだったのです・・・・」

 

 

 父親も、まさかの大事に困惑の色を隠せなかった

 

 

「付き添いでいらした父兄の方もそう仰っていらしたので、別に疑うわけではないのですが・・・・う~ん・・・」

 

 

 

 何やら少し考えた後、その医師はこう答えた

 

 

「常識的には有り得ないんですがね・・・・普段何の運動もトレーニングもしていない体で、フルスイングが出来たとしたら、こうなる可能性はあります。でも、普通は不可能ですからね・・・・訓練なしで肉体のポテンシャルを限界付近まで引き出すコントロールをするなんて・・・・」

 

 

 

 その話を聞いて、父親は何か腑に落ちるところがあったようで

 

 

 

「そうか・・・・それで・・・・」

 

 

 

 父親は、その医師にある事情を打ち明ける

 

 

 

「成程・・・私も仕事柄、これに似た事例は今までにないわけじゃない事は知っています・・・ですが、今回のは恐らくそれとは違うでしょう。この子の体は、年相応の子供と何ら違いはありません。単純に、【人】としての感覚・・・能力が常人離れをしているだけではないでしょうか」

 

 

 医師の見解は父親の想定外であった

 

 

 

 

《・・・人としての能力?・・・そんな事が・・・・・》

 

 

 

 

 父親は、涼子の身に【ある覚醒】が生じた結果だと思い込んでいたのだが、どうやらこれは、それとは関係のない事象だったと聞き、尚更驚きを隠せなかった

 

 

 

 

「この子は私似なんかじゃない・・・・でも、【彼女】の力でもないとすると・・・・・・・」

 

 

 

 

 泣きつかれて寝息を立てる娘の髪を撫でながら、彼は少女に母親の面影を重ねていた

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 右腕に大怪我を負った涼子は、その後半年程幼稚園を休んだ。父親にとって、最愛の妻が残した忘れ形見でもある涼子は・・・・かけがえのない宝物であった

 

 涼子に付き添うために、父親は休職願を出した。怪我がすっかり癒えるまで、いつも傍に寄り添い甲斐甲斐しく面倒を見ていた。元々お父さん子だった涼子は、大好きなお父さんがいつも傍にいてくれるしあわせをかみ締めていた。復園する頃には、以前よりもずっと甘えん坊になっていた

 

 

 涼子が痛い思いをして辛かったこの時期に、休職してまでずっと傍で慰めてくれていた父に対し、涼子は揺るぎない愛情と敬愛を抱いていた

 

 涼子の善良で愛情深い性質は、この頃に形成されたと言っていい。多分に父親の影響が大きかったのである

 

 

 

 その後しばらくの間、この二人の親子の間で野球の話は聞かれなくなった。食後の娯楽としていつも二人で見ていたプロ野球中継も茶の間で流れる事はなくなった

 

 涼子が野球中継を見て、怪我をした時の事を思い出して心的外傷を煩う事を恐れた父親が、涼子に配慮した結果であった

 

 

 でも、涼子は違う事を思っていた

 

 涼子が怪我をした事で、お父さんは野球が嫌いになってしまったのだと思い、野球の話をしなくなっただけだった

 

 

 父親の心配を余所に、涼子は怪我をした事を左程気にしてはいなかった。確かにあの時は右腕も指先もあちこち痛くてたまらなかったけれど、その直前に感じていたあの時のボールを押し出す感覚・・・そして放られるボールの胸をすくような躍動感・・・その直後に襲ってきた激痛の感触まで・・・涼子の中にいつまでも残っていた

 

 

 

 その時の事を時折思い出しては、何とも言えない想いがこみ上げてくるのを感じる・・・

 

 

 

 そして・・・・小学校に上がる少し前、とうとう我慢出来なくなった涼子は父親にこう尋ねた

 

 

「・・・お父さん、もし涼子がまた野球がやりたいって言ったら怒る?」

 

 

 

 

 

 あの怪我以来、涼子は野球の話を一切しなくなっていたから、てっきりもう野球を嫌いになってしまったと思っていた彼は、涼子の意外な申し出にしばし唖然としていた。自分が思っていたよりも、涼子は野球の事が好きで、そして強い子であった

 そして彼が気になっていたのはあの日涼子が見せてくれた驚くべきパフォーマンスであった。幾度思い返してみても、涼子は尋常とは思えない才能を秘めているようにしか思えなかった

 

 もし涼子が望むなら、その才能を埋もれさせるべきではないとは思う。だがその一方であの時のような大怪我を負わせたくないとも思っていた。二つの思いが彼の中でせめぎ合い葛藤していた

 

 

 

 普段の彼は涼子を否定しない。無論甘やかすということではなく、本人の意思や意欲を可能な限り尊重し、涼子がそう望むのなら背中を押してやるのが親の務めだと考えていた。それでも涼子が野球をやる事を手放しに賛同する気にはなれなかった

 

 また涼子が怪我をした一件で、近所で子供達が野球をするにあたり色々と面倒な事になっていた。子供に野球をさせる事に難色を示す父兄が少なからずいたため、子供達は以前のようにリトルマイナーに入団する事自体が難しくなっていた

 

 これ以上他の子や保護者達に迷惑をかけるわけにもいかなかったし、そもそも涼子を入れてくれるような空気ではなくなっていた

 

 

 

 彼は自治体や連盟とも相談し考えた末に、もし涼子が野球をやりたいのならと、いくつかの条件をつけた

 

 ひとつは、自分の体をきちんと管理できるようになるまでは、管理の行き届いた専門家のいる環境で行う事。要するにどこかのリトルリーグに入って経験者の指導の元でなら野球をしてもよいという事になった

 

 正直なところ、父親は運動に関する経験も知識も乏しい為、娘を任せられる環境でなければ安心できなかったのである

 

 

 もうひとつは、決していきなり全力でボールを投げたりバットを振ったりしてはならないとしっかり釘をさされた

 

 

 『いいかい涼子、今までやった事のない運動を始める時は、いきなり全力を出してはダメだよ。軽い運動から始めて、その都度どこか痛くないか、具合の悪いところはないかを確認しなさい。少しずつ運動の強度を上げていくように。わかったね?』

 

 

『うん、わかった☆』

 

 

 こうして涼子は念願の野球をできるようになった。但し、地元ではなく隣町のマイナーリーグから参加する事になった。小学一年生の時である

 

 通常リトルリーグへの入団は地元が原則なのであるが、例の怪我の一件以来、涼子の入団は少し難しくなっていた。あまり歓迎されていない空気の中に、小さな女の子である娘を預けるのは父親としても心配だったからである

 

 連盟は涼子の事情を鑑み特別に隣町のリーグへの入団を認めてくれた。但し、今後は同様の問題を起こさないよう厳重に注意されての許可であった

 

 涼子自身もそれを自覚していたし、そういった空気を敏感に感じていたため隣町で野球をするにしても、今度はあまり出しゃばらず目立たないようにしようと思っていたのだが、幸いな事に隣町のチームでは涼子の事を知っている子は一人もいなかった

 

 

 

 入団の挨拶もそこそこに、早速簡単な練習が始まった。涼子以外にも初めて野球を経験する子が何人もいたため、初日はアットホームで穏やかな時間が流れていた

 この日を迎えるまで涼子はバットやグローブに一切触れていなかったため、バットを振るのもボールをキャッチするのもこの日が生まれて初めてだった。涼子の野球経験といえば、幼少のあの日にボールを全力投球した一度きりであった

 

 ただ他の子と違い、メジャーや日本のプロリーグの試合は穴が開くほど見ていたので、通り一遍の野球のルールはほぼ把握しているしプレーの流れや個々のピッチングやバッティング、フィールディングの動きは頭の中のイメージで理解していたためか、どんな練習も違和感なく普通に馴染んでいた

 

 

 生まれて初めてした野球の練習は、コーチの人にボールを転がしてもらい、それをキャッチして一塁に送球するというものだった。ゴロの処理の基本的な動きを教わると同時に、子供達がボールに慣れ親しむようにするのが目的である。そして今後の練習メニューを決めるにあたり、一年生たちが現在どの程度投げられるのかを見極める目的もあった

 

 涼子はピッチャーが一番好きだが、バッティングもフィールディングも満遍なく好きだった。初めてにもかかわらず、涼子はゴロを捕球し送球までのステップワークも完璧にこなし、制球力も優れていたため、すぐにコーチの目についた

 

 初めてのバッティング練習の時も、少し素振りをしただけで感触を掴み、殆どの球を前に打ち返していた。涼子に優れた動体視力と野球の才能がある事はコーチ達もすぐに気付いたのだが、この頃の涼子はどちらかというとおとなしくてやや引っ込み思案なところがあり、矢面に立たされそうになるとすぐに逃げてしまっていたため、勿体ないと周りをやきもきさせていた

 

 

 

 マイナーリーグ入団後程なくして涼子達は所属するチームのある隣町の郊外へと引っ越しした。涼子が父に大型のバッティングゲージ兼用の練習用ネットとトスマシンをおねだりしていた事もその理由であった

 

 涼子は父親に似て研究者気質があり、地味な練習や鍛錬を通して野球技術を探求する事に喜びを見いだすという、おおよそ子供らしくない変わった子であった。フィールディングはともかく、ピッチングやバッティングを日常的に探求するには、どうしても欲しい設備だったのである

 

 小学校にあがったばかりの子供へ買い与えるには少々値が張る物だったので、小学生の間に限り、野球に関する出費をする代わりにおこづかいはなしという条件でこれを許可した。庭にはマウンドとプレートまで作ってもらい、月に一度だけバッティングセンターに通う事も許可され涼子はご満悦だった。おこづかいがもらえない事など気にもならなかった。これで心おきなく好きな時に好きなだけ野球の練習ができる。涼子にとってこれ以上のしあわせはなかったのである

 

 

 無論父親の言いつけはキチンと守っていた。投げるにしても、軽く腕を振り、一回一回どこか痛くないか、変な感じはしないかを確かめながらボールを放っていた

 

 

 

 そして例によってプロ野球選手の投球やバッティングのフォームの解析をしては、それを真似して投げたり打ったりするという遊びが、涼子を夢中にさせる一番の楽しみであった

 お手本は、日本のプロ野球選手からメジャーの殿堂に入るような伝説級の選手に至るまで様々であった。投球やバッティングのフォームのビデオを穴が開くほど鑑賞し、何かを閃く度に庭に出てはバットを振ったりネットにボールを投げ込む生活を送っていた

 

 

 

 そんな涼子の姿に誰よりも驚いていたのは父親の方であった。まだ小学校にあがって間もない娘が、まさかこれ程野球にのめり込むとは思わなかったわけで。勉強そっちのけで野球ばかりするのは少々困りものではあったが、何かに一心に取り組んでいる娘の姿を見るのは存外嬉しいもので、応援せずにはいられなかった。身贔屓である事を差し引いても、うちの娘は中々に優秀であると密かに思っていた

 

 

 

 

 その一方で、リトルマイナーリーグは涼子にとって、徐々にではあるが正直あまり楽しいものではなくなっていた

 

 涼子が半世紀以上前の某メジャーリーガー(アロルディス・○ャップマン)の投球フォームの再現に取り組んでいた時の事である。プレートの蹴り出しから腰の捻り、胸、肩、肘、手首、そして指先のリリースに至るまでの一連の動作において、パワーを連動させる感覚を研ぎ澄ませていた。そしてそれがある日突然できるようになった

 

 バットを振れば風切り音をあげ、スイング速度は飛躍的に向上した。手元まで球を引きつけられるので、以前よりずっと楽にボールを捉えられるようになっていた。気がつけば、バッティングセンターでどのような設定をしようと当てられない球はなくなっていた。投球以上にバッティングのセンスは天性のものがあり、そのレベルは常軌を逸していた

 

 

 無自覚ではあるが、涼子は自分の体中の感覚が異様に研ぎ澄まされているのを感じていた。自分の肉体をどう動かせばイメージ通りの結果を導き出せるのかを、繰り返される訓練の中で学習していた

 これは涼子が生まれつき有している特異な能力であった。幼少期に怪我をした時のあの投球も、一人の投手のピッチングをずっと見続けていた事で無意識下でそれを完璧にトレースしていたのだが、幼児の肉体である事を考慮に入れずにそれを体現しようとしたため大怪我を負ったのであった

 

 

 だが今は違う

 

 

 自分の体の状態が手に取るようにわかるようになっていた。涼子が今行っているのは、どのような動きをすれば最大のパフォーマンスを得られるようになるのかの検証であった。そのために一流のプロ選手の動きを実際にトレースし試していたのである

 

 

 

 

 

 ふと気がつけば、涼子は自分がマイナーリーグのレベルを大きく逸脱している事に気付いた。なんとなくではあるが、涼子はそれを人前では見せてはならないような気がしていた。自分が子供としては異端である事に、この頃には薄々気付いていた

 

 この頃の涼子は性格も穏やかで争い事は苦手だった。だからチームで練習をする時も、本気で投げたり打ったりするような事は決してしなかった

 

 

 打つ時はハーフに構え振り切らないで手打ちでミートに終始し、内野フライを意図的に打ち分け、守れば足腰を使わずスナップのみを効かせた手投げでの送球に留めた

 

 

 

 

 リトルマイナーに自分の居場所はないと気付き始めた涼子は、ごく自然のなりゆきでプロを意識し始めていた。自分が全力で野球をやれる場所はプロの世界しかない・・・・自分はプロの野球選手になるんだ・・・密かにそう思っていた

 

 

 

 だが、その夢を誰かに語る事はなかった。自分が野球で出過ぎた真似をするとまたお父さんに迷惑をかけてしまうかも知れない。そう思い誰にも相談せず自分の胸の内にだけ想いを秘めて頑張ろうと心に決めていた

 

 

 

 

 そんな涼子だったから、リトルマイナーで自分を偽るプレーをしている内に、それが単なる時間の無駄だと気付くのにそう時間はかからなかった

 

 

 

 

 

 いつしか涼子は、地域の大人達の草野球に混じって野球をする事が多くなった。それに従いリトルマイナー通いは徐々に少なくなり、二年生の終わり頃にはチームを辞めていた

 

 

 

 

 

 

 自宅での研鑽と大人の草野球でのプレイだけの生活が、野球と永遠に別れを告げるあの日まで続いたのである

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それから3年後の春

 

 

 

 

 

 

 

 

 リトルリーグの名門野球チーム、全国区の常連、浦賀ブレーンバスターズ・・・・

 

 

 涼子はそのチームの一員となっていた

 

 といっても、チーム内における彼女の役割はほぼマネージャーである。涼子の野球経験といえば、小学生低学年の時にマイナーリーグに2年間所属していた位で、在籍期間中も公式戦の試合はおろか、練習試合ですら経験がなかった

 

 

 

 

 そんな涼子が何故、今更リトルのメジャーリーグに所属しているのかと言うと、スポーツ振興による地域活性化の一環として、浦賀自治体が掲げた《野球を通じて心身の健全な育成を図る》という、リトルリーグの理念の拡大解釈から来ていた

 

 

 浦賀自治区は女子選手の特別参加枠を設け、規定の試合数を消化したチームに限り、翌年のトーナメントにおける一次予選一回戦の参加を免除するという、所謂シード特典を掲げていた

 

 

 

 そして困った事に、その栄えある女子選手は、自治体が無作為に選出した満12歳の少女という、選ばれた者にとっては甚だ迷惑な制度によって選出されていた

 

 

 無論ただでこの《横暴》に従わせるわけではない

 

 

 この役目を見事完遂した女子には、浦賀自治体指定の公益法人や企業への就職内定という将来が約束されていた。無論辞退する事も出来るが、このなかなかに美味しい特典を前に、これを辞退する女子(の親)は皆無だった

 

 

 小学六年生になった涼子は、未だに野球にかまけて勉学に身が入らず、成績は常に最下位をキープしていた。普通に考えて、聡明な涼子の父親がなぜこの特典を受け入れたのかは想像に難くない

 

 学業の芳しくない一人娘が思う存分野球に打ち込めるように、就職という将来の不安を取り除くという親心であった

 

 

 何とも即物的な対価ではあったが、日頃野球には無関心な層にもアピールしたのは間違いない

 

 

 

 この自治体の方針に従い、ブレーンバスターズでは例年女子選手1名の特別参加枠が設定されている。そこに今年は自治体が無作為に選出した少女の一人に、涼子が収まる事となったのである

 

 

 

 

 ブレーンバスターズの二軍は、レギュラーを外れた12歳の選手と、10歳以下のレギュラー候補その他のメンバーで構成されていた。涼子はこの12歳枠の中にいた

 

 トーナメント試合開始までのレギュラーシーズンにおいて、ブレーンバスターズは一軍、二軍共に、同じリトルリーグ公認チームとの親善試合がそれぞれ8試合ずつが組まれており、特に12歳の選手は全試合参加が義務付けられていた

 

 これは、チームのトーナメント参加規程の試合数、チームは最低12試合、選手は8試合をこなす必要からであった

 

それも組まれた全試合が地区責任者の承認がなされた公認試合という抜け目のなさであった

 

 

 

 涼子に申し付けられた練習は、主にベースランニングや素振り、そしてキャッチボールである

 

 

 涼子がリトルを離脱してから既に3年が経過していた。それまでは社会人の草野球チームに欠員が出た時の穴埋めなどをして野球を楽しんでいた。小学生でありながら大人顔負けのフィールディングが出来る事に加え、投げても打ってもゲームに差し障りがない程度には力を解放していたため、決して低くないレベルの社会人野球チームの助っ人として普通に馴染んでいた

 そんな事情を知らないブレーンバスターズの監督は、涼子を野球未経験者として扱った。

何しろ彼女はチームにとってはただの特別参加枠の《ゲスト》に過ぎなかった。だから監督も含め、チームの誰もが涼子の事をきちんと見てはいなかった

 

 

 元より、涼子自身がリトルメジャーで野球をやる気など更々なかったため、悪目立ちしないよう決して全力で投げたり、フルスイングをするような事はしなかった。だから、涼子が尋常ではない野球センスを有している事に、誰も気付かなかった

 

 

 例えばキャッチボール一つを取っても、涼子は廻りの選手たちの体の使い方を見て、周囲のレベルに球質や制球力を合わせていた。チームの連中は、ずぶの素人であるはずの涼子が、廻りと違和感なくキャッチボールをしている事に多少驚きはしたものの、とりわけ優れているという風にも見えなかったため、目の前で何が起きているのかなどまるで気付いていなかった

 

 

 素振りの練習の時、涼子はチーム1のスラッガーのスイングを見て全国区の常連のレベルがこの程度だと知り、わかっていた事とはいえ、はぁとため息をついた

 

 

 勉強もそっちのけで野球に没頭している涼子の将来を心配して、特別参加枠へ涼子を入れた父の気持ちは涼子にも痛いほどわかっていたし、感謝もしていた。だから言いつけ通りに練習に加わっているのだが、プロを目指している涼子からしてみれば、リトルメジャーでのプレイには砂粒ほども食指が向かなかった

 

 

 あれから3年半が経過し、涼子はひとり修練と研鑽を積んでいた。だがその技量を発揮する場としては、リトルメジャーは涼子の視界には入っていなかったのである

 

 

 涼子が意図的に目立たないよう振る舞っていた事もあり、当然のように守備練習や打撃練習には参加させてもらえなかった。それ以外の時間はスコアをつけながらゲームメイクを考察したり、ドリンクやタオルを用意したりとマネージャーとして甲斐甲斐しく働く涼子であったが、親善試合の日だけは、最終回である六回に限り試合に出場していた

 

 ポジションは大抵はライトだが、攻撃で涼子に打順が廻ってくる場合に限り、他のポジションへ廻された。これは参加試合数8試合、規定回数1イニングという、トーナメント参加資格に準ずる女子特別参加枠の規定をクリアするための措置であった。そのため、試合中に涼子の所へ球が飛んできた事は一度もなく、バッターボックスに立つこともなかった。実のない、見せかけだけのスポーツ振興であった

 

 

 

 この規定をクリアした時点で、涼子はお役御免となった。チームに名を残し所属はしているものの、以後は試合はおろか、練習への参加も免除された。というよりは、要はもう練習には来なくてもいいという、チームからの通達があり、それに従ったまでの事であった

 

 

 元より、涼子自身も父の勧めで参加していたに過ぎなかったし、別段リトルメジャーに興味があったというわけでもなかったため、まるで気に留めていなかった

 

 

 このまま何もなければ、涼子の才能は誰にも気付かれる事なく埋もれたまま小学生生活を終えるところであった

 

 

 

 

 

 前年度分の特典によりトーナメントの第一シードを確保したブレーンバスターズは順当に勝ち上がり、全国大会への切符を手にしていた。そして全国大会においても破竹の進撃を続け、ベスト4まで辿り着いた。しかも準々決勝で大番狂わせがあり、次の対戦相手と思われていた昨年度の優勝チームがエースの故障で途中退場し、無名のチームに敗退したのである。その無名チームが準決勝の対戦相手であったため、労せず決勝へと駒を進められるであろうと思われていた矢先・・・

 

 

 

 

 

 

 

 試合を目前に控えたブレーンバスターズに、不運が訪れる

 

 

 

 

 準決勝戦前夜に振舞われた会食で、監督を含めたチームのメンバーが集団食中毒にかかり、一軍の選手全員が入院してしまったのである

 

 

 

 

 

 

 

 これにより、浦賀で練習をしていた二軍選手と、自宅で夏休みの宿題もほったらかしにメジャーリーグの試合の録画鑑賞をしていた涼子の元に、緊急招集がかけられた

 

 

 

 涼子を入れて、規定人数ギリギリの14人

 

 

 

 

 不幸中の幸いだった事は、この二軍メンバーの全員が、トーナメント参加資格である8試合を消化していた事である

 

 

 これにより、ブレーンバスターズは準決勝戦辞退という、最悪の事態だけは避けられたのであるが・・・・・

 

 

 

 

 

 

 全国大会準決勝戦というステージにおいて、二軍選手と女子選手特別参加枠の涼子では、普通に考えれば、結果は火を見るより明らかであった

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「・・・・まさか、こんな所まで来ることになるとは・・・・まさに青天の霹靂です(最近覚えた言葉)」 

 

 

 

 

 覚えたての言葉を、ここぞとばかりにドヤ顔で使う涼子。最近は亡き母親の生前の口癖や言い回しを真似るのが涼子のマイブームとなっていた。涼子には気付かれないようにしているつもりの父が喜んでいるのが手に取るようにわかるため、今では日常生活全般に母親の口調で振る舞っていた。気がつくと、かつての穏やかで引っ込み思案な涼子はどこかへ吹っ飛んでいた。血は争えないものである

 

 

 

 それはそれとして、突然江戸川まで呼び出されパニック気味の二軍監督と選手たち・・・・当然ながら、心の準備など出来ているはずもない

 

 

 

「みんな・・・・こんな事になってしまい、何て言ったらいいか・・・・」

 

 

 

 監督は言葉に詰まる。別に彼には何の落ち度もないのであるが、それでもこの場を何とか納めなくてはならない・・・・

 

 

 

「それよりも監督、スタメンどうします?・・・もう時間がありませんよ?」

 

 

「お、おう・・・そうだな・・・参ったな、どうしよう・・・・」

 

 

 

 

 

 監督が頭を抱える理由・・・・それは、この残されたメンバーの中に、投手の経験者が一人もいなかった事にある

 

 

 

 

 流石に付け焼刃で投手は務まらない。いかに対戦相手が無名とはいえ、ここまで駒を進めてきたチームであるわけで、弱いはずがなかった。投手力の差を鑑みれば、最悪4回コールドも在り得る・・・・

 

 

 誰が投げても初回から火達磨になるのは目に見えていた・・・・それだけに・・・・・

 

 

 

 ここにいる選手の誰もが思っていた事・・・・それは、

 

 

 

 

 

 

 

《先発投手だけは、絶対にイヤだ!!!》

 

 

 

 

 

 

 であった

 

 

 

 

 

 

「・・・やっぱアレだよな・・・外野手が良くね?・・・・〇チローだってマウンドに上がった事あるじゃん」

 

 

「・・・ば・・・・おま・・・・何言ってんだよ! 通用するワケねーし!」

 

 

「じゃあどうするの? 僕なんかストライク取るとかできないよ!」

 

 

「どうせ全員試合に出なきゃいけないんだし、交代で投げるか?」

 

 

「だ~か~ら~っ! その一番最初を誰がやるかって話だろっ!」

 

 

 

 

 

 

 先発投手の押し付け合いの果てに、

 

 

 

 

 

 

 

「あの・・・・よろしいでしょうか?」

 

 

 

「ん? どうしたよ涼子?」

 

 

 

「先発投手ですが・・・・誰もやりたくないのでしたら、私が投げますか?」

 

 

 

 

 

 

「・・・え”っ・・・・・」

 

 

 

 

 

 

 みんな・・・言葉を失った

 

 

 

 

 

 

「・・・お前・・・・投手やった事あるの?」

 

 

 

「いえ・・・ですが、いつも見ていましたので、投げ方は知っています。ボールの握り方も本を見て、これから覚えます」

 

 

 無論そんなはずはない。球種だってストレート以外もカットボールにスライダー、シンカー、そして【あの球】も投げられる

 

 

「いやいやいやいや、何言ってんの! 無理でしょ!」

 

 

「・・・でも・・・・皆さんも無理なんですよね?」

 

 

 

 

「・・・う・・・・・・あ・・・・・・まぁ・・・・・」

 

 

 

 

 

「もう、あまり時間がありません・・・スタメンの告知もしなければなりませんし、とにかくそれでお願いします監督」

 

 

 

「あ・・・あぁ、わかった・・・・・お前、女のくせに胆が据わってるなぁ・・・・たまげたよ」

 

 

 

 

 

 

 

「・・・女の・・・くせに?」

 

 

 

 

一瞬、涼子の眼光が鋭くなる

 

 

 

 

「あ、いやすまん・・・・失言だった」

 

 

「少し頭にきたので、四番は私がやります(どやぁ)」

 

 

「あ、ど、どうぞ(汗)」

 

 

 涼子の迫力に気おされ、思わず言われるままにしてしまう監督。大役を未経験に近い女子に押しつける形になってしまったのであるから怒るのも無理はない

 

 

 

《それにしても、まさか特別参加枠のゲストに過ぎないと思っていた子が一番肝が据わっているとは・・・》

 

 

 

 

 そんな事を思っていると今度は

 

 

 

 

「少し・・・肩を作りたいと思います・・・・ブルペンに付き合ってもらえますか?」

 

 

 

 キャッチャーをブルペンに誘うと、涼子はさっさと歩いて行った

 

 

 

「お、おう・・・・・・・・・マジかよ・・・」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、準決勝戦が開始される

 

 

 

 

 後攻は、ブレーンバスターズ・・・・・そして、マウンドには・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 不知火・・・涼子が立っていた

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 マウンドを慣らし、プレートの掛かり具合をチェックする・・・・スパイクを履いてプレートに掛けるのは久しぶりだった

 

 

 

 そして涼子は振りかぶらずに、軽く放る

 

 

 

 

 

 シュッ

 

 

 

 

 

 

 

「スパーーーーーーーーーーーーーーン!!」

 

 

 

 

 

 

 

「え?」

 

 

 

 

 にわかにスタンドが騒めき始める

 

 

 

 

「・・・・あんな無造作に放っているのに・・・結構・・・速いぞあの娘!?」

 

 

 涼子のバックを守るブレーンバスターズの面々も、言葉を失っていた

 

 

 

「あいつ・・・投手は初めてって言ってたよな・・・・」

 

 

「ていうか、涼子がスコアつけてる姿以外を見た事ないんだけど俺」

 

 

「いや、それよりも見ろよアレ」

 

 

 

 

 よく見たら、キャッチャーがボロボロになっていた

 

 

 

 

「あいつら・・・・ブルペンで何やってたんだ?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「・・・・フォーシームは・・・・感触は大体わかりました・・・・あとは・・・・・」

 

 

 

 

 相手チームに聞こえるように、あくまでも未経験者(自称)な芸風を貫き通す涼子は、キャッチャーの方を一瞥する

 

 

 

 

「ひっ!?」

 

 

 

 

「・・・あとはあなた次第です・・・しっかり受け止めて下さい」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「プレイボール!」

 

 

 

 

 

 

 

「・・・・確か・・・こう・・・・これくらい・・・・」

 

 

 

 

 

 なんと涼子は開幕からいきなりセットポジションに構える。そして投球動作に入ると同時にキャッチャーがアウトローにミットを構えた。そしてそのまま無造作に放る

 

 

 

シュッ!

 

 

 

 アウトローにボール一個分入っているコースに放る。バッターは初球から合わせにいくが、手元で外に切れ、ボールの上を叩く

 ベース前で大きくバウンドした球を涼子はゆっくりとキャッチしてファーストへ送球する

これでワンナウトである

 

 

ここで全員がマウンドに集まる。そして相手側のベンチでドッと笑い声が上がる

 

 

「なんだ?あの子セットポジションでないと投げられないのか?」

 

 

「アッチの一軍は全員食中毒らしいからな。まぁ何にしてもラッキーだったぜ。あの程度の球なら打ち放題だな」

 

 

 

 

 

 

 

「・・・・などと思ってくれたらこちらにも勝機があります」

 

 

ポーカーフェイスを崩さないまま涼子はこの後の方針の確認をする

 

 

「この回はのらりくらりとヘボな振りをして何とか打ち取りますから、相手がこちらを舐めてかかってるうちに勝負を決めましょう」

 

 

普段見ていた姿とは違う涼子の変貌ぶりにチームメイトは驚きを通り越して呆れていた

 

 

「・・・お前、ホントは野球上手かったんだな・・・なんで隠してたんだよ?」

 

 

「まぁそれなりには・・・子供相手に本気で野球する気はなかったので」

 

 

「いや、お前も子供だろ!」と一斉に突っ込まれる涼子であった

 

 

 

 

「マジであいつら気付いてないっぽいな」

 

 

 セットポジションから殆ど手投げで120km/hオーバーのカットボールを投げられる小学生女子が存在しているという事実が、何を物語っているのかは明白であった

 

 

「皆さんのフィールディングは正直使い物になりませんが、バッティングだけは一軍と遜色ないので私が打たれない限り負ける事はないでしょう。杞憂だとは思いますが、いざとなったらノーワインドアップで投げて抑えますんで」

 

 

「言い草(汗)」

 

 

「お、お前もう少しやさしい言い方できないのかよ(汗)」

 

 

「ぐぅ正論(汗)」

 

 

「それにしてもさっきのカットボール、凄いキレだったな。あんなのよく捕れるよなお前。尊敬するわ」

 

 

涼子の球を受けているキャッチャーは言う

 

 

「ちげーよ、モーションに入ったら涼子のサイン通りのコースでミットを構えてるだけだし。そこに放り込んでくれるだけだから捕れるんだよ」

 

 

「え、まじかよ(汗)」

 

 

「ブルペンで涼子が半分本気で投げた球が、全然捕れなくてよ・・・面目ない(汗)」

 

 

「それでボロボロなのかよお前・・・」

 

 

「どんだけ制球力いいんだよ・・・ありえねー」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 終わってみれば、準決勝は完勝だった

 

 涼子はセットポジションからの軟投でのらりくらりとバッターの裏をかく配球で被安打ゼロに抑え、フィールディングに難のある自チームがボロを出さずに済むようゲームメイクしていた

 そして涼子の言葉通り、ブレーンバスターズは二軍でもバッティングだけはリトルメジャーでも一線級だったため、クリーンナップが切れ目なくスコアリングポジションに出塁し、そして四番に入っていた涼子が、その恐るべきバッティング技術を初めて人前で見せる事になったのである

 

 

 実の所、涼子は投手や野手としてよりも打者としての才能がいちはやく開花していた。例え才能があっても、小学生の投手は肉体的制約からスピードボールを投げるのには自ずと限界があるし、仮に投げられたとしてもリトルメジャーでは涼子の球を捕れる捕手がいないという現実的な問題もあった。だがバッティングは純粋にセンスと技術が大半を占める分野である。選球眼に加え、コースとタイミングを合わせるバットコントロール技術さえあれば、飛距離を問わなければプロに匹敵する打撃を実現する事は可能である

 

 日頃から元高校球児や社会人野球出身者のいる草野球チームでプレイしている涼子は、リトルメジャーのレベルを遙かに超えた水準の球を見慣れているし、実際打ってもいた。端からリトルメジャー投手の球など問題にしていなかったのである

 

 

 

 

 

「キィーーーーーーン!」

 

 

 

 

 一球も様子を見る事なく、涼子は初球からバットを振り抜いた。打球はレフトスタンドへ吸い込まれるように入る

 

 

 

 

 その後もブレーンバスターズの攻勢は止まらず、3回までに15点を叩き出しコールドゲームで準決勝の幕を閉じた

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして

 

 

 

 

 

物語の冒頭に戻る

 

 

 

 

 

 

女子選手はプロにはなれない

 

 

 

甲子園の土を踏む事さえできない

 

 

 

 

 

その事実を、決勝前日に知らされ、涼子は途方に暮れていた

 

 

 

 

 

 

「・・・・それじゃ、いくら頑張っても、無駄だという事ですか・・・・」

 

 

 

 

 

 

 

口惜しかった

 

 

 

 

 

 

元より、リトルリーグでの野球に興味はない

 

 

 

 

 

プロを目指すという道程の途中で立ち寄っただけのリトルメジャーである

 

 

 

 

 

周りとの軋轢を避けるために、父親にさえプロを目指しているという夢を語った事はなかった

 

 

 

 

 

なのに・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「・・・・涼子は・・・・・どうして・・・・プロになりたかったのでしょう・・?」

 

 

 

 

 

 

涼子は自問していた

 

 

 

 

 

自分の中から湧き上がってくる感覚・・・・

 

 

 

 

それを・・・全力でぶつけてみたい・・・

 

 

 

 

プロという言葉を自らが口にした時から、自分が全力を出せる場は、そこにしかないと思った

 

 

 

 

だからプロになりたい・・・そう思って野球を続けてきたのに・・・

 

 

 

 

 

 

 

「今までしてきた事は・・・・本当に・・・無駄・・・だったのでしょうか?」

 

 

 

 

 

 

無駄ではない、と涼子にもわかっていた・・・・でも・・・・

 

 

 

 

それが大好きな野球で叶えられる事はないと悟る・・・・それが・・・哀しかった・・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

翌日行われた決勝戦

 

 

 一軍メンバーの約半数がなんとかスタメンに合流した。元々涼子は病欠した一軍の代役で呼ばれたに過ぎなかったので決勝に出るつもりはなかったのだが、涼子の実力を知った一軍のメンバーや監督が彼女を引き留めたため、決勝も投げる事になった

 

 

自身にケジメをつける意味合いもあり、涼子は試合に出場した

 

 

 目標のなくなった自分にとって、この試合の行方は単なる予定調和に過ぎず、意味などない

 

 

だが、同じチームの仲間と、目的を同じくして戦う最後の試合・・・

 

 

 

 

それは、全うすべきだと、思っていた

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 大勢は動かず、本年度の全日本リトルリーグ野球選手権大会は、ブレーンバスターズの初優勝で決着した

 

 

スコアは・・・・・

 

 

 

 

いや、もうそれはどうでもいいことだった・・・・・

 

 

 

 

 

形など、なんの興味もなかった・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 野球の世界は案外狭いもので、準決勝での涼子の活躍はすぐに噂になっていた。そのせいかこの試合は一部のプロの関心を引いていた。無論女子である以上、スカウトを意識してのものではない。ただ、未来のプロ野球選手を多く輩出するリトルメジャーリーグにあって、それらを片手間の投球で完璧に押さえ込み、打てば全てスタンド入りという恐るべき打撃力を示した不知火涼子という選手に、単純に興味を持ったプロ選手たちがいたという、ただそれだけの事である

 

 

 

 

「・・・すごいね、この子・・・・天才かよ・・・・」

 

 

「・・ああ、マジヤバいな・・・」

 

 

「勿体ないね・・・・」

 

 

「バッティングセンスが尋常じゃないな。あれなら今すぐでもプロに通用するよ」

 

 

「あのスナップのキレからすると、相当投げられるねこの子・・・だがキャッチャーがあれじゃあ本気で投げられないな・・・」

 

 

「まぁ小学生なんだからあんなもんだろ・・・だが、それでも抑えてる・・・球種も速球も封じられてるのに大したもんだ」

 

 

 

 

プロ選手達の感嘆とも、溜息とも取れる声があがる

 

 

 

 

「アスリートとしても、一級品だな・・・決して恵まれているとは言い難いあの体で、これ程の球を放れるんだからな」

 

 

「体の使い方が、すごくうまいんだ・・・・これだけ体躯のコントロールが出来る奴は、プロでも何人もいないよ」

 

 

 

「だが、本当に凄いのは・・・・」

 

 

 

「・・・ああ・・・・この子・・・・すごく頭がいい・・・」

 

 

 

 

「バッターのフォーム、挙動、目線や筋肉の動き・・・それに相手ベンチの動向まで・・・全部、見てやがる・・・」

 

 

「しかも完全に相手の意図を見抜いてる・・・これなら配球とハーフストレートの緩急だけで、抑えられるワケだ・・・」

 

 

「・・・・この子・・・ある意味プロ以上だな・・・・リトルじゃ、相手になるわけがない・・・・ホント、ご愁傷様、だな」

 

 

 

 

 

「・・女の子のプロ・・・いたってよくね?」

 

 

 

 

選手のひとりが、ぽつりとつぶやく

 

 

 

 

「まぁそうなんだが・・・・その場合、俺等の立場が危うくなるけどなw・・・」

 

 

 

 

 

 

「・・・あの子・・・・どんな気持ちで野球してるんだろうな・・・」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「俺だったら・・・・・・泣きたいね・・・・・死にたくなるは・・・」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「優勝おめでとう! ナイスピッチング!」

 

 

 

 

閉会式を終え、ロッカールームへ引き返そうとしていた涼子に声をかける者がいた

 

 

 

 

 

「・・・・・あなたは・・・・・・」

 

 

 

 

 プロ野球チームの優勝争いの常連、ゴッドフェニックスのリーディングヒッターであり、メジャー移籍を噂されている王嶋選手であった

 

 

 

 

「感動したよ。女の子であれ程の・・・いや、失礼した。性別など関係ない。素晴らしいピッチングだったよ」

 

 

 

 

「・・・王嶋選手!!・・・ありがとうございます!・・・あの・・・サイン下さい!」

 

 

 

涼子はユニフォームをたくし上げ、背中を向けた

 

 

「へぇ、僕のサインなんか欲しいんだ?」

 

 

「当然です。王嶋選手は涼子の知る限り、最高レベルの打者です。大ファンです!」

 

 

 

 王嶋が打席に入る時の仕草を真似ながら、涼子はテンションMaxで舞い上がっていた

 

 

 

「君にそう言って貰えるとは光栄だね」

 

 

 

 アンダーシャツの背中にサインを書いてもらうという幸運の中で、涼子はこれまでの歩みを振り返り感極まっていた。気がつけば、密かに抱いていた思いを王嶋に吐露していた・・・・

 

 

 

「いつか・・・メジャーのマウンドで王嶋選手と対戦するのが夢でした・・・・でも、それはできないって、昨日監督に教えて貰いました・・・・・」

 

 

「・・そう・・・なんだ・・・・・・あ・・・・」

 

 

 

 

 

 

 

 

「・・・う・・・・・ぐすっ・・・・・・ひっく・・・・・・だいせん・・・じだがっだでずぅ・・・・・・」

 

 

 

 

 

 

 

涼子は、泣き出していた

 

 

 

 

 どのみちリトルで野球を続けるつもりはなかったので、今日を最後に野球はやめるつもりだった

 

 

 だが、憧れの王嶋選手に呼び止められ、気にかけてくれていた事を知り、どうにもならない現実にとうとう感極まり、堪えきれなくなってしまったのである

 

 

 

 

 

《ああ、そういう事か・・・・・死にたくなったのは、つい昨日の事だったわけか・・・・悪い事をしたな・・・・》

 

 

 

 この子の無念はいかばかりであろうか・・・・王嶋は、涼子に掛ける言葉が見つからなかった・・・・

 

 

 

 

「・・・・まいったな・・・・・・・・・・・あ!・・・・・そう言えば・・・」

 

 

 

 

 彼は携帯を取り出し、何処かに電話をかけ始める。その間、泣きじゃくる涼子の頭をぽふぽふと撫でて慰めていた

 

 

 

「・・あ、もしもし、王嶋です。先日はどうも。あのですね、次のドームの試合で、アレ、キャンセルになって代わり子を探してるって言ってたじゃないですか・・・・はい・・・あ、まだ決まってない?・・・それでしたら、僕の知り合いで一人、紹介できますよ?・・・・・ええ、もちろん話題性も充分です・・・・・あ~それでですね、ちょっとその、いつもと違う趣向でお願いしたいんですよ・・・・実は・・・・・」

 

 

 

 涼子に「ちょっと待っててね」と目配せをして、王島は背を向けながら何やら電話口でひそひそと話していた

 

 

 

 

 

・・・そして

 

 

 

 

 

「っしゃあ!!!」

 

 

 

 

 

「・・ぐすっ・・・・・?」

 

 

 

突然雄叫びを上げる王嶋に、何事かと顔をあげる涼子

 

 

 

「涼子ちゃん、君の優勝祝いと泣かせちゃったお詫びを兼ねて、次の僕の出る試合に招待するよ。来てくれるかい?」

 

 

「・・・え・・・・・・行きます! 絶対見に行きます!!」

 

 

「ありがとう。 でもね、見るだけじゃなくて、投げてみたくない?」

 

 

「・・え?・・・それはどういう・・・・あ、始球式!投げていいんですか?」

 

 

「予定してた子がキャンセルしてね、空きが出来たんだよ。あ、スパイクとグローブはちゃんと持ってきてね。あと、当日は体を作っておいて」

 

 

「一球くらいなら、涼子平気ですよ?」

 

 

 

 

「・・・・その・・・一球じゃないから・・・・・・・誰にも言うなよ?」

 

 

 

 

 

 

「・・・・・・それって・・!」

 

 

 

 

 

 

 

王嶋選手の言葉の意味を知り、涼子の目に、生気が蘇ってくる

 

 

 

 

 

 

「僕が相手だけど・・・・不足ある?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「!?・・・・・・・・・・・いいえ、この不知火涼子・・・全力で投げます!・・・・勝負です!!!」

 

 

 

 

 

《お~お~、小学生の女の子に勝負売られちゃったよ俺・・・・ヤバい・・・何かマジで面白くなってきた》

 

 

 

 

 

「オーケー! それじゃ、日時は追って知らせるから。あ、これ僕のメアドね」

 

 

 

 

「おほう! 王嶋選手のメアドゲットです! ヤバいマジヤバいです涼子感激です!」

 

 

 

「誰にも教えちゃダメだよ?」

 

 

 

「誰にも教えません!大事にします!」

 

 

 

「いや、メアド大事にって・・・(汗)」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、招待試合の当日の朝

 

 

 

 

 

 

涼子は、東京ドームへ訪れていた

 

 

 

 

 

 

「・・・・来てしまいました・・・」

 

 

 

 

 

 

 リトルの決勝は江戸川で戦った。涼子にとって、東京ドームは近くて遠い、憧れの聖地だった

 

 

 

「ここで、王嶋選手を相手に投げられるなんて・・・・最高です! あとは・・・・・」

 

 

 

 

 

「涼子ちゃん、こっちこっち!」

 

 

「あ、王嶋選手!それと吉倉選手も! この度はこのような場に招待していただき、誠に・・・」

 

 

「ぷっ!」

 

 

「あ、あの、何か涼子に落ち度でも?」

 

 

「いや、君はなんというか、まるで武士のようだね」

 

 

「もののふ?」

 

 

「それよりも、早速着替えてからブルペンに行っておいで。始球式は2時間後に始まるから、肩を作っておかないとね。あと、捕手は吉倉が務めるから」

 

 

「・・・吉倉さんが!?・・・・・すごく・・・嬉しいです!!」

 

 

 

 これは本心だった。なにしろ涼子はこれまで全力投球で投げた球を誰にも捕ってもらった経験がなかったからだ

 

 

 

「そんなわけだから今日は宜しく頼むぜ不知火涼子くん!」

 

 

「・・・・はい!宜しくお願いします!」

 

 

 

 

 

 係員に付き添われて控え室へと向かう涼子

 

 

 

「あれが噂の不知火涼子ですか。思っていたよりも体も小さいし華奢な印象ですね。もっとゴリラみたいな子をイメージしてましたよ」

 

 

本人がいないのをいいことに、かなり失礼な事を言うチームの正捕手、吉倉であった

 

 

「だが、投げる球はけっこうかわいくないぜ。俺、今日あの子に打ち取られたらどうしようw」

 

 

「はは・・・まさか。今のアンタはメジャーでもそう簡単に打ち取れる奴はいないんじゃないですかね。流石に小学生じゃ相手にならんでしょ」

 

 

 

 そう嘯く位には、今季の王嶋は絶好調だった。ここまで打率4割を超えるダントツのリーディングヒッターであった

 

 

 

「それよりも吉倉、あの子の事を頼むよ。涼子ちゃんにとって、多分これが最後の野球になるだろうからね」

 

 

「承知しました・・・と、言いたい所ですが、俺、ただ小学生の球を捕るだけですよ?」

 

 

「リトルメジャーではあの子の球を捕れる子がいないんだよ。だから涼子ちゃんは公式戦では一度も本気で投げた事がない。多分色々と隠し持ってるんだと思う」

 

 

 そんな王嶋の話を聞いても、吉倉は正直眉唾だと思っていた。だが、女子であるが故に夢を絶たれた少女の悲哀に同情だけで肩入れするほどモノが見えない男ではない事も知っていた

 

 

 

「わかりました。あの子と相談しながらアンタを打ち取る算段でもしますよ」

 

 

「ありがとう。そうしてくれると助かる」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ブルペンにて

 

 

 

 

 

 

「スパーーーーーーーーン!」

 

 

 

 

 ウォーミングアップもそこそこに、涼子の直球を受けた吉倉は体が熱くなっていくのを感じていた

 

 

《なんていいストレートを放るんだ・・・小学生なのに既にスナップを完璧に使いこなしている》

 

 

 それは一朝一夕で到達できるレベルではない。これまでにどれ程の修練を積み重ねてきたのかを思うと、吉倉は感動すら覚えていた

 

 

《・・・確かに、これは性別を超えている。これ程野球を愛している子は見た事がない》

 

 

 球速も優に130km/hを超えていた。これは大変な事であった

 

 

 

 

「涼子ちゃん、君、身長はいくつ?」

 

 

 

「・・・140です」

 

 

 

「見た感じそれ位だよね・・・という事は、このまま成長してオトナになったら150km/h近い速球が投げられそうだ」

 

 

 

 

 女子の体格で150km/hに肉薄する・・・・それは未だかつて誰も成し得なかった領域である

 

 

 

 

「・・・でも、それを投げる場所が・・・涼子にはありません」

 

 

 

「・・・ごめん・・・・悪い事を言っちゃったかな?」

 

 

 

 浮かれてつい余計な事を言ってしまい、デリケートな問題を抱えてここに来ている子を傷つけてしまった事に気付き吉倉は反省する事しきりだった

 

 

 

「いえ・・・これはどうしようもない事なので、吉倉さんは何も悪くありません。涼子は大丈夫ですので気になさらないで下さい」

 

 

 

 ポーカーフェイスがすっかり板についているここ最近の涼子であるが、珍しく努めて笑顔で吉倉に応える

 

 

 

《これだけのボールを投げられる修練を積んできただけあって、精神面も鍛えられているな・・・たいした子だ》

 

 

 

 吉倉は、口には出さなかったものの涼子の持つ才能に心の中でため息をついていた。もし、この子が男の子に生まれていたら、160km/h台後半に手が届くワールドクラスの投手になっていたに違いなかった。これ程の才能を持ち、そしてそれを余さず使い切るかのような修練を積み重ねてきたであろうこの少女の努力が報われないという現実・・・・

 

 

 

 

 無言になる吉倉を案じたのか、涼子は努めて明るくこう切り出す

 

 

 

 

「悪い事ばかりではありません。吉倉さんのおかげで、涼子の夢が一つ叶いました」

 

 

「夢って、王嶋さんとの勝負の事かい?」

 

 

「はい。涼子は、いつプロと対戦してもいいように修練を積んできました。備えていてよかったです」

 

 

 

 

 

 

「・・・え?」

 

 

 

 

 

 

 

《・・・備えていた・・・・だって!?》

 

 

 

 この涼子の発言は流石の吉倉にも想定外であった

 

 

 

 

「備えていたって・・・具体的にどういうこと?」

 

 

 

 

 吉倉はこの少女が自分の想像を大きく超える怪物のような気がし始めていた。だからこの子の正体が無性に知りたくなっていた

 

 

 

 

「・・・今の涼子はまだ子供ですから、あまり速い球は投げられません。ストレートではプロとは勝負にならないので今の段階では涼子は変化球投手であるべきかなと思いまして」

 

 

「・・・それで変化球を?」

 

 

「はい。カットボールにスライダーと・・・・あと、ジャイロの投げ分けとか」

 

 

 

 

 

・・・吉倉は、言葉を失っていた

 

 

 

 

 この子、不知火涼子は成長の途上にありながら、今現在のレベルでいつでもプロと勝負が出来るよう最善の臨戦態勢をとり続けていたというのである

 

 

 

 

「・・・どうして、そんな事を考えたんだい?普通は小学生がプロと対決するなんて機会は訪れないと考えるよね?第一、勝負にならない!」

 

 

 

 

 

 

「・・・でも、機会は訪れました。勝負にならないかどうかは、やってみないとわかりませんので」

 

 

 

 

 

 訪れる可能性が限りなくないに等しいプロとの対戦のためにここまでするのか・・・・・吉倉は涼子のあまりにもストイックな生き方に言葉もなかった

 

 

 

 不知火涼子は本物のプロ・・・・というよりも【サムライ】の類いであろう・・・

 

 

 

 

 

 

 

「・・・変化球まで投げるんなら、サインもしっかり合わせておかないとね。どうやって王嶋さんを打ち取るか作戦を立てようか!」

 

 

 

「!?・・・・・・・はいっ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そしていよいよスタジアムに始球式開始のアナウンスが流れる

 

 

 

【当初の予定より5分前倒しで始球式を開始する事をお伝えいたします】

 

 

 

【本日の始球式を務めますのは、小学六年生の女の子、不知火涼子ちゃんです!】

 

 

 

アナウンスに誘われ、涼子はマウンドへ向かう

 

 

 

「これが・・・・プロのマウンド・・・・夢のようです」

 

 

 

マウンドを慣らし、プレートの掛かり具合をチェックする

 

 

 

「ナイターなんて初めてです・・・プロみたいでカッコいい・・・これはヤバいです」

 

 

 

 

感無量の涼子であった

 

 

 

 

 

【不知火涼子ちゃんは本年度の全日本リトルリーグ野球選手権大会の優勝投手でもあります】

 

 

 

「あれ? グラーチェじゃないの?」

 

 

「へぇ、リトルの女の子か!」

 

 

「あぁ、あの子か! 知ってる知ってる! 結構速い球投げるんだよ」

 

 

 

スタンドに涼子の活躍を知っている人がいるのか、まばらにざわめきが起こる

 

 

 

 

 

【そして対しますはこの人、ミスターゴッドフェニックスこと、王嶋選手です】

 

 

 

【実は、本日の始球式は特別な趣向を凝らしてあります。その趣向の行方は、本日の球審を務めます白川審判員に委ねられています】

 

 

 

 

この、謎のアナウンスに観客が騒めく

 

 

 

「特別な趣向ってなんだ? もったいぶってないで教えろ!」

 

 

「あの堅物の白川に委ねてるって?」

 

 

「まさか一球勝負とか?・・・・ねーなそれは」

 

 

 

 

 

 

 

 局側も、王嶋が連れてきた代役に、正直あまり期待していなかったのだが、じわじわとスタンドが盛り上がっている様子を見て、ホッと胸を撫で下ろしていた

 

 

 スタンドのそこかしこで、《不知火涼子》は130km/h代の速球を投げるらしいと騒ぎ始めていたからである

 

 

 

 もっとも、涼子は今まで人前でそのような速球を披露した事はない。これは王嶋がサクラを使って流した噂であった

 

 

 

 

 近年の始球式は、格式の高いメジャーリーグとは違い、芸能人の売り込み目的の起用がすっかり定着して久しい

 

 当初の予定では、スポンサーの王子食品のイメージキャラを担当していた天然タレントのグラーチェが始球式を務める予定だったのだが、直前になってドタキャンされてその穴埋めに涼子が入る形となっていた

 

 

 王嶋は、昨今の始球式の風潮をあまり快く思っていなかった。真剣勝負の場で、まともにキャッチャーに球が届かない人や、平気で遅延行為に及ぶ者さえいた。トップバッターを務める彼にしてみれば、一気にテンションが下がる人選は迷惑でしかなかった

 

 

 

 どうせ何でもありの始球式なら、両陣営にとって『さあ、やるぞ』という気持ちになれるような、気合の入るものにして欲しいと思っていた

 

 そこで提案したのが、自分とリトルリーグ優勝投手である不知火涼子との真剣勝負であった

 

 殆ど思いつきであったが、結果いかんにかかわらず、涼子にこの大役を務められるだけの器があると王嶋は思っていた

 

 

 

 

 

 この日を迎えるに当たり、王嶋は涼子との真剣勝負という趣向の始球式を行う旨、スポンサーや局、オーナーにも根回しをして、両軍ベンチにも通達済み、その真意も伝え、開始時間も前倒しで調整してもらっていた

 

 ただ、球審の白川審判員が「小学生を相手に打ち返すのは危険」と、首を縦に振らなかった。第一、小学生女子との真剣勝負など論外と、この趣向に難色を示していた

 

 

 

そこで王嶋は、こう切り出した

 

 

 

「最初の一球を見て、白川さんがダメだと思うならそこで止めて下さい。でも、プロと対峙するに相応しい球を投げると感じたら、やらせてあげてもらえませんか?」

 

 

 

「・・・どうして王嶋さんは、その子供にそこまで肩入れするんですか?」

 

 

「あの子は、性別を超えた稀にみる逸材なんですよ。でも、女子に生まれたばかりに、あの子が本気で野球をやれる場所がもうないんです。あの子に、悔いを残させたくない・・・ただそれだけです」

 

 

「プロなら、女子にもあるじゃないですか。それじゃダメなんですか?」

 

 

「・・・あの子は今の時点で女子プロを凌駕していますよ。相手としては、不足です」

 

 

「・・・ふむ・・・そこまでですか・・・・・」

 

 

 

白川は、王嶋の真剣な訴えに何か感じるところがあったらしく、

 

 

 

「わかりました・・・一球、様子を見ましょう。ダメならすぐに止めますが、いいですね?」

 

 

 

「ええ、それでお願いします」

 

 

 

 

 

 

 

 

そして・・・

 

 

 

 

【それでは、お願いいたします!・・・・・・・えっ?】

 

 

 

アナウンスが何やら驚いている様子

 

 

 

【おっと、これは王嶋選手・・・・バッターボックスに入らずに素振りをしています】

 

 

 

 

 

それだけではなかった

 

 

 

涼子が、ワインドアップで振りかぶり、投球練習を始めようとしていた

 

 

 

 

「な、何だ? 小学生が始球式で投球練習かよ?」

 

 

「いや、それ以前に王嶋・・・あれって打つ気なんじゃ・・・・」

 

 

「・・ていうか、おい・・・」

 

 

 

 

 

 

「スパーーーーーーーーーーーーン!!」

 

 

 

 

 

「・・・結構、速いぞ!?」

 

 

「小学生・・・だよな?・・・・しかも女の子って・・・」

 

 

 

 

 

 

 

「マウンドの感触はわかりました・・・・涼子は何時でも行けます」

 

 

 

 

 

 スタンドの喧噪を余所に、キャッチャーの吉倉は涼しい顔をして涼子の球を受けていた。王嶋からの要請を受け、先程ブルペンで涼子の球を受けながらサインの確認をしていたのだが、涼子の本当の実力を知り、彼はもうすっかり彼女に入れ込んでいた

 

 

《マウンドからの方が球が生きているな・・・・・それにしても・・・・》

 

 

 

 

 マウンド上の涼子の眼光は正に【狩るモノ】のそれであった。生まれて初めての真剣勝負を前にして、涼子の体を流れる【艦娘・不知火】の血が目覚めようとしていた

 

 

 

 

《・・・なんて目をしてるんだ・・・とてもじゃないが子供に出せる殺気じゃない・・・》

 

 

 

 

 

 

【ど、どうやら準備が出来たようです。それでは改めてお願いいたします!】

 

 

 

 アナウンサーの声に合わせ、王嶋がバッターボックスに入る。足場を確かめ、いつものルーティーンでバットを前方に振り出し、そして構える

 

 

 

「お、おい、王嶋の奴、すげえ気合入ってるじゃねえか!」

 

 

「本気で打つ気かよ・・・・・お、おい、アレ・・!」

 

 

 

 

「プレイボール!」

 

 

 

白川球審の掛け声で始球式が始まった

 

 

 

 

 

ブルペンでの打ち合わせで覚えたサインを確認し、キャッチャーへ送る

 

 

 

《初球は外角低め・・・ボール一個分内に入るコースからベースぎりぎりをかすめる球で・・・》

 

 

 

 

 

 

 

「・・・サイン・・・出してるよあの小学生・・・」

 

 

「てか、始球式でプレイボールってなんだよ?」

 

 

「まじか・・・・何だかわからないけどよ・・・」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「面白くなってきた! 二人ともやれやれ~っ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 涼子はワインドアップで大きく振りかぶる・・・そして、リトルでは見せた事のないフォームで左足を大きく上げ、上体を大きく捻ったかと思うと、一気にその腕が振り下ろされる

 

 

 

「体が小さいのにフォームが大きいっ!」

 

 

 

右肩が左膝につかんばかりの豪快なフォームで、アウトロー一杯にストレートが走る

 

 

 

 

 

《・・・いい球だ!・・・だがこれは真剣勝負・・!!》

 

 

 

王嶋はバットを合わせに行く・・・だが、ボールは手元で大きく伸びる

 

 

 

《なっ!?・・・ヤバい!差し込まれるッ!》

 

 

 

カットしてファウルに逃れようとするが、ボールは落ちながら外へ逃げ、バットは空を切る

 

 

 

 

 

 

「パーーーーーーーーン!」

 

 

 

「ストライーーーーーーク!!」

 

 

 

 

 

ボールはベースを掠め、キャッチャーのミットに収まる

 

 

 

【アウトコースいっぱいにベースを掠める絶妙のコントロール、しかも・・・・・速い! 速いです! とても小学生とは思えない球威です!】

 

 

【スピードもそうですが、落ちながら外に曲がりましたね。カットボールのようですが、それにしても球威がありましたね。王嶋選手、差し込まれてタイミングを完全にそらされましたね】

 

 

そして、電光掲示板に【128㎞】の表示が点灯する

 

 

 

 

「おおぉ~~~~~~~っ!!!

 

 

 

 

スタンドが騒めく

 

 

 

【な、なんと、128㎞/h が出ましたっ! 小学生でこの球速は驚きです! 素晴らしいものを見せて貰いました。皆さま、盛大な拍手を・・・・・・おやっ?・・・これは・・・・】

 

 

 

 

王嶋は、一度バッターボックスを外し、軽く素振りをして再びボックスに入る

 

 

キャッチャーは立ち上がり

 

 

「お嬢ちゃん、ナイスボール! 球は走ってるよ!」

 

 

 そう言いながら涼子に返球すると腰を落としミットを構えた・・・・が、何やら主審と王島選手の様子がおかしい

 

 

 

 

 

《・・・?・・・主審と王嶋選手が何か話してますね・・・?》

 

 

 

 

 

 

「・・・王嶋さん、初球は様子見だって言ったじゃないですか」

 

 

 幾分避難めいた口調で白川主審は王嶋に言い放つ

 

 

「すみません、いい球が来たものでつい・・・」

 

 

「いい球ねぇ・・・でも、空振りしましたよね」

 

 

「ぐ、確かに(汗)・・・・で、どうですかあの子は?」

 

 

 

「・・・・さあて、どうしましょうかねぇ・・・・」

 

 

 

 思わせぶりな口調でそう言うと、白川球審はそのままスロットポジションに入り、腰を落とす

 

 

 

 

「プレイ!」

 

 

 

 

【何と、白川球審、プレイ再開です! まさかの続投!? 白川主審に委ねられた趣向とはこの事だったのでしょうか?】

 

 

 

 

「な、なんだこの始球式?」

 

 

「始球式じゃねえ! 勝負するぞあいつら!」

 

 

「いいぞ! やれやれ~っ!!」

 

 

 

 

【まさかの勝負! 王嶋選手、小学生女子との勝負に挑みます!】

 

 

 

 

「その言い方、やめてくれないかな~、人聞きの悪い」

 

 

 

そういいながら、王嶋はほくそ笑む

 

 

 

 

《白川さん、涼子ちゃんに当てられちゃったな・・・まぁ無理もないか、今の球を見てしまったらなぁ・・・》

 

 

 

 

そして涼子は、再びサインを送る

 

 

 

 

《今よりボール一個半内側から、今のと同じボールになる球・・・但し今度はフォーシームで・・・》

 

 

 

 

《徹底したアウトコース攻めか・・・・しかもまたボール球・・・この子本当に小学生なのか?》

 

 

 

しかし、狙いはわかる。それでもこの王嶋を打ち取るのは容易ではない

 

 

 

《あのカットボールはやっかいだが、タイミングは掴んだ!次も来たら打つ!》

 

 

 

 

そして第二球

 

 

 

再びアウトコース、先程よりややボールが浮いて、内側に入っていた

 

 

 

《甘く入って来たな・・・・貰った!》

 

 

 

バットを振り下ろし、ボールを捉えたかに見えた・・・・が先程よりボールが来ない

 

 

 

《タイミングを外された?・・・スライダー!!・・・やばい・・・・このまま振ったらショートゴロだ・・・」

 

 

 

「キーーーン!」

 

 

 

王嶋はスライダーを辛うじてカット、ボールはそのままファウルラインの外に落ちる

 

 

 

 

「ファウル!」

 

 

 

 

「ふひぃ~、あぶねぇ~!!」

 

 

 

 

 

【驚きました! カウントはツーナッシング! 何と王嶋選手、小学生女子に追い込まれました!!】

 

 

 

 

 

「だからそういう言い方やめて~」

 

 

 

 

 

【驚きました。不知火涼子ちゃん、ここまで完璧なピッチングです。ゴッドフェニックスのリーディングヒッター、王嶋選手相手に堂々たるピッチングです。解説の古田川さん、ここまでの涼子ちゃんのピッチングはいかがでしょうか?】

 

 

 

【そうですね、初球のカットボールですが、伸びのある素晴らしい球でした。配球次第ではプロでも十分通用しそうです。あと、二球目のスライダーもですが、制球力が素晴らしいですね。ここまでの配球も上手くはまっています】

 

 

 

【この後の展開はどうみますか?】

 

 

 

【私としてはこの勝負、配球に関して事前には言及しません。二人の対決がどうなっていくのか、私も一人の観戦者として見てみたいですね】

 

 

 

【そうですね、二球続けてのアウトコース攻めに加え、二球目はスライダーで抜いて来てますから、狙いはインコースなんでしょうが、相手が王嶋ですからね。追い込んでますし、一球抜いて外してくるのも手ですね】

 

 

 

 

 

 

《ここまでは予想以上にうまくいっています・・・・カウントもリードしてますし、ここは打ち気を削ぐとします》

 

 

 

《・・・一球外すか・・・・まるでプロだなこの子は・・・・》

 

 

 

 

第三球

 

 

 

 

抜いた球でアウトコースに大きく外す。これでカウントはツーエンドワン

 

 

 

 

そして、

 

 

 

 

 

 

 

 

《ここが勝負所です・・・・狙いはインハイ・・・・》

 

 

 

 

涼子はキャッチャーにサインを送る

 

 

 

 

《インコース高め、ボール一個分ベース寄りへの・・・・・・・・・・・・》

 

 

 

 

そのサインを見て、キャッチャーがうなづく

 

 

 

 

《・・・やはり・・・・・そうくるか・・・・・》

 

 

 

 

 

 

 

《・・・・・・空気が・・・・変わったな・・・》

 

 

 

 

勝負所を感じ取る王嶋

 

 

 

 

《外の球筋は掴んだ・・・・当然涼子ちゃんの狙いは・・・・》

 

 

 

 

 

 

 

第四球

 

 

 

 初球の時と比べ、一見フォームは変わらない・・・・そしてリリースの瞬間、人差し指の脇でボールを押すように抜く・・・・それも・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

インコース高め、それは初球と球速は変わらない

 

 

 

 

《速い・・・が、プロとしては遅い球だ》

 

 

 

王嶋はインハイのストレートにバットを合わせる・・・だが

 

 

 

《な・・・に・・・思ったより伸びがある・・・差し込まれる・・・なっ!?」

 

 

 

 涼子の放ったその球は、手元で大きく伸びる・・・と同時にベースを掠めるように内側に切り込みながら落ちてきた

 

 

 

《やばいっ! カットするんだっ!》

 

 

 

王嶋は、体勢を崩しながら強引にカットを試みる・・・・が

 

 

 

「ブウン!」

 

 

 

バットは空を切り、ボールはミットに収まるかに見えた・・・・

 

 

 

「カッ!」

 

 

 

ボールはベース付近でワンバウンドしバックネットに飛んでいく

 

 

 

 

 

「ファウル!」

 

 

 

 

「やっ、やばかったぁ~!」

 

 

 

と、同時に大歓声が上がる

 

 

 

「すげぇーーーーーーーーーーーっ! 何だ今の球ぁ!」

 

 

「王嶋、完全に打ち取られてんじゃねーか! しっかりしろぉー!」

 

 

 

 

 

《・・・・・僅かにかすっていましたか・・・・・流石は王嶋選手です・・・・》

 

 

 

 

【おーーーーどろきましたぁ! 聞いてください、この大歓声を! 王嶋選手を、あわや三振に打ち取る所でした。すごい小学生女子がいたものです! 古田川さん、今の球なんですが?】

 

 

【・・・・・・・・】

 

 

【古田川さん!?】

 

 

【あ、ああ、失礼。いや、驚きました。今の不知火選手が投げた球は、ツーシームジャイロです】

 

 

【ジャイロボール!? 小学生がジャイロボールを!?】

 

 

【いや、ま、難しい事は難しいですが、練習すれば、ジャイロ自体は小学生でも投げられるようになりますよ。むしろスナップの効いたストレートよりも小学生にはハードルが低いと言えます。それよりも注目すべきは、回転軸を意識してコントロールするのはとても難しいんですよ】

 

 

【それって、どういう事なんでしょうか?】

 

 

【ツーシームジャイロは、落差は小さいものの手元で伸びるから差し込まれやすいんですよ。涼子選手のジャイロは、更に回転軸を前方に傾けています。こうすると、内側にボールが入ってくるのでとらえるのが非常に難しくなります・・・ですが・・・】

 

 

【何か気になる事でも?】

 

 

【回転軸を前方に傾けての投球は非常に難しいんですよ。元々ジャイロは球速を出しにくい球種ですから尚更投げられる投手は限られています。それだけに見慣れない球質になるので初見での対応が難しい。それと・・・・」

 

 

【・・・?】

 

 

【今にして思えば、初球、二球目ともに球速の割には手元での伸びが非常に大きかった。多分あれもジャイロボールだったのかも知れません】

 

 

【いずれも外へ曲がる球でしたよね?】

 

 

【右投げなら回転軸を上向きにすれば左に変化するので。比較的投げやすい事もあり、メジャーでもよく見かける球種です。終速を重視するならツーシーム、落差を重視するならフォーシームで投げ分けるだけでチェンジアップとしても使えますし、同じ球種でタイミングを外す事が可能なので、かなり実戦的ですね】

 

 

【なるほど。という事はこの決め球を使うための、これまでの配球だったんですね。それにしてもこの球をカットして三振を凌いだ王嶋選手、流石ですね】

 

 

 

「な~にが流石だ! 小学生相手にいい勝負してんじゃねぇぞ!」

 

 

 

 

 

「いや、ごもっともです」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「今ので打ち取れれば・・・それはそれで良かったのですが・・・・・これがプロというものですか・・・・」

 

 

 

 そう言いながらも涼子にはまだ一段余裕があった。これまでの配球は王嶋を幻惑させるための下準備でもあった。本当の本命の決め球はまだ投げていなかった

 

 

 

 

 そして涼子は五球目のサインを送る。吉倉は予定通りのサインに静かに頷いた

 

 

 

《・・・まったく・・・大した嬢ちゃんだ!本当に王嶋さんを打ち取れそうな気がしてきたぜ》

 

 

 

 涼子の本当の凄さはジャイロボールを投げ分ける事ではない。優れた配球センスとそれを支える制球力も含め、絶対に投球ミスをしない不動のメンタルと完璧な肉体のコントロールにあった

 

 ほぼ全力に近いピッチングをするプロの投手にとって、僅かなコンディションやメンタルの乱れによる投球ミスはどうしても存在する。粘ってミスを誘うのもプロの戦い方の一つでもある

 

 それだけに、涼子が投げた二球目は甘く入ってきた失投のように王嶋には見えていた。単にタイミングが外されたので打てなかったと思わされていたのだが、アレは失投ではなく狙って投げた球種でありコースだったのである。要するにアレも並みの投手の制球力に見せかけるための罠であった

 

 そして先程投げたインコースに食い込むジャイロを敢えて見せた事で、王嶋には左右に変化しながら落ちるジャイロボールの球筋がインプットされていた。そして二球続けて同じコスへ同じ球種に見せかけてタイミングを外すという投球も刷り込んでいた

 

 当然の事ながら、王嶋はこれが罠の可能性も考えていた。ストレートジャイロをここで投げてくる事も想定していたのだが、同時にここまで粘った事で失投もあり得ると見ていた

 

 

 

 

 だが、この後涼子が投じる球種は、王嶋の想定を少しだけ超えていた。極限の勝負において、この【少し】の違いが明暗を分ける事を涼子はよくわかっていた

 

 

 

 

 

 

そしていよいよ第五球

 

 

 

 

 先程と全く同じフォームから今までよりも速い初速でフォーシームジャイロが放たれる。これまでにない、柔らかくしなやかでキレのある鋭いリリースである

 

 

 ただ、手首がほんの少しだけ開いていたのだが、高速で振り下ろされる手首や指の僅かな動きの違いを肉眼では捉えられる人間は殆どいない

 

 

 

 涼子のジャイロの変化は、実際に球が目の前に来るまではわからない。打つにはヤマを張るか、配球を完全に読むしかない。涼子が小学生である事を差し引いても、それを悉くカットする王島は尋常な打者ではなかった

 

 

 

 

 ボールは先程と同じコースに、そしてやや甘く浮いた球が来ていた

 

 

 

 

 そして王嶋は、これまで涼子の投げる球に対応できていない事に焦りを感じていた。なので涼子の死角になるようにバットを引いて構え、瞬時に短く持ち直していた。その瞬間を吉倉は目撃していた

 

 

 

 

《・・・あの王嶋さんがプライドをかなぐり捨てて当てにきてる・・・》

 

 

 

 

 左右に落ちるジャイロの軌道に慣らされた王嶋であったが、それが今までの球とは違うとすぐに気付く

 

 

 

 

《・・・・ズバリ!ストレートジャイロだ!!》

 

 

 

 ストレートジャイロは、言わば回転するフォークボールのようなもので、揚力の影響を受けずに重力のままに自然落下しながら外に逃げる球である。バックスピンにより揚力を発生させるストレートとは似て非なるものだ

 

 王嶋はこの球が決め球だと見抜き、終速重視のツーシームストレートジャイロだと決めつけた。初速の速さが、王嶋の判断を微妙に狂わせていた

 

 

 

《・・・落差はおそらくボール3個半・・・》

 

 

 

 王嶋はタイミングを合わせてバットを振り出す。だが想定よりも僅かにボールが来ない。フォーシームで投じたため、終速が思ったより伸びない

 

 

《くそっ!フォーシームか!!バットが止まらないっ!!!》

 

 

 体を開いて強引にタイミングを遅らせる・・・が、ボールが落ちない

 

 

《・・・なっ!?》

 

 

 明らかにバットの上の軌道を描くその球は、ストレートよりも伸びがあり、ストレートジャイロよりも落ちない。タイミングと軌道を外された王嶋はそのままバットが空を切ると思われた・・・・が

 

 

 

「キィーーーーーーーン!!」

 

 

 

 バットを短く持っていた王嶋は強引にボールの下を叩く。ボールは真上に高く上がり、三塁側ベンチすれすれのきわどいところへ落ちてくる。吉倉はマスクを取り、すかさず捕球へと走るが、高く掲げたミットも空しくボールはスタンドで大きく跳ね上がる

 

 

 

 

「ファウル!」

 

 

 

 

 白川主審のファウルのコールと共に大歓声が上がる

 

 

 

「うぉぉぉぉぉぉぉぉーーーーーーーっ!!すげぇーーーー!!!」

 

 

「マジかよ・・・あの王嶋が小学女子に追い込まれてるぜ」

 

 

 

 

【お聞きくださいこの大歓声を!王嶋選手が不知火投手にこれ程翻弄されるとは誰が予想できたでしょうか!?」

 

 

【王嶋選手は不知火投手にまんまと騙されましたね。今の球はストレートに近い球種でしたがまぎれもなくジャイロボールです。それも回転軸を右に向けて揚力を発生させていましたから、予想より落差が少なかったためボールの下を叩いたんでしょうね】

 

 

【正に変幻自在!生粋のジャイロボーラー不知火選手!!】

 

 

【こんな事を言っては何ですが、バットを短く持ってまで打ち取られずに凌いだ王嶋選手を褒めるべきでしょうね。それ程までにこの配球は見事に彼の裏をかいてます】

 

 

 

 

 

「やれやれ、情けないこった(汗)ちっとも褒められた気がしないね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「・・・配球・・・ですか・・・・」

 

 

 

涼子はぽつりと呟く

 

 

 

《王嶋選手のバットが空を切ったのは初見の一球のみ・・・以降はことごとく当てられています・・・・それは裏を返せば僅かな配球ミスでもスタンドへ持って行かれるという事です・・・つまり・・・》

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「・・・今の涼子では王嶋選手を打ち取る事は出来ません・・・・」

 

 

 

 

 

 バックスタンドの電光掲示板の上の時計の時刻を見る。既に始球式開始時から7分が経過していた。たかだか始球式でこれ以上大好きなプロ野球の試合を遅らせるわけにはいかないと涼子は思っていた

 

 

 

「・・・・・・・・・ふぅ・・・」

 

 

 

涼子はふぅとため息をついたかと思うと、こう呟いた

 

 

 

 

 

 

「・・・やっぱり・・・涼子はプロには向いていません・・・・」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

涼子は、第六球めのサインを送る

 

 

 

 

 

 

《・・・・・嬢ちゃん・・・それは・・・・・・・そうか・・・・・そりゃあそうだ・・》

 

 

 

 

吉倉は静かにマスクを被り、ど真ん中にミットを構える

 

 

 

 

 

 

涼子の出したサインは・・・・ど真ん中のストレートだった

 

 

 

 

 

 

あの日以来封印していた全力投球のストレート・・・・

 

 

 

 

《・・・約束を破ってごめんなさいお父さん・・・これで・・・最後だから・・・》

 

 

 

 

 涼子はワインドアップでゆっくりと大きく振りかぶる・・・そして、今までに一度しか見せた事のない大きなフォームで左足を大きく上げ、腰、上体が大きく捻られる。右肩は限界まで大きく外側に引かれ、ドームを見上げんばかりに上体をのけぞらし、その背中が真正面を向いていた

 

 

 

 左肩を引き、上半身が高速旋回を始める。左脇を締め、旋回運動が縦回転に変わる・・・十分に球に力を乗せ、リリースの直前、プレートの蹴り出しから腰、上体の振り下ろし、腕、肘、手首を見事に連動させる

 

 

 

 

そして、リリースの瞬間、指先でボールを鋭く押し出す

 

 

 

 

 

 

 その豪快なフォームから繰り出されるストレートは、キャッチャーミットめがけ、ど真ん中に放られた

 

 

 

 

 そしてその瞬間、涼子の右腕の筋繊維がミチミチと音を立てずに断裂する・・・

 

 

 

 

 

「・・・ぐっ!?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「キーーーーーーーーーーーーン!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

王嶋のバットは、涼子の渾身のストレートを捉え、ボールをバックスクリーンへと運ぶ

 

 

 

 

 

【こーーーーれはいったぁーーーーー! バックスクリーン直撃の、ホームランっ! 勝負の軍配は、王嶋選手に上がりましたっ!】

 

 

【いやぁ、こんなに緊張感のある始球式は初めてですね。この場に居合わせた事を感謝します。素晴らしい戦いでした】

 

 

 

「王嶋~~~っ! 大人げないぞーーー!」

 

 

「小学生相手に何ムキになってんだぁ!」

 

 

「ちったあ相手に花持たせろ!」

 

 

 

 

「なんか僕、超ワルモノ扱いなんですけど」

 

 

「自業自得じゃないですか?」

 

 

いつもは強面の白川主審が、珍しく顔をほころばせていた

 

 

「そりゃあないよ、白川さん」

 

 

 

そして、スタンドが再び騒めく

 

 

 

「お、おい・・・・今の球・・・」

 

 

 

 

電光掲示板に【139m/h】の表示があった

 

 

 

「まじか・・・信じられない・・」

 

 

「本当に小学生かよ・・・・」

 

 

 

 

 

 

 

 139km/hの速球・・・・身長140cmの涼子がもし平均的なプロ選手と同様の体格だったとしたら・・・・涼子が王島に投げた最後のストレートは・・・・170km/h台後半の未知の領域に突入していた事になる・・・

 

 

 

 

 

 だが実際には涼子は小学6年生の女子に過ぎず、投げたストレートの現実はプロではありふれた130km/h台後半に過ぎない・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 涼子は右手で帽子を取ろうとするが、腕が上がらなくなっている事に気付き、左手で帽子を取りスタンドの観客や両軍ベンチ、主審や王嶋たちに頭を下げた

 

 

そして、静かに立ち去ろうとする・・・と

 

 

 

 

「ちょっと待った! その子をそのまま返す気か?」

 

 

「そうだ、ヒーローインタビューがまだだ!」

 

 

 

 

【お客様、静粛に願います。時間が押していますので、このままゴッドフェニックス対ナインレンジャーズの20回戦を行います】

 

 

 

「ふざけんな! インタビューしろ!」

 

 

 

 

 

 不知火涼子の、あまりにも衝撃的な戦いぶりに、スタンドの観客も、テレビを見ていた視聴者も、一斉にインタビューコールをした

 

 

 

 

 

そして

 

 

 

 

【え~、お客様に申し上げます。スポンサーのご厚意により、2分間だけ試合開始時間を遅らせてお送りします。それでは、不知火涼子選手、こちらへお願いします】

 

 

 

あまりの超展開に呆然としていた涼子だったが、すぐに我に返り、インタビューに応じた

 

 

 

【不知火選手、見事なピッチングでしたね。残念ながら、最後は王嶋選手に打たれてしまいましたが、それまでのピッチングは完璧でした】

 

 

「あの、涼子は打たれたので、ヒーローインタビューは王嶋選手の方なのでは?」

 

 

【いいえ、誰が何といっても、この対決のヒーローは不知火選手、あなたです】

 

 

「・・・・ありがとうございます」

 

 

【最後の一球は、小学生とは思えない素晴らしいスピードボールでしたね。それとあのジャイロボールは圧巻でした】

 

 

「でも、プロでは通用しませんでした。それでも本気で野球ができて、本当に嬉しかったです。このような機会を与えて下さり、感謝の念に堪えません」

 

 

【今後はどのような予定ですか? 女子プロを目指すとか? あのスピードボールなら、今すぐでも通用しそうですが】

 

 

「涼子は、プロに向いていません。最後の一球・・・・あの時涼子はどうしてもど真ん中に直球を力いっぱい投げたくなってしまいました・・・・それに・・・」

 

 

「・・・・野球は、今日で終わりです。涼子が本気で野球をやれたのは、今日が初めてで、そして最後です。女子ではプロ選手になれないので」

 

 

【それは・・・なんとも勿体ない話ですね・・・・それでは、最後に何か一言お願いします】

 

 

「涼子をここに連れてきてくれて、そして本気で相手をしてくれた王嶋選手に、心から感謝します」

 

 

 

【ありがとうございました。皆さま、盛大な拍手をお送り下さい】

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

涼子は・・・・・この試合を最後に、今度こそ永久に・・・・・野球をやめた

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

翌年の春

 

 

 

 

 

涼子は、中学生になっていた

 

 

 

 

 

振り返れば、小学校時代の大半を野球ばかりして過ごしていた

 

 

 当時の自分が思っていた以上に、自分の持てる時間や努力を注ぎ込んでいたのだと、今ならわかる

 

 

 

 

 

 おかげで、涼子の学業の方は惨憺たる有様であった

 

 

 

 

「・・・中学が義務教育で助かりました・・・・」

 

 

 

 

小学校卒業の折、涼子は初めて通知表なるものに目を通した

 

 

 それまでは学業に全く興味がなかったため、通知表をもらっても、そのまま父に渡すだけで、一度たりとも見た事がなかった

 

 

 

 

 

「・・・・・・・・・・・・・・・」

 

 

 

 

 

体育以外は、きれいに1が並んでいた

 

 

 

「・・・・普通、《1》は付けないと聞いていたのですが・・・・・」

 

 

 

自分の成績が、想像以上にヤバい事に気付いた涼子であった

 

 

 

 

 

 

 

 

涼子は、未だ野球に代わって夢中になれる《何か》を見つけられずにいた

 

 

 

 

野球への思いは、涼子の中で《完全終了》していた

 

 

 

未練はもうなかった

 

 

 

 

 

 

 

 ただ、野球を通して垣間見た、自らの内に潜む《何か》を、そのままにしてはおけないと、漠然とそう思っていた

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それはそうと

 

 

 

 

 

 

 

「・・・少し、学業の方も何とかしましょう・・・・」

 

 

 

 

 小学生の頃は、勉強もせず野球ばかりしていた涼子を、父はお小言一つ言わず見守ってくれていた

 

 

 涼子がやりたい事を、いつも応援してくれていた

 

 

 

野球から身を引いた今、いつまでも父に心配を掛けるわけにもいかない・・・・

 

 

 

少なくとも、本当にやりたい《何か》を見つけるまでは、学生の本分を全うしよう

 

 

 

 

そう、思っていた

 

 

 

 

 

 

 

 

入学早々、涼子は学校側に問題児と認識されていた

 

 

 今時珍しい、アビリティ・・・オール《1》の持ち主だったのだから、無理からぬ事ではあった

 

 

 

 

 小学校時代は、授業中は寝てるか机の下でハンドグリップを握るか野球の本を見るかのいずれかだった涼子の内申は、控えめに言って最悪だった。そんな涼子が今、生まれて初めて学業に本腰を入れて向き合おうとしていた

 

 

 

 

 

 それに、もともと涼子は地頭が良かった

 

 

 

ただ、今まではそれを野球に全振りしていただけだった

 

 

 

 そのベクトルを、今度は学業へと180度回頭し、持てる能力を全て投入しようとしていたのである

 

 

 授業態度は極めて真面目だった。授業には真摯に耳を傾け、キチンとノートを取り、復習も余念がなかった

 

わからない事があれば、余さず質問し、わからないままには決してしておかなかった

 

 その過程で、数学の基礎学力が決定的に不足している事に気付いた涼子は、自ら進んで補習を申し出た。はっきり言って、小学校の算数からのやり直しだった

 

 それでも、微塵も恥ずかしがる事なく、涼子は必死に学び続けた

 

 

 

 その結果、一年目の最初の中間テストを終えた後、学校側の涼子への認識は覆される事となった

 

 

体育は相変わらずの《5》のままであったが、それ以外の教科は全て《3》だった

 

 

学校側、特に涼子の補習や授業態度を見て知っていた教師達からは、

 

 

「よくここまで頑張ったね」と褒め称えられた

 

 

 

涼子は、学業で褒められたのは、生まれて初めてだった

 

 

 

ある程度の基礎学力を学んだ涼子は、その後も学業に勤しみ続けた

 

 

学期末テストでは、驚くべき事に学年で20位以内に入った

 

 

二学期末テストでは10位以内に・・・そして学年末テストでは・・・

 

 

驚くべき事に、涼子は学年トップに躍り出ていた

 

 

しかも全教科満点のカンストのおまけ付きであった

 

 

 

 

 

教師たちは、開いた口が塞がらなかった

 

 

 

 入学当時は、学業では断トツの最下位だった涼子が、たった一年で同学年の生徒を全員まくって主席に躍り出たのであるから

 

 

だが、涼子自身は全く別の印象を受けていた

 

 

 

「学業と言うのは、最初は時間がかかりますが、続けていくと、案外面白いものですね。それに、野球よりはずっと簡単です」

 

 

 

 そう言い切る涼子は、自分が尋常ではない事を成し遂げたという自覚がなかった

 

 

 

 野球の時と同様、やるべき事を淡々と突き詰め探求していくという生き方は、涼子にとってはもはや普通の事であった

 

 

 

 

 

 そう・・・涼子が持つ能力は、掛け値なしの《人》としての能力の範疇であった。特別な事は何もない・・・それだけに、末恐ろしいと言えた

 

 

 

 

 

 

 

涼子は、自覚こそなかったが、この力を持て余していた

 

 

何をしても、しっくり来なかった

 

 

 

 

 

 

ずっと以前から抱いているこの感覚・・・・違和感・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

涼子の迷走はまだまだ終わりそうになかった

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ぬい 02 覚醒 に続く

 

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