空腹で足元もおぼつかないまま演習へと向かう最中、とうとう力尽きてその場で動けなくなってしまった浜風を、まるで申し合わせたかのように何者かが訪れ、連れ去ってしまうのであった
浜風の失踪に気付いた提督と大淀は、事件の背後にある組織が関与している事を看破するのであった
(2021年6月9日 執筆)
その日は、演習参加の日だった
艦娘には月に3度の演習義務が定められており、浜風も例に漏れずそれに従わねばならなかった
初の演習の時は、運悪く夜戦突入してしまったため、その日の夜はご飯にありつけなかった。幸い二戦目では夕張のアドバイス通り【砲弾逸らし】を使い、昼戦で早期敗退する事に成功し定刻までに帰宅する事ができたため何とか食事にありつけた。その後は赤城艦隊に編入され、夜戦にもつれ込む心配をする必要がなくなった。そういう意味では、浜風は当面の問題であった食料にありつけないという、最悪の事態だけは回避できたはずだった
だが、問題が表面化しないという事は、本質的には何も解決せず、ただ単に問題を先延ばしにしたに過ぎないとも言えた。浜風の置かれている状況は依然として変わらない
赤城や阿武隈達がこの件に干渉している事は、大本営の知る所となった。確かに、浜風の事を思えば、当面の問題を緩和してあげるというのは人として当然の感情ではある
だが、現状何も起きないという事は、いつまでたっても浜風を救い出す事が出来ない事を意味する
とはいえ、赤城達のしている事が、悪戯に時間を先延ばししているだけかというと、一概にそうとは言えなかった。二年に渡り虐待を受け続けた浜風の壊れかけた心を、かろうじて繋ぎ止められたのは、彼女たちの働きかけがあったからこそであった
それでも、
70年もの時を経て、ようやく現れた浜風なのである。確かに、いち駆逐艦に過ぎない浜風ではあるが、それでも艦娘の絶対数が不足しているこの時代にあっては、貴重な武勲艦の一人であることに変わりはない。この機を逃すと、再び覚醒の機会が遠のくのではないかと大本営が危惧するのは無理からぬ事であった。ここに来て彼らは、とうとう重い腰を上げざるを得なくなったのである
「・・・まったく、余計な事をしてくれたものだ・・・・気持ちはわからなくもないがね」
「・・・・例の件、宜しく頼む」
「・・承知しました」
某市浜崎町の北側の少し奥まった所に、小高い丘がある。某市を一望出来るその頂に「濱乃屋」があった。標高にして600m程のその丘は、勾配も緩くなく、とてもではないが、気軽に歩いていけるような場所ではなかった。ここ一帯は当主の所有地のため道中民家もなく、濱乃屋へ向かう送迎バスやタクシー、宿泊客の車が通る以外は、人の姿を見る事はほとんどなかった
自宅を出た浜風は、坂を下り一人とぼとぼと歩いていた。駅まで浜風を送り届けようと配慮する者は、今の濱乃屋には一人としていなかった。そんな人並みの心を持つ者は、濱乃屋を追い出されるか自分から出て行くかのどちらかだったからだ。丘を降ってゆく坂の勾配は、弱った浜風には過酷だった。その足取りは、傍から見ると今にも倒れそうな程危うく映っていた
演習の日であろうがなかろうが、浜風の日常は変わらない。まだ誰も起きていない早朝から調理場や玄関先の清掃、材料の仕込みとやることは山程あった
特にここ数日は濱乃屋始まって以来の大盛況で、市の職員団体の宿泊客で溢れかえっており部屋は満室、いつもより8割増しで忙しかった。そういう日は、浜風はいつも以上にめいっぱい働かされ、まかないにありつけない事もしばしばであった。だが、一度にこれ程多くの宿泊客が訪れたのは、浜風が知る限り初めてで、他の職員や総料理長でさえ、休憩時間も禄に取れない程だった。彼らは調理の最中につまみ食いしてまかない時間を省略していた。無論浜風にはそのような行為は許されておらず、休憩もなく、もう三日も食事にありつけないでいた
信じがたい事だが、厨房の誰もその事に気付かなかった・・・・いや、そもそも、誰も浜風の事など気にかけていなかったのである
むしろ、この忙しい中《演習》とかいう、わけのわからない用事で店の仕事を疎かにしていると、いつも以上に辛く当たられていた
浜風は、もう体力も気力も限界が来ていた。いかに艦娘と言えど、これ以上は無理な所まで追い詰められていたのである
「お腹が空いたです・・・・」
浜風は、ふらふらしながら駅をめざして坂を降っていた。正直、もう濱乃屋にも鎮守府にも行きたくなかった
「・・・おかあさん・・・」
ふと、母の名を呟く
「・・・死んだら・・・お母さんのところに行けるの・・・かな?・・・」
そう思った途端、体中から力が抜け、もう歩く気力がなくなっていた。下り勾配に足が体重を支えきれなくなり、つまづくように浜風は道ばたにへたり込み、その場を動けなくなってしまった
「でも・・・浜風、艦娘だから・・・・簡単には死ねない・・・・・」
体が・・・動かない・・・もう、どうでもよくなっていた。このままうつ伏していたら、車に轢かれて死ねるかも知れない・・・・そう思ってしまう位、浜風は憔悴しきっていた
「・・・・おかあさん・・・・」
「・・・・ちゃん?」
「・・・・・・・・」
「・・お嬢ちゃん?」
《・・・・・・?・・・・だれ?》
「・・お嬢ちゃん!・・・大丈夫かい?」
気がつくと、知らない人・・・おじさんが、浜風を抱き起こしていた
「大丈夫かい? お嬢ちゃん。どこか具合が・・・・」
そう言いかけて男は黙り込む。抱き上げた幼女の体が、まるで鶏ガラのように骨が浮き出ていたからだ
《・・・浜風・・・もう・・・疲れたの・・・・お腹・・・すい・・・・・》
そう、言いかけて浜風は意識を失った
男は、浜風を抱き上げ、周囲に人がいないのを確認すると、坂の途中にある脇道へと入って行った。そして、携帯でどこかに連絡を入れていた。浜風の腕には、鎮守府から支給されたGPS内蔵のブレスレットが巻かれていた。およそ10年程前の《ザラ失踪事件》以来、未成年の艦娘には所在を把握できるよう発信器付きのブレスレット装着が義務づけられていた。外すには、本人の指紋認証と、艦娘本人にさえ知らされていない12桁のコード入力が必要であった。
その男は、ブレスレットのタッチパネルに浜風の右親指を当て、12桁のパスコードを入力した
「・・・カチャリ!」
と、ブレスレットが外れた。その男は、指紋が付かないよう手袋をはめて注意深くブレスレットに触れ、一度浜風の手に握らせてから、ボルトクリッパーでブレスレットを切断、その場に放置した
やがて、迎えらしき1BOXの車が坂を上ってきた。その車は何の迷いも無く、脇道に侵入すると、浜風を抱えた男の前で停止した。そして中から白衣姿の男が二人降りてくる
「お待たせしました・・・・どうですか?浜風の様子は?」
「・・・大分、衰弱しているようだ。急ぎ治療をお願いしたい」
「承りました。こちらへ・・・」
白衣の男は、1 BOX車の後部ドアを開く。その中は、ストレッチャーや医療器具が置かれており、さながら救急車のようであった。
男は浜風をストレッチャーに寝かすと、そのまま車に乗り込んだ。白衣の男のうち、一人は浜風の横に座り、診察を始めた。もう一人の白衣の男は、後部ドアを閉め、運転席に回る
「極度の栄養失調と過労ですね・・・艦娘とはいえ、まだ子供ですからね・・・かなり危険な状態です」
白衣の男は、診断結果を口頭で説明し、運転席の男がそれを端末ごしにカルテに打ち込んでいた。どうやら、診断書を作成しているらしかった
そして浜風をストレッチャーに固定し、左腕を消毒してブドウ糖の点滴を開始
「1週間くらいは絶対安静です。落ち着いたら、そちらへ送り届けますので」
「お願いします」
浜風を乗せた1 BOXカーは、ゆっくりと動き出し、そして・・・どこかへ消えた・・・
某鎮守府、執務室にて
「・・・浜風が、来ていない・・・だって?」
寝耳に水だった
「はい、ロビーにも、演習場にもいないそうです。ログを確認しましたが、ゲートを通過した記録もありません・・・」
かなり動揺した様子で大淀は提督に報告する
「浜風のご実家・・・本家の方は何と言っている?」
「それが・・・定刻には家を出ているの一点張りでして・・・・」
「・・・・浜風の位置情報は?」
「実家のすぐ近くに反応があるという事で、今、公安が現場に急行しています」
「家のすぐ近く?・・・まさか倒れたんじゃ・・・」
「その可能性も含めて、救護班も同行させています・・・あ・・・ちょっと失礼します・・・」
大淀の所に、公安から連絡が届く
「・・・先程、浜風のご実家の近隣の路上で、ブレスレットが発見されたそうです・・・浜風は、以前行方不明との事です。」
「何だって!? 拉致されたというのか!?」
「落ち着いて下さい、提督!」
「あぁ・・・すまない・・・・で、ブレスレットは、どんな状態だった?」
「何かで切断されたような跡があったそうです。因みに、血痕とかはなかったそうです」
「無理矢理切り取ったのか・・・・パスコードを使っていない以上、身内の犯行ではなさそうだが・・・・」
「ですね・・・ブレスレットの外し方を知っているのは、鎮守府関係者のみ・・・パスコードは、ウチと・・・大本営しか知らないはずです」
「・・だが、少なくともあのブレスレットの機能を知っていた可能性が高い・・・」
となると、わからない。一体誰が、浜風を連れ去ったのか?
「ブレスレットが発見された場所は、ちょうど監視カメラが設置されていない区間だったそうで・・・・あそこは一本道だから、カメラもあまり密には置かれてないみたいですね。・・・で、浜風ちゃんが失踪したと思われる時間帯に、その近隣を通行した車両を、現在洗っている所です・・・・あ、また・・すみません・・・」
再び公安からの連絡が大淀に来る
「・・・はい・・・え・・・そう・・ですか・・・・はい・・・・わかりました・・・」
大淀の様子から、あまりいい話ではなさそうだった
「公安からか?」
「・・・はい・・・先程、濱乃屋に向かう道を通行した車両の洗い出しが完了したとの事です・・・」
「・・・で、何と言ってきた?」
「・・それが、浜風が失踪したと推定される時刻の前後二時間以内の間に、通行した車両はなかったそうです・・・・」
「・・・な・・・に・・・・!?」
「浜風は、多分あの丘から出ていないのではないかと、公安では考えているようです」
「・・・つまりそれって・・・・」
「・・・ええ、公安は濱乃屋当主を疑っているようです・・・この後、大々的に周辺の捜索をするとの事です・・・・因みにこの事は大本営にも報告済みとか」
「・・・まぁ、そうなるな・・・大本営は、何と?」
「直接はこれといって何も・・・ただ、公安からの情報を元に、警察庁が動き出したそうです。この流れだと、本家の方に、近く家宅捜索が行われるのではないかと・・・」
「令状もなしにか?」
「ご当主様、相当に嫌われてますからね・・・あまり隠し立てすると、何とでも罪状付けられかねません。周辺の捜索も、外堀を埋める一環ではないかと・・・」
「・・・とはいえ、浜風は艦娘だ。人間においそれとやられたりはしない」
「・・提督・・・あの子は当主には逆らえないんです・・・当主に自害せよと言われたら、そうしかねません・・・・」
「・・・まさか・・・ブレスレットは浜風自身に破壊させたのか・・・?」
「・・そういうことも、ありえます・・・ただ、工廟には浜風の艤装が消えていないそうなので、無事だとは思います・・・まだ・・・・それに・・・・・」
「・・・・まだ何かあるのか?」
「これはあくまでも大淀の憶測ですが、この件には多分あそこが絡んでいるのではないかと」
「・・・あそこ?・・・・・・・・・あ、まさか・・・」
「大分、浜風に固執していましたからね。その割に当方には何の指示もありませんし、今回の件で一番慌てそうな方々がこれといったリアクションもなくダンマリなのはいかにも不自然です」
「・・・はぁ・・・・そういう事か・・・」
「・・・出来レース・・・ですね」
「警察庁までグルだとは・・・まぁ、あまり感心はしないが、ご当主殿はやりすぎた、という事か・・・」
「一応、まだそうと決まったわけじゃないですけどね」
「確かに不自然だな・・・ならば浜風の事は・・・・・」
「・・・・・・・・・・」
「・・・・当面は、様子を見るしかない・・・・・か・・・・・」
浜風 10 雛鳥 につづく