団体戦が終わった後は、ランダムでの個人戦が行われていた。
四葉には団体戦同様に技を使わない事と手加減を覚えるように指示を出し、ことりには絶対に殺気を出さない事、綾那にはまだまだ無我の境地に入るのに意識が無いのでいつも通りに試合をするよう伝えた。後は、消化不良の忠義については闘気を禁止にしておいた。まだまだコントロールが出来ないのに、あんなものをばら撒かれたら、駿府学園の生徒が不憫に思ったからだ。最初は不服そうではあったが、今の自分の実力を測るのに良い機会だと、とりあえず説き伏せておいた。
そんな中、僕は武道場の片隅に用意された机と椅子のセットの椅子に座っている。そして、目の前の机には大量の色紙が山積みに置かれ、サインペンというよりも筆ペンも用意されている。
そして、僕の座っている右後ろではニコニコとした太原さんが立っており、僕の前には駿府学園の生徒達が全員とはいかないが何十人も並んでいる。
「太原さん?これはいったい?」
「言ったではないですか。貴方を尊敬なさっている生徒がたくさんいると。それで、今回はその子達にサインと握手でもお願いしようかと。しかし、おかしいですね。この件は今井様にご了承いただいていたのですが…この色紙等も今井様がご用意なされた物ですし」
「いえ。いつもの事なので大丈夫です…」
「……お心痛み申し上げます…」
「その言葉だけでも救われますよ。ははは…」
突然何も言わずにこのような事が起きるのは日常茶飯事である事を太原さんに伝えると、僕の大変さを悟った様で、何とも言えない様な顔で頭を下げてきた。なので、僕はそれだけでもありがたいと伝えて苦笑いを浮かべた。
「嘆いていても始まらないので、さっさと始めますか!じゃ、名前から聞こうかな」
そうして名前を聞き、握手をしながら一つ一つフルネームを付けながらサインを続けていった。
そうしていく内に最後の生徒が来たのだが……
「あれ?君って阿部さんだっけ?もう立って大丈夫なの?」
「は、はい!…あの…太原コーチから聞きました……その…真っ先に私の身の安全を診てくれたとか…」
最後に来た子は、四葉と対戦した阿部さん。四葉の一撃で気を失っていたのだが、歩けるまでに回復したようである。それにはホッとするしかなかった。
四葉のせいで病院送りとか止めてほしいしな…
「いやー、あれは太原さんも一緒だったからね。すまなかったね、僕の指導不足で君にあんな思いをさせてしまって」
「そ、そんな!あれはただ私の実力不足によるものです!今後も精進していきます!」
僕の申し訳ない表情での謝罪に阿部さんは、あくまでも自身の実力不足からなるものだったと、自身を鼓舞するように話してきた。努力家でいい子なのかもしれないな。
そんな思いで左手を差し出すと、阿部さんは嬉しそうに握手に応じたのだが、その顔がすぐに曇ってきた。
「ん?どうかしたのか阿部?」
そんな阿部さんの態度に気づいた太原さんは、不思議そうに阿部さんに声をかけた。
「い、いえ…その…吉浦選手って、ご結婚されてたんですか?」
「ん?あ、ああ。本当ですね。左薬指に指輪が。先程までは試合だから外されてたんですか?」
阿部さんは少し寂しそうな顔ではあったが、太原さんはいつもの様に話してきた。
「ええ。今月の頭に籍を置きまして。この時間位は外しても良いかと思ってたのですが、妻がもう試合をしないなら付けとくように、と念を押すように渡されましたので」
「あははは。今月籍を置いたのであれば新婚。奥様のお気持ちも分かりますな」
僕の結婚話を伝えると、太原さんからは笑い話として返された。
「──!渡された……吉浦選手の奥さんは今ここに!?」
「ああ。今も皆の試合を姉妹や友達と楽しそうに見てるんじゃないかな。それで?阿部さんの下の名前は?」
「え?あ、
「へぇぇぇ、綺麗な名前じゃない。美人の阿部さんに似合ってるんじゃない?」
「ほ、本当ですか!?」
何気なく話しながら書き終わったサインの色紙を渡そうとすると、阿部さんが机に両手を着いて僕の顔に自身の顔を迫らせてきた。
「えっと…美人ってところかな?そこなら本当だよ。実際空手部内でもモテるでしょ?」
「そうですな。特に氏彦などご執心ですな」
「嫌ですよ、あんな奴!いつも声かけてきて気持ち悪いったらありゃしない!」
相当氏彦っていう男は嫌われてるんだな…せっかく才能があるだろうに勿体ない。
「まあ…今川さんところの次男がどんな人か知らないけど、さっき僕が言った事は本当だよ。はい」
「──っ!ありがとうございます♪」
僕からサインの色紙を受け取った阿部さんは、顔を赤くしながらもその顔を色紙で隠すようにこちらをうるうるした目で上目遣いしてきていた。
阿部さんは本当に美人にあたると思う。
こげ茶色のロングストレートヘアーで、切れ長のタレ目でふんわりした印象を持たれる外見をしている。
何て言うか、美波さんが少し幼くなった感じであるのだ。
こりゃ、本当に学園の男子はほっとかないだろうな。
「と…そうだ。阿部さんは試合が出来る位に快復してる?」
「え?ま、まあ……」
そんな風に阿部さんの容姿を頭の中で褒めながら、阿部さんの現在の体の状態を確認した。
すると阿部さんからは不思議そうに問題ないと返答が返ってきた。かく言う太原さんも不思議そうな顔をされている。
「うちの四葉のせいで阿部さんは消化不良でしょ。個人の試合にも出てなかったみたいだしね。だから、お詫びって訳じゃないけど、僕が立ち稽古をしてあげるよ」
「いいんですか!?」
僕の提案に阿部さんは嬉しそうな声で返ってきた。
「ああ。僕なら彼女に無理をさせたりしませんので、問題ありませんよね?」
「ええ。吉浦さんなら問題ないかと」
という訳で急遽、僕は阿部さんの立ち稽古をしてあげる事になったのだった。
〜美優・雪斗side〜
「やったじゃん、美優。吉浦選手から指導受けられるなて!」
「うん……」
美優が和彦から稽古を受けてもらえる事になった美優は、ヘルメットなどの用意をしながら友人達に囲まれていた。
友人達は嬉しそうに話すも、美優は心ここに在らずといった感じで、和彦の方を見ていた。
その和彦は結婚指輪を外して五月に渡しているところだった。それを、ことり達が取り合おうとしているのを和彦が諌めているところであった。
(最初に指輪を渡した人が吉浦選手の奥さんってこと?て事は、学生!?それに私と戦った中野さんと同じ顔がいっぱい!?)
美優は二つの事で驚いていたが、和彦が何やら指示をすると部員が全員何かを足首に巻いて外に次々と出て行っていた。
「コーチ?あれは何を?」
「んーー…多分アンクルウェイトを付けてのランニングの指示でもしたんじゃないだろうか」
雪斗の近くにいた岡部が雪斗に、旭高校の部員達の行動に疑問を持ったので聞くと、それに雪斗が右手で顎を撫でながら答えた。
「アンクルウェイトですか?」
雪斗の回答に葛山が不思議そうに聞き返した。
「ウェイト。つまり重りだね。多分、旭高校ではランニングの時はああやって重りを足に付けてるのだろう。なるほど。それで、あの強靭な下半身を作っていたのか。それに、面白いところが、全員が嫌々付けずにいる事だね。余程の信頼だ」
「うちの顧問とは大違いですね。うちは太原コーチあってのものですし」
雪斗の言葉に朝比奈が皮肉めいた言葉を発した。周りの生徒も同じ気持ちなのだろう。同意する様に頷いていた。
そんな生徒達の態度に情けなくなり、武道場の中央へと目を向けた。そこには既に準備が出来ている美優に、遅れて和彦が小走りに美優に近づいているところだった。
よく見ると、旭高校側はマネージー陣もランニングのサポートに全員向かっているようで、残っているのは、一花と五月と芹菜と小百合と葵と紬といったメンバーであった。
「悪いね遅れて」
「い、いえ!ご指導いただけるだけでも恐縮です!」
美優に和彦が声をかけると、美優は先程のモヤモヤはどこへやら。緊張気味に和彦に答えていた。
「あははっ…そんなに緊張しなくても大丈夫だよ。リラックスして。そうしないと、自分の実力の半分も出せないよ」
そんな緊張しい美優に笑顔で話しかける和彦が、美優にとっては逆に緊張を促してしまっていた。
「まあ、少しずつ慣れていくでしょ。で、葵さんから事前に貰ってた動画と今日の構えから思った事があるんだけど、ちょっとだけ体を触っても良いかな。僕なりにこう構えたら良いんじゃないかなって思うものがあってさ」
「は、はい!吉浦選手ならどこまでも触っていただいて大丈夫です!」
和彦の言葉に美優は大きく出て、声に出してしまっていた。
「そ…そう?なら、いつもの構えを取ってもらっても良いかな?」
「はい」
(うーーー…吉浦さんに引かれちゃったよぉぉ…でも、すぐに切り替えて凄い真剣な顔でいるんだなぁ…)
最初は美優の言葉に若干引いた和彦であったが、その後は真剣に美優の構えをレクチャーしていった。
そんな姿を五月は、預かっている指輪をギュッと握りしめながら頬を膨らませて見ていた。
「ほら、五月ちゃん。どうどう。ただの指導なんだからさ」
「わ、わわ、分かってます!こ、ここここ、こんな事でど、どどどどどど同様など!」
「滅茶苦茶してるわね」
「五月さんってば可愛いんだから♪」
「ふふふ…これで、幾多の女性に和彦さんの体を許しているのですから、分からないものですね」
「あはは…」
五月の考えでは、和彦を心から愛する者であれば、和彦が許せば体の関係だって許している。しかし、嫉妬をしない事とは関係がないのだ。
自分の夫が、恐らく和彦へ好意を抱いている女性に優しく接しているところを見るのは案外辛いものでもあるのだ。
五月の心もまた複雑なのであった。
そんな五月に抑えるように一花が話しかけるも、どもりまくりの五月に小百合が冷静にツッコミ、芹菜はそんな五月を可愛く感じながら見ていた。
そして、大人組の葵と紬もまた、これで自分の夫が他の女を抱くことを許す心の広さがある事におかしく感じるのだった。
「うん。こんなものかな。この姿勢覚えておいてね」
「は、はい!」
「じゃ、その状態で始めようか!」
一方の和彦は、美優の構えに満足すると、一気に闘気を上げた。
『───っ!!』
それには、美優や雪斗は勿論。他の生徒も驚いていた。
「うちは、稽古の相手が男だろうが女だろうが、僕は闘気を上げて相手をしている。まあ、相手の実力にあったものだけどね。分かりやすく言うと、今の僕はことりと組手を取る時と同じ位の闘気を上げている」
「──っ!あの、ことり選手とですか!?」
和彦の言葉に美優は驚くも、そんな美優に和彦はにっこりと笑みを返した。
「君はそれだけの実力があるって事さ。さ、僕からは何もしない。どこからでもかかってきな。動ければ、だけどね」
驚きの美優に笑みを浮かべた和彦は、両手を下に広げるようにして美優の攻撃を待っていた。
「すげぇ!旭高校ではそんな事してんのかよ!」
「私たちの攻撃がいとも容易くいなされるわけね…」
和彦の部活動の話をすると、瀬名と萩が旭高校の特訓内容に驚き、今日の試合展開にも納得する声を出していた。
(自分に厳しく、生徒にも厳しく。全く、あの人の空手に対する想いが滲み出てくるものだな。そんな彼に勝つには、やはり腹を括るしかないか…丁度葵様もいるみたいだしね)
驚きを隠しきれていない生徒達の傍では、雪斗は和彦に関心すると同時に、和彦に勝つ為に、とある決断を心の中で下した。
(くっ…!こんな圧倒的な威圧を前にっ…!攻撃どころか、動くことさえっ…!)
一方の美優は、先程指導された構えから僅かにも動けずただただ時間が過ぎていっていた。
「ふふふ…そんなに怖がらなくても良いよ。僕は誰だい?」
「──っ!そうか!やぁぁぁっ!」
そこに和彦のアドバイス的な言葉がかかると、美優の中で緊張の糸が切れ、和彦に攻撃を仕掛けていた。しかもそれは──
「動いた!」
「しかも、速い!いつもの美優じゃないみたい!」
美優の友人達も驚く程の速さで和彦に右の蹴りが炸裂していた。しかし、それは呆気なく和彦にいなされていた。
「良いね!その調子、その調子!もっと速く!的確に!」
「はぁぁぁっ…!やっ!はっ!たぁぁぁっ…!」
和彦の言葉に促されるままに、美優の動きはどんどんと良くなっていき、和彦のいなしも当たるすんぜん迄になっていた。
「あらあら。やりますわね、あの子」
「すごっ!センセが言った通り、ホントにことり並の速さなんじゃない?」
「ええ。素人目の私でもそう感じます」
そんな美優の動きに、葵と一花と五月から素晴らしい動きであると感嘆な声が上がっていた。
「凄い!凄い!どうしちゃったの美優ってば!」
駿府学園側の生徒達も美優のいつもと違う動きに、驚きつつも歓声を上げながら美優を応援する声がどんどん上がっていた。
(これが吉浦和彦という男の空手道……吉浦さんはともかく、攻撃が中々当たらない阿部にも笑顔が出てきて、そして観客にも……やはり、私は……)
その後も和彦による美優への指導組手は続くも、雪斗は一人吉浦和彦という男の空手道に惚れ込んでしまっていたのだった。
今回の投稿も読んでいただきありがとうございます。
今回は、四葉に1発KOさられた阿部美優と、今後の事である決断をした太原雪斗に焦点を当てたお話となっております。
美優は、和彦と雪斗が四葉の攻撃で気を失った美優の状態を診ていた時に雪斗が話していた通りの大の和彦ファンの様でしたね。
しかし、握手の際に和彦の結婚指輪を見てショックを受けていたみたいです。
そして、雪斗もまた、和彦の空手道に惚れ込みある決断を下した様であります。
そんな次回は、大成功を収めた練習試合後の旅館でのお話を書かせていただこうかと思っております。
次回の投稿は9月15日を予定しております。
次回の投稿も読んでいただければ幸いです。
どうぞよろしくお願いいたします。