次の日の朝。職員室の前まで来たところでふぅと一息入れた。
さて、芹菜さんと会うわけだが…普通に、普通に。
そう自分に言い聞かせて職員室の扉を開けた。
「おはようございます!」
「おはようございます、先生」
「おー、おはよう」
毎朝している朝の挨拶をして職員室に入ると、扉近くの先生から挨拶が返ってきた。自分の席に向かう途中でもすれ違い様に挨拶をしていく。そして──
「お、おはようございます…」
「おはようございます、吉浦先生」
自身の席まで来ると既に出勤して準備に取りかかっている芹菜さんに挨拶をした。少しどもってしまったのは許してほしい。
すると、芹菜さんからはいつもと変わらない笑顔で挨拶を返された。
それにほっとしながら席に着いて僕も準備を始めたのだが、横からクスクス笑い声が聞こえてきた。
「え、どうされました?」
「いえ、すみません。吉浦先生があまりにも緊張した雰囲気でしたので、つい……ふふふ」
うーむ。そんなに緊張しているのが表に出ていたのか。しかし、昨日の今日でどう接すればいいのか悩んでしまうのもまた無理はないと思う訳で。
「……昨日のこと、少しは意識してくれてるんですね」
「少しどころか、凄い意識してますよ。もう、どう接すればいいのか、ずっと考えてましたし」
「いつも通りでいいですよ。でもそうですか。そうやって意識していただけたのなら、昨日の告白も無駄ではなかったんですね」
しどろもどろの僕と違い、本当にいつも通りな芹菜さんに驚きでしかなかった。
と言うか、確か異性に告白したのは初めてだって話だったはず…肝の座った人である。
「それと。ご存じの通り、私は諦めたつもりはありませんので。これからも、どんどんアピールしていくつもりですので覚悟しててくださいね」
「はい…」
ウィンクをしながら宣誓してきたので、もう『はい』と答えるしかなかった。
「そうだ。お昼一緒にしてもいいですか?」
「お昼ですか?まあ、構いませんが…」
「良かったぁ。じゃあ、お昼休みになったら数学準備室に向かわせていただきますね」
「分かりました」
立川先生が数学準備室にお昼休みに来るのは初めてという訳でなかった。彼女はいつも食堂を利用していることもあり、そんなに頻繁に来ることも無かったのだ。とはいえ、食堂は長期休暇の時は開いていないので、長期休暇の度に数学準備室に昼休みの時は来ているのだ。
何度か職員室での昼食も試したようだが、落ち着いて食べることが出来ないと言っている。僕も同じ理由で数学準備室を用意したようなものなので、来ることを断るということをしてこなかったのだ。
そんなこんなで、朝の準備をしていると朝礼が始まった。
コン…コン…
お昼休みも終わり、午後の仕事に取り組んでいると控えめなノックがあった。珍しく他の先生の来客かと思っていたが、意外な人物の来訪であった。
「はい、どうぞ」
「失礼します…」
「あれ?三玖じゃないか」
作業を止めて扉の方に振り返ると、入口には三玖が佇んでいた。
「どうした?冬休みにここに来るなんて、何かあった?」
「そうじゃないけど……本…返そうと思って…」
「本?そんな返すくらい新学期でもいいし、なんだったらうちに持ってきてもらっても良かったのに」
「次の本も読みたかったから…後、冬休みの課題を少しでも進めようと思って…」
ふむ。三玖にとっては図書館に行くのとここに来るのとではなんら変わらないのだろう。三玖本人がしたいと思っているのなら拒むこともないか。
「そういうことならどうぞ。前に借りていった時から代わり映えはしてないけどね」
「うん…!」
僕の返答を聞いた三玖は、早速ソファーの上に鞄を置き、その中から本を取り出して本棚に戻した。そして、次の本を見繕い始めた。
そんな三玖を見て、また作業に戻ることにした。
「先生って、私たち生徒がいない時って何してるの?」
「うーん…そうだなぁ…新学期の準備をしたりするのが主かな。後は会議をしたり、校内を見回ったり。たまに他の学校との研修会もあるからそれに参加したりかな」
「へぇ~、意外にやることあるね……あ、これにしよ」
「意外って失礼な。まあ、僕達は君達生徒に教える立場でもあるからね、勉強も欠かせないよ」
「そっか…先生も勉強してるんだ」
「そうですよぉ」
三玖に返事をしながら最近大学で発表された記事を確認していく。
昨日見たばかりだからやっぱりそうそう新しいのはないか…ん?これは昨日は無かったなぁ。ちょっと見てみるか。
目当ての記事を発見したので、その記事を画面に出して中身を読むことにした。
「先生って、立川先生と付き合ってるの?」
パソコンの画面をじっと見ていたので、三玖が真横に座っていることに気づかず、さらに突拍子もないことを聞かれたのでビックリしてしまった。
「は?」
以前にも聞かれたことだったので何故今更聞いてくるのか分からず三玖の方を向くと、どこか悲しげな、だが真剣そうな顔でこちらを見ていた。
「いや、前にも言ったけど付き合ってないよ」
「……でも、昨日は…立川先生の家で…夕飯食べたって……」
なんかどんどん泣きそうな顔になってきてるけど、昨日の事はもしかして五つ子にも知られてるのだろうか。もしくは、五つ子の誰かが目撃してそれをことりに話したかだろうけど…
はぁぁ…
「どこでその事を知ったのか知らないけど、答えは変わらないよ。僕と立川先生は付き合ってない」
「……本当?」
「ああ。てか、そんなに泣くこと?」
「そ…それは……二人が付き合っちゃったら、今まで通りに話せないと思って……」
「へ?」
そんなこと気にしてたのか。
「まったく…僕が誰と付き合ったとしても、君達五つ子との関係性は変わらないよ」
三玖の頭を撫でながら僕の思っていることを伝えた。三玖は微笑んだまま僕にされるがままだ。
そういえば前にも、ことりに対してこんなことあったな。あの時も悲しい顔から笑顔になったっけ。
「少しは安心してくれた?」
「うん……どちらかと言うと、付き合ってなかったことに安心してるけどね」
最後の方は聞こえなかったが、安心したのならなによりだ。
「そうだ。冬休みの課題も持ってきたから、わからないところ教えてほしい」
「ほぉ、殊勝な事だね。いいよ、どの辺?」
「えっと……ここなんだけど…」
三玖は鞄からノートを取り出すと、分からないと言っている場所を開いた。ノートを見る限りだと、既に解いている箇所もあるので、しっかりと課題に取りかかっているようだ。もしかしたらことりが教えに行っているのかもしれない。
そうして、暫くは三玖に解説をしながら時間を過ごすのだった。
そして、帰る時間になったので鞄を持って数学準備室を後にした。
冬休みの課題をある程度教えた後も三玖は本を読んで最後まで滞在していた。家も隣なので帰りも一緒にすることになった。
「じゃあ、僕は教員用玄関の方に回っていくから外で落ち合おうか」
「わかった」
昇降口と教員用玄関の分かれ道に来たので、それぞれ靴を履き替えたら外で落ち合うことにした。すると、ちょうどそこに芹菜さんが声をかけてきた。
「良かった。ちょうど帰られるところだったんですね」
「ああ、立川先生。お疲れ様です。どうしてこんなところに?」
「一緒に帰ろうかと思いまして……て、あら?中野さんじゃないですか。どうしてここに?」
「冬休みの課題で分からないところがあると質問に来てて、先ほどまで数学準備室で勉強してたんですよ。で、家も近いしで一緒に帰ることにしたんです」
「そうだったんですね…うーんと……ヘッドフォンをつけてるから三玖さんでいいのかな?」
芹菜さんの質問に無言でコクンと三玖は頷いた。どうやら三玖はまだ芹菜さんには距離を置いているようである。
「それにしても、わざわざ学校まで質問に来るなんて、よほど信頼されていらっしゃるんですね」
「まあ、そうですね……」
本当は本を読みに来ていたんだけどね。うーん…この際だし、芹菜さんには話してもいいような気がするな。
そこで僕は、三玖に近づき小声で話した。
「なあ。立川先生には三玖の戦国史好きを教えてもいいかな?立川先生なら周りに言ったりしないだろうし」
「………わかった…」
少し思案した後に三玖からの了承も取れたので芹菜さんに説明することにした。
「信頼されたいるということもあるかもしれませんが、三玖は数学準備室にある本を目当てに来てるんですよ」
「本?」
「はい。以前にもお話しをした、本を貸している戦国史好きの生徒が三玖だったんです」
「え?そうだったんですね。そういえば、中野さんたち姉妹の中でも三玖さんは社会がしっかりと解けていましたね」
「三玖の知識は凄いですよ。たまに僕の知らないことも言ってきて、驚いたことも何度もあるくらいですから」
「そんなにですか……三玖さん、良かったら今度私ともお話ししましょ。私もそれなりの知識があるから」
「う…うん…」
微笑みながら芹菜さんが三玖に提案すると、緊張している様子で三玖も答えた。
「て、そうでした。立川先生は僕をお誘いに来ていただいてたんですよね。三玖、立川先生も一緒でいいかな?」
「……かまわない」
じっと立川先生を見た後に、三玖は了承してくれた。
「ありがとね。で、立川先生は三玖が一緒でもいいですか?」
「構いませんよ。では、行きましょうか」
「ええ。じゃあ三玖、また後でね」
その後、靴を履き替えた僕達は外で合流して帰ることにした。
三人並ぶのも通行の邪魔になるので、この機会にと三玖と芹菜さんが並んで歩き、僕は後ろから付いていくことにした。
帰る時に話す内容はやはり戦国史で、最初はよそよそしかった三玖も次第に僕と話す雰囲気になっていた。芹菜さんも途中驚きや笑顔を交えて話していたので、お互いが退屈しないで済んだようだった。
「そういえば、吉浦先生は年末年始でご実家に帰られるんですよね?」
「ええ。チケットも取れてますので後は着替えとかを軽く準備をするだけですね」
「え?先生って年末年始いないの?」
「ああ。そういえば言ってなかったっけ。僕とことりは、年末年始は実家に帰ることにしてるんだよ。僕は最悪帰らなくてもいいんだけど、ことりはちゃんと年末年始には親に顔を見せないといけない約束があるからね」
「そ…そうなんだ…」
とても残念そうな顔で前に向き直した三玖。
こればっかりはしょうがないからなぁ。
「本当に残念ですよねぇ。初詣、先生と一緒に行きたかったので」
「あれ?毎年友達と行かれてたんじゃなかったでしたっけ?」
「そうなんですけど。たまには違う人とも行っていいかなと思っただけですよ」
そこでウィンクしながら伝えてくる芹菜さん。これは本気だ。
「わ…私も…!」
「ん?」
「私も先生と初詣行きたかった。もちろん、ことりとも」
「そ…そう?」
「うん…!」
僕の質問に三玖は力強く頷いた。生徒にここまで言われたのは初めてではあるが、まあ兄妹で関係性を持ってれば、もう教師と生徒の関係とは言えないのかもしれないな。
「そこまで言うのであれば、僕とことりがこっちに戻ってきたらお参りに行きましょうか。みんなで」
「「みんなで……」」
あれ?なんか間違えた?
三玖と芹菜さんは少し残念そうな顔をしている。
「ふふふ…それも良いのかもしれませんね。お戻りになるのは何日ですか?」
「えっと、二日には戻ってますので、行くとしたら次の日の三日でどうでしょう」
「私は構いません。予定は開けておきますので、決まったことがあればまた連絡してください」
ちょうど別れ道に着いたので、そこで芹菜さんは自身の家に向かって歩いていった。
そんな芹菜さんを見送った僕と三玖もマンションに向かって歩みを進めた。
「本当に立川先生と付き合ってないんだよね?」
「疑り深いなぁ。本当に付き合ってないよ」
「むーー……」
そんなマンションに向かう道すがらでも、何故か必要に三玖からの確認が入るのだった。
~一花・三玖side~
「ただいま…」
「おかえりぃ~」
和彦と玄関で別れた三玖が家の中に入ると、一花がリビングのテーブルで何かをしていた。
「一花、勉強してたんだ」
「まぁねぇ~。今日は仕事でほとんどできなかったし、できる時にやっとこうかなって」
キリもいいのか、一花はそんな話をしながらノートを仕舞い始めた。
「そういう三玖は……制服姿ってことは学校行ってたの?」
「うん…先生のとこ…」
一花の質問に少し恥ずかしそうに三玖は答えながらテーブル傍に座った。
「ふーん…もしかして、昨日のことが気になっちゃった?」
一花の言葉に三玖はしっかりと頷いた。
「まあ、仕方ないよね。私だって気にはなってたし。それで?ちゃんと聞けたの?」
「うん。そしたら先生、付き合ってないって」
「そっかそっか。それならひと安心だね」
安心させるように一花は話すが、三玖はどこか考える素振りを見せた。
「三玖?」
「……あまり安心もできないかも…今日、先生と立川先生と三人で帰ってきたんだけど、立川先生すごい先生にアピールしてた。だから負けてられない…」
真剣な顔で遠くを見ながら話す三玖の姿に、一花は少しだけ圧倒されてしまった。
「だから、まずは赤点回避。いつまでも赤点取ってたりしたら、先生に呆れられちゃう」
「そっか…三玖は強いね」
一花は強い想いを持っている三玖にどこか羨ましい気持ちが沸き上がってきていた。
「そういう一花はどうなの?フータローにアプローチとかは?」
「あはは…私は今のところないかなぁ…最近ようやくフータロー君が家庭教師として戻ってくることになったしね」
一花は右手で頭を掻きながら笑って答えた。
「まあ、それこそフータローもまずは赤点回避からかもね」
「だね……うん、頑張ってみようかな。よし!赤点回避のために頑張っていこー!」
「おー…」
中野家のリビングでは、一花と三玖の二人が共に頑張っていく事を誓い合うのだった。
今回の投稿も読んでいただきありがとうございます。
今回は、芹菜の告白後の和彦の様子と三玖の数学準備室に訪問の話を書かせていただきました。
芹菜は自分の気持ちを告白したことで気分は晴れアピールに力を入れ始めたのかもしれません。
三玖も三玖で、告白のことは知りませんが芹菜の姿を見て新たな気持ちを持ったようです。
次回の投稿は4月27日を予定しております。
次回の投稿も読んでいただければ幸いです。
どうぞよろしくお願いいたします。