毎日来ていた筈の『あの娘』が突然来なくなったりすると曇りますよね? 作:救いの無い曇らせに価値は無い
とある国のとある森。
鬱蒼とした深緑は何人たりとも寄せ付けない様子であり、辺りには青臭い匂いが漂い、騒めく木々なんかは生きているようにも感じる程であった。
そんな森の奥深く。
静かな静かな場所だった。
人など住める筈のない森の中に、石造りの家屋が一軒。
蔓が這い、むした苔は最早絵本の中の光景のようであり、息を呑む音すらも煩く感じるだろう。
その神秘的ともいえようテリトリーに、今日は小さな足音と乱れた荒い息が響き、静寂を壊してしまっている。
「あ、あの……道に迷ってしまったんですけど……。」
不自然な建築物の戸を引いた少女と、家主の女。二人はお互い見つめ合い、やがて女が口を開いた。
「どうして……。どうして君は此処に辿り着けたのかな?」
女の黒い瞳が、少女の不安に満ちた目を射抜いた。
「貴女は、魔女さま……なんですか?」
少女の小さな口が問う。
——魔女。
とある国のとある森。国から追放された魔女が、下界から隔たれた場所で何百年も暮らしている。
真偽は誰も知り得ない。それでも、少女の国で知らぬ者などいない程に有名な都市伝説であった。
「あぁ、そうだよ。私が君達の言うところの『魔女』だよ。」
宵闇を絵筆で掬い取って、着色してみせたかのような艶やかな黒髪。何年、いや何百年も直射日光に晒されていない躰は、白く透き通っていた。
「ほ、本当に魔女さま……?すっ、すごい!私、魔女さまに会っちゃった!」
少女は感情を全身で表すかのようにぴょんぴんと飛び跳ねる。赤く染まった頬、輝く睫毛。実に歓喜に満ちた表情であった。
その少女の可愛いらしい姿を横目に、魔女は思索に耽る。いま現在、魔女の頭の中に在るのはある疑問ただ一つだった。
——どうして少女が、この家に辿り着けたのか。
魔女が森に住み始めて数百年。その長い年月の中で、当然伝説の真相を明かそうと森に踏み入る輩はいた。それでも魔女が今の今まで伝説の存在であったのは、魔女が魔女たる由縁にあったのだ。
人払いの魔法。
自分に害意のある者。敵意を抱く者。森を踏み荒らす研究者。迷い込んだ遭難者であろうとも、それら全て。人と言える全ての存在から自身を遠ざける魔法。魔法を使うことで、自身を秘匿し生きてきたのだ。
それがどうだ。目の前の少女はどうだ。ずっと機能していた筈の魔法をすり抜けて迷い込んだ異分子。
魔女は、ちらりと少女を見た。自身の部屋を興味深そうに忙しく眺める少女の姿。時折り「すごい、すごい」と口にしては瞳に星を輝かせる。
そうした少女の様子を見て、魔女は漸く得心する。
——あぁ、この少女は私を脅かす存在などではないのか。
魔女の答えだった。
「人里近くまで送って行こう。こんな所もう、来るんじゃないよ?」
内心煩わしく感じながらも、魔女が少女の手を取って、連れ出そうとする。
「また来てもいいですか!?」
「話を聞きなよ……」
興奮気味な少女に、魔女はくすりと笑ってみせた。笑うのなんて何年振りだろうかと考える魔女は「来れるもんならね」と挑発したものだった。
「ははっ……手なんか振っちゃってる……。」
踏み平され、道草の生えなくなった人の道。少女を無事に送り届け、小さな背中を見送るために、手を振りかえす。離れていく少女の姿に、魔女の空の手が虚しく揺れるばかりであった。
***
「来れました!」
「えぇ……。」
次の日、魔女がいつもと同じように、何百回と読み直した魔導書を読み耽ていると勢いよく戸が開いた。
ばーんっと現れたのは昨日見送った筈の少女の姿。魔女は『少しの偶然が起こしたちょっとした奇跡』程度に考えていたものだから度肝を抜かれた。奇跡など何度もあって良いものではないのだ。
「なに読んでるんですか!?」
少女の高過ぎるテンションに魔女は着いて行けず、鬱陶しさすら感じてしまう。
「……。」
魔女は少女に答えない。此方が相手にしなければ、そのうち飽きて、少女もすぐに帰ってしまうだろう、と考えたのだった。
「今日は帰ります……。」
魔女の意図を読み取ったのか、少女は寂しそうな顔をして家を出ていく。
散々無視をしていた魔女であったが、それでも危険な森の中を少女一人で帰すことは無く、無言のままに送り帰したのだった。
***
「来ました!」
明くる日も明くる日も少女は魔女の元を訪れた。
初めのうちこそ、少女を無視していた魔女であったが次第にその心は変わっていく。
魔女が、うんともすんとも言わないものだから、そのうち少女は自身の事を語り出した。
紡がれるのは魔女の知らない"外"の話。
知らない文化。
知らない文明。
知らない世界。
少女の話は魔女にとって全てが新鮮で、好奇心を掻き立てられた。
——知りたい。知りたい。
魔女は徐々に心を解かされていく。初めは探究心によるものだった。しかし、魔女は少女の存在に惹かれるようになっていたのだ。
「それでね、それでね!魔女さま……聞いてる?」
「あぁ、聞いてるよ」
実に心地良い時間。甘美な空気感は、何百年も人々との交流から離れていた魔女にとって痺れる程だった。
触れてしまえば壊れてしまうような儚く尊い少女の姿は、ガラス細工のようでもあり、魔女は心底丁寧に丁寧に少女を愛でた。
その時にはもう、少女は魔女の生活の一部であり、特別な時間となっていたのだ。
***
「魔女さま、くすぐったいよ」
——魔女は時に、少女と風呂にも入った。
「魔女さま、まだ起きてる?」
——魔女は時に、少女と一つの毛布にも包まった。
「魔女さま、料理を教えてください!」
——魔女は時に、少女に長い命で培った技術をも教授した。
「魔女さま、大好きだよ?……なんてね。」
——魔女は時に、少女に揶揄われもした。
少女との日々を過ごすうちに、魔女は忘れていた表情を思い出したのだった。
「魔女さま、またね……。」
「あぁ、また。」
かけがえのない日々。
永遠とも思われた、その生活は突然終わりを遂げることとなる。
***
「来ない……」
毎日来ていた筈の少女が、訪ねて来なかった。今日は魔法を見せてあげる約束になっていたのだ。約束を無碍にするような性格ではなし少女が、理由も無しになどということは有り得ない。魔女はそう考えた。
「そうだ!風邪でも引いてしまったんだ!だから来れなかった。最近疲れさせ過ぎたかもな。今度薬草でも持たせてやろう」
魔女は自身の内で適当な答えをつけ、気を紛らわせたのだった。
しかし、その次の日も、その次の日も少女が魔女の元を訪れることは無かった。
***
少女が魔女の家に来なくなってから何日が経ったのだろうか。孤独には慣れきっていた筈の魔女は数日少女と会えていないだけで、やつれきってしまっている。
パサついた髪。覇気のない姿。
少女が、今の魔女の姿を見れば吹き出してしまうかもしれない。そう言えるほどに、魔女は以前とは比べものにならない程、気が気ではない状態だった。
やがて、魔女は決心する。自分から会いに行けばいいのだと。
決断すると、行動に移すまでは早かった。魔女はすぐに人里へと歩みを進めた。
そうして辿り着いた人里で、魔女は少女の事を聞いて回る。
眩しい日光が日影者の魔女を痛いほどに突き刺しても、それでも魔女は聞き込みをやめようとはしなかった。
収穫も無いままに、日が暮れて魔女は行き場を失った。その時だった。彼女の耳に何気ない話し声が入ってきたのは。
「あの子、残念だったわよね……。」
「まだ十歳だったんですってね」
「あぁ、奇病を患ったとかで、流行を防ぐためにって早々に殺された娘の話ですか」
心臓が速くなる。鼓動が痛く感じるのは、何百年も生きている魔女が、それでも尚生きている証拠だった。
「な、なぁ……その少女の話について教えてくれないか?」
違う、あの娘である筈がないと思う魔女であったが確認せずにはいられなかった。
そうして聞かされた、ある少女の話。
ある日、行方不明となった少女は人々の不安も他所に、ひょっこり姿を現した。今にして思えば、その日から少女は何処かおかしくなってしまったという。「魔女さまに会った」と語る少女。虚言じみた狂言を言う少女に、周りの子供達は次第に離れていく。大人達も気味悪がって遠ざけた。それでも尚、少女は「魔女さまに会いに行く」と言って姿を消した。
そして、少女は病に伏す。森の奥深くに咲くという『魔蓮花』の花粉が呼吸器官に入り込むことで発症するという極めて珍しい奇病だったという。少女の死の原因である『魔蓮花』は偶然にも魔女の家の近くに咲いている花であった。
それからの少女への対処は早かった。大人達は気狂いと化した少女を殺めてしまうのに躊躇いは無かった。感染しかねない奇病を持ったことで少女を処する大義名分を得たのだった。
魔女は話を黙って聞いていた。それどころか、顔は青褪めて、冷たい汗が全身に流れて口なんて聞ける状態ではなかった。
もう、魔女はわかっていた。自分が少女を死に追いやったということを。
——魔女は、『魔蓮花』という花が只人にどれだけの有毒物質であるかを失念していたのだ。魔女であるために忘れていたのだ。慣れきってしまっていたのだ。
自分が殺したようなものだった。
「嘘だ、嘘だ……。い、嫌だ……嫌だ!!」
魔女は叫ぶ。大声なんか出し方さえ忘れていたのに、喉を痛める程に嘆く。
それでも、少女が二度と帰って来る事はないという現実だけが魔女の心を蝕んだのだった。
***
村人から話を聞いた後、覚束ない足取りで帰路に着いた。いつ帰って来たのかは定かではなかったが、静寂に包まれた部屋と少女の温もりがない毛布が現実を突きつけた。
魔女は泣いた。泣き叫んだ。
とうに涙など流れる筈がないと思っていたが、目からは熱い雫が流れ落ちていた。
「あの……此処が『魔女さま』の家でしょうか」
突如叩かれる家の戸。泣き腫らした目を拭って、あり得る筈の無い期待を抱いて魔女は戸を開いた。
立っていたのは知らない女。
「これ、あの子に渡してくれって頼まれていたんです。あの子は最期まで『魔女さま、魔女さま』と言って聞きませんでした。本当に魔女が居ただなんて……。どうして私は、あの子を信じてあげられなかったんだろう……」
悲しそうに顔を歪ませる女は、魔女に手紙を手渡した。見覚えのある筆跡で『てがみ』と可愛らしく綴られたものだった。
「大切にしてあげてください。それがあの子の願いだったので。それでは私は……」
手紙を渡すと、女は早々に帰って行く。迷いの無い足取りだった。まるで来慣れているかのような足取りだった。
魔女はそんな女の不自然さにも気付かないで、少女の手紙を、震える手でどうにか封を開けることに必死であった。
手紙は確かに少女の筆跡だった。
『まじょさまへ
まほう を おしえてもらう約束だったのに いけなくて ごめんなさい。
ほんとうに 楽しみにしていたのに ざんねんです。 ほんとう だよ?
わたし かぜにでも かかっちゃったのかな。
むねがくるしくて のどがいたくてつらいよ。
はやく良くなって まじょさまに会いたいのに 今はしんどくて たまらない。
まじょさま たすけて つらい つらいよ。
……ひとりぼっちは もういやだよ。』
所々に、インクが何かの水滴で滲んだような跡があった。魔女はそれが少女の涙であることがわかってしまった。
魔女は崩れ落ちる。自分の無力さを感じて立ってはいられなかったのだ。少女が自分と同じで、孤独であったと知った時、魔女の心は酷く脆い物のように崩れ落ちた。
「ごめんなさい……ごめんなさい……」
魔女の謝罪は、光を失った暗い家の中で、誰に許されることもなく、嫌という程に響いて止まなかった。
***
翌日、取り乱していた胸中も少しは落ち着きを見せ、魔女は庭に骸の無い墓を建てた。
それは自身の戒めの為だった。忘れない為だった。大好きな人の為だった。魔女はとっく、自分の想いに気づいていた。
——私は、あの子のことが好きだったんだな。
遅過ぎた気付きは、少女に伝えられることもない。
「手紙……貰えて良かったな……。」
胸に抱くのは、女から受け取った少女の手紙。手紙を届けてくれた女の素性は知り得なかったが、魔女は感謝してやまなかった。
「あれ……?彼女はどうやって私の家にまで辿り着いたのだろう……。」
バッドエンドみたいな曇らせも好きです(矛盾)