人を好きになるって、大変だ。楽しくて愛しくて、でも哀しくて辛い。相手の一挙手一投足に心が振り回され、何をしても落ち着かない。それどころか一人の時でさえ、24時間エンドレスで地獄のような天国気分。正直あそこで面と向かって終わらせられたのは、きっと良かったんだろうな。あのままだと多分私は破裂していた。
そこから時間が経って気持ちも落ち着いたせいか、驚くべき事に私は終わった恋を過去のものと割り切れるようになった。と言うか部活も試験もそれとはなんの関係もなく存在していて、そっちを無視するわけにもいかないのだ。どうも人間と言うのは思った以上に頑丈で、恒常性に充ちているらしい。死ぬほど辛くたって、それに浸ってばかりじゃいられない。お腹もすくし眠くもなる、結局前を向くしかないんだ。
しばらく色恋沙汰は良いかな、疲れるしめんどくさいし。そう思い始めていた夏の終わり、一体どういう風の吹き回しなんだろうか。
いつの間にやら私には、恋人なんてものが出来ていた。いや別に自然発生した訳ではないんだけど、何て言うか思ったより適当で行き当たりばったりな話なのだ。
しかし正直な所、私今すんごい受かれてる。何て言うか、これはこれで楽しい。
――二度目の恋なんて、考えた事も無かったのに。
まさか真顔で『あなたのこといいなって思う気持ちが、「こんにちわ」してきたんですけど』なんて言われるとは思わなかった。初対面で「ピッチリしたレオタードの人」みたいな扱いしくさった癖して、なんだその真っ直ぐな言い種は。反射的に小突いてしまったけれど、それでも晴人はめげなかった。毎日のように寄って来てはどうにかこうにか距離を縮めようと、バカなりに頑張り続ける事暫し。夏も終わって秋風が吹く頃、去年は千夏先輩に宣戦布告したり文化祭の準備したり忙しかったなーなんて過ぎた日々を振り返ったりしてた私に、あのバカは突然言い放ったのだ。
『先輩、好きです』と。…………うん、ものすごい唐突に。
いきなり何言い出すんじゃ、と一発蹴っ飛ばしてやったけど、晴人は表情を崩さないままもう一度。さっきよりもハッキリと、同じ台詞を並べてくれた。ここが体育館なのを忘れたかのように、良い声で。同じフロアに千夏先輩やら大喜やらがいるのに。
地獄みたいな空気になるのを察し、私は一旦駆け出していた。返事なんか出来るものか、まず落ち着かせろバカ。
自慢の脚力で走り抜け、用具倉庫の陰に隠れてもまだ気持ちは戻らないままだった。冗談でもなんでもない、ド直球の好意を向けられる事なんか有り得るとさえ思わなかったから。晴人の事は嫌いじゃない。バカで不躾でバカでバカだけど、バカなりに真っ直ぐだし良い男だとは思うし。でもそれは、それは……うーん……。
へたりこみながら思ったのは、どうやって逃げ出すか。気持ち云々というより、準備が無さすぎる。少なくとも今日はもう顔を合わせられない、明日までちゃんと考えよう。いや、それじゃまだ性急だ。もっともっと時間をかけていけば、そうすれば晴人も――
そこまで思考して、ふと違和感を覚えた。私はこんなにも、結論から逃げる女だったか。向こうが呆れて背を向けるまでひたすら隠れ続けるなんて、無敵の蝶野雛がする事じゃないのに。
「……っ」
休んだ筈なのに、息が整わない。
心臓が疼く、胸が刺すように痛い。
口の中はカラカラに渇ききっていた。
これは走ったせいなんかじゃない、私は――恐れてしまっている。忘れかけていた、忘れたいと願ったあの秋の慟哭が、胸の中に甦ったから。
そうだ、あのバカはまるで私と鏡写しじゃないか。返事を聞きたくなくて逃げ続けた私が、今度は逆に返事をすることから逃げ出すなんて。
しっかりしろ、大喜はこんな風にならなかった。ちゃんと私に、答えをくれた。
立て不死身の身体、不屈の闘志。恐れるな、ここで退けば世界の果てまで後ずさる事になる。
唇咬んで不安振りほどき、金剛力を込めて脚を動かす。言ってやれ、私の気持ちを見せてやれ。
どうなろうが知ったことか、と嘯きながら私はさっきの道のりを遡るように再び駆け出していた――。
あの後晴人は寸分たがわず同じ場所でアホみたいに突っ立っていたけれど、どうも私がお花摘みに行きたくて走り出したんだと思ったらしい。その内戻ってくるだろうと素直に待っていた辺り、どうもこれは大喜より更にバカなんだなと確信させられてしまった。
ま、良いんだけどさ。
「……気持ちは嬉しいよ、でも私は前――大喜を好きだった事があって」
だから他の人をすぐ好きにはなれないかもしれないし比べてしまうかもしれない、と続けようとした私に晴人は言いやがったっけ。『あ、俺誰かを好きになった事ないんです。蝶野先輩が経験あるなら、色々教えてくれると助かります』、……なんてバカ丸出しな事を。
いや、いやいや。いやいやいやいや、待てやお前。好きになっただけで
そうか、でもそうなんだな。以前誰かに好意を持ったからって、それが恋をしてはいけない理由になんかならないんだ。生涯一度の恋なんて今時流行らない、もっと軽く考えれば良かった。プーシキンだっけ、「月に向かって『そこに留まれ』と命ずるものがあるか。若い女の心に向かって『一人を愛して決して心変わりせぬことだ』など言うものがあるか」とか言ったのは。それはきっと、正しいことなんだ。
そんなこんなで私はバカな晴人にも分かるよう、非常にストレートに応えてやった。返事は気持ちよく、イエスだ。
――まあ、うん、こうやって高校二年の秋、私ははじめて彼氏と言うものを持ったわけだけれども。
いやなんていうか、良いね恋人って。練習で励まし合う関係も良い、千夏先輩と大喜もこうなんだろう。
あと晴人は想像以上にバカだけど、でもその分嘘がない。日頃親の件や部活の成果で周囲がギスりやすい私にとっては、こういう話し相手がいると正直助かる。晴人も晴人で、私といるのが楽しいらしく周囲にノロケてばかりいるらしい。お陰であっちこっちから『お前あんま彼氏甘やかすな、ノロケ話しかしないぞあのバカ』と私が言われてるんだけどね。
それに、だ。恋人同士でする事も、あれこれとそれこそ――
あんな大変な事だとは思っても見なかったけど、それでもどうにか睦事を終えて。翌朝同じベッドで目を醒ました時は、なんだか笑えてしまった。
する事してグッスリ眠って、それで少し気持ちが変わるかもしれない。なんて僅かに怯えていたのが、あまりにもバカバカしくて。能天気に寝くたれる顔を見ていて込み上げるのは、愛しさだけなのだから。
むにゃむにゃと目を開けた晴人もちょっとだけ恥ずかしそうにしながら笑ってたから、きっと同じような感じなんだろう。男の子は出すもの出したら冷めるもんだって菖蒲が言ってはいたけど、これはバカだからなぁ。その辺は他より鈍いんだ多分。
気が付けば季節は廻り、私は高校最後の夏を全国二位で終え晴人はインターハイ初戦敗退。二年生としてはそこそこ活躍した方なんだろう、大喜も去年そんな感じだったし。そういや今年はどうだったかな、見てないから分かんない。
相変わらず私たちは変わりなく、いつだってイチャラブ放題で過ごしている。♪熱い熱いと言われた仲も三
しかしまあ長い付き合いにはなってるけど、晴人のバカっぷりには毎回ちょっと驚かされる。
いつまで私は
まったくこのバカ、本当にバカなんだから。
あんまり深刻になられても困るけど、でも年に五分くらいは頭使え。その辺だけは大喜の方がまだマシだぞ。
良いんだけどさ、良いんだけどね。
いつものようにキスを交わしながら、だけど今は少しだけ――
そもそも私は、馴れ馴れしく距離を詰めてくる手合いが苦手だ。そこには必ず裏があって、どうせろくでもない事になるから。それは正直願い下げなのだけれども、今の私は逆にそうしようとしている。思えば遠くへ来たものだ、とね。
誰かを好きになるという事を知ったのは、大喜のお陰。恋を失う辛さを知ったのも、大喜のせい。
時には恨んだりもしたし、もう誰も好きにならないと誓ったりもした。
だけどそこから私は、一歩踏み出せた。恋は辛く苦しいものじゃない、愛すべき美しいもの。私にそれを教えてくれたのは、他ならぬ晴人なんだ。
ここまでずっと、楽しかった。これからもずっと、そうなんだろう。そうありたい、そうしたい。
「私、さ。……アンタとこれからもずっと、一緒にいたいな」
死に水取ってあげたいし、同じお墓にも入りたい。だって、だって。
愛してるから。誰よりも愛してるから、その証がほしい。
まあでも晴人はバカだから、こんな風に言ったってわかりゃしないか。言わないことは伝わらないんだ、バカ相手には特に。
ストレートでないと理解できないのが、このバカなんだ。
「んー煎じ詰めるとね、アンタと子供作って結婚したいのよ。返事はイエスしか許さないから、そのつもりでいなさい」
目をしばたたかせる晴人をトンっと突いてベッドに倒し、のし掛かるようにキスを降らせる。顔に胸に、身体中へと。
勿論自分がどんなバカを言ってるかはわかってるし、晴人の気持ちだってある。でもそんなのは、申し訳ないけど些細な事。私はいつだってなんだって、真正面からしか動けない。そう、私も晴人を笑えないくらいにはバカだから。
バカは黙って突っ込め、それしか出来ないのがバカってもんだ。
戸惑い顔なままの晴人の手を握り、その温もりを確かめながら私は改めて思う。幸せだな、と。
今まで口を閉じ瞳を光らせて来たけれど、もっと大きな優しさが見えた。勝ち続ける事も大事だった、だけどそれは人生の目的にはならない。あくまで勝利は先へ進む為の通過点で、求めている到達点はきっと、こういう事なんだ。
人が聞けば自棄になったとか恋愛に逃げたとか言うだろう、こっちの気も知らないで。良いよ良いよ、好きに言え。私は幸せになるんだ、幸せであり続けるんだ。
その思いはきっと、伝わったのだろう。ちょっとだけ躊躇いながらも晴人は、最高のキスをくれたから。
そんなこんなで気持ちを分かち合い、私たちは――勢いでそのまま朝を迎える事となった。
何度しても朝帰りというのは、なんだか落ち着かない。いや落ち着かないって言うか普通に良くない事なんだけど、だって仕方ないじゃないか。済ませてすぐ帰るとか、身体だけ目当てみたいでそれこそ良くないし。
さてとでもどうしようかな、いや学校あるから選択肢はそんなにないか。一旦家で着替えて、それから――。
「あ、そうだ」
ちょっと時間的に厳しいけど、合流してから二人で手を繋いで登校してみても良いな。それはまだしたこと無いし、楽しそう。それから勉強して部活もして、帰りには二人で寄り道しようか。さすがに二日連続で朝帰りする気はないけdさ。
そしてこの週末は体育館改修で部活もお休み、良い機会だし土日ずっと一緒にすごそう。一度も靴下を履かずダラダラするのも良いし、いっそ奮発して指輪でも買いにいこうか。
ああもう、人生って楽しすぎる。