不知火の背中を撃つという暴挙に及んだ那智であったが
社会的な影響の大きさを恐れた大本営は対外的にはこの事実を公表せず不問とした
だがその裏では【演習による合法的な制裁】が進行中であった
その一番手に指名されたのは、那智に懐いていた妙高型の末妹の羽黒
だが羽黒はどうしても本気で戦う気になれずにいた
二人の過去に何があったのか・・・
(2021年4月17日 執筆 2023年6月13日改訂)
フランスはノルマンディー地域圏、シェルブール軍港にて
シェルブール英仏海峡小艦隊司令部に滞在中の日本の海外遠征チーム、通称《妙高艦隊》旗艦、妙高の元へ、某鎮守府から一通の連絡があった
「・・・・そうですか・・・・那智が・・・・・・・はい・・・・・はい・・・・・わかりました・・・・・・羽黒には、私から伝えておきます・・・・・はい・・・それでは、失礼します・・・・・・」
携帯の通話を切ると、妙高は「はぁ~っ」と深い溜息をつきながら、眉間に深い皺を寄せる。流石の妙高も、頭を抱えるしかなかった
「・・・・なんて事を・・・・」
全く以て、頭が痛かった
電話の相手は、大淀だった
予てから妙高が心配していた事が、とうとう現実のものになってしまった。那智が、とりかえしのつかない事をしてしまったという報告であった。秘書官代行の五月雨を騙して演習指示書を作らせ、阿武隈門下の不知火を無理矢理演習に引っ張り出した上、背中から撃ったというのだ
現在不知火は意識不明の重体で、艤装も破壊されてしまったため、自己修復機能が働かず、高速修復材でも殆ど回復しない状態にあるらしい
某提督は、治療の為にも早急に艤装の再建造に着手すべく、不知火の今後の扱いについて大本営と折衝していると聞く。大淀も同行し、赤城さんも呼び出されたと聞いている
味方への発砲行為は重罪である。本来なら、今すぐにでも海外遠征を辞し、不知火の見舞いと、妹の不始末の責任を取るため、自ら那智の雷撃処分をすべく鎮守府に帰投すべき所なのだが、大本営の意向で那智の処分は棚上げにされ、それは出来なくなったらしい
《艦娘が艦娘の背中を撃つ》などという不祥事を表に出せば、世間に大きな波紋を招く事は避けられない。「赤城・加賀更迭事件」以来の一大スキャンダルである。艦娘、人間を問わず、艦娘への不信感からその信頼が揺らぐのは避けられないであろう
このタイミングで妙高艦隊が遠征から引き上げるのはいかにも不自然である。呉事変、そして更迭事件以降、マスメディアは艦娘サイドの動向を色々と探っており、遠征艦隊にも監視の目が厳しくなっている。もしこのタイミングで妙高艦隊が遠征を取りやめでもしたら、当然何かあったと探りを入れられるのは火を見るよりも明らかであった
かといって、そのまま何食わぬ顔で遠征を継続するなど、人として許されるものではない・・・・
赤城からの進言もあって、某提督は羽黒のみを一時帰投させる意向を伝えてきた。無論、赤城が一枚噛んでいる以上、単なる見舞いで済むはずもない
「あぁ・・・こういうのは苦手だわ・・・提督も、赤城さんも一体何を考えているのかしら?」
ブリーフィングルームの机にうつ伏したまま、妙高は落ち込んでいた
「私のせいだわ・・・・私がもっとあの子をきちんと躾けられていたら、こんな事には・・・・」
大の大人である那智に対し【躾け】という言葉を使う辺り、妙高らしさというか、手に負えなくなってしまった妹に対する彼女の苦悩と困惑が見て取れた
「・・・どうしたの? 妙高姉さん?」
そこへひょっこりと羽黒が顔を見せる
「・・・羽黒・・・」
妹の声に反応し、頭を上げたその妙高の顔は、羽黒が今まで見た事がない程に青ざめていた
「ど、どうしたの姉さん? すごく顔色が悪いよ?」
妙高は、羽黒に一時帰投の事を告げるのを言い淀んだ。なんだかんだいいながら、羽黒は那智に懐いている。その羽黒に、赤城は那智の処分をさせようとしているのではないかと疑っていた。もしそうだとすれば、それは羽黒にとっては酷な事だ
だが・・・・
今後の那智の事を考えると、羽黒が適任なのは・・・多分、間違いない・・・
それは・・・妙高にもわかっていた・・・・でも、納得は出来ない・・・出来なかった・・・・
「・・・・・・・・・・・羽黒・・・・話があります・・・・」
それでも、妙高は辞令を告げる。それがどんなに酷な命令であったとしても、彼女は私情を挟むような艦娘ではなかった
「・・・羽黒・・・あなたに帰投命令が下っています。本日付で、海外遠征任務を一時凍結し、翌ヒトマルマルマルに現地を出立、某鎮守府へ帰投なさい。付き添いに、ナポリ統連合司令部経由で赤城さんがこちらに向かっています。彼女が同行しますから、そのつもりでいて」
「・・・え?・・・いきなり、どういう事?」
「私は艦隊旗艦だからここを離れられないの・・・・私の名代で、あなたに事後処理を託す事になったのよ」
「だから、何があったの!!」
思わず声を荒げる羽黒。歴史上、幾度となく危機を察知、回避してきた幸運艦羽黒は、今、とてつもなく嫌な予感がしていた・・・・というよりも、薄々、那智姉さんの事であろう事を察していた
「・・・ぬいちゃんがね、意識不明の重体だそうよ・・・・ゼロ距離から背中を20.3cm徹甲弾で撃たれたらしくて、背骨や臓器の殆どが持ってかれたって・・・・艤装も完全に破壊されて、自己修復もままならないそうよ・・・・」
敢えて主語を省いて話す妙高の語り口が、嫌が上でもそれが那智の仕業である事を雄弁に物語っていた・・・・
「・・・そんな・・・・いくらなんでもそんな事って・・・・何かの間違いなんじゃ・・」
「・・・・足柄がね・・・・いたのよ・・・そこに・・・・あの子の目の前で・・・・だそうよ・・・・」
「・・・・うそ・・・・そんな・・・・・・」
妙高は、沈痛な面持ちで黙り込んだ。その様子を見て、羽黒ははっと気付く。味方の背中を撃ったのである。普通なら銃殺刑に値する。艦娘なら、雷撃処分に相当する事案である
ただ、それはこの70年間、ただの一度も実行された事はなかった
「姉さん・・・・まさか那智姉さんは雷撃処分なんて事は・・・いや・・・そんな・・・」
「落ち着きなさい、羽黒。那智の処分については、大本営の意向で棚上げになっているから・・・・恐らくだけど、それはないと思う・・・」
「・・・ホント?」
「・・・・だけど、雷撃処分された方が、次の那智にとっては良かったと思うけどね・・・」
「・・・次だなんて・・・そんな・・・・・」
「・・・羽黒・・・・あなたがもし那智と同じ立場だったとしたら・・・・前世でこんな事をやったって事実に耐えられる?」
「!?・・・・・・・あ・・・・・」
その言葉の意味を・・・・羽黒は理解した・・・・
羽黒は、前世以前の・・・・誇り高き那智の事を・・・・羽黒が敬愛してやまなかった那智の事を思う
羽黒の知っている那智は、誰よりも清廉で、気高く、そして強かった・・・・
そんな那智が、たった一度だけ見せた弱い部分・・・・
一瞬、胸がずきりと痛くなる
「・・・・・・・・・・・・」
羽黒は、自分が某鎮守府へ帰投させられる理由を・・・・大本営が自分に何をさせようとしているのかに気付いた
《・・・ダメだ・・・これ以上・・・・これ以上那智姉さんを苦しめちゃ・・・・私が・・・・私がやらなきゃいけないんだ・・・・・》
「もし私たちがこのまま何もしなければ、未来であの子に叱られるわね・・・・姉さん達はなぜ私を処罰しなかったんだって・・・・・・」
「・・・・・・うん・・・」
羽黒は、大粒の涙をぽろぽろと零しながら泣いた。妙高は、羽黒に背を向けて肩を振るわせて噎び泣いた
そして・・・・
涙が涸れる頃には、二人は覚悟を決めていた・・・・はずだった
だが、羽黒にとっては・・・・事はそう簡単に割り切れるような問題ではなかった・・・
翌ヒトマルマルマル時にて、赤城と羽黒を乗せたPBY-5Aは現地を出立した。羽黒は昨夜のうちに足柄と連絡を取り合い、詳しい事情を聞いていた
足柄の口から語られた内容は、俄に信じ難いものであった。だが、足柄が心底落ち込んでいるのが電話越しでさえ、はっきり伝わってきた
機上で赤城から、今後の那智の処遇がどのようなものになるのかを聞かされた。大本営の見解としては、社会的な影響を鑑み、今回の件は表に出さない方針であるという。そのため、那智の雷撃処分は取りやめとなったとの事であった
ただ、あれだけの事をしでかした那智にはそれ相応のペナルティーを下さなければ誰も納得しないであろう事は想像に難くない
そこで那智からは第五戦隊を取り上げ、特別演習の名目で制裁を加える事になったらしい
そしてその一番手として、羽黒が抜擢されたのである。那智が最も心を許している羽黒に、演習の相手をさせる事が最も堪えるであろうとの大本営の意向であった
羽黒の次に予定されている艦娘は、いずれも重巡以下に限定され、それも那智が快く思っていない相手や、那智が日頃から侮り軽んじている艦娘から選んでいるという
そういう意味では、今生において那智と最も親しい間柄でもあり、同時にライバルとして強く意識されていた足柄も適任であった。実力的にも那智を十分上回っていると評価されていた
だが、どういうわけか那智に対して些か甘い彼女の任務遂行能力そのものが疑問視されていたため、候補からは外されていた
その点羽黒なら那智との実力差は歴然としている。仮に羽黒が手心を加えたとしても勝敗の行方は揺るぎない。手を抜かれた事を知れば、それはそれで那智には甚く堪えるであろう事は容易に想像出来た
ともあれ、である
そう・・・これは単なるペナルティーではない。那智に己の未熟さを突きつける事で、本人の自覚を促し、更生の余地を与える・・・・見方によっては、これ程寛大な措置はない
その話を聞いて、羽黒はホッとしながらも、複雑な心境であった。大本営の思惑はともかく、更生を目的とする以上一切の手加減は無用、完膚なきまでに叩きのめすよう、赤城に釘を刺されていた
「・・・・わかっていました・・・こうなる・・・事は・・・・・」
そう、わかっていた事だった。けれど、こうして赤城の口から実際に聞かされると・・・・それが現実であると聞かされると、それが夢であって欲しいとつい思ってしまう・・・・
「こうするしかない・・・・ん・・・です・・・よね・・・・」
そんな羽黒の言い草に対し、赤城の返答は辛辣であった
「何を甘っちょろい事を言ってるんですか・・・・・道理でそれ程の才能を腐らせておいて平気なわけですね・・・・流石は武勲艦の筆頭! 言う事が違いますね」
赤城のその言い草は、普段から温厚で通っている羽黒であっても、流石に看過出来なかった
「・・・そんな! 私はただ・・・・」
「・・・今のぬいちゃんの置かれている状況を知っても、そんな事が言えるんですかね、あなたは・・・」
「・・・!?・・・・そんなに・・・悪いんですか?」
その問いかけに赤城はすぐには答えなかった
艦娘は、人とは違う
一見、致命的とも思えるダメージを受けてさえも・・・いや、例え頭を吹き飛ばされたとしても肉体が全て消滅しない限り、コアさえ残っていれば自己修復が出来る
高速修復剤を使えば、一瞬で元通りになる
だからダメージに対し鈍感なのは全ての艦娘に共通する感覚であり、羽黒が今一つピンと来ていないのは無理からぬことではあった・・・
《・・・あなたは、まだ経験がないのですね・・・艤装を破壊され、自己修復が効かずに延々と苦しみ続けるあの業苦を・・・・》
赤城は敢えてそれ以上は口にしなかった。実際にあの不知火の惨状を目にした方が理解が早いと・・・・そう、思ったのである・・・それに・・・・
《・・・・この二人・・・・何か因縁がありそうですね・・・・・》
赤城のお察しの通り、羽黒にはどうしても那智とは本気では戦いたくない事情があった
何度気を取り直そうとしても、《あの時》の那智の姿を思い出し、気力が萎えてしまう・・・・
《ダメだ! こんな事じゃ・・・・私は、妙高姉さんの名代で来ているんだから・・・》
日本に着くまでの間に、気持ちの整理を付けなければならない・・・・・羽黒はそう何度も自分に言い聞かせていた・・・
某鎮守府に着くと、提督と大淀に加賀、そして足柄が出迎えに来ていた
「提督・・・・赤城、羽黒両名、ただ今帰投しました。加賀さん達も、お出迎えありがとうございます」
軽く会釈する加賀に大淀・・・・そして、今にも倒れそうなほどに青ざめた足柄であった。そんな足柄を見て、思わず駆け寄りたくなる羽黒だったが、今はとてもそんな雰囲気ではなかった
「うん、ご苦労様。羽黒も遠征中にすまなかったね」
「いえ、私の方こそ、姉さんがご迷惑をおかけしまして・・・・申し訳ありませんでした・・・」
「・・・いや、今回の件は、本当の所、誰のせいというわけではないと思うよ・・・・あの那智くんが、記憶を失い、何故あのような性格で覚醒してしまったのか・・・・・」
「・・・・だとしても、あのような事は、断じて許される事ではありません・・・・何より・・・・那智姉さん自身が、許せないと思います・・・・・」
「・・・うん・・・そこだよね、やはり心配なのは・・・・」
「・・・・・覚悟は・・・・出来てますから・・・・それより、ぬいちゃんの具合はどうですか?」
「・・・・・・聞いていると思うけど、まだ目を覚ましていない・・・。ただ、赤城さんが大本営で口添えしてくれたお陰で、艤装の再建造が認可されたから、最悪の事態だけは回避できたと思う・・・・もっとも、建造費の3割がウチ持ちなんで、しばらくはみんなにも我慢してもらう事になるけど」
「・・・そうですか!・・・よかった・・・」
建造費の負担で鎮守府に迷惑をかける事になってしまったにもかかわらず、不謹慎と思いながらも不知火が艦娘として復帰の可能性が残るよう、提督以下鎮守府が懸命に動いていた事を、羽黒は素直に喜んだ
羽黒は、今回覚醒した不知火とは遠征前に少しだけ言葉を交わす程度の接点しかなかったが、まだ研修生の身でありながら、ただひたむきに、愚直に修練に取り組むあの生真面目さが、どこか妙高姉さんに通じる所があって好感を抱いていた
その不知火を、よりにもよって羽黒が最も敬愛する那智が、卑怯にも背中から撃ち大怪我をさせたのである。羽黒からすれば正に青天の霹靂であり、未だにこの事態を冷静に受け止める事が出来ずに混乱していた。ただひたすら申し訳ない気持ちでいっぱいだった
・・・・とにかく、最悪の事態だけは避けられた事は・・・・それだけは本当に良かったと・・・・この時はそう思った
「あの、提督・・・無理を承知でお願いします・・・ぬいちゃんに・・・会わせてもらってもいいですか?」
予想通りの羽黒の申し出でありながら、某提督は逡巡し、一瞬言い淀む・・・
「・・・ああ・・・うん・・・そうだね・・・でも、やめておいた方がいいと思うよ・・・その、かなり酷いというか・・・・・面会出来るような状態じゃないから・・・・・24時間体制で治療を続けている状態だからね」
「・・・・・!?・・・・そんなに・・・・!?」
「・・・・・・・・・・・」
不知火に面会させる事を提督が躊躇っている・・・・その事実が、羽黒の心をざわつかせた・・・
「・・・・その・・・お願いします、提督・・・・・少しだけでいいですから・・・ぬいちゃんに会わせて貰えませんか・・・・」
羽黒の真剣な眼差しに・・・・その真摯な想いを見た提督は少しだけ逡巡した後、こう答えた
「・・・・・・・わかった・・・・・・・集中治療室の隣から・・・・ガラス越しでよければ許可しよう・・・・」
「あ、ありがとうございます」
羽黒が提督に連れて行かれたのは、演習場地下にある、技術開発工廠に併設された集中治療室であった。そこでは、大鯨が陣頭指揮を執り治療にあたっていた。夕張の姿はそこになく、代わりに佐世保から迅鯨が派遣されて大鯨のサポートをしていた
二人は、ガラス越しに提督と羽黒が来ている事に気付くと、軽く会釈をするのみで、そのまま治療を続けた
「迅鯨ちゃん、そこ、お願い!」
「はい!・・・・でも、もう高速修復材が効かなくて・・・・」
「夕張さんが、突貫で艤装建造に当たってくれてます!大本営からも、もうすぐ明石さんも来てくれますから、それまで何とか持ちこたえさせるのっ!」
「は、はいっ!・・・・でも、出血が止まらなくて・・・・」
「輸血を続けて! もうすぐ補充がくるから! 全部使い切ったって構わないから!!」
「はいっ!」
不知火の胸部からは、充填剤が取り除かれていて、砲弾によって明けられた大穴がむき出しになっていた。ぐちゃぐちゃに崩れた内臓が、雪崩のように流れていた。傷口の崩壊を抑えるため、絶え間なく高速修復材を投与しているが、殆ど効かなくなっているようだった
大鯨は傷口から溢れる膿を掻き出し、消毒と、抗生物質を傷口に直に塗布していた。それは、とても生きた人間に施す所業には見えなかった
艤装のアシストを失っている不知火の艤躰は自己修復が行われない・・・その間不知火の精神は筆舌に尽くしがたい無間地獄の苦しみを味わう事となる
第一次深海棲艦戦争末期から休戦期にかけて、不知火同様艤装の完全破壊と艤躰の大破という事例に幾度となく遭遇しその調査に当たっていた明石と夕張による共同研究報告書によると、自己修復が機能しない時間が72時間を超過した場合、その精神が自我を保てずゲシュタルト崩壊を起こす事例が複数件確認されている。何の処置も施さなかった場合、呼吸や唾を飲み込むといった行動さえ出来なくなる危険性があった。それは艤躰の修復が完了した後も続き、社会復帰さえ危ぶまれる事態へと発展しかねない
そのため艤装を完全破壊された第二世代以降の艦娘は退役するのが通例となっており、一部の例外を除き、艦娘法改定の折にこれが法制化されている
その一部の例外こそが、不知火という艦娘のケースであった。対象となる艦娘の退役が及ぼす軍事的損失が人類にとって看過できないものであり、なおかつ艤装再建増というコストに見合うだけの価値と、ゲシュタルト崩壊を起こさない強靱な精神力を有すると大本営が認めた場合に限り、退役が免除される
その事実をよく知っている大鯨たちは、この一見して無駄とも思える治療行為を献身的に続けていた。人事を尽くし、後は天命ならぬ不知火の強靱な精神力に賭けるしかなかったのである
だが、その光景は人が直視するにはあまりにも凄惨であった・・・
「・・・・うっ・・・・・・・・・ぉ・・・・・ぇ・・・・」
その、あまりの惨状に、羽黒は思わず口を押さえ、嗚咽する
「・・・・酷い・・・・こんな・・・・・こんな事って・・・・・・」
あまりの惨状に、羽黒は涙が止まらなかった
覚悟していたはずだった
でも、羽黒が目の当たりにした惨状は、あまりにも凄惨で・・・・・言葉にならなかった
ここへ至り、ようやく羽黒は事の重大さに気付く
「・・・どうして・・・?・・・・・どうしてこんな酷い事が出来るの・・・・・・」
羽黒は、嗚咽しながら、呻くように呟いた
「・・・姉さん・・・・あの人は・・・・那智姉さんなんかじゃ・・・断じてないっ!!」
あの、優しかった那智姉さんは、こんなむごい事は出来ない・・・・この事実は、羽黒の中で決定的な違和感となって感情が噴出していた
「・・・こんな事・・・・絶対に許しちゃいけない・・・・いえ・・・・」
「・・・・・・・・・」
羽黒は、その先に続く言葉を飲み込んだ・・・・それを口にしたら、自分を抑える自信がなかった
そして羽黒は・・・今度こそ覚悟を決めた・・・・赤城からの注文通り、那智を・・・・完膚なきまでに叩きのめす・・・・
そう、心に決めた
某鎮守府は、不知火の事もあって、どこか暗く淀んだ空気が流れていた・・・
だが、そんな中にあっても、第二水雷戦隊だけは・・・いや、神通だけは、いつもと変わらなかった
「霞ちゃん、陣形が7cm外にズレています! もっと締めて!」
「わ、わかってるわよっ! ちょっと引き波に足を取られただけなんだからっ!」
「集中力が足りないと言っているんです!」
《・・・そんな事言ったって・・・無理に決まってるじゃない・・・・》
霞は、不知火の容態が頭から離れなかった。それは恐らく同じ十八駆の霰や、姉であり、リアルでは従姉妹同士でもある陽炎も同じだった・・・・・
不知火の艤装の再建造が決まり、予算縮小の話もあって、最近では規定回数を超える演習を自粛する艦娘も少なくなかった。口には出さなかったが、みんな不知火の事が気になって、とても演習どころではなかったのである
そんな中、神通だけはいつもと変わらぬ様子で淡々と演習に取り組んでいた。練習量も、その厳しさも、いつもと寸分と違わなかった
そんな神通を見ていると、霞でさえ思う・・・・・
「あの人には、血が通ってないんじゃないの!? 信じらんないったら!」
間宮でフルーツあんみつをやけ食いしながら、霞は不満をぶちまけていた
「落ち着きなさいよ霞! 姉さんだって、ぬいぬいの事、心配してないわけじゃないって・・・・多分・・」
そう言う陽炎も、霰も・・・本音は霞と同じだった
そんな愚痴を、零していると・・・・・
「へぇ~、フルーツあんみつかぁ・・・美味しそう~~うふふ~~~」
「え?・・・・あぶ姉さん!?・・・・・や、やだっ!」
阿武隈に、みっともない所を見られて、恥ずかしさで耳まで真っ赤になる。霞にとって、特・教導艦となった阿武隈は今や雲の上の人だった
「ここ、いいかな?」
「え・・・まぁ・・いいけど・・・」
阿武隈の事は尊敬はしていても、口調は相変わらずだった。いけないと思いつつも、当の阿武隈自身が全く気にしていないというか、むしろ喜んでいる節があるためついついあるがままに振る舞ってしまう
「随分オカンムリねぇ・・・・神通ちゃんの事?」
「そうよっ! みんな不知火の事心配してるってのに、あの人、全ッ然、いつもと変わらないんだから! おかしいったら!」
気が付いたら、またしても阿武隈の前で大声を張り上げてしまう・・・すると、
「うん・・・・霞ちゃん・・・・それは違うよ・・・」
と、興奮する霞を優しく諭す
「神通ちゃんはね・・・自分たちが気を揉んで動揺したりしても、何もいい事はないってちゃんとわかってるの・・・・
こんな気持ちのまま、もし深海棲艦が来たら・・・戦ったら、霞ちゃん達の誰かが怪我をしたり、最悪沈んじゃったりするかも知れない・・・・・それだけは絶対に避けたいの・・・・だから、厳しい事言っちゃうの・・・・」
阿武隈に諭され、幾分興奮から醒めた霞であったが
「そ、それはわかってるつもりだけど・・・だったらこんな時くらい
演習を控えたっていいじゃない!こんな気持ちで戦ったりしたら、それこそ怪我しかねないったら!」
そんな霞に阿武隈はゆっくりと首を振る
「それは無理・・・ぬいちゃんの事で動揺しているからといって、神通ちゃんはあなたたちに休みなさいとは言えないの・・・だって・・・・・」
「・・・・だって、あなたたちは、栄光の《華の二水戦》なんだから・・・・・ね?」
「だったらそう言えばいいじゃない! 馬鹿じゃだいどっ!」
フルーツあんみつをほおばりながら、霞は顔をぐしゃぐしゃにしながら泣いていた。陽炎も、そしていつもポーカーフェイスを崩さない霰でさえ涙ぐんでいた
《華の二水戦》・・・・それは戦場で先陣を切り、敵の出鼻を挫く切り込み役に他ならない。それは、決して引く事の許されないポジションであり、それが二水戦の矜恃でもあった・・・・
霞達も、その事は充分理解している。だからこそ、阿武隈の言葉が心に染みた
阿武隈こそ、とても辛いに違いなかった。愛弟子である不知火の事をとても可愛がっていた事を霞たちもよく知っている・・・・・なのに・・・・
《・・・相変わらずやさしいったら・・・・・》
神通は、霞達の事を信じていると、阿武隈がそう言っているように思えた
ほんの少し背中を押してあげるだけで、すぐに立ち直り前を向く霞たちの姿を見て、阿武隈は感慨深くしみじみ思う・・・
《ほんと・・・どんどん立派になっていくなぁ・・・この子たち・・・・・》
そして、《華の二水戦》は今日もいつもと変わらぬ厳しい教練を続けているのである
そして、
そこへ一人の妙高型重巡洋艦娘がふらりと姿を見せる
羽黒だった
神通は、海外遠征チームのエース格の羽黒が、なぜこんな所にいるのか?・・・・と、思うのも束の間、すぐに《那智絡み》である事に気付く
「・・・帰っていらしたんですね、羽黒さん」
「お久しぶりです・・・・その・・・ぶしつけだとは思いますが、神通さんにお願いがあります」
いつものどこかおどおどした雰囲気はそこになく、明確で、強い意志が感じられた。神通は何かを察したかのように答える
「・・・演習・・・ですか?」
「はい・・・自分を・・・・本来の自分を取り戻したいんです」
その言葉に神通の顔色が変わる・・・・その言葉の意味を、神通は知っている
「そう・・・ですか・・・・編成は・・・どうします?」
「神通さんと、十八駆の子達でお願いします」
「・・・・本気・・・・なんですね?」
「はい」
「丁度よかったです。昨日までのあの子達なら、少々物足りなかったでしょうから・・・・一人足りませんが、今日は全力の二水戦になりますけど、いいですか?」
「それで・・・お願いします」
「羽黒さんと演習? 確かに手強いけど、四対一じゃ、流石に相手にならないったら!」
霞は忌憚ない意見を吐く・・・・だが、
「何を悠長な事を言っているのですか? 相手にならないのはむしろこちらの方です。せめてもう一人欲しい所ですが・・・・」
その神通の言葉に、霞達は困惑する。神通は常に本音でしかモノを言わない。その神通がこちらの形勢が不利だと言っているのだ
「あの・・・神通姉さん・・・羽黒さんて、そんなにヤバい人だったっけ?」
恐る恐る陽炎が尋ねる
「あの羽黒さんが《本来の自分》を取り戻したいと言ったんです。彼女は本気です・・・・・この意味・・・まさか忘れた訳じゃありませんよね?」
「・・え?・・・・・・それって・・・・・・」
それは、第一次深海棲艦戦争の折・・・・武勲艦《羽黒》がこの世に出現した頃の事である・・・・
姉妹の中で最後に艦娘として現出した羽黒は、武勲艦の名に相応しく、その戦闘力は並み居る重巡勢の中でも異才を放っていた
そしてそれは、その時代に勇名を轟かす存在となっていた那智にとっても同じだった
艦娘としての那智は優秀だった。日々の鍛錬を怠らず、常に精進してやまなかった彼女は、輝かしい武勲を誇る妹の出現を大いに歓迎した。そして程なく、二人は互いを好敵手として意識するようになっていった
当時の那智は、本気の羽黒と互角に渡り合える希有な重巡艦娘であった。あの妙高でさえ、那智の勝負強さには舌を巻く程であった。戦績でこそ羽黒に後れを取っていたものの、敗北を糧にそれを上書きするだけの努力を積み重ね、何度でも立ち向かった。羽黒と那智の戦いは、お互いがお互いを高め合い、見ている者を魅了した。そんな那智だからこそ、第二艦隊麾下の軽巡洋艦娘や駆逐艦娘たちの尊敬を一身に集めていたのである
だが、何度目の対戦であったか・・・羽黒は日々の那智との修練の中で、何の前触れもなく突然に異能が発現した。それはギリギリのせめぎ合いの中で、勝敗を分ける分水点を見極め最善の結末を手繰り寄せる能力・・・・・【無双】の発現であった
那智と羽黒の実力は全くの互角。いずれも劣らぬ力を有していた・・・・だが、この時を境に、二人の対戦成績は一変する
最後の最後で、羽黒は必ず那智の上を行く。ギリギリのせめぎ合いの果てに勝利を手にするのは常に羽黒となっていた・・・・
勝敗を見極める判断で、常に那智は羽黒に一手及ばない・・・・その僅かの差が、どうしても届かない・・・・
・・・・那智は・・・・・羽黒に全く勝てなくなってしまったのである
その時期を境に、二人は本気で戦う事はなくなっていた・・・いや、羽黒が本気で戦わなくなってしまったのである
「まさか・・・・・無双の羽黒!?・・・・でも何で?・・・・・・・・あ」
ここ最近、府内で話題になっている話に霞は思い至る。不知火に大怪我をさせた那智に対し、制裁紛いの特別演習メニューが組まれているらしいという噂である
《・・・まさか、その対戦相手が羽黒さん・・・て事?・・・・・いや、ありうる話だわ・・・》
本来であれば、今頃羽黒は海外遠征艦隊のエースとしてフランスで戦っていたはずである。その彼女が今ここにいて、そして二水戦に単騎で演習を挑んできたという事実が、その噂に信憑性を与えていた
陽炎や霰も、第一世代の頃の、伝説的な強さを誇っていた羽黒の姿を思い浮かべていた
そして、そんな羽黒と互角に渡り合っていた那智の事も・・・・
「戦い方は、いつもと変わりません・・・ですが、羽黒さんが相手では密集するのは危険です。さりとて間を取り過ぎれば各個撃破されるのが関の山・・・ここは単縦陣形の五番で行きます。遅れないよう注意して下さい」
神通はいつもより陣形を大きく、そして不規則に軸線をずらすよう指示をする。羽黒が本来の姿であるその凶悪な本性を見せなくなって久しい・・・・だが、神通は羽黒や妙高たちの演習を見て知っていた。技術だけなら今の羽黒は第一世代の頃よりも遙かに上であった
「いいですか、自分たちの持てる力を全て出し切るつもりで戦いなさい。でなければ、羽黒さんをガッカリさせる事になります。いいですね?」
「は、はいっ!!」
腹積もりが決まれば、二水戦の決断は早い。戦場で迷えば、それは即、《死》を意味するからだ
そして・・・羽黒 VS 二水戦の演習が始まった
早々に羽黒は零式水偵6機を発艦させる。神通も水観を出し、互いの索敵を行う
だが、やはりと言うか・・・神通麾下の二水戦は早々に羽黒の水偵に捕捉されていた
「・・・まったく・・・これだけの力を今まで無駄に眠らせていたなんて・・・・」
ブランク、という言い方はおかしいが、羽黒が本気で戦わなくなって久しい。その彼女が、ちょっと本気になっただけで二水戦を相手にこうも見事に戦場を支配するという現実を目の当たりにする神通・・・・
型式の古い川内型の艦体というハンデを圧倒的な練度で克服し、文字通り身を削るような日々を日常としている神通からすれば、これまでの羽黒の煮え切らない在り方は贅沢を通り越して甘えとしか思えなかった
もし自分が羽黒と同じ立場だったなら、一日たりとも無駄にはしない・・・この世界を守るために、持てる力の全てを戦いに捧げる事を厭わない・・・
だが、羽黒は帰ってきた。それは一時的な事かも知れないが、それでも彼女が復調を望むのなら、如何なる協力も惜しまない・・・
私心という概念とは無縁の、神通らしい想いであった
早々に羽黒に先手を取られた神通は、冷静に状況を分析する
・・・この状況は、必ずしも偶然だけではない事を神通は知っている。羽黒は、神通以下二水戦の面々の動向や日頃の修練の傾向、そして自身に対する対策として神通が選ぶであろう戦術や航路さえも、当たりをつけている・・・
羽黒が持って生まれた幸運を、この能力で結果を強引に手繰り寄せる・・・・それこそが羽黒の真の恐ろしさであった
戦況の流れを読み急所を見抜く能力は、勝負強さで定評のあった那智でさえ、全く相手にならない程であった。そしてそれは艦隊旗艦としてではなく、純粋に一人の戦闘艦として猛威を振るった時代が確実に存在した
一対一のフェアな戦闘において、羽黒ほど厄介な艦娘はいないと言われていた所以である
二水戦を発見した羽黒は速やかにT時有利を取り、アウトレンジからの砲撃に入る。まずは軸線をずらした単縦陣形のほぼ中央に位置する霰をターゲットに連撃が襲い、初弾が夾叉したのを確認するや否や、すかさず一斉射が二水戦を襲う
前後散布界の射撃精度に絶対の自信を持つ羽黒は、一斉射、そして素早い射撃速度による高密度の攻撃で強襲をかける。それがただでさえ高い羽黒の強運を、更なる高みへと押し上げる
その羽黒の戦闘スタイルを支えているのが、羽黒専用にカスタマイズされた8inch三連装砲 Mk.71-55HGSである
第一次深海棲艦戦争の折、羽黒の能力をより効果的に生かす為・・・というか、単に明石の気まぐれで射撃速度を限界まで引き上げられた驚異の8inch砲である。火力や射程はMk.9と同程度に抑えられているが、砲弾装填装置が徹底的に見直され、14発/min、つまり4.28秒毎に砲撃が可能という、8inch砲としては驚異の射撃速度を実現していた。これはポーラの203mm/59連装砲の実に4倍近い速射性である
3連装砲塔が二基搭載されている羽黒は、一分間に84発の砲撃が可能なのである。これは恐るべき攻撃力と言わねばならない。交互撃ち方ではなく一斉射による攻撃は、命中率よりもより多くの命中弾を得る攻撃法であり、大東亜戦争において米艦隊が物量に任せて行い多大な戦果を上げた事でも知られている
アウトレンジから一方的に先制攻撃を受けた二水戦は、反撃する間もなく懸命に回避行動を取るしかなかった。そして三度目の斉射で霰は直撃弾を受け、あえなく撃沈。軸線を霰と異にしていた神通や陽炎、そして霞はかろうじて被弾を免れる
「っつ!!・・・何て正確な射撃なの!?・・・これが、羽黒さんの本当の力!?」
霞の目前に着水する砲撃に霞は舌を巻く。いつもの陣形のままだったら間違いなく沈められていた。撃沈が霰一隻だけで済んだのは、神通の指示の的確さを物語っていた
だが・・・
五度目の斉射で陽炎も第一砲塔に被弾し中破する。砲撃が開始されてからここまで僅か40秒の出来事であった。回避行動を取りながら、神通と霞は弾道から羽黒のおおよその位置を予測し索敵を集中させる
だが、その方向には既に羽黒はいなかった
一斉射と同時に反時計回りに大きく回り込むように高速移動し、二水戦の左舷280度方向から突撃を敢行
最大戦速36.3ノット、重巡でトップクラスの速力を誇る羽黒はタービンを追加しその速度は39ノットにまで到達していた
そして、ミドルレンジからの一斉射をお構いなしに撃ちまくる羽黒。その圧倒的な攻撃に晒され霞大破。陽炎も航行不能に陥っていた
「・・・流石ですね・・・・無双の羽黒・・・」
舌打ちをする神通。随伴艦の護衛を全て薙ぎ払い、単艦となった神通に対し一気に間合いを詰めてガチンコの艦隊決戦を挑む羽黒。互いに反抗戦に入り正面から撃ち合う・・・・
が、神通の15.2cm連装砲弾が羽黒の頬を掠めると同時に、容赦のない羽黒の8inch砲弾の一斉射が神通を襲う
懸命に回避行動を取る神通の奮戦も空しく左足に被弾、航行速度が維持できず、一気に15ノットまで下がる。全く反撃の糸口さえ掴めぬ内に追い込まれてゆく
「・・・わかっていた事ですが、これ程とは・・・・いえ・・・」
とどまる所を知らない8inch砲弾の雨に晒されながら、神通は唸る・・・
「・・・・強い・・・・あの・・頃より・・・・・も・・・・」
数えて11度目の一斉射を喰らい、神通はあえなく撃沈。その後霞と陽炎もキッチリ沈められた
「二水戦が全滅!?・・・・あの羽黒が?・・・・・うそ・・・・・・」
「ホントらしいよ。私もさっきまで入渠してたから。神通さんから直接聞いたんで間違いないでしょ」
沖ノ島を哨戒中に戦艦タ級と遭遇し深手を負った衣笠が、たまたま入渠中に居合わせた神通からその話を聞いていた・・・のだが、
足柄は、未だに信じられなかった
彼女の知る限り、羽黒が本気になったのは ”あの時 ”が最後だった・・・・そう、70年前のあの時・・・・那智との一騎打ち・・・・
あの日を最後に、羽黒は本気で戦う事をやめてしまった・・・・
「・・・・・羽黒・・・・今更どうして・・・・・」
羽黒が神通貴下の二水戦とやり合い全滅させた・・・・それが一体何を意味するのかをわからない足柄ではなかった
羽黒が本気になった・・・・・それはつまり・・・・
「・・・・・・・・・・・・・」
足柄は・・・あの羽黒が再び立たざるを得なくなったこの忌まわしき運命を呪わずにはいられなかった・・・・・
そしてその翌日
期限内に月三回の演習ノルマを果たす事が出来なかった那智に対し、大本営から特別演習の指示書が提示された。演習は即日行われるという急なもので、那智を含め某鎮守府の面々を驚かせた
そして・・・・
羽黒は、那智の前に立っていた
「羽黒・・・・まさかお前が特別演習の相手だとはな・・・・」
苦虫を噛み潰し、吐き捨てるかのように那智は毒づいた
「特別演習?・・・何を言ってるんですか?」
羽黒の様子がいつもとは違う事に、那智は少しだけ驚く
「・・・これはあなたに対する罰・・・制裁です・・・」
「・・・なんだと・・・!?」
いつもとは違う・・・・普段の甘ったるく懐いていた羽黒とは、まるで別人だった
「よく言う・・・お前、いつからこの私にそんな口を利くようになった!?」
「・・・なぜ・・?」
「・・・・ん?」
「何故・・・・あんな酷い事をしたんです?」
「・・・何の事だ?」
その不用意な那智の一言に、羽黒の表情がさっと曇る。その端正で愛らしい顔がみるみるうちに深い皺を眉間に寄せてゆく・・・
「・・・・わからない・・・んですね・・・・そうですか・・・」
その一言で、羽黒の中に、たった一本だけ残っていた何かが・・・・切れた・・・・
「・・・もう・・・撃てないと・・・思っていました・・・・・でも・・・・・」
「今のあなたになら、遠慮はしません!! 撃ちます!!」
「ふん・・・演習なのだから撃ち合うのは当たり前だろうが・・・・さっさと始めるぞっ!!」
羽黒は・・・70年前の那智との戦闘を思い出しながら、あの時と同じテンションに自身を引き上げつつあった・・・
「あなたと・・・いえ、その艤躰と撃ち合うのは・・・・70年ぶりです・・・・あの時は、全くの互角・・・・・差はありませんでした・・・・」
「ふん・・・その話なら知っている。お前が勝ったのだろう?」
「運の・・・差、だけでした・・・・武勲艦としての生まれの差と・・・・・無双を授かった事の運・・・・・ただそれだけです・・・・・」
それは、羽黒にとっては決して幸運な事ではなかった。那智姉さんの血の滲むような努力を踏みにじるような理不尽な力・・・・・そんなものを、自分は望んではいなかったし、それさえなければ、自分は那智姉さんとずっと好敵手として対峙していられたのにという想いが、今の今までずっと羽黒の心を苛んでいた
そんな感傷に浸る羽黒の気持ちを逆撫でするかのように、那智の無神経な言葉が羽黒の心を切りつける
「妹ごときに後れを取るなど、初代の私はとんだ腑抜けだったようだな!だが私は違う!私は・・・・」
・・・・それは、敬愛してやまない那智姉さんに対する侮辱であった・・・・・
「・・・・・黙れっ!!」
それは、未だかつて姉妹はおろか、誰にも向けた事のない羽黒の怒りの言葉だった
「なん・・・だと!?」
「那智姉さんの顔で・・・・・酷いこと喋らないでって言ってるんですっ!!!」
「・・・・羽黒・・・・お前・・・・」
両の手を固く握りしめ、わなわなと身を震わせながら今にも泣きだしそうなのを必死に堪えている妹の姿が、そこにあった・・・
「・・・そうか・・・・お前もか・・・・」
羽黒の、自分を見る目が・・・今までに見た事もない程、自分を蔑んだ・・・そして例えようもない程に怒りと哀しみに満ちた目をしていた・・・
そうだ・・・・今まで羽黒が見ていたのは私ではない・・・・・
遠い昔の・・・・私の知らない・・・・・私だ・・・・・
足柄に続き、自分の傍から羽黒もいなくなってしまった・・・・那智はそう感じていた
《・・・・まぁ、いいさ・・・・どうせ私は奴らとの思い出も記憶もない・・・初めから私は一人だ・・・・・》
《・・・そう・・・・・はじめから・・・・な・・・・・》
「・・・ああ、いいだろう・・・望む所だっ!!」
哀しいまでの、自虐であった
だが、那智は思い違いをしていた。確かに、羽黒がかつての那智を深く敬愛していたのは事実である。そしてこの70年間、羽黒自らが那智に背を向け一定の距離を置くようになっていた事で、二人の関係はずっとぎくしゃくしたままだった
そんな時、一切の過去の記憶をなくして覚醒した那智が、羽黒の前に現れた・・・
確かに、今の那智は功名心が強いだけの思慮の浅い愚か者ではあったが、羽黒にとって、そんな事はどうでもよかった
昔のように、羽黒、羽黒と親しげに自分の名を口にしてくれる那智が・・・・嬉しかった・・・・
ただ、それだけのために・・・・那智の振る舞いの一切から目を背けていた
羽黒は気付いていた・・・・
70年前に那智に背を向け距離を置いたのも
某弱無人に振舞う今の那智を諫めずここまで増長させてしまったのも
羽黒だった
この演習の立会人は某提督に加え赤城と加賀、そして足柄の四名のみであった。二人のやりとりを目の当たりにしても、一航戦の二人は特に何の感心も抱かなかったようで、至って涼しい顔のままであったが、足柄の方は、今にも泣き出しそうな位に取り乱していた
そして赤城は羽黒に、そして加賀は那智に戦闘開始地点の座標を伝える。そして・・・
「いいですよ、もう始めちゃって下さい」
という、何とも気の抜けた赤城からの戦闘開始の合図によって、那智にとっての最初の特別演習が・・・・そして羽黒にとっては現世における那智との決別となる演習が始まった
開始と同時に互いに水偵を飛ばし、索敵が始まる
艦種も同じ、スペックも装備編成もほぼ同等の二人・・・と言いたいところだが、8inch三連装砲 Mk.71-55HGSを搭載した羽黒の方が圧倒的に有利ではあった
だからといって、今の羽黒は別段手加減をするつもりはなかったのであるが、最後の【制裁】の時まで連撃は使うまいと心に決めていた。また、その必要もないであろうという冷淡な判断もあった
羽黒は、この70年余りの時を、妙高と共に修練を積んできた。そして近年ではポーラやザラとの出逢いの中で射撃技術をより洗練させてきた。撃ち手としても一流の域にある
そんな羽黒がここにきてようやくその本領である牙を剥く・・・・赤城と加賀は、それが見たくて立ち会いを望んだのである
戦う相手が今の那智では役不足であったとしても、である
羽黒の本来の戦い方は、大日本帝国海軍のそれとは明らかに異なる。夾叉を得たらすかさず一斉射を行い圧倒的な手数で命中弾を得る米帝スタイルそのものであった
それに持って生まれた強運を上乗せしていく羽黒は、敵に回すとこれほど恐ろしい艦娘はいない。索敵も上手な方であるが、実力以上に ”勘 ”が良かった
羽黒は、何となくであるが、敵の気配というか、存在を感じ取る事が出来るという。自分の直感のままに索敵機を飛ばし、そしてかなり高い確率で敵艦を発見する。初代の那智もこれに随分と苦しめられた。故に彼女は、羽黒には索敵で遅れを取る事を前提で戦術を立てざるを得なかった程である
そしてやはり、今回も羽黒が那智に先んじて敵影を捉えていたのだが、今回はその強運も勘も必要としなかった
羽黒は、那智の思考を読んでいた。加賀から指定された座標に向けて馬鹿正直に真っ直ぐ向かう那智の航跡を見逃さなかった。経験上、那智がこのような行動を取る事を知っていたのであるが、その事が改めて羽黒を大きく失望させていた
方位右30度に那智を捉えた羽黒は、そのままT字有利を保ちながら、最大戦速で急速接近する。そして主砲の有効射程距離に入った瞬間、すかさず一斉射をかます
T字有利は、羽黒が最も好む交戦形態で、同航戦程ではないが、距離感の変動誤差が少ないため、有効射程距離に入るタイミングでの砲撃を得意としていた。故に弾着観測を省略していきなり夾叉することも珍しくなかった
そこに、大日本帝国海軍随一の武勲艦、羽黒の強運が重なる
那智の頭上に、右舷120度方向からいきなり8inch徹甲弾の雨が降り注ぐ。二番砲塔と右足に被弾し中破
「な、なにぃ~~~!! いきなり一斉射、だとぉ~~~~~っ!!!!」
いきなりの被弾にパニック状態の那智は、脊髄反射で砲弾の飛んできた方向に盲撃ちする。だが、頭に血が上り索敵を忘れ、正確な位置もわからずに反撃したところで、当たるハズもなかった
羽黒は那智の思考を完全に読んでいた。那智は右から攻撃を受ければ左、左から攻撃を受ければその逆に回頭する。駆け引きのいろはもわからぬ那智の行動を誘導するのはたやすい。一斉射のあとの反撃を避けつつ羽黒は時計回りに高速移動する
装備に過不足なく、本気になった羽黒は本当に手強い。つい先日、あの神通が率いる二水戦が、羽黒に単騎で挑まれ完膚なきまでに叩きのめされている。今の那智など、相手になるはずもなかった
そして那智の電探がようやく羽黒の艦影を捉える・・・
方位180度、既に距離ヒトマルを切っていた
「・・・な・・・に・・・・!?」
那智が振り返ると、そこには羽黒が両舷前進半速でゆっくりと迫っていた
「・・・ようやく・・・気付いてくれましたね・・・・というか、気付くの遅すぎです。もう撃っちゃおうかと思いました・・・」
「・・・羽黒っ!・・・・貴様いつの間にっ!?」
「弱い・・・ですね・・・・そんなに弱いから、ぬいちゃんを背中から撃ったりするんですか?」
「不知火・・・だと?・・・そうか・・・それでか・・・・」
ここにきて、那智はようやく羽黒が絡んできた理由に気付く
「・・・今頃気付くなんて・・・・呆れました・・・・まったく・・・度し難い・・・・・」
「・・・羽黒・・・・お前・・・・・・」
「・・・・この距離は誰が撃っても必中の間合いです・・・・・・・これなら、例えあなたでも当てられるのではないですか?」
「・・・舐められたものだな・・・・撃つべき時に撃たなかったお前は間抜けだ! 自分の愚かさを後悔するといい」
そう言い捨てると、那智は羽黒に向け一斉射をかます。4発の20.3cm徹甲弾が羽黒を襲う。15秒後に続けての一斉射・・・・・だが・・・・
いずれの砲弾も右に大きく逸れ、夾叉もせず羽黒の後方に着弾した
そして羽黒は、その場を一歩も動かず、そして撃ち返しもせず、その目は真っ直ぐ那智を見据えていた
そこには砲弾が来ない事を、羽黒は知っているかのようだった
「何故だっ!? 何故当たらん!?」
どれだけ撃っても、当たる気がしなかった。何より、身じろぎ一つせずそこにただ黙って立ち尽くす羽黒に、焦りと不気味さを感じていた
「・・・・確か、射撃練習は経験値が得られないから無意味・・・・でしたっけ? 笑わせてくれますね・・・1000mにも満たない距離ですよ?・・・停止状態の上、動かない的にすら当てられないなんて・・・・一体、今まで何をして来たんですか?」
「うるさいっ! 黙れ黙れっ!!!」
一斉射を続ける那智。絶え間なく続く連撃に、バレルが灼熱を帯び始め、散布界が広がり始める。そして乱れた弾道の一発の砲弾が、偶然にも羽黒の顔面めがけて飛んでゆく・・・
だが・・・・
羽黒は、事も無げにほんの少しだけ身を屈め、砲弾をかわす。ここまで至近弾が僅かに1・・・未だ一つも着弾がなかった
「・・・なぜだっ!・・・くそっ!・・こんなっ!!!」
「なぜ?・・・・決まっているじゃないですか? 禄に修練も積まず、学ばず、駆逐の子を盾にして悪戯に時を費やしてきたツケが回ってきただけ・・・」
「・・・そんな・・・ばかな・・・・・」
「・・・もう・・・いいでしょう?・・・今のあなたは、私の相手じゃない・・・」
そういうと、羽黒は8inch徹甲弾をリロードする。実の所、那智が一斉射に気を取られている間・・・およそ35秒前に那智を基準に左4度角で61cm(酸素)魚雷を8本発射していた
そして羽黒は、那智のやや右側を狙って一斉射をかます。那智はとっさに方位角右90度に回避行動を取るが、先程羽黒が放った雷撃コースに追い込まれた事に気付いた時には、もう手遅れだった。3本の魚雷が舷側とスクリュー軸に直撃し大破。航行不能に陥っていた。そこへ羽黒はダメ押しに更に8本の魚雷を発射
そして・・・
更に4.28秒後、リロードの完了した羽黒は、那智に向けて容赦のない一斉射をかます
「ぐあぁぁーーーっ!! はぐ・・・・・がっ!!」
一発の徹甲弾が那智のこめかみに直撃する・・・例えようのない激痛と衝撃に意識を刈り取られ那智はもんどり打って倒れる。そこへ容赦のない砲雷撃の雨が降り注ぐ
断続的に続く一斉射と8本の雷撃をまともに喰らった那智は、全身の骨が砕け、ぐしゃぐしゃの肉塊と化しながら轟沈した
那智の艤体は、もはや原型を留めてはいなかった
「・・・演習、完了しました・・・これより負傷した那智を曳航し、帰投します」
艤躰とは対照的に、血まみれながらほぼ無傷の艤装を掴みながら、羽黒は某鎮守府へと曳航していった
その航跡は、赤い血で染まっていた・・・・
モニター越しに二人の戦い・・・いや、一方的になぶられる那智と、今にも泣き出しそうになりながら砲雷撃をする羽黒を見て、某提督はやるせない思いにかられていた
そして今更ながら、某提督は本気の羽黒の恐ろしさを初めて知った。模擬弾でさえ、この惨状なのである。羽黒が自らを封印した心情を察して余りあるものがあった。そんな二人の事情を痛いほどにわかっていた足柄は、半ば半狂乱に陥っていた
そんな二人とは対照的に、一航戦の二人はいささか拍子抜けしていたようで、心底がっかりしていた。羽黒に、ではなく、あまりにも弱くなってしまった今生の那智に対してである
「・・・・もうちょっとやれると思ってたんですが、想像以上にダメでしたね・・・・これじゃあ何の参考にもなりません」
那智のあまりの不甲斐なさに一気に卿が醒めてしまった赤城は吐き捨てるように言った
「こんな事なら間宮でお櫃あんみつをお腹いっぱい食していた方がよかったですね・・・ぐぅ☆」
退屈のあまり空腹に拍車がかかる加賀の頭の中は、既にあんみつでいっぱいになっていた
「あ、それいいですね。口直しに食べに行きましょう!」
二人の対戦に興味をなくした一航戦の二人は、放心気味の某提督と足柄をその場に残し、早々に演習場を後にした
そして・・・・
船渠で那智の艤体を引き取ったのは神威だった。まるで挽肉のようになった那智を見て、思わず眉をひそめる
《これは・・・ひどいわね・・・・》
言葉には出さなかった
事情は聞いている。同じ姉妹艦をこうも無残に叩きのめさなければならなかった羽黒の気持ちを思いやり、那智を引き取るや早々に羽黒に帰宅するよう促した・・・・だが、羽黒は頑なにこれを拒否した。入居が終わるまで、那智の傍を離れないと言って聞かなかった
どうあっても引く様子のない羽黒に絆され神威は立ち会う事を赦す。そして改めて那智だったモノの凄惨な姿を顧みる・・・
これ程徹底的に破壊されているにもかかわらず、艤装だけは殆ど無傷だった。これは赤城からの注文を羽黒が忠実に遂行した結果であった
そう、艤装を破壊してしまっては、不知火と同様、回復が出来なくなってしまうからであった
那智は、今後も大本営から選出された艦娘との対戦(という名の制裁)を受けなければならない身である。戦線離脱は許されなかった
そして・・・・・
那智にとって、最も苛烈な制裁は、なんと入渠であった
不知火の艤装再建造の費用の一部を那智に請求しない代わりに、那智には一切の高速修復材の使用が禁じられていた
人の原型を留めない程ぐしゃぐしゃに破壊された那智の艤体は、そのまま船渠に入れられた。途中で意識が戻った那智は、目が覚めると同時に全身が激痛で覆われ気も狂わんばかりの痛みに襲われていた
《・・・だ、だれか・・・・高速修復材を・・・あぎぃ・・・いだい・・・いだいんだ・・・・・ぁいででぇ・・・・》
那智の顔面は半壊し、顎は粉々に砕け散っていたため、喋る事は出来なかった。那智は、およそ18時間に及ぶゆっくりとした修復の間、死すら生ぬるい程の激痛を味わい続ける羽目になっていたのである
神威の忠告も聞かず、羽黒は船渠で藻掻き苦しむ那智の痛ましい姿を、膝を抱えてじっと見ていた。それは羽黒にとって、とてもとても辛い光景であった・・・・だが・・・・
それでも、あと18時間程で那智は元通りの体に復帰する
そして・・・・・大鯨たちの奮闘の中、不知火は未だ回復の目処も立たず、意識も戻らないままだった・・・・
「・・・・どうして・・・・・どうしてよ姉さん・・・・・・」
人知れず、羽黒は嗚咽していた
「・・・どうして羽黒の傍からいなくなってしまうの?」
船渠にゆらゆらと漂う那智だったモノは・・・・・とめどなく溢れる涙で曇り、見えなくなった・・・
そして自らの誓いを破り、再び那智をこの手にかけてしまった自分自身をいつまでも苛み呪い続けていた
Pola 01 イタリアの至宝 に続く