ミニバスチームで出逢った時は、ポケポケしたお嬢ちゃんだなーとしか思わなかった。お母さんに連れられてヨチヨチやって来たけどボールの持ち方も知らない、ただバスケが好きなだけのド素人。だけど、だからこそ。誰よりも努力家で、誰よりもバスケを好きで居続けている。
あの日からナツはずっと、半歩遅れて私の後ろを着いてくる。私にはもう、そこまでの油は残っていないのに。
十の神童十五で天才二十すぎれば只の人、なんて言葉がある。しかし時代が下ったせいだろう、私はもっともっと早く「只の人」に成り果てた。早熟であって天才ではなかった、という在り来たりな話だ。
努力で伸びていくナツは、とっとと私を振り切るべきだと思う。
だけど、だからこそ。ナツと離れる日が来ることを、受け入れがたく思っている私もいるのだ。私が足手まといで鬱陶しいナツを引き連れてきてやったように、すっかり落ちぶれた私を支えてほしいとさえ願う。
ああ、面倒だな。面倒臭くて、死にそうだ。
ミニバスとバスケがどれほど違うか、入部早々に思い知らされた。あれはバスケごっこでしかなく、私が過ごした二年間は大した経験でも無かったのだ。小学生の中では上澄みであろうと、中学生にしてみれば文字通り子供の背伸び。同級生と比べればそこそこの成果は上げられても、部内全体では木っ端でしかない。
努力は必ず実を結ぶ、それは分かっていてもやる気はどんどん萎えていく。『思ったほどじゃない』『期待はずれだった』と何度も言われれば、そうもなるさ。好きだったことは苦になり、それを通り越すともうどうでもよくなっていく。
いつかまた好きになったとして、その頃にはすっかり鈍っているに決まっている。
それでもナツは、私を慕ってくれてる訳で。
無駄にデカくて目付きの悪い私を、初対面から怖がりもしなかった。私としてもあれの集中は見習うべき良い習慣だ、『ヘタクソだから鹿野さんとは組みたくない』というチームメイトの流れに逆らって、いつも一緒にいたっけ。たかがドリブルたかがパス、これくらい誰でも出来るよと手本を見せると、ナツは目をキラキラさせて大喜びしてから脇目も振らず練習三昧。
そんな練習の虫はすっかり羽化したのに、私はこのザマだ。
しかし劣等感も敗北感もあるけど自分からは離れず来た、もしや私はナツを――好きなんだろうか。だからこそ離れがたいのか。
「いや、……無いな」
バスケから逃げたいから、「一番」をすり替えようとしているだけだ。もう無意味な努力は飽きてしまった、これ以上は戦えない。遅れ馳せながら恋でもして、等身大のセイシュンなるものを楽しんでなんとなくオトナになろう、なんて胸の奥から声がする。
酷いもんだな、私は。ここまで堕ちたか、人を巻き込むなよ元エース。自嘲しながら歩く先には、何があるのか。右を進めば断崖絶壁に出るやもしれぬ、左を進めば不慮の事故に逢うやもしれぬ。それでもただ、よろめきながらでも歩くしかない。
終わりを論ずるには、私はまだ若すぎる。
なんて中二めいた事を考える辺り、重症だな。元々悪い頭が、最近とみに悪化している。一旦オーバーホールかねぇ、こりゃぁ。
「お疲れさま、夢佳」
「……ん」
疲れるほど練習した覚えはない、顔だけだして帰ろうとした所にお前がいたんじゃないか。……なんて言いはしない、私だって常識はある。三年生は既に中学バスケを引退し、高等部に混ぜてもらってはいるから多少参加しないと気まずい。だから形だけ練習して部室に引っ込んだだけ、その程度では汗も出やしない。しかしナツの方はそうでもないようで、シーブリーズの匂いにうっすら汗臭が混ざっている。
「よくやるよ、全く」
「夢佳だってそうでしょ、高校に入ったらまたすぐ
ああ……そうか、そう言ったな。せっかく引退したばっかりなんだから少し休もうよ、と。本当はもうそんな日は、二度と来ないのに。
両親が離婚するからって即座に学費が払えなくなる訳じゃない、休めば調子だって戻るかもしれない。でも、私はもう――折れてしまった。昔なら気にも止めなかった事が心を抉り取る、身体がどんどん思い通りにいかなくなる。
それをナツに気づかれたくない、スゴいスゴいと輝いていた目が失望に染まるのは見たくない。
大好きだったから、もう離れよう。別の学校へ進学し、過去の思い出になろう。それが一番、良いことだ。
「あのさナツ、私――」
意を決して別れを告げようとした私の口はでも、半開きで止まってしまう。
「すー……くかー…………」
ついさっきまで話をしていた筈のナツは、目を離した隙に爆睡してしまっていたのだ。
そうだこのバカほっとくと寝るんだ、バカだから。
人が一大決心すればこれだ、どうなってんだよお前は。ラブコメの突発性難聴主人公か、キムチ食わすぞコラ。
すやすやと眠るナツの顔は、普段よりも呆けて見える。全く呑気なモノだな、私がこうも悩んでるのに。水と油とはよく言った、正反対じゃないか私たちは。
幾ら慣れた場所とはいえ誰が来るか分からない部室で爆睡出来るなんて、コイツには危機感ってもんがないのかね。男子が来たらどうする気だ、脳ミソつるっつるかよ、大きい幼稚園児め。
別れを告げなければならないのに、せっかくの決意が無駄になったじゃないか。……ま、無理に言う事もないな。なにも言わないまま外部進学してしまえば良い、春になって気付く頃にはもう私はいない。それならいっそ心も痛むまい。
――こんなにも無防備に寝やがって。
ちょっとつついてみても反応はなく、ナツの寝顔は平和そのもの。いつか私ではない誰かのとなりで、こんな姿を見せるんだろうか。
ふとそんな事を思ったせいだろう、私の視線はナツの唇へと吸い寄せられていく。
いや視線だけじゃない、顔の距離自体がどんどん狭まっていくのが分かる。
いつしか視界がナツでいっぱいになり、そして。
気が付けば、私の唇はナツの唇へと軟着陸を果たしていた――。
一体何を思ったのか、思わなかったのか。何がしたいんだ、私と来たら。
唇を奪われてもグースカ寝くたれたままのナツを残し、私は三年近く毎日通った帰路を行く。もうじき使わなくなる、いつもの通学路を。顔が熱いのは夕日のせいだ、そうに決まっている。
私はレズじゃないしナツへの気持ちは単なる逃避、それだけの事。本人は寝てるんだ、気にすることさえない。私が忘れればそこで済む、それはそうなのだ。でも唇に残った熱が、告げている。私の心には、楔が打たれたのだと。生涯私はナツに振り回される、きっと多分。別れたくらいじゃ離れられない、切っても切れない腐れ縁。まあ私の方がナマクラだから切れないかも知れないんだけど。
この先ナツがどんな人生を送るか、誰を愛するか。そんなのは私がどうこうする事ではない。だけど将来何処かでまた会ったなら、話してやろうか。お前のファーストキスは、私とだよって。
――あの呆け面がそれを知ってどんな風になるのか、考えただけで心が踊る。ナツは平生を装える程器用でもないし、激しく狼狽するか怒りだすか。いっそ泣き出したりするかも。
もしそこで実はずっと好きだったとか追撃したら、あれはどうするかな。今度こそ卒倒したりして。
そして万が一億が一、あのバカがそれを受け入れたなら。クズみたいな私の人生も、少しは変わるだろうか。ナツになにもかも捧げさせ、全ての可能性を奪い取る時が来るのかもしれない。
ああ、楽しみだな。楽しみすぎて、死にそうだ。