ああ、なんて事だろうか。
ここ最近は精神的にブン回される事も少なくなって、多少油断していた節もある。しかしなあ、でもさあ。これはまるで――二年前の再来ではないか。ベクトルが逆だし場所も学校ではなくバイト先、それでもインパクト的にはほぼ同様……いやそれとは少し違うか。事前に盗み聞きしていないもんなぁ、今回。
あの時は試合結果報告に登校したタイミングで不意打ちくらって、しかもそのあと面と向かって鞘当てされたっけ。もう懐かしいけどさ。
平生を装おうとした結果固まった私、でもそれを「聞こえてなかった」とでも判断したのであろう――蝶野さんは再び口を開く。
「もっかい言いますけど私、大喜に今度こそ正式にフラれたんです」
いや、いやいや。いやいやいやいや、待て待て待て。だから急に押し掛けてきて言うことじゃないし声を抑えて欲しい、空気を読むべきだと分かってくれないかな。店長たちが気まずそうにしてるじゃないか、私と大喜くんの件は知ってるんだから。
全く、どうしたものだろう。頭を抱えるのも面倒で、私は天井を仰ぐ。人の職場を修羅場にする気か、どうにか場所を変えて話を整理しなければいけないな。
「あー……蝶野さん、私バイトまだ終わんないからさ」
「大丈夫です、私お腹すいてるんで食べながら待ってます!」
そうじゃないんだけどなあ、とっとと出てって欲しいんだけどなぁ。
まあ注文してくれるならお客さんだ、黙ってれば店内にいてくれても問題は――あ。
「言っておくけど蝶野さん、奢らないからね」
「ここがあの女のハウスね! ……ここがあの女のハウスね!」
「大喜くんは返さないしこれ以上お金も貸さないよ」
そしてうちは世田谷じゃありません、ってなんでそんな古い話を知ってるんだこの子は。
まったく、なんて騒がしい客だろうか。小さく漏れた溜め息は、疲労の証し。なにせ結構な量を平らげた癖に財布を忘れたとかでキャッシュレスしか決済手段を持ってなかった蝶野さん、その勘定を立て替えた上ここまで連れてきたのだから疲れもするさ。いや正確には着いてきたんだけどね、帰れって言っても帰らないし。バイト終わりにこんな面倒を抱えたくないんだけど、さ。
しかし考えてみれば、私らそこまで仲良くないよね。会ったばかりの頃からグイグイ来てはいたけど、基本接点薄いし。整体でたまに会うことはあれど、部活も学年も違う私たちに共通の話題なんてあるわけない。それこそ大喜くんを挟んでしか関わってこなかった、そんな関係。
もし同じ人を好きになっていなかったら、話すことさえ無かっただろうな。でも、だからこそ必要以上に関わろうともしてこなかった。
そう考えると色々複雑な話なんだな、うん。
「えーとですね、知ってると思いますけど私高一の夏に大喜に一回告白したんです。まあ好きになってくれるまで返事はいらないって逃げ回ってたんですけど、秋合宿の時本気でフラれまして。そこから諦めきれなくてこないだキスしちゃって、それで本格的にフラれて親友に戻りました」
……勝手に淹れていたコーヒーを啜りながら蝶野さんが一息に言い終えた世迷い言、それを受け私は天井を仰いだ。本日二度目だ、なんで職場と家の天井を見比べてるんだ私は。あと何で他人の家の台所を好きに使う、やるならせめて私の分も淹れてくれないかな。
告白は確かに知ってる、人が家族の事で大変なときに鞘当てしに来てくれたしその前にうっかり聞いちゃったし。
それはそれとして、秋合宿って。確かに大喜くんの姿が見えなかったけど、なにやってんだ一体。
て言うかそれがもう二年近く前なんだけど、そこからずっと引き摺ってたのか。私たちが付き合いだしても、まだずっと。
もしかして先日大喜くんが泣いてたのって、由紀子さんの件だけじゃなくて蝶野さんも原因か。人の彼氏になにするんだ。
そりゃ大喜くんはなにも言えない、私に心配かけたくないだろうし下手したら浮気疑惑になりかねないし。いや私は疑う気さえないけど、本人が罪悪感で潰れてしまう。
これはどうしたものかな、と息を吐く私を他所に蝶野さんは戸棚を漁り茶菓子を取り出して食べ始めている。さっきあれだけ食べてた癖に、まだ食うのかこの子と来たら。太るぞ新体操部、競技に響いても知らないぞ。
事ある毎にお隣さんがくれるお菓子を正直持て余してたから、食べ尽くす分には別に良いんだけどさ。せめて一言断ってからにしてほしい、このワンパクさんめ。
ホント遠慮の一つもしないなこの後輩、そう言えば初対面で『彼氏とかいるんですか』とか聞いてきたな。心臓に触手でも生えてるのか、はたまた面の皮が超合金なのか。
「でも大喜も悪いんですよ、私に優しすぎるんです。好きにならない訳ないでしょあんなの」
うんまあ分かるよ、それは分かるよ。でも少しは考えろ泥棒猫、あと食べかすを溢さないで。
そろそろ怒っても良いんじゃないかな、なんて思い始めた頃。蝶野さんは少しだけ言葉を止め、そして小さく呟く。
「――俺が持ってる尊敬の念を失う行動は慎んでもらえますか、って叱られましたよ。その上で、親友に戻りたいとも言ってくれました。縁を切っても文句がでない話なのに、本当御人好しですよね……大喜って」
それも、分かるよ。
大喜くんは人間関係の根底に、尊敬がある。自分より優れている相手には素直に憧れ、そうでない相手には伸び代の大きさを見つけて応援する。誰よりも真っ直ぐで、人を好きでいようとしている。筋金入りの御人好しで、底無しに優しい。自分が傷付く事を怖れない、そして誰かを傷付ける事は許せない。
私へ向けてくれる気持ちもきっと、そこから始まったのだろう。大喜くんは私を好きになってくれた人、私が好きになった人。優しくて暖かくて、だからこそ少し不器用。でも隣で一緒に歩みたいと思える、大切な人。
蝶野さんは大喜くんを好きになって、好きでいて、幸せな時間を過ごしたのだろう。だからそれを終わらせたくなくてワガママを言った、それだけだ。
それを責めるのは、私がするべき事じゃない。ここで追い打ちかける程、私も鬼じゃないんだから。
「あ、……本当にもう、諦めましたからね。ここから手を出そうとか、そんなのは無いです。私友達少ないんですよ、大喜に愛想つかされたら本当にゼロになっちゃう」
これからは親友として再出発、お二人を応援していくんでヨロシクさんです。蝶野さんがペコリと下げ、私もそれに釣られてペコリ。
なんだろうな、本当に。かつてのライバルがこんな風に頭を下げあうなんて、おかしな話だ。
さてしかし、どうしたものかな。ここから私たちの関係は、どうなっていくんだろう。上手くしたら、お互いに親友が一人増えるかもしれない。
まあ人間万事塞翁が馬、為るようにしか為らないものだ。
滑って転んで、泣いて笑って。なんとなるさ、なんとかするさ。
「今日は泊まってく気ですけど良いですよね千夏先輩、私他人のベッドでも全然寝れるし寝相良いから大丈夫です」
「泊まるのはまだしも何で一緒に寝る前提なの、蝶野さんと同衾する気無いんだけど」
「でも家主を床に寝させる訳にはいかないですよ、さすがにそこまで失礼じゃありません。それとも大喜より先に私と、が抵抗ある感じですか?」
「いやそれはその、私の口からは……」
「え"。あの……いや良いですあんまり生臭い話とかしたくないし」
「何を考えたか知らないし知りたくないけど少し黙ろうか?」