やってしまった、大失敗した。そんな思いを抱えたまま、台所を片付けている私。帰ってきた由紀子さんは私がするから良いわよって言ってくれたけど、その辺はちゃんとしておきたい。それに今のまま大喜のいる二階へ上がるのは結構辛い、気まずすぎる。
ああ、どうしてこうも私は不調法なのか。ガサツ過ぎる、もうちょっと気を遣うとかなんとか出来ないもんだろうか。
言うべき言葉を噛んだ処か、あんな風に言い間違えるなんて私はどうかしているのではないか。いや絶対おかしいよ私、なんなんだ。
居間にいる由紀子さんからは見えないのが救いだけど、今の私は顔が熱くて堪らない。きっともう、耳まで真っ赤になってる。
記憶のフラッシュバックに耐えながら、それでも聞こえないよう小さく溜め息を吐いて私は内心悶え続ける。
なんで私は、あんな事を言ってしまったのか。
大喜くん、とはもう呼ばない。針生くんや蝶野さんは呼び捨てにしているんだから、私にだって出来ない筈はない。そう思って何日も練習してるけれど、これがスゴく大変だった。何て言うか恥ずかしい、はずい。たいき、という三文字だけで顔から火を吹きそうだ。日本語ってスゴい、言葉って偉大。
県大会前の距離感ならそれこそ自然に言えたけど、今はもうそんな風にはできない。特別な関係になった、という証を立てる事としか思えないから。
それでもどうにか頑張りはするけど、その最中でふと思った。大喜はいつまで私を「千夏先輩」と呼ぶんだろうか、と。
出来れば私だって、千夏と呼んでほしい。二人きりの時だけで良いから、少しだけ関係を進めてみたいのだ。それに私のフルネームは「かのちなつ」で5文字、「ちなつせんぱい」は7文字。長すぎて不合理な気がしなくもない、何となく違う気もするけど。
千夏って呼んでも良いよ、と水を向けたときは照れさせただけで終わったんだっけ。あの時私はもう大喜を好きになりつつあったけど、大喜はどうだったのかな。
そんなこんなで迷ったり迷わなかったりの日々のなか、迎えたのは大喜の誕生日。これをきっかけに呼び方を変えよう、大喜にも千夏と呼ばせよう。
まるで誂えたように家族が留守の夜、予定通り……いや少しだけ予定と違って一緒に作る事になったけど……夕飯にオムライスを完成させて、それを食べながら。ふざけてインタビュアーの真似をするという
それなのに、それなのに。
出てきた言葉は、微妙に歪んでしまっていた。
「――私はいつまで、
うわ。うわうわうわ。鮮明に甦るついさっきの記憶に、私は皿を取り落としそうになってしまう。どうやったらあんな間違い方が出来るんだ、私は。あれじゃあまるで、鹿野という苗字を捨てて別の――猪股とか名乗りたいみたいじゃないか。大喜の所へ嫁ぎたい、そう言っているみたいじゃないか。
私が自分のバカさを思い知って赤面した刹那、大喜の顔も深紅に染まった。こうなるともう否定も出来ない、笑ってごまかせる空気にはなれない。いや否定するのもおかしいのか、私は大喜の恋人だ。これからもずっと一緒にいたい、結婚したいし子供もほしい。死に水取ってあげたい、同じ墓に入りたい。だから猪股千夏になるのは必然なんだけど、でもだからって今こんな勢いで言ってしまうバカがいるか。
なにも言えないままオムライスは減っていき、いよいよお互いの皿がカラッポになり黙っている訳にも行かなくなったその時だった。
「ただいまー。ごめんね千夏ちゃん、大喜の世話任せちゃって」
……大荷物を手に由紀子さんが帰って来てくれたお陰で、どうにかこうにか場の雰囲気は収束し
あれからとりあえず形通りにケーキを食べて再度誕生日を祝われて大喜は部屋へ戻り、私は間が持たないままこうして片づけ中という訳だ。
うう、どうしようか。どのみち部屋へ上がったら、すぐ隣には大喜がいる。
いずれは言う事とは言え、この段階で事実上のプロポーズとか速すぎる。もっとこう、ゆっくり行くべきだったか。急に言い出すからうまくいかないんだ、「大喜って呼んで良い?」って聞くくらいから始めるべきだった。それで仲良くなって、私が栄明を卒業する辺りで「もっと一緒にいたいな」とか言い出して二人暮らしなんかしちゃって。あれこれ楽しんで最後には、最後には――。
「千夏ちゃん、どうかした? なんだかさっきからニヨニヨしてるけど」
いつの間にか隣で心配そうな顔をしていた由紀子さんに声をかけられ、私はようやく正気に立ち返る。
何を妄想してるんだ、変態か私は。まったく最近はどうもダメだな、私らしくもない。周囲に心配をかけるなんて、こんなんじゃそれこそダメだ。大喜の先輩として彼女として、恥ずかしくない人間にならないと。この人を好きになってよかった、と思ってほしい。これからもずっと一緒にいたい、と大喜にも願って貰えるようになりたい。
その為にこそ、頑張ろう。
まずは由紀子さんを安心させないと、何でもないですよーと笑って言おう。そう思って口を開いた瞬間、私の脳裏に嫌な予感が過った。これは、まさか。このままだとまた、
遮るモノもなく放たれる言葉は、ある意味思った通り。嫌な予感そのままに、完璧に場違いな言葉だけが由紀子さん目掛けて駆け抜けていった。
「あ……の。息子さんを、大喜を私に下さい」
余りにも古臭い時代がかった言い回しは、遮るモノもなく放たれてしまった。ああ、これはもう終わったな。どうしてこうも裏目を引くのだろう、どうしようもない。これで追い出されたら、それこそ大喜を連れて二人暮らしでもするか。無理だろうな、私は無収入の学生だ。そんな事が出来るもんか。
叱責かそれよりも上の沙汰かを覚悟し身震いする私、だけど今度の予想はどういうわけか――大きく外れることとなった。
「良いわよ、あんなので良かったらどうぞどうぞ」
あーでも卒業するまではあんまりハメ外さないのよ、お嫁に来るのは大歓迎だけど世間体もあるからね、なんて軽く言う由紀子さんは満面の笑み。愛想笑いでもなんでもなく、心から祝福している感じの。
案ずるより産むが易し、とは言うけど。言うけれど、こんなにアッサリと流されていいのか。……いやしかし反対されるよりはマシ……なんだろうかな。
世の中っていろんな意味で想像以上なんだな、うん。
あぁ、そうだ。洗い物が全部終わったら、大喜にも言わないといけないな。
今度こそは失敗しないように、ちゃんと言うんだ。
愛しています結婚しましょう、とかそういう感じで。
さてうまく言えたら御慰み、ってね。