祖母の言いつけに気が回らない程に憔悴しきっていた浜風は、スプーンすら握れない程に弱っていた
そんな浜風にやさしくお粥を口に運んであげる吉岡のやさしさに触れ、その張り詰めた気持ちが少しずつ癒されていくのであった
(2021年7月18日 執筆)
「・・・・・・?・・・・・・・・ここ・・・・・・」
「・・・・・・・どこ?」
そこは・・・知らない・・・天井だった
気がつくと、浜風はベッドに横たわっていた
少し堅い感触のマットに、真っ白で真新しいシーツ、そして薄い掛け布団が、胸の辺りまでかかっていた。白い漆喰の壁に、一枚きりの、ありきたりの複製の風景画が掛かっている以外、何の装飾もない簡素な部屋だった
「・・・お布団ふかふか・・・」
いつも薄暗い土蔵の地べたに丸くうずくまって寝ている浜風からすれば、病室の簡素なベッドでさえ寝心地のいい素敵な寝床に思えた
すんすんとお日様の匂いのするお布団の匂いを嗅ぎながら、ふと浜風は左腕の辺りに違和感を覚える。細い半透明のチューブが、肘より少し下辺りの腕の内側に・・・多分差し込まれていた。何カ所かテープで抑えてある。そのチューブは、大人の背丈位のスタンドに吊されたビニールのボトルのようなものに繋がっていた
「・・・・・何だろう?・・・これ?」
浜風は、点滴を見た事がなかった。過去、初めて夕張の元を訪れた時、身体検査中に経験していたが、その時は眠っていたため、見るのは今回が初めてだった
何となくだけど、これは外してはならないものらしい事は、浜風にも想像出来た。この感じは、夕張の所の工廟の医務室に、似たような感じを受ける
「・・・・そう・・・だ・・・・浜風は・・・・たしか・・・・・」
浜風は、自分が家を出て間もなく路上で跪いて動けなくなった事までは思い出していた。でも、そこから先の記憶がなかった
今は、倒れたあの時程辛くはなくなっていた。それでも、依然として体はどんよりと重く、寝返りを打つのも面倒な程のだるさを覚えていた
記憶も何だかぼんやりしていた。あの時、誰かがいたような気がするのだが、あまりよく思い出せなかった
「・・・あら、目が覚めたみたいね? お腹すいたでしょう? 今、おかゆ作らせてるから」
ふいに、誰かの声がした
「・・・・だれ・・・なの?」
そこには、回診用のカルテを手にした白衣姿の女性がいた
「・・・お医者・・・さん?」
「ええ、そうよ。私は吉岡彌生っていうの。みんなからは彌生先生って呼ばれてるの。少し、お話出来る?」
「・・・・はい・・・」
「そう・・・いい子ね」
そう言うと、その女医、彌生はベッドのリクライニングを起こしながら、浜風の頭をやさしく撫でた
「・・・・はぅ・・・・」
艦娘になってから、時々ではあるが、誰かに頭を撫でられる事が多くなったと、浜風は思った。濱乃屋に引き取られてからの二年間、頭を撫でられるどころか、祖母に抱きしめられる事も、誰かに優しくされた記憶もなかった。強いて言えば、先代の料理長が、浜風に目を掛け色々と手ほどきをしてくれた事くらいである
「・・・なんだろう・・・・きもちいい・・・・」
頭を撫でられている間、加賀や大鯨にそうされている時の事を思い出し、何だか心が温かくなっていくのを感じていた。気持ちよさそうに撫でられている浜風の様子に、彌生の表情が心なし緩んでいた
「倒れていたあなたをここへ運んでくれた人がいてね・・・・・感謝しなさいよ!あなた死にかけてたんだから!」
「・・・・ごめんなさい・・・」
「そこ謝るトコじゃないわよ。わかる?」
「・・・ありがとう・・・・ございます・・・」
「ん。 その人にも言っとく。 早速だけど、あなたのお名前は?」
「・・・・浜風・・・です・・・」
「・・・浜風?・・・変わった名前ね? 浜風なにさん?」
「・・・あの・・・浜風、艦娘なの・・・・だから・・・・」
「あら・・・そうなの?・・・・・ははぁ、道理で・・・・」
「・・・?」
「あなた・・・・浜風ちゃんだったわね・・・・ここに運ばれてきた時、本当に危ない状態だったのよ。 てっきりもう亡くなってると思った位に弱っていたの。普通の人間だったら、間違いなく死んでたわ」
「・・・そう・・・なんですか・・・」
「高カロリー輸液・・・栄養を、ほら、この細い管を通して浜風ちゃんの体の中に運んでいるの・・・でも、思ったより回復してないのよね。艦娘と言っても、こういう所は普通の人とあまり変わらないのね。やっぱりちゃんと口からものを食べないと。お腹すいたでしょ?」
「・・・・うん・・・」
程なくして、浜風の病室に食事が運ばれてきた
「胃がびっくりするといけないから、最初はおかゆで我慢してね。ゆっくりよく噛んで食べなさい」
「・・・はい・・・ありがとうございます・・・」
「あなた、小さいのに随分礼儀正しいのね?親御さん、厳しい方なの?」
「・・・あの、両親は・・・いません・・・・御婆様だけ・・・・・」
「そう・・・ごめんなさいね、変な事聞いちゃったわね」
「・・・・変な事?」
「・・・ううん、何でもない」
《・・・・この子、自分の置かれている状況に自覚ないみたいね?》
「さ、冷めないうちに食べなさい」
「・・・はい・・・いただきます・・・」
言われるままにスプーンを手におかゆを食べようとする・・・・・が・・・・
「・・・あれ・・・・スプーンが・・・・・」
手に力が入らない・・・・指先がおぼつかなくて、スプーンをうまく握れない。生命維持に体内エネルギーを集中させているため、四肢のコントロールが後回しにされていた。ステータスやエネルギーを一度コアに回収し、再分配して生命維持に当てる無意識下の能力は、人間にはない、艦娘特有のものである
「まだうまく握れないのね。私が食べさせてあげる・・・・はい、あ~んして」
彌生は、スプーンでおかゆをすくい、ふーふーしながら浜風の口元へと運ぶ。浜風はと言うと、誰かに食べさせてもらうのは、遠い昔に母親にしてもらってた時以来だった
それだけに、正直、戸惑っていた。何もかも自分一人だけでやらなければならなくなって久しい。誰かの好意を受ける事に、まだ慣れていなかった。ましてや、ごはんを食べさせてもらうなんて事は、明らかに浜風の中では想定の外にあった
・・・・それに・・・
「・・・あ・・・あの・・・浜風、自分で・・・」
そう言いかけた浜風を彌生は制した
「無理はしちゃだめ・・・・あなたは子供なんだから、大人に甘えていいのよ?」
「・・・でも・・・御婆様が・・・・ダメ・・・だって・・・・」
「何がダメなの?」
「・・・人に・・・頼ったらダメ・・・だって・・・・」
「食べないと直らないのよ。こんな時だもの、御婆様だってダメとは言わないでしょ?」
「・・・・死んでも・・・・ダメ・・・だって・・・・人に頼る位なら・・・死になさいって・・・」
「本当に御婆様が言ったの? そんな事?」
「・・・・・はい・・・・・あ・・・・いいえ・・・・」
「もし、それが本当だとしたら、あなたの御婆様はおまわりさんに捕まっちゃうわよ?」
「・・・・え・・・・・どう・・して?」
「あなた、お家でご飯ちゃんと食べさせてもらってる?」
「・・あの・・・お客さんが残したごはんは・・・・食べていいって・・・・だから、食べれる時もあります・・・・」
「・・・食べれない時もあるのね? 最後にご飯を食べたのは何時?」
「・・・市のお客さんが来る前の日の朝に・・・その日はキャベツの千切りが少し残ってたの・・・・美味しかった・・・・」
《・・・・ふ~ん・・・・そういう事・・・・》
浜風がここに運び込まれてから既に三日が経過していた。少なくとも、六日以上は何も口にしていない事になる
敢えて何も知らない風を装っているが、実の所、彌生は浜風の事を知っていた。浜風がここに連れてこられた経緯も、事情もある程度掌握していた。浜風の祖母が精神支配を施している事も・・・・
彌生は浜風をそっと抱き上げ、膝の上に座らせた。そしてやさしく抱擁しながら・・・
「辛かったわね、浜風ちゃん・・・・もう、そんな思いをしなくてもいいのよ」
「・・・・?」
「と言っても、わからないわね・・・・それじゃ浜風ちゃん、これは医師としての命令です・・・・あ~んして」
目上の者に命令されると拒めない・・・・これまでの報告書から、そういう《躾け》が施されている事を、彌生は看破していた
「・・・・・はい・・・」
ほんの少しだけ逡巡した後、浜風は彌生に従った。彌生の膝の上にちょこんと座ったまま、浜風はその小さなお口をあける
「・・・・・・あ~ん・・」
「ちゃんと出来るじゃない。いい子ね」
彌生はスプーンにすくったおかゆを浜風の口元へ運ぶ。それを浜風はおずおずとパクリとくわえ込む。ゆっくりと、もぐもぐと咀嚼する。その度に浜風の表情はみるみるうちに緩んでいく。もう何日かぶりの食事にありつけて、ようやく浜風の張り詰めた気持ちが落ち着きを取り戻しつつあった
「・・・美味しい・・・」
「飲み込んだら、またあ~んしてね」
「はい・・・・・・あ~ん」
小さなお口をいっぱいにあけて、おかわりを待つ浜風はかわいらしかった。彌生からすれば、まるで雛鳥に餌やりをする親鳥の心境である
《・・・随分と辛い目にあっていたはずなのに・・・こんなに素直でおだやかな気質なのは不思議ね・・・》
彌生は、もうすっかり浜風が気に入っていた。出来る事なら、自分が引き取って育てたい位であった
ひとくちひとくちを、ゆっくりと味わうように咀嚼しながら、浜風はそれまで自分が過ごしてきた世界と外の世界とは、どうやら違うらしいと感じ始めていた
《外の世界の人って・・・みんな・・・こうなのかな?》
浜風の食事タイムは、ゆっくりと流れていた。食べ終わる頃には、浜風は気持ちよくて・・・眠くてうつらうつらしていた。量にして子供用の小さなお茶碗一杯分くらいの、ささやかな食事であった
それでも、こんなにお腹いっぱいにご飯を食べたのは久しぶりだった。それも、客の食べ残した残飯などではなく、おかゆとはいえ、ちゃんとした美味しい料理であった
何時しか浜風は《ごちそうさま》を言う間もなく、彌生の胸の中で寝息を立てていた
彌生はそんな浜風を優しく抱きしめ、そのおでこに軽くキスをした。そしてベッドに寝かせたあと、
「・・・・もしもし、吉岡です・・・はい、経過は順調です・・・・ええ・・・・・・・・
言質も取れてますし、後は物証があれば、挙げられます・・・・・録画データをそちらに送りますので、あとは宜しくお願いします・・・・・・」
電話を切ると、彌生はすやすやと寝息を立てて眠る浜風の頬に掌を添える・・・・
「・・・大丈夫・・・・・もう、大丈夫だから・・・・・・」
不知火編 16 不知火、浜風と邂逅す につづく